うちの宗派が曹洞宗で、今年の宝暦を拝見しました。 年間行事予定の中に大山阿夫利神社の例大祭の日取りが書かれており、曹洞宗とどんな関係があるのかな?と思い質問させていただきました。 出身が阿夫利神社の近くで、よくお世話になっていました。
時間が遅くなってしまいお経を読む頻度がここ最近減っていて、御題目は毎日あげています お経本は少し省略して読んでも大丈夫なのでしょうか? 後お経を読んでいると、 嫌なことを思い出してしまい集中できなくなることがあります どうしたらいいでしょうか? 宗派は日蓮宗です ご回答よろしくお願いします
自分は以前から死後の世界&生まれ変わりについて興味がありました。 宗派によって死後の世界&生まれ変わりは違うと思います。 死後の世界はどんな所ですか?やはり天国、地獄と分けられているのでしょうか? また、生まれ変わりはあると思いますか?あるとしたら人は人として生まれ変わるのですか?それとも人以外として生まれ変わるのでしょうか? ほかの動物や虫たちも生まれ変わる時は同じものに生まれ変わるか、それ以外(例えば人など)に生まれ変わりますか?
こんにちは。 私は、家の宗派は真言宗なんですが、実は法華経も好きです。 先日、鴨川に出掛ける機会があり、縁あって日蓮宗の 誕生寺にお参りさせて頂きました。 参拝時は流儀に従い「南無妙法蓮華経」とお唱えし、 法華経について色々と考えさせられるきっかけとなりました。 「観音経」として知られる二十五品や有名な「自我偈」を含む十六品など、 どれも素晴らしいのですが、私が特に好きなのは 仏の命が永遠と知って全世界(全宇宙?)の菩薩が歓喜し、 曼荼羅華が降り注ぎ、天には妙なる音色が響くと言う、 壮麗な仏国土が現前する十七品(分別功徳品)です。 「如是等衆生・聞仏寿長遠・得無量無漏・清浄之果報」 の所が特に好きで、正直この部分を紙に書いて お守りとして身につけたいくらいです。 この世の誰をも救ってあげよう!って大らかさとパワフルさが 法華経の魅力だと思うし、そんな法華経の魅力が結実している 一文だと考えてます。 で、ふと思ったんですが法華経の十六品や十七品で言及されてる 久遠実成は、永遠性や普遍性といった性格が大日如来と共通している のではないでしょうか? 上述の十七品は「仏国土は遠い彼方にあるものではなく、仏の永遠性を 信じれば、この現世こそが仏国土と知れる。」 と主張してるように思えますが、これは大日如来を中心とする 密教の思想にも通じていると感じるのですが如何でしょうか? 私にとって仏様と言えば、実家の仏壇に鎮座する、 きらびやかな衣装をまとった大日如来様です。 子供の時から手を合わせている大日如来様が、 法華経の久遠実成と相通じているなら 何と素晴らしい事か、と考えてしまいます。 厳密な意味での同体ではないにしても、 根底で通じているのではないでしょうか? 少なくとも相反するものではないと思うのですが如何でしょうか? ご意見をお聞かせ頂ければ幸いです。
私は将来、浄土宗のお坊さんになりたいと思っています。勿論、“修行”する覚悟は有ります。 しかし、浄土宗では、修行はどの位の厳しさなのかは分かりません。禅宗や日蓮宗よりは厳しくないと聞いた事は有るのですが、やはり、仏教は修行有りきなので、浄土宗も厳しいとは思うのですが、どの程度の厳しさなのでしょうか。他宗派の様に、滝行や施餓鬼等もするのでしょうか。 これを御覧になって下さっているお坊様、教えて下さい。どうか、宜しくお願い致します。
即身仏について本を読んでいます。その中で、「3年3ヶ月後に掘り起こす」や、「地面より3m下に埋める」など、数字の3をよく目にします。仏教には、この数字の3に何か特別な意味があるのですか?もしあるとしたら、どのような意味がありますか?また、意味があるとするならば、宗派によってその意味は変わってきますか?ご回答、宜しくお願い致します。
ここ最近、質問ばかりですみません。 卒塔婆?塔婆?について教えて頂きたいです。 地域によって、違うのでしょうか? 私は神奈川在住です。 塔婆は、誰が出すものなのでしょうか? 宗派や、地域によって違うらしいと 検索すればするほど出て来てしまったので、 葬儀屋さんや霊園の方にも聞いたのですが、 「それは、それぞれの家庭のお気持ちなので……」 との回答で、よくわかりませんでした。 母にも聞いたのですが、 「知らないよ。施主だけでいいんじゃないの?」 と言われたので、 不安になり、質問しました。 亡くなった兄の供養になるなら 私も塔婆をと思っているのですが、 それは間違っているのでしょうか?
