こんにちは。いつも楽しく・癒されながら拝読しています。 先日、お彼岸という事で、久しぶりに祖父と祖母のお骨があるお墓にお墓参りに行ってきました。 祖父母のことは大好きで、亡くなって7年くらいたつ今でも家族団欒の席で祖父母の話が持ち上がります。 仕事が忙しくてなかなかお墓参りに行く機会は作れないのですが、お墓の前で手を合わせれば、「おじいちゃん、おばあちゃん、家ではこんなことがあったんだよ」とか、たまには「お母さんがお父さんの所為で滅茶苦茶ふてくされているのでどうにかしてください」とか願ってみたりします。なかなか無茶ぶりをしているかなと自分で思ったりもします(笑) さて、そんなお墓参りですが、このサイトや他のサイトを見ていて、ふと疑問が浮かびました。 宗派によっても異なるのかもしれませんが、亡くなってすぐ、(少なくとも祖父母の場合の7年より前には)ご先祖様は生まれ変わってしまって、もう元々の家族のことは忘れて違う人生を歩んでいるものだという考え方があるのを知りました。 それでは、お墓にいって何かを報告しても、報告しているつもりの相手はそこにいないのでは?と思うのですが、当然一方通行なのでしょうか? それに、私はお盆やお彼岸の機会でもお墓にお参りに行けない時は、せめて仏壇に手を合わせるのですが、その場合仏さまは仏壇とお墓を生きている人が手を合わせる都合に合わせて瞬間移動しなくてはならないのでは…!? 是非その仕組みがどうなっているか教えてください!
私は就職活動中の25歳大学院生です。 就職する時に大切なことは5年後、10年後の計画や目標を立てる ことだということを何度も人から言われるのですが そもそも自分のやりたいことがない私には将来的な計画や目標を 立てるのが難しいのですがどうすればいいのでしょうか? また、仕事をしてから初めて自分のやりたいことがわかるという 意見もあるようですが今の自由に職業選択ができ、職業を自分で取捨選択し、その責任を自分で取らなければならない時代にはあまりこの意見はつじつまが合わないような感じがするんですがどういう風に 考えていくのがいいんでしょうか? なにかアドバイスいただけたら幸いです。
見つけて下さり、ありがとうございます。 私は発症前までは、神や仏、ご先祖様や霊魂など、色んなことを信じていました。 母の教えで、特にご先祖様を大切にし、常に手を合わせていたと思います。 ところが発症後、何もかもが信じられなくなりました。 もしもそういったものがあるなら、兄弟姉妹の中で、1番ご先祖様を大事に思い、遠くのお墓にも毎年お参りしていた私が、何故こんなに苦しい思いをしなくちゃいけないのか? 同じ血の通う兄弟姉妹を、どうしてこんな形にしたのか?(プロフィール参照) そんな思いばかりになりました。 母の教えに対する反抗心ではなく、あまりにも酷いと思われる人間からの仕打ちや、物語の様な自身の病気に、あらゆる『人間に関すること』を、心から信じることができなくなったのです。 そうしている内に、ここを拝見し、何度かご質問させていただき、写経や座禅をしてみたい…という気持ちが湧いてきました。 こんな私が、そういったことをさせていただくのは、良いことなのでしょうか? また、それでも良いと言って下さるのなら、何に良いのか?、また、どこでどんな風に行えば良いのか? 教えていただきたく思います。 宜しくお願い致します。
おはようございます。以前職場で「話し方が先輩から上から目線だ」と言われる件でご相談致しました。 その後、ご指摘戴いた事に留意し勤務を続けておりましたが、どうにも大人のいじめにしか思えなくなり、体調も崩してしまったので退職しました。職場は某市役所内の外部委託の電話交換でした。 いじめと思ってしまった例として ・電話を取らせてもらえない ・たくさんかかって来た時は取らせて貰えるが、応対終了後、教えても貰っていないことでネチネチ怒られる ・何かにつけて、揚げ足を取られる ・自分だけ、引継ぎ事項を教えてもらえない ・何度も「体臭がひどい。みんなそう思っている」と指摘される←ここで頑張ろうと言う気持ちが切れました。 退職しても市内には住み続けるので、折に触れて仕事のことを思い出します。 新人が気に入らないと、私と同様に辞めさせるよう仕向けているようで、常に求人をしています。 何で、税金を使ってあの人達のストレス発散場を与えているのか、不思議ですし不愉快で仕方ありません。 市役所の総務に相談しようとも思いましたが、こんな事で気持ちを削るのもな・・・とも思います。 この怒りは手放すべきだと思いますが、方法が分かりません。 何卒アドバイスを戴きたく、よろしくお願いします。
