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検索結果: 449件

病気、人の死、自分の死が怖いです

今から約8年前、自分が高校生のとき 事故で急に姉を亡くしました とても仲が良く友達みたいな姉妹でした。 それからなのか人の死がとても怖くなり 家族が家に帰ってくるのが遅いと 事故にあったんじゃないかどっかで 倒れてるんじゃないかとか 異常なくらい心配になります。 また体のどっか気になることが あったりテレビで色々な病気の ドキュメンタリーを見るたび 自分もそーかもしれないと思い込み 病気になった気分になり 病気=死を連想してしまいます 少しどーかあると気になって気になって 色々検索してしまったり 今は卵巣に小さな奇形種があると 言われていてそれが気になってしまい 先生は経過を見ていくしかないと いう風に言ってくれてるのに それで大丈夫なのかとか色々 深く考えてしまいます。 もし病気が進行して手遅れに なってしまったらとか なんか病気だったらとか 考えるとキリがないです。 家族と笑いあってるとそのときは 楽しいのにいつかこの楽しさも なくなるのかなとか 誰かまた亡くなったらとか 考えると悲しくて仕方ないです。 今年は結婚もし赤ちゃんも10月に 産まれる予定です。 嬉しい事が続いてると余計色々 怖くなってしまって どーしたらいいか分からないです。

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2021/06/28

妹の死あれから

先月も投稿させて頂いたものです。最愛の妹が亡くなり2ヶ月立ちます。今は仕事行きながら残された母の介護しながらなんとか生きてますが、やはりまだまだ妹を助けられなかった罪悪感で苦しくて本当に地獄です。何故体調悪そうだったのに普通に仕事に行ってしまったのか。電話一本で休めたのに、今まで何度も休んで来たのに何故油断したのか、本当に妹に悪くて悪くて申し訳なくて、まだ40才でまだまだこれからだったのに、薬は昔から苦手で今までも飲めずに重責発作なってたけど、その都度回りの家族が救急車早めに呼んで助かってたのに、今回は家族も年取って亡くなったり、母も認知症でまともなは僕しかいなかったのに仕事なんか行って妹が1人苦しんでたのに死なせてしまって本当に申し訳ない気持ちしかなくて。妹の居ない世界は無意味です。死にたいけど母も居るし妹の為にも死ねない。だから地震や事故にあって死ねるのが理想かなとも思います。もう生きる意味ないです。 薬飲めなくてお薬ゼリーや薬をきったりしてましたが、結局昼飛ばしたり朝を飲んだり夜を朝方に飲んだり朝6時まで起きてたり最後の方はもう生活や服薬がめちゃくちゃでした。全然言うことを聞いてくれなくて、怒ったら泣いて、すねて耳塞いだり最後は僕もよう見んかったです。本当にわがままが酷くて。僕が管理できなかったです。もっと早く嫌がっても泣いても入院や入所させとけば死ぬことはなかったです。日帰りのデイサービスに半日行くのすらめちゃくちゃ嫌がっても泣きわめいて大変でした。僕が最後は疲れてて介護が適当になってしまって殺してしまったと思います。人殺しは死を持って償うべきです。妹はもうトイレも行けない、歯も磨けない、ご飯も食べれない、鼻もかめない、車椅子にも乗れない、見たかったテレビも見れない、iPadも見れない、ゲームも出来ない、本も読めない、絵も書けない、歩く練習も出来ない、寝れない、起きれない、ジュースも飲めない、外食も外出も出来ない、話せない、もう何も出来ません。妹を見殺しにした僕はのうのうと生きてる。何故死刑にならないのか。妹に未来を消してしまった。色々話し聞いてもらいアドバイス頂き少しは前向きになった時もありましたが、やはり罪悪感に戻ってきてしまいます。無理とはわかってても妹に会いたいです。また母と3人でワイワイ賑やかに普通に生活したいです。

