2011年の掲示板ですが、呪いに関する体験談を語っているものになります。呪いが分散されてこの掲示板を見た人は呪われるとありました。内容は詳しく説明することは避けますが、話しを聞いた人や体験談を語った人の家族が全員自殺や事故などで亡くなってしまっているそうです。読んでしまった私も悪いですが、本当に呪いがうつるのでしょうか?自分はともかく家族や友人に迷惑をかけたくないです。回答の程よろしくお願いいたします。
昨年結婚し、今まだお豆ほどの大きさの赤ちゃんがお腹にいます。私には勿体無いくらいに優しい人と結婚して幸せなはずなのに、ずーーっと悩んでることがあります。 一人で家にいて、家事などをしている時、どうしても幼い頃や思春期に母に言われた言葉を思い出して、イライラしたり腹が立ったりしてしまいます。小さいころ、強烈に覚えてるのは「あんた見てるとイライラする!」と言われたこと。また、私が思春期の頃に、前歯が出っ歯気味なのを気にしていたら「どうしてそんなに出ちゃったんだろうね」と言われたこと。学校で虐められて休んだとき、「○○ちゃん(別のクラスで不登校だった子)の真似してるんでしょ?」と言われたこと。そのくせ、旦那さんには「中学校の頃不登校になったけど、自分は優しく見守った」的なことを言っていたこと。大嫌いなピアノを私が意識がなくなるほどに練習させられたこと。 ただの愚痴の様になってしまいました... 彼女も人間ですし完璧ではないでしょうし、言った後に後悔したかもしれません。真面目な普通のお母さんです。毎日お弁当も作ってくれました。母子家庭のなかで、育ててくれました。それなのに母に感謝ができません。そんな自分も大嫌いです。この気持ちを捨てたいです。 この感情はお腹のは赤ちゃんにも悪いと思います。恨みを捨てたいです。 どうか、お言葉を頂戴できないでしょうか。
この歳になっても、ののさまのうたの1番と2番は泣いてしまいます。 子どもは大きな声で可愛い振り付で歌うのでしょうが、、、 私は、歌詞の内容のように本当にこうだったらいいな、こうできたらいいなと思います。 特に悲しい出来ごとがあった時、無実なのにつみびと扱いをされた時、いくら説明しても理解して貰えない時。 聖書には、変えられない事は受け入れて、変えられる事はかえる。その二つを見極める賢さと勇気を。。確かこのような内容だったと思いますが、神様に祈るそうですね。 仏教ではお釈迦様は似ているような事をおっしゃっていますか? 教えてくださいませ。
以前にもこちらで質問させていただき、温かいご回答をいただきました。 息子が亡くなって、2ヶ月半になります。もし生きていたら、明日で生後3ヶ月になります。 日々の気持ちの浮き沈みが激しく、生きていることに疲れてきてしまいました。 産休も終わり仕事にも復帰しなければいけないのに、朝起きると辛く、結局ズルズルと休みが続いている始末です。 前向きに頑張んないと亡くなった息子が心配する、と心では思っているのですが、気持ちと体がついて行けないです。 仕事を休んでいる罪悪感もあります。 ずっと引きこもっていては良くないと思いながらも、何かをする気にもなれません。 ふと息子の写真を見ては、産まれた日のことを思い出し、涙が出てきてしまいます。 戻っておいでと、そればかりです。 一体こういう日々がいつまで続くのだろうと、最近はもう疲れてきてしまいました。 周りの友達は出産ラッシュで、職場には育休から復帰した仲間もいます。 気使って、会おうと言ってくれるのですが、とてもそういう気持ちになれません。 私はこの先どうやって過ごして行けば良いのでしょうか。 長く、悪い夢を見続けている気分です。
私はお寺に参拝した時はおみくじを引くのですが、当たってることが非常に多いです。また、おみくじに書いてある通りに事が運ぶことも多々あります。これはなぜでしょう。やはり神様はいつも見守ってくださっているのでしょうか。 そこで質問なのですが、おみくじの正しい解釈の仕方について教えてください。また、生活の中にどのように取り入れれば良いのでしょうか。 教えてください。
私は家が曹洞宗の息子です。 大悲心陀羅尼というお経ですが ネットで曹洞宗青年団というサイトでは 聖観自在菩薩よ と訳されています。 しかし、他のサイトでは 千手千眼観世音菩薩という説明がほとんどで 千手観音についてのお経と思っていましたが 実際はこのお経はどの菩薩様についてのお経ですか またこの功徳は、私たちが生きる上で内を伝えているのでしょうか? よろしくお願いします。
自分の悩みというよりも、知りたくて困っていることなのですが。。。 私は子どもの遊びの研究をしていて、「遊びとはなにか」という問いにずっと向き合ってきました。言葉の意味を探るうちに、遊戯という言葉以前に使われていたという「遊化(ゆげ)」という言葉にたどり着きました。 これは仏教用語ということなのですが、言葉の成り立ちや、意味をネットで調べてもあまり詳しいことは載っていなかったので、ここなら教えていただけるかと思い投稿しました。 修行の末、悟りをひらいたのちに自由自在に振る舞えるようになった”状態”の事を指しているということでしょうか。 また、それにまつわる仏教上の逸話などはありますか?
