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hasunoha 問答検索結果 : 「 死後 」
検索結果: 1344件

どうすれば楽になれますか

2回目の質問になります…。ジ病にかかり治るという事はないようです。 ですが、死ぬ事もない。 このしんどい身体で生きていくしかない…地獄です。 幼少期に親に捨てられ、自分一人でも食べていけるようにと資格をとり、やりがいのある仕事につきました。その後、心臓♿🏥で3回の手術。障害をかかえても向き合って生きてきました。そして今度は治る事のない難病。 私は刑事事件の被害者になった事もあります。 犯人は「証拠不十分で不起訴」になりました。 その人間が幸せに家庭を持ち何事もなかったかのように平和に暮らしている。 何故、そんな人間がのうのうと暮らしていて、私がこんなにも重い岩を背負わなければいけないのでしょうか。嘘をついて力の強い人間が笑って生きている。 岩が重すぎて…楽になる方法ばかり考えてしまいます。人はいずれ亡くなります。ならば、この先何十年も苦しんで生きていく必要はないのでは…と。 頑張っても報われない、治らないものなら。 気力体力限界です。 死にたくないのに亡くなる人がいる。しんどいだけで、ただ生きている。 どちらも地獄です。 💊😷🏥この病気は治らないそうです。ならば楽になるにはどうしたらよいのでしょう…。

有り難し有り難し 25
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仲直りできないまま

春に次女を出産後、コロナの影響もあり手伝いに来てくれていた母と共に新生児と4歳の娘にを連れて田舎に帰省しました   祖母とは特に仲が悪い訳では無く、子どもたちを可愛がってくれるので帰省したのですが   今思えばその頃から体調が悪かったのか、当たりが強くなっていました   私自身も祖母から距離を取るようになり、娘も遠ざけていました   散歩に出かけた私達を追いかけて来ていたようですが『ばーちゃんも散歩している』と勝手に解釈し、置いてきてしまったり   心配して何時間も待ってたと、後から叔母から聞きました   物凄い罪悪感が残ったまま   祖母は耳が遠い事もあり娘が『ばぁば』と言っている言葉も『クソババア』と聞こえてしまうようで、『クソババアが嫌いか?』と自分は嫌われていると思い込んでいました     早く帰りたい、早く帰りたい、と帰宅を早めてしまいました     また今度誤解を解けばいい、仲直りすればいい、また会いに来ればいい     とそそくさときちんとお別れをしないまま帰って来てしまいました     その後1ヶ月程で亡くなってしまいました     娘と仲直りさせたかった、誤解を解きたかった、嫌いじゃないんだと伝えたかった     今更遅いですが、その事がずっと私の心の重荷になっています     亡くなった連絡を受け、その日に娘たちも連れて帰省     最後に顔を見に行き何度も謝りました     できなかった罪滅ぼしではないですが、裏方の手伝いをしてきました     それでも、罪悪感といいますか、心のしこりが取れず。。ずっと苦しいです     ごめんねと謝っても、返事は当然無く     娘にはまだ『死』の概念が無く、「病院に行ったら元気になる」「まだ起きないね」と無邪気な言葉が今の私にはグザグサと刺さります     娘にも、ちゃんと仲直りさせてやれなくて申し訳無い気持ち     ばーちゃんにきちんと謝りきれてない心残り     ばーちゃんは私含め娘も許してくれているのでしょうか     まだ寂しい気持ちを抱えてしまっているのでしょうか。。     墓参りは勿論ですが、何をすれば供養といいますか私達を許してもらえるのでしょうか

