hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「�%8」
検索結果: 2886件

結婚か別れか。

現在8年付き合っている年齢が1つ上の彼女がいます。 明るい性格で、自分のよき理解者で、とても大切です。 しかし、セックスレスです。最後にしたのがいつだったのか覚えてないです。 普段は本当に仲が良いので、無理にすることはないと思っておりましたが、そのまま現在にいたります。 年齢的なこともあり、まわりが徐々にというのもあり、結婚を考えるようになりました。 子供もほしいなと思えるようにもなってきました。 しかし、彼女とはそういったことをしたいと思えないのです。 もともと色気のある方ではなく、長く一緒にいたせいか、もうすでに家族のようでそういった気分になりません。 機能しないわけではありません。 普段していないせいか、他の女性にそういった感情を抱いてしまうこともあり、「好き」だという感情がよく分からなくなっています。 結婚して子供を作る努力をするのか、それとも別れて別の道を進むのか。 子供を作らないという選択、また医療に力を借りるという選択もあるのか。 生活改善して自力で臨むのが理想なのかもしれませんが、自信がありません。 とてもデリケートなことなのでなんと話していいのか。 2人でいるのは居心地がよく、今はこのままでもいいのかもしれませんが、いつかぶつかる問題にどうしたらいいかわからず、誰にも相談できず、これからが怖いです。 2人が前に進むためにはどうしたらいいのか、お知恵をいただきたく思います。

有り難し有り難し 19
回答数回答 1

どこにも母がいないという事実が心を壊死させる

母が亡くなって、早いもので8ヶ月が過ぎ、間も無く1周忌の準備を始める。 気丈にあれと、誰に言われるわけでもなく、いつも以上に行動的な日々を送り、疲れ、途方に暮れ、また気を取り直し、悲しくなり、明るく笑い。 もうあたしの心は、壊れてしまいそうです。作り笑いも、根っからの笑いと思えるものには紗がかかり。朝目覚めて毎日、ああ、母は居ないんだなと確認し。 実在していたことすら危うい自分の意識と、二度と会えない事実から自分の心を守ろうとしてかの回避行動としては、悲しみから意識を反らし、なるべく気にしないように、悲しいことになるべく蓋をして今まで来た。淡々と、仕方ない、思い出さない、写真もあまり見ない。感謝や後悔や、それらもなるべく頭から追い出して。 でも、体調の変化で毎月決まって悲しい波が押し寄せる。私は、自分のために自分を生きれていない。母のために生きてきたのだったろうと思う。今は子供と父のために。家族が居なかったら生きているか?自分が生きたいと思えて毎日を過ごせて居ない。仕事も毎日の日々も義務のようで、心が休まらない。いつも自分の頭の中の自分とモヤモヤ会話して。心が壊死してしまったような感じに至りました。 どうしたら、自分で自分を大切に自分のために生きられるのだろう?この喪失感は、いつか救われることはあるのだろうか? 時々猛烈に苦しくなる。 母が生きて居たことが信じられない。 母が居なくなったことも信じられない。 そして、全ての事実は理解している。 あたしの心は、大丈夫なのかな。

有り難し有り難し 33
回答数回答 2

父の死

3週間前に最愛の父が76歳で亡くなりました。父の誕生日の次の日でした。昨年9月に骨髄異形成症候群という、白血病手前の血液のがんと診断されました。早期発見で、今すぐどうこうなると病気ではなく、ゆっくりずっと付き合っていく病気でした。1ヶ月ほど入院し、退院しましたが、その後原因不明の熱に悩まされ再び入院し、肺炎で亡くなりました。 私は遠方に住んでいたため、入院中のお世話や、お見舞いも行けず、会えたときは、会話はできたものの、今日か明日の命と言われ、沢山のチューブがついて動けない父の姿でした。8月帰省した時は、旅行に行ったり元気な父でした。 今でも入院中のお世話ができなかったことや、色んな恩返しが出来なかったこと、父の死が受け入れられず、悔いるばかりです。お葬式後も、子どもの学校があったため、次の日に自宅に戻らなければいけなかったこと、次は四十九日しかお参りができないこと、罪悪感しかないです。 自分が遠方に住んでいる事に、とても後悔し毎日泣いてしまいます。遠方に住むときに、ある程度の覚悟をしておくべきだったのか、転勤族なのでもう少ししたら、戻れるかもしれないと、期待があったため、元気な両親に会えるのを楽しみにしていました。 今でも、父の「まだ死ぬ心の準備ができていない」と泣きながら言っていた言葉と表情が、頭から離れません。思い出しては涙がとまりません。私にはまだ父にしてあげることがあったはずと、後悔ばかりです。四十九日も泣いてしまいそうです。心穏やかじゃない自分が不安です。

