当方、癌治療の影響もあると思うのですが、年々体のあちこちが痛み、また疲れやすく、疲れがとれにくくなりました。、 ここ最近は、とみに老化を感じ、次第に不自由になる体に「苦」を感じています。 中年期・高年期のお坊様は、どのように心の中でご自分の「老」と折り合いつけるといいますか、向き合われていらっしゃるのでしょうか。 参考にしたく、お伺いいたします。
先週に私の祖父が逝去したと妹より一報がありました。 今週末に予定されている祖父の葬儀への参加に悩んでいます。 きちんと見送ってあげたい気持ちがあるのですが、正直なところ複数の理由から、参加を見送ろうかと悩んでいます。 私は初孫だったので特に可愛がってもらったと思います。今でも小さかった時の祖父との思い出が記憶にあり涙が出ます。大人になってからは頻繁に会いに行ってあげられていなかったので、薄情な孫であったことが申し訳ないです。 悩む理由の一つとして、私が今現在海外在住(日本へのフライト時間が半日以上かかる場所)であることです。帰ろうと思えば帰れなくはないのですが、既に一ヶ月後に一時帰国を予定しておりその予定はキャンセルできないため、葬儀の2日間のためにフライトチケットを手配して行くことになります。 帰るなら早急にチケット手配や荷造り等をしなければいけないので、迷う時間も限られています。 また、参加できたとしても直後に家族での遠方への旅行を予定しているために、また帰ってすぐに長距離移動をすることになり精神的・体力的に厳しそうだなと憂慮しています。 もう一つの理由として、私が毒親である両親との縁を一方的に断っているため、もし葬儀に参加できたとしても精神的に受けつけない両親と顔を合わせ言葉を交わすことになることが恐怖に感じています。 (体調が悪くなる可能性があります。) きちんと祖父を送ってあげることに集中したいのですが、夫は仕事の都合で帰国しての参加が難しく、妹も仕事の都合で欠席予定となり、孤立してしまうので、精神的安全がなく、親戚への気遣いも必要な場ではかなりしんどいのではと危惧しています。 こういったときの常識がないため、色々調べ、花が好きだった祖父へ、せめてもの供花を妹夫婦と私夫婦で贈ろうかと考えています。 香典は海外からは送れないため、後日の一時帰国の際に連絡の取れそうな叔母に手渡ししようかと思っています。 (おそらく喪主は長子の父親かと思いますが、一番祖父母のケアをしているのは近くに住む叔母で、話の分かる優しい方です。) 今更ですが、きっと気落ちしている祖母にも声をかけに会いに行ってあげたいです。 帰れるのに帰らないのは、卑怯でしょうか。 欠席の場合、供花を贈るだけでは祖父に失礼にあたるでしょうか。 最後まで言い訳がましい孫で祖父には申し訳ない限りです。
先日、父が亡くなり親族葬を行いました。 突然の死でしたので残された家族と共にバタバタしながらも、父や列席していただいた方々に失礼のないよう努めてまいったつもりです。 そんな中、お通夜のお焼香の時に一人ずつ順番に出て行ったところ、お坊さんのお経の方が早く終わってしまい席を立たれてしまいました。さすがに退場されることはありませんでしたが、その時にお坊さんが「もっと早く出てこなあかん!お焼香は喋るとこちゃうよ!」とお怒りになられました。 喋るというのは恐らく、親族の方々が順番が来て前後の方と「どうぞ」「ありがとうございます」とやり取りされてたことだと思います(狭い会場でしたがそれ以外に会話は聞こえませんでした)。 たしかにお焼香は一人ずつ席を立たず前の方の後ろに並んで途切れることなくすべきだったのかもしれません。お葬式に不慣れとは言え、お坊さんにとっては無作法で失礼に値することだったのかと反省するところはあります。 しかしながらお通夜にも関わらず高齢の親族へ声を荒げられたお坊さんに対し、憤りを感じてしまったのも事実です。 故人である父はこういう場面だと「皆さん足元気ぃ付けておいでください。」と親族を気遣うような人です。その父に背を向け親族を怒ったことが許せませんし、父の通夜を、列席していただいた皆様の思いを侮辱されたような気分です。 何より喪主である母が「こんなことになってお父さんに申し訳ない」と落ち込んでいるのが辛いです。 いまだに気にしてしまっていること自体、父に失礼なような気もしますし、それよりも父を思う気持ちが大事だということは分かってはいますが、この出来事がなかなか頭から離れません。 我が家はお坊さんのお寺の檀家で、これまでも長く付き合いがあり、これからも顔を合わせることはあると思います。 どうやったら落ち込む母を励まし、またこの出来事を乗り越えて、今後もお坊さんとわだかまりなく付き合えるのでしょうか。