有り難し有り難し 8
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母を失ってから

以前もご相談させていただきました。 7/1にくも膜下で入院していた母が亡くなりました。 葬儀も済み、お寺で戒名も頂き、今週から仕事にも復帰しました。 これまで昼夜を問わずたくさん泣きました。今でも朝早く目が覚めて、そこから母のことを思い出して寝られなくなります。 私は一人っ子で悲しみをこらえなんとか喪主も務めました。 でも少しずつですが、落ち着きを取り戻しつつあります。 今までは悲しんでばかりでしたが、最近は母を悲しませないために、自分は笑って幸せでいようと思い直し、子どもと一緒に楽しく過ごすことを考えるようになりました。 しかし、少し前向きになるとともに、生前の母の気持ちを考えることが増え、辛くなることが多々あります。 母は3月で仕事を満期まで勤め上げ、その後は生き甲斐として小学生の孫の面倒を見たいと、毎日ご飯を作りに来てくれていました。 今年の夏休みには旅行も一緒に行こうと楽しみにしていました。 友達も多く、仲良しグループでよくお出かけもしていました。 今年に入ってから私達と一緒に暮らしたいという話もしていました。 仕事が終わり、孫の面倒を見つつ、やっとこれから遊ぶんだ という矢先に逝ってしまい、無念で無念で可哀そうでなりません。 心が痛くなります。 本人も、どうして?なんで私が? と思っているんじゃないかと思うと、さらに苦しくなります。 母は自分が亡くなったことに気付いているのでしょうか? また、自分の身に起きたことを理解し、受け入れているのでしょうか。。 私に孫に対してとても心配性だった母。 今頃どこかからハラハラと私達のことを見つめているのでしょうか… 亡くなったことを悲観して嘆いているのではないかとまた苦しくなってしまいます…

有り難し有り難し 8
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俗名で供養するのは間違いでしょうか

2週間前に母を亡くしました。 いざ葬儀の際、父は菩提寺もなく檀家でもない、お墓も持っていないこと(父は次男で実家から距離もあるので)、私が生前の母とテレビを見ながら「戒名は何十万もして高いし、私はこのままでいい。お墓も高いから…」と話してたこともあり、俗名のまま、宗派も決められないので葬儀屋さんからそれでも読経して頂けるお坊さんを呼んで頂き葬儀を行いました。 2月末には四十九日ということになりますが、その前に悩んでいるのが、 このまま俗名で供養できるのか?ということです。 母の言葉通りであるなら、戒名は不要なのかもしれません。 私自身も、母と同じ考えで自分に戒名は不要だと考えているので、母の気持ちは理解できます。 ですが実際に母が亡くなって、しっかりと供養してあげたいと考えるようになったことで、白木位牌から本位牌に代わる際、俗名のままでいいのだろうかと不安になりました。 家族は、母がいらないと言ったならつけない方がいいのではないかとも言います。 心配なのは、 俗名のまま、本位牌を作成して開眼供養して下さるお坊さんはいらっしゃるのかどうか 葬儀は読経して頂けたけれど、宗派もわからぬまま四十九日はどうしたらいいのか。 お恥ずかしい話です。 全く仏教に関する関心や信仰心等無かったのに都合がいいかもしれません。 自分にとっていい部分だけ切り取ってすがろうというのもばち当たりであるとも思います。申し訳ありません。