有り難し有り難し 27
回答数回答 2

人の死を受け入れる心構え

先日、お仏壇の事で相談した者です。 2月1日まで母はとても元気で、母の誕生日が近いので、緩和ケアから外出許可をもらい、食事の予約して母もとても楽しみにしていました。 ところが、3日の日母から電話で、嘔吐下痢があり、無理だからキャンセルをと言われ、まだ少し時間あるから。と伝えてももうそんな気分になれない。と。 4日には痛みが出ているらしく、薬で眠らせてる状態で。今からどんどんひどくなると。 私は実家から出ているのと、母の余命は8年前から宣告を受けていたのである程度の心構えはあったつもりですが、 やはり落ち着かないといいますか、心がザワザワとするし、かと言って母の所にずーっと居るわけにもいかず。 これは少し困った精神状態です。 人の死を受け入れる事はできるとは思いますが、いざとなるとこんな風にザワザワするものなんですね。 本来去年のクリスマス時期に一度危なくて、何故か持ちなおし緩和ケアにはいったのですが、私と母が二人で話すこと。がこれまでなくて、緩和ケアに入ってる間、沢山会話ができました。その時間を神様がくれたのかもしれません。 後3日、時間くれたら母も思い残す事は無かったのでしょうが。。 人の余命は私にはわかりません。 こんな時、どんな風に家族は心構えをしていけば良いのですか? 安定、不安定な繰り返しで、少々メンタルがまいってます。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

頭ではわかっているつもりでも

8年前に主人を亡くし、私の両親と同居を始めました。 その時は主人を6年半の単身赴任の末の突然死で亡くし、泣くというより現実を受け入れられないまま「もう自分の大切な人を訳のわからないままなくすのは嫌だ」という気持ちだけで一緒に住めそうな家を探して借り、主人の死から2ヶ月後には引っ越しも済ませていました。 そんな風に大切に思っていた両親だったはずなのに一昨年位から母が、昨年位から父も認知症の症状が出てきて、身体的には父が杖を手放せなくなったりトイレが間に合わないことがふえた程度なのですが母の誤認が増えて辛いです。 同じ事を何度も言うのはまだしも、私をわかってくれない、仕事から帰って忙しく食事の仕度をしてるのに「さくらはまだ帰って来ない」とか休みの日に病院に連れて行ってるのに「あれ?いつ帰った?」その直後に「うちの娘はこの頃全然帰って来なくなったよね」とか。 こんなこと認知症の人には当たり前にあると わかっているつもりでも心がざわついて優しく接することができなくなりきつい言い方を したり--- 母の方は「私達はここに居たらいけないんだ」とか言いながらもすぐに忘れていますが私は自分のダメさが忘れられず嫌な気分も引きずり、結局優しくしてあげられず悪循環です。 どうしたらもっと優しくなれるのか、いろんなことを気にせずにいられるのか… 気持ちの切り替えかたでしょうか 教えていただければ幸いです。 長文になってしまいました 申し訳ありません。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

前向きになるには?

