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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 怖い」

検索結果: 1296件

世界一大好きな祖父の死

祖父が亡くなって約1年経ちました。 世界一大好きな祖父です。慈悲の心を持った、まさに仏様のような祖父でした。無償の愛でいつもわたしを可愛がってくれました。 なるべく側にいたのですが、たった1時間ほど席を外した時にちょうど息を引き取りました。代わりにわたしの兄弟、父が看取りました。 看取れなかった、自分のタイミングの悪さに大変後悔しました。でも、心のどこかで看取るのが怖いという思いも少しありました。 大切な人が亡くなるという体験は初めてでした。 夢に出てくるかな?なにかわたしに言いたいことあるかな?といつも考えてますが、不思議な体験もなにもありません。 母方の祖父なので、お仏壇は母の兄に引き継がれました。 色々な事情があってお仏壇には行けないのですが、心の中の思いや拝みは届いているのでしょうか。(遠くに住んでいるのでお墓参りも年に1度くらいしかいけないです…) 祖父は浄土真宗、わたしは浄土宗です。 私が結婚したらまた宗派も変わってしまうかもしれません。それでもいつか自分が死んだ時に会いたいです。宗派が違っても、いつか会えるのでしょうか。毎日思い出します。あっちの世界でも、どうかしあわせでいてほしいです。 祖父の死から色々なことを学びました。いつも見守ってくれていると信じて生きたいです。

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2024/02/07

自死を望む友人との折り合い

懇意にしている友人が自死を望んでいます。 高齢になり迷惑をかける側になる事が嫌なのと、ずっと生きるのが面倒と感じつつも周囲が悲しむ事への配慮としてこれまでずっと我慢していた分、自分の決めた時に自分の意思で決めたいと思っているようです。 命の尊厳は誰にも脅かされてはならないと思います。 一方でどうしても死んでほしくないというエゴをぶつけずにはいられませんし、命を自分自身だけのモノと考えている事に怒りを覚えています。生きる事の尊さや喜びをどんなに話したところで、本当の意味で理解されない虚しさも感じます。 その人の命の使い方に口出しする烏滸がましさも自覚していますが、それでも大切な友人と二度と思い出が作れなくなる事がどうしても受け入れられません。 私にとっては凄く大事な事なのに、相手にとっては取るに及ばない事である事実も悲しいです。 きっとその人が決行してもずっと悲しいですし、だからと言って縁を切ってしまい完全な他人となるのも嫌なのです。 死ぬまで、「うるさい、黙って生きとけ」と言い続け、何とか生きる喜びを見つけて欲しいと祈り続けるのが、自分が最も後悔しない在り方なのだと思っています。 正直、今すぐにでも心が折れて逃げ出しそうになります。でも、もっと後悔するのが怖くてしがみついています。 どのような心持ちで生きていくことが、自分の道なのか分からず、迷子になっています。 質問とは言えないかも知れませんが、どうかよろしくおねがいします。

有り難し有り難し 3
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2023/05/20

自分の死を受け入れて生きる事は可能か

お世話になっております。 以前より、強い死の恐怖について質問しており、その度に暖かいご回答を頂き大変感謝しております。 今回は、自分の死を受け入れて生きることが現実的に可能なのか、という質問です。 今まで頂いたご回答や仏道の自習において、「死はみんな怖い、けれどそのまま生きている」「死の恐怖を無理に消そうとしない」「禅は【今を生きる】修行で、未来のことを考えない(未来のことを考えるのは、今を生きていない)」といったお考えを学びました。 このお考えの論理そのものはとてもよく分かります。そもそも怖がってたって人間は死ぬし、時間の無駄だとも思います。それでも湧く本能的な恐怖なのですから、放っておくしか無いのが実状でしょう。 また、心理学の森田療法でも同じように書かれており、宗教の壁を超えた現実的なお考えだと思っています。 ですが、その考え方は、本当に現実的に可能なのでしょうか?このお考えを知って尚、そんなふうに生きれない私がおかしいのでしょうか。 私は恐怖感に襲われ続け、正直もう疲れてしまいました。皆さんに暖かいご回答を頂いているのにも関わらず、恐怖を受け入れられない自分が情けないです。そしてできる限りの実践や自習もしてきたつもりです。自分のできる限り死に向き合って、でも実生活が疎か疎かになるから恐怖を無理やり忘れて、また思い出してはパニックになりの繰り返し。 日常的な禅などで身体で理解するまでにも至らず、3年ほど強く悩まされて「本当は恐怖を受け入れる日なんて来ないんじゃないのか、来ないまま慄き泣き喚き絶望に塗れて死ぬしかないんじゃないのか」と絶望でパニックの日もたくさんあります。 修行が足りないだけなら今後も修行するしかないのでしょうが、会得までの長い間がもう、頑張れないです。弱音吐いてすみません。 死ぬのが怖い、でもその気持ちを抱えたまま生きているのがどうしても苦しい。皆同じだからと言われても、私が納得できないんじゃ、私は救われないままです。 わがままだと思います。自己中だと思います。ただ、辛い現実から救われたいのは、それこそ皆同じなのではないかとも、思っています。 具体的な解決策はありませんでしょうか。 どうか知恵をお貸しください。

