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hasunoha 問答検索結果 : 「悟り」
検索結果: 2158件

病気が治ってきているのかもしれません。

ちょっとだけ日常生活に支障がある病気を持っています。私にとっては怖い病気です、生涯のものではないそうです。 今2年目です。 薬は後々の妊娠とか依存のこととかも考えて頓服だけにしています。 正直、いつ治るとか数値でわかる病気ではないのでこのまま治るのかな?という不安や病気になってしまったストレスや葛藤でいっぱいでした。 ところが最近は不安よりも楽しい事を考える時間が増えてきたのです。 病気の症状事態はまだ治っていないのですが、心が全然違います。 前は早く病院に行って早く治したい!だったけど、今は病院よりも遊びに行きたいとまで思っています。 前まで悲観的だったのに、将来の楽しみやこれからの期待まで出てきました。 病気になる前よりも主人との関係も良好で、親も私の事を前より理解してくれています。 考え方も自分の拘りみたいなものや自分を縛り付けていた考え方などが見えてくるようになっています。 友達関係もちょっと傲慢な態度を取るようになった子はいたものの、ある意味距離を取る良い機会になったし、それよりも前より親身になって話を聞いてくれる子が居て、その子の事を尊敬したりと色々と面白い事がありました。 なんかここ最近こんな感じである意味戸惑っています。拍子抜けみたいな… 幸せって気持ちが体の真ん中からじんわり感じる瞬間があって、なんか、前まで悩んでた事が嘘のように思える時もあります。 病気は治っていないので油断はしてはいけないけど、なんか…誰かに共感して欲しくて質問してしまいました。

有り難し有り難し 16
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禅やマインドフルネスについて

いつもお世話になっております。この度は、禅やマインドフルネスについての質問でございます。 当方、少し大きな壁や課題があると途端に不安になり、焦ってしまいます。これまで失敗経験が幸か不幸か少なかったこともあり、極度に失敗や叱責を恐れています。失敗を恐れるなとは言われるのですが中々難しいですね…。 最近は、友人の助言もあり、人に言われたことは大半は受け流して、自分が改善すべきところだけを取り出して改善していくこと、人の意見を過敏に100%受け取らないこと、これを意識していこうと頑張っています。 このような不安定な経緯もあり、またこれからの生き方を漠然と心配し、色々な本で禅や、そこから派生したマインドフルネスというものを少しですが知ることができました。将来への焦りや苦しみは、今ここに極度に集中すると消えて、結果的に人生がうまくいく、というものだったと記憶しています。読んでいて私はなるほどと思いました。焦っている時は何事も手がつけられないというのには覚えがあります。 一方、生きていればもちろん誰でも様々な苦難が降りかかります。時には圧倒されそうな困難もやってくるかもしれません。それをも今に集中することでただひたすらやるべきことをこなしていくとすれば、このプロセスには理論上、焦りや苦しみといったものは存在しないものなのでしょうか。なんだかちょっと信じられない自分がいます。 また、もし苦しみがないのなら、苦しみを経験しない人生ということになると思いますが、苦しみがない人生というのも、なんだか不思議とそれでいいのか…?という疑問が湧いてきました。 自身が禅やマインドフルネスを知って日も浅いため、理解が生半可で的外れな質問になっている可能性はありますが、迷える大学生にお教えいただけたら幸いです。 ここからは質問ではないのですが、率直な気持ちとして、禅やマインドフルネスは、大変魅力的な考え方だとおもうのですが、あまりに自分が短いながらに生きてきた価値観とは違って、心からまだ受け入れられていません。でも、心の底では、このような生き方ができたらな…と羨む思いがあります。

有り難し有り難し 46
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心が空っぽ。心からやりたいと思える仕事がない。

