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hasunoha 問答検索結果 : 「 供養 」
検索結果: 4575件

神や仏の存在とは?

今日、ふっと思った事の答えを教えて欲しいです。 この世には色々な宗教、宗派がありますが、基本的には人々を幸せに導く為や心の拠り所として神や仏というものが存在しているんだ思います。 しかし、事件や事故に巻き込まれて突然命を奪われて亡くなる人もいたり、生まれつき障害や病気を抱え生涯苦労したり生まれてすぐ亡くなる子供がいたりします。 また、生まれ育った環境で心に傷を負ったまま生きていかなければならない人達もいます。 第三者は同情したり励ますだけで終わってしまいますが、当事者やその家族は「なぜ?」「どうして?」と言う疑問や悲しみだけしか残りません。 人は神や仏に助けを求めたり幸せになれる事を祈り信仰してるんだと思いますが、なぜこの様な差と言うか違いが生まれるのでしょう? 当事者や家族にしてみれば祈りや信仰は何の意味も無いし、悲しみを癒してくれるものでもないと思ってしまうのではないでしょうか? そう思うと神や仏とはいったい何の為に存在してるのでしょうか? 私の友人の奥様は5歳の子供を事故で亡くし、その後生まれた子供もわずか6ヶ月で病気で亡くしました。 奥様は廃人同然の様になり今も精神科で入院しており、友人も以前とは見る影もない程落ちぶれてしまいました。 きっと幸せな生活を夢見てたと思います。 ニュースで土砂崩れに巻き込まれて21歳の女性が行方不明になっているのを見て、その女性もこれからの人生に夢と希望を持ってたはずだろうなぁと思っていた時、神様って何なんだろうとふっと思ってしまいました。

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何を言われても死ぬと思います。

去年の12月に夫が救急車で運ばれ、1月に小腸がんの発覚、1か月の余命宣告を受けました。抗がん剤治療をしてうまく合っても5か月程しか生きられないと言われ、本人がしないという選択をしました。 夫は当時35歳でした。 1月で私は仕事を辞めて、毎日病院にお見舞いに行っていました。 その後緩和ケア病棟を経て在宅医療を受けています。 最初のうちは良かったのですが、体調がどんどん悪くなり、痛みがひどくなり、今はもうトイレもベッドで行い、自分で寝返りを打つこともできません。 介護は義母と2人で行っています。義両親とは物理的に距離が離れているところに住んでいたので、年1-2回しか会うことはありませんでした。 今回共に介護をしてみて、考え方や生活スタイルが違い、ストレスを感じています。 そうは言ってもトイレにも行けない相手を一人で介護することはできないため、なんとか頑張って暮らしています。 夫は食べると腸から出血が増すため、点滴で生きているのですが、その点滴の中に今日から睡眠薬を混ぜて眠らせることにしました。 痛みがひどく、モルヒネや座薬などではもう効果が少ないための、最後の手段です。 痛みが酷い以外にも、私や義母を呼びつけてお願いをされるため疲労が蓄積してしまったことも、混注に踏み切った一因です。(本人了承済みですが) きっとこのまま、どんどん状況は悪化していき、いつか旅立ってしまいます。 本題です。 私は自分も後追いしてしまいそうです。 今は職もないし、夫の介護が生きてる意味になりつつあります。 介護はとても辛いです。 私は親族と絶縁しているため、頼る身寄りもなく、子供もいません。 義母とは争うこともあるので、義父母に頼ることはできません。 友人はいますが、友人がいたからなんなのでしょう? 私が死んだらきっと悲しむでしょう。でもきっといつか忘れます。 生きる意味を探しているのではありません、もう何をすることもできません。 苦しまない自殺があったら、確実に行っていると思います。 死ぬ気になればなんでもできると言いますが、なにかを始める気力がありません。 将来私は1人で死ぬのであれば、今死んだ方が遺骨も夫の墓に入れてもらえるしいいのではないかとしか思えません。 相談したところで、何か解決できるわけでもありませんが、書き込んでみました。

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お坊さんの戒律に関する質問です

僕は来年僧侶になる予定の高校生です。 お坊さんの戒律の現状に関して皆様の意見を教えてください。 明治以降、国の政策によってお坊さんは肉食、世帯、飲酒、その他諸々の戒律を守らなくてもよいことになりました。 そして国家の規定による持戒は戦後の信仰の自由の徹底化によって可能性はほぼ無くなりその状態は今現在も続いています。 以前こちらでも活躍されている大慈さんの配信で僧侶の肉食、世帯に関する質問をしたのですがその際に ・肉食は栄養の問題で必要だし仏教の教義としても問題ない ・世帯は無条件の良い事では無いが寺を継ぐ後継者を育てていくためにも必要 ・これらの問題は全てを解決できる答えが無いから考え続けることが大事 という様な答えを頂きました。 僕も大慈さんのお考えに感銘を受け、すぐに結論を出さすこの問題に向き合う事にしました。 しかしすぐに結論を出さないという事は問題に向き合う事に消極的になるという事では無く様々な意見、主張を聞き考え続けることだと思います。 そこでここにいらっしゃる僧侶の方々の肉食、世帯に関する意見をお聞かせください。 また、大慈さんは戒律の問題を一括りにはせず肉食と世帯を別の理由でもって語って下さいました。 確かに一つ一つ事情は異なっているので僕も個別に考えようと思います。 そこで肉食、世帯に加えて飲酒や金銭に関する問題もお伺いします。 今現在の僕の意見としては、しょうがない理由のある肉食や世帯と違い嗜好品としてのお酒やお寺を支えるため、生活するため、将来のための貯えを超えた過度な儲けと散財はある程度宗派、教団で規制してもいいんじゃないかと思うのですが皆様はどうお考えですか?

