人生が急に虚しくてなりません 趣味を増やしたり、気になる人に会いに行ったりしてみました。 でも心の何処かで繋がりたくなかったなと思うんです 絵を描いてるので例えば美術をしてる人に会いに行った時は楽しかったんですが、 ふと虚無感に襲われたんです。繋がってしまったことでこちらの活動も認識される感覚というか… こちらの活動がもし成功したら離れていっちゃうのかなとか考えてるんです。もちろん成功は遠いです 会いに行ったのは絵描きというものを知るためで仲間づくりではないのはそうなんですが、では私に何が出来るのかを問われたら答えられません なんかもう、わかんないんです 少しでも有意義にと踏み出したのに 私はやりたいことあっても全然熱中出来ないままでした。 あれ、やっぱり書いてても違和感がある なんか変なんです、生への執着が軽くなったような気持ち 一人でひっそり作品を残して、あまり自我を出さないように名を挙げたい気持ちがあって 何なんですかね、なんも出来ないのに劣等感を補うように湧いてくるモノは 人間めんどくさくなっちゃいました、、、
生きてる時の未来にはワクワクしません。 死後の世界を想像するとワクワクします。 きっと私は生きることには向いてないんだと思います。 お坊さん、ごめんなさい。
私の家は両親は離婚し父、兄、私で住んでいました 兄は無職でしたが父が働いているので無職でも困ってはなかったのですが 私は自分が将来は兄の面倒を見なきゃならないのかと 兄とは仲も良かったのに心のどこかで 父より先に居なくなってくれないかと思ってしまった事もありました 私は父に相談し将来の不安から逃げる様にひとり暮らしを始め3ヶ月が経った最近 兄が急死しました 亡くなる前日の夜に兄は父にLINEを送り具合悪くヤバイと送っていましたが早く寝る父には届かず深夜1人で亡くなりました 父にLINEした後に友達と30分やり取りがあり少し落ち着いて眠りにつき 苦しい顔でも無くそのまま寝た姿で発見されたのが私には少し救いの様に感じました 父は出張が1日早まってしまって家に居なかった事やLINEに気づけなかった事に後悔しながら兄と住んでいた家に1人で住み 母は私のアパートに1週間滞在し兄を警察に迎えに行く所から葬儀からと母親として参加しました 私は30年近く離れて暮らしても産んだ母の方が悲しいだろう! 私より兄と住んでた家に1人暮らす父の方が悲しいし気付けなかった後悔で悔しいだろう! と思って私は両親の前で感情を思いっきり出すことが出来ません まだ母がアパートに居る事で1人になりたい 思いっきり泣けないストレスもあるし 両親が心配で一緒に居たいのに離婚しているから3人で過ごす訳にもいかず 父の方が心配なのに母をアパートに置いて父の家に泊まる事も出来ず全てがもどかしい状態です 私が家を出なきゃ助けてあげれたのかもしれない気持ちもある反面 無職の兄には生き辛い世界だったのだろうと思う気持ちもあります もっとこうしていれば良かったの後悔は 自分が楽になりたい為の懺悔なだけで 私は好きでは無い感情なのでしたくないんです 父にも後悔は色々あるだろうし先に息子が逝ってしまうのは親として悲しい事だけど 父が先なら残された兄の心配で心残りがあっただろう事や 父が見送った事は良かった事なんだと言いました 私は冷たいんでしょうか 将来は父に家の処分をしてもらい一緒に住みたいのが私の理想ですが 父は後3年は働くから1人で大丈夫だと言います 長男だから仏壇やお墓を自分が守らなければってあるんだと思います 私は古い家に戻りたくないのが本心ですが アパートを引払い家に戻るべきなんでしょうか
20代の女です。 なぜ私は生まれてきたのか、生きている意味があるのか、存在する価値があるのか、と悩んでいます。 私が生まれた家庭環境は決して良いと言えず、母親はギャンブルに狂い、家のお金を使い借金を作り、最終的には人のお金に手を付け私が18歳の時に刑務所に入りました。 私は父親に引き取られ暮らしましたが、20歳の頃に私に借金を作らせて蒸発。 運が良いことに親戚が助けてくれて借金の肩代わりをしてくれて一人暮らしをする手助けまでしてもらいましたが、最終的に残ったのは学歴も資格もお金もない私だけ。 最近では病気が見つかり、病気が原因で仕事を解雇されました。 何もない空っぽの私が人に助けてもらうまで生き続ける意味があるのでしょうか。 家族がいた頃は縛られながら、親の言うことを聞きながら生きてきたので、1人で生きていく術を覚えられずに生きてしまいました。 今は親戚が後見人のような形でたまに様子を見てくれたりしますが、ありがたくも正直うざったく感じてしまう自分がいるのです。 学がなくとも人はやっていける、自分の周りにいる人の一例を挙げて私に話してくれるのですが、聞かされるたびに私の無力さを押し付けられるようでとても心苦しいのです。 そのような人たちはちゃんとした両親に育てられ、私とはスタートが違うのですから。 