仏教は世界に名だたる宗教ですが、最も信者が多い宗教は何と言ってもキリスト教、ですよね?またイスラム教もかなりの影響力がありますし、それらの始祖たるユダヤ教も、アメリカの政経界に強い影響力を依然として持っていると聞きます。 そんな世界的な影響力の持つ、これら一神教が冠する「アブラハムの宗教の唯一神」に対して、仏教がなんのアプローチもした事がないとは個人的には考えにくいのですが、なんらかの仏教的解釈を加えて、仏教の中での位置づけ、みたいなものが決まっていたりするのでしょうか? ヒンドゥー教や神道などの多神教の神々を仏教の中に取り込んでいくのは、日本でも本地垂迹の歴史等があったように、既にやられて来たことですし、個人的にもそこまで波風が立つような事ではないと思います。 が、流石に「アブラハムの宗教の唯一神」を仏教の中に位置づけようとすると、各一神教徒から「そうじゃねーよ唯一神なんだよ!仏の中に入れるんじゃねーよ」と大バッシングが食らいそうで、なかなか難しさを感じます。 他宗教との兼ね合いの話になってはしまいますが、もし仏教として果敢に唯一神を取り込もうとした歴史や、または現役のお坊さんとして私はこう考えているなどありましたら、小生にご教授頂けたら幸いでございます。 ※最後に、小生はあくまで仏教や神道、一神教に対してはズブの素人です。質問文に根本的な間違いがあるかも知れません。その際はお手数ですがご指摘願います。
数か月前、TVで池田小児童殺傷事件の被害児童(女児)の母上にインタビューする報道番組を視ました。事件から15年が経過し、加害者の刑も執行された現在でも、事件当時の状況を知ると改めて「赦せねぇ」と腹の底からムラムラこみあげる怒りを覚えます。 僧侶の皆様にも、まだ小さいお子様のおられる方がいらっしゃると思います。上記のお母さまの立場にたたれて考えてなお、死刑は廃止されるべきと、言える方はいらしゃいますか? 私が、被害者遺族の立場で考えた時、とても「生きて、償ってほしい」とは考えられないと思います。 一番望ましいのは、加害者が犯した罪を心から悔い改め、被害者とその遺族に心からの懺悔と謝罪を示したうえで、潔く刑に服してくれることではないかと思います。また、それが加害者自身も唯一救われる道ではないかと考えます。 さらに、死刑について論じる時、「どんな理由があっても人が人を殺めるのはいけない」と言われる方がいらっしゃいますが、法治国家において執行される死刑は、人でなく法が行っているといえるのではないでしょうか? 僧侶の皆様のご意見をお聞かせください。
こんにちは(=゚ω゚=) 長年漠然と解決しないものがあり、単刀直入に質問をさせて頂きますm(__)m 『お坊さんとは一体なんなのでしょうか?』 職業としてあるが、お医者さんとは違い体に触れて治療はしない。 話によると事業者の税金は非課税。国民でない? いろいろ人生の相談にのってくれるが、近所の年長者とも違う。 悪い行いをしては善くないと諭すが、もちろん警察ではない。 いろいろ知っているが、哲学者などとも異なる。 誰にでも分け隔てなく門戸を開いている。 毎日毎日、修行やお経を上げているが、相撲のように、儀式や観戦のようにお客を湧かすわけでもない。 法律にある、『個人の思想の自由』を良い形で具現化し続けているもの? となると要は『宗教』なんでしょうが、究極の自己満足の生き方?それとも、やはり修行を死ぬ(一般的な意味で100歳の肉体)までやりたいマゾヒスト? もし、ある一定の地域(日本として)の全員が仏教をしたならば、そこの人々は桃源郷になるのでしょうか?ロボットを創る人も、パイロットも、芸能人も、ウェイトレスもいなくなるので、生活が戦国時代ぐらいになるイメージですが。 でも、そうなると、助ける人がいなくなると、お坊さんはすることがなくなる? 思い付くままに箇条書きにしていますので、僕の偏見や間違いもあるかと思います。すみません。m(__)m 大変失礼と思いましたが、ずっともやもやしていたので知りたいです(。-人-。) よろしくお願い致します(^-^)
とあるお坊さんが釈迦は自殺について原典から観ると「自殺しても人生の負け犬で、来世も不幸になることでしょう」と説いたと仰っていますが、本当に釈迦はそのように説いたのでしょうか?
