初めまして。 質問させて頂きます。宜しくお願い致します。 この度ペットショップにて購入した生後三ヶ月の仔猫ちゃんを不治の病で亡くしました。 たった、24日の間で内入院が8日で一緒に過ごせた日がほとんどありませんでした。 火葬、返骨で自宅に連れ帰ったのですが、色んな情報見聞すると 『未練や心配が残り手元に在っては成仏出来ない』『手元に置いても問題ない』と 意見が様々で迷っております。 こういう場合は愛猫にとってどの様にしてあげれば喜んで成仏してもらえますか? 無知で勉強不足ですがどうか回答を宜しくお願い致します。
私の悩みは子供の遺骨をアクセサリーにして良いのかということです。現在一人暮らしですが、実家にはお墓がなく祖父の遺骨もまだ仏壇のみになってます。息子の遺骨はいずれは高野山へ納骨する予定ですが時期はまだ未定です。納骨する前に少しでも自分の近くに置いて置きたいのです。この想いは間違っていますか?私の地元での宗派は真言宗です。宗派によって違うのか、または仏教としての考え方全てが同じなのかはわかりませんが、お答え頂けたら幸いです。 経緯としましては約1年半前に男の子を中絶しました。相手は妻子のある人で、初めは私に嘘をついて交際を始めたのですが、小さな地域で母は顔が広く、直ぐに妻子のある人だと知りました。ですが両親への遅い反抗期から不倫を続けた末に妊娠し産むと決め両親も説得しましたが相手が奥様にバラし中絶するように頼まれました。その時は中絶など考えられず話し合いをしていましたが『もし生んだ後にこの人(相手の奥様)によって奪われたら』という恐怖心に負け、それならば今のうちにという想いから中絶を受け入れ中期(出産の形式)で行いました。今となっては自分はまだまだ未熟で子供が居たら育てられてたのかと考えることがあり中絶したことに後悔はしていません。妊娠をするような行動を取ったことには後悔をしていますが、、息子は私を恨んでいないのかもきになるところです。 文脈が定まってないかと思いますが、お返事お待ちしています。
某お寺の檀家です。 お墓をお守りしていますがこの先、引き継ぐ子供がおりません。 従兄弟の家の位牌と私の家の位牌(父親同士が兄弟)を永代供養に。 という話が出ています。そこで質問です。 <永代供養に出した場合> 1.お墓はどうなるのでしょうか? 2.家にある仏壇(お茶入れや花瓶?など一式)、位牌はどうしたら? 宗派は『真言宗霊雲寺派』になります。 よろしくお願いします。
高校生に上がる前に親が離婚してから父とは会ってませんでしたが、その父が孤独死をしており父が亡くなった区から遺骨を郵送で送って貰って自分の部屋に3日前から置いています。 現在は母と母の再婚相手と3人で暮らしていて、母が「遺骨を1ヶ月も置いておきたくない」と言われ、早々に市の合同の納骨塚におさめることになりました。 今日は父の遺骨を持って近くのお寺にお経をあげてもらいに一人で伺いました。 納骨は明日の夕方の予定です。明日の夕方父の遺骨と離れることを考えると涙と嗚咽が止まらず過呼吸になりかけてます。霊園の管理人の人からは「分骨せずに全ての骨を持ってきてください」と言われたので、こっそり骨を持っておくことも出来ないです。 どうしたら楽になれるのでしょうか。父の遺骨が入った箱を膝の上に乗せて抱き締めて「ありがとう」「大好きだよ」「会いたかったよ」「寿命全うしたらそっちに行くから待っててね」とリビングにいる母達に聞こえないように話しかけたり声を押し殺して泣いてます。
お世話になります。 飼い犬のお骨を海に還してあげたいのですが、そうできない自分の心の整理の仕方、考え方について教えていただきたくご相談させていただきます。 私が中学3年の時に病気になり、体力をつけさせようということで高校1年の時に柴犬を飼い始めました。 仕事で2年間実家を離れましたが、それ以外はずっと一緒に生活していました。 飼い犬が他界したのは2017/2でした。 体調が悪くなってからの5日間は、家族が交代で見守り、後悔の少ない看取りができたと感じています。 火葬してからは、お骨はリビングに置いていました。 