死ぬ直前の悪い想念があの世で延々と続いて、ガキ道や地獄へ落ちてる場合、どういった供養をすべきでしょうか? 朝晩お食事お供えしたりは欠かしてません。 結局、あの世の本人の悟り諦めしかないのでしょうが、どうやって子孫としてサポート出来ますでしょうか? お経は一応毎日あげてます。 感謝の言葉も述べてます。 子孫が出家僧侶となり千日回峰業のようなこの世での荒行するなりで、全ての欲を絶つくらいしないとならないのかなと感じてます。 私は酒タバコギャンブルも一切しませんし、殺生にあたる肉食も止めました。 懺悔文を口語にして、御先祖様の愚かさや貪りから起こしてしまった過ちに詫びてます。 自分の苦しみは自分の業と理解してますが、御先祖様の苦しみ迷い悩みだけは、私の命があるうちに可能なら解消してあげたいと願ってます。 お知恵を拝借出来れば幸甚です。 まあ、今まで通り供養して、この世では明るく感謝の気持ちでがんばって下さいとしか言いようがない質問でしょうが。
こんにちは 初めて質問させていただきます この数年間、仏教の本を読み考え瞑想したりしてきました そして、ついこの間、瞑想していた際に表現しがたい体験をしました 言葉にするのが難しいのですが、一体感というか、全てが一つに感じられ、自分というものが消えたというか、輪郭がなくなったような体験です そのあと、一時間にも満たない間、まとまりのようなものを感じることが続き、やがて普段の感覚が戻ってきました その後の生活では、嫌だなあという感情が全くなくなったわけではありません そもそも、この質問をしている時点で悟ってはいないのでしょうか? 悟りの自覚は明確なものなのでしょうか? この表現しがたい体験は悟りではないのでしょうか?
気楽に生きるとはどういう意味なのでしょうか? 私は、小さな頃から厳しく育てられ、 自分や他人を許すことがとても難しく、 ですが、少し仏教の勉強をし始め、 瞑想や、瞑想しながらの自分の観察をし続けてきました。 どの私も存在する、それらをただ観るだけ。 判断せず、それも私。 と、教わった通りに観察をし続けてきました。 瞑想の時は観察がしやすいですが、 日常に戻ると、また頭の中は鬱でいっぱいになります。 あの人がこうしたのは、私を嫌ってるから!と被害妄想や、 私はダメな人間だ、といつも頭の中はネガティブです。 何人か先輩や夫に相談させていただいたところ、気楽にね。と言われることが多かったです。 私は真面目で一生懸命屋さんです。 いつも自分にムチをうち、足りない!足りない!と不足ばかりを自他共に押し付けてます。 最近、母性や慈悲を持ち、自他に優しくできることも増えましたが、 頭の中は常に何かを追いかけ、変えようとしてます。 もうそんな毎日に疲れました。 パーッ!と明るくなる時もあるけど、それは過覚醒な感じで、ネガティブもあるけど、ポジティブもあるみたいな安定さがほしいです。 でもネガティブな自分を認めることはとても難しく。 晴ればかりじゃない、曇りもある。と自分に言うものの上手くいきません。 もっと気楽に、自分らしく、優しく生きたいです。 このままでは、自分に執着ばかりで、周りの優しさや愛情に気づけません。 感謝と、気楽に生きる、を教えていただきたいです。 よろしくお願いします。
また、ご質問すいません。 前にアドバイスされた通り、祖父母の仏壇にお線香を供え、子供の頃のやらかしや失敗などを手を合わせながら「ごめんなさい」と謝ったりしました。 だけど、また自分の嫌な所ばかり思い出し今度は自分の死後の心配をするようになってきました。 まだ、二十代の小娘ですが、正直に言って地獄が怖いです。 子供の頃に子供特有の残酷さと好奇心で生き物を死なせたり世話をしないで死なせてしまった貰い物のカブト虫の事を思い出したり、謝れなかった事、嘘を付いたり間違いを犯したり人を馬鹿にしたり傷つけたり、悪口や心の中で悪態をつたいり、とんでもない事を考えたり、借りた物を返さなかったりと本当に悪い事をしてきたと思うようになったりしました こっぴどく叱られたり、私自身も嫌な思いをしたり物を返してもらえなかった事もありますし、人の役に立とうとしたり良い事もした事もあると思います。 でも、自分の悪い所を思い出しその後に地獄を思い出して怖くなってきました。 