私は 子供の頃から 感情を強く感じてしまう所があります。 それだけではなく 予知夢をみたり 第六感的な感覚が鋭く 特に 悪いことが 当たってしまいます。 感情は 特に 孤独感や寂しさを強く感じてしまい そのため 依存や執着も 強くなってしまい それは 恋愛で 強く出てしまい いつも 最悪の終わりを迎えます。 先日も 8年 付き合ってきた彼から 愛情がなくなったわけではないし 大事に思っている。 でも ビクビクしている自分がいて 少し 休憩したい。 別れたいと思っているわけではなくて ゴルフに行ったり ご飯に行くくらいなら いい。 と言われました。 彼が ビクビクしている と言うのは 今まで 散々 浮気をされてきたのですが それが 私の感が鋭く わかってしまうからだと思います。 私は 浮気をされる度に 悩み 苦しみ 自問自答し それでも 彼を愛していたので 許し 今まできました。 彼の話を 聞いている間も この人は 私と 別れたいと思っている と感じ 私自身も 依存と執着を捨てるために 彼の要望を受け入れました。 もう 彼から 連絡がくることは ないと思います。 彼を失った悲しみも とても 強く感じてしまい こんな自分が 嫌で 苦しく 感情など なくなってしまえばいい と思ってしまいます。 なんの試練で 今 生かされているのか と悩む日々に 光が見えません。 深く考えることなく 毎日を 愛と感謝だけを感じ 前向きに生きて行くために アドバイスをお願いします。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

人間は怖いけど繋がりたい欲とのつきあい方

・中学生くらいの頃から、自然性(身体)と人間性(脳)のことで葛藤をかかえています。 主訴は、人間社会や人間関係などの人間性から生まれる生活(慣習など)がたまらなくしんどいことです。 ・30代前半ではじめて、自我が人間性の部分にがんじがらめになっていたことにたくさん気づくきっかけがあり(わかりやすい例だと、他者からの言動をうけとって性の自己認識が歪んでいたことなど)、 ここ1年ほどそれとどうつき合うか、心理面と肉体的な作用の観点から勉強しています。 ただどうしても、人間性に向き合うとこじれた部分は垣間見るし、人間的な生き方ってしんどいと感じてしまいます。 脳の特性上否応なくわく精神的な欲とずっと折り合いをつける途方のなさに人間しんどい、、のような気持ちになります。 ・仏教的には、人間関係性や人間社会性から離れたいと願うことは、人間の生き方としてどう捉えられるのでしょうか?? ・現実的には、これだけ人間社会にどっぷり浸かって生きてきたので その恩恵からは逃れられないだろうと思いつつ(人間性や人間社会の仕組みのおかげで生きてこれていることもわかる)、 山と里の境のような物理的距離で、人里から離れて自然8割くらいの環境で暮らしたいと夢想してしまいます。 ・だけれど、人間性に傷つきながら、人間関係欲のようなものが強いです。 精神的にしようがない欲だと見ながら、人間はこわいけど人間と繋がりたいのような欲とどのように折り合いをつけていればよいでしょうか? うまくまとめられませんでしたが、アドバイス頂ければうれしいです。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

ペアで仕事をしている人と合わない

今年度から転勤になり、仕事内容が少し変わり、8才年上の女性とペアで仕事をしなければならなくなりました。 この方、自分の考えが正しいと思われていて、絶対にそれを通すまでしつこく言われます。自分がおかしいと思ったら、けっこう強い口調で批判されます。普段は、人の悪口ばっかりで、同じ職場の人の個人情報を私にべらべら教えてくれます。 わたしが、その方の意にそぐわないことをすれば、しかられます。昨日は、時間を置いて三回も言われました。帰って主人に話したら、何でその事が怒られることに繋がるのかわからないと言われる内容でした。 わたしは、今年51になるのですが、この年になって、こんなに言われるなんて思ってもみませんでした。 でも、この方が年でも仕事でも先輩なのですから、言うとおりにして、謝るしかありません。でも、昨日は、涙が出ました。下を向いていたので、気づかれてないとは思いますが。 同じ職場の人に話して相談したいのですが、なにぶん転勤してきたばかりなので、人間関係がどうつながっているかわからないので相談できません。 その方にびくびくしているので、自分らしさが出せません。その方がいないところで、ちょっと自分を出してしゃべっていたりすると、あとて、「ずいぶん元気にしゃべってたわね」と、嫌みめいたことを言われたこともあります。 つらいです。今日は、仕事が休みですが、明日からまた始まるのかと思うと心臓がキューっとなります。 わたしは、明日からどう対処していけばいいでしょうか。ちなみに、その方はあと2年で退職です。私は、転勤してきたばかりで転勤はできませんし、配置がえもまず、無理です。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

