父が昨年12月25日に、予期せぬ突然の他界。49日を終えた現在も、悲しみが癒えず立ち直れない。現在は、一人残った80歳の母を一人に出来ず、嫁、子供と元の生活に戻れず、夫婦仲も悪くなっています。 嫁からもいつまで実家にいるのかと言われています。これからどうしたら、よいのかわかりません。母は、一人で生活していくと言っていますが、誰もいない家にひとりでいると気がおかしくなると一人ごとも言うほどです。 母を一人に出来ないし、父からも母さんを頼むと言われたような気がしており、どうすればよいのか迷っています。それに、 父との突然の別れになり、親孝行をこれからしようかと思っていた矢先のことで、母を一人にしないことがせめてもの孝行だとも思っています。 また、私自身も父との思い出に踏ん切りがつかず、立ち直ることができず、何をしようとしても体が動きません。 一体これから、どうやって生きて行けばよいのか、不安だらけです。 アドバイスを宜しくお願いします。
ネットやテレビで殺人や災害、戦争などをはじめとした暗いニュースを過度に気にしてしまいます。特にネットニュースは不安を煽る記事が沢山あって考えるだけ無駄だと分かっているのにそれを覗いてはずっと暗い想像をしてしまいます。この癖をやめたいです。
無理心中したら一緒に死んだ相手と一緒にいれますか? 一緒にいれない場合はその相手はどこに行って私はどこにいくのでしょうか。 死後の世界を教えてください。
子連れ離婚して数年たち、激しい後悔に押しつぶされそうになっています。これまで仕事と子育ての両立に必死で、それ以外のことは何も考えられなかったのが、元夫に同棲相手がいると知ったのをきっかけに、突然今までの人生を振り返り、一気にいろんなことに気づきました。 私は過保護過干渉な親に育てられ、幼少期から常に親の顔色を伺い、親にとっての「いい子」でなくてはならない、という潜在意識が強烈に植え付けられていました。それは無意識下に深く内在化されていたため、自分ではそのことに気づかず、親の意向に沿う事が親孝行であり、沿わないことは親不孝であり人間として駄目なのだと思いこんでいました。だから自分の気持ちも分からず、親の言うことが自分の考えでもあるかのように錯覚して、親が元夫を悪く言うたびにそれが自分の気持ちかのように思い込んでいました。 自分の本当の気持ちは元夫を嫌いになったわけでもなかったし、離婚などする必要無かったのに、長い間、元夫にも嫌な思いを我慢させてきていたことに気づき、気づいた今なら本当の自分の気持ちに素直に、夫を大切にしていけるのに、もう二度とそれが叶わないと思うと絶望しかありません。 初めて死に方の検索もしてしまい、でも子どものことを考えて踏みとどまるのに必死です。子どもの前で普通に振る舞おうとするだけで精一杯で、毎日毎日息をするのも苦しいです。過去は変えられない、今を生きなければならない、とは頭では分かっているはずですが、近い将来子どもも巣立って行くことを思うと、本当に自分は一人きりだという喪失感と孤独を突きつけられ、絶望してしまいます。 生き続けなければならないとはわかっていますが、でも後悔と孤独と不安で苦しくてたまらず、どうすれば生きられるのかわかりません。いい年をしていつまでも真の親離れができないまま、大切にすべきものを蔑ろにしてきてしまった私の自業自得でしょうか。 一日一日が苦しくて苦しくて生きていける自信がありません。どうすれば生きられるでしょうか。
実母との関係に悩んでいます。 子供の頃、実母は私に過干渉で、私の意見は無視して私のためだからと、なんでも実母が決めていました。 また、暴力で支配されることもありました。 ピアノの練習で間違えたら30センチ定規で叩かれ、宿題をしなければ頬に強くビンタされたり頭を殴られたりしました。 精神的に苦痛な発言も多々ありました。 (〇〇という学校に進学したい、というとあそこは特技がないと受からない、お前は無理だ。など) 現在、私には1歳の子供がいます。 子供に対し、実母は「私の鼻に似ていて可哀想(実母がコンプレックスだと思っていること)」と言ってきたりして、非常に不愉快でした。 また、おばあちゃんと呼ばれることも嫌がっており(若く見られたいそうです)、それは受け入れてほしいという旨の話をしました。 その話の後に、子供には暴力を振るわないでくれと話をしました。 そうしたら、 「人を馬鹿にした発言。自分の子供には責任があるのでどうしてもという時にはぶったりもしたが、孫には責任がないのでそんなことはしない。がっかりした。」 と言われました。 私はこれを受け、非常にショックでした。 私は長年親から受けた暴力について悩んでいたのに、彼女の中では正当化されていたことや、孫には責任がないと言われたこともショックでした。 それに、馬鹿にしたつもりももちろんありません。ただ子供には安全な環境で育って欲しかっただけです。 がっかりしたのはこちらです。 わたしがうけた暴力は私に必要なものだったのでしょうか。 今すぐにでも縁を切ってやりたいと思いましたが、現在私は育休中で生活資金を援助してもらっているので、生活資金のために一旦何も返事をせず会話は終わりました。 今後実母とどのように接したらいいか全くわからなくなりました。 どのような心持ちで、どう接していけばいいでしょうか。