私の方のおばあちゃんと一緒に住んでた私のお母さんの浄土真宗の仏壇をもっており、ダンナのほうは日蓮宗で誰も亡くなっていないので、家には浄土真宗の仏壇があります。この度、祖母を弔いあげしました。あと10年後には母も弔いあげしようと思っています。今、お骨は2人とも母の本家のほうのお墓にありますが、本家はもういとこと奥さましかおらず、後継もいないため、そこも永代供養かもといってまして、うちの2人のお骨をどうしますかといわれてます。最終的には、菩提寺に相談かもと思いましたが、2人分の永代供養料を今すぐ払えなくてと、躊躇しております。自分もダンナも持病があり、自分たちも女の子ばかりで後継なく、しかも、宗派も違うので、どうしようかと思っております。 ダンナが樹木葬できる近いところを探して、お骨を引っ越したらと言いますが、永代供養料、埋葬料、まだ、子供も学生で家のローンもあり、払えません。日蓮宗なので、どのみち離檀料は払わなくてはなのですが、自分が死んだらでる生命保険料で何とかならないかと思ってますが、人に任せて粗末になったら嫌だなと思いなやんでます。ちなみに弔いあげ後の永代供養料はおいくらぐらいが相場でしょうか。教えていただければありがたいです。貯めていかなくてはと思います。いいアドバイスをいただきたいです。
最近仕事で行き詰まり、休職中に仏教に興味を持ち始めました。 仏教の基本的なところから、宗派の特徴など見て、なんとなくですが真言宗にひかれ、信仰してみたいなあと思うようになりました。 ですが、実家は地方で、現在の私の家には仏壇も無く、近くでお世話になっているお寺さんもありません。私自身全く宗教に関わってきませんでした。 そこで疑問に思ったことなのですが、 ①真言宗を信じている一般の方はおうちで何をしますか?お坊さんほどの修行をされない一般の方は、おうちでするのはお経を読むくらいなのでしょうか。(日々のおつとめ?というのでしょうか。教えてください。)また、それは一日何回ですか? ②家に仏壇が無く、またスペースも収入も無いので購入も難しいです。おつとめする時は何もない場所でやっても大丈夫ですか?また、かわりにこういう物でも良いよというのがあれば教えてください。 ③お寺さんとはどうご縁を結べばいいのでしょうか。電車で1時間で成田山に行けるのですが、頻繁には行けません。近所に真言宗のお寺がないので、行けそうなときに成田山に行く、でもかまわないでしょうか。 初めての質問なので読みづらかったらすみません。 よろしくお願い致します。
大変失礼な質問だと思いますが、何卒ご了承いただけると幸いでございます。 私は、長らくサービス業に従事しております。 ここ5年の間に、2人の祖母、叔父、母親、旦那の親友が亡くなり、その都度お葬儀に参列いたしました。 宗派の違いはありましたが、通夜・火葬・葬儀・法要とそれぞれにおつとめをいただき、『ありがたいお経のおかげで、故人は仏になるために旅立つんだな』と故人の冥福を祈っておりました。 そういった機会も多かったためか、ご縁あって葬祭会館へ転職いたしました。 まだ1ヶ月も就業しておりませんが、すでにたくさんのお葬儀に立ち会わせていただき、さまざまな宗派のご住職様にもお会いしております。 何件ものお葬儀に立ち会うと、知りたくなかった裏の部分も見えてまいります。 『お葬儀をしておつとめを頂くのは、故人が無事に仏になるためではなく、残された遺族が大切な人の死を受け入れるための段階の儀式』なのかな、とも考えてしまいます。 お葬儀をする意味とは、そういった死を受け入れる儀式的な理由も含まれているかと思いますが、住職様から見た『お葬儀の際におつとめをすること』には、どのような意味があるのか、お伺いしたいです。 無知故の不躾な質問で大変申し訳ございません。 よろしくお願い申し上げます。
今年は母の十三回忌になります。 葬儀、三回忌は実家で行いましたが、お墓は私の家の近くで建てることにし、霊園・お墓の建立の都合で七回忌とお墓の入魂式・納骨を同時に行いました。そのときは父方の宗派が暮石屋さんでもお知り合いがおらず、自分で父方の宗派と同じお寺さんを何とか探してお願いをしました。 十三回忌はその時探したお寺にまたお願いに上がろうと思っていますが、十三回忌はお墓で行うものなのかお寺で行うものなのか、どちらでしょうか? また十三回忌は親戚はどこまでお声がけするのが一般的でしょうか?(母方の親戚のみ?家族のみ?) 父は私に任せきりにするつもりらしく、また知識も調べる意思もなく、困ってここを見つけました。ご教示いただければ幸いです。 私もこういった知識もなく教わる相手もおらず(母には存命時には色々聞けたのですが)、また仕事も子育て・子供の受験も控えてバタバタしているなかで法事を丸投げしてくる父にも悩んでいます。妹もいますが父が振らないせいか人ごとに考えているように感じます。母の供養はしてあげたいのですが、大変気が滅入ります。この状況に関しても何か良いお導きをいただければ幸いです。 よろしくお願いいたします。
