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hasunoha 問答検索結果 : 「私 死 どうしたらいい」
検索結果: 2205件

母が余命宣告されました

拝見してくださり、ありがとうございます。 私は20歳の女性です。 1年前、62歳の母の癌が発覚しました。 そしてこの間、余命があと3ヶ月程だとお医者様に告げられました。 私自身とても辛い幼少期を過ごしており、 ようやく人生が楽しいと感じ始めた頃に母の病が発覚しとても辛いです。 自分が今辛い状況に立っているのを認めたくなくて周りの人に頼る(相談する)事が出来ません。 楽しい事を楽しみたいという気持ちと、母親と過ごす時間を大切にしたいという気持ちがごちゃ混ぜになって苦しいです。 母親が苦しがっている所を見ると、私自身もとてもしんどく苦しくなってしまいます。 毎日楽しく過ごそうと思っていても母親の事を考えて重く沈んだ気持ちになってしまいます。 ウイルスの影響で面会も中々出来ないし、人混みに行くと私も感染しているのではないかと不安でいっぱいになってしまいます。 生きる気力をなくした母を見ると、どう言葉を掛ければいいのか分からなくなります。 「私を産んで、ここまで育ててくれてありがとう」など感謝の気持ちはたくさん伝えてきましたが、 母が亡くなる事も亡くなった後後悔するのも全て怖いです。 生きている以上、死は必ず来るものだと分かっていますが、身近な人間の死がとても怖く感じます。 質問になっているかわからないですが、ぜひ、メッセージをいただきたいです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 13
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老猫の看取りについて

以前、相談をしてお答えを貰った者です、あれから色々ありまして、毎日今この時を大切に共に生きようと楽しく生きてきました。今回は前に相談した家の老猫の話です。 前回、居なくなるのが不安で仕方ないと言っていましたが、あの時はまだ老化が出てきたばかりでジャンプをしたりご飯を食べたりと今思えばまだ元気でした。 先月辺りから食欲もなくなり元気もなくなり眠ってばかりで、病院に連れていき検査をしてもらいました。 膵炎と診断され、高齢猫、16歳なのでいつ最期がくるかはわからない覚悟をしていて下さいと言われました。 膵炎の薬は無いとの事で、対処療法として皮下点滴をしに病院に通っています。 次の血液検査で数値が下がっていればいいのですが、そうでなければ治療が長引きます。 高齢猫にとって病院に行くストレスも物凄いものだと思います。 膵炎は痛みが出ると先生が仰っていました。 猫本人は皮下点滴をすることで少しは痛みも楽になっているみたいで、今はゆっくりゴロゴロしています。 私はこの子と出会って沢山の事を教わりました。 だから最良の選択をしてあげたい。 本音を言えばもっともっと一緒に暮らしたい。 でもここまで一生懸命生きて今苦しんでいるこの子にまだまだ頑張って生きろとはさすがに言えないと思いました。 お坊さんに質問です。 人間でも自然死が尊重されつつあります。動物もそうだと思います。 同じ死を迎えるにあたって、私は自然死が良いと思います、何もせずゆっくりと死に向う方が穏やかな死に方になると聞いたことがあります。 ですが、痛みだけは取ってあげたいと思っています。 でもそれは病院で点滴をしなければなりません。 私が愛猫にしている行為はただのエゴでしょうか。 この子を苦しめているのは病気だけではなく私自身なのではないかと思ってしまい、悩んでいます。 私がしている行為、お坊さん方はどう思われますか? お答えを頂けましたら幸いです。宜しくお願いします。

有り難し有り難し 22
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2023/07/07

亡くなった父への後悔で、辛いです

同居してた父を先日癌で亡くしました。診断はステージ4、手術出来ない状態、入院してたった9日で急変し旅立ちました。  私は恥ずかしながらいい年(40代)をしていつまでも思春期の女の子のように父への態度が悪く、母とばかり仲良くして冷たい娘でした。  父の具合が悪くなりだした頃から、医療に素人ながらも何か様子がおかしいと感じだし、単なる体調不良ではないと察し、そこから今までの自分の態度の悪さに吐き気がするほど後悔し、家でのお世話や検査付き添い(たくさん検査がありました)、入院諸々と仕事も投げ出しお世話をしました。その間、たった3ヶ月弱ぐらいでした。  今までの事も謝りたかったのですが、改めて謝ると「死期が近いんだよ」と言ってるみたいだし、どうしよう。でも医師の説明だと短くても半年は余命があるし、どうやって謝るか、どう覚悟するかもう少し考えようと思っていた矢先の父の急変と死でした。 意識が混濁してから、耳元で大声で「本当はお父さんが大好きだったよ!」と言いましたが父が理解してたかはわかりません。   今更ながら、もっと父と話したかった、近所の散歩でいいから一緒に出歩きたかった、と後悔と寂しさで不眠症になっています。   この激しい後悔と私はどう向き合って生きていけばいいのでしょうか。 また、父はもう苦しみもなく、好きなお酒も飲み放題の世界にいると思いますが、生前に受けたであろう私からの冷たさは、もう癒やされてるのでしょうか。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

