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hasunoha 問答検索結果 : 「お坊さん 勉強 」
検索結果: 1119件

修行の道を選ぶことは社会の弱者より自分を優先すること?

(すべての宗派がそうではないことは理解していますが)座禅をすることによって悟りへの道が開かれる、ということへの質問です。何十年も修行をしたり座禅をしたりすることは確かにその僧侶にとっては悟りへの一歩かもしれません。 でも、その間に途上国ではその日をも生きられるかわからないひとたちがたくさんいます。この日本でも貧困層は存在します。もしも座禅をするかわりにそのひとたちの手をとってくれたら、パンを与えてくれたら、生き延びる道を一緒に検討してくれたら、助かる命もたくさんあるはずです。 修行の道(とくに長い期間社会から断ち切る行為)というのは、ある意味で自分を選択、優先することになる、と思ったことはありませんか?(これは侮辱ではなくて、本当に疑問、のレベルです。本当に本当に悪い意味でいっているのではないことをご理解ください) 自分の道に専念するその思いは素晴らしいと思う。そして得たものを周りのひとに伝えていこうとする気持ちも。でも、現実のこの社会のなかで、仏教が天台宗で言うような「一隅を照らすひとになる」ことが大切だとすれば、それはどこか矛盾していると感じてしまうことは間違っているでしょうか。 僧侶として、途上国や先進国を問わずに、貧困や飢餓などで今日をいきられるかわからないひとたちを前に仏教はなにができると思われますか?

有り難し有り難し 86
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肉食妻帯並びに出家と在家の違い

日本の仏教(浄土真宗を除く)は何故『肉食妻帯』が許されるのでしょうか? 浄土真宗を除く宗派は『肉食妻帯』の禁止が前提で作られていたのでは無いのですか。 肉食関して仏陀は肉食を禁止していないや三種の浄肉をおっしゃる方が多くいますが、その部分だけを引用するとそう解釈できるか分からないですけど、当時は「托鉢」や「午後の食事の禁止」が前提の話で、日本の僧は「托鉢」や「午後の食事の禁止」をしているわけではないのに、その部分だけを引用するのは如何なものでしょうか。 また中国経由の日本の仏教には関係のない話であり、仏陀は肉食を禁止されなかったという個々の考えがあるのであれば、上座部やチベット、真宗などに改宗するか新たに肉食を禁止されない宗派を開宗すべきで妻帯の禁止及び菜食主義であった既存の宗派を変える事は以ての外ではないでしょうか 私は肉食妻帯に対して反対しているのではなく、真宗以外の諸派は肉食妻帯な禁止が前提として作られているのだからそこは徹底的にして欲しいのです。 妻帯については後継者問題があるからとは言いますが、なぜそこまで出家にこだわるのに、妻帯の禁止にはこだわらないのでしょうか。出家せずとも知識ある在家としてお寺を見守る家系として生きていけばいいではありませんか。 出家しているのに妻帯だと在家とあまり違いが無いではありませんか。 これは勝手な私論ですが 末法無戒を、唱えた日蓮上人ですら肉食妻帯をしていませんよね?それは「僧が袈裟を着る事」や「人が人を殺す事はいけない事」と同じ様なもので、その当時は肉食妻帯はしないのが当然なので末法無戒には含まれないからでは無いのでしょうか。 もし政府が「僧の服の着用勝手たるべし」とでも法令出したとしても、日蓮上人は直接は言及していないが、服を着るのは当然でその上で末法無戒と言ってるなんて誰でも分かるじゃないですか。 まとめると肉食妻帯の容認を当初からしている真宗以外は、かつてと大きく肉食妻帯に対しての意識が変化しているのにも関わらず、別宗派を作らず元の宗派を名乗ったまま肉食妻帯を許しているのか。 また現在における出家と在家の違いはなんなのかです?

