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問答一覧
検索結果: 1010件

迷っています。

12年付き合っている(いた)人がいました。 初めは遠距離でした。3年前東京に転勤してきました。 彼は親の借金の為、好きでもない人と結婚していました。付き合って5年位たった頃その事実を知りました… しかし、いつかはキチンと清算し私と結婚してくれると信じていました。私の子供、両親、友達…みんな彼を「良い人」と慕っていました。 今年の1月、彼の財布から子供が書いた手紙を見つけてしまいました。「パパへ」と言う文字が飛び込んできました。お正月、仕事だと言っていたはずの日付のレシートには子供用の下着と記載がありました… 彼は調停をし、キチンとすると言ってくれ、8月から調停が始まりました。 先月調停に向かい、その結果がメールで届きました 「疲れた、詳しくは日曜日(4日後)ゆっくり話すから」と。 私は何故すぐに話してくれないかと電話を入れました。 「いまどこ?」 「○○駅」 しかし、ざわついた感じも駅構内らしき雰囲気も伝わって来ませんでした… 「○○駅のどこ?」 「下のターミナルだよ」 私はさすがに信じられず 「本当にキチンと清算し、調停が終了したのが分かるまで連絡しません」 と、その日以来、会わない、話さない、もちろんメールもしていません。 ここまでされても…私は彼の本当を知らない。 本当に結婚していたのか? 本当に調停しているのか? このまま彼を待つのが良いのか? 素行調査して、彼の現実を知りキチンと諦めるか? でも素行調査する事は、人間としてどうなのか? 今彼を本当に好きか? それすらもわからない。 自分の気持ちがよくわからない。 でもこのままじゃ、前に進めない… 毎日毎日考えていますが答えが出ません。

有り難し有り難し 60
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お肉を食べることについて

初めて質問致します。 生きるということは数々の命を犠牲にすることだとわかったつもりでいましたが、最近、特にお肉を食べることについて割り切れなくなってきています。 最近子供と牧場に遊びに行って、牛の乳搾りを体験致しました。乳のはった雌牛のおっぱいを握ると、あたたかくてやわらかく、涙が出そうになりました。 牛は、子牛のために乳を作り、関係のない人間に搾り取られても、文句ひとつ言わないのだと思うと心が締め付けられました。 ですが私はその夜に同じ牧場で牛肉をお腹いっぱい食べました。生きている牛に触れた感動を忘れたわけではなかったのですが、肉を食べるという行為があまりにも日常化しすぎていました。 今では毎日、命を食べることについて考えています。 例えばこの世界に私と一匹の鶏しか存在しなかったとしても私には鶏を殺め羽をむしって食すということはできません。空腹で死にそうになったとしても鶏を殺すことはできないでしょう。 なので私にはそもそも鶏肉を食べる資格はないのではないか?と思ってしまいます。パックに入って売っているので、この肉を食べるということが一体どういうことなのか、というのが見えてこないだけなのだと思います。 ベジタリアンにはなっていないので、普段の生活で肉を食べることがありますが、犠牲になった動物の命ほどの価値が自分と自分の人生にあるとは思えません。 毎日毎日、他の動物の命を奪って生きるのはとても辛いです。 そして毎日こんなことを食事のたびに考えています。一人なら良いのですが子供や夫の分の食事を私が用意しています。 私のこういった苦悩に、成長期の子供を巻き込んで、ベジタリアンにしてしまうのが正しいのかわかりません。 お肉がどのようにして食卓に並ぶのかを教えてその結果私のように悩みながら生きていってほしくはありません。 なにをどう食べて生きて何を子供に教えれば良いのでしょうか。 感謝をして食べなさいと言いますが、感謝をすれば何をしても良いのでしょうか? なにも考えずに、お肉をお腹いっぱい食べられる人達は、私と何が違うのでしょうか。 まわりにこんな悩みを持っている人はいませんし、日本ではベジタリアンはあまりいませんよね… 最後まで読んでくださりありがとうございます。 アドバイスよろしくお願いします。

有り難し有り難し 289
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娘の死

私には、夫、長女15歳、二女10歳の家族がいます。 2ヶ月前の中学卒業式の前日に長女が朝方トイレで倒れており運ばれてから半日で亡くなってしまいました。 肝臓に悪性腫瘍があり、破裂したことが原因でした。症状が出にくいのでわからなかったでしょう、とのことですが、気が狂いそうな葬儀を終え、日にちがたつと自分を責め、してやりたいこともたくさんありすぎて後悔をし、寂しくて会いたくて、最後のすがた、笑顔の娘、抱きついて来る娘、母さんて聞きたくて、思い出しては辛くて仕方ありません。 二女は泣くのは見たくないようですし、私がつい買いものしても、これ姉ちゃんなら欲しがるねと言ったりすると姉ちゃん姉ちゃん言わないでといいます。 二女もあの悪夢のような日は号泣しておりました。 私は15年間夢を見ていたんじゃないかとぽっかり穴があいたままです。 パートも再開しており外ではまだ大丈夫なのですが 思い出しては苦しくなります。 夫の誕生日に産まれ、私の誕生日に亡くなったのも何か意味があるのでしょうか?二女の為にも長女の為にも気持ちをどう思って生きていくのがいいのかアドバイスをいただけたらありがたいです。 宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 104
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葬式をあげてほしくない

死後の事についてご相談があります。 私は宗教という考え方やそれに基づいた慣習、イベント自体は好きですが、私自身が何かの宗教に属することは避けたいと思っています。 私の知る上では各々の宗教の考え方と私自身の観念が合うことが少ないからです。 ただし、宗教のパロディである空飛ぶスパゲッティ・モンスター教には共感いたしておりますので、自称するときはパスタファリアンを名乗っています。 そこで、私が死んだ後、葬式をあげてほしくないと思っています。 特に仏教式の葬式です。 なぜなら、戒名をいただいた時点で、仏教徒になってしまい、仏教という枠に囚われてしまうからです。 悟りも輪廻も御免被りたいです。 衛生的な観点からは火葬自体はしても構わないのですが、法律が許しませんが、できればその後はゴミ箱にでも捨ててもらって処分してもらいたいと思っています。 家族にそのことを話すと、死んだら終わりだから死後の事など心配するなと言われるのですが、そうではなく、私がそのくくりにとらわれてしまうことを決定づけられることが不服なのです。 死後の世界云々は信じておりませんが、生きているうちはそのことが囚われであり、心配であります。 ただ、信じずとも無いことの証明は極めて難しい以上、ある可能性は0ではないというのが論理であり、公理です。 (論理、公理とは数学上の意味です。) ですから、その0ではない可能性で、仏教の枠に入ることで、悟れなければ輪廻を繰り返してしまうという観念に囚われてしまっているのです。 ただし、重ねて申し上げますが、悟り自体は御免被ります。 渇愛は人間の人間たる、また、人間の動物たる所以と思います。 私は人間らしさを捨てたくはありません。 仏教に従事していらっしゃるお坊さま方には相容れない考え方かも知れませんが、これが私の中の公理です。 さて、これは私の考え方を変える努力をして見たほうが良いのでしょうか? それとも、家族を説得するようにしてみたほうが良いのでしょうか? 相談する相手を間違っているような気もしますが、意見を伺えるかもしれない機会を捨てることはないと思い、ご相談差し上げます。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 411
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