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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 」
検索結果: 6191件

ペットのうさぎが病気

現在7歳くらいになるペットのうさぎについてです。うさぎの寿命は6〜8年と言われていますので高齢の部類かと思います。 昨年末に私に子供が生まれ、今まで一日中構っていたのに最低限のお世話以外あまり構ってやれなくなっていました。 前から目の病気になっていましたが、非常に悪化して直視することが辛い状態です。 病院へ連れて行った所、膿で固まっていた目の周りの毛を刈ることになりました。 皮膚が赤くただれ、ショックで頭が真っ白になりました。 ただれていたのは前からなのに毛で隠れ私に見えていなかっただけですよね。 うさぎは前から痛かったんですよね。 私は子供の世話があると言い訳をして、怪我が悪化しているとは思っていたのにすぐに病院に連れて行ってやらなかった事や、生活が目まぐるしく早く寿命が来て欲しいと思っていしまった事、皮膚のただれを見てもう手に負えないから安楽死させたいと思ってしまった事、そんな風に思いたくないのに思ってしまいました。こんな風に考えてしまうなんて申し訳なくて胸が苦しいです。 私は何度か引越しをしており、その度にうさぎは車での移動や飛行機の移動にも耐え、仕事であまり構ってやれない時期もあれば、専業主婦となってからは自分に時間があるからと一日中構ったり、自己都合で沢山振り回してきました。 私が辛い時にはうさぎを撫でることで癒され、その可愛い姿に気持ちが救われる事も多かったです。 今の状況は見ているのも辛いけれど、最後の時まで面倒を見てやろうと思いますが、保健所に連れて行きたいという考えもよぎる自分が許せないです。 面倒を見ると決めましたが2つの思いで頭が混乱しています。 また、何かと言い訳がましく自分擁護するような発言をしてしまう自分も許せません。 症状が悪化する前から、あまり構ってやれてない事が気がかりで構ってやれなくて寂しい思いをさせるくらいなら早く寿命が来てくれれば、と思ってしまったりもしました。 子供が生まれるまでは永遠に生きていて欲しいと思っていたのに、自分の薄情さにも驚きます。 まとまりの無い文で申し訳ありません。 結局自分が救われたいが為にこちらでも相談しているのですから本当に弱い人間です。

有り難し有り難し 34
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看取りの後悔

先日同居している祖父が亡くなりました。ですが、その時の対応に後悔しています。 私と叔父は看取れましたが、一番祖父と関係が近かった母と祖母は看取れませんでした。 その日、母は買い物をしてから家に帰っていました。いつも通り母が会社からどこにも寄らず帰ってきて、祖母を連れて病院に来ていれば祖父の最期に間に合っていたと思います。 私は医療を学んでいるので、祖父が亡くなる1時間ほど前、祖父の状態の変化から、保ってあと数時間かもしれないと思っていました。ただ、まだ学生なので自信もなく、母や祖母を無駄に心配させたくないと思い、その時点では電話もしませんでした。 今思うと、あの時電話してあげていれば、母と祖母は祖父の最期に間に合っていたのではないかと思います。母も祖母も、あの時買い物していなければ間に合ったと後悔しています。 母と祖母には、異変を感じていたことは言っていません。これから先も一生言えません。墓まで持っていくつもりです。 二人には、祖父は母と祖母に最期の瞬間を見せたくないから、二人以外に祖父と同居している私と叔父がいる時に亡くなったのではないかと言っています。少しでも心が楽になるのではと思ってのことです。 ですが、私の中では異変を感じた時に呼んであげていればと後悔しかありません。 今となっては祖父の気持ちも分かりませんので、母や祖母が死の瞬間を見てショックを受けないようにだとか、急いで来て事故をしないように考えてくれていたのかもしれませんが、本当は祖母や母にそばにいて欲しかったのかもしれません。 母と祖母への対応はこれでよかったのでしょうか。少しでも後悔をしないように、心を楽にしてあげたいです。

有り難し有り難し 13
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皆さんの考える最期の迎え方とは

昨年の秋頃に、NHKのドキュメンタリー『ありのままの最期 末期がんの“看取り医師”死までの450日』が放送されました。医師で僧侶の田中雅博さんが、末期がんとなり亡くなるまでを記録した番組です。 田中さんは「死ぬのは怖くない。看取った患者から死に方を学んだ。」と語っておられました。 とはいえ、現実には思い通りにはいかないこともあり、言葉を失うくらい壮絶な内容でした。 私にも一応、理想の最期のイメージはありました。誰でもいつかは死ぬのだからじたばたしても仕方ない、自分らしく生き、寿命が来たらそれはそれで受け入れるだけだなと。 でも、実際にそれを間近に感じた時には不安だらけ。じたばたしまくり。私はこんなに弱かったのかと愕然としました。 この時は単なる体調不良でしたが、現実は自分が死ぬなんてそんなに簡単に割りきれるものではないことを経験し、分からなくなりました。 「死に行く者の死に方から学べ」と田中さんはおっしゃったそうです。 “人の生き死には思い通りにはいかない。それでも、なるべく冷静に過ごすにはどうすればいいだろう” 今度は慌ててしまわないようにと、以来ずっと考えていますがまだ答えが出ていません。 お坊さんはたくさんの方の最期に向かい合っておられるので、ご自身に関しても既にイメージがあるのではないかと思います。 例えば病気で余命宣告されたとしたら、暫くの間は痛みや不安など心身の変化に耐えることになりますよね。 今回お尋ねしたいのは「最期の、耐えて待つ生き方」です。どのような心境で、どのように過ごしながらその時を迎えようと思いますか? お坊さんとして、でもいいですし、一個人としての思いがあれば教えていただきたいです。参考にします。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 19
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やるべきことが出来なくて苦しいです

