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hasunoha 問答検索結果 : 「私 死後 」
検索結果: 1253件

法名の頂き方について

法名のいただき方について教えてください。 死んでからだと自分の法名を知る事ができないし、また法名を知っておきたいという理由もあり、生きているうちに法名を頂ければと思っています。 祖父母が亡くなった時は菩提寺経由で法名を頂きましたが、浄土真宗本願寺派(我が家がお世話になっている宗派です)のホームページには帰敬式を受式する事によって法名を頂けるとありました。 信徒ではありますが、まだ本山に行った事がないので、近い将来、帰敬式受式及び、参拝に行きたいと思っています。 この場合、法名は直接本山から頂く事になると思うのですが、いつもお世話になっている菩提寺に「法名を頂きに行ってきます」「法名が欲しい」といった事前相談はしなくてもいいのでしょうか? 法名を内願する場合は菩提寺からの申請とありますが、特に希望しない場合は、相談する必要はないのでしょうか? あと、あるサイトに「自分の名前を一文字入れておかないと、死後、法名を見ただけでは誰なのか分からないので、内願はしておいた方が良いかもしれないです」とありましたが、やはりそうなのでしょうか? 私は今のところ独り身なので、合同墓地を希望しています。 家の墓はありますが、将来的に兄家族が入ると思うので、私は入れないと思いますし、仮に入れたとしても入る気はありません。 なので、法名で「この人誰?」といった事にはならないと思っています。 法名について深く考えた事がなく、無知で恥ずかしい限りですが、ご教示いただけますと幸いです。 どうぞよろしくお願いします。

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阿弥陀如来様は実在しないのですか?

私は阿弥陀如来様が大好きです。 毎日救っていただくことへの感謝として念仏を唱えています。ハスノハでもたくさんの問答を見るのが楽しみです。 ところが、先日、ハスノハで真宗のお坊様が「極楽浄土があると信じていない」人への解答で、「阿弥陀如来様や浄土というのは働きのことで、実際亡くなった人が浄土という場所で生まれ変わるということではないのだろう。だから浄土とはこの世での働きのことで、死後の世界としてあるわけではないと思う」「仏様というおとぎ話を使って今生での安寧を得るのだ。だから阿弥陀如来様が実在するか否かはどうでもよい」「自分も科学的に極楽浄土の世界は懐疑的」 という旨のことを仰っているのを拝見しました。一人ではなく何人かのお坊様がそういったことを仰っているのを見ました。 誤解していただきたくないのですが私はハスノハのお坊様方のことを尊敬しております。ですが少なからずショックでした。私は今生で死んだら、阿弥陀さまに迎えに来ていただいて極楽浄土に生まれ、そこで仏となる修行をできることを嬉しく思っていたからです。 また、何があっても阿弥陀如来さまがいつも一緒にいてくださることが喜びであり、心の支えです。 法話を聞いたりしていると、「阿弥陀如来様という素晴らしい仏様がいらっしゃる(=阿弥陀如来は実在する)」「死んだら極楽浄土にいき仏になる(=極楽浄土は実在する)」とお経も親鸞様もハッキリ仰っているように思います。 阿弥陀如来様や極楽浄土の存在を確信するのが、浄土真宗ではないのですか? 私が、元はキリスト教を学んでいたこともあって、阿弥陀如来様や極楽浄土への解釈が違うのではないかと不安です。 (極楽浄土と天国は、極楽浄土は阿弥陀如来様の国(他の仏様もそれぞれ浄土をもっていらっしゃる)。という違いだと理解しています) 私はこれからも阿弥陀様といつも一緒だと思っていても良いですか?

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孤独死を迎えるにあたって

お世話になっております。 以前、「自業自得の孤独を乗り切る方法」という内容でご相談した者です。 あれから丸一年、就業先を自分なりに探してみましたがやはり現実は厳しく、現在も無職かつ貯蓄も底を尽きそうな日々を過ごしております。 本日お伺いしたいのは 「孤独死」が確定した中で「今生での生活」を営む事すら金銭的に厳しくなる中どうしたら、せめて心穏やかに旅立てるのか、です。 行政、各所支援団体含め当たった上でも 「生(活)」する為の資金は得られず、かと言って自死する勇気もなく、だらだらと毎日息をする日々。待っているのは老いと病→いつかどこかで物理的に腐敗し、発見されて、最上の弔いがあった所で無縁仏です。 死ぬ瞬間はいつ、どこで来るかわかりませんし、死後の世界も未知の中、 【質問】 ・どう思って生きれば、死の瞬間を穏やかに迎えられるのか(物理的苦痛少なくの意味) ・今生で「ただ息をして今日を生きる(現実的にそうするしかない状況)」に意味はあるのか、あるならば何が出来るのか ・死に方により、死後の世界?は変わるのか ※各宗派により見解異なるかと思いますが、少しでも苦痛少なく、今生を終えられたら、と思います。

