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知らない人の悪意から身を守る方法

私は、何度か知らない人から悪意を受けることがあります。 例えば、電車の車内で本を読んでいたら、男子学生グループからいきなり蹴られたこと。 後ろからクスクス聞こえるとは思っていたのですが、まさか私のことを標的にしていたとは蹴られるまで思わず・・ダッシュで駅へとゲラゲラ笑いながら駆け降りる、全く知らない男子グループを見て、あまりに突然のことであっけにとられ何もできず、その時はただただ、ショックでした。 例えば、満員すし詰めのイベント会場で、後ろの女性の肘がずっと我慢できないほど痛い位置に当たっており、仕方なく(あの、肘が、)と声をかけると、よりグッ!と押し込まれ、うるっせーんだよ、ブス、このブス、と暫く耳で囁き続けられたこと。 他にもあり偶然ではないようで、道行くおじいさんから、おじさんから、酔った女性、意地悪そうなカップルからなど・・友人と複数でいたとしても、まず私が一番の標的になることが、とても多いです。 過去、友人に相談した折には、「その人たちは怖い人には絶対に突っかからないだろうから、責めても反論しなさそうに見えるんじゃない?」と言われたことがありました。 そういえば外国の方によく道を聞かれるように、隙のある人相なのかもしれません。 どんなに心の中で「あの人たちはイジワルしたくなったんだ、余裕がなかったんだ、気が立ってたんだ、同じ土俵に立ってはいけない」と自分を慰めても、些細なことで頭の中で、その時の彼らの笑い声や、蔑む声が聞こえてきて、ああいう人たちにずっと言われる人間なのだろうかと、とてつもなくみじめな、泣きたい思いになることがあります。 どうにかこの理不尽なサンドバッグのような思いから脱却したいです。 人生の中で、多くの人が経験しているようなことなのでしょうか。 何とかこういった人たちや、過去の出来事から、身を守る、見方が変わる考え方は、ないでしょうか。

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至急。祖父の看取りと祖母への怒り。

私の祖父は10年前からアルツハイマーに なり終末期を迎え、昨日か今日にはと 先生に言われました。私は祖父母っ子で 夏休みは毎年弟と1カ月祖父母の田舎へ 帰りました。中間地点まで祖父が来てくれて あとの半分は電車でお弁当を食べたり 話したり、毎年そうしていました。 アルツハイマーになり、私のことも忘れ 叩かれそうになったこともありました。 祖父がその辺で便をしてしまい、祖母と 片付けたこともありました。でも、私の中の 祖父は何にも変わりません。数ヶ月前に 誤嚥性肺炎で救急搬送され、延命治療に ついて話しました。最期を家族がどう決断 するのか。祖母は、胃ろうはしないけど それ以前のできる限りのことはして下さいと 話しました。祖父は人形のように目が開いても 反応せず毎日息をしているだけの状態です。 私は祖母の意見に反対でした。毎日ただ 息をしているだけ。たんの吸引は辛く、 その時だけ表情を変え苦しみます。 先生にも回復はしないし、口から食べれない、 老衰に向かっていると言われました。 私は福祉の仕事をしていたので、私としては 体の自然な流れに逆らわず最期は穏やかに 過ごし、安らかに眠れるように家族が決断 すべきと思っていました。でも、祖母は リハビリを始めたらゼリーを食べさせたり。 そのゼリーも結局は気管に入り熱をだす 原因になりました。そして、祖母の胃ろう 以前の治療はしたいと言う願いから、 説明もなく鼻から管を通し栄養入れる、 延命治療が始まったのです。私は祖母に 怒りを覚え話をすると、長年連れ添った 夫婦、簡単に割り切れない。さみしい。 と言われました。祖母は私の子も抱ける、 二世帯住宅で新築になり自分は趣味も でき、気分転換できて 生きがいがあります。祖父は違います。 延命治療したことで、点滴を受けつけなくなり 嘔吐し、熱をだすことが続きました。 私は虐待にしか思えません。祖母はそれでも 頑張ってねと祖父に言います。自分の寂しさ のために祖父を生かすなんて身勝手すぎる。 私の親も祖母が決めたことに口出しできない と言います。祖父のことで家族が揉めるのは 祖父は望んでないはずですが、腹が立つのです。 今も目を開けて肩で息をしている祖父を 見ると辛くて同時に祖母に対する怒りが 込み上げてきます。最期のときが近づいて います。穏やかに見送りたいです。助けて下さい。