人間のあり方とは

これまで自殺願望について何度もご相談させて頂いたものです。皆さんの真摯な対応のおかげで希死観念は徐々に薄れてきて、心の余裕が出来た事で過去の自分と向き合う事をしているのですが、その中で気がかりな方に気づいたので僭越ながら再びご相談させて下さい。 私は、自由意志の尊重をきっかけに自死について興味を持ちました。「他人に命のあり方を左右されるくらいなら自分で死んだ方が得心が行く」という心持ちに至った訳です。 その発端は世間にはこびる根拠の薄い方便でした。「死は悪である」「子供を産むのが人のあり方である」「生産性の無い人は生きてはいけない」…こうした社会を回す為の方便を自明の考えとして押し付けられる事は今でも受け入れられません。 特に、死を絶対悪とする発想は金輪際受け付けないと思っています。現在の自分は生の目的を少しずつ見つけたので辛うじて死を適度に恐れていますが、それでも全ての人に悪であると考えることは思い上がりも甚だしいと多々感じます。 逆も然りです。誰かの生き様に無責任な横槍を入れる発言を私はしたくありませんしまして本人の納得の外で当人の生き死にを自分が左右する事に大変忌避感を覚えます。恐らく政治や企業経営などは自分には全く向いていないのでしょう。 このように自他の意志を尊重しようとすると、どうしても傍観者の立場を取る事になり、一向に他人との繋がりを見出せなくなってしまうのです。 自己という存在は縁起で成り立っているという事を知っておきながら、いざ生活すると他人の預かり知らぬところで淡々と幸福を追求することになります。 全くもって不思議です。 つまるところ、今の自分は人間不信なのだと思っているのです。 他人が信用できないから自分の力でどうにかする術を追求し続けたということです。しかし、そのあり方を果たして続けていいのか、いやしかし「貴方の為を思って」とうそぶきながら自己の為に他人を操作するのもどうなんだろうか、そんな事をずっと思い続けているのです。 これは果たして人間の在り方としてどうなんでしょう。それとも私は人間を名乗る事を辞めた方がいいのでしょうか。

有り難し有り難し 9
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十二因縁(縁起)を例えると…

日頃、宗教や哲学について、ネットあさりしています。 最近は仏教、特に原始仏教と呼ばれるものに興味を持っていますが、十二因縁(縁起)について、府に落ちたイメージを持つことができません。 そこで、難しい言葉や理論を使わず、現代でもわかりやすい具体的な例えを挙げていただきたいと思い、こちらに質問してみました。 なお、こういった知識(智恵でしょうか?)は、一言では語り難いものでしょうし、また言葉だけでわかったつもりになってはいけないとも思っています。でも、こうもイメージが湧かないと、日頃に意識することも難しい。 ぜひ、「なるほど💡 そんな感じなのね!」と感触を得られ、日常の中でさらに感触を深めていけるような例えを、いただきたいと思っています。 ちなみに、これまで私が掴んだ感触・知識は次の通りです。間違いや不足もあると思いますが、その部分こそ、例えで払拭したり補足したりしていただきたいです。 十二因縁(縁起)とは、 無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死の12個 「無明によって行が生じる」のように、前の物が次の因になる。 最後の「生、老死」については、「生まれることで、老いがあり死がある」ということ? では、「無明→行」「行→識」「識→名色」「名色→六処」「六処→触」「触→受」「受→愛」「愛→取」「取→有」「有→生」「老死→無明」はそれぞれ、どのような因果なのか。 現代でもわかりやすい例をあげるとすれば、どういう例が考えられるか。 仏教に疎い者でもわかりやすい例を、ぜひよろしくお願いしますm(_ _)m

有り難し有り難し 115
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猫につらい思いをさせ後悔が尽きません