主人が亡くなって10日経ちました。 通夜や葬儀を終えて自宅に祭壇ができ、気付いたときにお線香をあげるようにしているのですが、これで供養できているのか自信がありません。 お経のこともわかりませんし、子どもたちにもできるようなことがあればさせてみたいです。 また、逆にやってはいけないことも教えていただけるとありがたいです。 よろしくお願い致します。
昨年、父方の祖父を亡くしました。 先日、母方の祖父を亡くし、 葬儀を終えたところです。 今も悲しく辛いのですが、みなさま尽力してくださり、良い葬儀ができました。 今もそこで見守ってくれているような気がします。 おじいちゃんが大好きでした。 ずっと忘れたくありません。 お盆には必ずお墓参りをしますし、これからもそうします。 話は変わりますが、祖父たちの宗派をよく知らないのですが(無知ですみません。) 私も特定の信仰があるわけではありません(ごめんなさい) 私は死について考えるようになり、世界の考え方を少し調べました。 メキシコの死者の考え方がとても素敵だなと思い、 お盆には変わらずお墓参りはしますが、 11月も、写真を飾り祭壇を作り、祖父を思い出したいなと思いました。 そしたら年に2回祖父に会えるのでしょうか。 やはり、海外の考え方は、意味がないでしょうか。
久しぶりに投稿します。 いつも通勤の時に、田んぼの脇から地域が見えるような形で立っている、身長130cmくらいのお地蔵さんの前を通っています。 お地蔵さんは誰かが親しみを込めているのか、あるいは地域の方の集まりで作っているのか、手作りの帽子を季節ごとにかぶっています。 特に嫌な感じもしないので、朝気がついた時に、車ですれ違いながら「おはようございます、今日も見守っていてください」と簡単に挨拶して通勤しています。 ただ、インターネットを見ていて、道端のお地蔵さんには手を合わせてはいけない、というような記事を読んでしまい、特別何が起こったわけではないのになんだか怖くなってしまいました。 お地蔵さんに挨拶をするのは悪手なのでしょうか?
こんにちは。初めまして。 早速ですが質問させてください。 先日祖母が亡くなり、お葬式は普通のお葬式会社で行い、以前からずっとお世話になっている菩薩寺のお坊さんに戒名やお葬式を頼みました。祖父は早くに亡くなっていたため、戒名のランクが居子だったので祖母は大姉にすることにしました。すると、その菩薩寺のお坊さんからその位なら100万円は普通みんな払うと言われました。恥ずかしながら、我が家には全く貯金がなく100万円も一気に用意できません…と伝えたところ、分割でもいいから払えと言われたみたいです。父は借金してでも払うしかないか…と思っていたみたいですが、生命保険が降りることがわかり、ギリギリ借金をしなくてすみそうです。この話を熱心な同じ宗派の方に聞いてみたところ、分割にしてまで払えというのはおかしい!初めて聞いた!と言われました。それを知って、煩悩にまみれてるお坊さんに不信感が募っており離檀を考えています。離檀する際も、かなり高額な金銭を要求してきそうですが、子孫が困るとかわいそうなので必ず離檀してみせます。ここで質問なのですが、戒名代やお坊さん代は分割にしてまで払うものなのでしょうか?他のお坊さんの場合の相場を知りたいです。ちなみに宗派は曹同宗です。下世話な話ですがよろしくお願いします。
再婚した父がこの度末期ガンになり、そう永く生きられないと言うことになりました。 父とは10年くらい付き合いがなかったのですが、そのような状態だと連絡があり 必然的に亡くなった後の話になりました。 私は散骨でいいと思う。といったところ、数日してから再婚相手の方から、散骨は孫子に良くないことが起こるからやめた方がいいと言われました。 そんな事を言ってたら世の中不幸な人ばかりになるではないかと思うのですが、散骨はしない方がいいのでしょうか?