それでも私は両親とは違う、と親戚の前では虚勢をはり、親戚の前では良い子を演じてしまいます。 仕事を解雇されたのも、病気が見つかったのもまだ親戚に言えていません。 仕事に就く際も何度も揉めて、やっと納得してもらって就いた職なのにあっさり解雇されたのを非難されそうで辛いんです。 仕事も探して受けていますが受けては落ち、仕事もなかなか無く、このまま再就職できなかったらどうしようと不安で仕方ありません。 こんな状況でも遊び呆けようとする自分にも嫌気がさします。 でも毎日が寂しくて、友達に会いたくてしょうがないんです。 生まれてきた頃からずっと不幸で、生き方もどうしようもない生き方で、こんな私は何故生まれたのか、何故生きているのかと思うのです。 まとまりがない文章で申し訳御座いません。 お答えしにくいかもしれませんがお願いします。
東京はお盆を迎えます。親族についてご相談させてください。詳細には書けませんが、かなり困った人です。 過去には、父母の相続について「やり方がわからない」等と言って放置し、弟と分けもせず、父母名義で送付される株式の配当金や優待券等を自分のものにしていました。次の相続が発生し、私とのやり取りとなりましたが、金融機関に「自分が全て相続することになった」と嘘を伝えて書類を作成した上、私には全く違う説明をしたり、必要な書類は送ってこないなど非協力的でした。 葬儀前から家で金目のものを探すなどする割に、入院費や葬儀費用はこちらに督促の連絡がきていました。法事に関しても、自分が施主となるものは行いませんし、参加もしません。今回も、相続に関する費用の支払いは後回しにされています。法事、各種支払いについては、仕事等を理由にしていますが、休みを取って遊んでいます。 逆に不思議なことに、本来受け取るべきものを受け取れる時には、些細なことで文句をつけたり、面倒がったりします。 金銭欲と自己保身のために、分けるべきものを分けなかったり、嘘をついたりといった状況を重ねてきたということだと思います。さらに、億を超える財産を受け取ったのに、もらえるもの、支払うものが気になるようで、既に終わっているものを調べたりしています。 周囲からは、そこまで面倒を見る必要はないと言われますし、私もそろそろ 精神的に限界です。 お盆にあたり、餓鬼事経などを読んでいると、この人について考えさせられます。お経では餓鬼が供養を求め、お釈迦様が供養の方法を弟子に教え、尊者や徳のある人々がそれに応え、功徳を廻向し、餓鬼が救われます。 仏教における施餓鬼供養や、現実でも不幸な境遇の人に寄付等で手を差し伸べることはまだ楽にできますが、このような人が身近にいる時にはどうしたらいいのでしょうか? 仏教の中で教えがあれば、また、お坊さまの意見があれば教えてください。
現在、大学4回生です 中学生の時、突然に「死んだらどうなるんだ?」ということに気が付いて恐怖のあまり嗚咽が止まらなくなったのを覚えています。親に相談しようにも、タブーに触れるようで出来ませんでした。 その時は考えに考えて結局わからないということで放置していたのですが、ここ最近になってまたその考えがまたやってきました。 地元の信仰が浄土真宗本願寺派だったのでその考えに基づき、死生観を考えていたのですが、納得できませんでした。 納得というか、信じきれてないというのが現状なのかもしれません。 真に信仰が出来ていたらそもそもこの質問が出ないことになりますから。 どうしても考え方に疑いを持ってしまうのです。「ホンマかいな」と。この「ホンマかいな」自体が信仰に対する冒涜、罪なんでしょうか。 化学に詳しいわけではないのですが、どうもその前提に結び付けてしまします。(無知なのは重々承知しています)生きている状態なのになぜ人の死後が説けるのか?とか。脳がないのに意識は死後存在し続けるのか?、お浄土は本当にあるの?などです 臨死体験も結局は死に切れてないですし、死後の見解が地域、信仰、人によってそれぞれ違うのも疑問です かといって「死後は無なんだよ」「意識はただの脳内の電気信号なんだよ」と言われればとんでもないくらいの恐怖にのたうち回ります。死後、体も感覚も思考も、自分自身も消えてなくなり、二度と目覚めることはない。そんな状態が永遠に続くと思うと... 様々な文献、記事を読み漁っても「そういう考え方もあるのか」程度にしかとれず合点がいきません。 今を生きることこそが大切、もっと他にすることがあるんじゃないの?と言われそうですが、そうではないんです。死後が知りたいのです。 利己的な見解ばかりで申し訳ありません 自分自身でも、どう質問してよいか漠然としててわからないのです 僕以上に、もっとつらい思いをしている人がいる中で... ここまでの人生、たった21年の短い人生ですが、何不自由なく生かされてきました。両親、祖父母そして周りの人々には感謝しきれません。これから、家族やお世話になる人達にいっぱい自分の受けたモノをお返ししていきたいです。 故に死の恐怖にここから先の人生を邪魔されたくありません。 どうか僕に納得できるようなお考えを教えてください。
