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hasunoha 問答検索結果 : 「私 人間関係 できない」
検索結果: 8597件

結婚、出産は何のためにするのか

初めて質問いたします。宜しくお願い致します。 世間で言う結婚適齢期も少し過ぎつつある年齢になり、友人知人たちはほとんど結婚して子供がいたり、独身でも彼氏がいたりで、独身、彼氏なしの自分が何だか惨めに思えた時期がありました。 なぜ周りは自然と彼氏が出来、自然の流れで結婚、出産とトントン拍子に幸せになっていけているのに、どうして私は彼氏すら出来ないのだろう、もう年も若くないし、何とかしないと、と焦りに焦る日々を過ごしておりました。 そんな日が続いたある日、ふと疑問に思ったことがあります。 「そもそも、どうして私は結婚して子供が欲しいのだろう」 彼氏がいたらいたで、私のことをどう思っているのかとか、浮気をしていないか等心配事も出てくるわけで、それは結婚しても出産をしても同じこと。 お金のこと、仕事のこと、家族の健康のこと、子供の教育関係等、心配事は尽きないと思います。 ただでさえ自分のことでいっぱいいっぱいになりがちな心配性な性格のため、彼氏や家族という大切な人のこととはいえ、気にかけて世話をしてあげられるだけの余裕が持てるか非常に不安です。 次第に 私には、結婚は向いていないんじゃないか。 幸せになるためには、ひとりでいた方がいいんじゃないか。 と考えるようになってきました。 そのため、私の中で「結婚、出産」=「みんなしているから、何となくするもの」というひとつの結論に至ったわけですが、正直完全に結婚、出産への憧れを断ちきったわけではありません。 生涯を添い遂げられるパートナーがいればどんなに心強いかと思うこともありますし、公園などで幸せそうに遊ぶ子連れの夫婦を見て、いいなあ、子供が欲しいなあと思うこともあります。 その反面、上記のような他者を煩わしく思ってしまう心や、または結婚や出産は単なるエゴだと思ってしまう心もあり、結婚、出産とは何だろう、どうして皆疑問にも思わず、結婚や出産を経験しているのだろう、そして私はどうしたいのだろう、と考え込む日が続いております。 なぜ、人は結婚、出産を求めるのでしょうか。 結婚をしなくても幸せになれるなら、それはそれでいいと思うのですが。 そもそも、「幸せ」とは何なのでしょうか。 お教えください。宜しくお願いします。

有り難し有り難し 1120
回答数回答 6

霊魂の存在を否定されるお坊さまへのご質問

 こんにちは。先日は私の拙い質問にご回答頂き、誠にありがとうございました。また、こちらで何度もご質問させて頂いておりますが、その度毎に丁寧なご回答を頂いておりまして、大変感謝しております。本日は、多少突っ込んだ質問になってしまいますが、自分の中でどうしても整理がつかない点があり、それを質問できるような場が他にありませんでしたので、この場を借りて質問させて頂きたいと思います。どうぞよろしくお願いします。  こちらのサイトを拝見しておりますと、「霊は存在しない」と回答しておられるお坊さまが何人かいらっしゃいます。お坊さまの中でも意見が分かれる問題なのだと思いますが、私は霊魂の存在を信じており、また輪廻転生もあるのではないかと考えております。霊魂の存在を否定されるお坊さまは、霊感商法やカルト教団への対応など、現実的な対策の観点から、またお坊さま個人の世界認識から、そのような発言をされているのだと思います。しかし、素人の私から見ると「悟り」や「阿弥陀仏の救い」を前提としてお話をされているお坊さまが、「霊魂」の存在を否定されることが、どうしても理解できないのです。  素人の私から見ると、「悟り」も「阿弥陀仏の救い」も、それが一体何であるのか分かりません。そのため、お坊さまが「悟り」や「阿弥陀仏の救い」をお話されることは、「霊魂」や「輪廻転生」のお話をされることと同じくらい荒唐無稽なもののように感じてしまうのです。唯物論者の方が霊魂の存在を否定されるのは理解できるのですが、お坊さまが否定されることは、私にはどうしても理解できません。霊魂の存在については、「分からない」とおっしゃることが最も妥当なのではないでしょうか。  実際に、現代には様々な宗教がありますが「霊魂」や「輪廻転生」の存在などを説いている宗教も数多くあります。もし、お坊さまが霊魂は存在しないと考えておられるのであれば、それらの宗教についてはどう理解されているのでしょうか。  このような突っ込んだ質問をして、誠に申し訳ありませんが、霊魂を否定されるお坊さまのお考えをどうしても伺いたいと思いました。ご回答頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。