猫につらい思いをさせたまま旅立たせてしまいました。 私が早く死なせてしまったと思っています。 子どもが生まれるまで大好きだった猫を、子どもが生まれてからは衛生面と子どものけがを心配し、邪魔者扱いしました。 子どもの世話で忙しいのを理由に、遊んでほしそうでも猫を無視しました。 あるとき、私が猫に噛まれ、病院へ通うことになりました。 それ以降、元々の猫の飼い主である夫にも怒りをぶつけ、 猫を一室に閉じ込め、私が猫と顔を合わせることはなくなりました。 それからちょうど1ヶ月後、以前から体調を崩していた猫は、 ご飯も水も取らなくなり、立てなくなり、死んでしまいました。 私は夫に、猫をどこかに引き取ってもらえないのならケージで飼ってくれと言い、 猫を入れるケージを買わせました。 夫は私に何も言わず、弱っていく猫の世話をずっとしていました。 夫が猫のことを話題にするのも嫌がりました。 私は休みの日でも子どもの世話をせず、猫のそばにいる夫に冷たくしました。 たった一度、猫を閉じ込めた部屋のドアを開けたら、猫が私に近づいてこようとし、私はすぐにドアを閉めました。その前後から猫は容体が悪くなり、3、4日後に亡くなったのです。 猫が亡くなった今も、夫は私を責めません。 猫は全部分かっていた、自分も猫の死を覚悟していたと言います。 私は猫を閉じこめ、夫にすべてを押しつけ、子どもだけをかわいがり、噛まれた傷が痛まなくなってからは同じ家にいるのに猫のことなど忘れていました。 弱っていく猫の部屋の隣で、笑って過ごしていました。 自分が鬼だったと思います。 けれど昔の写真を見ると、猫となかよくなりたくて、気を引きたくて、 猫が一番だった日々がありました。 最後に憎んだ猫を、今は影でもいいからどこかにいないかと探して涙が出ます。 もうどんなに悔いてもどうしようもないのだと、絶望的な気持ちでいます。 生きている間、噛んだことはもういいよ、私もひどいことをしてごめんなさいと 言ってあげたらよかった。 撫でてあげたらよかった。名前を呼んであげたらよかった。もう何も叶いません。 自分を責めて生きていくしかないと思っています。 どうしたらいいか分からずただ書いてしまいました。 厳しいことでも構いません、楽になりたいとも思いません。 ただ何か一言いただけたらと思います。

有り難し有り難し 62
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実父が末期癌で入院しました・・・

実父が、食道がんと肺がんで入院しました。 かなり進行をしている為、手術はリスクが高く放射線と抗がん剤治療になりました。 お医者さんからは、余命は1年持てば・・・と言われました。 すごく怖いです。 私自身、死に対して憧れ続けているのに、身内の死となると怖くて仕方ありません。 もう父が亡くなる前に、死んでしまいたいと思う程です。 変な話ですよね。 自分の死はどうでも良いのに、身内の死は嫌なんて・・・ 余命を知ってから、メンタル持ちの私はとても不安定で、突然父を思い涙が止まらなくなったり、かと思うと、「これはきっと間違いだ!やっぱり大丈夫!お父さんは元気だ!」と本気で思ってしまい急に楽観的になったりと、感情のコントロールが出来なくなっています。 父に会いたい気持ちと、会うのが怖い気持ちがせめぎあって、こんな大事な時なのに何もしてあげられないのが本当に情けないです。 このまま行ったら、きっと私はお父さんの死を受け入れられず「生きてるし。」と言い張り、お葬式ですら出ないのではないか? そんな気しかしません・・・ 究極の現実逃避ですね・・・ お父さんは、自分が癌なのにもかかわらず私の精神を心配しています。 こんな時にまで、まだお父さんに心配をかけている自分が憎くて醜くてどうしようもない奴だから代わりに私が死ねばいいのに!!と思います。 なぜ、生きたいと思っていない私ではないのですか? 私からお父さんを奪わないで下さい。 それが叶わないのなら、お父さんのため、こんなクズの私にも出来ることはあるのでしょうか? そして、お父さんの死を乗り越えることなど出来るのでしょうか? まだ、何もお父さんにお返ししてないのに・・・ お父さんに伝えたいこと、本当は沢山あるのに・・・ 私がこんな風でごめんねっていっぱい謝りたいのに・・・ あぁ、すみません。 感情的になってしまって。 長文読んで頂き、ありがとうございました。

