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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 怖い」

検索結果: 1296件
2023/12/08

祖父の今後について嫌な事を考えてしまう

こんにちは。私の祖父について相談させて下さい。私の祖父は80代後半ですが先月まで働いていたほど、元気でした。 しかし、先月倒れてしまって命が危ないとまで言われましたが先日退院することができました。 しかし、退院してからの祖父は弱々しくて歩くのもやっとになってしまってトイレも着替えもままならないし、「辛い、痛い」とよく口にします。 病院に行っても「早く帰りたい」と何度も口にして、病院が辛かったらしくその日は病院から帰宅後、立つこともできず、寝返りすら辛そうになっていました。祖父が退院したと言っても根本の病気の治療はこれからで、何度も通院しなきゃいけないだけでなく、遠距離の通院になります。 酷い孫ですが、辛そうな祖父を見てると「病院に行かない方がいいのかな」とか祖父にそういう選択肢がある事を伝えた方がいいのかなとか考えてしまったり、お金の事が頭を過ったりします。 祖父が入院した時は「死なないで」と思ったのに、祖父が大切だとも思ったし、祖父が退院した時は嬉しかったのに…こんな事を考える私なんて死ねばいいのにと自分の事ばかり考えてしまって… 祖父に死を選ばせる事、お金の事、自殺願望などどうすればこんな嫌な事を考えなくなりますか? また、矛盾してるかもしれませんが、私は他の人の死への覚悟の仕方もわからないんです。覚悟ってどうすればできるんでしょうか?

有り難し有り難し 19
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虫の知らせと執着

初めまして。 昨年の春、従兄がまだ40歳代の若さで亡くなりました。 お葬式で喪主である奥さんを見ながら、永遠の別れになってしまった二人のことを胸が締め付けられる思いで見ていました。 その瞬間から、もう20数年も前にお別れした結婚してもいいくらい好きだった彼のことを思い出してしまいました。 それまで普通に思い出の中で済まされていたのに、当時のことが突然生々しく蘇ってきて、一日中思い出しては家族の前でも就寝中でも涙が溢れて眠れない日々が、従兄の死から3か月ほど続きました。しかしある日突然、つきものが取れたかのように涙が止まり夜も眠れるようになりました。 その数日後、彼の奥様が亡くなったことを人づてに聞きました。眠れるようになったのは、彼女が亡くなった日に近いようなのです。 彼とは一昨年前に偶然再会し近寄ってきてくれたのですが、人ごみの中でしたし突然のことで混乱して無視をしてしまいした。その出会いも気にすることなかったのですが、思えばその時から助からない命だと分かっていて、彼は私を懐かしんでくれたのかとも思えました。 彼は遠方に住んでいて同じ地元です。その時は帰省していたようなのですが…。 その奥様の死から、彼のことが気になって仕方ありません。 SNSで言葉をかけてみましたが、もちろん返事もありません。 何よりも、封印し続けた20数年前の別れの苦しみが蘇って辛いのです。 彼の親の反対もあり、私の一方的な思いだけで何年も付き合ってくれて私の納得する形で別れることにしたのですが…。 懺悔やら後悔やら執着やら、大変混乱しています。仕事や家事で何とか気は紛れますが、とても苦しい毎日です。 いつかこの思いは晴れるのでしょうか。 この先、彼を見かけることもあるとは思いますが、その度に辛くなるのかと思うと怖いです。 どうか、よきご指南をお願いします。