有り難し有り難し 23
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愛犬の死

1週間前に13歳目前の愛犬を亡くしました。今年に入り衰弱を少しづつしてましたがこんなに早くお別れが来るとは思ってませんでした。 愛犬の輝く瞳や、嬉しそうに飛び跳ねる姿を思い出して涙が滲みます。 別れが避けられない運命だと頭の隅に置いて来たつもりです。仔犬の時から手の掛からなかった愛犬は亡くなるときも家族の手を引き止める事なく息を引き取りました。 多忙な家族もちょうど時間が取れてみんなで愛犬のお見送りをする事が出来ました。 小さな缶に入った遺骨を抱きしめて毎晩泣いてしまいます。 亡くなった愛犬の他に1匹おりますが、元気が無くお医者に通ってます。 この子も何か感じてるのだろうと抱きしめてまた泣いてしまいます。 今まで、実をつけた事のない庭の木が今年初めて花が咲き実を付けました。亡くなった愛犬を飼い出した記念に植えた木なんです。 亡くなる年に初めて実を付けるなんて不思議です。単なる偶然でしょうがまだ小さい実の一つ一つが可愛くて仕方ないです。 時間と共に寂しさは薄れて行くのでしょうが、今、この場所に愛犬が居ないのが悲しくて悲しくて辛いです。 愛犬は我が家の飼い犬として過ごして少しでも幸せだったのかなぁ、どうだったのかなぁって思います。 泣いてばかりじゃ愛犬が心配するだろうなって空元気に振る舞ってます。 仕事から帰ると涙が溢れて止まりません。 時間が解決すると思いますが今はだめですね。 まとまらない読みづらい文章で大変申し訳ありません。ありがとうございました。

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母親の死

ちょうど一ヶ月前に母を癌で亡くしました。 僕の場合は特に罪悪感が強く、母の元気な時は結婚もせず、孫の顔も見せれず、病床で寂しがっていた時も 付き添ってやらなかった(付き添おうと思えば出来た) そして、最後も看取れず・・ 怖さと孤独と寂しさの中で逝かせてしまった・・という罪悪感に毎日毎日かられて、それを思うと、母が可哀想で可哀想でたまりません。 一人っ子なので、今は母のいなくなった家で 一人寂しく暮らしてます。 特に一人で晩ご飯なんか食べていると、寂しくてたまりません。 あぁ・・ 母もきっと 最後はこんな孤独の中で逝ったのかな・・って思ったりもして。 もうどうしようもないことはわかってます。 でも なんで一人で逝かせた? 付き添おうと思えば、いくらでも付き添えたのに・・ 叫ぶほどに寂しがっていたのに・・・ 寂しさは時間が癒してくれるかもしれませんが、この罪悪感だけは 一生もので、僕が死ぬまで背負っていかなければいけないような気がしてます。 母の性格なら『終わったことはもういい これから頑張れ』と言ってくれてるように思います。 ただそれは僕の勝手な気持ちであって、未だに寂しい気持ちの中で彷徨っているかもしれない・・・ でも、それも今となっては教えてもらえず・・・ 『寂しい・・』 『家に帰りたい・・』 逝く前の母親のこの叫びが、僕の胸をえぐります とても苦しいです。 とにかく 寂しさの前に、今は罪悪感が非常に強くて 毎日、胸を痛めて、なかなか前を歩く一歩が踏み出せない現状です。 母親がまだ元気な頃は、あ~だこ~だ言ってお世辞にも大切にはしていなかったのに、いなくなって初めて、寂しい・・可哀想・・もう一度だけで良いから逢いたい・・ 今に思えば、僕の結婚、孫の顔ももうとっくに諦めていたはずだし、横になりながらTVを見ているような毎日で、母親はいったい何が楽しみで生きていたんだろうな・・と考えたり。 こんなことを、母親がいなくなってから想っている自分勝手な息子です。 僕のおふくろが死んだなんて、まだ信じられないです。 やはりこの罪悪感は親不孝物の代償でしょうか? 一生背負って生きていかないといけないものでしょうか? 是非、意見を聞かせてください。 辛さのあまり自分の命も絶つことも考えました。 でも、結局は生きていくしかなく・・・

