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検索結果: 164件

法名の頂き方について

法名のいただき方について教えてください。 死んでからだと自分の法名を知る事ができないし、また法名を知っておきたいという理由もあり、生きているうちに法名を頂ければと思っています。 祖父母が亡くなった時は菩提寺経由で法名を頂きましたが、浄土真宗本願寺派(我が家がお世話になっている宗派です)のホームページには帰敬式を受式する事によって法名を頂けるとありました。 信徒ではありますが、まだ本山に行った事がないので、近い将来、帰敬式受式及び、参拝に行きたいと思っています。 この場合、法名は直接本山から頂く事になると思うのですが、いつもお世話になっている菩提寺に「法名を頂きに行ってきます」「法名が欲しい」といった事前相談はしなくてもいいのでしょうか? 法名を内願する場合は菩提寺からの申請とありますが、特に希望しない場合は、相談する必要はないのでしょうか? あと、あるサイトに「自分の名前を一文字入れておかないと、死後、法名を見ただけでは誰なのか分からないので、内願はしておいた方が良いかもしれないです」とありましたが、やはりそうなのでしょうか? 私は今のところ独り身なので、合同墓地を希望しています。 家の墓はありますが、将来的に兄家族が入ると思うので、私は入れないと思いますし、仮に入れたとしても入る気はありません。 なので、法名で「この人誰?」といった事にはならないと思っています。 法名について深く考えた事がなく、無知で恥ずかしい限りですが、ご教示いただけますと幸いです。 どうぞよろしくお願いします。

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母が亡くなりました

母が先日56歳で亡くなりました。 突然のことで、脳出血で倒れ、そのまま意識が戻らず1週間の入院の末亡くなりました。倒れていたところをすぐに見つけ、すぐに救急車を呼び、すぐ近くの病院が受け入れてくださり、最善の治療を施して頂けたと思っています。祖父母も駆けつけ、遠方からの友人も、伯父も駆けつけて、もちろん家族は病院に詰めていて、入院している間は病院の方も家族も最善を尽くせたと信じています。 無宗教で、戒名はいらない、私のお葬式ではみんな可愛い格好して骨は粉にして海に撒いてちょうだい、と常日頃から笑って言っていた母ですが、妹の幼稚園などでお世話になっていたお寺さんに葬儀をお願いしました。家族葬で静かに行う予定でしたが、お花を贈ってくださる方が多く、花に囲まれた立派な式だったと思います。綺麗な戒名もつけていただきました。遺影の笑顔も本当に綺麗です。明るく華やかな母の笑顔です。出棺もご住職様にお見送りいただき、お骨は綺麗に焼いていただき、今は綺麗な骨壷と葬儀社の方が丁寧に作ってくださった祭壇の上に乗せられ、家に戻りました。 まだ実感が湧きません。明るい母が、今にも玄関を開けて買い物袋と一緒に帰ってくるように思います。コタツで寝ているように思えます。病室での顔も安らかで、本当に家で寝ている時と同じ顔でした。私は社会人ですが、3人いる妹はまだ大学生、一番下の妹はまだ成人もしていません。今帰ってきた妹が明るい声でママただいま!と遺影に声をかけました。父は実家と疎遠で、頼れる人はいません。母の両親はもう83歳で、こんな悲しみを味あわせていいはずはありません。我が家の要です。働かせすぎたのだと思います。朝起きて、洗濯をし、朝食を作り、ゴミを出し、弁当を持たせ、出勤し、帰宅し、買い物をし、掃除し、食事を作り、洗濯をし、誰よりも遅く寝て、誰よりも早く起き、誰よりも働き、誰よりも早く旅立ちました。 娘4人全員マザコンで、日頃から母には好き、大好きと伝え、母との予定は最優先にしてきました。私たち娘たちからの母への気持ちは伝えられていたと思っているし、母からの愛情を疑ったことはありません。ただ、母の友人、兄、祖母から「〇〇くんと結婚していたらなあ」「あれじゃ(母)ちゃんが可哀想」と言われるのを聞きました。母はかわいそうだったのでしょうか。大好きな母がかわいそうなのはとても悲しいです。

