いつもお世話になっております、高校生の庄子と申します。 前回の質問以降、先日スクールカウンセラーの方と初めて会い、カウンセリングを受けました。 学外のカウンセリングで起こったことなど話したのですが、カウンセラーさんは少し耳が遠く、話が伝わりにくい部分がありました。 加えて30分だけでしたので明確な答えは得られず「自分のできることを少しずつやりましょう」と言われて終わりました。 次の予約はしていないのですが、忙しい方らしく、またやるとしても2~3週間後、30分だけとかになりそうです。 何も解決してない不安と焦りに加え、先生から進路どうするのか何も決まってないのかと急かすように言われ、精神状態が悪化し、楽になりたい気持ちでいっぱいになりました。 そしてその日の夜初めてOD(オーバードーズ)をしました。 ODすると未来のことと難しいことを一切考えられなくなり、不安な気持ちは消えました。 しかしODはお金のこと・耐性がつくことを考えると精々1週間に1度が限度です。 こんなことしてもどうにもならないのはわかっています。 死ぬのは恐ろしいですが、私の目の前には死という道しかないように思えます。遅かれ早かれ自殺する未来しか見えません。 今考えれば子供の頃から抜毛症、リスカと元から普通じゃなかったんです。 生まれてきたことが間違いだったとさえ思います。 病院に行くとしたら、学外のカウンセリングで紹介状を貰うのが最善だと思いますが、またバカにされたり否定されるのが怖いです。 長々と弱音ばかりすみませんでした。 今の私では視野が狭くなっていて、良い対処法がわかりません。どうか第三者であるお坊様方から意見を頂きたいです。よろしくお願いいたします。
高校生です 私は中学生の頃からずっと死ぬのが怖いです 私はこれまでの短い人生の中でも色々と悪いことをしてきました。嘘もつきましたし、人を傷つけたこともあります また、幼い頃(幼稚園生頃)にお店で量り売りとして売っていたチョコレートを一粒こっそり食べてしまったことがあります。あの事をずっと後悔しています 沢山悪いことをしてきたと思います 私はきっと、死んだら地獄に落ちてしまうことでしょう。祖母は「絶対天国に行けるからね」と言ってくれますが、それでも確証がありません いえ、地獄に落ちるかもしれない、それ以上に怖いことがあります それは、死んだら“私”が無くなってしまうのではないかということです 私は、私がこれまで積み上げてきた物を失うことが、自我が無くなってしまうことが怖いです 今、こうして悩み、悲しみ、笑い、怒り。そんな感情を抱いている私が消滅するかもしれないということが、本当に怖くてたまりません この恐怖は一年に五回程度湧き上がってきては私を悩ませます。怖くて怖くて、死後のことを思うと私は涙が止まらなくなります ですが、周りの大人は私のこの悩みを「くだらない」「大人になればそんな悩み薄れる」と言ってまともに取り合ってくれません。私は“今”の対策が知りたいのです。大人になってから、なんて待てません 死ぬのが怖いと言いながら、不老不死になりたいかと聞かれると困ります。永遠の命なんて寂しいですから この悩みの解決策がわからないままです 今も苦しみを堪えながらこの文をうっています 誰か、私を助けてください カテゴリー等、間違えていたら申し訳ありません
死ぬのは怖いです。 死は未知です、五億年という時を経っても意識は永久に無くまるで気絶した時のようです。 私はとても自殺願望が高いですが、私でもわかるようにこの世にいる人は誰も本来的には死にたくないと。 死はとても美しいものです、全てが虚無になります。 どんなにクローンが生まれたとしても、それは自分の意識でもなくクオリアもありません。 しかし同じように生きてるのも怖いです。 