ご縁がありまして、毘沙門様のお札を頂きました。 私は浄土宗の檀家なので、天部尊のお札は仏壇とは別に、隣の大黒様の祭壇に一緒にお祀りしております。 そこのお札は主に、真言宗や天台宗、曹洞宗のお札なのですが、そこに日蓮宗のお札も一緒にお祀りして問題は無いでしょうか? 「毘沙門様の視点から見れば、宗派の違いは無い」との解釈で問題無いでしょうか? お坊さまがたのご意見を伺えましたら幸いです。
最近、疑問に思っていることがあり各ご僧侶様のご意見を頂きたく質問させて頂きました。 まだ小学校低学年の頃から、30年以上前に亡くなった曾祖父に会いたがったり、誰に教わるでもなく仏像をねんどで作ったり絵に描き起こしたり何かと仏教とご縁のある身なのだなとありがたく思っております。 大学でも仏教学部に在籍していたこともあり学問的な仏教にも大変興味があります。 この1か月間で無量寿経、薬師経、阿弥陀経、般若心経等、10以上の真言、経典を読んでいました。 釈尊の言葉をまとめたものがお経なのであれば、なぜ葬式や法事であげるか少し理解できずにおります。教えを書き起こしたもの(学校でたとえるならば教科書でしょうか)を故人にあげる意味とはどういうことなのでしょうか? ある本には六道の中で人間界でしか仏教を聞く事ができないと書いてありました。 人の思う天国も六道では天界というところだそうですが、苦しみもあるとのことでした。 葬式や法事等であげるお経は人間界でしか学べぬ仏教を、故人にもその教えをお経として聞かせ参列している人もまた教えを一緒に聞く、という意味合いなのかなと解釈しております。。 菩薩や天部のエピソードは多少脚色されたものもあるのかもしれないなと物語として楽しく学んでおります。 また各浄土にいらっしゃる仏様それぞれが得意とする分野をお持ちですが(薬師如来なら無病息災や病気治癒など)、病気になった時はお薬師様、強い心を持ちたい時はお不動様などそれぞれの仏様に拝んでもよいのでしょうか? 全ての仏様のお師匠様が阿弥陀様ということを本で見かけましたので基本的に元をたどれば一つであると考えればどの仏様にお祈りをしてもよいのかなと、、 仏様のご利益は願って叶うものではなく、願ったのち自身が前を向き努力した時にそっと後押しをしてくれる存在と最近は思います。 ご僧侶様のご回答ご意見を、宗派関係なくお聞かせください。 ※曾祖父時代は浄土真宗、現在は真言宗ですが私自身はどの宗派も元をたどればおおかた同じと思っておりますので気に入った仏様や宗派を勉強しているようなかたちです。
先日祖母が他界しました。故人は浄土真宗大谷派です。曽祖母の遠縁にこれまでお世話になっていましたが、住職の健康問題があり今回の葬儀も対応いただくことができず先行きがわからないこと、体調不良の以前からも車で40分ほどの距離の法要をお断りされていたこと、葬儀や法要の際に酩酊や二日酔いのような状態で途中で退席することがあり、今後お付き合いできるか不安な点が多々あります。 母(亡くなった祖母の娘)はこれまでのおてつぎのお寺に関係から、法名をお寺にお願いすることを躊躇っています。母は不安を要素があるお寺にお願いするなら、祖母の人柄を知った上でで「釋尼幸楽」としたいそうですが、またこの法名が問題ないのか心配だそうです。そもそも戒名についての前提知識がないのですが、お寺から「頂く」べきですか?そもそも故人の遺族が(宗派のルールについて調べた上で)法名をつけることはできるのでしょうか? また、これまでお世話になっていたお寺(曽祖母の関係者)から、曾祖父のお寺に変えたい、と母が希望しています。地区名(都道府県、市、地区名)はわかっているのですが、存命のものがおらずお寺の名前がわかりません。どうにかして見つけることは可能なのでしょうか?可能性のあるお寺に聞いてみることは可能なのでしょうか?
