怖くて死ねないのですがどうすればいいですか
自分は、親の死が怖く、ついついそのことばかり考えてしまいます。来せいでも会いたい人に会えますか?あと死後の世界はありますか?
去年亡くなった愛犬と仲良しだった愛猫が後を追うように病気で亡くなりました。 愛猫は愛犬に会えたでしょうか? 今はもう苦しんでいないでしょうか? そんなことは誰にも分からないことは 理解しているのですが、 心配でしょうがなく、 とても苦しいのです。 この苦しみはどうしたら 和らげることができますか? また、私は学生時代から 自殺願望があり、一時期自殺未遂で 入院したりしていましたが、 現在は立ち直り、一点を除けば まあ普通に楽しく生活しています。 私は飼っている動物たちを みんな看取ったら 死のうと思っています。 そのことについて自分的には 悲しいことだとは 思っていないのですが、 周りの人には理解されません。 もっとも愛する両親を遺して逝くのは あまりに酷い仕打ちだとは思いますが、 両親が天寿を全うするまで この世に留まるのは 私にとってとても苦痛です。 その理由が先ほど述べた 「ある一点」なのですが、 自分の死は怖くないけれど、 愛する人たちの死が本当に恐ろしく 毎日怯えてしまうのです。 例えば家族が出かける前に 「気をつけてね」と言わないと 事故に遭うんじゃないかと 帰ってくるまで不安で ソワソワしてしまいます。 まるで自分で自分に 呪いをかけているようで、 解き方がわかりません。 精神薬や精神科医では 解けませんでした。 そういうことの繰り返しに 疲れてしまいました。 なので、愛するペットたちをみんな 看取ったらもう終わりにしたいのです。 自分の死に時を自分で決めることはそんなに悪いことなのでしょうか。
尊敬する大好きな恩師が亡くなって2年。 病気と余命宣告を同時にされる3ヶ月前まで夢を語っていた恩師。半年後に亡くなりました。この現実を受け入れることは出来ません。人はいつか死ぬと分かっていたし、元々敏感な方でした。でも、病気と余命宣告を同時にされる3ヶ月前まで恩師は夢を語っていました。なのに3ヶ月後には夢を諦め死に備えて身辺整理。恩師は自ら余命を聞き、身辺整理をし弁護士に遺言の立ち上げを頼みました。そしてもし自分が死んだらあなに貰った手紙を棺に入れるよう息子に頼んでいいかと聞かれました。妊娠中の私は、促進剤を入れる前に恩師に会いに行ってから出産しました。恩師の危ない状況を聞き、2日退院を早め、その足で恩師の元へ行きました。意識が朦朧としていたけど、頷いてくれました。そしてその日に亡くなりました。産後2日目のことで、痛みを抑えながらお葬式へ行き、自分の手で手紙を入れました。それからは子育ての日々。衝撃的な事で、受け入れる時間もなく今日まできました。あんなに夢を語っていた恩師が亡くなったことで、人の死は無条件に突然訪れるものなんだと初めて強く実感しました。普段は忘れているけどいつも死と隣り合わせなんだと。それから生きるのが怖くて、家族を失うのではないかと不安です。だから後悔しないために、常に最悪の状態を考えています。今車が突っ込んできたらこの位置は危ないとか、もしあの看板が落ちてきたら危ないから走ろうとか。父の癌を早期発見したのも私で私が家族の命を守りたいという気持ちに苛まれています。もし家族の誰かが倒れたら誰に119番を頼んでAEDを誰にどこから持ってきてもらうかなど常に頭でシュミレーションしています。それでも人は死ぬのでこの行動が全て結果になるとは思いません。もっと楽しく生きれる人が生まれたらよかったのに。死の恐怖に潰されるくらいなら最初から無でよかったのにと考えてしまいます。でも、恩師とこの世で出会えた事、恩師と過ごした時間は私にとって最高の宝物です。今までもこれからもずっと私の大切なかけがえのない時間です。恩師が亡くなってから悩んだりしても、自己解決できるようになりました。恩師の教えがあるからです。でも恩師が亡くなったことや受け入れられないこと死の恐怖に関しては悩んだままです。きっと恩師の死は私に与えてくれた最後の課題なのです。どうかアドバイスいただけませんか。