人生一回しかないという重い重い現実があります、そこにはどんな物理法則も変えられないという絶対的なルールがあるので一度でも足を切断やらしたら永久に手が生えてくる事もありません、誰かが死んだら永久に会えません、一度顔面に塩酸をかけられたら二度と顔は再生しません、一度ホームレスになると一生勝ち組になれません、一度HIVになると一生治りません。 悲惨な人生だったら一生悲惨なままです。離婚したら離婚したままで今後誰からも愛されることはありません。 そういうのが怖い。 人生は可塑性がありすぎて一度何かをやったらそこから変わる事がないです。 死と生は表裏一体です。 死があるから生が尊いものになります。一度しかないから一生とかいう言葉を使い自分の人生を有り難がります、死があるから身近な人が死ぬのを悲しみます。 私は、この物理法則が次々変わるのがこわいです。 現実が移り変わるのが怖い。 いまこの瞬間があるのが怖いです。 いつも恐怖や不安を抱えています。 私達は現実に金融資本で搾取されてます、労働で自分の貴重な人生の時間が搾取されています、二度と返ってこないです。 何処かで働いたら金になるだけでその時間は二度と返ってこない、私の親は底辺職に就いてたので何十年と人生を安く買い叩かれて人生という貴重な時間を費やしていました。 私は20代ですが私の貴重な時間を使用して作られた富を老人に吸われています。 また同じように過去の偉人や天才やらが貴重な人生を使用して発見、発明した数式や発明品やらなんやらを何の苦労もなく得ています。 そういうのが怖い。 いつか重い病気になったり、事故ったりして苦しみのが怖い。 来月の今頃は何か嫌な悩みが増えてると予想できるのが怖い 明日は口内炎で口が痛いかもしれない。 明後日は親友と仲違いするかもしれない。 生きるのが怖い。死ぬのが怖い。 恐怖から逃げたいです。
今年の1月くらいから体調が悪く心電図検査や頭部MRIを撮りましたが異常ありませんでした。 ただ頭痛や不安感や動悸がずっと続いており、5月に会社の健康診断がありました。症状を話し、検査しまさしたが異常なしでした。 そしていろいろ調べ精神の病いかな?と思い7月から心療内科に通いました。結果、身体化障害と全般性不安障害と診断されました。心療内科先生と話しをしたり薬をもらって飲んでいます。幸いにうつ病ではありませんでした。 そして症状が安定していたのですが、9月18日に親友が結核亡くなりなりました。37歳でした。それから症状が悪くなり動悸や色々なところが痛いです。どうすればよいでしょうか?仕事するのもいっぱいです。アドバイスお願いします。
最近、42や44とか不吉な数字をスーパーのバイト中に見かけてしまいます 死を連想させる数字であるため、僕はとても不安です、もしかしたら何か不吉なことが起きるのでは無いかと思って、不安と恐怖しかありません どうか、お願いします
以前、相談をしてお答えを貰った者です、あれから色々ありまして、毎日今この時を大切に共に生きようと楽しく生きてきました。今回は前に相談した家の老猫の話です。 前回、居なくなるのが不安で仕方ないと言っていましたが、あの時はまだ老化が出てきたばかりでジャンプをしたりご飯を食べたりと今思えばまだ元気でした。 先月辺りから食欲もなくなり元気もなくなり眠ってばかりで、病院に連れていき検査をしてもらいました。 膵炎と診断され、高齢猫、16歳なのでいつ最期がくるかはわからない覚悟をしていて下さいと言われました。 膵炎の薬は無いとの事で、対処療法として皮下点滴をしに病院に通っています。 次の血液検査で数値が下がっていればいいのですが、そうでなければ治療が長引きます。 高齢猫にとって病院に行くストレスも物凄いものだと思います。 膵炎は痛みが出ると先生が仰っていました。 猫本人は皮下点滴をすることで少しは痛みも楽になっているみたいで、今はゆっくりゴロゴロしています。 私はこの子と出会って沢山の事を教わりました。 だから最良の選択をしてあげたい。 本音を言えばもっともっと一緒に暮らしたい。 