こんにちは。 今年、「私はこのために生まれてきた」と思えるような大きな仕事を、文句のつけようがないほど良い形で果たすことができました。自己満足だけでなく、社会にも大いに役立つ仕事です。この社会に生を受けた責任も、果たし終えたといえると思います。 だから30代半ばにして、私にとってはこの先は「余生」という感覚で、もういつ死んでもいいと思うようになりました。 生きていることが、絶対的に幸せだとは私は思いません。生きていれば、「知らなければ幸せだったこと」を知ってしまい、絶望に苦しまなければならないこともあります。生きるためにはお金が必要ですが、そのためにあくせく働いて「何のために生きているのかわからない」と思ってしまうのでは、目的と手段が入れ替わっているようにも思えます。 それに、今の私は人生の目的を最良の形で果たし終え、幸せの絶頂にいます。もし今、人生の最後の時が来たら「私の人生は最高だった!」と笑って死ぬことができるでしょう。それはある意味、理想の死の形ではないかとも思います。 親はいますが、伴侶や子どもはいませんので、「この子の行く末を見守るまでは死ねない!」というモチベーションもありません。フリーランサーなので、組織に対する責任もないです。親や友人は私にもしものことがあれば嘆き悲しむでしょうが、志半ばではなく充分に人生を謳歌し、社会にも確かな礎を遺して生き切った私を、誇りに思ってくれるのではないかとも思います。 でも、そんな縁起でもないことを考えてはいけない…という風潮もありますし、「長生きしたいと思わない」なんて生物としておかしいのではないか、そんな考えを口に出すことは人としてタブーなのではないか…と我ながら思ってしまうこともあります。 一方で、死生観は人それぞれ、一般論に振り回されても意味がないのではないか…と思う自分もいます。「逆縁なんて親不孝」「生きたくても生きられない人もいるのに」なんて定型文もありますが、そんなのはケースバイケースだと思います。 もちろん、私は「自殺したい」と考えているわけではありません。ただ漠然と「今お迎えが来てもいいな、そうなっても全然『死にたくない』とは思わないな」…などと思っているぐらいです。 私の考えは誤っているのでしょうか。誤っているとしたら、なぜなのでしょうか。 こんな私に、有り難いご教示をいただけたら幸いです。
おはようございます。 少しだけ気持ちを聞いていただきたいことがあります。 もうすぐ、1/17、阪神・淡路大震災発生の日が来ます。今年でもう30年になります。 ここ数年ですが、この日が近づくにつれ、心が傷んだり、ざわついたり、ふと涙が止まらなかったりというふうになりました。 私は中学2年の時に、神戸であの揺れを経験しました。私の住んでいる地域は家が倒壊したり、人が多く亡くなったというところではなかったのですが、ガスも水道は3ヶ月通じないという生活を送りました。 私の家族や近しい親族、友人も皆無事でしたが、火災で立ち上る煙や真っ赤に染まる当日の夜の空、液状化現象、、、 あの日の揺れ、体験したことは忘れることはありません。 もちろん、ずっと前からこの日を迎える辺りはあの震災のことに思いを寄せておりましたが、ここまで辛く涙が出てくるほどではなく、もっと冷静に向き合えていたと思います。 若かった頃は日々の学校や受験、社会人になってからは仕事や自分のことで精一杯だったこと、また関西で生活していたので、周りにたくさん同じ体験をした方も多かったのもあり、今ほど辛いと感じなかったのかもしれません。 東京での生活が10年を超えて、その間に子供が生まれて、40歳を超え、いろいろなことが感じられるようになり、自分が生き残ったことは当たり前ではない、ということがわかったのかもしれない、とも思います。 近年立て続けに起こっている大きな災害に遭われた方のこともよく考えるようにもなりました。 しかし、このところ、あまりに心が痛み、掻き乱れる時間が長く続き、これはちょっと…とも思うようになりました。 なるべく心を穏やかに日々の仕事や生活をこなしていく。 これが周り回って社会や困っている人の少しでも助けになっている、と普段から考えているのですが、特にここ数年の1/17あたりの心の振れ幅が大きく、自分でもただただ辛く悩んでおります。 気持ちを聞いていただき、ありがとうございました。