有り難し有り難し 6
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親や自分が死ぬのを考えるのが怖くて辛いです

最近一人暮らしを始めました。 もともと体が弱いのと色々と考えてしまう性格のせいで、一人暮らしで自分の身に何かあった時に助けてくれる人がいない、その状況にただならぬ恐怖を感じてしまいます。 また、それよりも怖いのが身内の死です。 小学生の頃から身内が死んだときのことを考えると恐怖で涙が止まらなくなり、親の元へ駆け込んで落ち着かせてもらうということを度々してました。 今、親元を離れている状況で、ふと、今身内が危険な目に遭っていたら………と考えてしまうとどんどん悪い方向にしか考えられなくなり、ひどい時だとパニックを起こしてしまいます。 考えなければいい、という話ではありますが、体調を崩しているとき、気持ちがナイーブになっているとき、何か近場で事件が起きてしまった時など、スイッチが入ってしまうと考えるのが止まらなくなってしまいます。 今の精神状態だと、私は、親が亡くなったら確実に後を追ってしまうでしょう。 こんなことを考えてしまう私の心は弱いのでしょうか? 何か割り切って心を落ち着かせる方法などありませんでしょうか? 乱文での質問大変申し訳ありませんが、ご教授いただけたらと思います。 何卒、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 19
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主人の自死とどう向き合うか

結婚23年目、大学生(20歳男子)高校生(16歳女子)がいます。 先日、躁鬱病だった主人が、精神科を退院した2日後に自ら命を絶ちました。長男が2歳の時に鬱病になり、休職復職繰り返しましたが、結局、娘の誕生後に退職しました。その後バイトと義母の仕送りでどうにか保っておりましたが、主の生活は金融機関の正社員である私の収入でどうにかやり繰りしていました。元々神経質で人を自分のルールに合わせる傾向がありまして、また高級志向な為に家のインテリアや家具、電化製品等主人が決めていて、私の意見は聞いてもらえませんでした。家計事情等、無頓着なので、私との衝突も多かったです。鬱が回復後からは、暴君に拍車がかかり私や子供に厳しくクレーマーになって人様にご迷惑をかけたり、義母からのお金で大変な浪費や、旅行や、しなくてもよい契約をしたり、奇声をあげたりと、心落ち着かない生活を子供達と耐えておりました。 尋常でないテンションの高さに、私が病院に相談に行きまして、双極性障害(躁鬱病)であると診断されました。 子供が受験のときはあまりにうるさくて、彼にお願いして無理して別居してもらいました。 でも躁が抜けて穏やかな時は、私と食事や旅行もしたり決して仲が悪いわけではありませんでした。彼の良いところを認めてどうにか、やっていたように思います。 しかし、昨年に人間関係のトラブルで仕事を辞めてから、ずっと家にいて、何もせず上げ膳据え膳で、私もストレスが溜まり、今年のコロナの頃になったらどんどん鬱がひどくなり、私が仕事中は、自宅謹慎中の子供たちは主人を鬱陶しがり決して良い環境ではありませんでした。死ぬと言う言葉を連発し、ベルトを首に巻いたり、死ぬマネを何度かされてからは恐怖心しかありませんでした。私は疲労困憊してて安定剤飲みながら仕事していました。主人が心配で実家で静養してもらうようにお願いして、実家の近くの病院に紹介状を出してもらってどうにか入院まで進めることができました。 私は、怖さが勝ってしまい、退院しても一緒には頑張れないと思っていました。 連絡もしませんでした。亡くなってから、もっと頑張ればよ良かった、優しくすれば良かったと自責と懺悔の毎日です。主人は私が離れていくことに絶望してたと思います。私は自責しかないです。主人は、ちゃんと安心して成仏出来るでしょうか。気持ちの切り替え方を教えてください。

