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hasunoha 問答検索結果 : 「 宗教 」
検索結果: 2701件

頭と心がバラバラで辛いです私はどうしたら良いのか?

新興宗教を勉強させていただいてます。入信30年ですが約ここ10年前から少しずつ参加し始めました。 1年前から知り合った40代後半女性にお祈りをさせて頂いたところ「kindちゃんみたいなお祈りを私もしたい」っと言われ支部にお連れしました。 その彼女は前世が妖精で母親のお腹にいた時の胎児の記憶があり他人のオーラも見え、いろいろ見えないものが見えて今まで辛い思いをされてきたそうです。 初めて会った時から感じてましたが、知的障害などがあることも話してくれました。 入信にいくらかかるのか?その費用は分割払いに出来ないか?等など彼女は前向きでした。 助教師さんは「お救いを強く求めておられるので是非ともこのお道に入られたらいいですね」っと。 次の約束は未定なものの次に話を聞いたら入信になる感じでした。 1年前に会ってから初対面の時以降二人で会った時のランチ代など私が支払ってました、私と会いたいっと言ってくれてランチの約束をしお店の前に行くと「お金ないからkindちゃん一人で食べてきて私は外で待ってるから」私は「私がご馳走するから一緒に行こう」当然そうなります。 2度同じ事がありましたが、でも私と会うのを楽しみにしてくれて、新興宗教からも未信者さんのお祈りの数の報告して下さい。などもあり、私と会いお祈りすることで彼女が幸せになるなら……っと。 支部にお連れした当日も彼女のスイカに私がチャージし、お玉串の話も前以て「これだけは自分で納めた方がいいから」っと伝えていましたがお包みする時になったら「お金ない」っと私が立て替えました。 助教師さんのお話の後にランチをしたのもお支払しました。 入信するとお守の様なものや聖教書など大事なものを手にします、お守は命の次か命より大事だとの教えで、お取り扱いに厳しい決まりがあります。 私はとても心配で帰り道に【お守のお取り扱いや毎月何度かご参拝に来なくてはいけない】などお話しました。 彼女はそれ以降、私に連絡はなく助教師さんに連絡をして「とても困惑しているkindちゃんに入信したらダメだと言われた」っと言ったそうです。 助教師さんに言われました。入信前にいろいろ説明する必要はないお救いを求めてるのだから先ずはお守を頂けるようするだけでいいっと。 良いことばかりではなくその後のことを伝えずにお勧めは私には出来ないです。私自身がこのお道に不安です。

有り難し有り難し 23
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〝感謝〟

「仏教的・釈尊の法として、〝感謝〟〝御恩〟の 概念 とは、どのようなものでしょうか?」 昨年は、大変、お世話になりました。 件の問題は、そのまま遺恨となったままですが、私自身は回復傾向にあり。 家族間 以外に関しては、至って順調… だと思います。 父母や家族に対しては、新しい境地です^^; 日々、試行錯誤のリハビリ中で、周囲の皆さんの 理解と協力 に、感謝しきりの毎日です。 先日、ふと、(宗教全般に関してではありますが、まずは仏教的に釈尊へ)疑問が浮かびました。 シッダルッダは、かつて、妻子を捨て国を捨てて、悟りへの修行の道を進んだと記憶しています。 息子や国の民は、その後を追い続け。 妻や女性たちは、追うことも許されなかった(ただ後を付いていったけれど受け入れてはもらえなかった)…? 宗教的には、神や仏へ対しての敬意や信仰については説かれていると思うのですが。 では、その他の存在への〝感謝〟〝御恩〟とは、どのように話されているのでしょうか? “生きる”ということは、決して 独り では行えないのだと思います。 だからこそ、他に 救い を求める。 生きとし生けるものすべて。 救い 救われ。 支えられ支えて。 そういうことについての、仏教の概念を。 そういえば、私は知りませんでした。 寺院や僧職でいえば、在家の方からの支えがあってこそ、成り立っている職だと思います。 宗教全般に限定したものでもありませんが… 個が尊重されるのは、大変に良いことだと思うのですが、個人主義に偏向し過ぎてしまっているように感じてしまう昨今。 仏教という立場では、どのように解釈されているのかが気になりました。 浅学を恥じるばかりです。

