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hasunoha 問答検索結果 : 「 生きる意味 」
検索結果: 6355件

滅するべき煩悩とはなんでしょうか

よく回転寿司に行くのでそこで気づいたことを質問です。 煩悩とは何でしょうか。 『煩悩とは苦(ドゥッカ)である』 では終わるので少し掘り下げてみたいのですが、『欲』は生存に必要なものでこれを満たさないと自分の身体の生命維持ができないもの、として『食欲』『睡眠欲』などの根本欲は煩悩ではないと仮定します。 これはブッダも否定しませんでした(否定したら弟子ができる前に死んでた。睡眠不足で目が潰れた弟子もいる)。 次に『渇愛』ですが、これは自身の生命維持には必要でない『性欲』や喜怒哀楽(動物がもっている感情)と慈悲喜捨(善行)などの心(想い)に付随するものだと考えております。 最初は『渇愛』の中に『欲』も入れていたのですが、分けて考えないと生存と平穏はないなと思うようになりました。 では、『煩悩』とは何かというところになってくるのですが、『欲』や『渇愛』に『執着』がくっ付いたものではないかなと思います。 そして煩悩はそれぞれ『貪』『瞋』『痴』に分かれる。 『執着』だけではそれに寄生にする宿主(欲or渇愛)が無ければ『煩悩』にはならない。ただ、執着は一切のものにくっつく可能性があり、一切は煩悩になりえるのではと考えています。 つまり煩悩とはいかに執着を持たないかというところにあるのかなと思うようになりました。 ここで冒頭の回転寿司の話になるのですが、 1.凄くお腹が空いたから食事をしに外に行った。回転寿司を見つけたから入って適度に食べた。 2.すごくお腹が空いたから外に出た。どうしても回転寿司が食べたかったから回転寿司を適度に食べた。 1番は食欲を満たすだけなので煩悩ではなく、2番は食欲に執着がついているので煩悩である。 同じ例えで、 1.ボランティアで被災地に救援物資を送った。 2.ボランティアで被災地に救援物資を送ったが、力足らずだと思って悲しんだ。 どちらも大悲によって行った行為ですが、2番目は足りないという執着が生じているので煩悩である。 出家者は小欲知足と、渇愛のうち動物がもっている感情を滅し、慈悲喜捨に執着が付かないようにし心を乱されることなく過ごし、在家者は欲や渇愛は滅する必要はないが執着が付かないようにする。 ちなみに、十二縁起が全く理解できなかったので、四諦と八正道から経験を踏まえて考えてみました。 アドヴァイスをお願い致します。

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義兄夫婦との和解、恩師との和解その3/3

つづきです。 その日より3日薬を倍にしてベッドから起き上がれない。弁護士は直接会う事はなかったが試験までの勉強管理はメールで観てくれた。その後3日間の状況を説明すると謝罪。しかし姉夫婦との関係悪化で両親から責められ苛ついていた私は相手に不快な対応をし続け、炎上した。 甥と姉夫婦との旅行はこの年より再開されず ~その後1年半経過、通院は姉と甥のみ、あまり泊まらないようになった~ 2015 甥は第二志望の障害者対応高校に入学。甥の就職には第一志望の方が断然有利なので、自分はぶちギレてつまらない電話なぞせず勉強を教えればよかったと後悔にかられる。 2016 甥から`ママをいじめた'といわれる。 私'いじめたのではなく、逆にいじめられたのだ'と就職活動妨害の件を説明。 甥'その時ママの中に悪いものが入ってきてママの口を借りて言わせたんだ' 私'でも甥就職出来なかったし、甥の君にもいじわる言われて傷ついた' 甥 'ごめんなさい' 甥とは和解 めでたしめでたし。 2015~2016 父の知り合いの元商社マンの元で週3、4働き、抱きつかれて土下座させられて辞める。私は週4で気分が悪くなってしまった。しかし社長は今まで大病もせず70半ばで週末数キロ走れる人なので理解を求めるのは難しい。 2017 現在義兄は家に訪れない。姉と甥のみそれなりに泊まるようになった 2017 弁護士に失礼な対応をメールで謝罪。今後も不快な思いをさせないようイベントでバッティングしない設定方法を添付した。返信'バッティングしたら大人の対応をすればいい。私の事を悪く言うつもりはない'とのこと。 2017先生に年賀状を送ったが返信はなかった。 正直なところ、義兄はマザコンのばか野郎と思う。甥の顔立ちで似ているところがあると苛つく。未だに通院している姉に愚痴るとは情けないと思う。嫌なことがあると北朝鮮のデフ(金正恩)のせいにするところなど本当に良く似た夫婦だ。 が、仕事は、しんどい。私も病気になるほどしんどかったのた。 何より両親から孫との楽しみを奪ってしまったのが心苦しい。自分たち亡きあとの私の将来も心配なのだろう。 とてもあてにできる人たちではないとは思うが奇跡は奇跡で祈りつつ、自分の事は自分で出来る範囲てで守りつつ、両親存命中は安心させたい。 長文失礼いたしました。

