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hasunoha 問答検索結果 : 「生き物 」
検索結果: 1643件
2024/09/10

カルトと安全な宗教の違いとは?

 いつもお世話になっております。私が尊敬する科学の 先生に、「ヘルドクターくられ」先生とおっしゃる方が いらっしゃいます。  先生は、アンダーグラウンドの分野にもお詳しく、 「これこれこういうものは危ない。気をつけなさい」 と注意喚起をしてくださっています。  その項目に、「カルト教団」があります。先日私は、 先生の記事から気になって、カルト教団について調べ ました。  私の認識では、「カルト教団」と「安全な宗教(=純正宗教)」 の違いは、このようであると認識しています。 【カルト】 1.医学・科学を否定する  →通院している・通院を検討している病者や障害者を、   「医師は悪魔だ」「薬物中毒にされる」「分類屋の   言う事に耳を貸すな」などと言って、病院から   遠ざける 2.「死は救済」と説く   →信者を自殺させたり、殺人事件を起こしたりする 3.「金銭を寄進をしないことで、神仏から罰が下る」と   脅す 4.排他的・反社会的思想で、信者の怠惰と慢心と孤立を扇動する  →「私たちはこんなに簡単に世界の裏の真実にアクセスできて、    できない奴らと違い賢い!」と思い込ませて搾取 【純正宗教】 1.医学や科学も積極的に頼らせる  →つらい症状が出ている、精神的に不安定な信徒には、   「病院で診てもらいなさい」「病院へ行くことは恥ずかしく   ない」と励ましたり促したりする(確か、仏様の32の特徴   にも、「病人に薬や食事を与えて看病した結果得られた特徴」   というものがあった気が…) 2.「生きる」ためのアドバイスをする   →「死後の事は仏さまにお任せすればいい」「仏さま・ご先祖様     から頂いた命を粗末にしてはいけない」「生きる上で、     仏さまが残してくださった教えを読み解いてヒントに     にしよう」と促す 3.無理に寄進をさせない  →例えば「生前戒名を貰いたい」と言った信徒に、「戒名、   経済的に苦しければ無理につけなくてもお浄土行けますよ」   と説く。お布施も、「自分のために使いなさい」と返したり   する 4.様々な人や生き物、価値観との共存共栄を目指し、「努力」の  大切さを説く  以上の認識で問題ありませんか?自分や、最近仏事に 興味が出てきた友人がカルトに騙されないよう教えるためにも、 再確認したいのです。

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自分の過失で大切なペットを失ってしまった

わたしが学生の頃、ある朝、オカメインコのピーちゃんが口呼吸してる事に気がつきましたが、家族皆んなおおごとには思ってなくて、仕事に行ってしまいました。 当時のわたしはお金もなく、対人恐怖もあったのでペットを一人で病院に連れていくことができませんでした。 わたしは休みだったので様子を見て、家族が帰ってきたら病院に連れて行っていくという話になっていたのですが、ずっと側で見守って「大丈夫?」「がんばれ」と声をかけていたのですが徐々にピーちゃんの口呼吸は激しく苦しそうになっていき、家族に帰ってきてもらいたくて何度もメールをして様子を伝えていました。 家族から「水をたっぷり与えてあげると元気になるとネットに書いてある」と連絡をもらったのですが、時間が経つにつれて息が苦しくなっていくピーちゃんを目の前にしてパニックを起こしてしまい、生き返って欲しくて何度も必死に水をあげてしまっていました。 ピーちゃんが飲みやすいようにストローを加工したり小さなスプーンでソッと口元に水を与えていました。本当にパニックでした。 今思えば鳥は水をたくさん飲めず、苦しんでいるのに無理矢理水をあげる形になってしまい水のせいでピーちゃんは亡くなってしまいました。苦しかったはずです。本当に申し訳ないです。 もう何年も前の話ですが、その事を今もずっと考えていて、後悔しかないです。なんでパニックになってしまったのか。自分が許せないし生きているのが辛いです。ピーちゃんに会いたいです。 過去にも同じような質問をさせていただき、 「今に不安があるから過去の後悔を引っ張り出してくるのではないか」と回答をいただきました。 わたしが何に不安を抱いているのかを考えたのですが、生き物は亡くなってしまってからどうなるのか分からないし死後の世界があるのかもわからないのでピーちゃんが今も苦しんでいたらどうしようと、考えても答えが出ないことを考えています。  また、ピーちゃんが亡くなる寸前両手で掬い上げて泣きました。わたしは「ありがとう」と泣き叫んでいて、ピーちゃんはゆっくりと目を閉じていきました。 目を閉じて亡くなるのは最期、安心していたからと聞いた事があります。それは本当なのでしょうか。 ピーちゃんは天国に行けているのでしょうか。安らかに眠っているのでしょうか。わたしを見守ってくれているでしょうか。辛いです。