こんにちは、見てくださってありがとうございます。 初めての質問、長文ですが失礼いたします。 昨年食道がんで父を亡くしてから、思い悩むことが多くなりとても辛いです。そういった負の感情とのつきあい方、折り合いの付け方をご助言いただけたら嬉しく思います。 「思い悩む」の内容は、自分では3種類くらいあると思っています。①父の死自体に対する悲しみ、②今後周りを含め迎える死に対する悲しみ、③周りと比較してしまう思考、です。 ①に関しては、死別までのトラウマです。コロナ禍ということもあり、父は臨終近くまで家で過ごすことが多く、父の咳で眠れなくなったり、血痰が出て夜中に看護婦さんを呼んだり、かん腸で泣き叫ぶ父を励ましたり、とても悲しい記憶が色濃く残っています。当時リモートワークで、仕事先の人にもあまり事情を分かってもらえる人がいなくて、完全に孤立してしまったことから、少し捻くれているのかもしれません。 ②は、これは私も意外だったのですが、今後私が経験したような果てしない悲しみを、ほとんど誰もが同じように経験をするという事実が、悲しいということです。その事実を直視すると、人生には救いがないな、と、思ってしまいます。例えば、私の周りの大切な友達やいまは幸せそうな家庭や生まれたばかりの赤ちゃんだって、いつか大切な人の死を経験するのは同じですよね。親の死に対して「みんな経験することだよ」という励ましワードは良く見ますが、私にとっては、それが、そういう出来事が増えていくことを確信しているからこそ、これから生きていくのが苦しいな、という感情になってしまいます。 ③は、他者との比較を辞めたくても辞められないということです。周りは20代。両親健在な方が多く、羨ましさが拭えません。両親が元気な友達の家庭の話を聞いたり、死と関係のない悩みを聞いては、一人になってから羨ましさで泣いてしまいます。「両親どちらも幼くして亡くしてる人もいる。私は幸せだ。」とか、考えてみるのですが、また人と比較することでしか、自分を慰められていないことに気付いて嫌になります。他ならぬ自分自身が苦しいのだということを認めたいです。 hasunohaやグリーフについての本などを読んで、死別といっても、それに伴う感情は多様で複雑だなと思っています。お時間ありましたら、お言葉いただけたら嬉しく思います。
何度も質問して申し訳ありません… 過去の質問でも書かせて頂いたのですが、今年の3月に母が亡くなり、先日に四十九日法要も済みました。 四十九日以前は悲しみや寂しさといった気分の落ち込みと付き合いながらもまだ何とか生活が送れていましたが、以降は感情のコントロールが利かなくなりました。 長く過ごしていただけに家の中には思い出が詰まっており、辛いので外に出たりしてみましたが、ほとんどが一緒に出掛けたことのある場所ばかりで面影ばかりを追い求めて変わらず、どうすればいいのか行き詰まってきました… 『一緒に住んでいて気付くのが遅い』 『もう少し早く気付いていれば結果は違っていた』 たらればとわかってはいながらも言われたその言葉が忘れよう・考えないようにしようとしても脳裏から離れません。 実際は嫌な予感がしていましたが、『大きな病気だったらどうしよう』と口にしていた母を不安にさせたくなかったのと、信じたくないと思っていた自分が招いた判断ミスだけに余計にです。 『どんなに痛く苦しかっただろうか』 『入院してからどんな気持ちだったのか』 そんなことばかりや生前の元気な頃から苦しんでいた姿など色々なことが脳裏を過り、年甲斐もなく涙が溢れ出て止まりません。 更に心療内科で処方して頂いた薬が合わなかったようで服用してから記憶が錯乱して取り乱し、母を探そうとしたりするようです。(自分では記憶がなく、覚えていないです) 強くなれ・気持ちを切り替えられるようになれと言われていますが、思うようにはならず苦しいです… 次の日の朝が来るのが怖く、夜眠る時、このまま迎えが来て目覚めなければいいのに…と考えるようにもなりました。 そんなことを母は望んでいないと思いますが、出来るのならこのまま母のもとに行きたいと思っています。 何か自分でも書いていて訳がわからなくなってきました、すみません…
家族と縁を切って かなり経ちます。 15歳離れた兄の家庭内暴力に怯え、家を出たのですが 今は安心して暮らせるのでとても幸運です。 それなのに、いまだにふとした時に思い出して激しい憎悪がわきます。 その事で心療内科に通ったり、 心理やスピリチュアルに助けを求めたりしましたが、 「憎しみはだめ、水に流す」というものが多く そうだと思う反面、 兄に対しては「可哀想な人」だとも思えず 怒りや憎しみがわいて しんどいです。 憎しみは不毛だな と思うので やめたいですし、 精神的にも良くないし、 スピリチュアルなどにあるような オーラや魂の波長などが悪いものを引き寄せたら…と怖くなったりもします。 その反面、こんな恨みを買うような相手を何故こちらが大目に見てやらねばならないのか、と 理不尽な気持ちにもなります。 かつての自分がとても怖かったことや悲しかったこと、非力だったせいで苦しかったことを 「もう済んだことだから、忘れよう」となかなか思えないんです。 許せないからしょうがないと割り切ることも出来なくて、 ふとした時に 理不尽な理由で殴られた鼻がムズムズするので悲しいです。 実家は狭いアパートで二間しかなく、 兄は一部屋を占拠していたのですが 家具などに激しく蹴りを入れたりして怖かったので よくお風呂場で勉強をしていました。 