最近、人を間接的に殺しているかどうかが不安になります。道路に落ちている大きい石を危ないと思い植え込みに投げたとき、その石が植え込みから出て人がそれで転んで亡くなってしまったらどうしようとか考えてしまいます。これはおかしいことなのでしょうか?人殺しになってしまわないか心配です。また、その石を探し出して捨てた方がいいのでしょうか?
はじめに、全く仏教の知識がないのでとんちんかんなことを質問してしまうかもしれません… 私は猟師になりたいと思っており、今夏狩猟免許を取得する予定です。 そこで狩猟の見学をしたり猟師の方にお話を伺ったりしています。 ほとんどの場合猟師の方々は、頂いた命は大切に食べ、無駄にしないようにします。 しかし全部が全部そうではなく、農作物を荒らす動物(猿やタヌキ、カラスなど)を駆除する際は食べない動物を殺すこともあります。 スーパーに行けばたくさんのお肉が並んでいて、その全てが人に食べられるわけではなく廃棄されるお肉もありますよね。 それなのに、野生に生きるものの命を奪って食べるということはエゴなのかな…と最近悩んでいます。 猟師は本当に尊い職業だと私は思っています。 しかし命を奪うことへの罪悪感が全くないわけではありません。 仏教の観点から見るとやはりこのような殺生は罪なのでしょうか?
どうしても霊が見えるようになりたいです。 見えるようにならないといけないんです… 何かが起こる気がして… 方法はないですか? 気配を感じたり、目線を感じたり、少しオーラが見えたり、予知夢を見たり勘が鋭いくらいです。
母は、どうして自ら命を絶ったのでしょうか 例えば人間関係とかお金の問題とか、そういう具体的な理由ではなくて… どんな困難にもへこたれない人もいる中、母はどうして死を選んだのでしょう 強くて優しい母だったのに 私は希死念慮があるので… 死にたい気持ちはわかるのです 自死は、理由ではなく衝動的なものだとも思います だけど 母にあてはめるのはとても難しいというか… 「まさか」としか言いようがなくて… 母は私に希死念慮があるのを知っていたから、 少なからず私が引っ張ってしまったのかもしれない ただ、本当に言えるのは 母はそんなに弱い人じゃなかったから 悩みの理由 ではなくて 死を選んだ理由 が知りたい 100%わからなくてもいい(わかるわけもないのですが…) そこへ向かってしまう気持ちに、皆様の意見によって近づけたら少し救われるような気がします 本当にうまく言えないのですが… 私の抱く「希死念慮」とは違う気がして 理解できなくて 苦しいのです…
妻がいて、数か月後には子供も産まれます。 それなのに、他の女性に恋心を抱いてしまいました。 俗に言う、両想いです。 いけないと頭では理解しているのですが、どうしても気持ちに逆らえません。 どうしたら良いでしょうか??? もちろん妻のことも好きで、産まれてくる子供のことも嬉しく思っています。
4回目の質問になります。 原因不明の病で入退院を繰り返していましたが、確定診断がつきました。症例の少ない難病で治る事はないそうです。 頼れる身内はいません。市役所では生活保護を強く勧められました。 働く事も出来ず、生活保護を受け、社会参加も困難。 薬を飲んで、ただ息をしているだけ。 まだ40代です。 先は長いでしょう。 治らないけれど死ぬ事もない。 この生活を続ける事に何の意味があるのでしょう。 食事して寝て過ごす生活。 外出も困難。 生きる意味は何ですか? 「頑張って生きて下さい」と言われますが、生きていて何の意味があるのか分かりません。
前回、好きで離婚した元旦那さんのことで相談させて頂きました。その元旦那さんにいつか本当の愛とはどういうことなのかということを話し合えたらなと思っており、真の愛について深く考えていました。 愛は憎しみに変わるとはよく耳にしていましたが、本当の愛は憎しみにはならないと最近知りました。変わるとしたら無関心。憎しみは執着からくるもので愛ではない、本当に愛していたのなら憎しみにはならないと。愛していると思ってても自己愛に過ぎないこともたくさんあるなと感じています。 人を本当に愛するとはどういうことだと思いますか?
