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検索結果: 6727件

障害のある子を授かる意味

前回の質問でも書きましたが、私には難病を持つ息子がいます。 息子は遺伝子の突然変異が原因といわれ、親自身には非はないとお医者さんに言われています。しかし最近思います。では、なぜ息子は障害を持って生まれてきたのか。私がどうしても女の子が欲しくて、3人目女の子授かるよう願ってしまったから?(結果男の子でしたが)これまでの行いや前世での行いが悪かったから? 私の周囲には、人を振り回したり悪口言ったりと人を傷つけたりしてる人がいます。でもその人は元気な子を産み、幸せに育てています。私も気づかぬうちに人を傷つけたりしてきたかと思いますが、悪口など言わないようにしているし、めちゃめちゃ悪いことをしてきたとは思えません。なのになぜ、私の元には元気な子を授かれなかったのでしょうか。 また、よく子供は天で親を選んで産まれてくるといいます。息子も私を選ばなければ丈夫な体で幸せになれたかもしれないし、もしかしたらあまりに私が子を願うあまり神様が無理に私のお腹に宿したのではなどいろいろ考えてしまいます。 障がいのある息子を宿したことは、私への罰なのでしょうか。それとも何か意味のある運命なのでしょうか。他の人ではなく、私が選ばれた差は何なのでしょうか。 お考えをお聞かせください。よろしくお願いします。

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人と動物の違いを教えてください。

よろしくお願いいたします。 少しタイトルとは異なりますが。 お坊さんに聞いてみたい事があります。当たり前に心では理解していますが、理論的には解らないことがあります。 人は他の動物の命をいただいて生きています。動物でも植物でも人は他の命を自分に取り込んで生かされていただけている。と理解しています。 では、人が人を殺してしまう行為はなぜ悪だと言えるのでしょうか。憎悪のままに人の命をを手にかける事は当然いけない事だと解ります。では、それが人が生きていくこと。つまりは人が人を食すためだとしたらそれは魚や牛の命をいただくことと同等の正統的行為になるのでしょうか。 戦時中や遭難時など、緊急避難的な状況なら解りますが、それが今私たちの周りにある日常での出来事だとしたらどうお考えになられますか。 改めて申し上げますが、感覚的にそれは大罪であり、禁忌である事は解っております。 世の中には生まれながらに、なぜ人を傷つける事がいけないことであると理解できない脳を持って生れてしまう人間、学術的にいわゆる「サイコパス」という人間がおり、時に恐怖な事件を起こしますが、そのような方が上記のような質問をされた場合、どう説明されますか。 私も人の命の尊さを知る上で、言葉としても理解しておきたいと思います。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 73
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宗派にとらわれない仏教思想の学び方について

10年ほど前、職場やプライベートの過度なストレスから パニック障害→鬱となり、仕事ができない状況になって職を離れました。 それまでは、フルタイムでバリバリ働き帰りは終電、 帰宅後や週末も時々在宅や出先で別の仕事をかけ持つなど 無茶もしていた時期もありました。 それくらい動けていたのが突然何もできなくり、愕然としました。 投薬治療で少しずつ動けるようになってきたものの、未だに完治とならず 相変わらず波がありゆられながらギリギリで過ごしています。 それまでの様な生き方、暮らし方はもう出来ない状況です。 そんな中、自分の生き方を振り返りながら、 ふと子供の頃から生き辛さを感じ続けていた事に気づかされました。 そこで、色々と勉強(通信制で通学もある大学で)を始め、 数年前に(明治維新以降ではなくそれ以前の仏教の考え方)仏教の 教えに触れる事ができ、そこから色々と(亀の様な歩みではありますが) 物事の捉え方を修正できてきている実感ができるようになってきました。 授業だけでは物足りず、参考文献など少しずつ読みながら独学を進めております。 最近は、どこかのお寺で勉強会などがあるなら行ってみようか? と考えてみたりするようになりましたが、 宗派にとらわれずにお坊さんから学ぶ術はないのだろうか? という疑問が湧いてきております。 今後学んで行くために何か良いアドバイスがいただければ幸いに存じます。

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こちらの心が無くて、あちらの心が動くでしょうか?