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回答数回答 7
2024/11/05

お言葉求む!新しい生き方を探したい

お世話になっております。 今後の働き方、生き方を変えたいと思っているのですが、僧侶の皆様のご意見を参考にしたいと思い、投稿します。 現在、大学の非常勤講師として複数の大学を掛け持ちしています。 私は大卒後、会社で働いたり、無職になったりと、紆余曲折あった末に、自分の生きる場所はアカデミックな世界が合っていると思い至り、大学院に入り、今こうして大学で教えるまでになりました。来年40ですが、このまま研究を頑張りながら、いつか大学教授になりたいと思って、ここまで頑張ってきました。 しかし最近になって、大学だけが自分の生きる世界ではないのでは、と感じ始めました。最近の大学が、豊かな学問を通して学生を育てる場というよりは、数字で学生を評価するために必死で、ある種の管理社会になっており、息苦しく、不毛な気持ちになることが多いからです。 また、私の研究分野が、ほぼ開拓し尽くされており、重箱の隅をつつくような研究しかなく、クリエイティブな研究は、むしろ敬遠されるという現状に絶望してるというのもあります。 大学に教員として就職したら、経済的には安定するでしょうが、たぶん自分は何かを犠牲にするだろうと思います。ですので目下は、非常勤を続けながら、大学以外でも活躍できて収入につながりそうな仕事を地道に開拓していこうと思い、すでに行動は開始しています。 大学で働くだけがすべてだと思っていた自分にとって、新しい生き方を模索しようという今の状態は、かなり宙ぶらりんで、ここまで見守ってくれた家族への罪悪感もあります。また、この歳になってバカじゃない、と思う自分もいます。また、職業をひとつに絞れないことへの不安もあります。ですので、こんな私に、なんでもいいので、お言葉をいただけると、とても嬉しいです。 ここまでお読みいただいて、私に欠けている視点や、このように考えてはどうだろう、といった助言などがあれば、なんでもご回答いただけると本当に助かります。

有り難し有り難し 16
回答数回答 3

状況を察することができません。

今日、友人に私がKYだと指摘されました。もちろんその友人に悪意はなく少しからかい口調で教えてくれました。 私もKYだと言われたことは何回かあり、自覚して気をつけていたのですが、治っていませんでした。 私は場の空気を悪くするのではなく(と思いたいのですが…)状況や場面を正しく読み取れません。 例えば内進生の子が固まっているのにそこに入って行ってしまったりします。 友人に指摘されたことに心当たりはあり、確かにKYだと思うのですが、それ以外にあるかと自分で考えてみても分かりません。 しかし1度や2度くらいで指摘してくる子ではないので他にも必ずあるのです。 KYな人が気をつけることを調べてはみましたが、私とはタイプが違うように感じてしまいなにをすればいいのか分かりません。 改善すべきところも分からなければ、改善方法も分からないのです。 考えれば考えるほど今までKYだと思われてたのではないか、あの反応は拒絶なのではないかと考えてしまい恐ろしいです。 私はよく言えば器が広く、悪く言えば他人に興味がない人間です。そのためなぜその行動が駄目なのか、相手がどう思っているのかなどが分かりません。いわゆる暗黙の了解などは察せたことがないです。 また自分のことになると思い込みがひどく、こうなるに違いないと確信したら違う意見を考えるということすら頭に浮かびません。 相手の気持ち状況を察する、空気を読むってなんなんでしょう? 積極的にならないといけないのに少し間違えるとうざがられてしまうのが恐いです 明日からどうやって生きていけばいいのか分かりません。

有り難し有り難し 30
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亡くなった人が成仏するということ(難しいです....)

おはようございます。先日、父の仏壇の部屋と居間での供養について教えていただいた者です。あれから、亡くなった人が成仏することについて考えれば考えるほどわからなくなってしまいました。お暇な時に教えてくださると助かります。 私は今まで、亡くなった父は天国に行ったと思っていました。時々仏壇やお墓のような祈りの場に降りて来るのかな....とも思っていました。 ハスノハに入ったのがきっかけで、成仏という字の意味を考えてそれは仏に成ることだと考えるようになりました。そうか、父は仏さまになるんだ....と思ったけれど、いざ祈ると自分の心の中に生前の人柄のままの父がいて仏さまになった父は想像がつかなくて、今まで仏壇の前で「ねえお父さん」と普通に呼んでいました。もしかしてとても失礼なことをしていたかもしれないですが、仏壇には仏像の絵があり、神様が祀られているんだろうと思いながらもよくわからなくて父にだけお祈りしていました。 本当は、深く考えないで父が安らかでいてくれれば仏でも何でもなっていていいのですが(不謹慎だったらごめんなさい)、亡くなった人の成仏とはどういうことか考え始めたからには知りたいです。でも私にとってはとても難しい部分なので、仏教初心者向けに教えてください。お願いします。