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2022/11/15

母親どころか人間失格の私

再び投稿となります。罰当たりな内容です、読むことで不快になられたらごめんなさい。 私は結婚後、すぐに子どもができ、無事出産しました。 しかし出産直後、漠然とした不安に飲み込まれ、「うつ」と診断されました。いわゆる産後うつだと思います。 そのときは本当にひどい状態で、夫の実家へ子どもを預かってもらいました。そして5ヶ月経った今も、同じ状況が続いています。 夫も義理のご両親もとても理解があり優しくしてくれ、子どもは日々すくすくと育っています。 私は実家にお世話になり、これもまた理解がある中で過ごさせてもらってます。  それなのに私の心だけが最低な状態なのです。 産まれる前は会えるのを楽しみにしていたはずなのに、今は養子に出すことを本気で考えてしまうくらい、子どもという存在が無理で、妊娠前の仕事・生活に戻りたい、母親という責任感に押しつぶされそう、という状態です。 朝起きて「ああ、私は〇〇のお母さんなんだな」と感じることで気分が沈み、ひどい時には死にたくなります。じゃあなんで産んだのかと言われそうですが、産む前は(不安は多くありましたが)大切に愛情を持って育てよう!と思っていました。 元々冷酷なタイプではありません、むしろ出産前は優しい、明るい、と言われる方が多く、妊娠中は、子どものことも、夫のことも、自分のことも大切にしようと思っていました。 でもそんな私はいなくなってしまった。産んだ子どもを育てたくないなんて、母親どころか人間、人間どころか生き物として失格ですよね。 もし可能であるならば、母親失格として自分を自分で死刑にしたくなります。 でもそれは何の解決にもならないと頭で分かっているので、日々何とか生きています。でも子どもの存在が、私にとっては苦痛なんです…。 こんな母親の元に産まれてきた子どもには申し訳無さすぎて、まっすぐ子どもに向き合うことが1番だと思うのですが、「産まなければ…」という黒い気持ちが出てきて、向き合えません。 このまま一生、「産まなければ…」と考えながら人生を送るのでしょうか。 そんなの子どもがかわいそうすぎます。 私自身も辛いです。 どうしたらいいでしょうか、もう何をしててもこの事が頭を巡り、起きているのが辛いレベルになってしまいました。 こんな最低な私にもお言葉がいただけるなら、大変ありがたいです。 どうぞよろしくお願いします。

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2023/03/16

当方障害者です。不完全な魂は不要ですか

障害者は産まれたときから 人生が制限される 障害者は何者にもなれない 障害者も頑張ればやれるは ただの綺麗事である 実際に頑張ってる障害者も 今頑張れてるだけで いつか戦争とかが起き 法律が変わったりしたら 真っ先に隔離されるし 真っ先に差別対象になる 障害者は産まれたときから 不幸が決まってる 障害者に生きる価値はないと誰かがいった 知的障害当事者の私もその通りだと思う。 不完全な魂は不要。 どう足掻いても人より劣る生き物 我々障害者が一斉に消えることで 世界は幸せになるのか 不完全な魂がいなくなれば 誰も不快にも不幸にはならない 障害に甘え迷惑をかける障害者 障害者は人の税金でしか生きていけない だからこそ人に嫌われてしまう そもそもこの地に 降り立ってはいけなかったのに どうして神は障害者を産むのだろうか "人より苦労した分報われる" そんなのは綺麗事の迷信でしかない。 質問。 なぜここまで障害者は産まれた瞬間から 不運で人から嫌われて 酷い目に合わなければならないんですか。 それでも、こんなに辛くても 自殺は宗教的に認められないんですか。 なんで何も成し遂げられやしない人間が なんで全員から嫌われるような人間が なんで家族からも愛されないような人間が こんな辛い思いしてまで生きなきゃならないんですか 疎外されて 冷たい目で見られて 精一杯努力しても結局障害者でしかなくて 普通に働けなくて 特技もなくて なんでこんな思いしてまで 生きなきゃならないんですか 普通のハードルが普通の人生が 私みたいに知的障害はじめ 障害を持つ人間には過酷すぎます。 下手したら私達は 人間ですら無いのかもしれません。 普通の人生が遅れません。 働けず引きこもるだけ。 もううんざりです 段々と危険思考になる自分が怖い いつか制御できなくなりそうです

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2023/07/17

幼少期の残虐性・加虐性

いつもhasunohaのお坊様方、皆様に助けられています。ありがとうございます。本日も過去の罪に関する思いを綴らせていただきます。 過去の自分の残虐性・加虐性が本当に恐ろしく、そしてそんな自分を心から後悔しています。 いくら未熟で幼かったとはいえ、私の犯した罪の数々は度を超えているように思います。平気で嘘をつき、悲しませ、多くの人を人を傷つけ、愛犬に酷い行いをした。「子供だった」「辛いことがあった」などの理由や背景があったとしても、決して許されてはいけない行為です。 人は皆罪を犯すと言われますが、私ほど残虐な罪を犯した人は本当に少数だと思います。また幼少期は善悪の区別がつかない、とも言われますが、そうであっても、当然のことながら人や生き物を傷つけず、思いやりの心を持っていた人々が多数でしょう。 では何故自分はそのような行為を行ってしまったのか?自分と他の人の違いは何なのか?(こんな私には本当に勿体なく感じていますが)周りの環境に恵まれ、優しい両親のもとに生まれることができているのに、何故こんなにも酷い行いができたのか? 生まれながらの残虐性・加虐性でしょうか。だとしたら、私は社会から淘汰されるべき人間のようにも思えます。それ程までに酷いことをしてきました。(特に、愛犬に対して行ったことは、ここに書くことすらもはばかられる、本当に酷いことを何度もしてしまいました。罪に気づき心から反省してからは1度も行っておりません。) 過去あれほど愚かで酷い人間だった自分というのが、今の自分と地続きであることが怖く、信じたくありません。とはいっても、全ての行為を行ったのは「過去の」自分ではなく、全て「産まれたときから今に続いている自分」であることも理解しています。今は奥底に眠っているのかもしれないこの残虐性・加虐性が今後目覚めるかもしれないという可能性がある、それだけで酷く恐ろしいです。今は傷つけたい気持ちになることはありませんが、過去実際に加虐性に任せて行動していた自分がいる。今の自分も信じられません。 「人の根本は結局変わらない」とよく言われます。私は変われないのでしょうか。今後、よく生きることができたとしてもそれは外面だけのハリボテで、内面は幼少期の自分(根本)から変われていないのでしょうか。 私はどうしていたら、罪を犯さずに生きることができていたのでしょうか。