祖母の死から二年経ちます。 それまで親が相続の関係で揉めていたので怒りしかありませんでした。 遺言状を真ん中の叔母が書かせて全財産を真ん中の叔母に託すという趣旨を書いてたのが見つかって、叔母が牛耳ってたので目茶苦茶でした。 弁護士に父が相談して何とか取り分は取れたようです。 それが解決し半年たった今頃急に涙が出てきて、寂しい気持ちが拭えなくなり、何故か心が荒み自暴自棄になりそうです。 子供の頃はお世話になってた祖母なので、その優しい祖母の姿と、叔母に言いくるめられた祖母の寂しさのようなものと、叔母への怒りと恐怖と人間不信とぐるぐるしてしまって、ヤケクソになりそうです。 後、疎遠になった好きな人も難病の母の介護をずっとしていて、その人に対しても何だか嫌になってきました。というか、この祖母の死すら乗り越えられない私がその人とも今後関わる機会かあったとしても向き合える気がしません。このまま疎遠のまま逃げ出したい気持ちと、別にその人は悪くないのになという気持ちと半々です。 本当は母や上の叔母が一番ショックだろうに自分のことばかりで、そんな自分も嫌になります。 いとことも叔母の関係でギクシャクして、昔はとても仲良しだったので虚しいです。 ただ、今までその問題を仕事でがむしゃらに消してたのがプツッと糸が切れたように放心というか、悲しさ虚しさしんどさがどっと押し寄せてきます。一気に仕事どころじゃなくなってしまいました。 明日戦争で私が死ぬとか、明日私が病気で死ぬわけでもないのに何悶々としてるんだろう、という想いも消えないです。 他にも去年別の祖母を介護したあと入居して、それも今頃寂しさや虚しさに繋がっているかもしれません。 習慣のように仏壇でお礼をしてましたが、今思うと最近は理由がわからないまま強迫観念のような感じでやらないと気がすまない感じでした。 広い意味で老病死への向き合い方、乗り越え方を教えてください。 (両親は余りにも淡々とお金の手続きを済ませた、それ以上は話ししたくないという感じだったのでお坊さんに相談しました)。
こんにちは。 初めて質問させていただきます。 よろしくお願いします。 私の両親は私が10代の頃にどちらも病気で亡くなりました。 ずっと苦しくて悲しくて堪らなかったけれど、沢山葛藤してやっと、自分の運命を受けいれることが出来ました。 でもふと、両親が私のためにしてくれたことを思い返したりする時、本当にもう二度と会えないのだなあとなんとなく釈然としない気持ちになります。 当時まだ若く、ろくにありがとうの一言も言えませんでしたし、自分のことで精一杯で両親の気持ちなどなにも考えてはいませんでした。 二度とありがとうと言えない、あの時どういう気持ちだった?と聞くこともできない。答えは二度と出ないのだなとやりきれない気持ちです。 死んだ人には二度と会えないのでしょうか? 自分が死んだあとならまた会えるのでしょうか? 気持ちが整理できません。
初七日、四十九日、一周忌、三回忌などの法要は必須なのでしょうか? 私自身供養したい気持ちはあり、毎日仏壇に向かって挨拶と定期的な墓参りは行っています。 法要についてなんとなく行ってきましたが、兄弟から金銭や工数の負担面からも要らないのではという意見がでて、強い反対理由もなくやめてしまおうか悩んでいます。
離婚した元主人から、一番悪いステージの胃癌になり手術もできない状態、抗がん剤治療をするのでサポートして欲しい、と言われました。 初め、話があると言われたとき断っていたら、3人の子供たちに、金銭面でも援助するようにという内容のことを言っていたそうです。 正直、顔も見たくない声も聞きたくない、必要がなければ関わりたくない相手です。 嫁いで馴染めなくていたときも、自分の趣味の車に時間とお金を貢いでいて、月に4万しか家に入れるお金がなかったり... 義祖父と義母が立て続けに亡くなり、ひどい鬱になっていたときも私に背を向けていた元主人。 私が我慢してやりくりすればと思い精神的にも壊れながら頑張り過ぎていた生活から、やっと逃れられた今、なぜまた関わらなければならないのか。 関わりたくないという自分と、優しい気持ちになれない自分もいて、悩んでいます。