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闘病していた母親が亡くなりました

母親が闘病中から話を聞いて頂いて、少しでも母親の側に居ようと心がけていましたが9月頭母親は亡くなりました。 母親が亡くなってからは、長女という事もあり、喪主や手続きに追われまだ泣く間もありません。 母親が入院していた時は、娘を連れて毎日病室に行っていました。 母親の側に居る事、身体をさする事、私に出来そうな事はして来たつもりでした。 ある日、血圧が下がり急変する可能性が高いと主治医から説明がありました。 その日は1日いつもと違う様子で、私は母親が死んでしまう恐怖・親孝行できていない申し訳なさから泣いてしまいました。 すると、母親は「泣くな!大丈夫!」と大きな声で私を励ましてくれました。 それまでしんどくて一言も話さなかったのに… 一番辛い母親に心配をかけ、励まされ… そんな母親の愛情がすごく心に突き刺さりました。 その次の日の朝母親は亡くなりました。 最後まで心配をかけてしまいました。 明日また来るからなって病室を出ようとした時「また明日」と言った母親が頭から離れません。 太陽みたいだった母親が居なくなってしまいました。 いつも味方だった母親が居なくなってしまいました。 来月に生まれてくる男の子を楽しみにしていた母親が居なくなってしまいました。 少しずつ覚悟していたつもりでしたが、すごく辛いです。

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死産

初めまして。 ふくと申します。 この度、こちらのサイトを知り投稿させていただきます。宜しくお願いします。 32週での死産 初めての妊娠です。 入院中、不安でたまらなく姉に電話をしました。 姉は妊娠中に何かと寄り添ってくれていましたから、甘えたい気持ちからでした。 しかし、会話の流れから険悪になってしまい、悲劇のヒロインぶりやがって、命を軽くみている、死ね、と言われてしまいました。 姉とは昔からの確執があります。 私の実家は兄が精神疾患からくる家庭内暴力があり、姉は逃げる形で結婚し家を出ていきました。数年後、姉が兄に喧嘩をふっかけ、兄が怒り行動したことが警察沙汰に。 私はというと、24時間寝る間もなく、対応に追われていました。 兄は父、母にも怒りを感じており、母は遠方の知り合いの所へ避難。父は元から姉と私を比べており、私への愛情はなかったため、精神を崩した姉の所へ見舞いに行く日々を送り、兄は私に自分のしんどさを毎日時間も関係なく電話してくる状態でした。私は強い孤独感を感じました。 そんな中で、姉は旦那さんと子供と気分転換にディズニーランドに行っていました。 かなり腹が立ち、私は姉をすごく責めました。私は姉を責めてしまった罪悪感から自傷行為をした傷がまだ残っています。 また、ストレスから精神を崩し、仕事も辞めました。 日々を過ごすうちにお互いの気持ちも落ち着き、それなりに関わっていたのですが、今回の電話で、過去の事が一気に蘇ってしまいました。 死産を経験し、これは意味があるはずだ。 私が死んだ時に胸を張って我が子に会える人生を送ろう。 そう思って頑張る気持ちがある反面、姉の言葉が引き金となり、心が乱れてしまいます。 私は生きる価値がないから赤ちゃんもダメだったのでは。 私が粗悪品だから、父親の愛情も貰えなかったし、赤ちゃんもダメになったのか。 自分を責めてしまう気持ちが強く出てしまうと同時に、姉や、父親、兄など家族にも怒りや理不尽さを感じてしまいます。 それでも、各々良いところもあるので、みんな笑顔で幸せになって欲しい。 兄はまだ不安定な時が多いので、ある程度の距離が必要ながらも、見捨てることもできません。 人を責めている自分が卑しくて嫌です。 どのようにしたら、真の意味で許せる人間になれるのでしょうか。 拙い文章で失礼しました