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2022/12/06

ペットを死なせて燃やすゴミに出した

5年前くらいの話です。当時私はかなりストレスフルな職場で働いていて、加えて一人暮らしの寂しさに耐えきれず、寂しさを埋め、癒しを求めてペットショップでインコを1羽買ってきました。 しかし、事前に必要な予備知識など持たずに勢いで買ってしまい、寒さにものすごく弱いことを知らず、自分寒い部屋に置いておいてしまいました。 そして、鳥はずっと食べるということを知らず、あまりにもずっと餌を食べている様子に心配して餌を控えめにしてしまいました。 すると、飼って3日目くらいの夜、仕事から帰宅すると硬直して死んでいました。私はとてもショックで、まさかこんなにすぐ死ぬとは思っておらず、気が動転してあろうことかインコを燃えるゴミに出してしまいました。 というのも、夜でもうどこのペット霊園もやっておらず、田舎なので調べても鳥を供養してくれるところが見つからず、こんなこと誰にも相談できずに途方に暮れ、元々生き物が腐っていくさまにとてつもない恐怖を感じるので早く死体を処理したいという自己中心的な思いで燃えるゴミに出してしまったという次第です。 今考えると人間としてあるまじき、鬼畜生のような所業だと思います。自己中心的な想い出一つの命を殺し、挙句の果てにはゴミにだしてしまいました。 そして、この期に及んでこのことを誰かに許されたい、このような場所で許しを得たいなどと、これまた死んだ鳥のことよりも自分のことしか考えてないような考えに自己嫌悪を覚えます。 とても苦しいです。 こんな私は普通の人と同じような幸せ、誰かと関わって、家庭を持ってなどという幸せは永遠に得られないのかと思います。幸せになる資格なんてない。人間とも動物とももう正面切って向き合えない。誰かや何かを大事にすることなんて自分にはできないんだ…と思い、誰かと笑い合って関わるときにもふと思い出して辛くなります。 私はどのように生きていけばよいのでしょうか?世の中や、死んだ鳥や、人間、動物、ありとあらゆるもののためにできることはまだあるのでしょうか?私はまだ、友人や恋人や家族を作って良いのでしょうか? 長々と申し訳ありませんが、ご回答いただけますと大変助かります。よろしくお願い致します。

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野生動物の命について教えてください

仕事の帰り道で山あいから車のとおる所まで野生動物の赤ちゃんが2匹さまよっいて周りには母親もおらず車にひかれたりカラスがねらってはいけないと思わず心配になりとっさに車から降りて近づくと一匹は母親と思ったのかひざにのり、もう一匹は溝に落ちかけていました。放っておくことができずどうしてあげたらよいかわからなくて動物病院に電話するとつれてくるかは自身で判断して下さいと言われたので動物病院へ連れていきました。 この子たちはあらいぐまの赤ちゃんでした。せんせいは外来種で畑を荒らしまわる害獣だから保健所にいき殺処分されるといわれました。こんな小さな命で明日も生きられるのかわからないのにそんな言葉は受け入れられずそれなら元の場所に返してきますというとそれは出来ません、法律違反で罰金をとられるしそんな安い額じゃないですときつく言われました。すがる思いで助けを求めにいったのに私のせいでこの子たちの命を奪うことをして取り返しのつかないことをしてしまったらどうしよう、連れてきてしまった後悔と不安と恐怖におちいりました。それでも私はなにもしていないこの子たちの命は人間の手で奪われてしまう、そして一生その事を後悔しながら生きていくのは法律違反や罰金なんかよりも比べものにならないくらいにこの子達の命のほうが大事に思えました。この子達はなにも罪がないのだから連れてきた私を殺処分してほしいくらいです。動物病院のせんせいもどんな命にたいしても平等に助けてくれると思っていたのにきっと犬やら猫絶滅危惧種なら助けるのでしょう、どうして同じ生き物なのにみんなただ必死に生きているだけなのに人間は自分たちの危害をおよぼすからと殺す法律なんか人間のえごだと思います。私はせんせいのいうことなど受け入れられずそのまま無視して連れて帰りごめんねと泣く泣くもとの場所に返しました。食べるものがなくて明日は生きられなくてももしかしたらどこかで生き延びてくれているかもとそのほうが希望がもてそうです。私は賢くないので命の選別ができません。自然界ではこの世のものはすべて平等の命なのに人間界においてはそうではない確かに牛や豚や鳥の命をいただき生かされていると感謝はしてます。そういいながら、蚊や虫を殺す自分もいます。どうしてもこの不条理に悲しくたえられません。どうしたらわりきって生きていったらよいのでしょうか。

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自己肯定感が無いです

私は20代の専業主婦で、夫と子どもの4人暮らしです。 5年ほど前から、専業主婦になりました。 30年近く生きてきましたが、自分が生きていていいと思えません。 このサイトで同じような質問をされている方への回答を何件か読みましたが、どうも腑に落ちません。 他人には、生きているだけで、存在している事に意味がある、誰かにとって大切な存在なのだなと思えるのですが、自分自身に関してはそう思えません。 それがとてつもなく辛いです。 私の代わりはいくらでもいる、むしろ私がいない方が家族は幸せになれると思います。 この歳になってまで、生まれてこなければ良かったのにと心底思います。 家族に迷惑がかかり、心に傷を残してしまうと思うので、自殺するのは踏みとどまっています。それもまた辛いです。 なぜこんなにも生きていていいと思えないのでしょうか。 自分で考えうる原因は、幼少期に家族の愛情を感じられなかったからだと思います。 大人になって、小さい頃は親の言う事が絶対なので、それが当たり前だと思っていた事が、普通の家庭と全然違う事に衝撃を受けました。 家族の間の温かい記憶がありません。 母は私を持て余し、父は腫物に扱うように接していました。 だからと言って、いまさらどうこうなることでもないとわかっていますが、そんな育て方をするならば、産んで欲しくなかったなと言う気持ちに集約されてしまいます。 早く死にたいと思いながら毎日をやり過ごす生活が虚しいです。 生き物は生殖して子孫を残す事が存在価値なのだから、生きる意味なんてそもそもないのかもしれません。 私は生きていていいんだよ、とお母さんに言って欲しいのかもしれませんが、それはできません。 まとまりない文章で申し訳ありませんが、なにかアドバイスを頂けると嬉しいです。