オシャレのために人毛のエクステをつけて長さを出すというのは良くないものでしょうか?
こんばんは。 はじめまして、これぞという時まで書き込みをためらってました。 けど、今いっぱいいっぱいになってしまいました。 既婚で子供なしです。 来週、持病の為、子宮全摘手術を受けます。 治る病気と理解していても、 子供が授からなかった事の寂しさと、 手術への怖さが込み上げてきます。 1週間前にストレスからの 突発性難聴に初めてなり辛かったですが、 数日後に亡くなった父が夢に出てきて 生前の様にニコッと笑ってました。。 見守ってくれているんでしょうか? 和尚様、あと一押し背中を押して下さい。 よろしくお願い致します。
素朴な疑問をさせていただきます。 仏教では西の極楽浄土に阿弥陀如来、東の浄瑠璃世界に薬師如来が居ると言われていますよね。 しかし卯の方角を文殊菩薩、酉の方角を不動明王が守るというような教えもあるようで、調べてみました。 守り本尊というものが決められているそうで各方角ごとに守っている仏様がいるようです。誰がなんのために決めたのかわからないのですが、仏様を信仰するにはこんなことまで信じないといけませんか?
はじめまして。毎日夜に読経をしています。 すること自体は落ち着きますし、ありがたいのですが、基本的に怠け者なのでやりたくない時も出てきます。 出家された方は朝に夕に祈念されているわけで、この程度の事で音を上げていて申し訳ないのですが、「こんなことをしていて何になるのかなあ」という迷いや、「やらないと良くない事が起きるのでは」というような妙な不安、一日さぼると二日三日とどうでもよくなってくる心が出ます。 どのようにしたら薄くなるのでしょうか?
子どもが全員社会人になり、自立。主人が多忙でほぼ一人で必死で子育てをし、生き甲斐も楽しみも子どもとの時間が何より一番でした。 皆様が素敵なお子さんねと言ってくださるほど、やさしく、しっかりとみんな育ちました。 この4月に二人一度に家を出て、私一人が前に進めず、メンタルクリニックに通い処方される程、ダメージを受けています。今までは子どもが夜帰り、会話するのが当たり前だった生活が、ほぼ、一人。この世の中に取り残された感じの不安がずっと襲ってきます。もともと、インドア派のため、趣味も家でコツコツやるようなことばかりです。 とても、贅沢な悩みだということも十分解るのですが、どうしても不安から逃れられません。この先、私はどうしたらよいのでしょうか
知り合いくらいでほとんど接点の無い方から、理由を聞いても分からないのですが怒りを買ってしまい、呪うと言われました。 人を呪わば穴二つになるのが嫌だから、祈祷師さんに頼んで貴方を呪いますと言われて恐怖でいっぱいです。 その後も自分の身をかけて呪うから首を洗っておけなど、怖い言葉をたくさんかけられて、どうしたらよいのかわかりません。私に非があるのなら謝罪しますが、自分で考えても何がいけなかったのか分からず、相手に聞いても教えられないの一点張りです。 本当に祈祷師さんに頼んだら呪いの実行をしてしまうのでしょうか? また呪われてしまった場合の対処法を教えていただけると嬉しいです。 早くこの恐怖と不安から離れて、穏やかに過ごしたいです。 よろしくお願いいたします。
大学生です。 最近心が不安になったときなどに、般若心経を唱えています。なぜ般若心経なのかというと、むかし母とお仏壇に向かって唱えていたので、覚えていたからです。特に宗派などはありません。 何度も唱えているので暗唱はできるようになったのですが、意味を特に理解しながらは唱えられていません(調べてもすぐ忘れてしまいます)。 そこで質問なのですが、お経というのは意味を理解しながら信念を持って唱えないと意味を成さないものなのでしょうか。 長い間気になっていたので、教えていただけると幸いです。よろしくお願いいたします。
セラピストたちに読経をするようにすすめられます。 私自身も言われたので読経しますが続きません。 読経といっても「般若心経」くらいです 一時期は般若心経とお経を一巻あげていた時期もあります。 読経を薦められる理由は「霊性を高めて欲しい」という理由です。 でも、続けられません。 あげれば心も軽くなり 朗らかに毎日を笑顔と愛に満たされた心地ですごせるのです。 それらを自分自身で感じてきました。 読経という専門的な日々のおつとめに励んでおられるお坊様にお聞きしたいのですが、 やはりお経をあげることを私にすすめられますか? セラピストたちが一方的にすすめたとしても、 私は納得できる回答をうけとれていないのです。 こうして、読経したくない気持ちをここに書いているのも、 たぶん納得できない一つのあがきだと思います。 毎日を明るく過ごせたならとても幸せだと思います。 そうなりたいと思うのにできない自分が悲しいです。 どうして、私はこの世に生まれてきたのでしょう。 そんなふうに、自分自身の存在すら認められなくなってしまいます。 お坊様たちはまいにちのおつとめで何を得られていますか? 多く質問し恐れ入ります。
家は浄土真宗本願寺派、戒名や法要は天台宗、私は四国八十八ヶ所巡礼に参ろうかと真言宗のお経を唱えたりしています。 もちろんお仏壇の掛軸は浄土真宗本願寺派、位牌は天台宗で開眼供養をしており毎朝夕私はどうしたら良いのか分からず開経偈、懴悔文、般若心経、回向文を唱えております。 息子の供養の為に、何をどうするのが1番よいのでしょうか?