こんにちは。先日は私の拙い質問にご回答頂き、誠にありがとうございました。また、こちらで何度もご質問させて頂いておりますが、その度毎に丁寧なご回答を頂いておりまして、大変感謝しております。本日は、多少突っ込んだ質問になってしまいますが、自分の中でどうしても整理がつかない点があり、それを質問できるような場が他にありませんでしたので、この場を借りて質問させて頂きたいと思います。どうぞよろしくお願いします。 こちらのサイトを拝見しておりますと、「霊は存在しない」と回答しておられるお坊さまが何人かいらっしゃいます。お坊さまの中でも意見が分かれる問題なのだと思いますが、私は霊魂の存在を信じており、また輪廻転生もあるのではないかと考えております。霊魂の存在を否定されるお坊さまは、霊感商法やカルト教団への対応など、現実的な対策の観点から、またお坊さま個人の世界認識から、そのような発言をされているのだと思います。しかし、素人の私から見ると「悟り」や「阿弥陀仏の救い」を前提としてお話をされているお坊さまが、「霊魂」の存在を否定されることが、どうしても理解できないのです。 素人の私から見ると、「悟り」も「阿弥陀仏の救い」も、それが一体何であるのか分かりません。そのため、お坊さまが「悟り」や「阿弥陀仏の救い」をお話されることは、「霊魂」や「輪廻転生」のお話をされることと同じくらい荒唐無稽なもののように感じてしまうのです。唯物論者の方が霊魂の存在を否定されるのは理解できるのですが、お坊さまが否定されることは、私にはどうしても理解できません。霊魂の存在については、「分からない」とおっしゃることが最も妥当なのではないでしょうか。 実際に、現代には様々な宗教がありますが「霊魂」や「輪廻転生」の存在などを説いている宗教も数多くあります。もし、お坊さまが霊魂は存在しないと考えておられるのであれば、それらの宗教についてはどう理解されているのでしょうか。 このような突っ込んだ質問をして、誠に申し訳ありませんが、霊魂を否定されるお坊さまのお考えをどうしても伺いたいと思いました。ご回答頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。
最近、仏教について勉強しています。 座禅の仕方や四法印の意味など、知れば知るほど『なるほど』と、思うことが多く、大変勉強になっています。 私にとって特に影響力があったのが、小池龍之介先生の考えない練習です。 心の扱い方や感覚に意識を向けることなど、試してみたところ集中力ものびたし悩みもずいぶんと減りました。 仏の教えは、心の教育にすごく役立つと思ったのですが、私の個人的な実感としては、今の日本にはあまり広まっていないような気がします。 これは、個人の興味の有無の問題なのですが、仏の教えが伝わりづらい理由は何か別にあるのでしょうか? 先生方の実感としては、どのようなところに伝わりにくさがあると思いますか?