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チベットの鳥葬

脳の障害の為に人間関係が築けなくて、常に孤独だし、それを覆えるだけの才能も無いし、生きてるのが申し訳ないです。 生きるからには、他の生命体を殺して食事をするし、水も電気も使うし、でも地球規模で見れば、エネルギーは限られてます。 私のように生産性のない人間を養える程、地球は豊かではないと思います。被害妄想とかでは無く、合理的に考えて、自分が生きていることに違和感を覚えます。 頭痛薬も胃薬も抗鬱薬も私には必須なものが、たくさんの動物実験の上に成り立ってます。 他の生命体の犠牲があって、自分は生きています。 私も自分の生命を犠牲にして他の動物の役に立つのが自然だと思いますが、日本国内で、何かいい案はありませんか? チベットの鳥葬の文化が素晴らしいと思います。ハゲワシに遺体を食べてもらう事で、他の小動物の命を助けてるからです。(読んで気分を害された方、ごめんなさい、でもまだ続きます) 命を消費してばかりの私が、他の命の役に立ちたいのに、チベットは遠過ぎるし、飛行機は乗れないし。 どこかの熊エリアで首を吊って食べてもらうぐらいしかないでしょうか。 でも、人間の味を知った熊を自治体は駆除すると思います。 ギロチンを復活して殺してもらい、鷲や鷹に食べてもらいたいです。人命尊重と同時に動物の命も尊重しないと、バランスが悪い気がします。人間も犠牲にならなくてはいけない気がします。 戦争の兵隊になるのでは無くて、動物の命の役に立つ為に。 生きながら食べられて死ぬ勇気がないので、悩んでます。 鳥葬の文化が素晴らしいなんて、ハスノハでは言ってはいけないでしょうか。

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自分が出せない

初めまして。都内の大学に通っておりますトミーと申します。一年生です。 私は小中学校で過去にいじめを受け、それが解決してからも、周りと分かり合えず浮いてしまい、高校に通い始めてからはそんな自分を変えるために明るく振る舞うようになりました。 しかし、それから今になっても、人に弱みを見せたり、薄暗い自分の本性や悩みを人に打ち明けることが出来なくなってしまいました。 大学でも友人は多く、しかし、その中で感じるストレスや悲しみを、人に打ち明けることが出来ません。 否定され、そうでなくとも突き放され、1人になるのが恐ろしいのです。 いつも笑っているので、作り笑いばかり上手くなって、怒ることも泣くことも出来なくなってしまいました。 家族にすら自分の姿を偽り、やっと1人の時間を得て、その時に泣きたくなっても、涙が出なくなってしまいました。 悲しいことも腹立たしいこともたくさんあります。 しかし、もはやそれを表現する言葉も見つからず、ありのまま話すことも、素直にそうしたくても、しようとしても出来ないのです。 私は、人を信じて、助けを求めたいのです。僕の悲しみや怒りが晴らされなくとも、ただそばにいてほしいのです。 私はいったいどうやって人に助けを求めて、どうやって満たされたらいいのでしょうか。 よろしくお願いいたします。

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どうして苦しむのですか?