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供養について

今年父の姉、伯母がなくなりました。 その伯母は生涯独身、わが道を進むというタイプで父のたった一人の姉であるにもかかわらずほぼ家族としての付き合いはありませんでした。 父はごくたまに(家族に隠れて)住まいを訪れたりしていたようです。 ですが家族は伯母の住まいや電話番号などを知らなかったため、父と母が亡くなったときも知らせることが出来ず葬儀などに参加していません。 今年突然伯母が亡くなったということを住まいにしていたところであろう区役所から我が家へ電話がありました。 なぜ我が家のことがわかったのかはわかりません。 役所からは「○○さんのご親族の方ですね」と言われただけです。 姪であることには違いないので違うとも言えず伯母の最期の送り出しをすることになりました。 焼き場へ直行、遺骨を拾ったのみで戒名をつけていただくとかお坊さんのお経などはまったくありません。 四十九日まで我が家で毎日お線香は上げていました(我が家には仏壇はありません。影膳のようなものです)。 四十九日後、焼き場で葬儀社の方から「お墓があるのであればいれてさしあげればいいのでは」といわれたこともあり、確かに実家にはお墓がありますし伯母の両親、弟である父も入っているので、一心寺のお骨仏にしてもらおうかと思っていましたがお墓に入れてあげようと思いました。 いけないことなんでしょうがお墓には勝手に納めてしまいました。 実家は浄土真宗でしたが伯母は信心していたかどうかわかりません。 今年の春に亡くなったのですが、今になってお経のひとつくらい上げてあげたいなと思うようになりました。 伯母の遺品から西国巡りが好きだったんだろうなと思えるような御朱印帳や衣装・袈裟?などがたくさん出てきました。 三十三ヶ所のお寺のHPを見ているとお彼岸時に先祖供養等法要を催される寺院がありました。 実家が信心していた宗教とは違うしお墓も法名も無い、檀家でもないお寺に供養をお願いはできませんか? 両親は法名もあり過去帳にもご先祖さまと一緒に記帳してありますし法要もきちんとやっていますが、伯母のことをどう考えればいいのか悩んでいます。

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自由葬からの、供養の形。

実父が今年1月、手術の為の入院中、容態が急変し家族に見守られることなく病室で亡くなりました。その後の葬儀は、父に信仰心がなく無宗派、生前から戒名もお坊さんも必要ないと兄に話していたこともあり、本当に家族のみで祭壇を囲みお別れをしました。私の中にモヤモヤする物はありましたが、兄が簡素ながらも葬儀を取り仕切り、母は憔悴し兄に一任していたので、嫁いだ私は黙っていました。 落ち着いた頃母は「やっぱり気持ち的にねぇ…」と言い、小さな仏壇を購入し、入魂などはせずに位牌が無いので写真とお花を飾り、普通に毎日線香を立てて御りんを鳴らしています。自分でお経を読む練習もしていたり。供養は気持ち…と私も思いますが、このような形でいいものなのかと今も考えます。 今年初盆ですが、来年春まで納骨はせず、仏壇横に安置しています。初盆も提灯を飾ってあげたいと購入しました。誠に都合良し…ではありますが、普段の供養は仏式風に小さな孫達も気持ちを込めて手を合わせています。 母が納得していれば、このような形でも父への供養になっているのでしょうか。非常に苦しい闘病の中、一人で旅立たせてしまった父は成仏できているのでしょうか…。 兄は良く言えば、形ではなく気持ちの問題と考えているようです。 ご回答よろしくお願いいたします。