有り難し有り難し 23
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職場がつらいです。

失礼いたします。 気持ちの整理を兼ねて、正直に書かせていただきます。 つらくてどうしたらいいかわかりません。 職場がつらいです。女性の少ない職場で、仲間も友達もおらず、尊敬できる人も少なく、しかもどんどん減っていきます。 とても意味を感じられない仕事をただ自分を騙して続けています。 最善を尽くそうと、できるだけいままで手は抜かず、効率の向上は図り、欠勤はせず、服装やデスクのお掃除、笑顔を欠かさないでやってきたと思っています。 小さな我慢から、ショックで声も出なくなることまで、理不尽や思い通りにならないことがついに積み重なり、ただ孤立無援で死ねと暗に言われ続けているような気持ちが立ちふさがり、今や真っ暗で何も見えなくなりました。 私は生涯こんな風にゴミみたいに報われることなくここで終わってしまうのでしょうか。 情けない心です。しかし今まで通りにプライドでそれを否定しても、つらい気持ちが募るばかりで、余計みじめになっていきます。 もちろん努力が認められたこと、感謝されたこと、尊敬すべき人、うれしかったこと、成長したと思えることはあります。 しかし今では心の無い言葉一つでもう動揺して涙があふれて死にたくてなりません。 私は何かがおかしいのでしょうか。決して受け入れられることなく、認められることなく、信頼できる仲間や友人に生涯迎え入れられることなくこのまま終わってしまうのでしょうか。 そう思うと、怖さと、気持ち悪さと、絶望感で噎せ返って耐えられなくなります。 明日も明後日もその先もずっとこんな気持ちの繰り返しだ、もう駄目です。 本を読んでも休んでも職場に行くとすべてがたやすく逆戻りしてしまいます。助けてください。

有り難し有り難し 12
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輩(やから)にからまれてしまいました

自分にも悪い点があったのですが。 先日、少し早めに出勤しようといつもより少し早く家を出て、最寄駅の近くにある駐輪場にいつも通り自転車を止めようとしたときのことです。早朝5時台のことです。 駐輪場の手前で前に男性が歩いており、足元の鳥を追い回していたのでベルをならしてどいてもらおうとしたところ、こちらを向いて薄笑いをうかべて「なに?」と言って寄ってきました。その時点でまずい相手だと思ったのですが、なぜかここで怯んでしまうと相手の思うつぼだと思ってしまい、自転車を降りて相手と対峙してしまいました。 相手が体を押し当ててきて「で、何?」と言ってきたので、こちらもつい体で押し返してしまったら、「お?押すんだぁ」と言ってきて、「いいよ。とことんやろうよ」「こじれるところまでこじらせようよ」と楽しそうに言ってきました。 そこに来てようやく「すみません。自転車を留めたいんです」と私が言ったところ、「自転車を当てた」といいがかりをつけてきて、「名前を教えろ」、「年はいくつだ」、「お前がどれほど頭がいいんだ」と言われ、私が余計なことをしゃべらないように黙っていると、「俺は何でも言えるぞ、俺は40歳で、中卒で・・・」としゃべり続け、「いいよ、警察呼べよ。ここでなにがあったか監視カメラで全部録画してるからな」といってきました。(実際カメラがあったかどうかは定かではないし、撮られて困るようなことはしてないと思います) 埒が明かないので、私が110番通報して事情を話している間、「電話を貸せ」と携帯を奪おうとして来たり、頭をつかんだりしてきました。 しばらくして警察の方が到着して、別々に事情を聴かれたのですが、警察の方に「自分からトラブルを引き起こすようなことをしたのではないか」「彼をどかさなくても他に留めるところはいくらでもあるのに」と指摘され、そこで初めて自分の不用心さに気が付きました。 どういう解決を望んでいるかと聞かれ、和解をしたいと伝えて、私が相手方に謝ることになったのですが、相手は取り付く島もなく「終わらせねえからな」と警察の仲裁を遮って同じことを言い続けていました。最終的に警官の1人が「もういいでしょう」と言って私を開放してくれたのですが、その後、なぜ避けなかったのか、なぜ対抗してしまったのか、なぜもっと注意しなかったのかと後悔し、今でもそのことが頭から離れません。