初めて質問させていただきます。 自分は、現在大学に在籍しており、進路選択を目前に控えています。 進路選択について諸々の不安があり、友人や家族以外の意見もお伺いしたいと思い、質問させていただいた次第です。 簡単に書くと、次のようになります。 大学院に進学して法律家を目指すべきか、学部卒で公務員として就職するか決められない。 法律家に対するあこがれは小さいころからあるが、司法試験への挑戦は人生を賭けた勝負になる。更に、司法制度改革の失敗のあおりを受け、もし合格して法律家になれたとしても、不安定な生活になる危険性が高い。 一方で、公務員は安定しており、おそらく自分の能力ならほぼ確実に合格することができる。また、大学で学んだことを活かして、地元の活性化に貢献するのにも興味がある。 両親は、自分が好きな道を選んでくれて構わないといってくれているものの、恐らくは公務員として働くことを望んでいる。大学院進学する場合も経済的に支援してくれると言ってくれているが、負い目を感じる。 このような感じになります。 どちらの選択が、自分にとって適しているのかがわかりません。ひょっとしたら、どちらも間違いで、ほかの選択肢があるのかもしれません。でもやはり、2つのうちどちらかの方があっているのではないか。それでは、どちらがいいか… このようなことを考えていると堂々巡りに陥り、不安で夜しか眠れません。 何か、ご教示いただければ幸いです。 よろしくお願いいたします。
3日前に主人が急死しました。 どうやって生きて行ったらよいかわかりません…朝、いつも通り仕事に行ったのに、夕方冷たくなって帰ってきました… 私も早く死にたいです。
私は兄、弟がいます。いました、かな。 兄は、私が高校生の時…とある暑い夏、大学生で1人暮らしをしている時に、急に連絡が取れなくなり、携帯が繋がらなくなって何日間かして、アパートの管理人さんに見に行ってもらったのかな。布団の中で亡くなっていました。くも膜下だろう、との事でした。 しばらくの間、家はぽっかり穴が空いたようになり…あまりその時の記憶がありません。どれくらい悲しんだのかも分かりません。 良く、寿命を決められてこの世に生まれる、と聞きますが…。 でも、親になった今…自分の子に先立たれる…考えただけでどうかなりそうです。私もお兄ちゃんを失った悲しみ、それ以上に両親の気持ちも深かったと思います…。 普段は口にはする事もなく、悲し過ぎてあまり思い出さないようにして過ごしていますが…やっぱりきっと良くないですよね?大好きだったお兄ちゃん、思い出すだけで胸が苦しいです。。 人にキョウダイは?と聞かれると、戸惑ってしまいます。 長くなってしまいました。 最近霊視を受ける機会がありまして… お兄ちゃんが、弟を心配して見に来ていると言う事を言われました。私の事は全然心配してないそうです(笑 確かに…弟はまだ結婚してなくて彼女もいないし(笑)体も精神的にもあまり強い方ではなくて…。 結構言われる事が当たってると…でも、やっぱり、そういう事ってあるのでしょうか…?
始めまして、お世話になります。乱文をお許し下さい。 先月母を急性大動脈解離で亡くしました。 私は10年前に3人の子供を連れて離婚し、遠方から実家のそばに戻り暮らしております。 職場も近いため、毎日実家で母が昼食を作ってくれておりました。 母が亡くなった日も、休憩時間に実家へ向かおうとした矢先に父から電話があり、母の具合が悪く救急車を呼んだのですぐに来て、と連絡があり駆けつけると喉が苦しい、めまいがする、と母が言った矢先、横になり救急隊の方が到着した時には、深い呼吸になっており血圧も図れない状態でした。 たった25分程の間に母は亡くなりました。その日も昼食の準備の途中で、まな板には野菜が切ってありました。 今も思い出し涙が出ます。 毎日毎日、母より苦しんで亡くなった方や、若くして亡くなった方の話などを聞いたり、ネットで検索してみたりして自分の気持ちを安らげようとしてしまいます。自分より辛い思いをしている人が沢山いるんだと、言い聞かせようとしている自分が情けないです。 日に日に悲しみ寂しさが増し、どうしようもありません。 時間が経つと受け入れられるものでしょうか? いつまでこの悲しみが続くのでしょうか? いつもいつもそばで応援してくれ、末っ子の面倒を見てくれていた優しい母にもう一度会いたい、ありがとうと言いたい、この思いで胸が一杯です。 一人残された父の事も心配です。 お坊様、人間の命とは、こんなにはかないものなのですか? 天国で母に会えますか?