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お坊さんを怒らせてしまった

お坊さんを怒らせてしまいました。 とある悩みについてお坊さんにメールしました。 悩みやすい性格であるため、何度もメールをしては、アドバイスをしてくれていた方でした。 その方から先日、アドバイスとともに、「1円でもよいから納めてください」「それかこれからも友だちでいてください」とメールがあったので、 私は「こちらこそ、これからも友達でお願いします」「いつもありがとうございます」と打ちました。 そしてしばらくして、新たな悩みについて相談したところ、 「なぜ1円も納めようとしないのか」というメールの返信が来ました。 「1円でもよいから納めてください」「それかこれからも友だちでいてください」の後者を選んだ理由は、 納め方がよくわからなかったからなのですが、これについてかなり怒っており、見た瞬間震えてきてしまい、メールを削除し、 今現在学業で忙しいから今度でよろしいでしょうか、と返信しました。 すると、この期に及んで言い訳するのか、とメールが来ました。 その前は、あなたの悩みやすいその性格が全ての原因だ、的なことも書いてありました。 それから返信はしていません。 ただ、信頼していた方だけにショックですし、納めることが義務だとは思いませんでした。 若干トラウマになりそうです。 この体験とどのように向き合えばよいでしょうか。

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愛犬を失った悲しみと後悔がとまりません。

数日前、私の一番の宝物だった愛犬(プードル)が亡くなってしまいました。まだ5歳でした。 死因は、父の運転する車にひかれてしまったことです。決してわざとではなく、単純な確認ミスでした。 そして母はその一部始終を見てしまいました。プードルちゃんの小さい体が車の下敷きになる直前の表情からその体が下敷きになって、やがて冷たくなっていくまで、ずっと。 私はその時現場におらず、一報を聞いて急いで帰宅し、遺体を見て触れ、その事実を知りました。 私を虚無感と深い悲しみが襲いましたが、その事実を知り、両親の苦しみを思うと気持ちはさらに混乱しました。 私は少し憤っているのかもしれませんし、自分がその現場にいれば違っていたかもという後悔もあります。 しかし自分より苦しみが深いであろう両親には絶対に気持ちは言えませんし、両親の苦しみがあまりにも深いため、自分が満足に心ゆくまで悲しむことが出来ずにいるような気もするのです。 両親は自分たちが殺してしまったのだとずっと苦しんでおり、その苦しみは計り知れません。 大きな後悔と深い悲しみと少しの憤り、これらを私はどうしたら良いのでしょうか。 そして、なにをしてあげたら亡き愛犬の魂は楽に、幸せになるのでしょうか。 皆さま、教えてください。 よろしくお願い申し上げます。

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何故戒名をもらったら仏教徒になるという認識は誤りなのですか?

お世話になっております。 柴田秋です。 以前、こちらで葬式をあげてほしくないという質問をいたしました。 戒名をもらった時点で仏教徒になるのが嫌という理由を上げましたが、それは誤りとの指摘がありました。 戒名とは法号のことであり授戒の証、すなわち仏門に入ることのはずですが、何故、戒名をもらうことが仏教徒になるということではないのですか? 少し長いですが、それでも、詳しい経緯をお知りになりたい方は下記をご参照下さい。 http://hasunoha.jp/questions/5942 予想される答えとしては「私はすでに仏教徒である」ということと思います。 一度も同意したことはありませんが… 私が嫌いなのは仏教だけではなく、宗教全般なので、特別仏教がどうのこうのというわけではないので、ご理解ください。 ただ、ガウタマ・シッダールタや、イエスや、ムハンマドなど、一人の人間の言葉の元に集まった集団が起源なのが特に嫌という感じはあります。 神道に言及しているのは、少なくとも私は宗教ではなく、神話扱いしているという理由です。 ギリシャ神話、ローマ神話、ゾロアスター教、それから、特に好きというわけではありませんが、エジプト神話あたりは、私に対して「無害」なので、別に嫌いというわけではありません。

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母の死を受け入れきれません

先日、母が急逝致しました。 自死でした。 親友のような姉妹のような、近い位置にいた 母でなんでも相談したり買い物いったり旅行行ったりしていたのでそんな存在がいなくなったのが 今でも信じきれず、本当はまだ生きてるんじゃないかと思います。 仕事の都合でなかなか家に帰れず、最後にあったのはなくなる三週間前でした。 先々の予定をたくさん立てていて、これこらたくさん色んな所に行こうと話していた矢先でした。 亡くなる当日、帰る予定だったのですが 熱が出て頭が痛く、気分が優れなかったので 別の日に帰るよと言うと、とても怒ってました。 亡くなる直前に私に電話をかけてましたが 寝込んでいた為電話に出れず、もし電話に出ていれば生きていたかもしれないのにと思うと 苦しくてたまりません。 遺書のようなメモ書きには、兼ねてより辛いと言っていた職場のイジメについて 殴り書きされていました。 話しが纏まらず申し訳ありません。 とにかく、未だに母が生きていて 来週も一緒にお出かけするもんだと言う感覚が ずっと付き纏います。 また、どこに出かけても母の面影を感じ 一日中母のことばかり考えてしまいます。 かと思えば、母の分も幸せに生きようと思う瞬間もあります。 気持ちに波がありとてもしんどいです。 どうやって母の死に向き合い、また 自分の気持ちを落ち着けられるのかがわかりません。 どうしたら良いのでしょうか? とても苦しいです。

有り難し有り難し 54
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