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最近の悲しい事件に対してのモヤモヤ・・・

別の問答で、 「したいけどしないが大切な修行」というアドバイスを見ました。 なるほどなと思いました。 人間は、他の生き物より高度に自分で環境を調整する能力を身に付けてしまいました。それゆえ、環境に左右されず、いつでも欲望を発動することができるようになってしまいました。 高度な社会を秩序整然と維持していくには、社会への適応の仕方や欲望の押さえ方を学ぶ必要があると思います。 最近の5歳児に対する虐待死事件は、悲しい事件ですが、事件から学ばないと、同じような事件は繰り返されると思います。 母親がやったことは悪いこと。しかし、母親の立場になると、生育歴の中で歪んでしまったり、元のパートナーや現パートナーから家庭内暴力を受けていたりしたのではないかと思います。あくまで推測です。現パートナーに頼らなければ生きていけない母親の事情もあったのかもしれません。他の動物で行われている子殺しが行われていたのかもしれません。 父親の方にも原因があるはずです。 逮捕された両親には罪を償ってもらうのと同時に、しっかり治療(自己を真正面から見つめる)してほしいなと思います。周りも自立するための手立てを講じる必要があると思います。心理士の力が必要かもしれません。 物事の道理を理解すると、あらゆるハラスメントはなくなるのではないかと思います。 例えば、セクハラ。女性は、生理や妊娠、出産、閉経でホルモンバランスを大きく崩しやすいです。どれぐらい崩れるかというのは、個人や置かれた環境によって違うのだと思います。体の大きな変化は、気分や感情に大きく影響します。男性は、女性のそういう体の特徴をしっかり理解していないといけないと思います。女性の中でも、マタニティーハラスメントをする人がいますが、同性なのに何で想像力がないんだろうと思います。一方、男性は、絶えず種を作り続けています。それが貯まってくると、性欲を抑えられないのかもしれません。男女の体のことを理解していると、少しは自己コントロールできるのではないかと思います。 人間はどうしてもこれまでの経験から、人生のルールを無意識に決めてしまいます。これは、自分の勘でも何でもなくて、アメリカの精神医学界で考え出された認知行動療法で、患者側が自助努力で解決できるように書かれた本に書いてありました。文字にして唱えると、人生のルールは書き換えられると思います。

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地獄が怖くて今を生きられない

私は最近突然、死後について考えるようになりました。その時八大地獄について知ってとても怖いものだと知りました。私はご飯を食べるために生き物も頂いているし、虫も殺してしまっています。また、学生の頃にものを借りたまま返さず、そのかたとも連絡がとれず。もう1人借りていたかたのものは喧嘩して私が不登校になったときに売ってしまいました。連絡は取ろうと思えばその人とはとれるのですが今更とるべきか悩んでいます。また、音楽やアニメを勝手に無料で聞いてしまっていました。試食も多めにとりました。謝罪することもできず、私は地獄いき決定でしょうか。謝罪したくてもできないです。後悔ばかりです。今からでも極楽にいけますか。 最近は、何をするにしても地獄の怖い絵が頭に浮かびます。熱い鉄板の上に寝転ばされ長い時間ノコギリでさかれる黒縄地獄の絵が頭から離れません。家族に相談すると、そんなこと、嘘だよと言っていますが、私は昔の偉い人がかいたものなら本当にあるのではないかと思っています。不勉強なのですが八大地獄とはどなたが言い出したものなのでしょうか。八大地獄があるとすればもう、そこにいくことは避けられないのでしょうか。 もちろん、これからも努力すべきであると思い、よいことをしようと心がけています。しかし、例えば誰かとお話しようとすると、私が覚えていないだけでこのことはもしかしたら嘘になるのではと思い話せなくなります。また、ご飯を食べるときもこれは殺生になるのではと思い食べるのが怖いです。何をするにしても地獄が頭を過り、なんの行動をとるのも怖いです。今まではゲーム実況を見たりすることを楽しんだりしてました。でも、ゲーム実況も著作権違法のグレーゾーンかと思い、地獄に落ちるのではと楽しむことも怖くなりました。違法で地獄が怖いです。 八大地獄が本当に怖いです。 地獄にいきたくないです。 死ぬのが怖いです。 家族に相談して、私達もしたことあるよと慰めてもらっても皆が地獄にいったらどうしようと怖くなります。 今も悪いことをしている人も私の頑張りで家族も極楽にいけますか。皆地獄いきですか。 私は生きて楽しんでもいいですか。 どうしたらいいかわからないです。 誰か八大地獄について詳しく教えて下さい。仏様は怖い方なのですか。 知識不足ですみません。乱文ですみません。 本当に怖いです。眠るのも怖いです。極楽にいきたいです。

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経過観察?病院受診?除霊?