有り難し有り難し 13
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祖母の死

二ヶ月半前の一月一日に祖母がなくなりました。叔父と同居していたのにいきなり独りで逝ってしまいました。 私は母とは折り合いが悪くまた母も祖母との折り合いが悪く敵の敵は味方ではないですが祖母と私は仲良くやっていました。 小さい時はいつも面倒をみてくれていて怖いし厳しいけど大好きだったんです。事情があり海外に住んでいるのですが一年半ごとくらいに帰国しては近況を知らせたりして孫の中では一番気にかけていたと自負しています。 祖母の知らせを聞いたのは一日の夜でした。 急いで飛行機のチケットをとって帰ったのですが二人の妹は母が航空券を払わなかったのと仕事を休みたくないとの理由で帰りませんでした。一つ下の子は祖母にとても可愛がられ祖母はいつも妹の話をし、私に面倒を見るようにと言っていたのになぜあの子は最後のお別れすらいってあげなかったのだろうと未だに憤っています。 もっと妹にあわせてあげたかった。もっといろんなとこに連れて行ってあげたかった。この夏に帰る予定なのでまた帰国した時にいないことを自覚するのが怖くてたまりません。そうでなくっても祖母の写真を部屋に飾っているのでさえ悲しくて涙が出てきてしまうんです。 75歳。あと10年は大丈夫だろうと思ってましたしあと10年たてば私もまともな大人になりたくさんの恩返しができたと思うと辛くてたまらないのです。 他の家族はなんだかんだ立ち直って楽しくやっているようで私だけ毎日泣いている気がしてでも寂しがりやの祖母だからこそ私独りでも祖母のことを思って泣いてもいいのではないかと混乱しています。 寂しいです。一番大切な家族がいなくなってしまってどう立ち直っていいのかわかりません。

有り難し有り難し 4
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2021/06/17

死の受け入れ方が知りたいです。

祖母が亡くなってから半年が過ぎました。未だなお立ち直れておらず、ふとした時に悲しみや絶望に苛まれます。 わたしはおじいちゃんとおばあちゃんが昔から大好きでした。とてもよくしてもらいました。とても可愛がってもらいました。10年以上前におじいちゃんが亡くなったときも大変つらいおもいをし、泣いてばかりの日々が続きましたが、おばあちゃんを支えないとという気持ちもあり立ち直れたような気がします。しかしおばあちゃんも亡くなった今、生きる希望がありません。わたしをあんなに可愛がってくれる人はもういません。わたしももう良い歳なのに、はやくわたしも死んでおじいちゃんとおばあちゃんに会いたいという気持ちばかりです。おじいちゃんとおばあちゃんがこの世にいないなら死にたいです。思えば、小学生の頃でしょうか。死というものを知ってから、わたしがこの世で最も恐れていたのはいつかくるであろう祖父母の死でした。寝る前に手を合わせて祖父母と家族の健康を祈ることが日課となっていました。それほど恐れていた祖父母の死を経験した今、もう怖いものはなくなりました。ひたすら祖父母に会いたいという気持ちしかありません。このまま生きていても二度とおじいちゃんと話せないしおばあちゃんのおにぎりと卵焼きも食べられない、二度とふたりに会うことができないことをふとしたときに思い出し、絶望し打ちのめされます。思い出の場所や外食した店、買い物した店など日常を過ごす中でふとしたときにも思い出がたくさん甦ってきて悲しくなったり泣いてしまったりします。仕事は頑張って行っています。趣味も楽しめてはいます。でもやっぱり祖父母に会いたいと思ってしまいます。仕事帰りにお墓に行き、ひたすら泣いて疲れて帰るという日もあります。夢にも出て来てくれるときもあります。 この気持ちは日にちが経てば落ち着き、癒えるのでしょうか。亡くなって少し経った頃、地元のお寺さんに供養に行った際に教えていただいたのは、悲しむのは悪いことではない泣いていいということでした。とても救われました。しかし半年も経ったのにまだまだ悲しく苦しいです。 わたしはどういう気持ちやおもいで日々を生きていけばよいのでしょうか。わたしはどうしたらよいのでしょうか。

