2023/07/22忍辱と我慢の違いについて
過去に相手方の勘違いにより誤った認識をされ、周囲に後ろ指をさされてしまう様な出来事がありました。
此方としては、実際に確認されればその場で誤った認識による部分は訂正し真実を伝えるつもりでしたが。
相手方と仲のいい方たちは『○○さんが言ってるし』とか『自分の認識や考え方と同じ人(仲間)も周囲にいるし』ということから、『事実確認』をせずに誤った認識をして、批判され続けたことがありました。(心理学でいう所の確証バイアスとエコーチェンバー現象そのものと言えるものなのですが)
此方としては『○○さんに○○された』とか『それ、嘘の情報なんだよ』等という訂正する内容を此方からペラペラ喋ることをせず、先に記した様に『確認して来た上で誤った部分に対して訂正する』気持ちのまま、なんだかんだで約10年近く経ちました。
仏教では『忍辱』という概念があると思いますが、『聞かれた時に“話す”為に説明できるよう準備をしておく』という行動は“忍辱”ではなく、単なる“我慢”になるのでしょうか。
(流石にこれ程長い期間、此方から主張できる“内容”があるのに、それを口に出さず白い目や悪い噂をたてられ、後ろ指指され続けるのに、少々疲れてしまいました)
この様な行動を取り続ける私は“忍辱の修行をしている”と言えるのでしょうか。
それとも、単に“自分勝手な被害者意識を持っている”だけなのでしょうか。
いい歳してこの様な稚拙な悩みを口にし、申し訳ありません。
そのうえで可能でしたら、何かお知恵を授けて頂けませんでしょうか。
宜しくお願い致します。
有り難し 7
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