こんにちは。私は39歳の女性です。 私の悩みを聞いてください。 私の心は空っぽです。 何をしても何に対しても心から喜べないし、心から楽しむことができません。 心から笑顔にはなれませんし、心から笑顔になれる出来事はありません。 心から自分と人を愛することができません。 好きなこと、夢中になれるものがありません。 心の支えなにること(物・人)がありません。 小学生・中学生の時は毎日がキラキラ輝いていて、好きなこと、夢中になれるものがありましたし、心から自分や人を愛することができました。 心の支えになること(物・人)もありました。 決して今の生活に不満はありません。 実家で両親と同居して、毎日母が食事を作ってくれます。 病院などへ行くときは、時々父が車で送り迎えをしてもらっています。 両親からとても愛されています。 障害年金をもらっているので、お金にはまったく困っていません。 何かも恵まれて幸せで、心が満たされてるはずなのにまったく心が満たされません。 もうひとつ悩みがあります。 もうすぐ40歳になりますが、心からやりたいと思える仕事がありません。 今までスーパーの陳列・品出し、コンビニでのバイト、テレホンアポインター、アイスクリームショップでのバイト、コンビニのお弁当・サンドイッチなどを製造する工場などいろんなアルバイトをしてきましたが、「この仕事がしたい」「これ気に入った」という仕事は見つかりませんでした。 未だに心からやりたいと思える仕事がありませんし、どんな仕事をしたいのか考えてもわかりません。 子供の頃は「婦警さんになりたい」「漫画家になりたい」と将来の夢は ありました。 20歳のときある人に「将来の夢は?」と聞かれたとき「自分は将来何をしたいのか」「どんな職業に就きたいのか?」などいろいろ考えました。 でも、答えはまったく見つかりませんでした。 仕事以外の夢はたくさんあります。 (例:海外に住む、など) もうすぐ40代に入りますので、激しい焦燥感を感じています。 お話を聞いてくださってありがとうございます。

有り難し有り難し 40
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仏様の存在を信じてもらうにはどうすればいいのでしょうか?

私は先日、このhasunohaでの有り難いお言葉を頂き、仏師になろうと決心しました。 それで仏教を学び、皆に伝えようと思考を巡らした時、一つの悩みが生じました。 それは、仏様の存在を信じない人がいてそれを説得できない事実です。 私は幼いころ、実際に観世音菩薩様に出会っていますし、姉も不動明王様に出会っています。 ですから、我が家では仏様の存在が当たり前となっているのですが、過去何度か他者に当たり前の感覚で仏様の事を言うと、信じてもらえませんでした。 信じない人は、科学的にあり得ない、仏様に会ったのなら私に金と権力がないのはおかしい、夢だ、幻覚だ、不合理な世の中になる筈がない・・・といった具合の事を言って聞いてくれません。 私は仏様が公平な仕組みを作り依怙贔屓をしないだけだと考えています。 それに、金権力といったものに興味を持てないので、ご利益がないからおかしいという意味が分かりません。 貧乏ながら幸せと感じているからそれがご利益だと思います。 生きて喜怒哀楽を感じることが人に与えられたご利益ではないでしょうか。 普通にあった出来事を何と言って説明すればいいのかわかりません。 当たり前のことを説明するのは難しいです。 存在するものは存在するのです。 夢や幻といわれますが、ちゃんと起きているときに出会っています。 あの圧倒的な存在感を五感で感じたものは信じるしかないです。 きっと、仏様に出会った人は皆そういうでしょう。 過去何人もあった人がいるのですから存在しないと考える方がおかしいです。 それしかいいようがありません。 私自身が馬鹿にされても構わないのですが、仏様の存在を信じない人は損していると思います。 ですから、できるだけ信じてもらいたいと考えております。 どうかお知恵をお授けください。