有り難し有り難し 37
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父の死とそれに伴う苦悩とのつきあい方

こんにちは、見てくださってありがとうございます。 初めての質問、長文ですが失礼いたします。 昨年食道がんで父を亡くしてから、思い悩むことが多くなりとても辛いです。そういった負の感情とのつきあい方、折り合いの付け方をご助言いただけたら嬉しく思います。 「思い悩む」の内容は、自分では3種類くらいあると思っています。①父の死自体に対する悲しみ、②今後周りを含め迎える死に対する悲しみ、③周りと比較してしまう思考、です。 ①に関しては、死別までのトラウマです。コロナ禍ということもあり、父は臨終近くまで家で過ごすことが多く、父の咳で眠れなくなったり、血痰が出て夜中に看護婦さんを呼んだり、かん腸で泣き叫ぶ父を励ましたり、とても悲しい記憶が色濃く残っています。当時リモートワークで、仕事先の人にもあまり事情を分かってもらえる人がいなくて、完全に孤立してしまったことから、少し捻くれているのかもしれません。 ②は、これは私も意外だったのですが、今後私が経験したような果てしない悲しみを、ほとんど誰もが同じように経験をするという事実が、悲しいということです。その事実を直視すると、人生には救いがないな、と、思ってしまいます。例えば、私の周りの大切な友達やいまは幸せそうな家庭や生まれたばかりの赤ちゃんだって、いつか大切な人の死を経験するのは同じですよね。親の死に対して「みんな経験することだよ」という励ましワードは良く見ますが、私にとっては、それが、そういう出来事が増えていくことを確信しているからこそ、これから生きていくのが苦しいな、という感情になってしまいます。 ③は、他者との比較を辞めたくても辞められないということです。周りは20代。両親健在な方が多く、羨ましさが拭えません。両親が元気な友達の家庭の話を聞いたり、死と関係のない悩みを聞いては、一人になってから羨ましさで泣いてしまいます。「両親どちらも幼くして亡くしてる人もいる。私は幸せだ。」とか、考えてみるのですが、また人と比較することでしか、自分を慰められていないことに気付いて嫌になります。他ならぬ自分自身が苦しいのだということを認めたいです。 hasunohaやグリーフについての本などを読んで、死別といっても、それに伴う感情は多様で複雑だなと思っています。お時間ありましたら、お言葉いただけたら嬉しく思います。

有り難し有り難し 9
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角が丸くなっていく自分が怖い

プロフィールにも書きましたが、現在フリーターです。 昔からなんだか気が付いたら大変なほうを選んでしまう自分がいます。 これが自分の性なのかぁと内心あきらめかけています。 そして経験するにつれて、歳をとるにつれてだんだん自分が丸くなってきているのがわかります。 もはや、仕事も人も好きか嫌いかで判断するものでもないと。 感覚として嫌いな人やものでも、付き合っていくうちにその人のことを理解しようと思うのですが、かえってそれが自分が無理をする足かせになってしまいます。つまり、分かろうとするから、それが必要な理由が分かるからこそ無下にできないと思ってしまうのです。 両親であれ、学校の先生であれ、仕事仲間であれ、どんなに嫌でもその人のことを理解しようとして選択をした結果が、現在の状況であり、いつも大変です。 世の中のきれいな部分汚い部分含めて、それが正しい正しくないという枠組みを超えて、今いる場所が自分の人生なんだなぁと納得しつつあるのですが、 自分のいいところを誰に認められることもなく、自分の中の悪かった部分は改善され、良かった部分は削られていく現状に不安があります。 なぜ良い部分を削らないといけないのか。 若いうちは、ある程度自分の良いところを軸にキャリア選びをしていくものではないか、自分の好きなこと、興味があること、やりたいことを軸に生きて行ってもいいのではないかと思います。 しかしそんな若々しい芽を発芽させることなく、そしてそれももはやわからなくなってきました。 人と違うことをしたり、何の精神的な支えもなく一歩を踏み出せるほど強い人間でもないですが、大人として落ち着いていくことにまだ未練があります。具体的には、仕事選びに関してです。ですが丸くなればそのほうが精神も安定しますし、なんやかんや仕事は続けられるマインドセットではあるのです。 おそらく、もう少し歳をとったら、あんなこともあったなぁというくらいに見れると思うのですが、30手前の今だからこそ、もう少し葛藤していたい自分もいます。 丸くなってしまうと、自分がなくなってしまうんじゃないか。その結果自分が今までされてきたように若い子たちの自由の芽を逆に摘み取ってしまう側になるんじゃないかと怖いです。どうしたらいいでしょうか。

