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hasunoha 問答検索結果 : 「 座禅 」
検索結果: 443件

禅と念仏

こんにちは。僕はこれまで様々な道(生き方)を求めて、真宗の教えを求道中だったのですが、はっきり言ってこれまでやってきたことは偽りに過ぎなかったと思い始めました。僕は真宗(本願寺派)において信心をいただきましたが、結局疑いは消えないようです。疑いあるままの救いのようですが、どうも僕にはそれが耐えられないようです。とにかく苦しくて仕方ない。 一方、真宗大谷派の方はもとより疑うべき考え方がないので、とても気が楽になり、最終的には「事実のみが救い」だと最近学びました。 真宗大谷派が最善だと思っていたのですが、僕は精神統一をしなければとても精神が不安定になることもあり、どうせなら座禅の方が良いのではないかと考えています。 これは僕の勉強不足かもしれませんが、座禅と念仏の教えは確実に繋がっているところがあるように思うのです。座禅の教えは自力だと言われていますが、僕はそうは思わず、考え方の問題だと思います。念仏だって自分の意思で間違いなく念仏申しますが、考え方としては「阿弥陀仏の力によって念仏させられる」と考え、禅宗でも「座禅が座禅をするのだ」と言っている人もいます。それに、「座禅は悟りを開くことが目的ではなく、座禅そのものが目的」だと聞きました。 他にも禅で言う大悟も、念仏の信心と似てるというか、もう一緒ですよね。「妙好人」の著書で知られる、鈴木大拙先生も念仏の教えと座禅の教えを比べながら大悟を解説していますし、大悟したと言われる一休禅師も煩悩が消えているわけではない。実際にはどういう境地なのかは分かりませんが、おそらく「仏の眼」によって煩悩あるがままでも力強く生きることができたのではないかと理解しています。 これらの事から、僕は禅の道を歩もうと考えています。 念仏の教えと座禅の教えは、ほぼ同じようなものだと考えている僕ですが、実際はどうなのかが知りたいです。よく吟味しながら求道しようと思っていますので、遠慮なく厳しいお言葉でも構いませんので、念仏と座禅の関係性、大悟や信心の類時点や相違点を教えていただけると有難いです。

有り難し有り難し 26
回答数回答 2
2024/06/21

出家を発心。具体的にどう動く?

おかげさまで、出家を発心いたしました。特に(未だ道行浅く恐縮ですが)臨済宗に最も共鳴しており、同宗寺院での出家を希望しています。 諸行無常の中、この一念と一時を大事にし、怠ることなく具体的に動き出したいと思っていますが、いわゆる「在家」であり、どこかの檀家でもないため、稚拙な所からになりますが、以下質問に関してお知恵を頂戴できますと幸甚です。 1.どのようなきっかけから師僧と結縁できるのでしょうか?どう出家の決意を示せばいいでしょうか?(不定期で座禅会に参加させていただいているお寺がありますが、咄嗟にお話ししても相手にしていただけるものなのか不安です。また、生涯をかけて追随する師匠なので、より多くの方にお目にかかって吟味すべきではないかと浅はかながら考えておりますが、いきなり「出家したいですが」と門戸を叩くものでもないと思い。) 2.恥ずかしいお話ですが、かなり大きい刺青を入れており(いわゆる反社会勢力とは、無始より関わっておりませんが)、もはや出家とは無縁なのか、一縷ののぞみでも受け入れでくださる師匠と道場があるものなのでしょうか?(過去の業の当然の結果として多くで拒絶されることは覚悟しており、それにめげずに求道することこそ修行と信じていますが、一方で皆具仏性を信じ、衆生平等の救済を追求する大乗仏教であれば必ずご縁があることと願って止みません) 一方的な長文で大変恐縮ですが、何卒ご指導のほどよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 12
回答数回答 3

修行の道を選ぶことは社会の弱者より自分を優先すること?

(すべての宗派がそうではないことは理解していますが)座禅をすることによって悟りへの道が開かれる、ということへの質問です。何十年も修行をしたり座禅をしたりすることは確かにその僧侶にとっては悟りへの一歩かもしれません。 でも、その間に途上国ではその日をも生きられるかわからないひとたちがたくさんいます。この日本でも貧困層は存在します。もしも座禅をするかわりにそのひとたちの手をとってくれたら、パンを与えてくれたら、生き延びる道を一緒に検討してくれたら、助かる命もたくさんあるはずです。 修行の道(とくに長い期間社会から断ち切る行為)というのは、ある意味で自分を選択、優先することになる、と思ったことはありませんか?(これは侮辱ではなくて、本当に疑問、のレベルです。本当に本当に悪い意味でいっているのではないことをご理解ください) 自分の道に専念するその思いは素晴らしいと思う。そして得たものを周りのひとに伝えていこうとする気持ちも。でも、現実のこの社会のなかで、仏教が天台宗で言うような「一隅を照らすひとになる」ことが大切だとすれば、それはどこか矛盾していると感じてしまうことは間違っているでしょうか。 僧侶として、途上国や先進国を問わずに、貧困や飢餓などで今日をいきられるかわからないひとたちを前に仏教はなにができると思われますか?