気持ちの整理ができたら、飼い犬が好きだった海の砂浜にいずれ還してあげようと家族と話し合っていました。 1年を機に還そうとしましたが、飼い犬が怖がりだったこと、寂しがり屋だったことを考えると、いくら好きな海だったとは言え実家から1時間半も離れたところに1人でいさせるのもかわいそうになり、連れて行けませんでした。 また、何より私がお骨と離れる心構えがまだできていませんでした。 2018/4、遠方に異動となったため、お骨のひとかけらを持って実家を離れましたが、2019/1に再度異動で実家に帰ってきました。 心の整理ができたのか、実家に帰ったらお骨は海に還そうと思えるようになっていましたが、いざお骨を目の前にするとやはり海に連れて行けませんでした。 父からは、「成仏できないでかわいそう」と叱られました。 また、「かわいそうだから見えるところに置かないで」と言われ、お骨は今私の部屋に置いています。 父の言うことは分かります。 お骨はお骨であり、もう飼い犬そのものではないことも頭では分かっているのですが、どうやら心では理解できていないようです。 だけどやっぱりかわいそうに思い、霊園にせよ海にせよ、どうしても1人にできません。 父の思いを汲み、海に還してあげたいと思っています。 だけど、実行に移せない私がいます。 飼い犬が他界して2年が経とうとしています。 海に還すための心の整理の仕方、考え方等ご助言いただきたいです。 また、迷いたくはないのでお骨は海に還す方針で考えてはいるのですが、手元にお骨を置いておくのは成仏できないということなのですか。 どうなることが飼い犬にとっての成仏なのでしょうか。 お忙しい中大変申し訳ありませんが、よろしくお願い申し上げます。
先日、手相占いをしてきたんですが、占い師の方に言われた事が納得できず、ここで質問させて頂きたいと思います。 私の父は浄土真宗大谷派で、3年半ほど前に亡くなりました。私は父の事が大好きで、亡くなったあと上手く心の整理がつかず、遺骨を少し手元に欲しいと、家族に相談しました。家族はお寺さんがOKならいいよ、と言ってくれました。その後お寺さんに相談したところ、"いいですよ"とお返事を頂いたので、私だけ少量の遺骨を手元に置いております。 占いをしていた時、たまたまその占い師さんも浄土真宗だという事が分かり、私が父の遺骨を持っているという話になりました。 そしたらその占い師さんは、遺骨を手元に置くなんてとんでもない、故人が成仏出来ないと言われました。また、手元に置いていいなんて言う坊さんも信じられない、そんな考え方をしているあなたもおかしい、あなたは何をやっても上手くいくはずがないとまで言われました。 私は今でも、自分のお寺さんを信じていますし、間違っているとも思いません。そもそも遺骨に魂は宿らないと聞いています。 それでも自分の信じているお坊さんを侮辱され、とても腹立たしく思っています。 実際のところ手元に遺骨を置いておく事は、良くない事なのでしょうか? ご回答頂きたく、宜しくお願い致します。
心支えてくれた愛犬が亡くなりました 火葬の後 遺骨を49日まで家に置きたいのですが よろしいでしょうか。 納骨の時期や意味についても教えていただけると助かります よろしくお願い致します
長くなりますが、是非ご回答をお願いします。父(長男)の祖母が亡くなり数年後に祖父も亡くなりました。祖父が生前「自分達が死んだらここに入れて欲しい」と墓石を自宅の庭先に作ってたのですが、祖母が亡くなった時は「出来たばかりのお墓に1人入れておくのは可哀想だから」という理由で庭先のお墓には納骨をせず、仏壇で手元供養をしていました。 その後祖父が亡くなり、いよいよ二人の納骨の話が出てきましたが、そもそも祖父母が住んでいた家は二人だけで住んでいたので誰も引き継ぐ者がいません。(家の名義は次男になっていますが次男は他県に住んでいる為、遺された家に戻る予定もありません) 父の他に妹と弟が居ますが二人とも固定資産税などの面もある為、家は売却する方向でした。なので墓石を移す土地を購入し、納骨しては?と提案していたのに私の父は「祖父母が望んだ地に納骨をするのが親孝行だ」と自分の兄弟の許可も得ぬまま、独断で勝手にお寺の住職と納骨の話を進めてしまいました。 