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hasunoha 問答検索結果 : 「 前世 」
検索結果: 602件

何か一つ人に誇れる事・自分らしさ

私は今までなんとなく生きてきました。なんとなく生きてきても何も思いませんでした。 しかし、最近(といっても半年前ですが)こんな人生でいいのかと感じるようになりました。 私は音楽が好きで、聞くのも、演奏するのもすきなのですが、ある日音楽を聴いていると、何か一つでもだれにも負けないものを持っておけ、といったような歌詞がありました。 私は今まで、なんとなく生きてきて、そんな事一つも考えた事がありませんでした。 大学の願書にも自分の特技を書く欄があり、その時は「楽器を演奏すること」、と書きました。しかし、大学に入り、より広い社会に出ると、やはり楽器を演奏することに対し、上には上がいて、どうしても越えられない壁がありました。その度に私は自信をなくし、本当に自分の特技なのか、人より誇れる事なのかと思ってしまうのです。 そう考えてしまうと、どんどん悪い方にばかり考えてしまい、自信がなくなります。 楽器を演奏することを生業としたいわけではないです。ただ、何か特技があっても上には上がいてそれを特技と呼べなくなってしまうのではないかと考えてしまう事にとても悲しくなってしまいます。 他の人にすごい人がいるから自分は必要とされないんだ、と思ってしまいます。 自分らしさってなんでしょうか、それが例えば何か一つ人に誇れるものであったならば、それを見つけるためにはどのようなことに気をつけていけばいいでしょうか?また、どのような考え方をしたら良いのでしょうか?教えてください。

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宗派による死後の世界の違い

いつも多くのお知恵をありがとうございます。 今日は仏教のことで疑問に思う点があり、質問を失礼します。 仏教と一口に言っても、多くの宗派があるのですが、 死後すぐに仏となり極楽へ。 という宗派や、閻魔様の裁きを受ける。とする宗派もあります。 生まれてから死ぬまで、ずっと一つの宗派で、一族皆が同じ宗派であれば良いのでしょうが、 親戚であったり、知人であると宗派はどうしても変わってきてしまいます。 その際考えるのが、 私の死後に行く世界は、 相手の方のいく世界とは異なっており、 あの世で再会することは叶わないのではないか。 一方は四十九日と言わず極楽へ行かれ、一方は裁きを待ち、地獄へといくかもしれない。 などといった具合です。 実際にあった事例としては、法要の時に「今彼女は輪廻のためにあの世で修行をし、乗り越えているところです」というような説法を受けたのですが、別の宗派ではそうではないのだろうな。と、思ったような事です。 実際には死んでみないと分からないことなので、考えても仕様のないことだとは思うのですが。 お坊さまの皆さまは、こういった宗派による教えの違いにから生じる、死後の世界の違い(四十九日の捉え方、三途の川を渡る渡らない)など、どうお考えになられているのだろう。と、質問を失礼しました。

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葬儀の宗派と今後の供養について

今月上旬に父が亡くなりました。 父の実家は日蓮宗で他の兄弟も皆同じお寺で葬儀をしています。 しかしうちは分家であまり裕福ではなく、お布施の金額が高く普段から付き合いもなかったそのお寺にはお願いしたくないという家族の意向がありました。 父は寝たきりで認知症もあり、どのお寺がいいか等本人の意志確認が出来ませんでした。 そのため、葬儀社の方に紹介していただいた浄土真宗のお寺で葬儀をしていただきました。紹介していただいた住職の方は感じの良い方で、今後の法要もお願い出来たらいいなと思いました。 しかし、葬儀を終えてから、これでよかったのか悩み始めました。紹介していただいた浄土真宗でよかったのか、違うお寺でも日蓮宗にした方がよかったのか。 もともと宗派にこだわりがあったわけではないのですが、法号と法名の違いや供養などの考え方も異なる点が多いため、このまま違う宗派だと父がきちんと成仏することが出来ないのではないかと不安です。 四十九日までならまだ間に合うというようなことを聞きました。四十九日まであと少ししかないため、何か方法があるならば早くしなければならないと思います。 このまま浄土真宗でも問題ないか、日蓮宗に戻した方がいいか、ご意見をいただきたいと思います。 よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 20
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先祖供養はどのような意味を持つのですか?