昔絵や絵本で見た地獄を本当に怖がり悪い事をしたら地獄に落とされるという事に怯えていた記憶があったと思うのに、でも、大きくなってそういった感覚が薄れていき人の死に対して無関心な部分が出てきたり地獄を題材としてを扱った漫画やアニメを見てもフィクションだと思って受け流す事もありましたが地獄に行った人が鬼に身体を斬られたり責め具を受けているのを見て怖くなって目を背けた事もあります。 それらを思い出し、また罪悪感が蘇り私が死んだ後に地獄に行く事になったら・・と考えたらとても怖くなり、しかも、本やネットでは相当長い年月を罰で苦しむと書かれていたので本当に怖いです。 正直に言って地獄に行きたくありません。むしろ幽霊になってずっと現世に留まっていた方がいいんじゃ・・でも、それはそれでどうなんだ?と思考がぐるぐるとまわりました。 自分勝手だと思いますが、生前の罪を償う為とはいえ死後も痛い思いや苦しい思いをするのが嫌でたまりません。 違う事も考えようとしましたが、結局また思い出して時に心の中で絶叫したり誰か助けてと思う事もありました。 楽しいと思える事も怖く感じる時もありこの思考を止めるには一体どうすればいいでしょうか?これらの事を思い出すのは何か意味があるのでしょうか? 地獄に落ちないようにするにはどうすればいいでしょうか?
人生に疲れました。早く死にたいばかりです。楽に眠るように死ねる方法を教えてほしいです。
私は長年、極楽浄土に往生したら仏となることが定まるだけで、往生したその時から仏となるための修行が始まるものだとばかり思っていましたが、最近知り合いの浄土真宗のお坊様から「往生した瞬間から仏」ような内容のお話を聞かせて頂いて混乱しています。 釈尊の次に仏になるのは弥勒菩薩であってそれは56億年後の話だから、少なくとも極楽往生してから56億年は待たないといけないのかと思っていました。 宗派による解釈の違いなどを取り違えていたんでしょうか?浄土真宗として正しい認識をどのように持てば良いのでしょうか?ご教授下さい。
初めまして。29歳独身女性です。どうにも苦しいので相談させてください。 仲の良かった友人が結婚することになりました。 私は長いこと彼氏がいません。そして友人も長いこと彼氏がいなかったので、一緒に婚活をしたりコンパに参加したりしました。 最近友人に彼氏が出来、交際三ヶ月で結婚。 私結婚が決まりましたのメールを読んだとき、すごく苦しくて苦しくて。 思えば私は嫉妬しやすいのか、友人の結婚出産の報告を聞く度に胸が締め付けられるような苦しさと焦り、不安、嫉妬でしばらく落ち込んでしまいます。 ふとしたときに友人が頭に浮かび、子供と遊んでいる様子やドレスを選んでる様子を想像して涙が出るほど辛いです。 本当は自分の事のように祝福したいです。 本当に辛いです。どうしたらいいのでしょうか。
お疲れ様です。 学校の調べ学習の課題で、仏教について調べています。 基本的な理念は何なのか? 何を目指すのか? そのために何をしているのか? 色々とインターネットを用いて調べてみましたが、その中で特に「仏教の重要点(おそらく四法印の内容)」と「八正道の正念・正定」がいまいちよく理解できませんでした。 ↓↓↓ お釈迦様は「物事は常に苦しみの連続、なぜかというと自己も、周囲も、物事も、環境も不変のものがないからだ。だからと言って、そこから離はようとするのもまた苦しい道なのだ。」と気づきました。現代仏教でもそれは色濃く残る重要な概念です。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 正念:正しい心の働きを感じること 正定:心を統一し安定させること と書いてありましたが、どういうことだ…?となっています。 ・重要点に対する解説 ・正念、正定の解説 また、皆さんの思う今を生きるのに役立つ仏教の重要な点もよければ教えていただきたく存じます。 よろしくお願いします。
御坊さまたちは、一般人と会話をする際にご自身のことを何と呼ぶのでしょうか? また御坊さま同士はどう呼び合うのでしょうか? そして、同じお寺に複数の御坊さまいらっしゃる場合、先輩後輩の別があると思うのですが、先輩後輩関係ではどう呼び合っているのでしょうか? 教えていただきたくお願い致します。
昨晩、布団に入り輪廻転生について考え出したら、なんだかとても恐ろしくなって眠れませんでした。そんな夜明けにふと思ったのですが、仏教では「お盆にご先祖様が帰ってくる」と一般的に言われてますが、この考えと輪廻転生の仕組みは矛盾しませんか? 魂が分裂したり並行宇宙が存在するのか、それともこの質問は仏教におけるタブーなのでしょうか?