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2023/03/11

夫の家族と一緒の墓に入りたくありません

こんばんは。よろしくお願いします。 私は夫の家族が大嫌いです。付き合っていた頃からひどいことを言われ、それでも夫は別だと思って結婚に至りました。 結婚してから、私なりに関係性を良好に保とうと努力してきました。その甲斐あって結婚してから少しずつ関係性は良くなっていきました。 しかし先日、新年の挨拶を兼ねて会いたいと言われ、(コロナ禍でご家族や親戚とはリモートでしか面識がありませんでした)県を跨ぐ移動でしたが、行く機会がありました。 初めてお会いするし、いろいろな話ができるだろうと思ったのですが、終始家族だけの内輪ネタ、義兄夫婦の子供にべったりで誰も私に話しかけてくれる人は1人もいませんでした。やっと話しかけてくれたと思ったおじさんも聞いて欲しくないデリケートな話題を振ってきて誰もフォローすることなくゲラゲラみんなで笑っていました。 ましてや親戚や家族からは嫌味の数々。私のせいで旦那が変わったなどと、私にとってはトラウマになるくらいの最悪の一日になりました。 そこで受けた仕打ちが忘れられず、今でも思い出すと泣けてくるし、怒りが湧いてきます。 一番腹立つのは横にいて何にも言わない助けてくれなかった夫です。正直離婚もちらつきましたが、夫は本当に極度の人見知り+自分の母親の機嫌を損ねさせたらとんでもないことになるという恐怖もあり、何もできなかったのでしょうが、そこはやはり守って欲しかったし、どうしても気持ちを切り替えることができず帰ってきてから悶々としています。 結婚式の時も参加してくれる予定だったのに突然参加をやめる、もしこのまま結婚式をやるなら縁を切るなどと突拍子もないことを言われて台無しにされても目を瞑ってきたのにもう我慢の限界に感じました。 私はもう向こうの家族と関わらないし、たとえ誰かが亡くなっても葬儀に出席する気もありません。 前置きが長くなってしまったのですが、今一番気がかりなのは死んだ後に夫の家族と同じ墓に入りたくない、自分たちの墓を建てるにもお金がまたかかる。そうなる前に離婚して苗字を変える?でもいつ死ぬなんてわからないし、夫のことは嫌いにはなれないし。 仏教の世界では、死んだら嫁いだ先の人たちとやはり一緒になるんでしょうか? もしそうなら解決策はありますか?

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自分の行く場所

「地獄の裁き」の「地獄」とは、仏教の考え方における最下層の世界のことで、罪を犯した者が死後に生まれ変わる場所です。人間は死ぬと、この世とあの世を 分ける三途の川を渡り、そこで閻魔と呼ばれる大王の裁きを受けます。裁きによる罪の重さによって、落とされる地獄が決定します。地獄には罪の重さに応じて 段階があります。 地獄の思想は、浄土思想や平安時代の末法思想の広まりとともに人々に定着し、民間信仰となりました。お経の功徳によって地獄に落ちることを防げることから、当時の人々は熱心にお経をとなえるなどの信仰活動を行っていました。 こちらの文章はとあるサイトの一文をコピーさせていただいてます。 https://biz.trans-suite.jp/20492  ←こちらのサイト様です と書かれていますが、人間が死んだら行くべき所は、もうすでに固定されているという事でいいんでしょうか? 天国地獄どちらかに行くというものは、そもそもなかったんでしょうか。 不安です。 というか、どれだけいいことをしても無意味ってことですかね。 人に優しくしたり、色々あると思いますが・・。 自分の行くべき場所はもう決まってる訳ですから・・・ 生きてるのもしんどくなりますね。

有り難し有り難し 24
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