有り難し有り難し 86
回答数回答 4
2023/05/08

瞑想とは

ブッダは入滅する際に深い瞑想状態に入りながら入滅したと見ました。 私も肉体や精神などが極限の苦痛に達した際や死ぬ際には瞑想を使用したいとおもっておりますが、そこまで深い瞑想をするには相当な瞑想の日々の熟練が必要かと思っております。 ところが精神疾患を持つものが瞑想をするとどうやら副作用が生じ、むしろ悪影響が発生することがわかりました。 以下質問となります: この矛盾は何でしょうか?座禅・瞑想とは人類全てが実践できる安全なメンタルケアでなければならず、そのため仏教修行の多くの部分を座禅・瞑想に使用するのではないのでしょうか。 それとも仏教の座禅・瞑想は修行の一部にすぎずそれが全てではないということでしょうか。 有名なキサーゴータミーの物語では明らかに精神疾患状態にある婦人を救っているような記述がありますが、これはどのようなプロセスを経て「治して」、「さらに悟りにまで到達した」のでしょうか。 個人的に思うのはまず前提として仏道の実践と修行者の身の回りの環境を整えてから瞑想を熟練していくのだと思いますが、その「環境の充実」の基準とはどこから情報を引っ張ってくれば良いのでしょうか。 よろしければ真なるお言葉をくださいませ。なければご対応不要です。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 17
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鬱が再発して好きな仕事ができないです

はじめまして、3年前から個人農家をしています。実家にいて繁忙期には、父と母も手伝ってもらっています。。 キュウリとネギを作っているのですが、キュウリが病気がついてしまって、思うように作物をつくれなくて、ですが、自分の中では来年頑張ればいいと思っていたのですが、だんだんと仕事のやる気が起きなくなってしまって 精神科に行きましたら、薬を処方していただき、しばらく仕事のことを考えずにゆっくりと過ごしてはどうですか?と言われたのですが、家にいても仕事のことが頭から離れないし、今は両親が畑のほうをやってもらっていて、申し訳ない気持ちが頭から離れなくて、 働きたい気持ちはあるのですが、なかなか動けない自分が情けなくて 色々な本とか気持ちが楽になる音楽とかを聴くようにしているのですがかわらなくて、 相談なんですが、少しだけ今は元気が出たんですが、まだまだ働けなくて、 前からやってみたいことがありまして、座禅をしてみたくて、ですがその一歩がなかなかでなくて、できれば泊りで気持ちを楽にしてみたいです、 鬱でも受け入れてもらえるのでしょうか? よろしくお願いします。

有り難し有り難し 19
回答数回答 1
2022/08/01

八聖道によって死の恐怖を消せますか?

以前よりお世話になっております。毎回真摯なご回答を頂き、本当にありがとうございます。 今回お聞きしたいことは、八聖道によって死の恐怖が消せるのかということです。以下、詳細な私の現状です。 私は「死んだ後自分がどうなるかわからないことへの恐怖」と、「自分と世界が存在している(五感で感じ取れる)ことの恐怖」を常に抱えています。 そこで仏教を自分なりに勉強した結果、四諦と八聖道を知りました。恐怖克服のため、ぜひ八聖道を実践しようと思いました。 現在は在家で修行がしたいと思っています。正思、正語、正業、正命、正精進、正念は、日常生活の中でなんとなく「これに気をつけて生活すべきなんだな」という具体的な実践が思いつきます(といっても、素人の浅知恵で、悪口を言わないなどの程度です。ここに関しても今後もっと勉強していきます)。 しかし、正見と正定は、瞑想(座禅)などを行なって会得するものだと拝見しました。 私は禅宗(臨済宗や曹洞宗など)の教えも好きなので、座禅を日常に取り入れたいと考えています。ですが、禅で有名な一休さんでさえ、「死にとうない」と言って死んでいったと聞き、正直とても怖くなりました。 座禅を含め、八聖道を実践していっても、死や存在の恐怖は克服できず、怯えたまま生きて死ぬしかないのか?と不安です。 hasunohaでは、座禅の中で悟りのような経験をされている方や、「実践を伴って初めて仏教がわかる」とご回答されている方をよくお見受けします。そのため、知識を学ぶだけではダメで、具体的な実践をして初めて、疑り深い私でも「仏教を知識だけでなく心で納得する」ことができるのだと考え、八聖道を実践しようと思いました。 長々とすみません。以上の流れから、 1.八聖道(座禅含む)を実践していったら、死と存在の恐怖を消すことができるのか? 2.もし出来ないなら、私は今後どうしていったら良いのか?(恐怖に苛まれるのは本当につらいので、なにか解決策があればご教示頂きたいです) の2点をお伺いしたいです。 また、私の現状の中でも、間違ってる行動や考えがありましたら、ご指摘頂ければと思います。 長文になってしまい申し訳ございません。お時間ある時で構いませんので、ご教示頂けますと幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 38
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