有り難し有り難し 4
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不妊による離婚・自死を考えています

乱文お許し下さい。 私は35歳、主人は34歳で、共働きしています。2年前に結婚し、一緒に暮らし始めて1年になります。 生理が不順気味で、年齢のこともあるので、一緒に暮らし始めてからすぐに、不妊治療を開始しました。タイミング、人工受精にトライしましたが、なかなか授からず、医師から「私の体質では妊娠は難しいかもしれない」という宣告を受けました。 主人は「子供がいなくても、2人で楽しく生きていこう」と言ってくれており、不妊治療や家事も積極的に対応してくれます。義両親もとても良い方達で、子供が出来ないことには一切触れません。 私は相当恵まれた環境にいると思います。でも、こんなに優しい主人・義両親を父親・祖父母にしてあげられないことが逆にとても辛く、罪の意識に苛まれています。私がいなくなれば、新しい奥様との間に子供を授かることが出来るのでは、という考えが頭から離れません。「2人で生きていったら良い」という主人の言葉も、私に気を遣っているだけで、本心では子供を望んでいるかもしれない‥という疑念も持っています。 上記の内容と私の心の弱さから、死んで消えてしまいたいという思いが強くなってきています。自死が良くないことは理解しています。それに、死ぬ勇気も絞り出せそうにありません。首を吊ろうとしましたが、怖くて足元の台から降りられませんでした。 命を断つ代わりにと思い、離婚を切り出したら、今まで怒ったことのない主人が激怒してしまいました。離婚するかどうかは、主人に判断を委ねることとして、離婚届を置いて私は家を出ました。 実家へは事情があって帰ることができないので、今はホテルとネットカフェを転々としています。主人は判断に迷っているのか、怒っているのか分かりませんが、連絡はありません。 自殺方法をネット検索し続けている日々が続き、もう限界です。私はこれからどうしたら良いのでしょうか?

有り難し有り難し 57
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自死した娘の命日を迎えるのが怖いです

いつも相談をさせていただきありがとうございます。 数ヵ月に昨年亡くなった娘の命日を迎えます。その日に私は自分自身がどうなってしまうか、とても怖いです。 娘が亡くなったとき、数日間私は長女の引越の手伝いに通っていました。その日はそんなに疲れていないのに夕方なぜか胸の痛みと息苦しさを感じていました。 しんどいなと思いながらなんとか帰宅していつもどおり夕飯を終えてくつろいでいた夜9時過ぎに、娘の異変を知らせる電話が入りました。 警察署でさまざまな手続きを終えて検死をした医師から渡された死亡診断書に書かれた死亡推定時刻は、私が息苦しさを感じていた頃と同じ夕方5時頃でした。 私の体の不調は娘からのメッセージだったとすぐに思いました。娘は私のことが大好きでした。心や行動が不安定だったときも「いちばんの理解者でいてくれてありがとう」と書いた誕生日カードをくれました。 最期まで私を思っていてくれたんだと思っています。その娘が死を選ぶまで何を悩み何に苦しみ、どんなに絶望をしたのかを思わない日はありません。 そんな中で迎える命日は、きっと朝から「去年のいまごろあの子は…」「この時間にこうしてあげていれば…」と考えるに違いありません。そうして絶命した時間を迎えるとき、私は自分がどうなってしまうのか、正気でいられるのかわかりません。 とても怖いのです。 本当に怖いです。 その時をどう迎えればよいでしょうか。また、それまでに今から私ができることは何かあるでしょうか。