仏教について調べていると、葬式とその後の供養が最重要トピックの用に扱われているのが不思議です。 親や先祖の供養ってそこまで大事なのですか? 血縁ってそこまで重要なのかしら? 先祖供養は儒教ではないのかしら? いえ、私も木の股から生まれたわけではないので、縁なり因果なり何かしらあるのだろうとは理解はしていますが。 この世に産み落としてくれたことは有り難いのですが。 血のつながりばかり大事にしなくてもそこかしこに縁はあると思うのです。 個人的に家族の縁が薄いこともあり、 親や先祖のことはよく知らず供養もしていません。 私の死後供養してくれるものもおりません。 しかしそんな私が死んだ時も 仏さまなら何とかお慈悲をくださるのではなかろうか というのが信仰を持ちたいと思った動機なのです。 「私と仏さま」の話ならわかる気もするのですが「私と先祖と仏さま」の話がよくわかりません。 先祖供養が必須なら、親のない人間は仏さまに救っていただけないのでしょうか。 そもそも私の理解が間違ってるのかもしれませんが、 苦しみの多い輪廻の輪から解脱するため修行をしよう、また大乗仏教においてはいろいろな仏さまの力を借りたりおすがりして解脱にいたろう、 というように仏教的な死生観を解釈しています。 修行が足りず仏さまとの縁も結べなければ輪廻の次の段階に進むでしょうし、 宗派によっては生前から成仏しているわけですし 浄土系の宗派では阿弥陀さまのお慈悲によって極楽往生できるでしょうし…。 死後、死者の行く末に関して、生者はどれだけの干渉ができるのだろうか、というのが疑問です。 それは死者本人と仏さまの間の話ではないのかと思います。 そうすると供養とは何のためにするのでしょうか。 お教えをいただければ幸いです。

有り難し有り難し 53
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三世の因果について

あるところで、「因果応報はありますか?」と聞かれたので、 「ある」と答えたら、「生まれたばかりの子供が虐待されて殺されました。 その子に責任はあるのでしょうか?」と聞かれ、「ない」と答えたら 矛盾だと攻撃されました。 確かに因果応報は善因善果悪因悪果ですから、あると思うのです。 しかし、三世の因果については、私は否定されるべきと思っていて、それは それが差別などを肯定してきた歴史があるからです。 しかし、その人が言うにはあるえらいお坊さんに聞いたら、「虐待されて 殺されるのは(過去世の行いの結果だから)当然だ。」と答えたというのです。 それに憤りを覚えたのですが、確かに過去に「親の因果が子に報う」 みたいなことは盛んに説かれたとおもうのですが、それが差別を温存 することになったと思うのです。だから、私はそれは否定されなければ ならないと思うのですが、現世の行いで来世の行く末が決まるという 輪廻転生がある以上過去世の行いで現世が決まっているともいえるわけです。 私の信仰は浄土宗ですが、それがベースにあり阿弥陀様の誓願により西方極楽 浄土を願生し、念仏するわけです。なので三世の因果を否定すべきか肯定 すべきか迷っています。どう考えたらいいのでしょうか?