有り難し有り難し 18
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乗り越え方

家族の死をどうやって乗り越えたらいいのでしょうか、、、 昨年、家族の病気が進行し、治す術もなく看取り優先での生活を告知され、そばで看取りをしました。 最後の瞬間まで看取り、人の死ぬまでのその一瞬も逃さず、他の家族と一緒に静かに見守り、泣きながらありがとうと伝えました。 私にとって一番の応援者であり、師であり、父であり、時には喧嘩相手でもありました。 看取りは母が一番そばで行っており、私は死が近づくのを見てられなくて父に対して素っ気ない態度で接したり、話さなかったりと酷いことをしてしまったなと後悔しています、、、 毎日、父とメッセージのやり取りをしていました。父は亡くなる前まで応援や励まし、アドバイス、いつもの冗談をメッセージに残して送ってくれていました。 私は、父に対して親孝行ができなかったと、かなり後悔しています。 結婚して子どもがいたら孫を見せられたかもしれない、花嫁姿なんて見てくれたかもしれない、母との食事のプレゼントもできたかもしれない、一緒に旅行もたくさん連れて行けたかもしれない、、、 そんなことばかり、頭に浮かびます。 最後まで心配させてしまったし、素っ気ない態度で話してしまったり、、、 もっと心温まる言葉とか、優しさとか、そういうのを以て対話していたらよかったのに、とずっと後悔ばかりです。 もう二度と、父からメッセージは来ないし、会話もできない、父が大好きだった旅行もできないし、二度とそういう時間は来ないのだと思うと、どうしていいのか分からない程の悲しみと虚無感と後悔とで苦しいです。 でも乗り越えなければならないし、家族を支えなければならないと自覚しています。その中で、一人にしないで、という残りの家族に対する自分自身の寂しさと甘えとが一気に上がってきます、、、 自分自身もいつかは死ぬというのは分かっているんですが、今目の前にあるこの虚無感と怖さとどう対峙すればいいのか、分からないのです。 お叱りでも大丈夫です、お忙しい中この文を見ていただいてありがとうございます。

有り難し有り難し 23
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死ぬことが頭から離れない

私は完璧主義者です。でも何事も完璧にやりきれるだけの能力はありません。 完璧な秩序のある生活や思ったことを完璧なやりきることへの執着心がとても強い人間です。だから一度のつまづきで全てを放棄したくなります。 ただ、現実に社会は混沌としています。それだけでなく、身の回りのことや仕事に完璧な秩序を保つことの能力が私には欠如しています。そのギャップにとても苦しめられています。自分で作ったルールを遵守できないこと、予想外のアクシデントで自分の計画が狂うこと、このようなことが本当に本当に苦痛です。 こんな混とんとした世界で生きることが果たして幸せなのか。娘や家族への情だってもちろんありますが、それを感じる主体がいなくなればすくなくとも私の気にすることではなくなります。おまけに私は利己的な人間です。考える私がいなくなればそれで残された人への想いも断ち切れます。 死んだら思考する私はいなくなります。苦痛を感じる器官もなくなります。それだけでこの世界を離脱することが大きな救いになると感じるのです。 死ぬことは怖いです。でもなぜ死んではいけないのか、よくわかりません。残された人は悲しむかもしれませんが、死んだ私にはそんなこと関係ないとも思うのです。 生きるか死ぬか、そのことが頭をぐるぐるしています。死んではいけないような気もしますが、とにかく死にたさが頭を覆って、でもそんな勇気はなくて、生きることに手がつきません。 死ぬことは果たして救済なのでしょうか。死後の世界については信じることはできません。それにこんな相談をするくらいですので生きたいという気持ちもないわけではないと思うのですが、この先もっと大きな挫折を味わった時、そのような自分を許すこともできないと思うのです。 この場でこんなことを質問していいかもわかりません。ただ、なんとか生きやすく生きていける方策があれば楽になれるとも思うのです。死と生について私なんかよりも深く考えておられるお坊さまに何か知恵をお借りできないかと考えています。 まとまらない文章で申し訳ありません。何卒よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 87
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2023/01/27