有り難し有り難し 8
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死ぬこともできないです。

希死念慮に苛まれています。 私は恵まれていると思います。 両親、兄弟は健在で仲も良く 友人にも恵まれており 楽しいと思える日も過ごせています。 ですが、数年前から双極性障害と言われました。 元々、根暗だったのを「こんな考え方良くない」とポジティブに振る舞ってきましたが最近では、ネガティブに襲われます。 親友に裏切られたこと 職場でいじめられたこと そこから人間不信になったこと お金もなくやりたいこともできず 生きてる意味ってあるのだろうか と考えても無駄なことを延々と悩んでしまいます。 そう過ごしているうちに 「死にたい」 と思う日が増えてきました。 ですが 「こんなに恵まれてるのに死ぬの?」 「死んで解決するの?」 「周りの人に迷惑かけるし、何より悲しむよ?」 「自分より辛い人はたくさんいるんだよ」 「自意識過剰、悲劇のヒロイン気取り」 と自責する思いと 「ツラい、消えてしまいたい」 「このまま引きこもって誰とも関わらずに朽ち果てたい」 「何も考えたくない、死んでしまいたい」 と自殺願望が 頭で渦巻いて、おかしくなってしまいそうです。 両親・兄弟には言えていませんが 友人は私の精神のことをある程度理解してくれています。 本当に恵まれてると思います。 みんな「大丈夫だよ」と笑ってくれます。 ここでお坊様の皆さまに相談しても、きっと「生きなさい」と言ってくださるのでしょう。 (仮に「死になさい」と言われたとて、動機がなければ死ぬ勇気はありません。) その言葉はとても嬉しい、温かいのですが 生きるのは苦しい、死ぬのは怖い。 その事実はいつも変わらず脳内を蝕むのです。どんな言葉を頂いても、このとても苦しくて怖い、生きながら死んでいるような感覚が消えないのです。 私はどうすればいいか分からない。 死ぬ決定打がないので死ぬことはできないままに、日々希死念慮に苛まれます。 生きることは楽しいこともありますが 基本、私にとって生きるとは苦しいことなのです。 私はどうすれば救われますか。 生きるか、死ぬか どちらを選べば幸せなのですか。 死ぬことに理由があれば死んでしまうことも許されるのですか。

有り難し有り難し 43
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死ぬ前に。

私は先天性の病があります。 現在何不自由なく生活していますが、先天性の病気で年々体に変化が起きています。 主に肝臓が悪く、肝硬変が進行しています。 いずれ肝移植が必要になると思いますが、ドナーが居ません。 移植ネットワークも先天性の病気の場合は優先順位が低いらしく、あてにできません。 身内の生体肝移植も全滅でした。 いずれ…肝臓が機能しなくなるか、合併症で命を落とすか…。普通に生活出来るのは、あと数年…と言われています。あと数年で何かしら不都合が出てきて普通には生活出来なくなるだろうと言われています。自分でも検査結果やら、体調の変化で何と無く実感があります。 自分の死が怖くないかと言われたら、怖いですが、それよりも残される子供が心配で仕方ありません。主人は真面目ですが、子供の事はさっぱりです。子供の世話をマメにしてくれたり、話を聞いてあげたり…全く期待出来ません。 きっと私が居なくなったら子供達は沢山沢山ツラい思いをすると思います。 少しでも支えになれば…と、想いを手紙に残そうにも伝えたい事が山ほどあります。 でも、自分の手で想いを残したい。何不自由のない今だから尚更そう思います。 私は何を最優先に残せばいいのでしょうか。 考えれば考えるほど、焦ってしまいます。

有り難し有り難し 43
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いきる意味・糧

いきてるのが辛いと思うことが多々あります、死にたい、こんな人生いきてても仕方ない、いなくなっても誰も困らない、何のための人生?と。 身内を自死でなくしみえる世界が一変し何をする気力もなくなりました、空白の10年がたち、それでもかわらずいきてても仕方ないと思ってしまいます。やりたいことも思いつかず、どうせやったって何もかわらないと思うことばかり。死にたい、残りの人生誰かにあげれるならあげたいとも。そう思うと同時に身内の葬儀にきてくれた人の言葉を思い出します、「なくなtった人の分まで生きてください」とそう言ったその方は小学校時の教師で担任ではなかったですがいい先生でした。その先生の言葉を死にたいと思う度思い出します。でもいきてくのは辛い。充実人生ならともかく、身内がいない人生何十年いきてけばいいのか、気力もないままただ10年いきてきてどうでもよくなってる人生の今後何ができるのかと。幸い成人疾患などの入院や手術いる病気はないのでマシですが、このままずっとこのきもちのまま、あと何年続くんだろうと思うとしにたくなります。 身内をなくして以降、死がどういうものかよくわかりました、ただしぬだけじゃなく自死の場合、遺族は一生いき地獄、救えなかった罪悪感、どうしていきてた人のいない人生何十年もいきてかないとならないの?と。 大人になり世の中がみえるとやりたいこととやれることは別とわかり能力高くもない自分は何もできることはないなと。人の役に立つにはスキル必要でそれができる状態にないとどうしようもないです。ボランティアもまずは興味なければできず以前してましたがまた探してとりくむ余力はありません。能力の限界がみえてしまうととりくむ前から諦め何もする気がおきません。このままじゃいけないとわかtってても体が動かず。 親に、このまま何もせず何十年もいきてくの?どうにかしないといけないんじゃない?といわれその通りですが何していいか、おきない気力をどうやってだすかと。 やる気でるのまたずやってみるといいとよくいいますがそれがもうできない状態です。医者は投薬勧めてきますが副作用酷いのわかってるのでのまず。薬でやるきがでるわけでも気分よくなるわけではないので。その作用あるなら麻薬ですよね...何も希望もてない人生いきてても仕方ないとしか思えません。