有り難し有り難し 7
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2023/01/02

自分が偽善者のような気がします

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。  私は以前(主に参加していたのは約30年前)あるカルト宗教に参加していたのですが、お金が続かなくて遠ざかっていました。私は、あるときある事件の影響で、そのカルト宗教に戻ろうとしましたが、色々な偶然が重なり、そのお金のかかるカルト宗教をやらなくて済みました。  うまく説明できませんが、そのカルト宗教をやらなくて済んだ偶然の出来事に、故ダイアナ妃も絡んでいました。  ダイアナ妃のおかげということで、私は赤十字や難民支援団体に少額寄付をしています。カルト宗教にかかったお金より遥かに少ないですが。  こうした善行をしているのですが、私の心のなかでは、過去に職場とかで、私に辛い思いをさせた人に対して憎しみがなかなか消えません。だいぶ少なくなって来ましたが、怒りを感じることがいまだにあります。  何か、善悪混合しているので、私は偽善者になったような気がします。  私は、今は会社を辞めて、精神科デイケアに参加しております。そこでも、苦手な人がいて、ちょっと気を使ってしまいます。  こんな私に、もし良きアドバイスがあれば、ご教示お願いします。

有り難し有り難し 8
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孤独

アラフォー独身男です 幼少期より障害のある弟と比較され、事あるごとに母から劣等感を植え付けられました。 父は子供に関心は無く、母と祖父母の間に挟まれ、その八つ当たりに私に殺す勢いで暴力を振るって来ました。 同居していた時はその異常さに気付きもしなかったのが、大人になるにつれて色々と気付き、家族との関わりが面倒臭くなりました。 しかしながら、今は母親の仕送りで生活しているニートです。 仕事が長続きせず、それが原因なのと、障害がある弟の事で結婚を考えていた彼女にも振られてしまいました 今は精神科に通いながら介護施設でバイトをしていますが、長続きせず、転々とする毎日です 彼女は居ますが、彼女も不幸な生い立ちでかなり優しいのですが、たまに見せるバカにする態度に苛立ち、なかなか信用出来ずにいます この歳で独身、フリーターの自分は社会から孤立しているようで、たまに自殺願望に駆られます。 こんな自分は生きていて意味があるのか凄く悩みます。 人からの恩も仇で返す形が多く、そのくせ、いつも人からの愛情に飢えています。 周りの人を不幸にしているのではと、いつも気になります 何かアドバイスをいただけたら幸いです

有り難し有り難し 45
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ヌミノース体験について

私は、今スペインの大学院で、宗教学について学んでおります。 お恥ずかしい事に、日本に住んでいるときはあまり仏教について考えた事がなかったのですが、今自分が海外にいる事で、改めて日本が仏教国であり、数々の素晴らしい文化、そしてそれにともなう言語・思想等を生み出してきたという事に気付きました。 そこで、今仏教について、スペインで本格的に研究しているのですが、どうしてもスペインにある仏教に関する本ではわからない事がございまして、ぜひお坊さんたちに答えて頂きたい質問がございます。 ドイツの宗教学者であるルドルフ・オットーが、「ヌミノース」という言葉で表している、言葉では言い表す事のできない他者では経験不可能な不思議体験・神秘体験(?)が一体どのようなものであるのかを、教えて頂きたいのです。 恐らく日本語で表すと、『見性体験』というものだと思います。ルドルフ・オットーも「聖なるもの」という著書の中で、この経験の内容に関しては体験者の唇は固く閉ざされると言っておりますが、仏教を研究している以上、私はどうしてもこの体験がどのような物なのかが知りたいのです。 もし言葉で深く説明できないのであれば、本当にキーワードだけでも良いので、どのようなものなのかを教えて頂きたいです。 難しい質問かもしれませんが、どうぞ宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 56
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日本の未来に希望が持てません