今年6歳になる娘がいます。 お絵かきが好きで明るくて元気、時にわがままで、3歳の弟とおもちゃやママの取り合いでケンカしますが、よくあることだと思います。 発達に障害など、ありません。 子供たちは妻の働く保育園に通い、妻と一緒に19時過ぎ頃帰宅します。 去年頃、娘はタヌキが主役のテレビアニメを見ながら寝てしまいました。夕飯の支度ができたので起こすと、まるで何かに憑かれたように(人でないかのように)暴れ出し、視点は合わず、表情もいつもと違い、異様でした。 まず、妻と私は寝ぼけているのだと冷静に努め、落ち着かせようと顔をおしぼりで拭いたり、抱きしめたり、周りを見渡して物や色を尋ねたり…その際、この人誰?と妻を差して尋ねると大好きな「ママ」ではなく「人」と答えました。 ゾッとしました。 夕飯を済ませた頃には普段の娘に戻り(?)将来の夢など楽しそうに話しながら一緒にお風呂に入りました。 ただ、その日がきっかけだと思うのですが、保育園から帰ってくる際、車中で寝てしまうことがあると(起きていると何事もなく夕飯まで遊びます)、帰宅後もなかなか起きず、夕飯まで寝かせて、ご飯だよと優しく起こしても、先述したように意味不明な言動を叫び、泣きじゃくったり、暴れ出すことがほぼほぼです。 機嫌が悪いのかな、寝ぼけているのかな、まだ幼いから仕方がないのかな、弟がいるから退行してるのかな…などと考えたくてもそれに当てはまらないのではないかと不安になるほどです。 プロフィールにも書きましたが、私は17歳の事故後、霊感なのか第六感なのか気のせいかは分かりませんが、生き物でない何かを感じるときが一時期強く、今でも稀にあります。病院務めも関係あるかもと勝手に考えてます。 入眠時の金縛りは時々ありますが、疲労によるものとそうじゃないときがあります。そうじゃない時はたいてい隣で寝ている娘の方に「それ」が向かって行き、私が護ろうと手を伸ばして娘に触れると金縛りは解けて悪寒は去ります。…ただの夢や気のせいですか? 私や妻は信心深くはありませんが、結婚と出産を機に、神仏への有り難みは感じ、できる範囲で行動もしているつもりです。 娘の現状は、成長過程なのか、精神的な疾患なのか、霊的なものなのか、ただの考え過ぎなのか分からなくなりました。ご助言下さい。 ただの考え過ぎであってほしいです。

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生きることが悲しいです。

こんにちは。 拙い文章になるかと思いますが、何卒よろしくお願い致します。 私は「近くにいる人ぐらいは人扱いをしよう」と決めて生きてきました。 例えば、 人の話をちゃんと聞く、意見が違えば否定せず丁寧に伝える。良いところを見るようにする。自分に非や歪んだエゴがあれば認め、治そうとするなどを努めてきました。 決めたのは生い立ちによるものです。 家族が機能不全だった為、外に人との温かい信頼関係を求めていました。 そんな人はこの世に稀であり普通の人は普通の情緒で生きて嫌、良しを自然と分けていくのも知っていました。 それが本当に悲しいから「私が続ければ、同じように考える人間がこの世にいる確率がある」という信仰を己だけでしている状態でした。 でも近寄ってきたのは重度の自己中心的、情緒不安定で依存的、病的に気分屋、自覚があっても改められない自分を諦めきってる人等でした。 寄ってきた理由は、 デコとボコみたいに与えたい人間と欲しがってる人間が噛み合うからだと思いました。 求められたものを与えれば、時には返ってくる事だってあると思い込んでいましたが、欲しがり返したり、あまりに詰め寄られた距離から離れようとすると騒ぎ立てる人ばかりでした。 いい友人にも出会えていると思っていましたがある日、貴方に見定められてるかと思うと怖いと聞かされました。 ありたい自分でありたいと思っていましたが、虚しくなりました。 こんな事なら自分勝手でいればよかったと反面教師の親、友人、会社、自分、過去全てに対して怒り切って、今はすごく悲しいです。 恋愛も下手で異性も、かといって同性も好きではありません。 柔らかく人を好きになりたかったし、好きになって貰いたかったです。 色々な事に気づくのが遅すぎました。 自分を含めた無駄な生き物に時間を費やした事を後悔し、だからこそ今を大事にしたいと思いながら無駄さに悲しくなってふと死にたくなります。 人はいつか死ぬから、なるだけ楽しく生きればいいとわかってるのにできない。 生まれの運のなさのせいにしないで取り組んできたのに結局は歪んでいて人との違いも顕著で、治らない。 悲しみや己自身を受け入れて一緒に生きることしか残されていないなら早く死にたい。 このような気持ちに押されてしまうとき、どう前を向けばいいのか。 ご意見をお聞かせ頂けましたら大変な幸いです。