でもここまで一生懸命生きて今苦しんでいるこの子にまだまだ頑張って生きろとはさすがに言えないと思いました。 お坊さんに質問です。 人間でも自然死が尊重されつつあります。動物もそうだと思います。 同じ死を迎えるにあたって、私は自然死が良いと思います、何もせずゆっくりと死に向う方が穏やかな死に方になると聞いたことがあります。 ですが、痛みだけは取ってあげたいと思っています。 でもそれは病院で点滴をしなければなりません。 私が愛猫にしている行為はただのエゴでしょうか。 この子を苦しめているのは病気だけではなく私自身なのではないかと思ってしまい、悩んでいます。 私がしている行為、お坊さん方はどう思われますか? お答えを頂けましたら幸いです。宜しくお願いします。
双極性障害の22歳です。治そうと努力していますが希死念慮がいつも邪魔をしてきてどうしても死にたくなってしまいます。 死にたくないとは思うのですが、躁鬱がいつまで経っても良くならない、支えてくれる彼氏や家族に申し訳なくなります。病院の先生はお薬を渡してくれるだけで私の話は基本聞いていただけません。 こんな私が生き続けてこの先大好きな祖母や母が亡くなることを考えるとすごく辛いのです。もう良いかと思って首を吊りましたが2度失敗しました。 自殺を行動に移さないようにずっと頑張ってきてますがまた鬱の波やよくわからない不安や自己嫌悪で衝動的に自殺しようとした時どうしたら良いのでしょうか。
なんだか、よく不運なことが起きてしまいます。 中学頃から、友達にしても自分に合わない子が寄って来やすくなりました。 意地悪だったり、皮肉ばかり言ってきたり、無視をするような友達しかできませんでした。(小学の頃は違ったのですが…)担任の先生にも恵まれず、仲がいい幼馴染まで、性格が豹変し、意地悪を言われるようになりました。自分は大人しく外であまり喋らず、自分をうまく表現できないタイプなので、学校でははじかれていました。 考えると、ちょうど中学頃から、性格が少し変わったのかもしれません。毎日胃薬を飲んで学校に通っていました。異常にネガティブな考えをするようになってしまい、それに引きつられて友達も同じくらいの波長の子が集まったのかもわかりません。 高校になってそれを変えようとして積極的に明るく頑張りましたが、新しくできた友達にもだんだん同じように冷たくあしらわれ、1年経つ頃にはもう、毎日が辛くて気がつくと死を考えていて、家では八つ当たりや発狂を繰り返し、精神的な苦痛で学校は辞めざるを得なくなり、通信に転校しました。 どうも人前に出ると緊張が取れないので、「なんだか不安だな」「嫌だな」「どうせ」という思いが先走ってしまい、それがオーラになって周りに伝わって、不幸が寄ってくるんだと思いました。 どうにか、波長を明るくしたいです。不安やイライラをしずめるにはどうしたら良いのでしょうか。悩んでいます……。
おそらく一番古い記憶です。幼稚園に入園する前の話です。 近所の公園に巣から落ちた雀のヒナがいて、父が拾って手当をしてしばらく家の鳥籠で飼っていました。ヒナは元気になり、時々かごから出して家の中で飛ぶ練習をしていました。私もその鳥のことが好きでよく話しかけていたと思います。ある日、両親が見ていない隙に、籠から出してぬいぐるみを抱きしめるようにしたら、死んでしまいました。その時は寝てしまったのだと思いました。 小学校のころの実験で、メダカを顕微鏡で見るということがありました。先生の話を聞いていなかった私は水槽に戻すときに失敗しメダカを死なせてしまいました。ほかのメダカに共食いされる様子を今も思い出します。 他にもセミの虫かごを自転車に入れてあちこち走り回っていたら、気づいたら死んでいたこともあります。 私のせいで意味のない死を遂げた生き物たちに罪の意識を感じます。 それなのに私は看護師を目指しています。もし人の命を自分の無知や不注意で奪ってしまえば許されることではありません。 失敗したらと考えると怖いです。 