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hasunoha 問答検索結果 : 「悟り」
検索結果: 2156件

なぜ死んではいけないのか

はじめまして。お忙しい中、この質問を見てくださってありがとうございます。 表題の通り、「なぜ死ぬことが悪いのか」ということを教えて頂きたいです。 決して、今から死ぬということではありません。ただ、「いつ死のうかな。早く死にたいな」と思って生きています。思い上がりかもしれませんが、私が死んで悲しんでくれる婚約者や姉兄がいるのは知っています。それでもどうしても死ぬことを考えてしまいます。考えないように「命は尊い」と思い込もうとするのですが、イマイチぴんときません。 私が初めて死のうと思ったのは5歳の時でした。物心ついた時から両親の怒鳴り声の絶えない家庭でした。親のことはあまり思い出せませんが(理由はプロフィールに簡単に記載しております)、父親は私が言うことをきかないと決まって「じゃあお父さん今から死ぬわ。お前が言うこと聞かないから死ぬ。お前のせいで死ぬ」と目の前で自分の首を絞める振りをしたりしていました。幼稚園に入るか入らないかくらいの年齢だった私は、本能的に「死ぬ」ということがとても怖いことだと思って泣きながら謝っていました。 そのせいなのか、気付いたら私の中の「命の価値」は相手に言うことをきかせるためのトレード品程度になってしまいました。 5歳の時に死のうと思ったのは確か、家族の誰かと喧嘩をしたので自分の言うことをきかせるためだったと思います。そして少しばかり「お前のせいで私が死ぬんだぞ、責任を感じろよ」と思っていました。 大人になった今でも、どうしてもわかりません。「神から授かった命」とか「地球より重い」とか言われても全く頷けないのです。自分の命は交渉材料でしかありません。私が今死んでいないのは今まで自殺に失敗してしまった経験から二の足を踏んでいるためです。「生きたい」と思えません。死にたいとこぼすとそんなこと言うな!と頭ごなしに叱られますが、結局どうして死ぬことは悪いのでしょうか? 自分なりに考えても答えが出なかったので、皆様のお考えをご教授いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

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中絶手術

悩んで悩んで悩んで、 第二子の中絶手術を受けました。 以前こちらで相談させていただいて、 絶対に産んだ方がいいと背中を押していただいたのに、 勇気がでませんでした。 職場にこれ以上迷惑をかけられない、 上の子がまだ小さいので親の反対など、 自分勝手な理由です。 お金はどうとでもなるし、 産んでも育てられる環境でした。 自分の弱さのせいで、 大切な一つの命を奪ってしまった。 後悔しても戻ってこないのに、 後悔ばかりしてしまいます。 手術前は、手術をして、私と旦那だけの心にしまっておいて、 仕事も復帰して気持ちを新たに頑張ろう! と思っていました。 赤ちゃんを忘れるというわけではありません。 ですが、子供たちと関わる仕事です。 仕事のために中絶をしてしまったようなものなのに、 辞めたいと思ってしまいます。 でも、辞めたらそれは赤ちゃんへ申し訳ないような気もするし、 どうしたらいいかわかりません。 私は生きる資格がないと思います。 大好きな子供たちと関わる仕事をしていながら、 大事な息子がいながら、 中絶だなんて。 自分がどれだけのことをしてしまったか。 後悔しかありません。 まわりの目なんて気にしないで 産めばよかった。 命より大事なものなんてない、頭ではわかっていながらも いま、生きているのが辛いです。 こんなことを思っていては、赤ちゃんに申し訳ないとも思います。 赤ちゃんのために、私は何ができるのでしょうか?

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サークル内恋愛について

こんにちは。大学生の女です。恋愛についての相談をさせていただきたいです。 私はもともとサークル内恋愛をしていました。ただその彼とは、恋愛への温度差が原因でなかなか上手くいかず、しばらく付き合った後私から別れを告げました。 悩みというのは、その後私に同じサークル内で別の好きな人が出来てしまったことが始まりです。元彼と別れる1、2ヶ月前くらいから徐々に距離を置いていたのですが、その間に元々友達としてとても仲の良かった人が気になり始めてしまいました。 同じサークル内で2人目というのは、元彼にも好きな人にもサークルの仲間にも、みんなに気を使わせてしまって申し訳ないという気持ちと、私も彼もこれからあまりサークルに顔を出せなくなるので、想いを伝えるなら今が最後のチャンスだ、という気持ちとでとても悩み、より後悔が少ない方はどちらかと考えた時、私は想いを伝える方を選択しました。 その結果、幸いにもお付き合いすることは出来たのですが、別れた時期と付き合い始めた時期が近いということもあるのか、申し訳ないという罪悪感がずっと消えずうじうじ悩んでおります。自分で悩み決断したことなのですから、すっぱり前を向かなければと思うのですが上手くいきません。こんな調子では、せっかく付き合ってくれた彼にも申し訳ないです。どのように気持ちの整理をすればよいのか、アドバイスを頂きたいです。 長文失礼いたしました。何かお言葉をいただけると嬉しいです。