有り難し有り難し 17
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父の死

先月父を亡くしました。 本当に仲の良い家族で、いつも一緒にいました。家族思いの父が本当に大好きです。父はいつも周りから羨ましがられているくらいでした。 その日も普段通り仕事から帰ってきて、たくさん話をしました。いつも通りの夜でした。頭が痛いと言って普段から頭痛持ちなので、暑さもあり、水分を取るようにお茶を渡したり薬を渡したりしました。本人もマシになったようで、ご飯を食べたりしていました。 夜中に変ないびきをしていて、見に行くと意識がなく、すぐに救急車を手配しました。 病院までなんとか頑張ってくれましたが、亡くなりました。 なんの覚悟もありませんでした。 私含め、家族みんな信じきれない様子です。いつも帰って来る時間に帰ってこない、座っている場所にいないのが辛すぎます。 私が夢を叶え、もうすぐ働く姿も見せられなかったし、定年後、行きたがってた海外旅行にもいけませんでした。後数年で定年だったのにと思うと私達のために精一杯働いてくれた父が無念でありません。亡くなったことも本人は気づいているのか、、などずっと考えてしまいます。 私たちが精一杯生きて、いつか大好きな父と再会できますか? 父は亡くなった愛犬とも再会できていますか?

有り難し有り難し 11
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死と宗教について

私はキリスト教と仏教のもとで育ちました。 学校はキリスト教で、お葬式などは仏式が多かったです。 ハスノハは、非常に説得力がある意見もあり、頼っています。 仏教の話もキリスト教と同じかそれ以上好きです。 しかし、キリスト教的な祈りが一番馴染むのです。 古典的な宗教は、同じこと、人間の本能に従って考えつくされたもので、共通するものがたくさんあると思っています。 天の国を悟りと考えたいのかもしれません。 邪道と言われる方もいると思いますが、 父母もキリスト教を信じていた時期もあるので、 僕がキリスト教で育つことになったのですが、 今の両親は、無宗教に近いです。 既存宗教に疑念を感じ、個人の問題と考えている感じで、 ぼくも似ています。 しかし、葬式をどうするかという話がずいぶん前に出たのですが、 家族の意見ががバラバラだったのです。 親も老いてきて考えると、 仏教を信じて、「悟りの中に救われて」亡くなっていく人と、 キリスト教に肩入れしながら、天の父に迎えられると思いながら去っていくことが、 違うものであってほしくないと思ったのです。 母は、無宗教で、自然に返るかのように楽になりたいと思っています。 父も、曹洞宗に肩入れしてますが、似た感じだと思います。 キリスト教に肩入れしている自分だけべつな場所に行くような気がして非常に寂しいです。 これをどう思われますか? これからも続く人生、いつ死ぬかわかりません。 死んでも共にいられる・・・というような安心感が欲しいのかもしれません。 それは、宗教的な問題ではなく、日常で考えるべきことで、いま寂しいだけかもしれません。 考えて行こうと思いますが、 何度か考えたことなので、ご意見を伺ってみたいのです。 1人の凡夫として諭していただけたら 本望かと存じます。

有り難し有り難し 26
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娘の死

私には、夫、長女15歳、二女10歳の家族がいます。 2ヶ月前の中学卒業式の前日に長女が朝方トイレで倒れており運ばれてから半日で亡くなってしまいました。 肝臓に悪性腫瘍があり、破裂したことが原因でした。症状が出にくいのでわからなかったでしょう、とのことですが、気が狂いそうな葬儀を終え、日にちがたつと自分を責め、してやりたいこともたくさんありすぎて後悔をし、寂しくて会いたくて、最後のすがた、笑顔の娘、抱きついて来る娘、母さんて聞きたくて、思い出しては辛くて仕方ありません。 二女は泣くのは見たくないようですし、私がつい買いものしても、これ姉ちゃんなら欲しがるねと言ったりすると姉ちゃん姉ちゃん言わないでといいます。 二女もあの悪夢のような日は号泣しておりました。 私は15年間夢を見ていたんじゃないかとぽっかり穴があいたままです。 パートも再開しており外ではまだ大丈夫なのですが 思い出しては苦しくなります。 夫の誕生日に産まれ、私の誕生日に亡くなったのも何か意味があるのでしょうか?二女の為にも長女の為にも気持ちをどう思って生きていくのがいいのかアドバイスをいただけたらありがたいです。 宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 104
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お悔やみに来ない向かいの家族。