有り難し有り難し 14
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年明けを待たずに死にます

現在、貯金を切り崩して生きています。 このまま稼ぐ手段が見つからなければ死にますが、自分が野垂れ死ぬことには納得がいくというか、客観的な視点で「こんな奴死んだ方がいい」と自分にずっと思いながら生きてきました。 問題のある人格に対して「そんなんじゃ生きていけない」と家族から「厳しくも厳しくもありがたいお言葉」をいただきながら育ちました。結果、その通りになりました。 この世界がうまく回っていて、私だけに問題があるのならばまだ生きる希望がありました。しかし、現実はそうではない。私が生きていてもいなくても、この世界はどんどんと悪くなっていく。そもそも、生きることそのものが欠陥だとしか思えません。 人生は「他人にどう見られるか」が全てです。完全な自給自足ができない以上、何かの手を借りなければなりません。そのためには他人に好ましい印象を与えなければなりません。私はそれができませんでした。 この世界は私が生きようが死のうがどうでもいいものです。生きていられる人間は、「自分を大事にしたい」という動物的本能を疑わないでいられるから生きられるのです。しかし私はその本能こそが全ての苦しみの元凶と憎み、「全ての生命は存在しないほうがいい」という強固な思想に囚われています。これを打ち破る根拠をこの世界に見出せれば良いのですが、その機能が私に備わっている気がしません。何を論じられても、申し訳ないことに、「わざわざ生きる根拠」にはなり得ません。この世界には私よりもずっと有能で賢い人間が沢山いるのに、全生命を安楽に絶滅させる方向に行かないのは、私が決して感じることのできない「それでも生きる意味」があるからなのでしょう。 私の人格や感性が望まれたことなどありませんでした。それとも、関わる人間の誰からも死を望まれながら、殴られながら生きるのが修行でしょうか? 未来を捨て、この世界や他の人間に「生きさせてください」と頭を下げ、心身を削る「労働」を辞めた今が人生で一番安楽です。つまり、私の幸福は死の直前にしかありませんでした。 私の望みは、「物質世界から解放される」「五感、痛覚、あらゆるものを感じる機能を失う」「誰からも観測されない状態になる」こと、つまり、「永遠の死」「存在しないこと」です。そして、これこそがあらゆる生命が目指すべき地点だと思っています。こんなことを考える人間だから生きられないのです。

有り難し有り難し 13
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2022/11/03

死、別れ、時が流れていくことが怖い

死、時間が過ぎゆくこと、全てのものとやがて別れなければならないことが怖くてたまりません。 立て続けに可愛がっていた愛猫を亡くしました。 二匹とも老齢で死ぬことは当たり前の年齢、特に苦しむこともなく穏やかな最後でした。 ペットロスなんだと思いますが、猫達がいなくなった哀しみや寂しさの他に漠然とした不安、恐れが湧き上がりしんどいです。 今は一緒に嘆き哀しんでいる家族ともやがて別れがくる、こうしている間も1秒1秒それまでの時間が短くなっている。 その次の別れの瞬間に今のことを思い返しているような、あっという間に来るべき時が来てしまうような気がしていてとても怖いです。 気分転換に外に出ても葬儀場やお墓の看板ばかりが目につき、世界が裏返ってしまったような気になります。 これまでは遠く空の上にそういうものがあって、今生きている世界はしっかり地にあるイメージだったのが、海の上にある小さな小島にいて、すぐ足元に深くて暗い海の底が広がっている、自分が生きている世界はとても心許ないものですぐに溺れてしまうのではないかというような気持ちになります。 在宅勤務でずっとつきっきりだった為か、死を真正面から受け止めすぎた気がしています。 どこに行こうが逃れられないことに気付いてしまいました。 昔の偉いお坊さんが、死ぬ間際に一筆と頼まれた時に死にたくないと書かれたという話を見かけ、偉いお坊さんでも怖いのかとどうしていいか分かりません。 自分が死ぬ前の晩はどんな気持ちか、親が死ぬ前の晩はと、そんなことばかり考えてしまいます。 さっきコンビニへ行ったことも10年前の旅行のことも思い出すとどちらも一緒で、全部の物事がどんどん過ぎ去っていくような、時間が圧縮されてしまってあっという間に全てが終わるような気持ちになってしまいます。 過去が全部一かたまりになっているというか…。 時間がすごいスピードで自分を削り取って過去のかたまりに押し込めていくような感覚があります。 とても怖いです。 仕方ないことを考えるのをやめたいです。 どうしたら今のことだけ考えられるようになるでしょうか。 偉いお坊さんでも死にたくないのに私のような人間が怖くなくなるなんてありえるのでしょうか。 どうしてこんなに寂しく悲しく辛い死や別れが避けられないこととして存在しているのでしょうか。