中絶し彼と離れる決意をなかなかできません

初めまして。 現在妊娠8週目の妊婦です。 カテゴリ違いでしたら申し訳ありません。 彼とは1年一緒におり、今年に入ってから、半同棲の形を提案し、仕事終わりや休みの日には同じ家で過ごし、出かけたりするようになりました。 今年の初めに一度妊娠しましたが、私の転職や母親としての自覚も芽生えず、経済的な面でも諦めるしかありませんでした。一度目の処置の最中、呼吸が止まることや意識が朦朧とし、大きな病院へ搬送しなければというところで意識が戻るという怖い経験をしました。そんな経験をしていながら、今回避妊できていなかったことは反省しています。自己責任だと感じています。 今回の妊娠ではもう赤ちゃんを産んで一緒に育てたい、心臓が動いているこの子に早く会いたいと思い、彼に私の気持ちを話しました。 ですが、タイミングが悪い、自分には結婚願望はない、産んで結婚しても長くは一緒にいられないとハッキリ言われてしまいました。2人で頑張る道はないのかと聞いても黙ってしまうため、恐らくないのだと思います。 すごく怖いですが、中絶することを考え、もう彼とは一切会わないという選択肢を取るしか道はないのかと思うと涙が止まりません。毎日つわりは酷く、仕事を休職させてもらっています。 私と赤ちゃんには時間がないため早く決断しなければいけないのですが、彼に依存しているからか決断することができません。 自分勝手な悩みであることは重々承知しております。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

いじわるばあさんになった祖母

祖母と同居してから8年が過ぎましたが、最近祖祖母が意地悪なことを言うようになりました。 妊娠中の私には「この役立たず!」とか 授乳をするようになってからは「お乳がでぇへんからこの子は怒ってんのや!おお可哀想に可哀想に!」 とか。でも覚えてもいないし悪気もないんです。 「私はそんなこと言えへん!」 としか言わない。まるで私の妄想のような言い方をします。 それとなく嫌だと優しく伝えても何回もじゃないと身には染みつかないようで。 口癖は「してやった」「堪忍なぁ私が至らんことばっかり言って」等 恩着せがましい上にちょっと言うと罪悪感を植え付けるような真綿で首を絞められるようです。 私の子育てや生活にも過干渉で嫌気がさし、キツく言ってしまったところ泣かれ、 「そうやって私をいじめるんか!わたしがどんだけお前を見てきたと思ってんのや!迷惑かけたのに!」 「いじめるならやれるもんならやってみぃ!」 とか。 父方の祖母なのですが、私がいない間に父に泣きつくなど子供帰りが酷く、不機嫌なオーラを出してずっと無視されています。 きっとおばぁが死んだらあんな態度とって悪かったなと私は思うのですが、でも正直一緒にいるのも辛いです。 もうすぐ旦那と住むのでこの家は離れるのですがやはりもうずっと心理的にも距離を置いた方が良いのでしょうか?

有り難し有り難し 20
回答数回答 2

新人の指導と自分の仕事

スーパーで仕事をしている者です。 先日、私の働いている店の果物担当者に異動の辞令が出て、その人の代わりに他店から入社2年目の新人の女性が来ました。 前任者は我々と同じ、早朝からラストまで勤務のベテランの方だったのですが、新人の女性は午前8時から午後5時までとまったく違うため、私や店長が彼女のいない時間の部分をフォローすることになったこと。 果物の担当者が彼女しかいないため、発注どおりに品物が入荷してるかの確認や商品の値決め、次の日の発注などを彼女に任せなければならず、商品の加工や値決めは前店で少しやっていたそうですが、実際どれだけのことをどれくらいのスピードでこなせるかわからず、こまめに進み具合など状況をチェックしながら自分の仕事も進めなければならないこと。 間に合ってないようならこちらが果物の方を手伝ったり、時間までにこなせなかった分の仕事を我々が代わりにやらなければならないこと。 以上のことで精神的な負担と業務を滞りなくこなせるかの不安でいっぱいいっぱいです。 これが1年前なら人手も余裕があったので問題なかったのですが、いまの状況では負担が残った我々にかかってくること、私の店と他数店舗を管理する上の方が高圧的で話が通用せず、果物売場の縮小なども自由にできなくなっているので店長も頭を抱えていて、本当にいっぱいいっぱいな状況です。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