しかし私が墓地埋葬法で本来であれば自宅にお墓を建てる事は出来ないという事を知り、それを父に話した所「お寺の住職は◯◯の土地ではそんな許可などは必要ないと言った。敷地内の墓にも納骨出来るという話だった」との一点張り。 祖父の作った墓は法が定められた後に建てられた墓石ですし、その土地だけ法が免除されているなんてあり得るはずがないので違法だと思うのですが、父は聞く耳を持ちません。 父は自分の兄妹に「遺された家も自分が全て面倒をみていく」と啖呵を切った為、父の弟妹は激怒。その後、遺された家に関わる支払いは現在全て父が負担する事になっていますが「敷地内に納骨をして売れなくなってしまった不要な家(しかも名義は次男)の何十万という固定資産の支払い、父の死後はどうするのか?父が全て負うと言った以上、父の代だけで済む話じゃない。子供である私達、私の子供達(孫)の代まで続く可能性だってある。私なら自分の子供にそんな苦労をさせる位なら、父のような選択はしない。自分の死後に遺される者逹の事までちゃんと考えているのか?」と聞いても無視。逆ギレをされ「お前には情がない」とまで貶されました。 自分の思い通りにならないと暴言を吐き散らかし、自分の事しか考えていない、娘の言葉よりも寺の住職の話を信じる父親に呆れ果て、今後どうしたらいいのか分からなくなりました。
先日1年半ほどお付き合いしていた彼氏が亡くなりました。 精神的な病を患い、自ら命を絶ってしまいました。 私を苦しませたくないという思いからだと思いますが、亡くなる前日に強い意志で別れを切り出されました。 いい人見つけな等いろいろ私のその後の人生の背中を押す言葉をたくさんもらいました。 その決意から死を選ぶと言う意思が固まってしまったのだと察知しました、そしてなんとか阻止しようとしましたが結果ダメでした。 そこで私は彼の思いに答えるべく、そして自分自身の為にも心の整理がついたら前に進まなければなりません。 生前私が彼にお揃いのアクセサリーをプレゼントしました。金属なのでそれは棺に入れる事はできないので、私が持ち帰るか、骨壺に納める事もできると聞きました。 そこでどちらにすればいいのか非常に悩んでおります。 もちろん彼の元に共に旅立って欲しいというのが一番なのですが 骨壺の中に残り続け、お揃いの物を私も持ち続けるという事はなんだかずっと繋がりを持ったままのような感じがしてしまいます。 私が持ち帰るのもそれはそれで彼との繋がりを断ち切れない形で手元に置いておくような気になってしまいます。そして私自身前に進む為に彼の遺品はあまり持ち帰らない方が良いのではないかと考えております。 どちらにしても彼との思い出を風化させるつもりはなく未練になる事もなくいい思い出として前に進む自信はあります。 最終的には自分が決めるしかないとは思っていますが少しご意見を伺いたいです。宜しくお願いします。
いつもありがたい教えをありがとうございます。 先ほど、十三仏の事を教えていただき、色々調べてみたところ、彼の地元で十三佛朱印巡りというのを、やっているのがわかりました。 是非、彼の地元ですし、少しでも供養になるのなら巡ってお参りがしたいと思うのです。 本来、ご朱印帳は棺桶に入れるみたいなのですが、もう彼はお骨ですし、どうしたら良いのでしょうか? 四十九日の法要は、少し早いのですが終わってしまいました。 百ヵ日の法要も、ありがたい事に御家族にお招きいただきましたので、その法要でご朱印帳が彼の供養のお役に立てないでしょうか? 教えていただけるとありがたいです。 よろしくお願いします。