事故や災害で亡くなった人の遺族について

災害や大事故の遺族はなぜあんなに故人に執着するのかとふと疑問に感じました。あの様子だと故人は成仏するどころか、遺族を見たら浮遊霊や呪縛霊にならないか心配になりました。 私は死を受け入れ、故人に手を合わすことで、時と共に故人がいなくなった悲しみが癒え、苦しみが和らぎ、故人との思い出が刻まれるものと思っています。私は10年前にガンで母を亡くしているので体感的にそう感じます。しかし、遺族を見てると様子が違う気がします。 確かにある日突然、大切な人が亡くなったという悔しさ、悲しさなど色々な感情が複雑に起こってくるのはわかります。でも、ある日突然…ということであれば交通事故、心筋梗塞、脳梗塞も災害や大事故と同様、瞬間的にもしくは数時間で死へ向かうという状況は遺族にとっては同じだと思うんです。 私は阪神淡路大震災の時は14歳で尼崎で被災しました。今年防災センターへ行き、尼崎と神戸では全く状況が違ったこと改めて理解しました。その後1.17の集いの会場にも行きました。尼崎と神戸は被害状況違ったと言われたらそれまでですが、追悼、鎮魂のために祈る人が穏やかに時を過ごすのと同時に執着、執念そういうものも感じました。そして、福知山脱線事故の時と同じ感じがしました。この事故の時は家で掃除してました。13時にテレビつけたら特番流れてて「え?これ何?プラレール?(電車模型のおもちゃ)」って思うほど状況把握できない映像が流れてました。私は現場とは一駅違いです。救急車の音がずっとしていたのを覚えてるし、ニュースで死者数がどんどん更新される怖さを覚えてます。そしてあのマンションが保管されると尼崎なり、JRが結論出した時は驚きました。もう見たくないという遺族、マンションや地域住民もいたのに保存派が粘り勝ちしました。これに関してはJRの初期対応の悪さなど遺族感情を逆撫でするようなことがあったので遺族が怒りをあらわにしたのもわかるのですがニュース見てたら故人追悼よりもやり場のない怒りの矛先を故人を盾にどこかにぶつけているようにさえ感じました。 当事者しかわからないことがあるのはよくわかってますが、こういう状況って故人は安心して成仏できるのだろうか、また追悼施設や追悼会場があることで成仏できない霊が集まって余計に成仏できないとなると本末転倒です。 お坊様や和尚様ならどう考えるか教えてください。

有り難し有り難し 35
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不妊をへて、自分の存在意義がわからない

最近、生きている意味がわからず、死を選んだ方が楽だと思うことが増えてきました。 1年半くらい前から不妊治療をしていますが、なかなか子供とご縁が結べずにいます。 主人は精神的に不安定な私に優しく、自殺したいと思うならもう子供は諦めようと言ってくれています。しかし、主人も本当は子供が欲しいと思っているし、周囲の期待も感じます。 最近は子供はまだなのと聞かれることが怖くて人と会うことが怖いです。近々、私の祖母の法要がありますが、親戚と会うことが怖くて参加できないと親に伝えたら渋々了承してくれましたが、法要に参加できない自分が情けないです。 法要に参加できないと伝えてから親との付き合い方もわからなく、私は誰の期待にも答えることができない、自分なんて生きていても意味がないと思えて仕方がありません。 不妊治療をすることが辛いですが、辞めると後悔しそうで辞める勇気もありません。 自分の心の弱さが情けないです。自殺は周囲を不幸にすると分かっているのですが、常に頭から離れず、死を選べば楽になれると現状から逃げることしか浮かんできません。 こんな私に何かアドバイスや生きる意味を教えていただければと思います。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 34
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2023/06/26

昔亡くなった友達とその母親

最近ずっと思い出して悲しくなったり苦しくなったりするので書かせてください。 私が6歳の頃、同級生とその母親が川で心中して亡くなりました。私は幼稚園で皆が死んだ!と言うから「嘘言うな!」と言いましたが、園長先生の集会で、生まれて初めて死というものを実感しました。 新聞にもそのことは当時掲載され、親とお葬式にも行き、心中したであろう川の方にも父と一緒に車で行きました。 美しい川でした。 私はずっと無意識に、大人になってからその事を忘れて水を美しいと思って水の絵を描いてましたが、最近その友達のことを思い出して、その母親の年齢にも恐らく近くなってから、悲しさと水の美しさに何かゾットするようなものを感じ、どう表現したらいいのか分かりませんが、苦しいです。 なんで今更苦しくなるのかわかりません。我慢してたんでしょうか? あと、死ぬ前にお昼寝の時友達と私は寝れなくて、友達が「息を止めると寝れるよ」と言われてやってみたら苦しくなった思い出もあります。 彼女も母親にそんなこと言われてたのかなとふと思い出したりします。 支離滅裂ですが、私の死生観がこの2人で何か歪んでるように感じてます。良かったらこの悲しみや苦しみの受け止め方を教えていただきたいです。

