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検索結果: 427件

死に対して敏感に反応してしまう

ここ一月、死に対して敏感に反応してしまうのが悩みです。 半年ほど前に心身のバランスを崩して退職しました。その後いろいろあって進学することになり、試験にも合格しました。 ただ大急ぎで詰め込みすぎたせいか、「あ、この勉強しんどい。これで身を立てていく自信がなくなった」と思うようになり、ボーッとする時間が増えました。 その際、本を読む時間が増えたのですが、その際死について寿命について書かれている文章を読むことが増えたせいなのか、自分の死に対して恐怖を感じてしまったり両親や家族がいつか死ぬと思うと無性にかなしくなったり、有名人の方が亡くなると「ああ、どんな人でもやっぱり死んでしまうんだなぁ」と虚しくなってしまったりすることが増えました。 今まで不幸ではありませんでしたが(学生の頃は当時の家庭環境を憎んだり、いじめにもあったりしていてツラい思いをしたこともありましたが)、幸福でもなかった人生だったので、幸福を掴みたいと努力してきたのですが、「どうせ死ぬ。自分の意識がなくなれば終わり」と思ってしまうと、もうしんどい思いをしてまで努力する必要はないんじゃないかなぁと考えてしまったりします。 こんな状態を見かねた友人が遊びに誘ってくれたりもしたんですが、全然楽しくなくてその友人には申し訳ないことをしたなぁと思ってしまったり、自分でも死に対して考えないようにしてはいるんですが、どうしても考えてしまって食欲が落ちたり胸が痛かったりしてコントロールできずに悩んでいます。 死を受け入れればいい話かもしれませんが、どうしても「死=自意識の消滅」と思ってしまうと受け入れられません。 毎日あの世はあるのかないのか、幽霊はいるのかいないのか、そんなことを考えて一日が過ぎていってしまい、どうせ死ぬのにもったいないなぁ、でも外に出て働いていたときのようなツラい目にもあいたくないから動きたくないなぁと思ってしまいグルグルグルしています。 一体どうしたらこの気持ちに決着をつけられるのか、よろしければご回答お願い致します。

有り難し有り難し 15
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孤独死しかない

もう年齢的に結婚は無理だと思うし貯金が全くなくて借金だけあります。若い頃、好きになった男性が無職で私が働いていたのでカードローンなどして破産まではいかなかったのですが裁判所で返済の手続きをしたので現在でもローンを組んだりが出来ず必要な物は現金でしか買えません!その時の男性は別の女性と結婚して幸せに暮らして居ます。自分の責任と分かっていても悔しくて憎いです。私には借金があるだけで子供も居ないし借金が返し終わる頃には幸せなんて遠くて1人です。おしまいです。生命保険には入ってるので何とか借金は返せて火葬代だけはあると思います。私の生まれた意味なんてないです。世間では必ず生きてる意味があるとか言いますが辛い事だらけ人の幸せとか嬉しい事を聞いても素直に喜んであげれません。私って最低ですね!仕事は看護師をしていますが、こんな私に看護される患者さんは不幸です。でも、この仕事しか私には出来ないし今の給料だから返済も出来ています、だから仕事も辞めれない。急に自分が病気になったりしたらなど考えると不安で辛いです。両親は年金生活なので負担をかけたり迷惑だけはかけれないです。その為に貯金と思うのですが現状無理です。毎日、不安だらけで心が辛いです。どうしたら少しは軽くなりますか?

有り難し有り難し 41
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2023/03/28

『死』はなぜ否定されるのでしょうか?