この行者さんの言葉、叱咤激励と捉えたい。

いつもお世話になっております。 どうやら五月病になってしまったようで、気分の落ち込みが 続いています。今は幾分回復してきていますが… ちなみに、もうかれこれ1ヶ月半は通所しています。 通い始めて1週間とかならわかりますが、なんで今!? というのが本音です。 本題ですが、 「就労支援行ってるんですけど、五月病つらいです…」 と、祈願寺の修験者先生に軽くこぼしたら、 「できない理由っていうのは、その辺にゴロゴロ転がってる もんなんだよ!それを払い除けて、できる理由を、できる事を 探しなさい。ちなみに俺は、ここに30年は勤めてる」 とお答えが返ってきました。 「@@さん、なったことありますか」 と私からお尋ねすると、 「ない!『なったことねえ奴がわかんねぇだろ』って思うかも しんねぇけど。そうしたら、自然にお参りの姿勢も変わってくる。 その辺にごろ付いてる『できない理由』に目を向けない! 俺からは以上!」とのこと。 ここから、お寺と先達さんへのフォローに入ります。 お寺の人たちは、むしろ優しい人の方が多いです。 笑わせてくれたり、 「自分だけのせいじゃないんだよ」 と言ってくれたり… こちらの先達さんも、たまに優しく声をかけてくれたり、 お茶目に冗談を言って下さったり…  悪い人や場所ではありません。叱咤激励と取りたいです。  というか、私としては、17、8や22、3の半分子どもみたいな 若者たちがオイソレホイッと、責任ある立場に何ら躊躇も なく飛び込めることに驚きです。怖くはないんでしょうか。

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

これからの生き方

私は10代の頃はお酒やタバコ、ドラッグ漬けでした。 見るもの全てが不愉快で、馬鹿馬鹿しくて不機嫌でした。   そんな生き方を、祖母の介護が変えてくれました。 重度の認知症になった祖母は、祖父から殴られ蹴られ、アザだらけでした。 粗相をしては、父母から嘆かれ 祖父から暴力を受けていた祖母を守りたくて、オムツの交換や体を拭いたり洗ったり 着替えさせたり、食事の介助を懸命にしました。 寂しそうだなぁっと思ったら、ぎゅーっと抱きしめて、大好きだよと言いました。 今では祖父母は他界しましたが、 最後に少しだけ恩返しができたこと、嬉しかったです。 守ろうと思ったことで 自分がしっかりしようと思えるきっかけを祖母がくれたことに感謝しています。 その数年後、自分が大病に倒れ体の自由が奪われてしまいました。 2年の寝たきりの生活や、病気の痛み苦しさに悶えて8年経ち、今に至ります。 病気をしてよかった事は、視野が広がった事と、やさしく穏やかになれたことでした。 今は殆ど怒りません。 イラっともしなくなってきました。 冷たく強く当たってくる人もいますが、 そんな人でさえ愛しく思えるときがあります。 ここまで成長できて、よかったぁ。と思います。 ただ、私はこれからどのような心構えで生きてい行ったら良いのかわからなくなってきてしまいました。 こちらで質問するのは失礼かとも思ったのですが、仏門に入るかクリスチャンになるかを迷っています。 ご助言頂けたら幸いです。 宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