有り難し有り難し 27
回答数回答 1
2022/09/06

勝手に産んだ親が憎い

いつもありがとうございます。この年齢でまだこんな事を言うのは恥ずかしいかも知れませんが、恥を承知で質問させてください。 私は昔から希死念慮がすごく強かったです。両親は子供を慮る人ではありませんでした。その代わり親としての義務は果たしてくれました。 私は親に認められようと思う反面、本当の自分を親には秘密にしています。風俗で働いた金を親に渡していたことも言ってません。 親は私に興味無いのでこの先言うこともありません。 ただ、私には色々欠乏しています。本を読んで精神治療をしても考え方が変わりません。生まれてきたくなかったなぁと。 理想と現実が食い違ってる事が原因なのでしょう。過去の因果に足を引っ張られていることもあります。トラウマもあります。自分が選んだことでこうなったのも重々承知ですが、もし産まれなかったら努力しなくても良かったのに、傷ついたり苦しんだりすることもなかったのにと堂々巡りな答えに行き着きます。 ちなみに親と離れて暮らしてますが、精神的に私は自立できません。親のせいだって思ったら余計苦しいのに、結局産んでおきながらいつまでも温もりをくれない親に苛立ち、心は常に孤独にさまよってます。 私に温もりや安寧が訪れることはないのだろうと思います。今好きなことやってお金を稼ぐ努力をしてます。でも、虚しいです。私が成功しても喜んでくれる人はいないのに、私は何してるのだろうと虚しいです。常に何をしてても誰といても虚しいです。 この憎しみを晴らすにはどうしたらいいですか。 楽になりたいです。病院や他人に相談は出来ますが、お坊さんの答えを教えて欲しいです。

有り難し有り難し 32
回答数回答 2
2023/08/02

悲しみを憎しみで癒していた

いつもありがとうございます。 最近の気づきを聞いていただきたいです。 弟の死の悲しみをを父への憎しみで癒していたのかも。。。と最近気づきました。 両親が離婚し、弟と私は母と暮らしていました。 父への憎しみは父が亡くなってからより一層思いが強くなり、 弟の死の悲しみも、父への憎しみがあったから耐えられた気がします。 もし、憎しみがなかったら弟の死をも受け入れられなかったかもしれません。 ある意味、父への憎しみがあったから私は乗り越えてこられたのかもしれません。 悲しみと憎しみ。似て非なるもの。。なのでしょうか。 こういってはなんですが、父への屈折した思いがあったことに今では感謝さえしてしまうのです。 親子としての縁はとても薄かったけれど、娘からこんなに嫌われている父だけれど、なんだか許してくれるような気もします。 おそらく父へのこの気持ちをご相談するのはこれが最後となると思います。 私の中で決着がついたからです。 嫌ってもいいし、憎まれてもいいよと言ってくれているような気がします。 私の気のすむようにすればいいと。 実際に父と暮らしたのは5年か6年。父が何を考え、弟や私のことをどう思っていたのか、少しでもかわいいと思っていたのか、思っていなかったのか。 もうわからないけれど、もう手放せる気がします。 憎しみで大切な弟の悲しみを癒すというかごまかしていた気がします。 きちんと悲しむことも必要ですよね。 もう私は、私を幸せにしたい。 もちろん、不幸せではないけれど、憎しみを手放したい。 そんな気持ちをこちらで開放させていただきました。 とりとめもなく申し訳ありません。 なんだか少し優しい人間に近づけるような気がします。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1