連続の投稿失礼いたします。 亡くなった祖父が生前十年ほど書いていた日記があります。 祖父は生きているとき、まだ私が幼いころから「この日記は私が死んだらお前に全部あげるからね」と言っていました。祖父が日記をしたためるのを傍で見ているときに、いつも。また自分の兄弟である大叔母たちにも「この日記は孫にあげるんだ」と言っていたといいます。 その日記は、今祖父の息子である、私の叔父の手元にあります。 何故か。祖父の葬儀の際、私が日記をいただいて帰ろうと叔父に声をかけると、叔父は「俺が読んだらあとで送るから」と言い、そのとき私に日記を持ち帰らせてくれませんでした。 叔父も寂しいのだろうと私はそれを了承しました。しかしそれから四年、祖父の日記は未だ私の元にはありません。 一度それとなく日記を送って欲しいとメールしましたが、無視されてそれっきりです。 物に執着するようで(実際しているのでしょうが)よくないとは思うのですが、その一件が蟠りとなって叔父が信用できなくなっています。 どのように心を持てば良いのでしょうか。 乱文で申し訳ありませんが、ご助言をお願いいたします。
良いコトなのか悪いコトなのかご教授いただきたい件があります。宗派は、浄土真宗興正派です。 2week後、山奥にある祖父母を納骨したお墓を片付けるコトになりました。理由は、熊が出たり山が崩れるキケンもあるからです。移転先は、祖父が総代をお務めしたお寺さんに合同墓が建設されるそうで…新築合同墓へ H25'祖父の納骨日、とても風の強い日で祖父の遺骨を壺から→ガーゼの袋に移し(灰をいっぱいかぶりながら)墓の中へ、先に逝ってしまった(H21')祖母の右隣にそっと置き私は墓石のフタを閉めました_| ̄|○ そのお墓(39年間お参りしてきた墓)を壊す…その際、祖父母の遺骨を一欠片だけもらって帰ってくるのは、悪いコトでしょうか…壊す墓石も少しだけもらって帰ってきてパワーストーンに加工するコトを考えてますが、悪いコトでしょうか。祖父母に傍に居てもらいたいんです…
身近な人、というカテゴリーですが、愛猫についてご相談させてください。 【概要】 実家で暮らしていた愛猫が早くに亡くなり、思いだけが募り、気持ちの行き先がない状態です。 良い向き合い方や、環境改善のアドバイスなどあれば頂きたいです。 【詳細と経緯】 愛猫がうっ血性心不全を患い、発覚から2ヶ月も経たず、旅立ってしまいました。 突然、お腹と胸でめいっぱい息をしながら、叫びながら息を引き取りました。 動物病院も開いておらず、母はパニックになっていて、自分がしっかりしなければと思いながらも、私も何もできませんでした。 6歳という若さであった事、闘病生活を充分に支え切れず、突然亡くなってしまったという事もあり、悲しみや後悔、大好きだという気持ちが処理しきれずにいます。 亡くなった子に大好きだと伝えたいけど、思い続けたり、悲しみすぎていると成仏できない、別の悪い霊まで引き寄せてしまうなんて話を聞いたことがあり、それだけは絶対に避けたいのです。 【相談内容】 ①亡くなった子を強く思いすぎるのも良くないのでしょうか。 ②せめてお線香をあげて、手を合わせるような時間が持てたらと思いますが、実家には猫があと5匹いて火を使う蝋燭、線香は危ないと考えています。一人暮らしの家に勝手に簡易的な仏壇のようなものを拵えてもよいものなのでしょうか? ③名前入りのアクセサリーや石を身に着ける、愛猫の写真でクッションを作る、写真を飾る、名前を入墨として自身に彫ることを検討しています 上記の中で仏教の観点から避けた方がいいと思われる事はありますか?一個人の意見としてでも構いませんので伺いたいです。 当方の環境としましては、 ・実家にも仏壇等はなく四十九日も迎えておりません ・分骨なども致しておりません、まだお骨は手元(実家)にあります ・ご縁があり般若心経が手元にあり、道具も揃っている為写経でしたらすぐに可能です その他向き合うにあたっての心構えや環境を見てのアドバイスなどありましたら些細な事でも構いません。是非教えていただきたいです。よろしくお願いします。
親が離婚して以来20年会えてなかった父が去年の夏に1人で住んでいた自宅で亡くなっていたことが父が住んでいる区からの手紙で分かりました。 父の兄弟が誰も引き取らないと言っていて実の娘の私に遺骨を引き取って欲しいとのことで、泣きながら承諾しました。 火葬代を支払い終えて今は遺骨が自宅に届くのを待っています。 恥ずかしい話、私自身そこまで経済力がなく一人っ子で独身なので遺骨は私の家の近くの霊園にある合同の納骨塚に埋葬しようと思ってます。 本当なら父と私が生まれ育った地に埋葬したかったんですが、私の住んでる近くの霊園に眠らせてあげた方がいいのかなと思ってます。