トイレよりお風呂場の方が隠れて過ごせるのですが、 日中 入浴時間がまちまちな兄が 突然 ドアを蹴破って入ってきて 入浴するから邪魔だと鼻を殴られたことがとても怖くて(長い時間 血が止まらなかったので) マンガやテレビで鼻を殴るシーンや ドアを蹴破って入るシーンを見るたび あの時の恐怖と憎悪が思い浮かんでしまいます。 何年も経つのに、特にこの事が悲しかった。 家具を蹴る音が怖くて お風呂場から出れなかったのに… 憎悪と殺意も 恐怖で竦んだ悔しさも 根深く覚えています。 世の中には、家族から嫌な目にあっても 前を向いてる方々がいますし、 私も自分のために 安心して暮らせることに目を向けたいのですが、 兄のことになるとまるでダメです。 どうか「憎しみは自分に返ってくる」とかではないアドバイスを頂けたらと思い、 質問させて頂きました。 長々とすみません、どうぞよろしくお願いします。
前回の続きになりますが親友と3日間だけですが 無事に面会することが出来てその内2日間は 親族が不在の時間が多くて親友と話したり 食事の介助やトイレの介助なども手伝ってあげる事が出来ました 親友が寝ている時は手を握りながら ずっと俺に付いて来てくれて有難うと言ったり 身体は見えなくなっても心の中にずっと生きてるし 俺は○○と出会えて幸せだったよと語り掛けたりしてました 親友の前では沢山涙を流しました 俺は○○と別れるのは辛いけど ○○が苦しんでいる姿を見る方がもっと辛い 俺は○○と出会えて本当に良かったと思ってる こんなにも想ってくれた人がいて幸せだったと思って あの世に行ってくれないかと親友に言いました 人は誰かに思われて亡くなるほど幸せなことはないと思うよと 親友には有難うと言われて嬉しさで胸が一杯になりました 今度の私の願いは親友が夢の中に出て来てくれて 何時も通り私の名前を呼んでくれて笑いながら話 帰宅時には今日は楽しかったと言ってくれて お母さんに宜しくねと言って私が見えなくなるまで 優しく手を振り続けている親友の姿を見れたらなと思ってます 私は親友の葬儀には仮に呼ばれても参加はしません 親友と面会した3日間で想いを伝えて来て満足してます 親友と別れるのは辛いけど私自身大事な人との別れは 心を成長させる機会だと捉えるようにしております 自分と同じような人やこれからそうなる人に対して 自分と同じような辛い気持ちをして欲しくないから 優しく包み込んであげたいと思いますし 自分の考えに共感してその人の心が 少しでも安らげばよいなと思っております 私自身心が弱く駄目な人間なので また何か悩んだ時に相談すると思いますが その時は何卒ご指導の程宜しくお願い致します 最後に私と出会えた事が宝だと言ってくれた親友が 無事に成仏してくれるように願って頂ければ幸いです
私は一年前(もしくは半年前)まで盗撮をやめたり再開したりしてきました。 今は盗撮しづらいスマホケースを買い、カメラにはシールを貼って、反省できるよう日記を書いて再犯を防いでいます。 画像はそこにあるだけでつらいので、盗撮をやめるたびに消しています(専門家が調べれば見つかるかもしれませんが)。 ネットにはアップしていませんが、自分の他の端末にメールで画像を送ったりしていました。 今まで捕まる気配がなかったので、被害者は気づいていないのかもしれません。 なのでそれを理由に安心しようとする最低な自分がいます。 また罪悪感があり、捕まることも怖くて鬱っぽいです。 起きたら自分の過ちについて考え、罪悪感と恐怖で何もできません。 本来なら被害者に謝るべきですが、母やカウンセラー、友達や被害者の一人に情報を伏せたり話を変えたりして相談した結果、何も知らない被害者を傷つけてしまうため、伝えない方がいいと皆は言っていました。 私も家族に迷惑をかけたくないし、捕まるのが怖いという甘えもあり、この案に賛成しています。 しかし、それは自首しないということです(被害者にも連絡がいくらしいので)。 罪には相応の報いが必要なのに、それから逃げるなて最低な行為です。 しかし、捕まるのは怖い。 被害者にもさらに迷惑をかけ、支えてくれた家族、信頼してくれた人々を傷つけてしまう。 それに被害者には私の友達、片想いしていた人もいるのです。 本当に馬鹿なことをしてしまいました。 今は、最低ですが常にいつ捕まるかと恐怖を感じています。 カウンセラーさんや母はただ再犯防止を続ければ良いと言っていましたが、本当にそれだけでいいのか疑問です。 私はもっと何か罰が必要だと思っています。 しかし私だけならまだしも、他の人にも迷惑をかけるので捕まるのは怖いです(酷い話ですが、迷惑をかける人がいなくても、私は捕まるのが怖いです)。 私はもっと正しい人間になりたかったし、周りにそう思われるよう振る舞ってきました。 だからこそ、今の私が情けなくて、被害者にも申し訳なくて苦しいです。 最後に問題のまとめですが ・捕まる恐怖と被害者への罪悪感をどうすべきか ・再犯防止をするだけで本当にいいのか その他、何か再犯防止対策や性欲をコントロールする方法があれば教えてほしいです。