毎日の勤行で使う真言宗の経本を探しています 色々な出版社から出ており、どれが良いかわかりません 真言宗の毎日の勤行で必要なお経が載っているもの(般若心経、理趣経含む) フリガナがついているもの フリガナが古典読み?ではなく、現代読み?のもの オススメの経本はありますでしょうか?
思うようにいかないのが人生かもしれません。 親が悲しむ姿は見たくありません。 でももう生きるのは無理です。 心がついていきません。 頭が考えることを拒否します。 ごめんなさい。 お母さん、私が子供でごめんなさい。 悲しませてごめんなさい。
妻の代わりに書いています。93歳の母がいます。老人施設に入っています。職員の人にも、係の医師にも身体が弱ってきているので覚悟をしといた方が良いと言われます。自分でも解かってはいるつもりなのですが自分の気持ちに整理つかないようです 心から心配だし不安です、でも会いにいけません。体の不調もあるのですが子供のころから母から受けていたネグレクトよるものなのか矛盾と葛藤があるのと自分を知る身内がいなくなる孤独感と不安が膨らんで夜も眠れません。母とこれからの事を考えると不安ばかりでどうしたらいいのかわかりません 実は妻は養女で母に対して7人めの妹の子で親戚兄弟の中でたらいまわしにされ今の母(父)にもらわれたのですが何かあればいつでも捨てれるんだからと言われてさんざん悔しい思いをしてきたと思います。 それでも長年一緒に暮らしてきた情が捨てきれずどうにかしたいと悩んでいるのです。妻の苦しみを解放させてあげたいです、どう心づもりをすればよいか教えてください、よろしくお願いします。
摂食障害を患って1年半になります。 今は身長169cm 体重46kgです。 食べる前と出した後に体重計に乗り 100gでも増えていると 太ったと頭の中を恐怖が支配し 死にたくなります。 精神科には通院していますが改善されません。 私は小さい頃から食や常識、礼儀など 厳しく躾されてきました。 お米ひと粒には7人の神様がいるんだよと 教えられてきました。 感謝をしながら食べてご馳走様と言う。 摂食障害になるまでは当たり前でした。 それなのに今は無心で食べ物を口に入れ 太る恐怖と食べてしまった罪悪感から ご馳走様も言わずトイレに駆け込み チューブを胃まで入れ食べ物を流す。 そんな真逆な 最低な人間になってしまいました。 食べる自主トレもしましたが失敗続きです。 治したい、でも太るのが怖いという矛盾に毎日苦しんでいます。 食べる事が大好きだったのに 今は何も感じません。 泣きながら食べる時もあります。 美味しいとも思えなくなりました。 食への感謝が無くなりました。 食べる量が凄いのでお金も無くなりました。 元々体重が67kgあり 当時同居していた舅に毎日毎日 ぽっちゃりだと家族皆の前で言われ まだ10代だった私は酷く傷付き ダイエットをし56kgまで体重を減らしました。 それから摂食障害になるまで4年 365日食べ物やカロリーを気にし 食べたい物は全て我慢し過ごしてきましたが 爆発し摂食障害へと繋がりました。 舅に毎日言われたぽっちゃりの言葉も トラウマになっています。 吐き残しがあったのか59kgになったので チューブ吐きへと移行。 するすると体重は落ち 現在の46kgになりました。 最初は痩せたくて出していたのが 自分への様々な矛盾の苛立ち そこから来るストレス 生い立ちが原因の寂しさ、孤独を埋めるため等 ぶつける様に出したいがために 食べるようになりました。 頂きます 美味しいね ご馳走様でした 美味しかったね そんな普通の事が出来ない。 そんな普通の事をまた 出来る人間になりたい。 食べ物を無駄にしたくない。 でも、太るのが怖い。 太っている自分も 出す事前提で食事してる自分も 出している自分も全て醜く汚い。 誰か助けて、救い出してと叫びたい もう、消えたい。