有り難し有り難し 64
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亡き母が夢に出てきました

以前お墓のご相談にのっていただきましたものです。 その節はありがとうございました。 結局、以前よりお世話になっているお寺様の合祀墓に両親共入れさせて頂きました。 きっと両親も喜んでいると思いたいです。 そんなある日、初めて母が夢に出てきました。私は嬉しくて お母さん!と走り寄りました。 母はちょっと困った顔をしてため息をつきながら お母さんね、今はもうどこも痛くないし辛くないんだ。もう辛いことは思い出したくないんだ、わかるよね? というようなニュアンスの話をしました。私は そうだよね、ごめんね と母の元を離れました。 (私の顔を見ると現世で辛かっだことを思い出すから嫌だ と捉えました。) それから何度も母がいる設定の町や家(夢の中でいつも同じ)に行き、街中を探し、家の中を覗くのですが母は居なくて。 その夢を見てからどうしても仏壇に手を合わせる気が無くなってしまいました。 生前、母はなぜか私のことを全く信用せず、いつも頭から叱りつけるような人でした。自分で言うのもなんですが真面目でいい付けは守る学級委員タイプの子でした。 好かれたい一心で、母のところに行き、生活の手配をしたり、お金を渡したりしてきました。入院した時は片道一時間かけて見舞い、死後の片付けも一人でやりぬきました。 で、こんな夢を見てしまい、母の本質を見た気がしてならないのです。 生きていても、私がいかにダメか語ることしかしなかったとは思いますが、死んでもなお 母は私が嫌いなんだろうか?だとしたら 私の家に仏壇があるのは嫌なのか?とか色々考えてしまいます。 母が好きなお菓子や花を見つけると、つい仏壇にと持ってきて、はと気がつくのです。嫌なのかなと。 たかが夢、されど夢で辛いです。 母と娘という関係性に自信がなく怖くて、自分の娘が今反抗期ということもあり 親として全く自信がなくなっている状態です。

有り難し有り難し 15
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❀ 空の芸術 ❀

お忙しいところ、恐れ入ります。 誰にも お話できない内容なので 思わず、こちらへ書き込みました。 ※長文 失礼いたします。 頭では、弱肉強食の競争社会ゆえ 人を人と思わぬ むごい蹴落とし合いを 当然のように日々くり返し 己のイスをしっかり確保して 安泰な経済活動になるように 皆様 勤しんでおられると理解して 許しの慈悲修行を独り行って 今日まで耐え続けてきましたが やりきれない瞬間が増えてきました。 やられても やり返さない私のような者は ベーシックインカムにでもならない限り 経済活動は非常に過酷な現実です。 ジサツをしても救われないのは 解っているので、ジサツもできない… 尼僧さんを目指す勇気もない… 弱音を吐いて、ごめんなさい。 もう、どうしていいか判りません。 『 私は平和が大好きです。』 どうして頂いたご神仏縁(-人-)❀ 容赦なく潰し合わなければ いけないのでしょうか? 大手企業の職場をいくつか経験させて 頂きましたが、同調圧力で強要されます。 お釈迦様の教えは 平和を大切になさるものかと存じますが 仏弟子の皆様は、弱肉強食の現実と どのように調和しておられるのですか? 今の私に有効的な経験談があれば 是非、実体験をシェアして頂けませんか? 貴重なお時間をさいて ご一読いただきまして ありがとうございましたm(_ _)m

有り難し有り難し 36
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犯罪を犯し、人を深く傷つけた人の末路は

リベンジポルノの被害にあいました。相手は過去にお付き合いしていた人(4−3年前)で4年前より、たくさんの動画が世界中で拡散されているようです。ひどく傷つきました。毎日、死ぬほど辛いです。不安で、眠れず、仕事もできません。たくさんの弁護士に相談し、雇いましたが、4年前からの拡散されている動画なので本人を罪に問えるかわからないとのことでした。ただの泣き寝入りになる可能性もあります。 私は死ぬまで毎日動画を探し続け削除していくという作業を続けていかなければならないのです。罪を犯した人間は幸せそうに暮らしています。私は死ぬまで恐怖と戦わないといけません。罪に問えなかった場合、私は一生このような苦しみと離れることはできません。しかし犯罪を犯した男は、罪を犯しても、罪を問われることもなく、幸せに生きていくのです。やったもんがちで、フェアではありません。許せません。こちらがこんなにも苦しんでるのに。 そこで質問です。このような形で誰かを傷つけ苦しめた場合、いくら今が幸せそうでも、苦しめた人間にバチは当たりますか?いっそ死を持って償って欲しいとさえ思います。。