日本の将来に希望が持てず、危機感を感じます。自分ではどうにもならないネガティブな感情を抱くと、3月に病気になった腹部の調子が悪くなります。 折り合いのつけ方だと思いますが、仕事の現場に復職すると、いろいろな家庭の状況が見えるので、この状態でやっていけるのかと感じます。 私自身の30年ぐらいの経験、親から聞いた先祖(親も含む)の話、親世代の親族間の人間関係、この一年で読んだ本の内容から、社会現象について予想がある程度できるようになってきました。今、ニュースでいろいろな事件が報道されますが、加害者の家庭環境をだいたい予想でき、後で続報で当たっていることが多いのです。直感とかではなく、根拠はあります。 「自分の病気を根本的に治したい」、「仕事で必要なことを本質から理解したい」とやったことが、逆に自分を苦しめることになっています。 おおまかに捉えたままの方が良かったのかと、たまに思うことがありました。しかし、今日、夕飯を食べているときに、「どんなに努力して解決したとしても、また新たな苦しみが現れる。何とかしたいと思わないことが、苦しみから逃れることだ。」と、思い浮かびました。しかし、それは、努力を放棄することではないかとも思います。 今生きている人とその子孫が幸せに、その土地で幸せに過ごしていける智恵が宗教にはあったのだと思います。欧米はキリスト教ですし、中東はイスラム教、アジアは仏教、日本は仏教と神道というように、それぞれの土地の自然環境に合った智恵があるのだと思います。 そう思うのには、三つあります。一つ目は、高校までの地理の知識。二つ目は、大学の教養科目の宗教学で履修したイスラム教の知識。三つ目は、この一年で勉強した仏教と神道の知識。 今の社会現象は、現代日本人が宗教の本質を理解せず、道徳性が崩壊したことに原因があると思います。 お正月は神道に、結婚式はキリスト教に、お葬式は仏教にというように、生きるための智恵を真面目に学ぶ機会が極端に減っていると思います。道徳教育や生活指導は、本来、家庭教育の領域だと思いますが、もう機能していないところが多いように感じます。 私の世代が子供の時から、家庭教育は学校が担うようになっていたと思います。しかし、学校もその余裕がなく、20年、30年経ったのではないかと思います。 もはや、どうにもならない状況になっていると思います。

有り難し有り難し 49
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何故母に期待してしまうのか

私には私が13の時に統合失調症になった兄弟がいます。 当時父は単身赴任、母はかねてから通っていた宗教団体に兄弟の相談をしました。その宗教では家族全員が宗教を信じれば病気は治ると言われたため、信じていない私は何度か責められました。 約5年経ち宗教団体が内部割れをし、母も団体から離れて病院に通わせるのが一番だと気がつきました。 その後は病人の兄弟をかわいそうに思うのか、暴力に怯えているのか、ことあるごとに私を下げて統合失調症の兄弟を持ち上げたり、兄弟の肩ばかりもちます。 父でさえ「媚びている」ようだと言っていたので、不平等な態度なのは間違いないはずです。 私は統合失調症特有の理不尽な行動や、母の不公平な態度を含めて、兄弟のことは嫌いで恨んでさえいます。 私は母が母自身のことにしか興味がない人間だと知っているつもりです。 それでも尚、母に対して病気ということは関係なく自分の2人の子供を平等にみてほしい、双方の主張を平等に聞いて今は恨んでいる兄弟仲を取り持ってほしい、兄弟ばかりでなく自分のことも褒めてほしい、認めてほしいといった期待をしてしまいます。 そして期待した結果を得ようとしていつもとても子供じみた行動(母に対して兄弟のことを強く批判するようなことを言う)をとってしまいます。 その度に母は逆上し、私を非難するのですが、私はますます兄弟を恨むと共に私はいらない子だと感じ、何故か自己嫌悪に陥ってしまいます。 母にばかり期待しても仕方ないのに何故期待するのをやめられないのか? 子供じみた自分の気持ちや行動、このくだらない関係を正すにはどうすればいいのか教えてください。

有り難し有り難し 10
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母との縁を切る事は親不孝者でしょうか