旦那との関係性もあまりよくありません。 不妊治療もうまくいきません。 昔は幸せな恋をしていたし、幸せな人生を歩んでいたと思います。 年をとるにつれて将来が不安になるばかりで希望が持てません。 若い頃は不安なことやうまくいかないこともあったけど、いいなと思うこともたくさんありました。 今はいいこともあるけれど不安がたくさんです。 人間は不幸と幸福のバランスがあるのですか? 不幸なところがあるから片方がうまくいくのでしょうか? 逆に、うまく行ってる部分があるとそれ以外は不幸になるのでしょうか? 自殺をしたらその後も苦しむのでしょうか? もし不幸と幸運のバランスがあるのだとしたら、うまくいく部分があるのは嬉しいけど不幸な部分はそのまま。 不幸な部分がうまく行ったら今ある幸福な部分はなくなる。 そんな人生なんてひどいと思います。 希望が持てなくて、不安ばかりで、人が羨ましくて、自分がどんどん嫌いになりそうで、人生失敗したのかとおもいます。 これから先に希望が持てないのに、生きていくのは辛いです。 自殺したらその後も苦しむのだとしたら、殺されたり病気になるのは別なのでしょうか? その気はないのに死ぬという状況にならないと、だめなのでしょうか? どうして、こんなに苦しむのでしょうか。 前世で悪いことをたくさんしたのでしょうか。 それとも、若いとき幸せな時期があったツケなのでしょうか。 生まれて生きていくのは、本当に幸せなことなのでしょうか。

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2024/06/13

毒家族たちとの付き合い方

20年以上前ですが、両親が離婚しました。 両親は結婚当初からずっと、お互いを軽蔑しあっていたし、母は父との夫婦生活が耐えられないという理由で離婚しました。 私も兄も、その騒動に巻き込まれ、新婚だった私は、とても子供をつくるどころではなく、不眠症を患い、兄はその後、統合失調症を患いました。 私はほどなくして子供ができ、10歳になりました。両親は、孫ができたことを知っているのに、孫にお年玉、お小遣いをやるでもなく、おじいちゃんおばあちゃんらしいことをなにひとつしません。 子供たちである私や兄をこのような病気にしておいて(私も不眠症から統合失調症になりました)孫に小遣いもやらず、親らしいこともせず、私や兄の嫌がる塾へ無理矢理行かせ、私がいじめに遭って自殺を考えていたときも、助けてくれず、お前が悪いと決めつけ、泣いて嫌がる私を引きずって学校へ連れていき、私も兄も、本当にやりたいことはなにひとつやらせてもらえないまま学生時代を終えました。 やりたくないことをやらせ、やりたいことはやらせず、孫がいても知らん顔、子供たちが精神を患うほど傷ついても、その傷に目を向けず、ただ自分たちが生き延びることにだけは貪欲で、母は兄に縋って生き、父は独り暮らしです。 兄もひどかったです。いつも私から小遣いをまきあげ、同じ中学だったのに、私が殴られているのを目撃しても知らん顔、こういう家族を持ってしまった我が身をたまに呪い、病気の相乗効果もあって、落ちるときは日がな一日、床に伏せて、起き上がれず、食事もできない日もあります。 そんな私の唯一の楽しみであり生き甲斐、仕事は絵です。絵でお金をもらっています。母がいつか「あんた、まだ描いてたの?」と露骨に嫌な顔をしました。あの時の顔を一生忘れません。絵は私の誇り、生き甲斐であり、アイデンティティです。 私はその絵で、栄誉ある賞をもらったこともありますし、お金も稼いでいます。それを傷つけた母も許せず、行きたかった絵の専門学校にも行かせてもらえず、何より死を考えるいじめに遭ったときも助けてくれなかった家族を恨み憎んでいます。 こういう毒家族でも、介護してやり、葬式を出し、涙を流さなくてはならないでしょうか? ご回答お待ちしております。