有り難し有り難し 160
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考え方の矛盾

以前もお世話になりました。今回もまたお聞きしたいことがありましてお邪魔しました。 人付き合いがあまり得意ではなく、基本的には皆さんとつかず離れずの距離を保ちつつ生活しています。好かれたいわけでも嫌われたいわけでもなく、毒にも薬にもならない、明日になればそんな人いたかしら?と思われるくらいの存在感でいたいと思い、そのように生きているつもりです。 しかし、何か困ったことがあると頼られたり、アテにされたりすることがあります。引き受けますが本当はとても嫌です。褒められるのも好きではありません。 目の前の席の人の機嫌がよろしくないと、わたしとその人の席の間にある物入れに八つ当たりのようにペンをしまったり、引き出しを大きな音を立ててしめたりします。これもビクビクしてしまいます。 わたし以外の人たちがどこかに集まってひそひそ話をしていることがあります。どうせあの人いなければいいのにと言っていることでしょう。 このように並べると、わたしはもしかして人に好かれたいのかなと思うことがあります。でも本当に存在感のない生き方をしたいのです。誰にも覚えていてもらわなくていいのです。 こういう些細なことを気にせず、皆さんに忘れられるように生きるにはどうしたらいいでしょうか。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 234
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義妹へ嫉妬してしまう自分について

こんにちは。 初めて質問します。 敷地内同居をしています、長男の嫁です。 夫には弟と妹さんがいます。 それぞれ結婚されて、弟は近所に、妹は県内に住んでます。 私は県外から嫁ぎました。新婚当初は覚悟して嫁いできたものの、知り合いのいない環境に慣れず寂しい思いをしたり、水が合わず病気ばかりしておりました。 嫁いですぐ、実家の方で結婚式が重なり、月1回帰省してました。お義母さんは、一言二言言って快く送り出してくれませんでした。 嫁いで一年近く経った頃、祖母の法事がありましたが、義母から「おばあちゃんだから…自営業は一度仕事断ると次仕事もらえないのよ」と言われ夫を連れて行くことを許されませんでした。 家族経営で、従業員さんもみえ、代理してもらえた仕事でした。 祖母は私の育ての親だったし、実家の地域では1周忌しか親戚が集まらないのできて欲しかったです。 自分の帰省も難しく、夫を連れて帰省なんて許してもらえませんでした。 ところが、義妹さんは毎週毎週帰ってきます。今月は一ヶ月帰ってきてます。 週末は嫁ぎ先に帰るのではなく、旦那さんが母屋にみえるそうです。 私は帰るときに色々言われたのに、自分の娘は良いのか…と、納得がいきません。 そして、自分の実家は帰れません。 母は寝たきり、父親は暴言を吐き、ゴミ屋敷となってます。 甘えるのではなく、何かをしてあげる立場…と思うのですが、冷蔵庫は腐ったもので埋め尽くされ、触ると嫌味を言う父。 孫にも急にキレたり、私が立て替えたお金も返ってきません。 お義母さんを悪く書いてしまうような形ですが、とても明るく私の両親よりも暖かく孫を大切にしてくださります。 暖かいきれいな実家で甘えられる義妹が羨ましくて仕方ありません。 私にはどれだけ努力しても手に入れられないものです。 車を見るだけでモヤモヤしてしまい、家に帰るのが嫌です。 ニコニコして、「ゆっくりしていってね」と言えたらいいのに、言えません。 どう嫉妬する自分をコントロールしたら良いのでしょうか。

有り難し有り難し 45
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法要の際に法話をしていただけない

主人が亡くなり2年が過ぎました。 それまでお寺とはご縁が無かった上、いきなりの事で選択する余裕など無かった為、紹介されたお寺の檀家となりました。 葬儀を引き受けていただく際に檀家になる事が条件で、断れない状況でした。 今まで親戚や知人の葬儀に参列した事が何度もあり、通や・葬儀・初七日法要・初盆など、必ずお経の後、ひと言ふた事有難いお話をしてくださり、心が和んだものでした。 しかしながら、主人の通やから、三回忌法要まで、一度も法話らしきものがなく、お経が終わるとサッサと帰られます。 私ひとりの時は構わないのですが、沢山参列してもらった時には、違和感を感じております。 40代のご住職なので、お若いわけではありませんし、お布施も少し大目にしているつもりです。 臨済宗ですが、全く法話をしない宗派があるのでしょうか。 また先日の三回忌に、数珠なしでお経を唱えておられる事に気付きました。 大事な法要ですのに、ショックです。 聞くのは遠慮しましたが、きちんと供養になったのか心配です。 今までの立ち振る舞いや葬儀社からの印象など、仏に仕えている立派なイメージがなく、尊敬できません。 主人にも申し訳なく、檀家をやめたいくらいですが、簡単にいかないでしょうし悩んでおります。

有り難し有り難し 86
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