ネットで偶然見つけ、初投稿させていただきます。 私は以前から時々ふと家族や恋人が死んでしまうことを考えてしまい、涙が止まらなくなることがありました。 祖父や愛犬などの死を何度か経験しているので、今生きている人達もいつかそうなってしまうと棺桶に入って、何も映さない目を閉じ、もう動かない様子を想像してしまいます。 身体に触れると、いつかこの体温もなくなってしまうとその体温すら死を連想させてしまいます。 声を聞いても、この声はいつか思い出の中でしか聞けなくなると思ってしまいます。 今こうしている間にも時は流れて、1歩ずつ死に向かっていると思ってしまいます。 自然の摂理ですし、祖母や親の方が確実に先に死んでしまうこと、人間よりも寿命の短い動物の方が先に死んでしまうことは理解しています。 分かっていても、親が昔より痩せ、老いているのを見ると自分が幼く、みんなが元気に集まり楽しく過ごしていたあの頃を思い、時は流れてしまったとまた涙が出てしまいます。 時が止まればいいのにととても切実に思います。 そして、誰かの死を見るのだと思うと、それならいっそ今の間に先に死んでしまいたいと思ってしまいます。 それは親を何よりも悲しませてしまうことだというのは重々承知しています。 でも、道を歩いていても、一つ一つ思い出すことがあり、あの時自分は何を思ったと自分の考えていたことさえ思い出せて、それすら悲しくなります。 でも誰かが死ぬことを思うと気持ち悪くなってしまうくらい悲しくなります。 吐き気も涙も止まらないです。 頭で分かっているはずのことをどうして割り切れないのでしょうか。 どうすれば泣かずにすむのでしょうか。 家族もみんな特に大病もないですが、事故や天災でもう会えなくなってしまうかもしれない。 覚悟して毎日を大切に生きるといいのかもしれませんが、いつか会えなくなってしまうのなら大切にしても後悔してしまうことはきっとあるし、いなくなってしまうなら意味が無いと思ってしまうのです。 すごく自己中心的ですが、もう私の記憶のある限りの今世でもう会えないなら、記憶のない来世でなど意味が無いと思ってしまいます。 ここに書き込んでおきながら、否定的なことを言ってしまってすみません。 色んな方のお悩みを拝読致しました。 その上でこのようなことを申し上げて本当にすみません。 失礼いたしました。
何度が相談に乗って頂き感謝してます。 母の死から2ヶ月以上が過ぎ、以前より泣く回数は減りましたが、周りの人が羨ましくて落ち込みます。職場の人達はまだ親が健在な人多く、皆でワイワイ喋ってる時に、例えば親とのXmasや年末年始の話、芸能人の誰々はもういい年やろーしんだ?とか話題にして楽しそうに会話してますが、私はそれをまだ笑って流す事が出来ず、自分には母がいない、皆が言う「いい年」にあてはまり笑われてるのが悲しくなります。もちろん私の母の事じゃないし、2ヶ月経って職場の人達の中では、私が母を亡くした事は忘れてる事で‥でも私は笑えません。皆が幸せそうで楽しそうで。何で私の母は今年、家族とお別れしなきゃならなかったの?もう私の一番の味方、相談相手がいなくなり、何を楽しみに生きればいいかわからなくなって、自分を大切にするのが意味無いように思います。私には主人はいますが、子供もいませんし、本当に毎日何の為に生きてるかわかりません。子供がいれば、子供の為にとか将来どんな風に成長するか楽しみに、子供のイベント行事があったり、入学卒業、就職、結婚、孫‥と新しい出来事と出会えるチャンスがあります。私には主人と老いていくまで働いて暮らすくらいで、まだ残ってる親の死にいずれ又会い、悲しむくらいしかありません。明るい事が無いです。周りと比べてどんどん悲しくなります。勝手なのはわかります。一番辛く悲しい思いをしたのは母で、病から解放出来て母は楽になったと思いたいですが、今の平均寿命から考えると、まだまだ元気でいて欲しかったとも思います。色々悩む自分が一番嫌いです。好きになれない、楽しみない、本当にこの世に私は存在してる価値あるのでしょうか。
長くなります。読めるところだけで大丈夫です。 昨日、誕生日を迎えて25歳になりました。 個人的に、今までで1番悲しい誕生日でした。 3月末日に愛猫を亡くしました。 初めて保護シェルターで出会った時に『絶対にこの子にする。』と予定には組み込まれていない形で彼を引き取りました。 一昨年、胆嚢炎で1ヶ月に2回の開腹手術を行い成功し元気に走り回るくらいに回復しました。 母親は、彼が死ぬかも、と勿論心配していましたが私は 『絶対に大丈夫、死なない』と謎の自信があり、母親と猫を支えました。 今年3月、猫が体調を悪くし当日に病院へ。 原因は分かりませんでした。 この時、自分の『大丈夫』という一昨年の自信はありませんでした。 それでも彼を信じなくてどうする。