有り難し有り難し 22
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死の捉え方がみんなと違う自分

94歳の祖母が8月に他界、葬儀が私の旅行に被りました。 家族は私の気持ちに任せるといい、祖母は急死ではなく自分的にも心の準備をしながら接してきました。 また祖母の死を目の前にしても一般的な死の捉え方ができず悲しみはあったものの死というものが自分でもよくわからない感覚のものになっていました。 そして私は通夜.告別式に参列せず旅行に行ってしまいました。 一緒に行く彼も反対をしましたが私は自分の都合の良いように言い通して行きました。 旅行に行く前は生前祖母には自分なりに出来るだけ接してきたつもりで、自分では旅行に行くことを後悔しないと思いました。 しかし旅行中祖母のことが頭から離れず、帰ってきてからも家族や親戚には非常識人間と叱られ、 旅行に行ってしまったことを後悔しました。 でもどこかで祖母が骨になるところ、形としてなくなってしまうところを見たくなかったという想いもあります。 こんな自分を非常識であり、優しさの欠片もないと思われても仕方ないと思います。 葬儀に参列しず祖母や周りの人を傷つけてしまったことを反省しています。 でも反省している自分や看護師として働いている自分が表面上だけなんじゃないかと思えてきて、本当は偽りの自分なんじゃないかと怖くなります。こんな非常識な自分が今後また誰かを傷つけてしまうのではないかと不安でたまりません。 死に対しても常識、非常識についても何が正解なのかわからなくなっしまってます。 こんな私になにかアドバイスをいただけないでしょうか?

有り難し有り難し 38
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怒る夫が怖く、今後が不安

コロナの件で夫に怒鳴られました。 私は、自分や夫や自分の大切な人達を守りたいと思い、仕事や必要最低限以外の外出はしない、友人に会ったり実家に行かない等、感染しないよう気を付けています。もしかしたら自分も感染しているかも…と考えての行動です。 しかし夫は以前と変わらず、同僚や友人と飲み会等で外出し不安に感じています。 少し前に、夫が自分の実家(私からは義実家)に遊びに行こうと言い出しました。私はこの時期は辞めようと提案しましたが夫は納得しません。 夫の言い分は、仕事は特段変わらず出勤させられており、平日はストレスが溜まり休日くらいは好きなように過ごしたい、義両親は感染していないので大丈夫、ということでした。 義父はしばらく自宅勤務ですが、義母の勤務先で感染者が出たそうで不安に思います。また、私と夫も仕事で多くの人と会うため、万が一義両親に感染させるのは嫌だったので私は辞めようと考えました。 しかし、以前からなのですが、夫は自分の意見を曲げない性格で、それに対して私が口を出しても耳を貸さず一方的に怒るため話し合いが出来ない人でした。 そういう夫の性格はこれまでの生活の中で重々承知していましたが、死に関わると思いどうにか辞めさせたいと思いました。 しかし私は説得しきれず、義母にこっそりと連絡し、断ってもらえないかと依頼しました。義母には夫に内緒にしてもらうよう頼みました。 義母からしても息子が会いたいと言っているのを断るのは心苦しいでしょうし、嫁から面倒な依頼をされて、良い気持ちはしなかったと思います。私もこんなお願いをする自分に対して自己嫌悪になりながら、義母にも申し訳ないと思いながらの行動でした。 結局困った義母は夫に話してしまい、夫から私に対し、なぜこのようなことをしたんだ!義母に迷惑をかけるな!と、ものすごい剣幕で怒鳴られました。これまでにない怒り方でした。 もちろん、こっそりと義母に依頼し裏から手を回そうとした私の行為が悪かったと思います。 しかし、暴言を吐きながら怒鳴る夫に恐怖を覚えました。また、今後も自分の意見を曲げない夫に、怒らせないよう怒鳴られないよう気を遣いながら怯えながら、私はずっと暮らしていくのか?と考えたら、今後どうしたら良いのかわからなくなりました。離婚はしたくなかったですが…今後も一緒にいたいと思えるのか不安になりました。

