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人を失い、自殺を考えています

生き甲斐がなくなって、毎日死ぬことしか考えられません。 私は家庭のこともあり、将来就職をしたいのに何をやっても駄目で、社会人になれる気がせず精神的に辛い時期がありました。 発達障害があるので人ともうまくコミュニケーションがとれず、無責任な発言ばかりをしてしまいます。学校の中での成績は良いですが、本当にそれだけです。昔対人恐怖症になったので、人の目も怖いです。 それで自己嫌悪に耐えられず、本当に自殺しようとした時期がありました。 しかしその時、私とおなじで自分のことで精一杯になっている同性の人に出会いました。その人は毎日「死にたい」と連呼していて、その雰囲気から本当に自殺してしまうのではないかと心配になりました。私はその人を支えたくて、優しくしなきゃと思い尽くしました。 するとその人は最初は辛そうでしたが次第に元気になってきて、やがて私の生き甲斐ともいえる存在になりました。その人が元気になると同時に私の自殺願望も薄れてきました。 しかし最近、その人にも見捨てられてしまいました。正確には、私の代わりとなる人が現れてから明らかに冷たくされて、すれ違うようになりました。私が精神的に辛い時も突き放すようになり、遂に関係を絶たれました。 ずっと尽くしてたのにと、自分が馬鹿みたいでした。私はこの人の為に生きようと思えて、相手も同じ気持ちだった筈なのに、どうしてこうも軽く関係を絶ってしまうのかと絶望しました。 それから食欲がなくなり、何をするにも無気力で数ヶ月が経過し今に至ります。 毎日泣いており、もう耐えられないと思って死にたいというと「死なないで」と止められますが、私の苦しみが分からない人に言われたくなくて、無責任な言葉のように思えてしまいます。 これ以上傷つくのが嫌で、人ともう関わりたくありません。死にたいです。 今は本当に自殺してしまおうかと毎日自殺の方法を考えたり調べています。近いうちに何処か遠くへ行くつもりです。ですが本当は死にたくありません。助かりたいだけなんです。 この苦しみから解放されたいですが、どうすればいいか分からず相談させて頂きました。

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母との考え方の違いに悩んでいます。

うちは、母と私の2人家族です。 普段はとても仲がいいと思っています。 でも、ひとつだけいつも大きな喧嘩になることがあり、私はいつもそのことで傷ついています。 うちは、母子家庭ではありますが、裕福な方だと思います。なので、毎年2回ほど決まった国へ旅行へ行っています。そのことで毎回喧嘩をします。 私は毎年のその旅行へ行くこと自体はいつもとても楽しみにしています。 しかし、大学生になり、忙しい学部なため、大型休みも大学の予定がちょこちょこ入りまとまって旅行にいける日程が限られてきています。また、留年率も高い学部のため勉強することは欠かせません。私は勉強をまじめにする方なので、それを優先的に考えてしまいます。 母は旅行が第一優先で考えています。 そこでいつも対立しています。 私がこの日ならいけるよ、と言うと、そんな短い日数は嫌だと怒鳴られてしまいました。 以前にもこの日数以上じゃなきゃ行かない方がマシだと怒られたことがありました。 ですが、母がいつも旅行を楽しみにしているのを知っていたので少しでも行けた方がいいと思い、私なりに色々調べて、勉強をしたい日程ではありましたが、私が頑張ればなんとかなると思いその日程を提案しました。 私がこのように良かれと思ってやったことだったのですが、母に今までにないぐらいに怒鳴られてしまいました。 私はいまいちなにが悪かったのかわかりません。そんなに怒鳴るほどのものではないと思いました。しかし、母にはストレスになっているようです。 でも、私も人間なので、良かれと思ってしたことがなのにこんなに怒鳴られるなんて、とても悲しくて泣いてしまいました。 私自身も毎回このようなことで喧嘩することにとてもストレスを感じていますし、毎回すごく傷つきます。 どうとらえれば気持ちがもっと楽になるのでしょうか。

有り難し有り難し 13
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夫の心が荒れています。どの様に接すれば良いでしょうか。