こんにちは これまで父の事で何度か相談させていただいておりました。 その度に心救われるアドバイスをこちらで頂いて回答して下さった僧侶の方には感謝しております。 父は半年の闘病生活を終え昨年末に旅立ちました。その時が来るまで、毎日母と妹と3人で父の体をさすりながらこれまでの感謝の気持ちと父をを愛してるという事たくさん伝えたました。父が助からないと知ってからは、最期まで父が寂しくないように怖くないように時間の許す限りずっとそばにいようと決め、その思いを貫く事が出来ました。残念ながら父は亡くなりましたが呼吸が止まるその時を見届けることができて娘としてはよかったなと、思っております。 亡くなったあと、友人やご近所の方がたくさんお別れにきては涙をながして父の逝去を悲しんで下さり、私達家族に寄り添って下さいました。親戚、友人に囲まれて優しい父らしい、悲しいけど暖かい葬儀を営むことができました。 そんな中、唯一、私がひっかかることがあります。それは真向かいの家の家族が顔も出さないことです。向かいの家族は中年の夫婦(看護師さんと自衛官)で小学生の子供が3人います。顔を合わせれば挨拶くらいはしますがもともと素っ気無い家族というか、愛想がないというか。。 しかも通夜をしてるとき向かいの子供が回覧板を持って来ました。普通そんな時に子供に回覧板持って行けと頼むでしょうか。私には理解できません。 そんなお向かいの家族でも父は雪が降れば雪かきの手伝いをしてあげたり、困ったときは話し相手になっていたりしてました。それなのに、挨拶ひとつもありません。お悔やみは気持ちだから、その気持ちがないといえばそれまでですが、玄関を出れば毎日目に入ってくるし、モヤモヤしてイライラして誰にもこの気持ちをぶつけれずにいます。そしてなにより父の死を軽んじてるような気がして父が可哀想でなりません。周りのお家の方はほとんど来てくださったのに。なんかその神経が信じられなくて失望しています。この気持ちをどこにぶつけていいか分からずどう処理したらいいか分からずにいます。

有り難し有り難し 28
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愛犬の死

14歳3ヶ月で亡くなりました愛犬に後悔とごめんねばかりで毎日泣いています。自分の意思で早朝から夜遅くまで週末も会社の日々を7年、長時間の留守番、長年寂しい思いをさせていた上に一緒に居る時は日常の色々にいつも苛々し犬にあたってしまった事もありました。命を預からせて頂いた責任や命の重みを軽視してしまっていました。このままでは駄目と生活や考えを改め一緒に居る時間を増やし大事にしてきたつもりですが転居数回、一緒に居る人や環境変化多い生活に付き合わせ日々の中でも自分優先の考えや行動が多々でした。 3年前仕事をしながら資格を取る事に決め段々と余裕が無くなり私の中に消したいのに消えない自分がいました。犬を撫で微笑みかけながら「可愛いいい子何年も寂しい思いをさせてきた分も世話させてね、甘えてね、長生きしてね」と言いながら心か頭のどこかで「寝たきりになる前に、、、歩けなくなる前に、、、いつ死ぬの」という言葉が出てきて犬に見えない様に自分の頬を叩いていました。 1年前から2週間に1回の血液検査、私は獣医師の前で萎縮してしまい聞いたり言ったりが殆ど出来ず家族である自覚も足りず時々検査や処置に疑問を抱き転院を考えながらもその病院へ行っていました。 ある昼間いつもと全く違う様子ぐったりしていたのに当日朝に病院へ行っていた事もあり夜に嘔吐もしましたが薬をあげて様子を見てしまいました。翌朝病院へ行き入院以降絶食絶水点滴のみで9日目朝に10gだけフードをあげガツガツ食べたと。その翌朝誤嚥か何かで肺炎を起こしたと酸素室の話も無いまま急変すると今日明日わからない、点滴を病院と自宅どちらで続けるか聞かれ連れ帰りその日の夕方息を引き取りました。亡くなる迄の長時間お腹を激しく上下させとても速い呼吸、苦しく辛そうな様子ばかり鮮明に出てきます。入院は私にとってだけの安心でしかありませんでした。特にここ数年どれ程痛みや辛さを我慢し頑張ってくれていたか、体調悪い中歩み寄ってきてくれたのも力を振り絞ってのことだった、なのに私は無理をさせてしまっていた、わかろうとしていなかった考ていなかった、と。10gのフードをガツガツ食べた、生きようとしていたと思えてなりません。じーっと私を見ている子でした。余裕のない私と私の中の消したい気持ちを感じ取っていたと思います。あの時、別の病院へ行っていたら等の後悔も次々と出てきます。

有り難し有り難し 12
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