有り難し有り難し 18
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霊と話せると言う人との付き合い方

以前にも相談させていただきました。 5年前に親友を自殺で亡くし、今も毎日思い出し、祈りますが、もう思い悩むことはありません。 私のせいで死なせたかもしれないし、私のお陰で5年前までは生きていられたのかもしれない。どちらが真実か(もしくはどちらも真実か)は、亡くなった親友にしか分からないことなので、私は「もしまた彼女に会えたときに好きになってもらえる私でいよう」と前向きに生きています。 前回も「死んだ人と話せると言う人が理解できない」という相談をさせていただきました。 その際に、言う方は言うだけで責任はないのでスルーしたらいい。親友が私に伝えたいことがあるときは直接私に伝えに来てくれるという回答をいただき、その言葉を信じて過ごしていました。 しかし件の友人は未だに「親友さんと話したよ」「もう成仏するから安心してねって言ってたよ」「ずっと三十日月のそばにいたけど声が届かなくて悲しかったって言ってたよ」「私は霊能力を身に付けるヒーリング(?)を受けたから信じて」「三十日月が私の言葉を信じてくれないから、親友さんが悲しんでるよ」「一番可哀想なのは親友さんだよ」と伝えてきます。 友人をやめて連絡手段を絶っても、いろんな方法を使ってコンタクトを取ってきて、聞いてもいないのに私の親友の今現在の話をします。 私はもう誰にも触れられたくありません。 それは友人にもきちんと伝えましたし、私は霊が視えないから、そういう話は聞きたくないともはっきり伝えました。 でもやめてくれません。 スルーすればいいんだと、頭では分かっています。 もし親友が私に伝えたいことがあるなら、直接会いに来てくれることも信じています。 でも「一番可哀想なのは親友さんだよ」という言葉が予想外に私を傷付け、悩ませています。 私が霊と話せると言う人を信じないせいで、親友は悲しんでるのか?もし本当にそうなら私は悪いことをしているのかもしれない…と思い悩んでいます。 霊と話せると言う人が、心の底から「自分は霊と話せる」と信じていることも理解しています。 本気で信じているからこそ、応対に困っています。 私が聞いてもいない、今現在の親友のことを(最近成仏したとは言っていましたが)、私の不安を煽るように伝えてくる友人との付き合い方を教えてください。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 18
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2023/08/21

年老いた両親との関係について

母が実家を出る形で、昔から不仲だった両親が最近別居を始めました。 別居をしてからも何かと諍いが絶えず、母は恐怖を感じ、方々に相談しています。 母は昔から夫婦間の揉め事を自力で解決する事ができず、私達子供や親族を巻き込んでの騒動を起こします。 父は実の娘である私からしても、理解し難い自分本位な人であり、母の気持ちもわかります。 小さな頃から喧嘩の絶えない両親の間に入り、伝書鳩のように動いたり、翻弄される事が多くありました。 兄弟はおりますが、遠方なため、どうしても近所に住む私にかかる負担が増しています。 私も家庭があり、目が回るような忙しい日々ですが、一番大事なのは今の家族です。 両親には愛情を持って育ててもらった恩がありますが、毎日のように目の前でDVを見せられた幼少期から、大人になった今日に至るまで、不仲な両親に悩まされています。 この先もし介護など必要になれば、真っ先に頼られる事も目に見えており、仕事を投げ打ってまで奉仕するべきか、先の事も考えてしまいます。 父から私に相談はありませんが、母からは会うたび、または電話で身体の事、心の事、父の事、あらゆる愚痴不平不満が溢れます。 面倒くさいなと思っても、無視する事も出来ません。 ですが、どんどん年老いて弱くなる親が重たく、自分の生活も大事です。 親は一番身近なご先祖様と思います。 気持ちをどうもったらいいのか、迷います。 何かアドバイスを頂けると有難いです。 

有り難し有り難し 4
回答数回答 1