なぜ『生きたい』などポジティブな事は肯定され、『死にたい』というネガティブな事は否定されるのでしょうか。 死ぬことは逃げですか、生きる義務なんてありますか。 もう何年も前からずっと死にたい思いがあります。年々増すばかりです。いつ死ぬのか、どんな風に死ぬのかしか考えられません。 朝昼夜に関わらずずっとあります。誰といようが頭から離れることはありません。 毎日自分を見失います。親も友達も私自身を見てくれない。理想の『私』以外は要らないんです。 勇気を出して泣きながら本音を話しても、何も変わらなかった。私の本音と涙はあの人らから見たらただの軽いものだった。 闘病により亡くなった方は頑張ったと肯定されます。生きる事全てが苦痛で仕方なくて自殺したのだとしたら逃げだと言われます。相談するべきだと。 どちらも苦しんでいるのになぜこんなにも違うのですか。 今の私は誰も自分自身も信じられない。本音を話そうにも言葉はでません。家族も友人もあらゆる事全てが私を追い詰めるんです。生きているのが怖いです。全てが私を苦しめる要因になるんです。死にたいです。なんで死んではいけないんですか。 否定されて生きてきました。 何をするにも否定されました。 死んだら悲しむ人がいるとかそんなの求めてません。それだって私の気持ちを否定する言葉にしか聞こえない。 したい事を見つける?もっと前向きな事を考える?信用できる人を見つける? それすらできないんです。この文章を書くのでさえ体力が必要なんです。 ずっと前から感動とか良い方に感情が動き難くなりました。マイナスな事ばかり考えています。人に気を使って神経すり減らす毎日。 こんな私に生きている価値なんてない。 だから死にたい。 なのにそれはダメな事と言われる。 死ぬことを肯定してくれないのはなぜですか。 あらゆる事からのストレスで苦しんで体調も崩して、死にたい思いしかないのに、無理して生きていなくちゃいけないんですか。 治る見込みのない病気やがんになってしまった方には、安楽死や尊厳死があります。 選ぶ権利がある。 自分を殺す事に関しては同じだし、私だってコレが治る見込みはない。自分勝手だから、迷惑だからダメなんですか。 うまく文章がまとめられくて長くなってしまった上に読みにくくて申し訳ないですが、答えていただきたいです。

有り難し有り難し 63
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不安(妹の死)

今年の2月に21歳の妹(みゆき)を事故で亡くしました。 私の5歳になる娘もとても悲しみました。 ある日、娘がおばあちゃんに「またみゆきちゃんを産めばいんだよ」と言いました。 子供って可愛いこと言うなと思っていました。 するとある日、私に「ママはもう赤ちゃん産まないの?」と聞いてきたので「もう1人ほしいね」と言ったら「そうだよね。私が死んだら悲しいからもう1人ほしいよね」みたいなことを言ったんです。 私はビックリと言うかショックで言葉が出ませんでした。 母は昔から「子供は3人くらいいる。2人だと1人死んだら1人だけになるけんな」と言っていたんです。 私は(変わったこと思う人だな。子供が死ぬなんてないよ)と思っていました。 でも、妹が死んで私1人になってしまいました。 母は「やっぱりもう1人産んどけば良かった。子供は何人いてもいい」と言っていました。 私は(妹を産みたい。子供は2人と思っていたけど3人ほしい)と思いました。 そんなことを考えている時に娘に「私が死んだら...」と言われてショックでした。 (もしかして予知!?母さんが娘の前で子供は3人いるとかの話したことないし、私も3人ほしいなんて話したことないのに、なんで私が死んだら...なんて言うのか!なんでそう思ったのか...)ととてもとても不安になりました。 娘は妹に似てるところが多々あるので、すごく怖くなりました。 妹に死なれたショックははかり知れません。 こんな状態の時に娘に「私が死んだら...」と言われてほんとにショックでした。 予知だったらと悪いことばかり考えてしまいます。 このモヤモヤをどうしたらいいのかわからなく、ここに書かせていただきました。

有り難し有り難し 16
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兄の自死と供養

初めて利用させて頂きます。 同じ境遇の方々への返信を読みながら涙が溢れました。  兄の死から5年、恐らく今日あたりが命日です。 子供達が寝静まり今夜は涙が止まらず、ここへ辿り着きました。  突然の自死、真坂の出来事でした。10代から運命の歯車が狂い悩み続けた36年間だったと理解しています。家族も苦しみ悩み悲しみました。何故こんなにも兄だけが不幸なのか、最後は自死を選ばなければならなかったのか。5年経ってもまだ現実ではないように感じてしまいます。 私よりも現実を受け入れられない母は人が変わった様で、父方の親族へはまだ話しもできていません。 また、遺骨はそのまま家にあり供養もできていません。 父が戒名と兄の友達がお経をあげてくれたりはしましたが、時間が止まった様な状況なのです。 このままでは報われないと思い、色々と調べていますが金銭面での余裕があまりなく悩んでいます。  どう考えてあげれば兄の為になり、どうしてあげる事が兄や家族の為に一番いいのか教えてください。  また、私はこの事で旦那からは酷い言葉を言われ不信感が募り色々あり離婚しました。 人の死に方が人にはいえない様な死に方でも、故人を馬鹿にする様な人が夫である事に吐き気がしました。今でも怒りの様な感情と私の子供達へは死に方を伝えられていないので後ろめたさを感じてしまいます。 どこにも、誰にも言えない心の内が爆破しているようです(涙