頑張れ、でも、頑張りすぎなくてもいい 彼を抱きしめて声をかけました。 広い草原、緑がさぁーっと広がって、かけっこし放題、お花もあるかも、涼しい風が吹いてる。 小麦畑もいいね、貴方は白茶だから、かくれんぼしよう、と心や声に出して伝えました。 それから2日後、私は彼の息遣いを眠りつつも確認 呼吸音が落ち着いた頃に起き上がり「おはよう、元気?」と声をかけました。 その時、いつも挨拶してくれるように大きな声で鳴いたあと 一段と呼吸が荒くなりながら立ち上がりました。 運んであげようとまずはトイレへ、するとそうじゃないのかまた自分で動き出し 太陽の差し込む窓辺で、家族が見守る中息を引き取りました。 まだ、書ききれない思い出もあります。 私は、彼の死を辛いと思わず 捨て猫の時の苦しい環境から、私たちに引き取られ、幸せな天寿をまっとうしたとポジティブに、また会おうねと気持ちを切り替えました。 ですが、体は正直なもので涙が止まらなくなったり タイトルの通り、夢では彼を失う事をとてつもなく悲観的に悲しみ 虹の橋を渡った彼に私の未練で心配を掛けてしまわないか、そんな自分が嫌です。 勿論、散々悲しみました。彼が亡くなった時、行かないでとも呟きました。 悲しむことは悪いことでは無いことを理解はしています。 ですが、ペットロスがとてつもなく 持病の鬱などにも影響してしまい そんな私を亡き猫は、心配してないか、苦しんでいないか、心配です ここまで読んでくれてありがとうございます。 もし良かったら、ちょっと慰めてくれると幸いです。
私は今浪人生です。 受験勉強をするために塾に通っているのですがある日突然(7月頃)に行きたくなくなり1ヶ月休んで、また1ヶ月塾に通ってまた数週間休むということを繰り返してました。 10月頃に流石に親にキレられ次休んだら熟を辞めさすと言われて11月14日まではちゃんと行ってたのですが、ここ三日間全く動く事ができなくなってしまいました。 もう何をしたらいいか全くわからないし、ここ1ヶ月は家族の誰とも話してません。(食材などは一週間の最初に階段に4000円が置いてあるのでそれで毎日過ごしてます。) もともと母親とは気が合いません。母親と話すといつも話題どろぼう?というかこっちの話を聞かずに自分だけ延々と話をし続けます。それを毎回それをされるとイライラして話たくなくなります。 母親は私が何か決めた事(進路や科目選択など)を辞めると言った時延々と人間が使う最低な言葉で、日常生活の態度とか全く関係ない事も含めて罵倒してきます。 それもあってかいつしか病気になったら休めるとか嘘ついたら休めるとか最悪死んだら何もかも辞めれるという思考になっていきました。 そして今死にたいです。 自分の決断に自信がありません。今は死ぬという選択肢が最高最良の決断と思えて仕方がないのです。 精神科にはここ2ヶ月くらい親に隠れてお小遣いを切り崩して通ってます。社交不安障害と診断されて抗不安剤などを処方されてなんとか塾に通ってましたがもう限界です。 塾長先生が優しい事が唯一の救いというか、私が決断して失敗しても決して咎めず他の選択肢を提示してくれます。精神科に通ってることも知ってます。 でもこれだけ良くしてもらっても成績は全く上がらないし、精神が安定せず体重はここ1ヶ月で5キロ減り、食べて、吐いてしまうという事を繰り返してます。自分が嫌になります。 このまま行くと受験も失敗して心も死んで誰の期待にも答えられないという最悪の結果になりそうです。 そうなる前に死にたいです。
今月、母が亡くなりました。今年に入ってから離れて暮らしはじめたので、仕事帰りに、毎日電話をかけるのが日課でした。自分では出られない母に父が電話を繋いでくれて、具合が良い日も悪い日も、声は聞けたのに。もう、それができないということが、苦しくて、苦しくてたまりません。実家に帰っても、母の着ていた服、使っていたものが、あの日からすべて遺品と言われるのにも、改めて母が他界してしまったのだと感じてしまい、辛くて仕方ありません。皮肉にも、遺影は素敵な笑顔でほほえんでいて、見るたび、もう楽になれたかな、痛みから解放されたかな、良かったのかな、、と思っては、そこから明るく話す声が聞こえず、亡くなったあの日の、まだ少しあたたかかった肌のぬくもりを思い出し、涙が止まらなくなってしまいます。決して高いものではなくとも、残された指輪やネックレス、これはどこで買ったものなの?誰に貰ったものなの?写真に一緒に写っているこの人は誰?生前気にもならなかった小さな事が沢山積み重なり、本人しか答えを知らない情報を、生きているうちに聞いておかなかった自分を責めて苦しくなります。頭では、そんなことを言ったところで生き返るわけでもなく、答えてくれるわけでもないと知りながら、やはりこの現実とのギャップに胸が潰れてしまいそうです。昔から、割と信心深い方でしたので、人が亡くなった後はこうなる、ああなる、等死後の世界のお話は全て信じていました。今も勿論信じてはいるのです。