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お坊様について

以前よりお世話になっています。 ニックネームを変更しました。 家族が他界してから毎日お務め、花、茶水、お供えと自分なりに供養してきました。 これまで5人のお坊様とお世話になりました。(実際にお会いした) それぞれ個人的な考えや思い、派の違いにより仕方がないことかも知れません、違うところが言動にあります。1人のお坊様は色々な勉強を幅広くされたのか、お話はとても立派なのですが、そのお言葉を自ら覆す行動をします。 細かい内容は言えませんが、色々と矛盾を感じ、お寺に伺いにくい状態になり、別のお坊様にも法事に来ていただけない状況です。 今年の法事は菩提寺の住職が他県から来ていただき、なんとか両親、先祖の供養ができました。 仏教とは、御坊さんとは、供養とは…何が本当なのか分からなくなり、段々と仏壇のお務め、供養もいい加減になりつつあります。 最近は若い方も気軽にお寺の門をくぐれルように、お寺カフェや座禅、説法、写経や癒しを求めてお寺巡り、朱印本など流行りつつあり、高野山1300年のPRもよく見かけます。お寺や神社巡りが趣味と言う若い方々もいます。 一方、無信仰だから、山や海に散骨する方、墓仕舞いして樹木葬等、普通に家代々のお墓に入る人も減っているとか。と言うことは檀家さんも減ると言うことですね。 大変失礼ですが、葬式坊主なる葬式業者数社と契約?して、葬式ばかりして儲けるお寺もあると聞きました。 5人のお坊様のうち4人にとって私は檀家でなく、業者の紹介やあるお寺の催しで出会っただけで、特に大きな収入源にもならず、どうでも良いのかも知れませんし、中には若いお坊様もいますが、頭でっかちの知識先行型なのかもしれません。 これも私の受け取り方一つなのかもしれません、お坊様に対するイメージが固まっていて、そのイメージと違うから違和感なのかもしれません。 当然、お坊様も人間、修行の身であり完全完璧でないことはわかります。ただ法事で頂いたお経は本当に、亡き家族のためになっているのか、六道の話を伺いましたが、畜生界、地獄に落ちていないか、毎日、お務めすることで両親、先祖のためになっているのか疑問が沸きます。 それまでは完全に仏教を信じ、お務め、供養が仏となった家族のためと信じきっていました。 今は半信半疑、これから供養を続けていく自信が無くなりました。

有り難し有り難し 60
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生きる楽しみを知りたい

こんばんは。 生きることに楽しみや喜びを見出せず死にたいと思っています。30代女性です。 自己成長により幸せを目指そうと、いつも努力してきたつもりです。 勉強して良い大学に入り、有名企業に就職、さらに自己研鑽のために転職しました。転職先でも働きながら大学で学位の取得を目指しています。 また、女性としても己を磨くため美容や服装も学び、伴侶を見つけ結婚しました。 心理面もノートに書いて自省したり、カウンセリングを受けたり、心理学や仏教に関する本や動画で考え方を変える努力をして参りました。 育った家庭環境もあり、人から与えられるものに期待をせず自ら行動してきました。 一方で人には優しく、仕事や友人、家族で困っている方に見返りを求めず手を延べてきました。 少しですが災害や貧困問題の解決のため寄付もしてきました。 生活の充実のため旅行を企画し、テニスやランニングもし、病は気からと節制し健康的な食事も心がけております。 このように自分なりに幸せについて真剣に考え、変わり続けてきたと思います。 全ては自己責任と考えておりまして、これまでの努力が無ければ、得られなかったものを悔いて自分を責め苦しんでいたと思います。 環境等、恵まれている部分もありますが、何事も諦めず努めた成果はあると思います。 それでも死にたい気持ちに勝る喜びはなく、絶望しています。 このまま死ぬまで苦しみながらも努力を続けて、それでも体力能力ともに今後老いるばかりで楽になって行くとも思えず、お先真っ暗です。 ただ、すぐに死ぬ方法がないので毎日を過ごしています。 もしかしたら不慮の事故で今日死ぬ事ができるかもと思うと、心が安らぎなんとか1日を過ごすことができます。 傲慢ですがどなたか生きたい方、望まれる方に私の残り半生をお譲りしたいとさえ思います。 主人や両親にはとても話せません。暗い私と生活させていることを申し訳無く感じます。 大変甘ったれた相談で申し訳ありませんが、このような毎日に一筋の光を見つけたく、ご指導願えると幸いです。 まずはまとまらない長文を読んでいただき感謝いたします。