有り難し有り難し 68
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2024/12/04

希死念慮のあるアスペルガーの彼について

こんばんは。 よろしくお願いいたします。 お付き合いしている方が昔から死にたい気持ちを常に抱えている方で、私とケンカになると生きてる意味がわからないとなり、自殺をほのめかされます。 アスペルガーもあるので、急な変更があると苛ついて理不尽にキレたり、俺の気持ちをわからないあなたが悪いと罵声をあびせられケンカも絶えません。ケンカになると全部あなたが台無しにしていると責められ、常に他責なところにも悲しくなります。最近このまま付き合って行くべきか悩んでおりますが、楽しい瞬間もあったのと、以前仕事がうまくいかず自殺未遂をされたことがあり、その時に彼の母親と姉にあなたのせいだと散々責められたこともあり、考えると気が重くなってしまいます… 別れたらまた「死にます」と言ってきそうでそれも怖いです… 精神的に落ち着いて生活して欲しくて、心療内科の受診を何度も勧めていますが、人を信用していないからムダな時間を使いたくないと言います。 私の中にまだ好きな気持ちもあるような気がして、周りに大反対されつつも離れられずに来てしまいました。 毎度自分から別れをほのめかすのに、本当に良いんですね?と言われ、気持ちを試されているようで、最近はそういう試し行為にもうんざりしています… この先私はどのように行動したら良いのか、説得して受診させるのが良いのか、好きな気持ちがまだあるうちは向き合っていくのか、それとも未来を想像出来ない関係なら今離れるべきか… 色々悩んでいるのでアドバイスお願いします。

有り難し有り難し 7
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八聖道によって死の恐怖を消せますか?

以前よりお世話になっております。毎回真摯なご回答を頂き、本当にありがとうございます。 今回お聞きしたいことは、八聖道によって死の恐怖が消せるのかということです。以下、詳細な私の現状です。 私は「死んだ後自分がどうなるかわからないことへの恐怖」と、「自分と世界が存在している(五感で感じ取れる)ことの恐怖」を常に抱えています。 そこで仏教を自分なりに勉強した結果、四諦と八聖道を知りました。恐怖克服のため、ぜひ八聖道を実践しようと思いました。 現在は在家で修行がしたいと思っています。正思、正語、正業、正命、正精進、正念は、日常生活の中でなんとなく「これに気をつけて生活すべきなんだな」という具体的な実践が思いつきます(といっても、素人の浅知恵で、悪口を言わないなどの程度です。ここに関しても今後もっと勉強していきます)。 しかし、正見と正定は、瞑想(座禅)などを行なって会得するものだと拝見しました。 私は禅宗(臨済宗や曹洞宗など)の教えも好きなので、座禅を日常に取り入れたいと考えています。ですが、禅で有名な一休さんでさえ、「死にとうない」と言って死んでいったと聞き、正直とても怖くなりました。 座禅を含め、八聖道を実践していっても、死や存在の恐怖は克服できず、怯えたまま生きて死ぬしかないのか?と不安です。 hasunohaでは、座禅の中で悟りのような経験をされている方や、「実践を伴って初めて仏教がわかる」とご回答されている方をよくお見受けします。そのため、知識を学ぶだけではダメで、具体的な実践をして初めて、疑り深い私でも「仏教を知識だけでなく心で納得する」ことができるのだと考え、八聖道を実践しようと思いました。 長々とすみません。以上の流れから、 1.八聖道(座禅含む)を実践していったら、死と存在の恐怖を消すことができるのか? 2.もし出来ないなら、私は今後どうしていったら良いのか?(恐怖に苛まれるのは本当につらいので、なにか解決策があればご教示頂きたいです) の2点をお伺いしたいです。 また、私の現状の中でも、間違ってる行動や考えがありましたら、ご指摘頂ければと思います。 長文になってしまい申し訳ございません。お時間ある時で構いませんので、ご教示頂けますと幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 38
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2024/12/09