でも、母が亡くなってしまってから、心のどこかではなんだか全てが綺麗事としてしか捉えられなくなってしまい、遺影を見ながらお経を唱え、実際には食べれるわけでもない、飲めるわけでもない、母の好きだったものを仏壇に備えながら、私はいま、何をしてるんだ?と考えてしまうことが多くなってきてしまいました。スーパーに行けば、母の好きだったお菓子を手に取っては悲しくなり、昔一緒に行った店に行っては、母とこんな話をしたなと思い出して悲しくなり、お母さんと並んで歩く子供と街中ですれ違っては、心を引き裂かれたような気持ちになってしまいます。まわりの方は、優しく声をかけてくださいます。自分が精一杯生き抜くことが最高の供養だ、母が必ず見守ってくれているのだと言われても、今、とても、とても苦しいのです。呼びかけても母が返事をしてくれない現実に、頭がおかしくなりそうです。
数ヶ月前、母が癌で亡くなりました。まだ50代前半でした。 長かった闘病から開放された母のことを思えば、きっと今は安らかなのだから、悲しむことばかりではないと思うのに、夜になって布団に入ると、涙が止め処なく溢れて止まりません。 私は実家暮らしで、過保護な母に甘えて育ったところもあり、母が癌になってからも、通院も介護も最期までずっと一緒でした。 今までの人生でも泣いてばかりでしたが、こんなにも深くて底が無い、別離の悲しみというものを知りませんでした。 この悲しみを知らないままで居られたなら、どんなにか幸せだっただろうかと。 神様仏様が居られるなら、なぜ今この時、この瞬間の悲しみからは救ってくださらないんだろうと自分勝手なことを考えてしまいます。 どこまでも他力本願な考えです。 また、最後には耐え難い別離が待っているのだと思うと、人と関係を深めることも避けてしまいます。 ここ数年、四六時中、病気や死に纏わることが頭から離れません。 そしてまた、この虚しさは今生きている人間では誰も、根本的な解決はできないと考えてしまいます。 他の人の体験談や仏教の教えなどを読むと、その時は気が紛れるものの、結局は一時的なもので、この先の人生を明るく楽しく生きていくなんて、とてもじゃないけれど無理だと感じます。 いつかは、自らの死によってこの悲しみから開放されると考えると気持ちが楽になりますが、自死する勇気はないです。 母は最期まで前向きな人だったので、こんなことを考える今の自分は本当に情けなくて、顔向けできません。 変わらない絶対の安心という境地に至れたらと願いますが、今の自分には信じられません。 元々、神経質でネガティブな性格でもあり、この堂々巡りの暗い考えから抜け出す方法が分かりません。 長文失礼致しました。
最近立て続けに 大切で、愛する命とのお別れがありました。 以前にもお別れは経験しているのですが、 その時もやはりとても辛く悲しい日々が続きました。 過去の別れの時も、現在も、 ふと涙が出てしまったりします。 そんな感情とは裏腹に お別れをして一週間もたっていないのに、お腹が空いたり、眠くなったり、何気なくついているテレビを見て笑ってしまう。 そんな日常を迎えつつあり、自分がなんだか薄情に思えて許せないような、悲しいようななんとも言えない気持ちになり、日常を迎える事に罪悪感のような気持ちがあります。 私は母と二人暮らしで、 母も辛いはずなのに、そんな私を見て優しい言葉をかけてくれます。 「そばにいてくれているよ」 「大切に想っていた気持ちは伝わっているよ」 「あなたが元気にならないと、◯◯は自分が亡くなった事であなたを悲しい気持ちにさせてしまってるって、心配して苦しい気持ちになっちゃうよ」 そういった言葉をもらい、 そばにいてくれているんだな。 楽しかったし、ありがたかった、沢山愛することが出来た。 と、思ってみたり、 お別れをした相手も私と同じ気持ちであった。 と自分に言い聞かせてみたり…。 そうすることで少し心は落ち着くのですが、 「そばにいてくれている」 私にとってはとても心強い言葉で、 そう願いたいのですが、 もしかしたそれでは成仏をさせてあげられないのではないか。と、思ったのです。 無知で恥ずかしいのですが、 私の成仏のイメージは、この世に未練なく天国へ旅立ち、生まれ変わりの準備をするような、そんな感じです。 なので、 私が「そばにいてほしい」と願い、 「そばにいてくれている」と感じてしまうのは、成仏を妨げる私のエゴではないか。と。 私としてはそばにいてくれている事を信じたいのですが、 天国にいってらっしゃい。 と、見送る事が正解なのか…と どのような心でいたらいいのかがわかりません。 天国はいい所だと信じたいですが知らない土地に送り出すのも不安だと感じたり… 私が成仏に対しての理解がないだけで、 成仏してもそばにいてくれているのでしょうか? 今はお線香をたいて、一緒に過ごせた感謝と愛していることを伝え、そばにいてね。と、手を合わせています。 そばにいてほしいと願う事は良くないのでしょうか 成仏とはどういう事なのでしょうか