お坊様にはいつもお世話になっております。 また質問なのですが、数ヶ月前から夫が仕事から帰って来ると自室にこもるようになりました。「夕飯だよ。」と声をかけてもなかなか出てこなくて、私が寝る頃出てきます。 毎朝、出勤の仕度をしながら「会社やめて~。家にいるっていいな~!」と大声で叫びます。ちなみに私は家にいます。働く事が嫌なのではなくお医者さんから「仕事には行かない方が良い。」と言われているのです。働いていた頃は精神的にストレスを感じていないと思っていても気がつくと十二指腸潰瘍になったり、、10円ハゲができるなんて日常茶飯事でした。 なので私は専業主婦になりました。専業主婦でも元々慢性胃炎なので胃の具合は時々、悪くなります。 話はそれましたが、夫は「なぜ自分だけ働かないといけないんだ。おまえも頑張っているなら俺も頑張ろうと思えるけど。」と言われました。あまりにも夫の目付きが以前より悪くなりましたし、外出先で人とぶつかったりした時に「痛て~な~!」と大声でどなったりする様を見て驚いています。昔はこんな人ではなかったのに、、、。心配です。 一応、ストレス解消の為カラオケに行ったりしたら?とアドバイスはしましたが。 あまりにもわがままなので先日「悪い子の所には、なまはげが来るよ!」ときつく言ってみました。 少し場が和みましたが、平日は毎日、毎朝、夫の大声を聞かなくちゃいけないと思うと気が重いです。どの様にすればまた良好な関係になるのでしょうか?よろしくお願いします。 ちなみに夫はあと数年で定年退職です。

有り難し有り難し 9
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大切にするべき事は何でしょうか?

お忙しい中申し訳ございませんが、私の悩みを聞いてください。 結婚して数年経ちました。不妊治療専門の病院へいっていますが、残念ながら授かれておりません。高度不妊治療へ進み、高額な治療費をつぎ込んできました。 旦那はとても理解があり、協力を求めることはすべてしてくれ、私の心が崩れそうになったとき手を差し伸べて支えてくれています。感謝しかないです。この人と結婚できてよかった、と2人でも幸せに生きていこう。と思う反面、子どもができたらもっと楽しいだろう、愛する旦那の子どもを産みたい、と強く思っています。 治療をする上で犠牲になっているものは主に時間とお金と、対人関係での信頼です。 不妊治療の病院には人が溢れ医師は少なく待ち時間も長い、通院回数も多い。休日が奪われることは問題無いです。 しかし、どうしても通院日の関係で、仕事と治療を選ばなければいけない場面があります。退職も考えましたが、子どもを授かった時、金銭面で苦労させたくないのです。また旦那にも不自由のない暮らしをしてほしいという思いがあります。仕事も治療もなんてわがままな考えだとは思っています。 お金はまた稼いだらいい、治療は一刻も早く、年齢が若い方がいい。それは知っています。でもまだ心の中でどちらもは難しいのか、と欲張りになってしまいます。 また自分の実家も、旦那の実家も今住んでいるところからは遠く、結婚当初は長期休暇を利用し帰省していました。しかし、ここ数年は治療を優先にして通院日が重なる危険があるためなかなか帰省できていません。どちらの親にも、治療について話せていないため自分の実家はまだしも、旦那方の両親からは随分な嫁だと思われてしまっていることが心配です。 また旦那のことを考えると治療優先な生活を果たして正解なのかと、日々悩みます。2人でも幸せです。でもいつか後悔したくないのです、治療できるのは年齢やいろいろ限度があるので今しかないと思う気持ちが優先してしまいます。 過ぎた時間は戻ってきません、でもそれと同じくらい旦那の人生や旦那の故郷の家族との信頼関係も失いたくないです、大切にしたいです。なにかを叶えるには失う覚悟が必要でしょうか。 乱文失礼しました、お言葉を頂けますと幸いです。