いつもお世話になっております。 ゆうりです。 お坊さんの、一言というのは、何故こうも、身に染みるのか。 お坊さんは、話上手です。(この言い方は怒られてしまうでしょうか?すみません。) 気になりました。 タイトルは、以前の質問で頂いた、今、大切にしている言葉です。 私は、将来研究者になるにしても、農業高校の先生になるにしても、(ノンプロで噺家、漫才師、芸人になるにしても)喋るという行為は、不可欠で欠かせません。 特に先生というのは、人間をつくる(あえてひらがなです。)職業であり、また農業を通じて命を慈しむ力を育んでもらわないとなりません。 さらに、私が噺家もを目指すの理由というのも、弱い奴に立ち上がってほしいからです。社会の皺寄せは弱者に来ます。そういう人に、立ち上がってほしいからです。 さて、「こちらの心が無くて、あちらの心が動くでしょうか?」 この「心」という部分があるから、「周りの友達」ではなく「hasunoha」に救いを求めるのだと最近思いました。私もその一人です。 その熱い「心」はお坊さんの場合は、「修行」によって培われているのは言うまでもありません。 (私の場合は、理由が異端なだけに、「信念の強さ」で解決出来てしまうかもしれませんが・・・) しかし、私たち質問者は、どのようにそれを鍛錬すればよいのでしょうか? その「心」どうしたら磨かれるでしょうか? 自分磨きというものは「自分が自分をするのみ。」「自分が自分の行を行うのみ」 精神的な強さを得るためには、「自分が自分を学んでいくこと。」 そう、以前にお言葉を仰ぎました。 これの継続によって得られるものなのでしょうか? また、これだとまだ何か、足りないでしょうか? お手数をおかけしますが、お手おすきの時間がありましたら、回答の方を宜しくお願いします。

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トップダウンの上司、やる気が下がった同僚との接し方

私は係長というポストで、大きなプロジェクトのリーダーを任されています。 今年から部長が人事異動で交代となり、とても自己主張の強い方がやってきました。 部下の意見を採用することがなく、自分の意向どおりに仕事を仕上げるような指示ばかりを出してきます。さらには、部下が時間を工面して作成した資料を自分が作ったものと言って、手柄を自分のものにしてしまうのです。 私もプロジェクトのことで部長にプレゼンをするのですが、そのたびに方向性が変更されます。そして、スケジュールが遅れ、その責任を責められます。 私とともに業務に取り組んでいるプロジェクトメンバーも、部長に嫌悪感を抱いていいます。直属の課長はメンバーの現状を相談しても、特にフォローしてくれません。むしろ、部長の太鼓持ちです。 はじめは上司の指示に従うのが組織人としての基本と思っていましたが。さすがに自分の考えを押し通し、部下の功績を自分の手柄としてしまう部長にはついていけません。 いまの体制はしばらく変わりそうにありません。今後、どのように部長と接し、どのように仲間のやる気を引き出していけばよろしいでしょうか。ご教示いただけると幸甚です。 合掌

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センター試験に大失敗、本当に辛いです。

受験期真っ最中の高校3年生です。 春から欲を捨てて勉強に励んできました。 その甲斐があり成績もぐんぐん右肩上がりに伸びて、第一志望校に手が届きそうでした。 しかし、センター試験本番で緊張と焦りで大失敗。第一志望校は夢のまた夢となってしまいました。 センター試験が終わってからは毎日死んだように過ごしています。 心はからっぽで何もしたいと感じなく、悲しみから、勉強にも以前のように取り組めません。勉強をしていて泣いてしまうこともあります。 「他の私立大学の受験があるんだから気持ちを切り替えなきゃいけないよ」と言われ、切り替えようと努力しますが、センター試験での自分の失敗を思い出し苦しくなります。 なぜ今までの自分の努力を発揮してあげられなかったのかとやり場のない悔しさがこみ上げてきます。 なんだかずっと自分が間違ってきたことをしていたような気にも駆られてしまいます。 もう死んでしまおうかなとも1日に何度も思います。 ですが私を今までずっと支えて来てくれた、大切にしたい人たちのことを考えると死ぬことはできません。 一日中そんな気持ちたちが悶々とこみあげてきてとても辛いです。 このままだと自分がおかしくなってしまいそうです。どうしたらいいでしょうか。