有り難し有り難し 36
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立て続けに起きてしまった死

 2020年の1月4日(土)に最愛の父が亡くなりました。死因は肺癌の治療での免疫力低下に伴う細菌性肺炎でした。何ヶ月も前から癌の治療はしていて、体調も良い日が続いて一時は退院したのですが、年末前に急に肺炎を起こし、そこからはひたすら悪化の道を辿り、当日は看護師の方も予想できないくらい急に亡くなってしまいました。そのため家族は誰一人として付き添ってあげられませんでした。父は12月28(土)に還暦を迎えたばかりで、そこから丁度一週間後の出来事でした。  そして、丁度今から1時間半ほど前に愛犬が亡くなりました。父の死から1週間が経った1月11日(土)に急に呼吸が苦しそな姿を見せ始め、様子を見て悪化するようだったら病院に連れて行こうと思っていたところ、今日の深夜になって急変してしまい、先ほどそのまま息を引き取りました。愛犬も1月5日に10歳を迎えたばかりでした。  父も愛犬も節目の年齢を迎えてから10日もしないうちに亡くなってしまい、さらにその期間がほぼ1週間ということ。愛犬は腰が悪くて寝たきり生活ではあったものの、1月10日(金)まではいつも通り元気に吠えて食事も排便もしていたのに、丁度父の死から1週間が経った日に体調不良になったこと。この立て続けに起きた不幸はただの偶然なのでしょうか?強い疑いがあるわけではないのですが、あまりにもタイミングが悪すぎたので、もやっとした思いがあります。  そして、先ほど愛犬が亡くなった際に母が「あの段ボールの服捨てなきゃ。あれが届いてから2人も亡くなった。」と言っていたことも引っかかりました。この「段ボールの服」とは、5~6年ほど前に亡くなった父の叔母の旦那さんの所有物であった未使用の洋服のことで、父が年末前の肺炎で2度目の入院をした後すぐの時に叔母から「誰も使わないし捨てるのも勿体無いので是非使ってください」と父宛に送られてきたものです。母はこの「(血の繋がっていない)故人の私物」が不幸の元になっているというのですが、そういうことは起こり得るんでしょうか?    また、元旦に私が父の代わりに仏壇や仏様の掃除をしたのですが、その過程で何か罰当たりなことをして、それが原因になってしまったということはあるでしょうか? 長くなってしまってすみません。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 38
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ある僧侶の死

前回の質問時に生じた質問です。 もう何年前のことだか正確に覚えていませんが・・・ある日のこと、前途ある若き僧侶が殺害されました。夜間、路上で危険行為をしていた青少年らを注意したところ、逆上した彼らに暴行され、その末に息を引き取ったそうです。 当時、この報道を偶然テレビで観ていた私はとてもショックを受けました。僧侶という特殊な立場の人が犠牲になったことや、私個人のそれまでの想いや経験とも重なったのでしょう。暫く、忘れられませんでした。けれども、年を経るごとに少しずつ忘れ、思い出すこともなくなりました。しかし、数年前にお坊さんが書いたあるエッセイを読んだ時、一気に思い出したのです。 そこには偶然にも、あの事件のことが書かれていました。もちろん、実名などの記載はありませんでしたが、私はフラッシュバックのように、当時、テレビに映し出されていた事件現場を思い出しました。どこにでもありそうな人気もまばらな夜間の風景、暗い夜道と街頭、街頭に照らされた白いガードレール、記事を読む女性アナウンサーの声。 筆者と被害者の男性は、修行道場で先輩・後輩の関係で、男性は修行を終えて実家のお寺に帰った後に急死。彼の父親であり、師匠でもある住職は、葬儀の挨拶の中で、こう述べたそうです。 「それでも、許さないといけないのでしょうかね・・・」 仏教の教えでも、何であっても、人は皆平等で、言動には大なり小なり理由があります。加害者となった青少年らにも、殺意があったかどうかはともかく、腹立ち紛れに暴力をふるった原因や理由がそれぞれあるでしょう。しかし、だからと言って許せるかどうかは、また別の話。けれど、許すか諦めるかしなければ、生きている限り、苦しみ続けなければならない。また、こういったことが二度と起こらないように、暴力事件の被害者の方々が活動しておられますが、その活動は別として、果たして、彼らに救いはあったのでしょうか。 「許す」って何なんでしょう。諦めたら救われるのか・・・ただ、どうしようもない「ままならぬのが人の世だ」と分かっただけではないのか・・・「救い」って一体、何なのでしょうか。

有り難し有り難し 69
回答数回答 4
2023/03/25

実際に死とどう向き合っていますか?