有り難し有り難し 131
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死を考えています

もういい加減、生きているのが苦しいです。 あまりこういったところで書くべきではありませんが、簡単な経緯をお話しさせてください。 読み飛ばしていただいてもかまいません。 小学校に上がる前に父を亡くし、母が鬱病になりました。 祖父母の家と行き来しながら母と二人で暮らしていたのですが、あるとき父の知り合いでもあるという男が家を出入りするようになりました。 この男ははじめは優しく、母や私ともよく遊んでくれていました。 二人とも傷心でしたのですっかり信用しきってしまい、母は再婚し私は娘になりました。 これが間違いでした。 男の希望で私たちは引っ越し(ここから少しずつ家族や友人との関係を絶たれていきました)、隔絶された家の中で私たち母子はほとんど奴隷と言っていいような扱いを受けました。 男は毎日ささいなことで激怒し物を壊しては気の済むまで土下座させ、そのあと何度も殴るという有様でした。私を殴るのは母の役目です。 この頃にはもう逃げるなんて発想すらなく、常に死と隣り合わせで、恐怖で震えながら寝る毎日でした。 同時期には学校でいじめも受けていました。 もともと泣き虫でいじめられっこ気質ではありましたが、転校後のそれは教師も含めて大変悪質なものでした。 家にも学校にも休める場所がなく、毎日死のうかと考えていましたが、なんとか生き延びて今に至ります。 これらのことで精神を病んでしまい、様々な後遺症が残りました。 元から持っていたらしい発達障害と合併して生活が非常に困難です。 具体的には高校中退、大学にも行けず就職はおろかアルバイトさえろくにできません。 どうしても納得いきません。 例えば私が重大な罪を犯して、その報いとして今の状況があるなら納得はできます。 なぜ、私は真面目に生きてきたのに、他者から一方的に理不尽に人生を壊されなければならないのか。 世の中に善悪や法則などないのだから、なんでなんでと言っても仕方ありませんが、あまりに遣る瀬無いです。 人に優しく誠実に、と生きてきたつもりですがなにもかも無意味でした。 この先にも希望がありません。 私だってできることなら誰かに愛されたかったし、自分や誰かを愛してみたかった。 勿論自分にそれだけの価値や魅力がないことも理解しています。 生まれてこなかったほうがよかったとすら思います。 なにがいけなかったのでしょうか。

有り難し有り難し 52
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死後みんな仏さまになって同じ世界に生きるのでしょうか

私の父は僧侶をしていました。 真宗の小さなお寺で、職業とは別で兼業していました。 でも、父は酔うと人に暴言を吐いたり、よそで女の人つくったり、言えないくらい、家族に迷惑ばかりかけていました。 私は母と家を出て、今は嫁いで家庭を持っています。 そんな父が急に亡くなりました。 僧をしていたので、父は「仕事」としてお経はあげていました。 悪人正機というのは、悪人であることを自分で認めた凡夫だからこそ救われると聞きました。 悪人であることを最後まで認めなかった父も、救われて仏さまになっているのでしょうか。 でも『地獄と極楽』という絵本を小さい頃読みました。 あの絵本では、生前ひどい人は地獄で苦しんでいました。 もう一つ、仏さまになったとして、その後どのように生活?するのでしょうか。 よく、私たちを見守って導いてくださる、と言いますが、この世でのつながりが深かった人のところに行き導くのでしょうか。 もし私が往生したら、父と同じ世界に行き、また娘としてくらすことになるのでしょうか。 とりとめなくすみません。 父の死も、生前の行いも、もう昔のこととして受け入れていますが、仏教の教えでは、このあとどのように生きているのか気になりました。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 61
回答数回答 3