有り難し有り難し 10
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「である」ことと「信じる」こと

アルボムッレ・スマナサーラ氏の『ブッダ ー大人になる道』(ちくまプリマー新書)の第2章についての質問です。端的にまとめると、著者の主張は自己矛盾ではないかというものです。 著者はまず科学について批判的に検討します。 『科学はすべてを調べているわけではないので、常に発展途上です。(中略)科学は決して最終的な知識ではないのです(p.69)』 他の宗教や哲学についても同様です。 『宗教家と古代の哲学者は、データを調べてから結論を出すのではなく、最初に結論を出して、無理にデータをそれに合わせるという方法を取りました(p.72)』 これらの主張にはおおむね賛成です。私の専門に引き付けても耳の痛い批判ですし、だから仏教に興味を持ったのです。ここから著者は仏教的な方法論について述べた上で、ブッダの教えは「最終的」であり(p.69)、「普遍的」(p.76)だと結論づけます。 しかし、こうした著者の批判は、著者自身に対してもブーメランのように成り立つのではないでしょうか。どのような論拠から※ブッダの教えは最終的で普遍的だと説明するのでしょうか。「今のところ反証されていないから」では不十分です。また、仏教も時代とともに枝分かれし変化しつつあります。仮にこれを「完全に無知で、頑固で頭が悪い(p.88)」大人が真理を理解する能力を失ったように、信徒のみならず僧侶にもブッダの教えを解しえない者が増えてきたからだ、と説明するとしたら、それこそ結論先行というほかないでしょう。 ここには、「私(著者)はブッダの教えが絶対的・普遍的に正しいと信じる」「ゆえにブッダの教えは正しい」という(著者にはあまりに自明であるゆえの?)隠れた飛躍があるように思えてなりません。ですが、こうした考えが正しいとはいえないこと、すなわち「である」ことと「信じる」ことが別の次元に属することは、著者自身が次のように指摘しています。 『「私が思う、ゆえに正しい」というやり方が人間の大きな間違いなのです(p.134)』 長くなってしまいましたが、質問です。この著者の考えを矛盾なく理解するための方針と私の誤解の在処について、何かアトバイスを頂けないでしょうか。 ※「仏教は絶対的で普遍的である」かどうかは、ここで問題にするつもりはありません。

有り難し有り難し 18
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迷っています

お坊さんの中には女性もおられますが、男性の方は女性だったらどう思うか教えてください。 乳がんの再建手術を強く希望しているのに、 タイミングや体調がうまく合わず約5年待ち続け、やっと来月やれるかと思ったら薬を変える話が出て、 その薬は始めたら再建手術は見送りになり、次はいつやれる体調になるかわからない。 もしかしたら一生あきらめないといけないかも。 勇気を出して医師に再建手術の強い希望を伝えると、再建を優先して薬を変えるのを後にしてもいいが治療が後手に回ることのリスクは自己責任だと言われた。 医師は完治しない乳がんを薬を変えてはなるべく再発転移までの時間をかせいでいくのが治療方針。 医師も家族も命のためなら再建は二の次だと思ってる。 私は生きる時間を長くしたいけど、最初の手術から再建ありきの話だったからやり残し感がずっとある。 切ってみて思ってたより病状が進行してたのは想定外だったけど。予定してた手術ができてない自分の体がいやだ。 こんな状態で考え込むと 心が暗く落ち込み無力感や不安感がおそってきて眠れなくなる。 命のため家族のためとは言え こんな精神状態で生きていくのがつらい。 迷っています。

有り難し有り難し 13
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〝感謝〟

「仏教的・釈尊の法として、〝感謝〟〝御恩〟の 概念 とは、どのようなものでしょうか?」 昨年は、大変、お世話になりました。 件の問題は、そのまま遺恨となったままですが、私自身は回復傾向にあり。 家族間 以外に関しては、至って順調… だと思います。 父母や家族に対しては、新しい境地です^^; 日々、試行錯誤のリハビリ中で、周囲の皆さんの 理解と協力 に、感謝しきりの毎日です。 先日、ふと、(宗教全般に関してではありますが、まずは仏教的に釈尊へ)疑問が浮かびました。 シッダルッダは、かつて、妻子を捨て国を捨てて、悟りへの修行の道を進んだと記憶しています。 息子や国の民は、その後を追い続け。 妻や女性たちは、追うことも許されなかった(ただ後を付いていったけれど受け入れてはもらえなかった)…? 宗教的には、神や仏へ対しての敬意や信仰については説かれていると思うのですが。 では、その他の存在への〝感謝〟〝御恩〟とは、どのように話されているのでしょうか? “生きる”ということは、決して 独り では行えないのだと思います。 だからこそ、他に 救い を求める。 生きとし生けるものすべて。 救い 救われ。 支えられ支えて。 そういうことについての、仏教の概念を。 そういえば、私は知りませんでした。 寺院や僧職でいえば、在家の方からの支えがあってこそ、成り立っている職だと思います。 宗教全般に限定したものでもありませんが… 個が尊重されるのは、大変に良いことだと思うのですが、個人主義に偏向し過ぎてしまっているように感じてしまう昨今。 仏教という立場では、どのように解釈されているのかが気になりました。 浅学を恥じるばかりです。