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ある僧侶の死

前回の質問時に生じた質問です。 もう何年前のことだか正確に覚えていませんが・・・ある日のこと、前途ある若き僧侶が殺害されました。夜間、路上で危険行為をしていた青少年らを注意したところ、逆上した彼らに暴行され、その末に息を引き取ったそうです。 当時、この報道を偶然テレビで観ていた私はとてもショックを受けました。僧侶という特殊な立場の人が犠牲になったことや、私個人のそれまでの想いや経験とも重なったのでしょう。暫く、忘れられませんでした。けれども、年を経るごとに少しずつ忘れ、思い出すこともなくなりました。しかし、数年前にお坊さんが書いたあるエッセイを読んだ時、一気に思い出したのです。 そこには偶然にも、あの事件のことが書かれていました。もちろん、実名などの記載はありませんでしたが、私はフラッシュバックのように、当時、テレビに映し出されていた事件現場を思い出しました。どこにでもありそうな人気もまばらな夜間の風景、暗い夜道と街頭、街頭に照らされた白いガードレール、記事を読む女性アナウンサーの声。 筆者と被害者の男性は、修行道場で先輩・後輩の関係で、男性は修行を終えて実家のお寺に帰った後に急死。彼の父親であり、師匠でもある住職は、葬儀の挨拶の中で、こう述べたそうです。 「それでも、許さないといけないのでしょうかね・・・」 仏教の教えでも、何であっても、人は皆平等で、言動には大なり小なり理由があります。加害者となった青少年らにも、殺意があったかどうかはともかく、腹立ち紛れに暴力をふるった原因や理由がそれぞれあるでしょう。しかし、だからと言って許せるかどうかは、また別の話。けれど、許すか諦めるかしなければ、生きている限り、苦しみ続けなければならない。また、こういったことが二度と起こらないように、暴力事件の被害者の方々が活動しておられますが、その活動は別として、果たして、彼らに救いはあったのでしょうか。 「許す」って何なんでしょう。諦めたら救われるのか・・・ただ、どうしようもない「ままならぬのが人の世だ」と分かっただけではないのか・・・「救い」って一体、何なのでしょうか。

有り難し有り難し 69
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いじめに遭った私の方が辞めることに…

パート先で、いじめにあっていました。 相手は同じパートさんで、2年前同じ時期に入った人(一人)です。 店長にも相談したら、 「君が何かしたわけじゃない。俺が何とかするから仕事を頑張って欲しい」 と言われて、それを信じてました。 ですが、エスカレートするばかり。 仕方なく、パート先(大手チェーン店)の本社相談窓口に行きました。 店長にヒヤリングをした結果、 いままで何の対応もしていなかったそうです。 その後、本社の人と店長が話し合い。 シフト予定の分の時給は払うし、 (物を投げつけられるようなこともあって) このままじゃケガをするかもしれないし、辞めたらどうかと言われました。 心身ともに疲れ果てていた私は、それを受け入れました。 後悔はしていません。 次はきっと、もっといい条件で働ける!とか、 空いてる時間で今まで出来なかったことをしよう!とか 新しいこと覚えるの面倒だけど、新しい場所や人に出会える!とも思えます。 でも。 管理者は何もせず、加害者がパート先に残り、 被害者である私が辞めなければならなかったこと。 この結果が理不尽で、悲しく、苦しいです。 次の仕事が決まらず、このまま首をくくることになったら… なんて不安にも襲われてしまいます。 何かお言葉をいただければ幸いです。

有り難し有り難し 177
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