以下、上品な話ではありません。 性行為を目的とした「セックスフレンド」や不倫(愛人関係)。私や私の友達の数人は、そういう関係を経験しています。 私は、愛人からは貰う物は少しは貰ったから、「玩具になってあげた」過去にも割り切れます。 けれど、世の中には「ケチな男」がいて、彼らは甘美な言葉で女性を騙すのです。(結婚相談所で独身と偽ったり免許証を偽装するなど、あらゆる手段をとって何とかセックスに持ち込もうとする)そして、何の対価も支払わずにSEXをしようとする。 私にはセフレがいましたが、たまに後悔するんです。「無料の風俗嬢みたいな事をやるより、もっと上手く搾取すれば良かった」と。不倫をしていた友達も「既婚者に無料で相手になるより、お金を貰えばよかった」と話しています。 男は高価な風俗店に行かず、何の責任も負わずに射精をすれば「ラッキー」で済みますが、女性は妊娠のリスクがあります。そして大多数の女は抱かれると男に情が湧くという面倒事も抱えているのです。 そこに愛などはない刹那的な関係において、貰える物は貰う事こそが、くだらない過去を「割り切る」事に必要なのではないかと思うのです。 かつて私に愛人がいた時、ある人に「そいつが金を払うだけマシだ」と言われた理由が最近やっと分かりました。愛人と同じく刹那的な関係にあるセックスフレンドは、女性からすれば「損」だと思うのです。 日本には「売春防止法」がありますが、善良な大人がどう騒いだって、現実には売春も不倫もあるのが世ですし、これからもそれは消えないと私は思います。 また、売春防止法は「売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすものである」ことが基本的視点らしいですが、私からすれば、「何言ってるの?売春だから人としての尊厳を害すんじゃなくて、お金も含めて得るものがなかった時に尊厳が失われるんじゃない」と思います。 刹那的な男女関係を割り切るために、対価(金銭など)を得ることが、なぜ駄目なのですか?
昨日、実の姉から、私の旦那が姉の友達と飲みに行ったり、メールのやりとりメールの内容が二人で遊びに行こうなど、肉体関係を求める内容みたいです。 今まで、何回も浮気を疑う行動はありました。 でも、そのたび逆ギレ、怒鳴られ、浮気なんてやってないの一点張りでした。 普段は、旦那は私を馬鹿にしたように、言葉の暴力があります。 結婚した当初は、借金もあり二人で返そうと無我夢中で頑張って、借金も無くなりました。 震災後、独立をして、従業員もいます。 それが天狗になり、借金も旦那一人で返したようなかんじで回りに言ってます。 私はなんだったんでしょうか? 耐えて、頑張ったら、良いことがあると信じてきましたが、今は、生き地獄です。 すべてに、疲れて すべてが嫌になりました。 居ても居なくてもいいなら、 私は生きてる意味などないって思ってしまいます。 楽になりたいが日に日につのっていきます。 助けて下さい。 私の生きてる価値あるのでしょうか?
お金について細かい性格です。 どうすれば得するか、どうすれば節約できるかばかり考えています。 節税や、国保を安くする方法などをネットで検索してばかりいます。 お金を使うことに罪悪感を感じています。 常にお金のことを考えて行動しています。 父親がギャンブルで借金をしていました。だから家が貧乏でした。 その影響があると思います。 お金が無いのが怖いのです。 ならば稼げばいいと思われるでしようが。稼ぐ能力がありません。 お金に対する執着心が高過ぎると思います。 無駄使いするよりかは良いことだと思いますが、もう少し執着心を抑えて、お金優先の生活を変える方法はありませんか。 また、お金とは一体なんなのでしようか? お金との良い関係を作る方法があったら教えてください。
今朝は刺殺したい気持ちになりました。理性でかろうじて押さえています。
これは私自身が生きる中で抱いた怒りや悲しみではなく、hasunohaで数々の質問を目にする中で生じた仏教への一般的な関心に基づくことを最初にお断りしておきます。 H.S.クシュナーの『なぜ私だけが苦しむのか 現代のヨブ記』(齋藤武訳)を既にご存知かもしれません。この本は、私の理解する限りでは最後の章で次のような普遍的な問いを扱っています。 「なぜ、善良な人が(あるいは私が)不幸にみまわれたのか」 「私の苦しみが単なる不運であるなら、私が苦しんでいることになんの意味があるのか」 「正しい人も悪い人も同じように苦しむのだとしたら、だれが宗教なんか必要とするだろうか」 諸行無常、諸法無我、一切皆苦。「それはわかっているけれど……」「死んだあとのことを今いわれても……」というのが、これまた雑な理解に基づく感想で申し訳ありませんが、仏教徒にとってもまた正直な反応ではないかと感じています。一例として、ターミナルケアの現場において、死後の世界に関する教義が死への恐怖を有意に和らげているとはいえなかったという話をどこかで耳にしたことがあります。 これらの問いに対して、皆さんは時に誰かの、時にご自身の問題としてどのようにお考えになるでしょうか。あるいは宗旨の違いにより、そもそも仏教ではこうした問い自体が前提から不適切かもしれません。そうであれば、仮に目の前の方がこのような疑問や怒り(たとえば病気について)を投げかけてきた時、その方に対してどのようなお話をされるでしょうか?