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心の整理

私は大学生で、ミュージカル科の大学に通っていました。入学してからすぐ、周りの人達の舞台に立つ!と将来にかける思いがすごくて、明るくてかわいい人ばかりで、私は圧倒されて自信を失い、初めて挫折を味わいました。 「学校に行っていても生きている心地がしない。でも、自分が決めた道なんだから学校に行かなきゃ」という思いで、必死に毎日通っていました。 しかし気付いた時には、朝起きたら体が動けなくなるほど心は病んでいて、病院に行ったらうつ病と診断されました。 私は、ずっと宝塚が好きでした。特に宝塚の男役さんが大好きで、もっと背が高かったら宝塚受験して男役さんになりたかったなぁと思うほど憧れています。でも、それは叶わない夢で終わり…。そんな時に思ったのが、「歌と踊ることは好きだし、ミュージカルも見るの普通に好きだし、将来ミュージカル俳優になるのがいいかも。」という考えで、大学を選びました。そんな考えは甘く、今まで気付かなかったのですが、私はミュージカルが好きなのではなくて、宝塚が大好きなんだと大学に入ってから気付き、また自分には通っている大学の環境が合わなく、退学することを決意しました。 ある日、私が好きな宝塚の男役さんに見た公演の感想とともに、少しだけ大学について悩んでいることをお手紙に書いて送りました。 すると、その方から頑張って!と長文で励ましのお手紙を送ってくださり、それが嬉しくて嬉しくて。。でも、私はお手紙をもらっても、もう大学を続ける気力はなく、退学することになって、その男役さんに申し訳ない気持ちでいっぱいで、これからどんな顔をしてお会いすればいいのか、わからなくて、、考えると胸が苦しくなります。 SNSでも、他の友達はたくさんの友達と遊び、毎日充実しているように見えて、私なんか友達と呼べるのは2人ぐらいしかいないし、アクティブに遊ぶことが苦手で、それに大学を途中でやめる自分が情けなくて、自分が虚しく感じます。 母には、違う大学に行って資格を取ったり、いろんな経験をして、大人になってもらいたいと言ってくれました。大学を辞めれて良かったと思うのですが、本当にこれで良かったのかと思う自分が少し心にいて、胸が痛みます。でも、次の新たな一歩を踏み出さなくてはならないので、気持ちを整理したくここに相談させていただきました。何かアドバイスがあれば教えてください。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 3
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影でコソコソ笑う人

私は田舎のとある短期大学に通っています。 コースがいくつかに分かれており大学といってもどこか高校のような雰囲気です。ほぼ全員女性です。 この学校では人前に立ち、プレゼンテーションをする事やいろいろな人と話し、コミュニケーション能力を上げる事に力を入れています。 その際に発表をする人を影でバカにしたり笑ったりしている人がいます。内容としては、顔立ちが良くないだとか、服装がダサイだとか、主に言ってるその人たちとあまりかかわり合いの無い、真面目で大人しい人ばかりをターゲットにしています。 私は愕然としました。私のいた高校ではこのような事は一切ありませんでした。 私も時にその標的になることがあります。 私はそんな人を気にする方が負けだと思いあまり気にしないようにしていました。 しかし、彼女たちは先生の前では高評価なのです。明るくハキハキしていると先生には見えているのかも知れませんが、私はそれが悔しくてたまりません。 方や悪口を言って楽しんでいてどうしてこちらは何もしていないのに傷つけられなければいけないのか。きっと言い返したらスッキリするかもしれませんが少人数のコースでそのようなことをすれば雰囲気を乱してしまうので我慢しています。 自分より立場が弱いと勝手に決めつけ、人をバカにして楽しむなんて悪趣味極まりないのは分かっていますが心が乱されない訳ではありません。 このような人に対してどのように心の整理をすれば良いのでしょうか。 まとまらない文章で申し訳ありません。