看護師になりたいのは、死なせない方法を学びたいからです。おそらく生き物の殺してしまったことへの罪の意識からきていると思います。死に最も近いところで、自分の生き物を殺してしまいやすいという不注意な弱点を克服したい気持ちがあります。 能力がないならしてはいけないことは世の中にたくさんあります。もう運転をすることはできないと感じた高齢者が免許を返納するなどです。 私は、自分が生き物を殺してしまいやすいという性質を持っているのに看護師になろうとしています。克服したいと願ってしまいます。 のんびりした性格なので焦ったときが本当に危ないです。どうすれば、ヒューマンエラーを確実に起こさないで済むでしょうか。ミスが許されない現場で働く覚悟がもてません。 自分だったらこんな看護師に面倒を見てもらいたいとおもいません。信用できないからです。 不注意を直したいです。 家を出るときなど、戸締りをして3度確認しても、外出中に不安になります。 また自分の思っていないところでミスが起きることもあり、不安が増しています 最悪の状況を常に想像できるようになるために知識も身に着けていきたいですがそれでも足りない気がします 不安です
こんにちは 何度か「死への恐怖」について質問させていただいてます。 あれから自分でも哲学書を読んだり宗教やオカルト、脳科学、神経科学などを調べてみましたが、自我や意識、記憶についてますますわからなくなって来ました。 死んで自我や意識が失われることが一番怖いです。 海外では死後蘇生のため遺体の冷凍保存や意識をネットワーク上にアップロードして不死を得るような試みがされています。 ただ、神経科学的には肉体と精神は不可分であり、死ねば意識が失われ、その意識自体も個体を生存させるための幻という説が出ています。 私はますます怖くなってしまいました。 「自分」というものを失いたくないです。日々変容していますが、確かにここに存在しているのです。死にたくない、滅びたくない、眠るのがこわい、と思ってしまいます。 病院で不安障害と診断されましたが、治ればそんなことを思わなくなるのでしょうか? 何度もしょうもない質問をしてしまってすみません。ただ、怖くて仕方がないのです。
初めまして。新型コロナウイルス関連の報道が毎日更新されています。万が一に罹患した時は薬がなく対症療法しかないと解説されています。筋ジストロフィーで人工呼吸器を着け在宅療養している僕は対症療法では生き延びる自信ありません。物心のついた時から筋ジスは薬もなく20年前後の寿命と聞かされていたので死には免疫のあるつもりでしたが、薬のない未知の感染症のニュースを繰り返し見ていると疲れます。マスクやトイレットペーパーが品切れになり生活用品を買い占める市中の騒ぎを見て母も動揺しています。僕は8050問題の当事者でもあり老障介護の身ですから僕が肺炎になるより介助を引き受けている母に先に往かれたらと思うと心配は尽きません。死の心構えはできていますが、このような非常事態にある時どんな心境でいたら穏やかに過ごせるでせうか。先生方の経験や仏の教えにヒントがあればご指導お願いします。
人のお役に立ちたいと思い、両親の強い希望もあり、医学部に入りました。 しかし入学が決まってから、私には向いていない、責任に耐えられないと思い、入学式の日に脱走して辞退したいと懇願しました。けれど我儘を言うな、不安になるなと言われて今日まで頑張ってきました。でももう自分の気持ちに嘘をついて生きることに疲れました。 莫大な学費が掛かっていること、家族や大学に多大な迷惑がかかってしまうこと、1つの席をとってしまった罪悪感で辛いけれど進むしかありません。 でも最近は「なぜ入学を辞退しておかなかったのか、自分を分析して進路をもっと真剣に考えなかったのか」と後悔ばかりしています。 自分なりに3年間勉強も人間関係も頑張ってきました。けれど入学した時から鬱状態であったこと、不器用さ、思いやりのなさが祟りすべて空回りしてきました。 