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祖母のお骨についてアドバイスお願いします。

昨年祖母が亡くなりました。 葬儀は密葬で行い、お寺を通さなかったので祖父や曾祖父母が入っているお墓に納骨しておりません。 当方は結婚して実家を出ている為、このお墓に今後入る予定はないのですが実の両親はこのお墓に入りたくないので祖母のお骨も入れていません。 両親がこのお墓に入りたくない理由としては祖父が他界した時(約20年前)このお寺から戒名代もかなりな高額で、その時の住職さんやお寺関係者の態度も傲慢だったのが父には我慢出来なかったそうです。 その後、事あるごとに実家にとって高額なお布施やとうば代を要求するお寺のやり方についていけないのもあり、お寺の方針を受け入れられないのです。 その為両親はお寺に不満が溜まり、祖母と話し合った結果、祖母のお骨は手元に置いておくという約束を生前の祖母としたみたいです。(当方は祖母から実際にこの話を聞いていないので両親が本音で話しているかは不明ですが…) しかしこの決断を受け入れられない叔父や親戚から「祖母をきちんとお墓に入れるべき・お金の問題ではない・祖母が可哀想」と言ってきます。 父は断固として叔父や親戚の意見を受け入れずにいます。 私は嫁に出た立場なので何も言えませんが、故人のお骨で家族や親戚がいざこざ起こすのは祖母が一番悲しむと思います。 私は今後どのようにしたら良いでしょうか? 私は祖母の意思を尊重してあげたいとも思うし、交友があった親戚が祖母をお参りしたい気持ちも分かります。 ただ喪主である父の意思が固すぎるので何を言っても父は受け入れてくれません。 

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父の17回忌が近づいています。

お世話になります。 今回は、実家の父の17回忌法事のことで相談させてください。 父は次男で、郷里から離れて家庭を持ちました。 そのためお付き合いのある寺はなく、父が亡くなった際、葬儀会社の紹介で急遽、お寺を紹介してもらいました。 初対面のお坊さんに父の戒名をお願いしたのですが、父に所縁のある漢字も使用されず、生前の人柄なども尋ねられることもなく、ただ事務的に考えて下さった印象を持ちました。 〇〇院、と父方親戚にはつけられているためそれだけを頼むと、割増料金?のような請求があったと記憶します。 その後、法事の度に実家へ来て頂きましたが、愛想のかけらもなく、ただお経をあげられて支払いを済ませると、矢のように帰られます。 会話も殆どなく冷たい対応しかないため、すっかり私たちも信頼する気持ちが薄れてしまい、今度の法事では呼ばない、と母が言い出しました。 そして、お坊さんなしで自分たちで読経して17回忌を済ませよう、と言うのです。 私が、他にお寺を探してお願いしよう。と提案しても聞いてもらえなく、兄姉も母に賛成のようです。 父に申し訳ないようで、とても気になります。 家族だけで法事するなら、せめて私だけでも何かできないかと思いますが、アドバイスいただけますか? 宗派は、浄土真宗の"お東さん"らしいです。

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四十九日法要で導師を変えても良いですか

先日父が亡くなり、通夜と葬儀を葬儀社からの紹介である導師にお願いしました。 葬儀の直前、葬儀社の方からの連絡で導師の控え室に参りました時少しお話しさせて頂きました。導師からは供養の仕方やお寺の合同葬のパンフ等頂いたのですが、私がネガティブな言葉で導師の言葉を遮ったり話の腰を折ったとの事で導師から不愉快だと言われ、そのお言葉に総早々に退散致しました。 時間になり導師が控え室から出て来られ皆が着席し、導師は開口一番長女の方と言い合いになりましたと仰ったのです。私は耳を疑いました。導師と言い合いなんてする訳もないです。導師に不愉快と言われたので、それではと席を立ったのです。 家族や親戚には何も話していなかったので、誰も理解できず反応もなかったからでしょうか、導師はそれ以上は何も言わず読経をされました。 でも、終わってから家族にあの意味は何だと聞かれました。私は大切な父の葬儀の時に導師を不愉快にさせてしまったこと、読経の前に導師に言われてしまったことで葬儀を台無しにしてしまい亡き父にも本当に申し訳ない思いで一杯で悲しくて涙が止まりませんでした。 葬儀もせめてもの親孝行だと、金額は張りましたが大手の葬儀会社に手配を依頼して抜かりなく、気持ち良くと思っていたのに情けないです。 葬儀社とお寺の住職の奥様から、導師に何でもご相談下さいとのお言葉に甘えてしまい、結局は導師を不愉快にさせてしまった自分自身が情けなく、葬儀も気持ち良く満足にあげられなかったと後悔の日々です。 ご相談したいのは、戒名を頂いたお寺の導師だから当然四十九日も同じ導師にお願いするべきとの意見が家族にあります。一方、親族に非があっても、導師が葬儀の時に持ち出す言葉ではなかったのではないかとの意見もあります。 私にしても導師が何も仰らなければ水に流して四十九日もお願いするつもりでおりましたが、葬儀をぶち壊しにされたような思いは残りますし、不愉快と仰られたので四十九日に出席する勇気はないです。 今後は亡父の出身の地方のお寺に納骨する予定です。そのお寺に問い合わせましたら四十九日法要、開眼供養、納骨供養など引き受けてもらえるとのことです。 同じ導師にお願いして私は欠席するべきか、或いは納骨して頂く地方のお寺に四十九日法要をお願いするべきか、悩んでおります。よろしくお願い致します。