有り難し有り難し 51
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2025/06/28

職場でのパワハラにより適応障害になる。

10年以上勤めた医療系の職場を退職しました。 理由は、劣悪な職場環境、長年にわたる職場でのパワハラ行為、患者さんからのセクハラ行為によって、私自身が精神的・身体的に限界を迎え、適応障害を発症してしまったためです。 私の職場では、パワハラ・セクハラ・理不尽な扱いが日常的にあり、それが放置されていました。 特に「御局様」と呼ばれる60代女性からは、仕事を押し付けられ、断われば逆切れされ、いじめに近い扱いを受けてきました。 患者さんからの性的な言動や職場での付きまといなど、ストーカー的な嫌がらせを受けていました。 それでも私は、年下であるという立場から、我慢し、理性的に対応しようと努め続けました。 しかし、そうした我慢が報われることはありませんでした。 昨年、御局様に仕事を促した際、パワハラと騒ぎ立て退職されたが、その後“患者”を装って職場に現れ、私を一人の時に狙って監視するようになりました。 私はパワハラの矛先として、あるいは緩衝材として、自分をすり減らしながら働いてきました。 上司に相談しても『気のせいだ』『我慢しろ』と取り合ってもらえず、心身の限界を迎え、適応障害を発症しました。 退職の際も会社は杜撰な対応に終始し、連絡も一切よこさず、心ない態度に非常に傷つきました。人事部も常識的な対応をせず、信頼を裏切られた思いです。 公的機関にも相談しましたが、適応障害への理解が乏しく、『働く意欲がないのでは』と疑われ、失業手当についても病気としての扱いは認められませんでした。 結果的に病状が悪化し、現在は民間の代行会社を通じて、病気として失業手当が受けられるよう手続き中です。 そして、今私は「自分は何だったのか」「この10年間は何の意味があったのか」と、深い喪失感と虚無感に包まれています。 セクハラを我慢し続けた自分 他人の尻拭いばかりしていた自分 自分の人生を他人の都合にばかり合わせていた自分 周囲が結婚や出産、キャリアアップと進んでいく中で、足踏みしていた自分 そんな自分を、今はどうしても好きになれません。愚かだったとさえ思います。 この過去の経験を、どう受け止めて、次の人生につなげればいいのか。 社会の不条理と、他人の理不尽さをどう受け流していくべきか。 何者にもなれなかったという無力感を、どう乗り越えればいいのか。 アドバイスお願いします。

有り難し有り難し 41
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性癖の悩みです。馬鹿馬鹿しいかも知れませんが真剣です。

30歳の男です。性癖に真剣に悩んでます。どうか御意見ください。 極度のMなんですが、堅い仕事をしています。本当は性器にピアスを開けたり傷だらけになるまで鞭で打たれたりしたいです。バイで同性に虐められるような経験もあります。 身嗜みや体系、言葉遣いに気を使っているし、容姿も人並み程度にはみられると自負しています。上司や友人から、年齢も結婚適齢期ということで、お見合いや紹介の話をよく受けます。 しかし、プライドや仕事に支障をきたすのを恐れて性癖を暴露できず、結婚しても幸せになれない、相手を幸せに出来ないのではないかという不安があります。 子供は欲しいし、幸せな家庭に憧れはあります。しかし、性癖を満たしたいという衝動もあります。両立の難しいジレンマに長年葛藤してきました。 三十路となり、そろそろどちらを選ぶか決めてしまいたいです。 誰かに相談したくても、職場や世間に知られれば今の職は辞して住居も移さなければなりません。なので誰にも話せていません。 どうか、御意見を下さい。 もしくは、どういった場所でこういう話を相談すればいいかなど教えて下さい。

有り難し有り難し 66
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