以前より、死の恐怖について相談をさせていただいており、大変お世話になっております。 たくさんの方から頂いたご回答はどれも暖かく、そして勉強になっております。ありがとうございます。 問答の中で、自分の弱い点や、認知や考え方の歪みがわかり、この方法で恐怖を緩和していこうという方向性は見えつつあるのですが、恐怖緩和に対するどの方法を行うにしろ、習得や納得(体でわかるまでやる、なども含め)には多くの時間を要します。死は人生の命題ですので、一年やそこらで恐怖が激減し、納得することはできないと考えます。 私は方向性としては、禅などの「体で納得」を目指したいと考えていますが、これこそ一朝一夕で身につくものではないですし、仕事等による時間の制約もあり、納得に至るには長年の修行が必要だと感じています。 そんな風に時間をかけてゆっくりと学びを深めてはおりますが、もちろんその間にも死への強い恐怖感は消えません。特に、楽しいことがあった日の帰り道や夜には、必ず「この思い出も自分の存在もいつか消える」という思いで気が狂いそうになり、パニック症状が出ます。 それを、娯楽へ走ったり、禅と宗派は異なりますがお念仏に頼ったり、お墓やお寺に行ったりと、一時凌ぎでやり過ごしているのが現状です。このように、最近は「いつか死ぬ」ということがいつも恐怖で気掛かりで、楽しい・嬉しいなどのポジティブな場面が心から楽しめないような感覚になっています。 前置きが長くなりましたが、 お坊さん方の中に、今に至るまでに修行をなされている間に私のように気持ちが揺れたり、恐怖でパニックになったりしたご経験をなされている方がいらっしゃいましたら、「ご自分が一旦、その問題(私で言うところの死の恐怖)への納得感を得られるまで」に、どのような心持ちや行動で過ごされていたのかをお聞きしたいです。 また、現在も私は死の恐怖緩和についての対処を学んでいる最中ですので、もし同じ問題に悩み、納得した方法や考え方があれば、併せて教えて頂けると嬉しいです。 お時間ある時で構いません。様々なご回答を聞きたいです。お手数をおかけ致しますが、ご回答頂けますと幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 13
回答数回答 2

「死」を考えると気持ちが落ち着きます。

母の自殺から数ヶ月が経ちました。 四十九日を終え緊張の糸が切れたのか、うつ病が悪化してしまいました。 自責・不安・焦り・虚しさに毎日襲われます。気晴らしに…と好きなことをしても、楽しくありません。 また、母の自殺をフラッシュバックしてしまうため、"母が自殺した日"を何度も何度も追体験してしまいます。つらいです。 服薬治療も含め、できることは全てやっています。 でも、3年経った今も改善しません。それどころか悪化したので、「元気になりたい」という気持ちが湧いてこなくなりました。 以前は「元気になる」という目標がありましたが、今はそんなことを思えるほどの気力がありません。ただただ、生きるのに疲れました。自殺未遂をするほどには。 ただ、窓の外をぼんやり眺めながら遺書の内容や死ぬことを考えていると、心が落ち着くのです。 虚しさや不安を忘れ、「死んだら母のところに行けるかもしれない」と希望も湧いてきます。 以前こちらで相談したとき、【先に往かれた親しい方々やご先祖様がお母様をあたたかく優しくお迎えなさって下さいます。】と回答をいただいきました。 ふとそれを思い出し、「わたしが死んだら母が迎えてくれる、死んだら母に会えるんだ」と嬉しくなりました。 嬉しいなんて気持ち、久々に湧きました。だから、ホッとしたのかもしれません。 「死」を考えることで心が穏やかになるなんて、おかしいでしょうか。 また、心身共に疲れ果て気力がなくても、自分に鞭打って生きなければいけないのでしょうか。 わかりません。教えてください。

有り難し有り難し 42
回答数回答 3

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