お世話になっております。 以前より、死の恐怖が強い事について相談している者です。 今回は、坐禅会に行く事以外の方法で、無意識下の死の恐怖と生きていることの気持ち悪さを抑制できる方法があれば教えて頂きたく質問致しました。以下、詳細です。 自分の不安一つ一つに暖かなご回答を頂き、今は「頭でっかちになりすぎず、坐禅会などを通して身体で仏道を学ぶ」ことを教えて頂き、実践したいと思っていました。 しかし、多忙のあまり、一度も坐禅会に行くことができていません。また今後も、先1〜2ヶ月ほど予定が詰まっています。 にもかかわらず、死の恐怖がまた、日に日に強くなっています。特に睡眠後一時間程度で、本当に急に「私は私の身体から逃げられないのだ、いつか死ぬ、死んだらどうなるか分からな、死ぬ現実から逃れられない」と思い出し、自分の叫び声で目が覚めます。夢現のせいで、意識的に考えないようにすることができないため、本当に毎日起こり、それが怖くて眠れなくなり…の悪循環です。これが2〜3ヶ月続いていて、心身ともに参っています。 空き時間に、お薦めしていただいた本を読んだりyoutubeを見たりはしていますが、それを観ている時は少しだけ心が落ち着くのですが、夢現の時の恐怖は抑制できません。お念仏も同様です。また、お念仏の動画を流しながら寝れていた時期もあったのですが、最近はお念仏が切れるとむしろ起きてしまうようになったため、こちらも上手くいきません。 毎日死の恐怖を嫌でも思い出すので、昼間も、自分の手が一人称視点でしか見れない事にふと気がついて、いつか消滅する身体や、死そのもの、それに伴う記憶の消失を強く自覚し、生きているのが気持ち悪く、恐怖で叫ぶ…といった具合に、「生きている事」も肯定できないのです。だから、生きているだけでつらいです。 前置きが長くなり申し訳ございません。 上記したような状況から、少なくともあと1〜2ヶ月ほど、適切な坐禅会などに参加できない中で、「睡眠時の無意識下の恐怖」と「昼間の生きている事の気持ち悪さと恐怖」を少なくする方法について、アドバイスを頂きたいです。 お時間ある時で構いませんので、ご回答頂けますと幸いです。よろしくお願い致します。
いつも過度の不安や恐怖を感じて生きています。 病気、感染症に対する不安や恐怖から、外出することを躊躇してしまいます。 健康診断は受診の数ヶ月前から不安になり耐えられなくなります。不安に耐えられなくなり、自死を考えたり、検査の一部を拒否したりしてしまいました。 また、性行為も性病が怖くて不安になってしまいます。 自分のことだけでなく、友人や家族にLINEを送付した際に既読にならないと、何か事故や病気になったのではないかと不安になってしまいます。 人生が全く楽しめていないような状況です。 仕事に関しても失敗を考えてしまい不安や恐怖から実力が発揮出来なかったりします。 常に襲ってくる不安や恐怖のためにやりたかったことが出来ず、人生を大損してしまっていると思います。 やりたいことはたくさんあります。 どうすれば、恐怖に打ち勝ちやりたいことができるようになるでしょうか?