おそらく同級生も先生方も私がこの道に向いていないと思っています。それは私自身が1番分かっています。 昔から吃音で対人恐怖なため、講義室に入ると泣いてしまい、最近は授業にも行けていません。 優秀で明るい同級生、熱意のある先生方に引け目を感じて馴染むことも出来ず大学では孤立しています。 唯一の取り柄だった勉強にも手がつかず、これ以上頑張れないことに絶望し、3年間ずっと希死念慮に悩まさせてきましたが、最近は明日がくるのが怖くて衝動的に自殺未遂をしてしまいます。 死んだら1番迷惑がかかるのに、命ほど尊いものはないのに、それすらも考える余裕がない自分が怖いです。 自分に憤りを感じて感情をコントロールできず、強制的に大学に入れた両親に、どうしようもなく毎日のように当たってしまい、辛いです。 もう限界に近いです。 私の希望は、これ以上家族に当たらないよう精神状態が悪化しないようにきちんと治療がしたい、一度立ち止まって休憩がしたい、辛すぎる現実から逃げたいだけなんです。 今まで受験勉強しかしてこず両親の言う事を素直に聞く良い子であったため、辞めたとしてもやりたいことがありません、また自分で考える能力も社会の荒波に耐える強さもありません。 そのためこのままでは仮に大学を辞めてどこに行っても結果は同じだと思います。 私のような自分がない、能力がない人間はどのように生きれば良いのでしょうか? また他責にならず自分に責任を持つ強さを身に付けるにはどうすればいいでしょうか?
いつも親身に聴いて下さりありがとうございます。 私の忘れられない患者さんについて、相談させてください。長文になります、申し訳ありません。 私がまだ新人の看護師一年目の時の話です。 婦人科系のガンを患い、一通り治療をしましたが、状態が悪くもう抗がん剤は使えないといった終末期の方でした。 医師より、 これ以上の積極的な治療はかえって寿命を縮めるため勧められない。との説明がありましたが、 ・本人は状態が回復したらまた抗がん剤をやりたい。自身が終末期だとは思ってもいなかったような感じでした。 ・家族は『今後の余命については本人に知らせないでください』 とのことでした。 日々状態は悪化し、全身に回ったガンの痛みと闘う日々となっていきました。もう余命1ヶ月もつかどうかといったところでした。 最初は内服だった鎮痛剤も注射薬になり、それでも痛みが取れず医療麻薬の貼付剤から麻薬の注射に変わっていきました。 最期に使う麻薬の薬は鎮静剤もはいっているので打ち始めると眠たくなって、眠ったまま逝くような形になります。 ある日先生から本人に『痛みがだいぶ辛いところまで来ていると思うのですこし眠くして痛みを和らげる薬をしますね』と告げられる日がありました。先生の話の後部屋で足浴をしながら2人きりになった時、その方は苦しそうな表情で 『私は...もうすぐ死ぬの?』 と問いかけられました。私は答えに詰まってしまい、何も答えられませんでした。 その後鎮静が始まりそのまま起きることもなく1週間ほどでお亡くなりになりました。 『私はもうすぐ死ぬの?』 の問いにどうかえせば良かったのだろう。 本人もわかっていたと思うんです。日々重くなる体、正常に作動しない思考、象の足のように浮腫んだ足、パンパンにたまった腹水でうまく呼吸ができなくなる、おしっこが出なくなる、ごはんが食べられなくなる、本人が1番自身が死に向かっていることをわかっていた気がするのです。なら私はなんて言葉を返したら良かったんだろう。 余命も分からず、状態が良くなるのかもわからず、でも自分の体は朽ちていくのは怖かったんだろうなと色々思い馳せてはあれこれと考えてしまいます。 今でもあの方の 『私はもうすぐ死ぬの?』 の問いに答えが返せません。 僧侶の皆様はどのように返しますか?ご助言よろしくお願い致します。