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納骨までの心の整理

母を二月に亡くしました。 まだまだ悲しく涙を流さない日はありません。 四十九日の後、観音霊場巡りや高野山での追善供養など母が父にしていた事を私なりに勤めています。 遠出から帰ってきたら実家の様子がどんどん変わっていき、母と私が長時間過ごしていた部屋はすっかり変わって、私が入る余地が無くなっていっています。 (実家は行き来自由の二世帯住宅で弟家族が住んでいます。私は近くに住んでいますが母が健在の時は三食共に摂り仕事も一緒、自分の部屋には寝に帰るだけでした。) 兄弟三人で、納骨は一周忌にと言っていたのに、、来月半ばに百箇日忌があるのですが、その時に納骨をするとの旨弟から伝えられました。 父の側に行けるといっても土に還すのは…まだ早いのではないか?と思っています。 しかし、そんな風に思っている弟の側にいるよりお墓の父の側にいる方がいいのか?とも思ったり、、。 いっそ私の部屋に、、とも思ったりしています。(←これをすると兄弟喧嘩になりそうなのでしたくありませんが) 宗派は臨済宗です。 私の部屋には、戒名の書かれた廻向の證や両親の写真などをチェストの上に置き祈りの場を作りました。 私の部屋でも両親にお経を読んだりお供えをしたりする場を設けたので、実家に毎日お線香をあげに行くのをやめた方がいいでしょうか?

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葬式をあげてほしくない

死後の事についてご相談があります。 私は宗教という考え方やそれに基づいた慣習、イベント自体は好きですが、私自身が何かの宗教に属することは避けたいと思っています。 私の知る上では各々の宗教の考え方と私自身の観念が合うことが少ないからです。 ただし、宗教のパロディである空飛ぶスパゲッティ・モンスター教には共感いたしておりますので、自称するときはパスタファリアンを名乗っています。 そこで、私が死んだ後、葬式をあげてほしくないと思っています。 特に仏教式の葬式です。 なぜなら、戒名をいただいた時点で、仏教徒になってしまい、仏教という枠に囚われてしまうからです。 悟りも輪廻も御免被りたいです。 衛生的な観点からは火葬自体はしても構わないのですが、法律が許しませんが、できればその後はゴミ箱にでも捨ててもらって処分してもらいたいと思っています。 家族にそのことを話すと、死んだら終わりだから死後の事など心配するなと言われるのですが、そうではなく、私がそのくくりにとらわれてしまうことを決定づけられることが不服なのです。 死後の世界云々は信じておりませんが、生きているうちはそのことが囚われであり、心配であります。 ただ、信じずとも無いことの証明は極めて難しい以上、ある可能性は0ではないというのが論理であり、公理です。 (論理、公理とは数学上の意味です。) ですから、その0ではない可能性で、仏教の枠に入ることで、悟れなければ輪廻を繰り返してしまうという観念に囚われてしまっているのです。 ただし、重ねて申し上げますが、悟り自体は御免被ります。 渇愛は人間の人間たる、また、人間の動物たる所以と思います。 私は人間らしさを捨てたくはありません。 仏教に従事していらっしゃるお坊さま方には相容れない考え方かも知れませんが、これが私の中の公理です。 さて、これは私の考え方を変える努力をして見たほうが良いのでしょうか? それとも、家族を説得するようにしてみたほうが良いのでしょうか? 相談する相手を間違っているような気もしますが、意見を伺えるかもしれない機会を捨てることはないと思い、ご相談差し上げます。 よろしくお願いします。