有り難し有り難し 30
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2024/09/24

瞑想して病気を治すように言われた

難病の再発で、真言宗のお寺で得度するつもりでしたが、やめておこうと考えました。 理由は住職様に、難病を理由に得度を延期したい旨を伝えたら「治療で飲むステロイドをやめて、瞑想した方が良い」と言われ、びっくりしたからです。 いやいや、私の難病はステロイドを飲まないと、他臓器不全を起こして死んでしまうのですが! という趣旨の話をしたら、笑われました。 持病の双極性障害は落ち着き、今まで関わってくれた人達のお陰で50年いきてこれたので、今は冷静に残りの人生を誰かの役に立てるように生きたいと思えるようになり、得度したいと思いました。 でも、よく考えたら得度しなくても、そういう生き方はできます。 正直、話を聞かず医療も否定する住職様に幻滅してしまいました。 これからも、自分で好きな観音経や他のお経の勉強も、書籍で出来ます。 ご先祖供養の仏前勤行も、音源を手に入れたので、自分で練習して出来ます。 お坊様も人ですから、色々な方がいます。 僧侶としての経験は立派で尊敬していますが、なんとも複雑です。 仏壇やお位牌の開眼供養を、大したお布施も出来ないのに快く受けてくれる僧侶の友人の紹介の住職様なので、これから住職様と、どう関われば良いかなと考えています。

有り難し有り難し 2
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仕事が続かない50代ひきこもり 

私は仕事が長く続けられません。 大体1年半くらいで投げ出してしまいます。 いろいろ調べたところ私は自己犠牲の傾向があり、 俗にいう「努力」の意味をはき違えて生きてきました。 「社会貢献」「やりがい」などキレイな言葉がありますが、 被雇用者にとっては、雇用者が「低賃金で労働を搾取」するための魔法の言葉でしかありません。 と、判ったところでたどり着いたのが、仏教の「中道」なのですが、 あまりにも曖昧すぎて、何をどう考えて行動して良いのかわからないです。 試しに自己犠牲を止めて「出来ないふり」「気づかないふり」を続けたところ、 自分を抑制することにエネルギーを消費し、逆に疲れてしまいます。 そればかりか「気が利かない人」「言われたことしかできない人」になってしまいました。 多分、中道というのは「自分がどうしたいのか」という考えが基準になると思うのですが、 損得の基準といいますか、私にはその軸が全く無いのです。 なので「やるからには全力」「中途半端なら無駄」という極論になります。 いずれにしても疲れるので、なんとかしたいです。 また、一言を聞いて、2手3手先を考てしまう思考(妄想)を止める方法ってあるのでしょうか? 一応、自分なりに中道を解釈し「出来ないふり」「気づかないふり」は試してみましたので、 それを前提に今後「何に努力すれば良いか」を教えていただきたいです。 小さな希望でも見えたら最高です。 ご教授お願いいたします。

有り難し有り難し 21
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死の淵にいる母の心を救いたい

以前にも相談し、温かいお言葉を頂戴しまして、本当にありがとうございました。 私の母は髄膜腫を患っているのですが、先日医師より余命2〜3ヶ月と告げられました。 父が3年前に60歳で癌で亡くなり、その後家も火事で失くなり…途方に暮れながらも母や姉弟と何とか3年間やってきました。 歳を追うごとに母の病状が悪くなっていき、先が長くないということは理解していたつもりですが…いきなりの医師からの宣告に、目の前が真っ暗になって毎日泣き暮らしています。 母も日々意識が保てなくなっていることに恐怖を抱いているのか、たまに自我がはっきりしているときはひたすら呻き泣いています。 既に動けず、話も出来ませんが、恐らく自身がそう長くないことも感じ取っているようです。 なるべく自我がはっきりしているときには傍にいてあげたいと思い、余命の宣告があってからは毎日病院まで通っているのですが… 母が呻き泣いていても「頑張って元気になって家に帰ろうね。皆で頑張ろうね」としか言ってあげられず… どうしたら母が心穏やかに最期の時を迎えられるのか…私がしてあげられることはありますか? 祖父母も亡くし、父も亡くし、家も失くし、自身ももう10年以上病と闘ってきました。まだ母は64歳です。 いつでも明るく前向きだった母が、痛み苦しみ絶望しながら最期を迎えるなんて余りに酷すぎます。 死の淵で絶望に覆われている母の心を、何とか救ってあげることは出来ないでしょうか。

有り難し有り難し 27
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