こん○○わ。初めまして。よろしくお願いします。 さいきんとある方から聴いたのですが、阿弥陀仏の48願というものがあるとききました。 今流行りのアイドルのような数字なので、気になり調べましたが、 センターの願いとでもいうべきでしょうか。 第18願を浄土宗の法然氏は一番大切と言ったそうですが、インド語の原文にはない部分で書き足された部分だという話をききました。 私も聞いた話なので、詳しいことは知りませんが、 このことが本当なら、これはどのように捉えれば良いのでしょうか?? お坊さんの皆様お願いいたします。
必死に逃げたり 色んなスーパーを周り 食料を調達するのに必死だったり 水が出る場所を探し 何度も何度もくみにいき 1日が終わり 歳をとっている親からは 文句を言われ 余震がたくさんあり いつまた大きな地震がくるのかと ドキドキしていて 夜も眠れません しかし 仕事をしなくてはなりません 正直、体も心も 疲れてしまいました 私に喝をいれてください
先月の終わり妹がうつ病(仕事の悩みなど)で両親の目の前で実家のマンション9階から飛び降り自殺しました。即死でした。 私とは4、5年前から些細な喧嘩で連絡もとっていませんでした。その時からうつ気味だったようです。 姉もいます。三姉妹でとても仲良しでした。悲しくて涙が止まりません。 先日初七日の時は妹がしきりに(私の意識の中で)私の名前を呼んでいるのが聞こえました。亡くなった頃の時間になるとそれはおさまりました。 翌日はすぐそばで妹が歩いている気配がします。余りにも不憫で私の思い込み からきているのでしょうか。どうしたら良いでしょうか⁉何か伝えたいことがあるのでしょうか。
こんにちは、ミッションスクールに通う女子高生です。 タイトルどおりですが、何を持ってすれば仏教徒と言えるのでしょうか? キリスト教の場合は洗礼を受けることですが、仏教にもそのような行いをするのでしょうか? 仏教にとても興味があるのですが、何しろ幼稚園の頃からキリスト教をずっと学んできたので知識に関しては手塚治虫の漫画を読んだことぐらいしかないです。仏教の中にも、いくつかの宗派?がありますよね、本当に簡潔でいいので教えてください! 質問が多くて本当にすみません。回答していただけると嬉しいです。
先日、親友が亡くなりました。 がんでした。 発見された時は既に全身に転移していて、 治療を行うことなく緩和ケアをしていました。 末期がんということで覚悟はしていましたが、 今まで当たり前のようにいた親友が いなくなってしまったことはまだ受け入れられません。 でも、その傷はいつかは癒えると思います。 僕には僕の人生があるし、何より親友が、「僕のことは心の片すみにおいて、たまに『いいやつだったな』と思い出してほしい」といっていたからです。 ここで、本題に入ります。 僕はいつかこの試練を乗り越えられるのだと思います。 しかし、親友は亡くなりました。 親友にとって、がんで亡くなることは、「乗り越えられる試練」だったのでしょうか? 「神は乗り越えられる試練しか与えない」。 この言葉を信じることができなくなりました。 この言葉はどういう意味なのですか。 親友は、試練を乗り越えたのですか。 教えてください。お願いします。
質問んが多い中、既出の質問でしたら申し訳ございません。 さて、人は死後あの世というところに行くそうで、そこにはすでに亡くなった方々がいると聞きます。 しかし、一方人は死後49日で再度生まれ変わる輪廻を繰り返すとも聞きます。 いったいこれはどう受け取ればいいのでしょうか? 私はおそらくだいぶ先とは思いますが死んだあと、尊敬し心の支えとしている亡父にあの世で再開し、“良く頑張ったな”と褒めてもらうこと、その他既に亡き人々に再開できることを本心から楽しみに(それ頃心の支えとし)、苦しい時を乗り切っているので、上の疑問を持った次第です。 亡くなった方々はあの世で待っていてくださるのでしょうか、ご回答をどうぞよろしくお願いいたします。
何度も助けていただきありがとうございます。 今回は、残された子供たちの将来について、不安に思うことでご相談させていただきたいと思いました。 先日の障害者への事件や、世の中のショッキングな出来事に、毎日辛くなります。 私は主人と結婚してから、すぐに子供がほしいと思えませんでした。なぜなら、こんな未来も見えない寂しい世の中に、子供を育てる自信がなかったからです。私たちの子供の時代とは取り巻く環境が全く違います。 それでも、子供が欲しいと思えたのは、主人と2人なら守ってあげられると段々と思えたからです。 なのに、主人はいなくなってしまいました。 私はどうしたらこんな未来のない不安な世の中で子供たちを育てていけるのでしょうか。