ご閲覧ありがとうございます。 数年前くらいから、寝る前に毎回死ぬことを考えてしまい、自分の存在が消えて無くなるのに怖くなります。日中考えることもあるのですが、夜ほど怖くなりません。 家族に相談したらそんなもんだよ、と言われて、その時はそんなものかと捉えるのですが、夜寝る前に死ぬことをまじまじと想像すると、怖くなります。 死ぬことを考えるのは生きる意味や人生を考える上で大切だという考え方には賛同しますが、死ぬのは怖いです。まあ、そのおかげで今は一生しかない人生を自分のやりたいように、生きていけているのですが…。 どうしたら死を受け入れられますか?ちなみに、私は職業や性格柄、今まで自分の世界に没頭し続けて来たせいか、宗教に無頓着です。最近は宗教に興味が出てき、宗教の教えを知ることで死ぬことを克服できるのかな…とも思いますが、どうでしょうか…。 ご回答よろしくお願いいたします。
はじめて質問いたします。 先日、祖父が亡くなりました。 小さい頃たくさん遊んでもらった楽しい思い出ばかりが思い出され、祖父のことを考えると涙が溢れてきます。 亡くなった顔がとても綺麗で、綺麗すぎて、ああもう違うところへ行ってしまったんだ、と思いました。 もっと会いに行けばよかった、自分の名前を呼んでほしかった、と後悔の思いがあります。 ただ、闘病、介護生活が長かったため、祖父も大変だったろうな、ようやくゆっくりと休めて、自由に動けるのかなとも思います。そう思いたい気持ちもあります。 しかし、祖父にもう会えない、と思うと信じられないし信じたくないと思ってしまいます。 また、祖父の死から、自分にとって大切な人たちにはいつか亡くなる日が来てしまうんだ、そして自分は今後それに向き合わなければいけないんだということを実感しました。 でもそんな日が来るのがとても怖いです。昔に戻りたい、と思ってしまいます。 それでも時間は進みます。しっかりと向き合っていかなければならないと感じます。 どうしたら人の死を受け入れられるのでしょうか。
先日、母の自殺の件で相談した者です。その節は、アドバイスをありがとうございました。 母に対する後悔、そして感謝の気持ちを忘れることなく、前を向いて生きたいと思います。 ただ、どうしたら前を向けるのかわかりません。 わたしは精神疾患です。そのため、希死念慮に襲われたり、人が怖くて外に出られなかったり、抑うつ状態になったり...もう2年近く、日常生活に支障をきたしています。 もちろん、自分にできる最善は尽くしています。でも、精神疾患の症状が和らぐ兆しが見えません。いつまでこの状況が続くのか、生きている意味はあるのか…と不安ばかりが募ります。「前を向く」とはほど遠い状況です。 母は生前、こんなわたしに対して「どんな状況も受け入れて、最善を尽くせるあなたのことを尊敬する」と言ってくれました。「元気になって、またお出かけできるようになるといいね」と常に願ってくれました。 それなのに、不安が大きすぎて母の想いや願いを忘れてしまいそうです。 母が突然いなくなった現実に向き合うだけで精一杯。朝起きるだけでも精一杯。”今”に必死で、趣味や好きなことを「たのしい」と思う精神的な余裕すらない状態です。 また、心に余裕がないせいか、ちょっとしたことでイライラしてしまいます。 このままだと父(今は父と2人暮らしです)に八つ当たりをしてしまいそうです。母に八つ当たりしたことを後悔しているのに、同じことを繰り返しそうな自分が怖くて仕方がありません。 家族に気を配ることができず、「ああ、今日も冷たい言い方をしてしまった」と反省ばかりしています。 亡き母のため、一緒に暮らす父のため、そして自分のために前を向きたいのに、それができません。 病院にも通い相談していますが、お医者さんやカウンセラーとは違う観点からも智慧をお借りしたいと思い、再び投稿いたしました。 アドバイスをいただけたら幸いです。よろしくお願いいたします。
私25歳、妹23歳、両親64歳です。 社会人で一人暮らしを初めて両親の有難さに気づきました。 長年の不妊治療の後産まれた私は何の取り柄もなく、今までの迷惑と心配をかけてきた申し訳なさもいっぱいで、日々両親の健康と幸せを願うばかりです。 実家に帰るたびに、両親の白髪の多さや縮んだ背丈など、老いに気づく場面が多くなりました。ぱっと思い浮かぶ両親の姿は、背が高くて見た目も声も若い昔の姿です。ランニングが趣味だった父も「すぐ疲れる」と外出が少なくなりました。「私が死んだら食器あげるわ」「次元号変わるときはもう生きてないわ」と笑顔で話す両親の会話でも泣きそうになります。そうやって老いて死に近づいていく状態をみるのが辛いです。 昨年祖母が亡くなりました。身内の死は初めてです。 今でも祖母に会いたいと一人で泣くこともあり、祖母も祖母の家もなくなって悲しく寂しいです。 恥ずかしながら、祖母の死で改めて家族の大切さや感謝を感じました。 祖母が亡くなってこんなに悲しいなら両親が亡くなる時、受け止められる覚悟はできるのか?もし結婚して自分の家庭を持っても両親のいない長い人生を生きないといけないのか?と思ってしまいます。 「誰も死んでほしくない。健康のままずっと生きてほしい」と子供みたいに、大切な人が死ぬという現実から逃げたい気持ちでいっぱいです。 命に終わりがあるのはわかってますが、家族の死にどう向き合って立ち直ればいいかわかりませんし、受け止められる覚悟ができません。 両親が死んだらきっと悲しみで気が狂うだろうから自殺したい。でも大好きな妹のことを思うと自殺もできません。 また、介護施設で認知症の方の対応をしていたのを思い出し、両親が認知症になって私や妹ものことを忘れたら…という怖い気持ちもあります。 どうやって大切な人の死を受け入れて乗り越えたらいいのでしょうか。