有り難し有り難し 4
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私の意識とはなにか

 以前、死が怖いと相談させて頂いた者です。ご回答を頂いて以来、それを胸に、心の持ち様や認識を変えたりして、素人ながら試行錯誤しつつ、死をどうにか受け入れる練習をしています。  しかし、死について考えると、私の今ある命や意識は、そもそも最初はどこからきたのだろう?と考えてしまうのです。肉体は勿論母から生まれましたが、生まれる前、私の意識(精神)はどこにあったのでしょうか?生まれる前、というのは、死んだあとと同じなのでしょうか?  これを考えだすと、生きていること(意識があること)それ自体が気持ち悪いように思えてしまうのです。なぜ今、私に意識があるのか?と考えてしまいます。なんというか、常に、ゲームの世界の住人のような気分?なのです。私は、誰かによって作られた世界の中に放り込まれ、意識が芽生え、それ故に死の恐怖に苦しみ、そして必ず死ななくてはならない。宇宙規模で考えれば些末な出来事であるけれど、私という個人にとっては、その事実がとても怖く、苦しいのです。こんな理不尽耐えられない、と思って、どうしてもこの世界の仕組みを恨んでしまいます。  私の意識とは一体なんなのでしょうか。そして、生まれる前はどこにいて、どこに死んでいくのでしょうか。私の意識はどうなるのでしょうか。  そして、そんな恨んでしまうようなこの世界を、どうしたら愛せるのでしょうか。大切な人と出逢っても、必ず最期に離れ離れになってしまう。私が愛した「私」も、必ず消えてしまう。日々の小さな幸せを感じるほど、死というこの世界との別れが辛くなり、恐怖で押しつぶされそうです。  それでも折角いただいた命を生きぬかなくてはならない、と思うのです。生きぬくために、どうかご助言をよろしくお願い致します。まとまりがなく、分かりにくい文章で申し訳ありません。

有り難し有り難し 6
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絶望の人生

何度もご相談させて頂きますが、何卒お願い致します。 私は転職したばかりなのに生きる事も仕事も何もかもが本当に辛くて休んでばかりで情けないです。 先月から働いていますが、先月も4回休みました。今月入ったばかりですが 3回休んでしまいました。 今の世間の状況や年齢的にも転職は難しく最後の転職だから頑張ると決めていたのに情けないです。 周りの皆さんみたいに頑張りたいのに頑張れない自分は生きる資格も存在価値もありません。 解雇されるのは常識として当然ですが、解雇される事が怖くて不安で仕方ありません。 頑張りたいですし辞めたくない気持ちはあります。今度、上司に勤務時間を短縮して頂く事が出来ないか等を相談したいのですが我が儘でしょうか? それ以前に解雇されそうです・・。 若し解雇されたら自死しようと考えています。 社会人として人間として働く事は当たり前ですし休んではいけない筈なのは理解しているのに、同じ過ちを繰り返してばかりいます。 甘えてばかりで情けないです。 また、家庭でも鬱病の妹から軽蔑・嫌われています。職場にも家にも居場所がありません。 辛くて情けなくて生きる事が限界です。 最近特に、1日中希死念慮に苛まれていて生まれてきた事自体が間違っていたのではと考えてばかりいます。 1日1日を日々生きている事が辛くて疲れました。 両親には申し訳ありませんが生まれなければ良かったなと思っています。 これからの短い人生をどうするべきか分かりません。 支離滅裂になり本当に申し訳ありません。

有り難し有り難し 11
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老いに対する恐怖

こんにちは。現在中学3年生の者です。 タイトル通り、自分は老いが怖いです。 よく、老いることと一緒に質問される「死」についてはあまり怖くありません。 もし生まれ変わりというものがあるならば、そのまま悪行を行わないようにして、また生まれ変わり、一方でもしないのであればそれを認識する術もないわけですから、特に恐怖というものは出てきません。 しかし、老いることだけはどうしても怖いんです。 僕は2004年生まれなので、もし80歳まで生きれるとしたら その時は2084年です。僕はその時、おそらくこの時代の中学生や高校生の「若さ」を羨望するでしょう。 一つ目の質問ですが、皆さんは10年前,20年前の自分、もしくはその年齢の人を「若さ」で羨むことはあるのでしょうか。 そして、二つ目の質問に関してですが、1年前、国語の授業で 「無常観」について習いました。 自然を対象とした無常観というのは、非常に美しく素晴らしい考え方だと思いました。しかし、人間関係や自分の老いに関する無常観は「儚い」という一言で表せると思ったのですが、 その「儚い」が怖いんです。 例えば、今は両親や祖父母が生きていますが、いずれ、どの順番かはわかりませんが、亡くなり、お別れが来ます。 また、今自分は「若い」という部類に入り、体力もある時期なので基本いろんなことができます。しかし、そんな自分もいつかは衰え、できることが少なくなると思うとどうしてもなんともいえない気持ちになります。 二つ目の質問なのですが、皆さんはこの「老い」についてどう思いますか、またはどう考えますか。そして、もし仏教にそれに関する教えがあるのでしたら、教えてくださると幸いです。  