御坊さまたちは、一般人と会話をする際にご自身のことを何と呼ぶのでしょうか? また御坊さま同士はどう呼び合うのでしょうか? そして、同じお寺に複数の御坊さまいらっしゃる場合、先輩後輩の別があると思うのですが、先輩後輩関係ではどう呼び合っているのでしょうか? 教えていただきたくお願い致します。
こんにちは。すももと申します。 よろしくお願い致します。 さて個人の墓地に建てる五輪塔ですが、ネットで調べ供養塔だと分かりました。 いくつか見たサイトのうち、1つに自分の家の先祖だけでなく、他家の親戚も供養してくれると書いてありました。 本当でしょうか? うちのお墓に眠る人と血縁のある他家の人も供養してくれるのでしょうか? ちなみに私の家の宗派は曹洞宗です。
私の家系は先祖代々浄土真宗です。 父は本家から独立して遠く離れた地域で家庭を持ち、近隣の浄土真宗のお寺の檀家になり、私たち子供と暮らしていました。 その父が数年前に他界したので新たにお墓を建てたのですが、近隣の浄土真宗のお寺(檀家となったお寺を含む)や無宗派の墓地に良いところ(空き区画や立地)が無く、色々考えた末に生前父が好きでよく登っていた山の中腹にある真言宗のお寺にお墓を建てました(浄土真宗のお墓を受け入れてくださる真言宗のお寺でした)。 ですので葬儀場で行ったお葬式や自宅での法事は浄土真宗のお坊さまに来ていただいてますが、お墓への納骨の際にはお墓のあるお寺の真言宗のお坊さまに真言宗のお経を読んでいただくことになりました。 私はこの縁で真言宗のお経に少し興味を持ち、今では般若心経を覚えて唱えることもできるようになりました。 ただ、家系的に浄土真宗ですので実際にお墓等で般若心経を唱えたことはありません(浄土真宗では般若心経を唱える必要がないとの教えを少し理解しています)。 今後も自宅の仏壇や法事では唱えるつもりは無いのですが、真言宗のお寺に建っている父の墓前で般若心経を唱えて良いのかを迷ってます。 実際に納骨の際には真言宗のお坊さまに真言宗のお経を唱えていただいた事実もあるのですが、浄土真宗家系の私は、それでも父の墓前で般若心経を唱えるべきでは無いのでしょうか? ご縁で真言宗のお寺にお墓を建てたことですし、父のためにもなるのであれば唱えたい気もしています。 どうかご教示頂けますようお願い致します。
<お位牌に関しての相談です> 両親のお位牌を本体とは別に作っていただき、現住所である海外の自宅に置いて手を合わせております。このことは、実家がお世話になっておりますお寺の御住職もご存知です。実家の宗派は真言宗です。 よかれと思ってやっていたことですが、最近日本に住んでいるきょうだい達が、私の身に何かあった際の、私の自宅にある両親のお位牌の扱い方に不安を覚えていると聞かされました。 ・私の主人は日本人ではなく日本語も話せないため、私の身に何かあっても、お仏壇(小型のものです)やお位牌に関して、日本にいる私の家族と話し合うことができない ・私のきょうだい達は、日本から両親のお位牌を受け取るためだけに、海外の私の自宅に来るようなことはしたくないとのことです。 ・予想される色々な状況を考えて、主人を含むこちら(海外)の義理の家族に後のことは頼めない。 結論としましては、大変残念ではありますが、私の存命中に両親のお位牌を手放して、きょうだい達の精神的負担をなくしたいと思います。 お世話になっている御住職に相談させていただくことも考えましたが、きょうだい達の耳に入ることを避けたいと思い、こちらでおしえていただければ有り難いです。 また、お位牌と共に日本から持ち込んでおります鈴、鈴棒などの仏具一式も手元にございますので、その扱いについてもおしえていただければ幸いです。なお、私自身は仏事等で年に一回は日本に行きます。 お位牌をそばに置いて手を合わせることばかりを考え、想定できたであろう問題について何も考えなかったのは迂闊であったと反省しております。
初めて質問いたします 曹洞宗の家系です 私の家は昔からある菩提寺さんにお世話になっているのですが 家にも仏壇がありお釈迦様や道元禅師様などが祀られております、またお経も毎朝読むようにしております そこでふと思ったのですが、お寺に出向いてお坊さんにお経を唱えてもらうのはなにか意味があるのでしょうか? お仏壇にはお寺と同じお釈迦様が祀られておりますし、お経も自分で唱えております わざわざ高いお布施を出してまで行く理由がわからなくなってしまいました 宗派によって考え方が変わってくると思います できれば曹洞宗のお坊さんに答えをいただきたいです よろしくおねがいします。
お世話になります。 私の家の宗派は両親ともに浄土真宗です。 一人暮らしをしているのですが、ご先祖様を供養したく、小さな棚を作り、そこに今は、お水、お茶、お菓子をお供えしております。 ろうそくやお線香は火災の危険と火災報知器があるので、置けないのと。 お花をお供えしたいのですが、家をあけることが多いので造花を考えております。田舎者なので造花にかなり抵抗があるのですが、造花でもいいものなのでしょうか? もし『その程度しかできないんだったらやめた方がいい』というご意見等がございましたら、仰ってください。 よろしくお願い致します。