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助けてください

昔から気付いてはいたのですが、人間とは本質的に他人に対して無関心な生き物だ、と特に最近思います。 SNS等のサイトを利用する人々を見ても、至極当然のことですが、誰もが自分のことを大切にしています。 たとえば誰かがTwitterで「頭が痛い」と呟いたとして、それを心配する人は幾人か現れますが、その気遣いの言葉は果たして本心でしょうか。どこか他人事のように感じているように思えてなりません。いえ、実際そうだと思います。だってその痛みというのは、体験した本人にしかわかり得ません。 震災で初めて地元の人々が協力し合うのも、同じ痛みを共有し得る唯一の機会であったからだと思います。 そんな一大事にでしか発揮されない自分事が切ない。 皆例外なく自分のことが一番大切です。 それを悪いこととは思いませんが、そんな自分1位の世の中であるが故に、些細な他人から向けられる怒りでさえも形容し難いのですが、辛く感じます。 「今、この人は冷静な分析もないまま自己中心的な怒りを他人である私にぶつけている」、「今、理不尽に怒る相手を腹立たしく思わない私は、〝この相手に怒ることで私の労力を使うのはもったいない〟という利己的な意見で物事を収めようとしている」 そんな相手や自己への嫌悪でいつもいっぱいです。 誰しも長所はあるのに、人が他人の悪口を自分勝手に言うのも理解できません。 それを繰り返してゆくと、何もかもが無意味に思えます。 時々、町を歩く人は感情というプログラムが施された無機質なマネキンのように、家はドールハウスのように、車はミニカーのように見えます。 他人に怒りを覚えることも、他人を気使うことも、他人に相談することも、色んなことが無意味に思えます。最終的に〝他人事〟だから。 今現在相談をしようとしている私でさえ、よく分からないと自分自身で思います。 きっと一般的に見れば幸せな私は、この状況から脱したいという贅沢を主張したいのだと思います。ここで自分事を願いたいだけなのだと思います。 こんな私はどうやって人生と私自身に価値を見出すべきでしょうか。 思春期だからだねーwだとか、根拠の無いアドバイスはもう沢山なのです。

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2025/09/07

信頼していた上司に裏切られた気分です

勤務医です。前の職場は院長のパワハラがあまりに酷い所で、逃げるように移籍した今の職場は院長もスタッフも優しく、働きやすいので本当に良い所に就職できたと毎日喜んで出勤していました。特に院長とは昼休みにバカ話で盛り上がったり、休日にも日帰り旅行に連れて行ってもらったりと良好な関係を築けていると思っていました。 以前に勤務態度が悪い勤務医がいたとのことで、試用期間は長めに9ヶ月とさせてもらっていると最初に言われており、その9ヶ月目がこの9月なのですが、タイミング悪く女性患者から「なんとなくあの先生は感じが悪い」というクレームが入ったとの理由で、なんと試用期間を1年延ばされました。 はっきり言って、女性はPMSとか生理的に無理とかのこちらには非のない理由でも感情的なことをいう生き物なので、女性からのクレームは話半分に聞くぐらいで良いと僕は思っています(これは女性差別的かもしれませんが長い婚活経験から真理だと確信してます。幼馴染とあっさり結婚できた院長には理解できないのかもしれませんが)。 合計1年9ヶ月の試用期間というのも労基法の観点からも法外な長さです。 長い婚活が実って僕には結婚寸前の交際相手がいることも院長は知っていますが、そんなタイミングで身分が不安定になれば破断になるかもとは考えてくれなかったのか…等、理由にも処置にも納得がいきません。 何事もなかったように院長は昼休みには楽しそうに話しかけてくれるのですが、こちらが「そっすか」「そっすね」だけで冷たくあしらっていたらやはり察したのかほとんど仕事に関係ない雑談はなくなりました。 今、出勤に喜びを感じられないし、働くモチベーションも落ちてるし、昼休みの無言も居心地の悪いものです。 僕はどんな心持ちでいたらいいでしょうか。

有り難し有り難し 0
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義実家、実家共に疎遠

義実家、実家共に合わなくて疎遠です。 義両親、義弟夫婦、両親、弟妹から嫌われていて私も嫌いで、疎遠にしています。 家族と呼べるのは夫と犬、そして今お腹に授かっている子供です。 ここまで「実家」と名の付く人たちと合わないと、自分に原因があると思うのですが、どうしても相手方の言動、考え方に我慢できません。 「実家」以外の親戚とはとても仲良くかわいがってもらっています。 多くの友人にも恵まれ、親戚は妊娠を喜んでくれており、実家ストレスを感じない今の環境をとても幸せだと感じています。 しかし、このままでよいのか?と不安もあります。子が生まれてからも疎遠にしていてよいのだろうかと考えてしまいます。 実家では昔からケンカが絶えず、疎遠になったり、大人になってからは少しは歩み寄ったりと接してきました。 たいていは、両親いずれかから暴言を吐かれ、それに拒否反応を示してしまいます。今回の妊娠のことも母から暴言メールが届き一週間寝込みました。おめでとうなどの言葉はありませんでした。嘘つき、お前の秘密は全て知っている、などと書かれていました。 実家と関わるとストレスで蕁麻疹が出てしまい、体調もすぐれなかったことから、今は思い切って着信拒否、疎遠にしています。 先日、育ての親で私の味方でいてくれた祖母が他界し、今後、実家と関わる気力がいっそうなくなりました。 義実家とは考え方が合わず、うまく言えないのですが不信感が拭えません。 例えば義父がよそ様の車にぶつけたが謝らない、義母がその被害者側を悪し様に言う、義弟夫婦が生き物を大切にしないなどです。 もしかしたらあちらはなんとも思っていないかもしれませんが、両家にとっておなかの子は初孫で、祖父母にとてもかわいがってもらった私としては、義両親、実両親から孫を遠ざけてしまうこと、子から祖父母を取り上げてしまうことに漠然と罪悪感があるのです。 楽しみにしてくれている他の親戚との関係もあるため、生まれたら生まれましたと報告だけはしようと考えています。 義両親には悪く言われたくないので病院に来て子を抱っこしてもらおうと思っています。 実両親は…現段階では産後会いたくありません。自分を守れる自信がないからです。 どうして私は「実家」と仲良くといかずとも適度な距離感で付き合いできないのでしょう。 このまま疎遠でいることはやはり子によくありませんか?