昨年末、中学生の娘が自死しました。これといった予兆はなく、突然なことでした。何かあったといえば、この日、娘は学校に持ち込み不可とされているスマホを持参し先生に見つかっていました。 仕事を終え、三女をお迎えに行く道中で学校からの着信に気づき連絡したところ、そのようなことがあったため学校に来てほしいとのことでした。三女をお迎えに行き、主人の帰りを待って三女を預けて学校へ向かいました。この間、娘とは連絡が取れていません。LINEも既読にならず。 後からわかりましたが、主人の帰りを家で待っている間、既に娘は自分の部屋で自死していたと思われます。 主人が帰宅し学校に向かい、学校のルールで保護者へ返却するよう決まりがあるので来ていただいたとのことでした。この時私は娘が学校に先生と一緒にいるものと思い込んでいたので、ここで初めて娘は帰宅していたことに気づきました。 この後、この日は長女の塾の日でしたので、塾に行ったのかなと思いました。でも、帰宅して玄関の靴を確認すると靴があるのです。もしかして部屋にいるのでは。 主人はこの間、家におりましたが、次女と三女をお風呂に入れようとしているところでした。 私は娘の部屋に行きました。夕方から夜になる時間帯です。暗い中、勉強机の手元電気だけをつけて、娘は自ら首を吊っていました。今でもこの光景は苦しく、これを書いていても手が震えます。 それからはバタバタと過ぎていき、今があります。 遺書は残されていて、短いものでしたが、謝罪と家族が大好きだったことと幸せを願う言葉でした。 娘はスポーツをかなりやっていて厳しくも充実した日々を送っていたと思いますが、中学ではそのスポーツで友人とうまくいかず、違う部活に入りました。それでもそこで結果を出し、成績も少しあがってきていて、彼氏もできていました。なのになぜ自死まで選んだのか。衝動的とは思いますが、私が厳しく育てた結果、怒られるのが嫌でたまらなかったのだろうと思います。ネットや外とのつながりが多感な時期に初めて触れて、感受性も強く哲学的なとこがあったので、そちらの世界に興味があったのかもしれません。今、大切な家族のため生きようと決めていますが、なぜということがやはり湧いてきて苦しくて寂しいです。一心同体のような娘でしたので、私の知らない娘がいたこともショックなのです。懺悔したいのです。
中論では「四不生」として物事のあらゆる原因が否定されています。 この部分を読んでいつも不安に思うのは、一歩読み違えるとトンでもない意味になるかもしれないという事です。 人が他人に優しくしたり善行を積もうとするのは、自分が既に他人によって恩をを受けているとして感謝し、その恩を返そうとする恩義の心によって成り立っているからだと思います。 まず自分という肉体は両親によって与えられ、知識や教養は先生によって叩き込まれます。当たり前の事ですが、自分という存在は他者によって成り立つものですよね。 しかし中論では 「もろもろの「存在」は、どこにおいても、どのようなものでも、自身から、また他者から、また〔自身と他者との〕両者から、また無因から、生じたものとして存在することは、決してない。」 とします。 要するに他人から恩を受けたとしても、「これは貴方が原因で生じた訳ではない」とか、 自分が他人を殺したとしても、「その人の死は私が原因によって生じた訳ではない」と詭弁を弄する事も可能ではないのでしょうか? (私はそうは思いません) 自分が明らかに中論のこの説を読み違えている事は分かっているのですが、どこを読み間違えているのかが未だに分かりません・・・。 何卒よろしく御願い致します。
私の人生を変えてくれた私の恩師から、 末期ガンで余命は半年と告知されました。 すでに3ヶ月経過しています。 死ぬのは怖くないらしく、人生に悔いなし と言っていつも通り何気なく話してました。 いつもと変わらない感じでした。 受け止められません。私の唯一の相談相手 であり、私はあの人に出会ったことが 人生最大の宝物なんです。今の私があるのも 恩師のおかげなんです。 何か私にできることはありますか? お守りを渡すのは失礼ですか?? 治してね!というプレッシャーではなく、 治療がつらいときや不安なときに 何か力になれたらという意味です。 お守りを見て少しでも楽になればと。 少しパニックになりそうです