引越しについてです

今、親元を離れて同棲していますが 今月から、同棲を解消し、別々に暮らすことが決まりました。 8月の30に、新しい家の契約をし、次の日の31に父が突然死で他界しました。 本当に、急だったので、まだ、実感がありません。 ただ、実家にいる母は、思い出がある家にいるのが寂しいらしく、次の日には、父の遺品を片付けてしまたみたいで…… そんな母に、実家に戻らない?と父が亡くなった当日に言われました。 戻らないよ。仕事に行くのが大変だもの。と、その場では答えたものの、それ以降は言われませんでしたが その言葉が気がかりで悩んでおります。 正直、新しく借りた家は、仕事場も近いですし、彼ともすぐに会える距離で住みやすい環境だと思います。 (もちろん、今の家よりも、実家に通いやすい距離で探しました) でも、初七日も過ぎておらず、その日には、今の家に戻り引越し作業をすることと、 寂しくて、父の物をすぐに片付けてしまう母を思うと、楽しく思っていた引越しが 新しい家に帰ったら、父がこの世にはいない、恋人もこの家にはいない。でも、自立しなくては、という思いが混同しており どうしていいか分かりません。 母のことも気になる、恋人のことも気になる、 弟は、私の好きなようにしていいと言ってくれますが、最後に「でも、母は寂しいみたいだよ」って…… いい年して、こんなことも1人で考えられないのかと笑われる覚悟で相談しております。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

兄が怖いです。

私は5つ歳の離れた兄がいます。 兄とは8年近くまともに話したことがありません。 兄はとても真面目なところもありますが家族のことを貶して酷い言葉をかけてきます。 兄が彼女を紹介しに久しぶりに実家に帰ったときも、私に対して 「お前は能力ない、結婚もできないから工場で働けば良い」と言われました。 私はアルバイトで事務職をしております。 でも、バイト暮らしで正社員すらなれないことは自分でも負い目を感じています。 兄は人のそういった触れて欲しくないデリケートな部分を無神経に傷つけてくるんです。 両親に対しても同じような態度ですが、両親は兄に会うと笑顔で接しています。 私はそんな寛容な態度ができないです。兄が彼女と一緒に帰ったあと、過呼吸になりました。 今でもずっと、兄に言われた数々の暴言がずっと胸に残っていて苦しいです。 兄のことがとても嫌いです。でもそんな兄でも嫌われてると思うと、すごく悲しい気持ちになります。 家族みんなと仲良くなりたかったです。 兄と上手く付き合えない自分にも疲れます。 ですがこれ以上、兄の言葉で傷つきたくないです。兄を思い出すと辛くて涙が出ることもあります。 これから私は兄とは関わらないように生きていくのが良いでしょうか。 しかし家族だから、嫌いになればなるほど自分が辛くなるのです。 長文で申し訳ありません。お言葉を頂きたいです。

有り難し有り難し 33
回答数回答 1
2023/10/30

父の死が受け止めれない

今年の8月30日に父が癌で他界しました。 享年60歳でした。 今年の初めより余命宣告を受けており、亡くなる2ヶ月ほど前から看取りの方針で同居することになりました。 私は看護師をしているのですが、現在育休中で他の家族より長い時間共に過ごし、点滴等の介助、病院の付き添いも行っていました。 入退院を繰り返してきてた父でしたが、 他界する数日前に「しんどいから病院へ行きたい」と口にし、入院となりました。 点滴加療で身体のしんどさは軽減し持ってきた梨まで食べてくれるまで元気になっていました。 早く帰ろうな!また来るわ!と言ったのが 最後2日後に危篤状態になって亡くなりました。 余命宣告を受け医師から何度も話をしてもらい 看護師をしている上で経験上他の人よりわかることも多かったのですが、いざ本当にいなくなってしまうと受け入れれない自分もいます。 その反面淡々と葬式の準備や、死後の身辺整理等を行っている自分もいます。 現在子育て中ということもあり、哀しみに浸るということはなく、父がいなくなっても当たり前の日々を過ごしています。 時間がある時に父との思い出を 思い出そうとすると頭の思考が拒絶して 亡くなる前のことも考えることを自己で阻害してしまいます。 悲しんであげるのを父は望んでいるのではないとは思いますが、淡々と法事をこなし、 日常を過ごすことにすごく嫌気がさしてしまいます。 忘れてはいません、しかし具体的にこう話したりこんな様子だったということを振り返ろうとしても考えられません。 こういう時はどうしたらいいですか。

有り難し有り難し 10
回答数回答 2