有り難し有り難し 88
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自分で決めることが出来ません

昔から自分で決めることがとても苦手です。 いつも誰かの決定に従って生きていきたい、と思うほど自分で決めることが出来ません。誰かに決められないと、何をすればいいのか分からず非常に不安になります。 高校のころまでは自分で決めなければならない場面が少なかったため、こんな性格でもなんとか過ごせてこれました。けれども最近は自分で決めなければならない場面に多く直面しています。そして周りの子が当たり前に自分で決めているのを見るたびに、自分もああならなくては、と焦っています。そんな風に焦ってはいるものの、結局自分で決めることが出来ず、友人にどうすればいいのだろうと決定を求めてしまっているのですが…。 自分で決められないのは、自分の決定に責任が伴うのを恐れているせいだろうと思います。また、何に対しても「そういう考え方もあるんだなあ」と疑問を持たずに受け止めてしまい、結局何が正しいのだろうかと悩んでしまう性格のせいだろうと思います。 責任を持てないふわふわとした自分に嫌悪感があふれ、このような性格のまま生きていけるのだろうか、と不安を抱える毎日です。どうすれば自分で決めることができる人間になれるのでしょうか。(こうして聞いている時点で人に決定をもとめていますね…笑) 長々と申し訳ありません。つまらない悩みかもしれませんが、何かお言葉を頂ければ嬉しいです。

有り難し有り難し 59
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神社での出来事で喧嘩しました。

先日の日曜日、節分って事もあり某神社にて節分祭があったので私の親と子供で行きました。家では巻き寿司食べて終わりなので子供のために何処かでイベントをやってないか探していて、近くにスーパーでのイベントはなく、たまたまネットでヒットして動画を拝見し見てみたいと思った次第です。 京都の神社だったのでどんな神社かも分からず御朱印集めてる母に行った事あるか聞いたら一緒についてきました。 そこの神社は厄落としでも有名で、私は一応本厄にあたりますが、その日は祭が目的で祭り見て参拝だけして私は帰るつもりでした。祭見てる最中、親は厄払いの祈祷料や今年の厄年の看板を見ていて、見てる最中に呼び出され、厄払いしたら?と言われました。祈祷料5千と3千があり出す気もないのに勝手に5千円のをしたら?とかせっかく来たしとか、ひたすら言われ断っていました。看板には家族でとも書いていたので旦那いないし、やっても意味がない。私自身に働いてもいないのに出したくない。今日は祭りが見たいから来ただけで厄払いは目的ではないと散々としつこさにイライラしつつ断りました。 その後、子どもがトイレが空かずおしっこを漏らしてしまい2回目の公演?を断念して山を降りてる最中にも厄払いしたらいいのに、俺の時はと父が言い出しイライラも限界で本音がポロリでました。 自分に出したくない。祈祷の後の持ち帰る矢が邪魔。神様も半々しか思ってないから押し付けられても困ると、言ってしまい。そこからバチ当たり!と罵られています。 今もLINEでこちらの返信にはブロックして見ずにひたすら罰当たり、罰があたる。こっちにまで、とばっちり食らうと嫌やから実家に置いてる荷物外に出しとくから取りに来い!信仰心のないものが雛祭りとかもするな! 子どもが可哀想。子どもにも罰があたるとひたすらLINEが来ます。 私にはそこまで悪い事をしたと思っていないのですが、むしろしつこく言ってきて最後言わさせた貴方がわるいのでは?と思いますし、厄払いも自分の意思でやるものではないのですか?まして、その日は旦那もいないのにやった所で意味ないし、本当に信じてるなら、一人かけてるのにやれとも言わないと思います。 これだけではなく小さい事ですが、どこか押し付けがましい所、兄弟の稼ぎの比べ合いが度々あって、こちらもあまり謝りたくありませんがストレスです。

有り難し有り難し 28
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2024/04/09

噂からは一生逃げられないのでしょうか

お世話になっております。 前回までの回答、皆様お忙しい中時間を割いて頂き誠にありがとうございました。 今回ご相談したいのはタイトルのことです。 プロフィールに記載しておりますように 私は過去に何やら噂を流されまして 周囲から嫌われたことがございました。 今迄その噂の詳しい内容は知らなかったのですが つい先日ひょんなことからそれの詳細を知りました。 その噂のなかの私はまるで悪鬼のようで これなら嫌われても仕方ないと思えるものでした。 そしてこの噂はどうやら職場が発信元ではなかったようで 元職場外から流れてきたそうです。 周囲に否定をしたくても 私は件のいじめから対人恐怖症を患い 人との関わりが希薄となった為叶いません。 新しく就職を考えていたのですが もしも噂が新しい職場の誰かの耳に入ったら またあのようになるのかと思うと 怖くて堪りません、耐えられません。 地元からは離れたくありませんが、噂から逃げるには離れるしかないのでしょうか。 また、この噂は私が死ぬまで一生ついてまわるのでしょうか。 私の人生の役割は他者のサンドバッグになることなのでしょうか。 もしそうなら、自分を変えてもどうしようもないし 夢も希望もなく、もう疲れたので 死んで逃げてしまいたいです。 回答を頂いて徐々にフラッシュバックも落ち着き 少し前を向けるようになっていたので 余計にどうしたら良いのかわかりません。 とっ散らかった文章かつ頻繁に質問してしまい申し訳ありません。 お手隙の際にお答えを頂けたら幸いです。

