結婚して一年と少し経ちました。この一年で夫の実家のお墓参りには年末、お盆、お彼岸など三回は行きました。義親も、私が夫側のお墓参りに行く事は当たり前のように考えているようです。 しかし私の実家のお墓参りには一度たりとも夫は来てくれません。お互いに行く事が当たり前だと思っていたのですが夫と義親はそうではありませんでした。 私はもう結婚して○○(夫姓)家の人間になったのだから来て当たり前。 △△(私の旧姓)家のお墓参りは△△家の行事なのだから○○が行くのはちょっと話が違うと思う。と言われました… 実母には、とてもそんなことは言えずに夫と2人でちゃんとお墓参りに行っているテイで私だけで行っています。 この事だけではありませんが不平等すぎませんか??夫側の考えはおかしいと思いませんか?嫁だから仕方ない、嫁だから。もう聞き飽きました…
初めまして。 三歳の一人息子を持つ母です。 親の都合で一人っ子にしてしまう事への意見を頂きたく相談します。 経済的理由、 私の未熟さからこれ以上の子供を育てる自信がない事、 息子が大事すぎて二人目を妊娠・出産する事になった時に息子に寂しい思いをさせるのが嫌な事、 前回の妊娠中に私の体調面で周りに迷惑をかけた事、 などから一人っ子にしようと思っています。 主人も特に二人目を望んではいません。 でも周りは違うんです。 「2人目はまだ?」と何度も言われ、「一人っ子は可哀想」攻撃。 息子を同時期に出産したママ友はみんな二人目を出産済み。 四人家族の楽しい話を聞くと、息子に兄弟を作ってあげられない事に 罪悪感も感じます。 本当は私自身が二人目の子供を欲しいのかもしれません。 でもこれからの生活費の不安や、やっとらくになってきた子育て、 また一から新生児のお世話をする精神的余裕がないんです。 もう出産しなくていいんだと思うと心が楽になったりもします。 周りは子供が2人・3人が当たり前の環境で一人っ子を育てていく アドバイスを頂けませんか。 こんな親の都合で兄弟が持てない息子は、やはり可哀想な子なのでしょうか。
私の家の宗派は浄土宗で、私はよく、祈る時や心が苦しい時等に念仏(南無阿弥陀仏)を唱えます。しかし、最近不安に思う事が有ります。 それは、念仏の唱え方と、阿弥陀様についてです。 私は、念仏を唱える際には、御仏を念じ、御仏の名を口にする事を心掛けています。ですが、それが本当に正しい唱え方(観想念仏、称名念仏)と言えるのか、御仏に失礼ではないか、と思ってしまうのです。 そしてもう一つ、阿弥陀様は、御釈迦様とは、どの様な関係が有るのでしょうか。私は、以前にネットに“阿弥陀様は御釈迦様の先生である”と書かれてあるのを見た事が有るのですが、果たしてそれが事実なのか、それを鵜呑みにするのを躊躇してしまいます。もしかしたら、私は阿弥陀様の事を勘違いしているのではないか。阿弥陀様の事も知らずに、御仏を信仰し、念仏を唱えてしまっているのではないかと思うと、不安で仕方無いので御座います。 これを御覧になって下さっているお坊様、正しい念仏の唱え方と、阿弥陀様の事について教えて下さい。どうか、宜しくお願い致します。
半年お付き合いした彼氏が自殺してしまいました。 別れ話をするたび、死ぬ死ぬと首吊りの写真を送ってきたりいつも 死ぬ気はないのに演技をしていました 最後に大喧嘩をしてまたいつもの首吊りの写真を送ってきましたが 本当に亡くなってしまいました 事故死で亡くなったのかヤケになって 亡くなったのか未だにわからず 毎日辛い日々を送っています お葬式にも行けず、近々四十九日が きます。 彼に手を合わせに行きたい気持ちがすごくあるのですが彼は 私を物凄く恨んで亡くなっていきました。 手を合わせに行くべきではないのでしょうか?
変な質問ですが(;゜O゜) お坊さんが『これは仏教的な歌だな』って曲を教えて頂け無いでしょうか? それを聞いてみたいと思ってます。 個人的は、THE ブルーハーツの 「情熱の薔薇」‥‥諸行無常的な 「リンダリンダ」‥‥衆生の命の尊さ ミスチルでは「HANABI」‥‥煩悩の執着心 です(笑)あくまでも個人的な解釈なんで‥‥ 仏教に仕える方々の音楽観を知る事が出来れば、ますます仏教が面白くなると思い質問させて頂いております<(_ _)>
調べたら餓鬼には36種類あって、なかには生まれたばかりの赤ちゃんを奪ったり仏教に帰依していない人の精気を吸う餓鬼がいるそうです。だから、餓鬼って人に悪さをすることもあるのかな?と思いました。 餓鬼って人に祟るんですか?
いいこと何もなし
祖父の葬儀の時に「死後の世界はこうなっています」と何層かになっている図の説明を受けました。 仏教に限らず死後の世界、天国地獄も含めて「あることは知っているでしょ」からはじまることが多く、「なんでだれも見たことないのにあるということになっているのか」が解りません。 さらに私の認識では例えば仏教はゴーダマシッタルーダが釈迦のペンネームで小説を書いてそれを各宗派の開祖が読んで読書感想文を広めた、というイメージなのです。そう考えないと宗派毎の教典の違いや祭事の違いなど差が出てくることが理解できません。 宗教が絶対のもので揺るぎがないものであれば解釈が変わったり宗派が分かれたりするものではない。会派が別れたり解釈が変わるのは不完全な創作物である証かと思います。広めるために土着信仰と結びつくなどその尤もたるところです。 かなり偏った意見になっているのですが「こういうことになっている」だけで「なぜそういうことになっているのか」「それが間違いない検証は取れているのか」を説明しているものがあれば教えていただきたいと思います。 化学実験でいえば「再現性」、こうすればこうなる、というものです。それがなければ「どうなるか解らないのに信仰するの?」となってしまいます。 また、どうしても論理的に根拠がしっかりしているものでないと認められない性格なのですが、「いやいや宗教というのはそういうものじゃないんだよ」というのがあれば教えていただけないでしょうか。