父親も酷い人間でした。兄という乳飲み子がいるのにミルク代も保険証も渡さず風邪をひいても病院に行けなかったと聞いています。母方の祖母が心臓が悪いのに夜中に何度も何度も電話をしていたそうです。ですが私も同罪です。7年前に父親は癌で亡くなりましたが。父親や、その親戚がした事を母親が私の耳元で囁く。私は怒って本気ではないけど父親を殴ったり首を絞めた。襖も破れた。父親が病気になり車も乗れなくなり返還する際、整理したとき父親のノートが出てきました。私に暴力を振るわれた、首を絞められた。死にたい、と。私は犯罪者です。ネットにも書いてありました。私のような子ども時代を過ごした者は高い確率で犯罪者になる、と。私はハスの花ではありません。ごめんなさい。私が私を殺さなきゃいけない
私は、兄弟差別され育った為に兄が嫌いでした。16才の時に数回イタズラされそうになり、両親に打ち明けましたが「知らない!」と言われ家に寄り付かなくなりました。 兄は、ニートで母の年金で生活して来ました。(父が亡くなってから) 母が認知症になり、同居を望んだ為に「兄の面倒をみる為の同居はしない!」と言った所、「兄の事は関係ない。自分が不安になり、○○ちゃんと一緒に生活したい。」と言われ同居する為に引っ越しをしている最中に転倒し亡くなってしまいました。 言い残した事がないか、霊能者に相談に伺うと、母は謝っている。死んだ事も理解している。と言われ、兄に凄い霊が憑いていて、一人にすると自殺する。と言われ、兄を連れて行くと憑いているのは、私の生き霊と蛇との話しでした。 兄と同居していると、昔の事が蘇り入浴、就寝もゆっくり出来ず、仕事を決めた事で別居する事にしました。 霊能者に、兄を追い出した後、「あなたに沢山の厄がある。人を許す事も必要だけど、あなたは無理だから、もうどうでもよい!母親が泣いている。」と言われました。 兄と別居し、今現在は、歩み寄る為に週末は兄が新居に来る生活です。離れて暮らす事で穏やかに話したり、心配する事もあります。 生き霊を憑かないようにするには、どうしたら良いでしょうか? 両親が安心し天国へ行ける為には、どうしたら良いでしょうか?
世の中めちゃくちゃだと思うのですが、そんな中でどう生きていけばいいでしょうか? 何が嬉しいのかも、もうよく分かりません。 他を傷つけないように生きてきているつもりなのに、ネットが普及したりして、世の在り方は、勝手に変わっていってしまう。 無限に理論武装が続くし。 何を目的にすればいいのか、分からないのです。 どうすればいいですか。
「身体」と「精神」に障害を持つ者です。 昨日の相模原市の障害者施設での殺人事件で動揺しています。 健常者はやはり本音の部分で「障害者なんて死んでしまえばいい」と 思っているのでしょうか。 子供のころから実際に言われているので、「やはりそうなのか。」 と思ってしまいます。 負けずに戦えばいいのでしょうか。聞き流せばいいのでしょうか。
私は仕事の関係で、中国や韓国の方々と接する機会が時々あります。 中にはあまり友好的ではない方もいます。 彼らが日本の悪口を言う時や、ニュースなどで反日運動を目にする時などは非常に腹が立ちます。 しかし一方、最近ネットなどでよく見かける極右的な意見には賛同できません。 あまりにも極端なコメントを見ると背筋が凍るような悲しい気持ちになります。 教育現場などでも取りざたされているように、健全な愛国心を育てる事は必要なのかもしれません。 しかし私自身も恥ずかしながら愛国心をどのように表現するのが良いのか戸惑うことがあります。 仏教的な観点からは「愛国心」をどのように捉えるべきなのでしょうか? 愛国心をもつことは望ましいことではないのでしょうか? また、中国や韓国の方々の非友好的な態度に接するときは、どのように対応するのが良いのでしょうか? 是非ご意見を拝聴させていただければと思います。