有り難し有り難し 28
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「自分」を知りたい。人生の転換期?

26歳の女です。 ここ半年ほど、トラブルが続いています。身内の病気が続いたり、職場のトラブルに連続で巻き込まれたり、恋愛も上手くいかなかったり、と他にも、今迄上手く回っていたことが、急に回らなくなりました。気分も鬱々としており、最近はおさまっていた自傷癖が出てしまったり、不眠であったり、精神的な不安的さを隠して生活しています。 突き詰めて考えた結果、今現在の自分の在り方や受け取り方にも大きく問題があり、それを変える時期が来たのだと思いました。 今迄、自分を騙し騙し生きてきました。酷い鬱病で精神状態が安全せず、かつ「良い子供・姉」であることを求める親の顔色を見て生きているうちに、好きな物もやりたい事も分からなくなりました。今も「真面目さ・正しさ」しか分からず、それを頼りに物事を判断しています。 小学生の頃より、知人より性的な暴行を受けてました。でも、嫌だけど、誰かに愛されたかった私は、誰にも言えずにいました。言える人もいませんでした。今でも男の人には何とも言えない感情を持っています。愛して欲しい様な、怒っている様な、試したい様な…。 私は変わり者だそうで、酷くいじめられた事もあります。これも誰にも言えませんでした。それから、女の人を避ける様になりました。近寄ってくれる人も少ないですが…。 自分の中で蓋をしてきた事、考えるのを放棄してきた事、本当は誰かに伝えたかった事などが、私の中で渦巻いており、それを抑え込むことに限界が来たのだと感じます。 自分で自分を騙し、矛盾を抱えて生きることに疲れました。 過去や自分を受け入れて、歪んだ考え方から正しい考え方になおし、もっと「自分」の人生を生きたいと思っています。 「自分の考え」を持てる様になりたいです。 自分も他人も物も、好きになりたいですし、許したいです。 何を言いたいのかが分からない文章になってしまいましたが、このグチャグチャな自分をどうにかしたいと思っています。 しかし、考えれば考える程纏まらず、パニックを起こしそうになります。 何かアドバイスを頂けますと嬉しいです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 43
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老後に仏門に入ることはできますか

はじめまして。どうぞ宜しくお願い申し上げます。 老後は仏門に入って生涯修行をしたいということを心の支えにしている者です。 そう思うきっかけになたのは、現在同棲生活をしている男性との悩みです(彼にはその場しのぎの嘘をつく癖があり、彼を信頼することができなくなってしまいました)。 私自身、過去には結婚離婚を繰り返し、不倫もしてしまい、若い頃にはたくさん悪いことをしてしまいました。 そういう自分だから、大好きな人に嘘をつかれるというようなことになるのか、自分の幸せは恋愛関係等以外のところに見つける方が真の心の安らぎを見つけられるのではないか、といろいろ考えておりましたところ、心を清めたいと思う気持ちから、般若心経を唱えたり写経していくうちに少しずつ心が整ってきたと感じるようになりました。 そして、老後はお寺で生涯修行をさせていただきたいと思うようになりました。 お坊様方は、このような私の考えを甘いと思われるでしょうか・・・? 私は、今を生きるための心の支えを将来仏門に入ることとさせていただき、彼との毎日を感謝しながら過ごしたいと思っております。 将来仏門に入ることが許されるような日々の生き方のヒントをいただけましたら有難く存じます。 どうぞ宜しくお願い申し上げます。 ありがとうございます。

有り難し有り難し 45
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