hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
問答一覧
検索結果: 958件

私度僧としての托鉢は駄目でしょうか?

3年ほど前にスッタニパータを読んで以来仏法の素晴らしさを知り、日に何度か座禅を組むようになりました。けれど、いつまで経っても睡魔にすら打ち勝てず、煩悩もちっとも減らず(減るものでもないのでしょうけど)、日々の生活に虚しさが募るばかり。主要な大乗経典も大方読みましたが、知識として蓄積するだけで、実行が伴いませんでした。 私は早々に聖道を諦め、凡夫であることを受け入れて阿弥陀如来に帰依しました。 弥陀の誓願の有り難さをひしひしと感じながら、日々念仏を称えています。 ただ、どれだけ念仏を称えても、日頃の生活の内で多くのことに囚われ、信仰を忘れます。 私のように下生下品の愚人は、在家のままで信心決定などあり得ないのでしょう。 いずれは遍歴して、そこで念仏申すだけの路傍の石のような身でありたい。 そうしてその姿が、誰かの仏縁になるかもしれないという淡い希望もあります。 勝手に出家して、私度僧として托鉢で暮らすのはお寺に迷惑になるでしょうか? 布施がなかったり、病に掛かったりで死ぬこと自体は全く怖くないのです。 ただこの何処へ向かうとも判らない迷った心のまま、ふと死を迎えるのが恐ろしいのです。 決して一時の考えではありません。 どうか智恵をお貸し下さい。

有り難し有り難し 15
回答数回答 1
2023/05/08

瞑想とは

ブッダは入滅する際に深い瞑想状態に入りながら入滅したと見ました。 私も肉体や精神などが極限の苦痛に達した際や死ぬ際には瞑想を使用したいとおもっておりますが、そこまで深い瞑想をするには相当な瞑想の日々の熟練が必要かと思っております。 ところが精神疾患を持つものが瞑想をするとどうやら副作用が生じ、むしろ悪影響が発生することがわかりました。 以下質問となります: この矛盾は何でしょうか?座禅・瞑想とは人類全てが実践できる安全なメンタルケアでなければならず、そのため仏教修行の多くの部分を座禅・瞑想に使用するのではないのでしょうか。 それとも仏教の座禅・瞑想は修行の一部にすぎずそれが全てではないということでしょうか。 有名なキサーゴータミーの物語では明らかに精神疾患状態にある婦人を救っているような記述がありますが、これはどのようなプロセスを経て「治して」、「さらに悟りにまで到達した」のでしょうか。 個人的に思うのはまず前提として仏道の実践と修行者の身の回りの環境を整えてから瞑想を熟練していくのだと思いますが、その「環境の充実」の基準とはどこから情報を引っ張ってくれば良いのでしょうか。 よろしければ真なるお言葉をくださいませ。なければご対応不要です。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 16
回答数回答 2
2023/08/31

仏教と性行為について

初めまして、質問させて頂きます 私は熱心な仏教徒という訳ではないのですが、最近気になる事があり質問させていただきます。 仏教において、性行為は夫婦間であっても悪、良くない行いだとされているとを知りました。 確かに、性行為を行う動機には性欲というものがあるため欲である事は理解できます。 しかし、人間である以上その欲自体がない人間はいないと思います。例えば、食欲であれば食べ過ぎはいけないけれども食べないことは体にとって悪になるように性欲も相手との関係によっては許されるものではないのでしょうか? それとも、誰かと関係を持っていると天国にはいけない、仏の道から外れてしまうのでしょうか? 私には心から愛する人がいるのですが、それが悪い行いなのか、果たして性欲からくるものなのかと最近考えることが多くなりました。 例え悪い事だと言われても、お互いが望んで相手との幸せに繋がるのであれば構わないと私は考えています。 しかし、ふと考えては良くないことなのかと悩んでしまいます。 このまま悩んだままでは、彼女に対してもとても失礼だと思い質問させて頂きました。 お坊様はどのようにお考えなのか、教えて頂けると幸いです。 よろしくお願いします

有り難し有り難し 22
回答数回答 2

煩悩、執着の強さをどうにかしたいです

私は欲に弱く楽な方へ流れやすいです。 ストレスを感じた際に散財してしまう悪癖があり、お酒、タバコが辞められず、また性欲も人より強いように感じます。 散財の悪癖が祟り、学生の身分でありながら消費者金融に借金をしています。お金にルーズな性格のせいで、しばしば交際していた女性に叱られましたが、先日ついに決定的に別れを告げられました。というのも私は以前一度別の女性と関係を持ってしまったことがあり、それが発覚したためです。 彼女はもう我慢の限界だと私に別れを告げました。お恥ずかしい話ですがそこでようやく、自らの欲深さや意思の弱さをハッキリ自覚し、恥じました。 彼女傷つけてしまった自分を改めようと思い、選択肢のひとつに出家が浮かびました。厳しい環境に身を置き、仏教の教えを学ぶことで、自分のこの恥ずべき性質を改善できるのではないかと考えました。 もちろん、安易な考えで出家するのは自分にプラスなこともないし、何より修行させていただくお寺にも失礼だと思います。 また、私はまだ学生の身分であり、その自分に甘い行動の結果、留年も決まっています。先程言ったように、お恥ずかしながら借金もあります。 そのような環境で出家などできないだろうと思い、なにか独学で学び、自分の心を成長させたいと思い至ったのですが、どのようにしたらいいのか検討もつきません。 自分の心を落ち着けるための訓練としてどのようなことに取り組んだらいいでしょうか

有り難し有り難し 1
回答数回答 1

仏教の教えについて

 こんにちは。再びこちらで質問させていただきます。  以前読んだ呉智英著「つぎはぎ仏教入門」という書物の中では、私の従来のイメージとはかけ離れた仏教観が述べられており衝撃を受けました。お釈迦様の物語では、お釈迦様は家族を捨てて出家しており、出家者に対しても①家族を捨てること・②生涯独身でいること・③労働をしないことを要求しています。また梵天勧請のお話では、お釈迦様が悟った後に「私が悟った法は、その内容はあまりにも高度なものであるから、一般の人に説いてもわかるまい。」とそのまま涅槃に入られようとしていたようです。  これらの物語を読むと、仏教とは決してヒューマニズムのような耳障りの良い教えではなく、むしろ社会の常識を揺るがす危険な思想なのではないかと思いました。また、仏教の一番の目標は、やはり「悟りを開くこと」ですが、「悟り」とは私が今まで考えていた「あるがままの世界を観じる」というような単純なものではなく、もっと峻烈で幽玄なものではないかと思いました。  これらを踏まえると、日本の仏教ではお坊さんは妻帯をして、労働されている方もいらっしゃるのが普通の光景です。社会に歩み寄るという点では、ある程度の妥協も必要であるとは思いますが、釈尊の本来の教えから見ると、修行や悟りを軽視している面があるのではないでしょうか? また、その教義が初期仏教とは異なる宗派もいくつかありますが、ある教えが仏教であると言える条件は何なのでしょうか? 日本で悟りを開かれているお坊さんはどれくらいいらっしゃるのでしょうか?  その辺りを、お坊さんはどのように考えられているのか伺いたく、質問させていただきました。どうぞよろしくお願いします。

有り難し有り難し 77
回答数回答 4

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る

お坊さん33秒法話ピックアップ