有り難し有り難し 16
回答数回答 1
2025/06/05

絶望的な未来への覚悟を決めましょう

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6541159 https://news.yahoo.co.jp/pickup/6541204 https://news.yahoo.co.jp/pickup/6541192 https://news.yahoo.co.jp/pickup/6541178 世界はどんどん破滅に向かって進んでいくだけです。こんな世界に希望や将来の前提を持つこと自体が間違いなのです。こんな世界の何に感謝しろと。しかも死んでもまたこんな世界に生まれてしまうのです。極楽浄土なんて科学的に実証されていないということは、結局はこの世界で死んで生きて死ぬしかないのです。 人間がこの世界をもう改善できないことは上記のニュースだけで十分すぎるほどに証明できます。だから日本人も危機感を持たなければならない。とりあえずここではレスポンスが得られる、確実に読まれているのでまずはここから始めています。後々になって「安楽に滅びる道を本気で追求すべきだった」という私の主張が正しかったことが発覚しても後の祭りですからね。いずれ日本も戦争に巻き込まれてしまうのだと予言しておきます。人間の行き着く先がこれしかないので。私が絶望しているのは、その日が私が思ったよりもずっと早く訪れそうなところです。 もう私達は安穏と生活することはできません。絶望的な未来しか残されていないと覚悟すべきです。 いじめが常態化し、教師と生徒が互いに見下し合う環境で育ってきました。委員会や部活などの組織は悉く崩壊し、強くて利己的な人間だけが幸福になる世界でした。冷戦終了やキューバ危機回避を知らないので、人間という生き物は組織になると碌なことにならない、衝突を回避することはできないという認識が強いです。そして国際社会はいま、未曾有の危機に直面しています。人間は今の危機を回避する方法を得ることはできません。残されているのは破滅のみです。だからまともに生きるなんて馬鹿らしい。道徳はすでに踏み躙られています。こんな世界の何を信じているのですか?どうしてこんな世界に仏教を信じられているのですか?私達に未来がある根拠なんてどこにもない。破滅の根拠だけが積み上がる。この人生はもう終わりだし、次の生命はどうしたって非人道的世界です。こんな中で存在規模の被害者意識を持つなという方が不可能。

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加害妄想、過ち…

こんにちは… 僕は過去に人を傷付けてきた、そして人から傷つけられてきた。その記憶は保育園児の頃から中学生までのものです。 今になってその過ちに気付いたわけじゃないです。当時は先生に怒られ、人の泣き顔を見て「その場で反省し」謝れたことがほとんどでした。 最近では過ちを犯した自分自信を責め続けて、「きっと他に嫌がらせ、嫌味を言ってきたに違いない」「やった方がすぐ忘れるし、それを楽しい思い出と捉えるから自分もきっと忘れてるんだ」「そこに陰湿な自分がいた」となる…これが妄想なのか事実なのかも分からない 今までの学生活で、自分は部外者として見てきた同級生の悪事などを遠くもしくは近くで見てきたこともあるので、実は自分も同じことをしてきて人を傷付けたことを忘れてるだけではないのかという所に行き着きました。 このことを第三者に相談した時ある人は「みんな通る道だよ」「そんなこと考える人に限って何もしてないよ、そもそもそんな奴じゃなかったよ?」「思春期だからね」「子供は残酷」「そんなこと忘れてるよ、気にするな」「今が暇だからそんなこと考えるんだよ」と僕のことを責めずに、アドバイスをいただきました。 昔から心配性、神経質な性格でしたが、僕は罪深い生き物、不器用で後になって何もかも気付く、謝れたとしても意味あったのかなという考えで捻くれ者です。 今になって気付いたことじゃない、人を傷付けた痛みの方が大きいのは理解したはず、でもホントはできてないんじゃないの?日々感情の浮き沈みがすごくどうすればいいのか正直分かりません… ニュースで見る、犯罪、不倫、いじめ、自殺の記事またはそれらに向けられるコメント全て自分に言われてるようです。。。 ごめんなさい。 長々とすみませんでした。 ですが、この機会にまたお話しを聞いていただきたいと思いさせていただきました。

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2025/05/14

今の平和は嘘。だから何もかも虚しい

例え何かを為そうとしても、何か努力をしようとしても、自分の人生を生きようとしても、いずれ戦争ですべて奪われます。だから、何を感じるのも苦しい。ずっと泣きながら生きています。 そして、死んでもまたこの世界に生まれてしまいます。自我とは物質的肉体に付随するものでしかありませんし、極楽浄土なんてフィクションの産物にしかすぎません。確かなものは死と絶望と残酷な営みだけです。もしも極楽浄土が本当に存在するならば、この世界中で起こっているありとあらゆる残酷な環境の中に生み出される命に説明がつきません。どうして、戦地や過酷な独裁国家の中に、まだ人は生まれ続けるのでしょう。いつかの自分がファーストペンギンとしてシャチに食い殺される可能性は、この世界が終わるまで永遠に付きまとい続けます。 だから、この人生も、今の平和も、「人類」という営みも、何もかも束の間の嘘でしかありません。この世界の本質は、破壊と暴力と残酷な営みだけです。私達は死んだ後、更に過酷な環境の中に産み落とされる覚悟をしなければなりません。そして、強制的にもたらされる死はもう目前にまで迫っています。 存在しているのが辛い。物質的存在から逃れられない自我が辛い。脳科学的に言えば極楽浄土なんて信じるのも難しい。なぜなら、超常的上位存在なんて本当は居ないからです。あるのは残酷な物質的営みだけ。 ・物質的世界や自我や人類の営みなどといったものは、全てが偶然の産物でしかない ・必然性や何かの意図が介入していないということは、どこまでも無秩序で残酷になるということ ・それでいながら、結局は物質世界から逃れることなどできない。死んでもまた他の生き物の感覚器官が「自分」になるだけ だから、ありとあらゆる平和や慈悲やぬくもりが嘘のように感じられ、「どうしてこんな世界じゃないんだ」と苦しくなります。愚かにも、嘘っぱちな温かいものを望み、「これらが尊ばれる世界であるべき」などと思ってしまいます。その度に、残酷な真実との落差に苦しくなります。何を為すのも、希望を持つのも苦しい。死ぬことで物質的世界から「本当に」解放されるなら、安心して生きられるのに。 どうして極楽浄土を信じられるのですか。こんな残酷な世界で。私は悪くない。世界が悪い。だってこの世界は本当に残酷だから。慈悲や幸福よりも破壊や暴力や不幸の方がずっと大きくて強い世界。