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「死んだらいけない」でも私にその価値があるか

以前もここで質問させていただきました。 公務員試験の勉強、もう疲れました。 就職浪人してこんな弱音吐いてちゃいけないと思うのですが、やはり私は「社会に必要ない」人間だと思ってしまいます。 公務員試験合格のための予備校に通い始めてまだ3ヶ月で、まだまだと思う反面先が見えず辛いです。 また就職できなかったら死のうと思います。 いつも死のことが頭にあって苦しいです。 精神障がいの手帳もあります。 アルバイトで事務の作業をしている合間ですら、「自分はこんな簡単な、社会にとって必要なこともできないのか」と落ち込んでしまいます。(大きなミスをしているわけではないです) それというのも自分でいうのもなんですが、一般的に旧帝国大学(文系ですが)を良い成績で卒業し、それでも就職できなかったこと、周りが「いいところ」に行ったのに、わたしだけまだ何にもなれずに公務員試験の簡単な問題すら解けずにもがいている自分がとても醜いのです。 本当は就職できなかったら自殺する予定でした。 そのために大学、サークル頑張ってきたので。 就活の時は家庭環境がかなり悪化し、私の精神状態も強制入院ギリギリだったらしいのでまだ生きてるだけ奇跡かもしれません。 精神障がいの手帳には「希死念慮」と書かれていました。 早く誰かに「死んで」と言われて、死ぬか、誰かに「頑張ったんだから何もしなくていいよ」と言われて何もせず生きていきたい気持ちもあります。 でも、それでは今まで周りに迷惑をかけたり、お母さんやおばあちゃんに心配をかけた分を取り返せません。 罪の意識でいっぱいです。私は決していい人ではないです。本当に悪い人です。 自傷行為が治ったはずだったのに先週瓶で手の甲を何度も殴り、気がついたら酷い痣ができていました。 前は腕を切っていたのでまだマシですが、またアレに戻るのかと思うと自分が怖いです。 一日一日が過ぎるのがとても怖いです。楽しみなど今の私には何もなく、受けてもいけないと思います。 これから数週間、苦手教科の模試のようなものがあります。怖いです。点数で生きるか死ぬか決まってしまうので、 もちろん極端な考えをしているし、また死なないとは思います。 でも、とても怖いです。私は全く無能でただ周りに害を与える存在になってしまったと思います。 こんなことやってないで勉強に戻れと言われそうなので勉強に戻ります。

有り難し有り難し 38
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うつ病の人の死ねばいい

今まで自分でうつ病と話す人に何人か出くわしましたが性格がクソでした。 今でさえ怒りを出せますが、直接毅然とした態度を当時にとれたわけではありません。 一人目は死ねばいいのにが口癖の人でした。どんなことに対しても死ねばいいのにという。当時私はまだ20代で純粋だったので、彼に言われた言葉を跳ね返せなくて本当に自殺しようとしていました。なんとか服薬したり治療したりして希死念慮を抑えましたが、あの時の苦しみは今でも忘れません。 また二人目の自称うつ病者は病院でただ、ごねて診断書を書いてもらった事を自慢するような確信犯でした。その方にありもしない噂を流され、結局仕事はやめましたが、結局その人は自分の流した噂の収拾がつかなくなったみたいです。 また三人目のうつ病者もあることないこと噂をばら撒くひとでした。 結局うつ病者にかかわり、仕事を退職にまで追い込まれました。 他にも私が被害を受けたわけではありませんが、彼氏が暴力を振るうと噂を流す人や、生活保護をもらって生活してる人がいます。 ここまで来てうつ病の人は悪くないと思いますが、病気を盾に人をいじめる人が嫌いです。 その人たちは最後は同情されて庇護されて権力を使いパワハラ も人を追い詰めることも平然とゆるされてしまいのうのうと生きてるのが気持ち悪いです。 人が怖いです。こうゆう人と関わりたくなくて社会との関係を断絶してしまいます。

有り難し有り難し 21
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