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好きな気持ちを持っていても良いのでしょうか?

究極な状況だからなのか、滞在残り期間が短いからなのか、今すごく気になる異性がいます。 相手は現地の方です…が、客と店員の関係、どうしてもたかが知れています。それなのに、気になるんです。 いつもそうなんですが、誰かを好きになると、うまくいかないんです。 でも、うまくいった試しがないのです。 気になる方は常連の方で、ここ最近特に優しい笑顔と言葉をかけてくれて…。勘違いしたくないのに、その方の笑顔にノックアウトされました。 毎日お店に同じ時間帯に来てくれるから、会うたびに「あぁ、やっぱり好きだなー」ってなるんです。 でも、これがどう変わるのか、いい方向にいくのかも分かりません…客と店員の関係なので…。 英語があまり正確でない私が、現地で恋愛できるのもたかが知れてますし…。 それでも。 好きになってしまったのはしょうがないと思ってる自分がいます。 仕事として関わらなければならない相手なのに、恋愛感情を持ってしまうのは、やはり許されないですよね…。諦められるのなら諦めたい、でもどうしても好きなんですよね…。 もしかしたら、彼の前では「好き」が思いっきり前面に出てるのかもしれません(^^;) 残り少ない滞在期間、良いことがあると良いなぁと思ってしまう自分がいます。贅沢に考えすぎでしょうか…。

有り難し有り難し 20
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光を見て目指す過程で肉体と精神が離れるような経験をしました

私は美しいものや色彩水の流れなどが好きなので、それを背景に写真を撮ったりその絵を描いたりしながら世界を旅することを目標としている者です。 その為には自分も作品内に写るので、整った顔にしたくて整形代を貯めてきました。 ただ自己肯定感を大きく人生を豊かにする為、ギリギリですがワーキングホリデーを体験するのも良いのではないかと迷っています。 死別してからのこの5年間、彼と共に養生しながら動ける時に色々なことにチャレンジしてきました。 ですが美貌をキャンバスに綺麗な景色とともに残す旅をするのもワーキングホリデーも期限までの時間が残り僅か。 更に整形したいと決めてから何年足踏みしているのだと我慢の限界を迎え、 今月頭から1ヶ月程無理をして風俗とメンズエステと援助○○を掛け持ち中です。 結果来月頑張れば再来月には整形でき、旅の準備は整います。 しかし昨日ついにまた彼が亡くなった時くらい精神的におかしくなりました。 精神と肉体が離れ自分の魂だけどこかに浮遊して意識もなくなる感覚に襲われました。 友達がくれたLINEの文章をも読解するのが困難な程知能が低下し、自分が存在している気もしなくて...。 例えるなら本当に空気のような何か別の浮遊している物体になっている感覚でした。 過呼吸になり目が虚ろで感情もなくなり文字も読めず、色々と理解ができませんでした。 その前後は動悸、過呼吸、脳や手足のしびれがありました。 私は一体どうなってしまったのでしょうか。 この状態になっても自分を押し殺し資金を貯めたいと思うのは、 彼が亡くなっても自分の力で自分のやりたいことをやり美貌を保ち欲と好奇心と自尊心を満たしながら余生を過ごしたいという欲を満たす為でしょうか。 自分でもわかりません。 自分は禅定ができていないから智慧にまで影響が出ているのかなと感じます。 なので一旦無になる必要があると感じます。 けれど旅とワーキングホリデー両方を叶えたいので時間がなく、今無になることを許せません。 本当は彼と愛を大切に支え合いながら陽だまりのような日々を過ごして死ぬのが理想ですが、 覚悟を決めて今の自分の位置を確認し効率を選んだ結果精神がおかしくなりました。 彼はいつも側にいる。わかっています。 けれどどうすれば私の人生を私が納得して心穏やかに切り開いていけるのでしょうか。