こんばんは 以前御相談させていただいた時から、2年ほどが経ちます。 とても心が救われたのですが、あれから広場恐怖症になりました。 突然電車に乗るのが怖くなり、エレベーターが怖くなり、酷い時には閉められた車の中で人を待っているのが怖くなりました。すぐに出ることができない状況がどうしようもなく怖くなりました。 そんな広場恐怖症が少し落ち着いてきた矢先に、次は体調の変化が急に怖くなり、病気や死に対する漠然とした恐怖で頭がいっぱいになりました。少しでもどこかが痛い、違和感があると病院に駆け込む日々でした。 それもこの1年ほどは落ち着いていたのですが、また1週間前から再発です。 きっかけは腕のしびれ、痛みが出たことから。1年前と同じく、インターネットで自分の症状を調べては怖いものばかり見て落ち着かなくなる一方で、今回も病院に駆け込みました。 結果は心配しているものは特になかったです。 ただ採血の結果で、「少しこの数値が気になるかな。問題はないと思うけど。」と言ったお医者様の言葉が次は頭から離れず。 もともと私のやりたい放題の生活で、肥満になっており、このことがきっかけで生活習慣改めなきゃ。となりましたが、1つ解決したら次の病気を怖がり、自分自身とても疲れてきています。 長くなってしまいましたが、アドバイスいただきたいことは1つ。 どのような考え方を持てば、毎日を笑顔で過ごせるようになるでしょうか。 私は27歳です。これからの人生、色々なことがあると思いますが、仕事に趣味に恋愛に、余計なことを考えずに一瞬一瞬を楽しみたいのです。確かに健康に対する注意は持ち続けなければいけないことは分かっています。でも今それが頭の中の全てを支配し、恋愛も仕事も手につかなくなっています。まだなにも分からないことに怯えて、不安な気持ちだけで1日を過ごしたくないのです。 どのような考え方で生きれば、楽になるでしょうか。
漠然と死にたい気持ちがずっとあります 子どものころは誕生日を迎えるのがこわかったです 歳を取るのは死に向かっているんだと思い、1分1秒と自分が年老いていくのを怖いと感じていました 今は昔ほど恐れを感じにくくはなりましたし、彼と出会って、彼と生きたいと思えるようにもなりました それでも死にたい気持ちはなくなっておらず、こんな気持ちを抱えたままでお付き合いをして、彼に失礼じゃないのかと思っています この思いはなくならないのでしょうか こんな気持ちを抱えたままでお付き合いして、彼は迷惑ではないでしょうか 彼にこれを伝えてなお、一緒に生きようとは言ってくれましたが不安でたまりません
身近な人の死が怖く、環境が変化することがとても悲しいです。 人はいずれ老いて亡くなることは、自然なことだと理解はできますが、そのことを考えるだけで辛く悲しく涙が出てしまいます。 今を大切に生き、楽しく生きたいと思いますが、どうしても、いつかいなくなってしまうんだと思う気持ちが強く心を蝕めています。 どうか、少しでも心が軽くなる言葉をいただけたら幸いです。
こんにちは。私は自分の心の弱さについて悩んでいます。その中でも特に2つご相談したいことがあります。 まず1つ目は、父方の祖母が亡くなってからのことです。 祖母は末期癌で1ヵ月で急に亡くなってしまいました。 しかし、いざ葬儀をやると、会う回数が少なかったこともあったのかもしれませんが、お恥ずかしいことに「悲しい」という気持ちより「怖い」という気持ちの方が強かったのです。 そこから、異常に死を恐れ、自分や家族の体調を気にするようになり、一時期は皮膚がんを恐れて何度も皮膚科に通ってしまいました。それ以降も自分で自分を追い込み、未だに不安がよぎるときがあります。 2つ目は、アルバイトで商品に穴を開けてしまったとき、穴が開いているということはすぐ伝え、店で使う。ということになったのですが、結局自分が不注意で穴を開けてしまったということを伝えられませんでした。言う勇気が無かったのです。 そこから、「なぜ、自分が開けたことを言えなかったのだろうか。弁償すれば店は損にならなかったのに。」と罪悪感でいっぱいです。 そこから、「何か罰があたるかもしれない。」「恐れていた病気になるかもしれない。」と考えてしまいます。 1つ目も2つ目も悪いのは自分です。だというのに、結局「罰があるかもしれない」と思ったりして不謹慎だし、本当に心が弱いと思います。 この2つの悩みが今一番私の心に重くのっています。私はどうすれば、この2つの悩みと付き合っていけるのでしょうか?どうすれば勇気が持てますか?