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遠方で容易に墓参り出来ない故の代替作として

よろしくお願い致します。 まず、当方は運勢が良くなく、これまで試練・辛酸が10年20年単位で連続しています。 それで、巷の情報で、「~子孫の運勢の多くを先祖が左右している部分が多くある~」という事や、「家系因縁」という言葉も聞いた事があります。 それで、先祖供養・お墓参りは継続的にすべきという事は知っては居ますが、行きたい時にサッと容易には行けないのです。 当方は、千葉県内房地域の在住、両親は両方とも群馬県出身で、伊勢崎市と前橋市です。お墓はそちらに在ります。 自分の運勢を左右している可能性のある先祖が、母方か父方かどちらの先祖か?、どの代の先祖か?、など知る由もなく、又、先祖が生前、どんな生き方だったか、行いが良かったか悪かったか?なども知る由もないですし。 そこで、父方と母方と双方のお墓参りを自宅でする、遠方故の代替策は無いかと探していたところでした。 ●ミニ仏壇を当方の部屋に置き、そこに、両親双方の墓地の過去碑に書かれている人、全員分の過去帳をお寺さんに作って頂き、お経を唱えて頂き、お作りして頂いた過去帳を、位牌に収めてミニ仏壇に祀り、それに向かって毎月月初等に自宅部屋でお参りする・・・という事を考えてみました。 そこで、幾つか注意した方が良さそうか、という点が視えてきまして、 我が家は、 母の寝室に、父の両親の名と戒名(?)と日付が書かれた位牌が在ります。 更に、母の母親の名と戒名(?)と日付が書かれた、位牌ではなく紙に墨?で書かれたものでビニールに包まれたものが在ります(母の父の名はその紙には書かれていません)。 1.故人を祀る場所が一家に2箇所在るのは良くないらしい事 2.位牌は直系のものだけ置くべきで、(当方の場合)母方の位牌を用意したら家庭不和につながるらしき事 3.祀る事、供養する為に、過去帳というのは特に意味が無いらしき事 ※【故に、母の部屋にある父方の祖父母の位牌を当方の部屋に置いて、毎月月初にでもお参りしようかと考えましたが・・・。】 仏壇は、敢えて無理に用意しなくても大丈夫らしき・・・。 先祖の因縁、家系因縁を供養する・・・事に基づいた今件の案ですが。取り敢えずは上記の※【】の部分の様にしようかと思っておりますが。 ご意見頂けますか? カテゴリを、「運命・見えない力」にしようかどちらにするか、迷いましたが。

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2021/09/27

いつかその日が来た時に

いつもこちらではお世話になっております。 沢山の教えの中に日々気づきを頂いております。 ありがとうございます。 今日相談させていただきたいのは、檀家というお寺との関わりに関してです。 以前にも相談したことがあるのですが、私には歳の近い親戚が突然死したこともあり、不安症なところがあり、発作的に「家族の死」を考えて落ち込みます。 ですが、従姉妹の死が「その時が来たら、自分が見送られる側じゃなくて、見送る側だったことを見つめるんだよ」「あなたがこっちにきたら私も、祖父母も、みんないるから、会えるから寂しくないからね」と、教えてくれているようで、時間を要しながらも、今目の前にいる家族を大事にしよう。と、顔を上げることが出来ています。 そして、いつも思うのが、 わたしには今恋人も、自分の家族もいないので、いつか一人になった時に、誰にもこの悲しみを言えずに悲しみから抜け出せずに潰れていくのではないかということにも不安の要素があるのだと気付きました。 そこで思ったのが、 自分が日頃から関わっているお寺があれば、日頃からもっと仏教に触れることはもちろんですし、葬儀でお経をあげていただくことになっても、知っているお寺の方でしたら気持ちが落ち着きますし、法名の相談もできるかもしれません。 何より一人で辛い時には説法を聞きに行けたりして、孤独ではない、自分が生きているのは今であるということを感じる時間を持つことができるのではないかと思いました。 ですが、我が家は既に地域の納骨堂を用意しており、お墓のことを含めて檀家にというのは難しく思います。 更にお寺によるかと思いますが、お金もだいぶ掛かると聞きます(収入はそんなに高くないので) この場合、檀家になったり、馴染みのお寺を見つけることは難しいことなのでしょうか。 もちろん一番大事なのは場所ではなく、気持ちだというのはわかっているのですが、未熟者ゆえ、このように考えてしまいます。

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