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この世の不公平と生き辛さを乗り越える方法

幼少の頃よりずっと生き辛さを抱え、人生半ばを過ぎて、もう生きること自体に疲れてしまいました。人と会話ができません。病院や会話教室に行ったりと様々な努力はしてきました。五体満足に生まれたことは本当に感謝すべきですが、人と関われない悩みは酷く辛く、何をしても常に付いて回るものです。 職場では、仕事もできず雑談にも参加できずで数ヵ月で居心地が悪くなり、ストレスから体調を崩し転職を繰り返しています。 会話が続かないため一人の人と長く過ごすのが苦痛で、相手も私に気疲れして体調を崩すことがあるようです。その度に自己嫌悪に陥り、自分は百害あって一利なしの人間のように感じてしまい、深い付き合いの知り合いはおりません。 人生の選択肢として結婚か仕事がありますが、私にはどちらも難しく、この生き辛さが続くと思うともう何もかもが面倒です。人生は修行だとしても、あまりに長く感じます。 多くの人は多少の悩みはありつつも、日々割と楽しく生きているように見えます。 以前は、他人と比較せず、過去の自分より進歩すればそれで良いと思っていました。それが、ちょっとしたきっかけから自分の未熟さが気になりだし、努力しても何一つ他人と同様に出来ない自分への苛立ち、不出来な人間に対する世間の無慈悲さが目につくようになり、世の中全体を敵視する感覚が身についてしまいました。 無差別殺人など不可解な事件が増えていますが、犯罪者が追い詰められてそこに至った経緯を想像すると、気持ちが分かるようで虚しい気分になります。 小さい頃から一つ疑問があります。仮に人間と一緒に楽しく暮らしたいと望むゴキブリがいたとします。始めから人間に嫌な概念を与えるものとして創造された生き物であるなら、その望みは役割と合致しておらず、きっと辛い思いをするでしょう。この場合、どう生きるのが賢明でしょうか。人間を好きであればあるほど、望みを捨て自ら姿をくらますのが正解でしょうか。人間とゴキブリは違いますが定期的にこの疑問が浮かんでくるのです。 生まれつきの生き辛さは前世の行いの報いだと想像すると、今世で魂を磨くことが大切であり、また人生が公平でないことも理解できます。ただ、どうしても感情で割り切ることができず、生きるための道標が見つかりません。 私の考え方の修正等、生きるコツ(理由)をアドバイス頂けますでしょうか。よろしくお願いいたします。

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2024/07/03

2025年7月5日4時18分

荒唐無稽であることが望ましい話です。 標題の日時で検査すると、様々なところから滅びの予言がされていることがわかります。東日本大震災の三倍の規模の津波だとか核ミサイルだとかフィリピン沖だとか隕石だとか。事実無根と軽く扱うには根拠が重なりすぎていてどうしても軽視できません。そして私は「問題が起こる=解決できずに全てが崩落する」と強く感じているので、きっともう一年近くの命なのだなと感じています。 私はただ、痛みや苦しみから逃れられない物質世界で生きていたくないだけなのです。死ぬことよりも、死んだ向こう側で過酷な世界に生まれるのが恐ろしくて恐ろしくて仕方ありません。屠殺される家畜。逃げきれなければ捕食される草食動物。餌に釣られて毒殺される害虫。ああいやだ恐ろしいと思うのはいけないことですか? 生きることは恐ろしい。どう生きても自分より遥かに大きなものによって弄ばれて終わるこの矮小な身体が恐ろしい。脳味噌の誤作動と物質世界に永遠に閉じ込められているのが恐ろしい。そんなことを感じてはいけないのですか?苦しみを受け入れられるようにならなければいけないのですか?安心して生きてはいけないのですか?ガンジス川の濁流に飛び込んで疫病を得なければ救われないのですか?生き物の本来の姿とはどんなものなのですか? この時代のこの場所に生まれただけでものすごく幸運だというのに、その中でさえ上手く生きられなくて苦しんでいる私が、災害や大破局に直面した際に恨みを抱かず運命を粛々と受け入れられる気がしません。「だから生きるのは嫌だったんだ!だからこの世界は嫌なんだ!」と恨み憎しみの塊になったまま死んでしまいそうで、すなわち苦しい来世が確定しています。「今、ここ」に集中しようとしても、破滅のカウントダウンを感じるとそれどころではなくなってしまいます。未来が誰にも見えないのが恐ろしいと傲慢な感情を抱いてしまいます。 私が救いを信じられないのは、今までの人生において大いなるものの救いを感じられなかったからです。破滅の信憑性ばかりが高く、破局、混乱、絶望の未来しか待っていないと漠然と感じています。これらを否定したり適切な距離をとったりするには、あまりにもこの世界の矛盾や欠陥が多すぎます。「今ここ」に生きるよりも、「どうしたら苦しまずに死ねるか」でいっぱいです。 安心して生きることは傲慢ですか?

有り難し有り難し 16
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