付き合って7ヵ月の彼31 私30です。 プロポーズを受け結婚直前で彼と彼の実家が日蓮宗の〇〇会に入っている事がわかりました。(創価ではないです) 彼の実家は元々天台宗のお寺で供養しています。 お寺さんも大事にしています。葬儀とかも天台宗でやっているそうです。 その他に自分達で先祖供養のために日蓮宗の〇〇会に義母が入ったそうです。 朝、夕に先祖供養のお経をあげる… この間この件で話し合いました。 ◎結婚したら私が嫌がれば新居に仏具やお経はあげない。あげる時は実家にいくから大丈夫。 ◎子供は入る入らないは20歳まで決めない。本人が決める事。 ◎私に入会を強要しない。1度入会寸前までいきましたが断わりました。 ◎義母、義姉夫婦の味方ではなく私の味方。 ◎彼自身は退会する気はないそうです。 自分も先祖供養(曾祖父さん、曾お祖母さん)したいとの事。 ◎彼はそんなに熱心ではないです。仕事柄時間が合わなくてお経あげられない時は好きな時間にあげているそうです。 義母とも話し合いました。 本当にごめんね。と謝れました。 義母は私がしたいようにしていいと言ってくれています。 本当に家で先祖供養しているだけだから。との事。 本当に彼の事は好きです。 どうしたらいいのかわからなくなっています。 日蓮宗の〇〇会に理解した方がいいのでしょうか? 私が頭が固いのでしょうか? 私の家は高野山真言宗です。 ご意見お聞かせください
今月の18日に愛犬を亡くした者です。 愛犬の遺骨は桐箱に入れてもらい、自宅に持ち帰り小さな仏壇を作り現在もそこにおいてあります。 2点質問があります、 火葬後、お骨は桐箱に白い布を包んだ状態で渡されたのですが、この布を取ってしまい桐箱の状態で家に飾ってあるのですが大丈夫でしょうか? 必ずカバーは必要でしょうか。 もし気をつける事があれば教えて頂きたいです。 もう一点、愛犬のお骨を遺骨ペンダントにして肌身離さず持っていたく、遺骨をいれるペンダント自体も既に購入済みです。 ですが母に1週間から49日が過ぎるまで桐箱をあけお骨を触るのはいけないと言われました。母も感覚的な物らしいのですが、愛犬をお骨にしてまだ1週間過ぎていません。遺骨ペンダントに骨を入れるのは駄目でしょうか? 手元供養や遺骨ペンダントなど賛否が分かれる事だと思いますがせめて1年の間は愛犬を近くで感じていたく、こうした手段を取っております。 色々とご教授頂かたら幸いです。 よろしくお願いします。
助けてください。 一年半前に、突然、夫が仕事中に事故で死んでしまいました。その時私は妊婦でした。 結婚一周年を間近に迎えていたのですが…一緒に迎えられず、幸せな結婚生活が一年もせずに壊されてしまった。即死だったので死に目にも会えなかった。 本当に愛していたし、愛されていました。真面目に思いやりを持って過ごしてきたのに、こんな事が起こるなんて…神様、仏様さえ呪いました。 夫が死んでから、毎日が灰色で地獄のような日々を過ごし、後追いしようとしたり…泣いてばかりの日々でした。 毎日、あの日仕事に行かせた事を後悔して、死ぬまで後悔するのだと思います。 そんな中、無事に出産し、子供を産んでからは涙も封印しました。子供は愛しいし、責任をもって幸せにするつもりです。 もう、自殺しようなんて思いません。夫の分まで愛情も注ぎます。 その気持ちに偽りはないのに、早く夫のもとに行きたいと思ってしまう気持ちもあるのです。それから、轢いた犯人や夫の会社も憎くてどうしようもなくて。苦しいです。 夫の魂はどこにいるのでしょうか、死んだら又会えるのでしょうか?
先日私は「自身の先祖」について知りたくなり、家系図作成を始めました。 そうしましたら、母方の祖父の母親(私の曾祖母)が未入籍だったのです。曾祖母の自宅には鳥居があり、いわゆる霊能者に近い人だったと実母から聞いた事があります。祀っていたのはお稲荷さんと聞きました。 私はその曾祖母に会ったことはございませんが、存在が気になって仕方なく(どうして気になるのか分かりません)家系図を作成しました。事実を知り漠然ですが、先祖供養をしたいと思いました。 家系図からフルネームは分かります。命日や誕生日は分かりません。でも間違いなく私のひいおばあちゃん! 曾祖母は何か事情があって未入籍だったかもしれませんが、曾祖母が祖父を産んでいなければ私の母も存在せず、当然私も今ここにこうして存在していません。祖父の他にも何人か子供を産んでいる方でした。 私の母方の姓とは当然苗字も違います。それでも私の曾祖母に変わりはない。 こういう場合、先祖供養をすることに問題はあるのでしょうか?正直、しない方が良いという文章を拝見した事があり迷っています。 是非アドバイスをお願い申し上げます。