母について相談させて下さい。 (長文失礼します) 長年、母からの連絡は『元気?』の後に『お金の要求』もしくは『宗教の勧誘』しかありません。 他に話すことない?お金と宗教の話しか会話をしてもらえなくて悲しい。と伝えても。『ありません。』の一言です。 そもそも、母からしたら子供は自分の承認欲求を満たす為の道具でしかないのかもしれません。 父から愛されたくて子供を産み 愛されなくて、次こそはと4人産みました それでも充分に愛されず家計は火の車 そんな時に宗教に入りました その後、自分を可哀想だと心配し構ってくれるからと宗教にどんどんハマっていき、家族を疎かにするようになりました そこから父の怒りがDVとなり、そんな父から逃げるため離婚しました 離婚理由がDVだった為と、母が子供を全員引き取ってくれましたが 本当の理由は、女手一つで子供を4人も育てて偉いねと周りから言ってもらう為だから、子供が可愛いなんて一切思ってないと後々本人から言われました でも、女手一つで育ててくれた事にはとても感謝しています アルバイトが出来るようになれば、働いて家にお金を入れましたし 自立をし、いつか家庭を持ったとしても、産まれてから自立するまでにかかった養育費+謝礼金を母に渡すため働き続けなければならない事も理解しています 最近は、『愛があってもお金がなくては意味がない』『お金がなくても愛があればやっていけるなんて、お金持ちの綺麗事です』といきなり連絡をしてきては見ず知らずの人との結婚を無理やり成立させようとしてきます もちろん、その人と結婚をすれば、私のお給料が全て自分に入ると計算しているからです 娘の気持ちなんて一切無視です 子供の頃から、子供は親を満たす為の道具だと思っていた為、褒められる事も愛される事も知らずに育ちました それが 普通 ではない事を知りショックを受けたのは大人になってからです 私は母の為にこの身を売ってまで生き続けなければならないのでしょうか? 母親からの連絡が来る度に嫌悪感が増していき、吐いてしまいます 家庭に理想というものがない為、結婚も望みません かといって、母と同じお墓に入るのは嫌なので戸籍から外してもらおうかとも考えています これは、親不孝者 になってしまうのでしょうか? 縁を切る事は御先祖様にも失礼な事でしょうか? 教えて頂きたくおもいます。

有り難し有り難し 9
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婚約破棄になってしまった彼と復縁したい

3ヶ月ほど前に婚約破棄になってしまった彼と復縁をしたいのですが、ご相談にのっていただけると幸いです。 彼と、彼一家が、宗教に入っており、私は無宗教です。 付き合っている時に、彼は、私に宗教の強要はしないと言っていました。 しかし、婚約し、入籍の日が近づくにつれて、彼と、彼の両親が私に宗教を強要するようになりました。 私は強要をされた事にショックを受けたので、彼に「入信をしないと結婚出来ないなら、最初から同じ宗教の人と付き合えば良かったじゃん!」と、ひどい事を言ってしまい、彼から婚約破棄をされてしまいました。 とても悲しくて、彼と復縁をしたいと思い、傷つけてしまった事を謝り、入信をする事を伝えましたが、もう戻れないと言われてしまいました。 私は彼の宗教の排他的な所が受け入れられず入信する気にはなれなかったのですが、婚約破棄になってしまったので、彼と一緒にいるためには入信しか無いのだと思い、彼に入信をすると伝えました。ですが、きっと彼は、私が心から信じて入信をすると言っている訳ではないので、断ったのだと思います。 もう、彼とやり直す方法はないのでしょうか? 私が入信の事にこだわり過ぎてしまっていて、思いやりの部分が、かけてしまっているのでしょうか? 入信の話が出るまでは、本当に仲良しで順調に交際していたので、いきなりの事で、気持ちの整理が着かずに困っています。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1
2022/12/21

父を殺してしまったかもしれません(再)

先日も「父を殺したかもしれない」と相談をさせていただいたのですが、それについて再度思うことがあり、また質問させていただきます。 なのでこの質問の一つ前の質問を見てからお答えいただけると幸いです。 さて、私が父を押し倒した際、心の中で「頭を打って死んでしまってもいいや」「むしろ死んでしまえ」と考えていたとしたら、それこそ殺人を私は犯してしまったのではないでしょうか? ただ心の中でそう考える前に「頭を打ったら死んでしまう。危ない」と考え、押し倒すのを止めるはずであり、実際に押し倒してしまったということは、単純に腹が立って押し倒してしまっただけで、それによって「父が死ぬ」とは考えていなかったとも考えました。 しかし今度は「危ない」と考えた上で、その後に「父が頭を打って死んでもいいか」「死んでしまえ」と考えたのではないかとも考えてしまいました。 私はこれといった宗教に入っているわけではないのですが、「悪いことをしたら地獄に落ちる」と考えることが多く、キリスト教やイスラム教、仏教などでの地獄を想像して、自分が父を殺した人殺しとしてその地獄に行くのではないかと毎日不安に怯えています。 ならばどこかの宗教に入ればいいとも考えたのですが、一つの宗教に入ってそれが間違いで、別の宗教が正しかった場合、やはり自分は地獄に落ちるのだと思い一つの宗教を選べません。 私は強迫性障害という障害を患っており、人に対して過剰に加害妄想をすることがあります。 今回のこともわたしの妄想なのでしょうか? また宗教はどのように選べばいいのでしょうか?仏教とキリスト教を同時に信じるようなこともしていいのでしょうか?

有り難し有り難し 23
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