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独学で行う“印”と“真言”について

初めまして、私は仏様を側に感じたい時やお寺で参拝する時に印を結び、真言を唱えている破戒するヒトと申します。 私の結ぶ印や唱える真言は師に習ったものではありません、ネットや書籍で調べたものです。 本当は出家をして師に習うのが一番だと言うのは分かりますが、どうしても人が苦手で集団に溶け込んで修行する自分が想像出来なくて、独学でまったりと学ぼうとしています。 このように独学で印や真言を調べるなかで「印は行者しか結んではならない」「印や真言は誰が行おうと構わない」「師に習わない印や真言に効力は無い」「軽い気持ちで印を結べば仏罰がくだる」…など様々な情報が入り乱れて混乱します。 ただそれでも私自身に「印を結び、真言を唱えたい」という欲求が合ったので都合の悪い情報は気にしないようにして印と真言をしてきました。 ちなみに理由は魔法使いみたいで格好が良いから、または自分はいま仏様に近付く修行している…といった心地のよい感覚があり、このまま根気よく続けていれば仏様との間に、より濃密なご縁を頂けるかも…なんて期待をしつつやっていました。 しかし時に後ろめたさの様な物を感じる事があります。この行為はもしかしたら仏様に対し失礼に当たるのではないかと。 とある質問サイトでこのような事を質問してみても意見はバラバラでどうすれば良いか分かりません。 このような混乱と欲求と後ろめたさが入り乱れ撹拌されてか、今朝の夢のなかでお坊さんに「真言や印は欲望で行うものではない、貴方が好意でそのように行動しても仏様は迷惑だと感じるだろう」と言われました。 すみません、あくまで夢の中のお話です でもとても鮮明な夢で「仏様は迷惑だと感じるだろう」という言葉が突き刺さり、堪らずこちらのサイトに登録を行い質問をさせてもらいました。 もしも夢など紛い物で無いお坊さんにそのように言われれば、私はキッパリと印と真言の欲求は断ち切るつもりです。 しかし私の欲求として仏様の迷惑にならないなら印を結び真言を唱えたいです。 どうしたら良いでしょうか。 分かりにくい所があったらすみません。 混乱と欲求が激しく渦巻いてそれ以外の事が考えられません。 どうか回答お願いします。

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病気、人の死、自分の死が怖いです

今から約8年前、自分が高校生のとき 事故で急に姉を亡くしました とても仲が良く友達みたいな姉妹でした。 それからなのか人の死がとても怖くなり 家族が家に帰ってくるのが遅いと 事故にあったんじゃないかどっかで 倒れてるんじゃないかとか 異常なくらい心配になります。 また体のどっか気になることが あったりテレビで色々な病気の ドキュメンタリーを見るたび 自分もそーかもしれないと思い込み 病気になった気分になり 病気=死を連想してしまいます 少しどーかあると気になって気になって 色々検索してしまったり 今は卵巣に小さな奇形種があると 言われていてそれが気になってしまい 先生は経過を見ていくしかないと いう風に言ってくれてるのに それで大丈夫なのかとか色々 深く考えてしまいます。 もし病気が進行して手遅れに なってしまったらとか なんか病気だったらとか 考えるとキリがないです。 家族と笑いあってるとそのときは 楽しいのにいつかこの楽しさも なくなるのかなとか 誰かまた亡くなったらとか 考えると悲しくて仕方ないです。 今年は結婚もし赤ちゃんも10月に 産まれる予定です。 嬉しい事が続いてると余計色々 怖くなってしまって どーしたらいいか分からないです。

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極楽について

以前テレビで島田紳助さんが以下のように述べていました。(ブログからの抜粋です) 「仏教っていうのはね、自分のための拝む人へのもの。 両手を合わせた瞬間に、自分の心の中が穏やかになる。 そこに極楽が生まれんねん。例えば、あーもうムカつくわ、競馬まけた博打負けたから墓参り行こうって思う人はいないのよ。心が乱れてるから墓参り行こうとは思わない。ある日、ふとあ、長いこと行ってないな。お墓参り行こうか。と思う。その、お墓参り行こうか、と思った時、自分の心が穏やかになる。その瞬間、心に極楽が生まれんねん。だから、お墓参りの行為自体よりも、行こうと思った時の穏やかな心、それが大事なの。仏壇だってね、仏様が中にいるけど、あれは職人さんか誰かが木かなんかを彫ったものだよ。所詮。もしあれがほんとに仏様なんだったら、供えてある花も、仏様の方を向けて供えなくちゃいけない。でも実際はそうなっていないでしょ。向こうからしたら、花の裏、葉っぱの裏しか見えないよ。拝む人に向かって、拝む人の心に向かって供えてあるから。だから仏教っていうのは、心の中、拝む人の心の中に極楽があり、仏があるという教え。」 私はこのような考えに感銘を受けました。実際、極楽というにはこのようなものなのでしょうか?お坊さんたちの意見が聞きたいです。

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