私も毎日、もしくは週に1回はお参りにいけますので。 ここで【質問】なんですが 父にお経をあげてあげたいんですが、父の宗派が分かりません……。地元のお寺何件かに電話して私の父方の祖父が納骨されてたお寺を探したのですが見つかりませんでした…。 ・お経はあげてあげたほうがいいのでしょうか? ・今現在は父の写真を部屋に置いて話しかけたり涙したり感謝したり思い出を話したりしてます。 ・位牌は作った方がいいのでしょうか?うちには仏壇がなく、お墓も合同の納骨塚にいれるためどうしていいのかわかりません。 質問がごちゃごちゃになってしまいましたが、供養の仕方についてどのようにすれば宜しいでしょうか?私の想いと供養が届いて安らかに眠って欲しいと思ってます。
今年の1月に妹が33歳で亡くなりました。妹には付き合っていた彼氏がいました。その彼氏がどうしても遺骨が欲しいと言うので、両親と考えた結果 、嫁入りということで彼の家に4月に渡してきました。遺骨はまだ彼の部屋にあり、お盆には彼の家のご先祖様のお墓に入れてくれる話だったのですが、忙しいとのことでまだ先のようです。 前日、知り合いで霊感があるのかわからないですが、その方が私たちのご先祖様が妹を待っているかもと話しました。確かに亡くなった祖父は妹を可愛がっていたので。私たち家族は妹をずっと供養していきますが、彼氏はやってくれるのか不安になってきました。分骨が良いのかと悩んでいます。可愛い妹でしたのでどうにかしたいです。よろしくお願いいたします。
初めての投稿で至らない事があると思いますが宜しくお願いします。 今月の頭に母が末期癌で73歳で永眠しました。 八月の家族旅行から帰宅した数日後に調子が悪いと病院へ行ったところ大きい病院を紹介され検査入院し10月に癌と診断されてからあっと言う間でした。 もっと親孝行したかったのに、、でも母自身が一番、悔し思いをしてしてるのではと後悔ばかりで毎日、涙が流れてしまいます。 恥ずかしながら母の死を迎えるまでは初詣以外、宗教に触れる事が有りませんでした。 しかし、故人の供養、心の拠り所として必要なんだという事がわかりました。 でも、泣いてばかりでは前に進めないので初七日過ぎてから思い出とともに母の部屋を掃除していたところ、風呂敷に包まれた遺骨と遺品がクローゼットから出てきました。遺品から母の母(私の祖母)もののようです。母は結婚する際、実家から勘当されうちは短命家系の為、おばあちゃんは亡くなっていると子供頃に聞かされておりました。 しかし遺品を見た限り、14、5年前までは存命しており施設で生活していたようで写真もありました。私は一度もあった事はなく、顔も写真で初めて拝見しました。 母は何も話してくれず逝ってしまった事に自分が頼りにならなかったのか信頼されていなかったのかと悲し気持ちにもなり、また祖母のお骨がクローゼットにずっとあったかと思うと寂しかったのではとか成仏できてるのかと可哀想になってしまいました。 なので母と祖母を一緒に供養してあげたいのです。 ただ、祖母がいつ亡くなったのかわからないので、来月、母の49日を迎えるのでその際に一緒に供養して頂いて大丈夫なのでしょうか? 祖母はお骨だけで位牌はありませんでした。物心ついた時からお大師様へ毎年初詣の際に護摩札祈祷して頂いていた為、兄と相談して母は真言宗で戒名を頂きました。 今は母のお骨の横に祖母のお骨を置いて毎日、お線香をあげています。 祖母も戒名を頂いて位牌を作った方が良いですか? お墓は経済的に直ぐに用意出来ませんが出来れば母と祖母を一緒に納骨してあげたいと思います。 取り留めのない文章になりましたが、母と祖母の供養についてお知恵をお貸し願います。
いつもありがとうございます。今日は私にとって重大問題の永代供養について教えてください。私には子供がいませんし、親戚もいませんので私で私の家系は終わります。諸事情あって先祖のお墓はわかりません。だから今家にある親の遺骨は永代供養にするしかないと考えています。そこで永代供養にする事の注意点等を出来るだけ詳しく教えてください。頼んでしまうと返却出来ないと聞きましたので失敗は許されないと考えています。また、永代供養をそのお寺に頼むと檀家に入るということになるのでしょうか?回答お願いいたします。