有り難し有り難し 21
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猫と犬に謝りたいです

犬と猫を供養してやりたいです 昔隣の家に子犬がいたのでよく遊んでいました。それと同時に踏んだりもしていました。それを繰り返していたらある日姿を見かけなくなったので朝その家の人に聞くと死んでしまったと言ってました。あの時なんとも思わなかった自分が腹立たしいです。あの夜どれだけ苦しくてどれだけ助けてほしかったか…踏んだりしてもまた尻尾を振って甘えて来てくれたあの顔を思い出すと本当に苦しいです 猫を殺してしまった事もありました。 野良猫にご飯をやってたら住み着いて親が追い出せと言いました。仕方なく追い出そうとしましたが中々追い出せなかったのでイライラしてしまい資材置き場に潜ったところで木を詰めて出られないようにしてしまいました。 あれからどうなったかは分かりません。気にもせず確かめようともしませんでした。何とか脱出できたのかそれとも死んでしまったのか… 出られなかったのなら私を恨みながら空腹のまま死んでしまったんだろうなと思ってしまいます 今飼っている猫を世話していても「あの二匹を殺しておいて自分は世話する権利なんかあるのか…死なせておいてのうのうと生きていていいのか…」といつも思うんです。 病気になって人間関係も上手くいかないのは自分があのような事をしてしまった罰なんじゃないか あの子達のせいにしたくないのに何だか頭のどこかでそうしようとしている自分がいてすごくムシャクシャしてしまいます。 今飼っている猫の顔を見るとあの二匹の顔がいつも浮かぶんです どうしたらいいか本当に分かりません。この気持ちをどうにかしたいです。 出来れば「あの子達に死なせてしまって御免なさい、優しくしてあげれなくて御免なさい」と言いたいです。 供養したほうがいいのでしょうか?そうであれば供養の方法を教えて欲しいです。 長文申し訳ありません

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ごめんなさい。それでも世界が恐いんです。

最早毎度のこととなってしまいますが、頂いた御回答について上手く飲み込めず、新規質問として失礼させて頂きます。誠に申し訳御座いません。 絶望に閉じた精神状況は少々落ち着きましたが、戦争や災害の恐怖は未だ現実的な雑念としてあり、収まりません。 未来は見えない、その時まではわからないから「今、ここ」に集中する。希望が見えないのは自分が見ていないからである。色眼鏡をかけている自覚はあります。少しずつ、外そうと試みています。 しかし、危険性は「現実」のものとして存在しているとも思ってしまいます。 これまで、数々の凄惨な「現実」がありました。私が恐れているのはその繰り返し、あるいはそれ以上の悲劇です。 これまで沢山の人々が、悲劇を避ける為に、被害を抑える為に懸命に生きて来ました。それでも災害、戦争、テロ行為による犠牲は無くなりません。私もいずれそのような死を迎えることを覚悟しなければならないような気がします。 私はただただ、あらゆる痛みが恐ろしいのです。痛みを恐れて生きることを拒絶しようとしました。懸命に生きていても、唐突に何かによって命や健康が奪われる。それがあまりに恐ろしく、悲しいのです。 本当はこの世界は安心してして生きていられる場所であると信じたいのです。どうにかなる、大丈夫だと。しかしその根拠は見つからず、むしろ絶望的な根拠ばかりが目立ちます。恐らくはこれも色眼鏡。 内臓が破裂し、鼓膜が破け、眼球が潰れ、絶えず血を吐き、全身が焼け爛れる痛みを、今日と同じ明日が奪われる悲しみをある日突然もたらされたとしても、自分の気持ち次第で極楽といえるでしょうか。今いる場所が突然焼け野原となるという前提で、今の仮初めの平穏に感謝しながら、今できることに集中すれば良いのでしょうか。それが恐いと、ここに吐き出してしまっても許されるのでしょうか。 通り過ぎれば下らないことで苦しんでいたのだと思う日が来ると思います。害されることなく生きて、無事にその日が迎えられることを願います。

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