幼少期から今まで腐れ縁のように続いてきた友人がいます。普段は連絡も少なくたまに合えば楽しいという関係ですが、年に1から2回ほど「死にたい。」「もう生きていたくない」と言った内容の連絡が来ます。それがもう10年以上になります。 初めのうちは拙いなりにあなたが大事だということ、居なくなったら悲しいこと、もう少し頑張ってみないかという事を何時間もかけて話していました。でももう10年です。私の心が限界です。正直、その通知が来る度辟易としてもう助けなくていいかもと思うようになっています。10年声を掛け続けたけど一向に治らない友人の希死念慮に、どうせまた死なないくせにと思う自分がいます。 でも、もう嫌だと突き放して縁を切ってしまったその時に本当に友人が死んでしまったら私は一生後悔し続けると思います。それが怖くて何も動けません。私は、これから先も声を掛け続けるのが正しいのでしょうか。
私は考えることがやめられません。ありもしない、まだ来るはずのない未来を思案して憂鬱になります。 例えば、今飼っている猫の死や友達との別れをよく考えます。 昔から死や別れなどに過剰に感情が反応してしまい、どこかおかしいのではないかと思ってしまいます。 その人やその動物の人生が終わったその後この世に何も残らない、動物や私よりも年の小さい子の死に対してなぜ救えなったのかなぜ自分じゃなかったのかとも考えます。おかしいですよね 昔母に誰かの不幸を自分に置き換えるなと言われました 自分でも関わりのないところまでなぜ思案して涙を流すのかわからないです。そして、苦しいです。 私の心が弱いだけなのでしょうか
希死念慮に苛まれています。 私は恵まれていると思います。 両親、兄弟は健在で仲も良く 友人にも恵まれており 楽しいと思える日も過ごせています。 ですが、数年前から双極性障害と言われました。 元々、根暗だったのを「こんな考え方良くない」とポジティブに振る舞ってきましたが最近では、ネガティブに襲われます。 親友に裏切られたこと 職場でいじめられたこと そこから人間不信になったこと お金もなくやりたいこともできず 生きてる意味ってあるのだろうか と考えても無駄なことを延々と悩んでしまいます。 そう過ごしているうちに 「死にたい」 と思う日が増えてきました。 ですが 「こんなに恵まれてるのに死ぬの?」 「死んで解決するの?」 「周りの人に迷惑かけるし、何より悲しむよ?」 「自分より辛い人はたくさんいるんだよ」 「自意識過剰、悲劇のヒロイン気取り」 と自責する思いと 「ツラい、消えてしまいたい」 「このまま引きこもって誰とも関わらずに朽ち果てたい」 「何も考えたくない、死んでしまいたい」 と自殺願望が 頭で渦巻いて、おかしくなってしまいそうです。 両親・兄弟には言えていませんが 友人は私の精神のことをある程度理解してくれています。 本当に恵まれてると思います。 みんな「大丈夫だよ」と笑ってくれます。 ここでお坊様の皆さまに相談しても、きっと「生きなさい」と言ってくださるのでしょう。 (仮に「死になさい」と言われたとて、動機がなければ死ぬ勇気はありません。) その言葉はとても嬉しい、温かいのですが 生きるのは苦しい、死ぬのは怖い。 その事実はいつも変わらず脳内を蝕むのです。どんな言葉を頂いても、このとても苦しくて怖い、生きながら死んでいるような感覚が消えないのです。 私はどうすればいいか分からない。 死ぬ決定打がないので死ぬことはできないままに、日々希死念慮に苛まれます。 生きることは楽しいこともありますが 基本、私にとって生きるとは苦しいことなのです。 私はどうすれば救われますか。 生きるか、死ぬか どちらを選べば幸せなのですか。 死ぬことに理由があれば死んでしまうことも許されるのですか。