水子供養する決意が出来ません。 あれから、4ヶ月が経ち気持ちも彼との関係も落ち着いて来ました。 遺骨を傍に我が子を感じ、向き合う事に背を向けてしまいます。 供養してあげたい気持ちと現世での繋がりが無くなってしまう様な気持ちで複雑な心境です! 決意を固める為の勇気、背中を押して頂きたいです。
はじめまして。 この度は罰あたりな事に、開眼していただいたお守り本尊(香合仏)をなくしてしまったようです。 去年の春に愛犬を失い、今を生きるというのは本当に奇跡なのだということを忘れないよう、また日々のお礼を申し上げる目的で自分の干支の香合仏を求め、開眼していただきました。こちらをAとします。 ところが、実は去年の今ごろに新しい子犬が香合仏Aを噛み砕いてしまったので、開眼していただいたお寺に新しい香合仏Bと両方を持ち込み、Aをお返ししてBをお守り本尊として持ち歩いておりました。 即ち、今なくしてしまったのはBです。 この秋に内臓に病変が見つかり、先日経過観察のための検査を受けた矢先のことなので、私の心が浮わついておりました。 お守り本尊Aを傷つけ、Bをなくしてしまった私は、もう新しいお守り本尊を持つ資格はないのではないかと考えてしまいます。 しかし、元来ずぼらな私は、直接お礼を申し上げる対象がないとありがたいと思うことも忘れがちになりやすいため、手元にいていただきたいという気持ちがあります。 もちろん、出てきてくだされば言うことはありません。 みなさまにお尋ねしたいのは、 1.もうお守り本尊自体を持たないほうがいいのかどうか。 2.開眼していただいたのは虚空蔵菩薩様です。今後も見つからない場合、手元にないけれどお返しをするというプロセスが必要かどうか。 などお教えいただければ幸いです。 大変お恥ずかしい話ですが、どうぞよろしくお願いいたします。
以前にも同様の件で相談させて頂きました。 4人目を中絶後から後悔し、罪悪感や自己嫌悪で苦しい日々が続いております。 今までの妊娠出産において、中絶という考えを抱いたことは1度もありませんでした。 4人目を妊娠し、突然の事で大変動揺しました。 経済的にも余裕がある訳では無いので、3人目が1歳をすぎてからパートですが復職(専門職)し半年が経とうとするところでした。 3人目の出産などもあり、キャリアをこれから築いていきたいと仕事を意欲的に頑張っていました。 また、小学生の子が2人居て、平日土日と習い事も忙しく旦那も夜勤がある仕事のため仕事に家事に育児にと毎日慌ただしいため、4人の子育てを想像しても4人を育てるという自信がもてませんでした。 とにかく今の生活で精一杯で赤ちゃんの事をきちんと考えてあげることができず、自分の人生や今ある生活を優先し結果的に中絶を選んでしまいました。 旦那は中絶に否定的で直前まで同意できないと言ってくれておりました。もちろん直前まで私も悩みましたが、産むという決断ができませんでした。 今思えば、何故今まで選ぶことのなかった選択をしてしまったのか。仕事や育児、お金のこともどうにでもなったかもしれないと、後悔し、何より順調に育てば産まれてくるはずの命を自らの手で奪った、人殺しだと感じ苦しいです。 あの時の自分の考えや思考が、どうしてそうなってしまったのだろうと自分でも自分が信じられません。 元から中絶に対して否定的でも肯定的でもなかったですが、自分が当事者になるということを深く考えることが出来ていなかったのかもしれません。 妊娠により不安定ではあったものの、決断しても中絶後にいつも通りの日々を送れると思っていたのだと気付かされ反省しています。 夫は今でも4人目を望んでいます。前回その気持ちを尊重できなかった自分にも嫌気がさしています。 今回このような結果を招いてしまった自分が、また命を育むことは許されるのか。 それならば、何故産まなかったのだと自分でも思います。 結局は失ってから気づいたことで、一生背負わなければなりません。 この先もしも新しい命を迎え入れるとすれば、それが許されることなのか自分でも分かりません。