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これからの事で悩んでいます

10年勤めた会社で退職勧奨され4月に退職する事になりました。 原因は勿論自分にあり、己の至らなさや後悔で反省しきりです。 数年前勤め先で発達障害(ADHD)であることがわかり、今までの生きづらさや不器用さの原因がわかりほっとはしましたが、同時にできない悔しさや失敗ばかりしてきた後悔と過ぎてしまった取り戻せない年月を考えると悲しくて辛くて不安で一杯になってしまいます。 母ははっきりとは言いませんが戻ってきて欲しいみたいです。年齢も年齢なのでひとりでいるのはお互い心配ではありますが、私は最後のチャンスとして都会で障害者雇用も念頭に働いて頑張って生きていきたいと強く思っています。でももし母の身に何かあってかけつけられなかったらとか、また失敗したら、転職に失敗したらどうしようとか不安で迷ってしまっています。 しかし今までの自分が悔しくて、強くなりたい、都会(特に東京などは)障害者雇用も増えていると聞きますし、そこで自分に合う仕事をして楽しく生きていきたいと思う気持ちもあります。また、生まれ育った町は田舎で仕事も活気も少なく辛い思い出ばかりで正直帰りたくない気持ちもあります。でも母は心配で、でも帰りたくなくて、都会でチャレンジしたいけど年齢もこの自分の状態でも自信もなくて…とでもで迷い情けない限りです。今は知人に色々相談しながらあれこれと調べ回ったり、少しでもお金と経験をと有給中アルバイトしています。 決めるのは結局自分とわかってはいます、迷って悩んでウジウジしてしまって情けないです。 心を晴らすべく色々書籍を読んだり考え方を変えようと気持ちを切り替えたり努力はしているつもりですが、また落ち込んだり悲しくなってしまいます。 母のもとに帰らなかったら後悔しそうな自分もいるし、このまま実家に帰ったら年齢的にも最後のチャンスにチャレンジしなかったことを後悔しそうな自分もいます。すみませんがアドバイスなど頂けたらと思います

有り難し有り難し 22
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自分ばかり苦しんでいると感じます

 私の育った家には、金も教養もなく、愛もありませんでした。認知症を患った祖父母と、互いに軽蔑しあう両親と、私を時には過剰に可愛がり、時には理由もなく拒絶する姉がいるだけでした。  家の外の社会でも、多くの人たちが、あるときは面白半分に、あるときは明確な(そして理不尽な、と私自身は感じています)敵愾心をこめて、私に対して悪意をぶつけました。それらに対して、ささやかな反抗を試みたこともありますが、いつも叩き潰され、大勢の前ではずかしめられました。そのときに私の肩を持ってくれたり、慰めたりしてくれる者はなく、むしろ嘲りを受けました。  子供の頃から、なるべく人との衝突を避けるように、気持ちを傷つけないように、という思いで生きてきました。周囲からも概ねそのような人柄だとみなされていたと思います。それがかえって目をつけられたのかもしれません。ずっと加圧器の中にいるような人生だったと感じています。  いまの私の悩みは、自分が幸福になるイメージが描けないことです。大袈裟なようですが、私自身のなかに、ともすれば私の生まれる前から、なんらかの呪いや悪い因子のようなものがあって、それに私は一生絡めとられたまま抜け出せないのではないか、救われることはないのではないかという思いがあります。  周囲から愛され、環境に恵まれ、伸び伸びと知性や人格を育てた人を見ると、羨ましいという以上に、もう自分には決して追いつけないほど人生に差をつけられているのだ、と感じます。なにをしても虚しく、意味がないと思ってしまいます。  なにか人のためになることがしたいのですが、人を信じたり、愛情を向けたりすることが難しいと感じます。新しいコミュニティに入ることにも、いつも恐怖を覚えてしまい、なかなか踏み出すことができません。

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