大切な犬の死、後悔とさみしさ

13歳5ヶ月になったゴールデンレトリバーが先日亡くなりました。 とても元気に過ごしていたのですが、2ヶ月前に体調が悪くなり動物病院に連れて行ったところ肝臓がんの疑いがあると言われ、おそらく2,3日で亡くなるだろうと言われました。(年齢と血液の数値的な理由から、積極的治療はしない方がいいと言われました。)しかし、その後食欲が出てきて、この2ヶ月はごはんもバクバク食べるし、朝夕のお散歩は元気に歩いていたし、本当にいつも通りの元気な子でした。 亡くなる日の朝もいつも通り元気でした。12月に入りさすがに寒けれどその日は晴れていたし、お外が大好きな子なので、朝のお散歩のあと外につないで「行ってくるね」と頭をぽんとして、いつも通り出勤しました。 しかし、18時過ぎに帰ってきたらコテンと横になっていて、いくら揺すっても目を覚ましてくれませんでした。近くには少し吐いた跡。それ以外は眠っているようでした。 余命宣告を受けてから2ヶ月。毎日毎日死別の恐怖がありました。私はちゃんとこの子を看取れるかなとか、そんなことをいつも考えていました。 けれども、愛犬は、私の帰りを待ちながらひとりで逝ってしまいました。 寒さで急激に体調が悪くなったのかもしれない、もし私が外に出していなかったら…とか、触るとぬくもりを感じたので、私の帰りがもっと早かったら…と後悔でいっぱいです。 大型犬で13歳なので、老衰なのかもしれません。でも、あの子が逝ってしまう瞬間にそばにいてあげられなかったことがつらいです。苦しかったらどうしようと思うと涙が出ます。 そしてなんともいえないさみしさでいっぱいです。 13年5ヶ月も生きてくれて、うまく言葉にできないんですけれど、長い長い物語が終わったようなそんな気持ちなんです。 喪失感というか、「不在感」です。いたのに、いない。体温を感じていたのに、いない。とてもさみしいです。 どこにいても何をしてもあの子の姿が脳裏をかすめます。 明るくて優しい顔が目に浮かびます。 でも、いないんです。 あっという間に逝ってしまったため、自分の中でこのさみしさをどう処理していいのかわかりません。 そして、時間がたってこのさみしさを忘れるのも怖いです。 乱文で申し訳ありません。心に浮かんだことを浮かんだままに書いてしまいました。何かご助言をいただけると幸いです。

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2025/02/06

いつかくるペットの死への恐怖

皆様にはいつも大変お世話になっております。 前回も似た内容の投稿をし、いただいたご問答のおかげで少し心が救われました。心境が少し変わり、また皆様のお力をお借りしたいとこちらへ来ました。 私は12歳の老うさぎ(人間年齢で換算すると90歳近く)と過ごしております。現在うさぎは老いによってかなり弱った状態であり、大好きだったおもちゃへの興味も食欲も無くなって魂が抜けているかのように虚ろな目で床を見ながらボーっとして過ごしていることが殆どです。 昨年も動物病院へ行くたびに老化や病気の進行の知らせが辛かったものの、「まぁ、うさぎの平均寿命をとっくに超えてるから弱っていくのは避けられないし仕方ないよね」とすぐに受け入れられました。しかし最近になって急激に老いて弱っていき、もう元気な姿には戻れないと悟ってから「今日が、明日が最期だったらどうしよう」「朝起きたら、帰ってきたら死んじゃってたらどうしよう」と毎日心配で明日が怖くて仕方ありません。仕事中も最悪の事態を想像してしまい、胸が痛くて集中できないです。 時が経つにつれ、今の状況にも少し慣れてきたため数日前よりかは気持ちがいくらか楽になりました。 それでも冷たくなって棺桶に入っている姿、火葬してお骨になった姿も見たくないし、うさぎがいなくなった部屋で過ごす未来も怖いです。 うさぎが自分自身の状況について悲観的になっていないこと、自分をことで毎日悲しむ飼い主を望んでいないことは分かっていますが、「死んでほしくない」と「これ以上弱っていく姿は見たくない、沢山長生きしたからもう無理しないで」という思いが交錯して常に心がいっぱいで疲れました。とにかく楽になりたいです。どうすれば良いでしょう。

有り難し有り難し 14
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