お世話になっております。以前も質問させていただいた者です。その節はどうもありがとうございました。 以前お付き合いしていた方を自死で亡くしました。前回は「今の主人と幸せになってください」と前向きな言葉をいただき、2人で話し合って前に進もうとしている最中ですが、本日ちょっとしたことで衝突してしまいました。 その原因は私が口癖のように発する「寂しい」という言葉でした。 主人の言い分としては「可能な限りの時間は君(私)に使っている」「寂しいと言われてもどうすればいいのかわからない」「もっと自分の時間が欲しい」というものでした。 たしかに向こうの言い分はわかります。身を削って私のことを優先に考え、行動してくれているので感謝の気持ちも忘れずに伝えています。が、本人は納得できていない部分があったようでした…。 プロフィールにも記載しましたが、約3年半前に当時付き合っていた彼氏を自死で亡くしました。何故もっと寄り添ってあげられなかったのか、もっと一緒にいなかったのか、と今でも後悔しています。私の「寂しい」に関しても、今現在寂しいというよりかは、また突然の別れが来るのではないか、という不安から来ている部分が多いのだと自分では思っているのですが、主人にはそれがうまく伝わらないようです。 とはいえ起こるかもわからない未来に怯えて生きていくのはもう疲れました。でも心療内科の薬を飲んでも不安は消えず、結局こうやって時々衝突してしまいます。 主人は私のケアも家事も本当によくやってくれて、できればもっと楽をさせてあげたいのが本音ですが、私の精神状況もあってうまくいかない状況です。 長文かつ拙い文章で申し訳ないのですが、一体どうするのが私たち夫婦にとってベストなのでしょうか? お忙しいところ恐縮ですが、回答お待ちしております。
母は1年前から胆嚢癌を患っていました。 抗がん剤なとで、何とか命を繋いでいましたが、今月に入って抗がん剤がもう聞かないことを聞かされ、今日からホスピスの病院に入院しております。 今日、先生から余命宣告をされ、早くて1ヶ月、遅くても3ヶ月と言われました。 母は余命は知りませんが、自分の癌の状態は分かっているので、覚悟をしております。 残された人生を楽しく暮らしたいとも申しております。 しかし私は覚悟をしていたとはいえ、突然の宣告に戸惑い、悲しみに暮れております。 母の前では決して涙を見せず、明るくしておりますが、自宅に帰ると、母はもういなくなるのだと思うと、悲しみが押し寄せてきます。 死への恐怖はないだろうか、何か不安はないだろうか…毎日考えます。 母は私が産まれる前から苦労ばかりして、働き、子供を育ててきました。 母の人生は幸せだったのか、楽しかったのだろうか…そう考えると更に辛くなります。 最近夜もまともに寝ることが出来ません。 母が最後の瞬間まで楽しく過ごすために、私はどうしたら良いのでしょうか。 母とどう向き合って行けば良いのでしょうか。 私といる間は、不安を見せず、しっかりしているので、余計に私が病院から帰った後苦しんでるのではないか、心配です。