必死に逃げたり 色んなスーパーを周り 食料を調達するのに必死だったり 水が出る場所を探し 何度も何度もくみにいき 1日が終わり 歳をとっている親からは 文句を言われ 余震がたくさんあり いつまた大きな地震がくるのかと ドキドキしていて 夜も眠れません しかし 仕事をしなくてはなりません 正直、体も心も 疲れてしまいました 私に喝をいれてください
はじめまして!両親に対する自分の負の感情について悩んでいます。 大好きが大前提にありますが、悪いところばかりが目立ち、嫌になることが最近多いです。 母は、普段は人当たりがよく明るい性格ですが、身内に対して、敵対心が強いです。特に父に対しては、お酒を飲んでいる際にスイッチが入ってしまうと、泣きながら、父からモラハラを受け続けているというような事を言い続けます。こうなると、酔いもあり、何を言ってもダメです。ちなみに内容は、『過去に』父が言った言葉についてです。 酔いながら泣く母が何を望んでいるのかが分からず、いつも適当にあいずちを打って、寝かしつけます。(この状態で父に会うと、永遠と終わらない激しい喧嘩になるからです) 母はこうやって聞いてもらえるだけで良いと言いますが、私自身が、変えることができない昔の話を繰り返し聴くことが、正直辛いです。 かと思いきや、次の日はやたら父に尽くすような行動をし、またそれに対しての見返りがないことを怒ります。心優しく大好きな母ですが、とても見栄っ張りで、すぐに他人と比較し、過去の話ばかりする所は良くないと思います。 また父に関しては、優しいが(甘いの表現が正しいかもしれません)、非常に頑固で、気に触ることを言うと直ぐに怒ります。母に対し、労う言葉や姿勢などを見せて欲しいと言うと、母が悪いんだとキレ出します。 一家の大黒柱として働く父を尊敬していますが、頑固な面や、嫌なものから逃げる所等が目につき、父に対し常に腹を立てています。母とは普段良く話をしますが、父とは最低限です。 わたしは、自分は幸せな家庭に育ったと思います。これは昔から変わらない考えです。父母も人間で、良い面もあれば悪い面があるんだ、と割り切れない自分をどうしたらいいのか、悩んでいます。 また、自分も同じように父母の悪い面を受け継いで、将来同じような事になるんじゃないかと、不安です。 贅沢な悩みなんだろうと思いながら、ずっと悩んでいた事を質問させていただきました。長文で失礼いたしました。
私は現在、結婚して10年になります。妻のことは愛しており感謝もしていますが、長年セックスレスであり、子どもを望んでいるのに応じてもらえず、この点で強く悩み続けています。1年以上前になりますが、こちらでもご相談させていただきました。 そんな中、大学時代からずっと私のことを想ってくれていた女性と再びつながることになりました。 彼女とは大学時代、飲みに行く程度の友人関係で、当時の私は別の恋人がいたため、アプローチをお断りし、それ以上の関係にはなりませんでした。 社会人になってから私が付き合っていた恋人とは別れ、その後は私を想ってくれていた彼女と会う機会が増え、私の彼女に対する好きという気持ちが大きくなり、告白もしました。 しかし、その時すでに彼女は別の方とお付き合いをしており、その人との間に子どもを授かり、結婚してしまいました。 その後、年に数回友人を交えて会う関係が続きましたが、次第に疎遠になり、10年以上が経ちました。その間に私は別の女性と出会い、結婚しました。 ところが昨年、急にその大学時代の女性から連絡があり、二人で会うようになりました。食事を重ねるうちに男女の仲となり、1年が経ちます。 身体だけの関係ではなく、気持ちのつながりも感じています。 私は今の妻を大切に思っており、離婚したいとは考えていません。 ただ、大学時代から自分を想ってくれ、そして私の方からも好きと思えた彼女と今結ばれたことが、罪悪感を上回る喜びとなっており、この関係を持てている今を「幸せ」と感じてしまっているのも事実です。 なかなか子作りが進まない家庭にも、上手くいかない仕事にも疲れ切ってしまっており、正直、今はもう彼女の存在が自身の生きる心の支えで、彼女がいないとダメになってしまいそうとも思います。 そこでご相談です。 ・それでも今すぐ関係を終わらせるべきなのか ・このまま続けてもよいのか ・妻と彼女、二人を同時に愛し続け、隠し通せればそれは許されるのか どう考えればよいのか、ご意見をいただければ幸いです。