お世話になります。 先日、職場で健康診断があり その結果を受け取りました。 驚くほど健康でした(笑) 昨年の健康診断では、悪い所が多く私は、 この分だと以外と早く娘の元へいけそうだと、ちょっと安心していました。 なので、まだまだ長生きしてしまいそうな、自分の身体に驚いています。 暴食も相変わらずなんですけどね…。 この世で生きるのは辛い。 だからといって、自死を推奨するなど、絶対にできない。 お坊様は、極楽浄土を信じておられますよね。 うちの娘も穏やかに過ごせていると。 お坊様は、早く極楽浄土に行きたいですか? それとも、どれだけ生きにくい世の中であっても、この世で長く生きたいと思われますか? 長く生きたい理由、ありますか? 私もどうやら長生きしそうです。 せっかくなので、生きてるうちに 何かしておくことがないか 長生き希望の理由をお聞きしたいです。
カテゴリーが間違っていたら申し訳ありません。 早速質問させていただきます。 最近、何故かとても死への恐怖を感じます。 私は中学生で五人家族です。 車での遠出もよくするのですが、その度にこのまま家に帰ることが出来なかったらどうしようと、怖くなります。 また、自分の死のみならず、母と父だけ死んで、兄妹3人だけで取り残されてしまったらどうしようと親しい人の死、そしてそれによって、自分や親しい人が悲しんだり辛い思いをすることが、とてつもなく怖いのです。 今も夜遅いですが、眠れずにこちらを頼りに来てしまいました。 数年前、母方の祖父が亡くなりました。 私が将来医者になって治してあげると約束していた祖父ですので、涙が今でも溢れてくることがあります。厳しくも優しい祖父でした。 祖父に残された祖母と、母と伯父がいます。 付き合ってきた月日も十数年の私や兄妹、いとこが大泣きをしていたというのに、長年連れ添ってきた三人は涙をほとんど、見せませんでした。それが不思議でならないのです。 祖父が嫌いというわけでは決してないと思うのです。祖母はほとんど病院にいましたし、母や伯父も週に1度は私たちを連れて見舞いに行きましたから。 大事な人がいなくなってしまって、何故あんなに冷静で強いのでしょう。 いつかまた会えると信じているのでしょうか。 長々と申し訳ありません…もう少しお付き合い下さい… 私は大事な人を失うのが怖いです。大事な人の辛そうな表情なんて見たら、こっちが死んでしまうと思います。 死んでしまったらどんなに楽だろうと思ってしまったことも何度もあります。 でも思いとどまれたのは、恐怖心もありますが、なんと言っても、同じく自分を大事に思っている人がいると思ったからです。 その人が悲しんでしまうと思ったからです。 質問させていただきたいのは、周りの人たちは、大事な人を失った悲しみを受け止められていましだが、大事な人を失いたくない、悲しませたくも苦しませたくもないという私は、もしも大事な人を失ってしまった時、どうすれば良いのでしょうか。 最後に ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。 至らない点も多々あり、読みにくかったと思います…申し訳ありません… 質問の意味も曖昧ですが、ご住職さん方、ご教示お願い致します。
小学1年の息子が夜になると死にたくないと言って泣き出します。 詳しく聞くと自分が死ぬことだけでなくパパやママが死ぬのも嫌で 一人になるのが嫌だとのこと。 「新しい命が生まれる為にいつかは死ぬんだよ」と説明すると 「どうせ死ぬなら皆で一緒に死にたい」と言ってきます。 でも、自殺は天国に行けないからどうしらいい?と聞いてきて困っています。 今はとりあえず「死ぬのはまだ先のことだから大丈夫」と言って落ち着かせますがそれ以上良い回答ができません。 息子が落ち着ける助言をお願いします。