母は小さい頃に両親を共に亡くし、 亡くなった年齢も今の母と同じくらいだったと聞いています。 両親を亡くした母は姉夫婦の所で暮らしていましたが自分の居場所が無かったと言っていました。 そのあと、父と出会って結婚するのですが その父が母の妊娠中に不倫をしていて その事にショックを受けた母は 私を早く産んでしまいました。 幸いな事に私は健康体で産まれましたが 母はすごく心配で不安だったと思います。 その後も父の度重なる不倫、結婚当初は同居していた義理の母や義理の姉たちの言葉の暴力や理不尽な要求(安上がりだから仲人をやってくれ、開封してあるインスタントコーヒーを持ってきて不味いからあげると言われたり)をされて父にその事を言っても嫌な顔をするだけ。 父の収入が低くて母も働いていたのに 父は家事は女のする事として 協力的ではありませんでした。 癌が見つかったときも涙を流して すごくショックを受けていましたし、 私も母の隣で涙が止まりませんでした。 それでもどこの臓器にも転移しておらず、 手術をすれば大丈夫と先生に言われたので ギリギリ助かったと私は思いましたし、 母も思っていたと思います。 抗がん剤が始まる前に 人工肛門の手術をしましたが 手術が始まる前の母の不安そうな表情、 寝られなかったんだなと分かる真っ赤な目が忘れられません。 抗がん剤が始まってからも 辛い副作用と戦っていましたし、 血栓が出来てしまったり 肺炎、軽い脳梗塞で 緊急入院を何回もしていましたし、 今は新しい抗がん剤を始めた矢先に せん妄になってしまって 緊急入院した際に担当の先生から これ以上抗がん剤は出来ませんと言われました 最近では癌の痛みの他にも 重い荷物を運ぶ仕事をしていた為、 脊柱管狭窄症の痛みとも戦っていました。 いつも母は痛い痛いと言っていましたし 今でも言っています。 癌になってからは母は 私の人生は良い事なんて無かったと よく言っています。 まだこの他にも母は 私に言っていない嫌な目に合って来たのだと思います。 そんな母がこのような事になって すごくかわいそうで不憫でなりません。 母が助かるように代わりに私が 身代わり不動尊でお祈りをして頂き、お札も頂きましたし 近所の神社にもお祈りをさせて頂いております。 自分でも何が言いたいのか分からない文章になってしまいました。 申し訳ございません。
64歳の父が、去年の3月に胆管癌レベル4の手術を受けて、すぐに再発をして、抗がん剤や放射線今まで色々やってきました。 胆管癌には、抗がん剤があまりなくて、最後の砦とも言われる飲む抗がん剤の治療は、ダルさが強くて… それと、伴って癌の進行も進んでいて転移して、しこりも出てきてて… 先日から入院しをして、検査でまた放射線を当てることになり。 その時に、父が、飲む抗がん剤の治療はもうやめたいと、主治医の先生に言っていて。 その時に、ノドもなんだか変な感じで食事もほとんど通らない時が多くなってきてと言っていて。 主治医の先生からは、このままだと、食事ができなくなってしまって、流動食になってしまうからと言われて。 放射線をやってみますか? という話で部屋に戻ってご飯の時間で、やはりノドを通らなくて。母の前で涙をこぼしていたみたいで。 先生からは、3ヶ月から半年でしょうと告げられました。 ですが、家族みんな本当に涙しながらどうしようもない感覚に襲われて。 まだまだ、痩せてきてはいるものの、疲れやすいものの、元気は元気なんです。 私は、結婚していてこれから先ずっと一緒にいるという事もなかなか難しいですが。 なるべく私は、一緒に居たいと思い病院には毎日行ってますが。 父も、自分が死ぬという事が迫ってきている事を知っていると思います、 だけど、そんなそぶりもみせずに、早く治らないかなといつも言っています、 私達も、大丈夫だよとしか言えません、 幸せだったと思ってもらえるにはどうしたらいいのか? 私達も、余命宣告されてから悲しくて悲しくて 心がぽかっと空いたような。 心がそわそわしてしまい。 どうしたらいいかわかりません うまく言えませんが。 父を亡くす事がすごく怖いです。 母も、みんな同じです。 今の状況を乗り越えていける心構えというか どうしたらいいのでしょう? 父も自分の身体について、心がツライ。 なんでこんな病気になってしまったのかと その事をすごく不安に思ってるみたいです。 希望を捨てずに頑張ってもらえるためには、どうしたらいいのでしょう?! 長くなってしまい、すみません。