質問させて頂きます。 不思議な夢を見ました。最近、近親の者が亡くなり、悲しみに沈んでおりました。 しばらくしたある夜、夢の中に三叉仏と名乗る仏様がいらっしゃいましたが、何も仰せにならずにそのまま去って往かれました。仏教に詳しくないので、一体どういった仏様であろうかと、いろいろな仏教の本を読みましたが該当する仏様を探し当てることはできませんでした。 それからしばらくしますと、また、夢の中に仏様がいらっしゃいました。そして、『現在、過去、未来、すべての生命の幸福を祈りなさい、そうすれば、貴方に幸せが訪れますよ』と仰いました。1~2カ月くらい前の話です。 夢での話があってから、仕事の合間など、時間を見つけ、そういった祈りを行うようになりました。 昨日の夜も、そうやってお祈りしながら就寝致しておりますと、夢の中の空中庭園の様なところに仏様がいらっしゃいまして、『貴方の誓願は確かに聞き届けましたよ』と仰いました。 仏様に願いを聞いて貰いましたら、私の体は地面の上に立っておりました。しばらくすると、自分の体は、地面の上を飛ぶように走りだしました。地面の上には村の様な町の様な景色が広がっており、その間を、時速20km、40km、100 km、200kmと段々加速して飛んで行きました。 およそ200 kmになってもさらに加速し、音ぐらいの速さにまで加速しました。これ以上加速できないくらいになりますと空中に大きな白い光が現れまして、自分の体の中にこれまで味わったことがないような言葉では言い表せないような多幸感が全身を駆け巡りました。白い光は空半面を覆うぐらいの光になり、そこで目が覚めました。 この夢はいったい何なのでしょうか?これからどうすればいいのでしょうか?初めてこういった不思議な体験をして非常にびっくりしております。三叉仏とは一体どんな仏様なのか、実在の仏様なのか?教えて頂けませんでしょうか?宜しくお願い致します。私の家の宗派は真言宗です。
幸せの価値観は人それぞれですが、 よく言われるのが、 満足度を高めるや、豊かになる、誰かの役に立つなどだと思います。 私も満たされた生活こそ幸せだと感じますが、 満たされる=必要とされる、没頭できる、会話をしてくれる人がいる、等々だと思っています。 しかし、それが『幸せ』なのですか? 『幸せ』って何ですか? そのために『どんな生き方』をすればよいですか?
はじめまして、30代半ばの男です。 現在、定職にも就き恋人も友達も普通におります(結婚は考えてません) とりわけ恵まれない環境ではないとは思いますが、人生に飽きがきました。 うまくいえませんが「絶望」ではなく「飽き」です。年齢的に人間としてもオスとしてもピークは過ぎて一番楽しい時期は過ぎてしまいました。 残りの人生上手に生きて、上手に老後を過ごして、上手に死ぬしかないのでしょうか。 自分なりの分析としては。 若いとき比較的恵まれていました、恋愛や遊びを人の何倍も楽しんだし、 「やりたいこと」はありますが「やりのこしたこと」はないです。 奥さんも子供もいないので自分が護るべきものもありませんし、今後死への足かせになる結婚を積極的にしたいとは思いません。 今は両親が健在なので、しっかり最期まで介護をしようと気持ちがありますが2人を送り出した後、本当に生きる意味を失ってしまうのではないかと思います。 一番いい時期を過ぎてしまったなら、数十年後に死ぬのも明日死ぬのもさほど変わりないように思えてなりません。