父親のDVの中で生きてきて、4.5年前に別居しました。同居時代から心のバランスはギリギリでした。 もとから余裕のある暮らしではないのですが、いま私は奨学金を借りながら、アルバイトをかけもちしながら、年額102万の学費を払って、自分の必要経費や趣味に使うお金を捻出しています。 中学時代、人間関係に失敗し、親友だと思っていた子からずいぶんな言葉で(思い出すのも苦しいです)関係を絶たれてから、ギリギリだった心のバランスを崩しました。 誰にも相談できずに摂食障害になり(高校時代は拒食、いまは過食です)、大学受験も第一志望に数点足らずで落ち、気落ちしていたところに母からも「受験費用を返せ」「学費は自分で払え」と言われ、夜中に声を殺して泣く日々でした。 いまは、バイトで疲れて(母が同じ仕事先なので辞めるに辞められない)必修科目の単位を落とし続けていて、留年が決定しました。 母になんと伝えたら罵倒されずにすむかで悩んでいます。 母は性格がキツイ人で、手始めに人格否定から入ることもままある人です。 精神科にかかれば保険証で母にバレ、罵倒は逃れられません。 どなたかに話そうにも、大学のカウンセラーだと恐らく母に伝わります。そうなると罵倒は逃れられません。 友人には、関係を絶たれてからトラウマで話すことができません。 将来のゆめもあるので、勉強は続けたいのですが、もう心が限界の状態です。 やるべきことができず、やりたいことも少ししか出来なくて、自分がいやでたまらないのです。 希死念慮も強くて、死んでしまえればと考えない日のほうが少ないです。

有り難し有り難し 7
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大切な人を失くしました

10年前 私が20代半ばの頃です。約2年半程 交際していた方が自ら命を絶ちました。当時は 悲嘆に暮れ 絶望感と今までに経験したことのない喪失感でいっぱいでした。 私の言動や行動が 彼を追いつめたのではないかと思い自責の念にも苛まれました。 彼に対して 『何故、どうして?』という気持ちがいっぱいで溢れそうになり 時にはそれが『なぜ私をこんなに悲しませるの』と、怒りになることもありました。 彼がいなくなってからも 私の日常は変わらずにあり 泣いてばかりもいられませんでした。半年も経てば 彼がいない生活にも慣れてしまいました。亡くなってからの一年間は 周りに心配をかけまいと 必死に毎日を過ごしていたように思います。楽しいことがあれば普通に笑えたし、その一方では 死にたいと考えてしまう自分がいたり。今思えば、 常に両極端な緊張感の中にいるようでした。結果 糸がプッつり切れてしまい休職するに至りました。 『時間が経てば癒される』と よく言いますが、三回忌を過ぎた頃からは 彼がいないことに対して寂しくて泣くことは少なくなりました。あんなに毎日の様に彼のことを考えていたのに 自分のやるべきことに追われ忙しい日常にいると すっかり彼のことは忘れていましたし、それでいいのだとも思っていました。しかし そう簡単に割り切れる訳もなく、 少し疲れていたりすると 決まって彼のことを思い出しては悔やんでいる自分がいたのも確かです。 七回忌が終わった頃には 私自身も 歳を重ね 彼の自殺の原因を考えるより 彼が亡くなった意味に想いを巡らせる様になりました。 歳月が流れて 私の気持ちにも沢山の変化がありました。時間はかかってしまいましたが 私なりには彼の自死を消化してきたつもりです。しかし、10年が経とうという今でも あの当時の喪失感だけは拭えません。新しい誰かと未だに向き合えない自分がいます。 また、物にも あまり執着しないようになり、とにかく身軽でいたいと年々 思うようになりました。彼以外にも この数年に大切な家族を立て続けに亡くしたことも かなり堪えています。 すっかり 自分の進むべき道を見失ってしまいました。生きることに執着がない自分自身にも とても不安になります。何か新しく手に入れたり 出会いが生まれれば、そこから貪欲になれるのでしょうか?

有り難し有り難し 5
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自殺してはいけない理由

お世話になります。 今すぐに死にたい、ということではないのですが、 私は、かねてから「自殺してはいけない理由」が分かりません。 遺族や他人に迷惑をかけるから、というのは理解できます。 しかし、生きているほうが周りに迷惑をかけてしまう者もあると思うのです。 私は同性愛者で、家族や伴侶はおらず、 将来、いわゆる無縁死や孤独死を迎えるのは、 ほぼ間違いないと考えています。 交通事故に遭うなどすれば別ですが、 そうそう都合よく、ぽっくりとは死ねないでしょうから、 体力が衰え、あるいは何かしら病を患うようになった頃からは、 例えば地域の民生委員や、市の高齢福祉課などに、 多少なりとお世話になってしまうでしょう。 そのような方々の手を煩わせ、 また、一般の方々が収めた税金を費やすべき価値が、 私の死にあろうはずが無いのです。 さらに、私は低所得者で、蓄えもございません。 つまり、死を迎える年齢の頃には、 金は無いわ身寄りは無いわ、 ただただ扱いづらいだけの年寄りになるのは、目に見えています。 これで認知症を患おうものなら、さらに厄介な存在となるでしょう。 だから、まだ体や頭が動くうちに、 無価値な自分自身に、落とし前をつけたいと考えてきました。 こちらの相談サイトで、 自殺を肯定するアドバイスなど頂けないのだろうと思います。 では、こんなクズでも生きていかねばならない理由を、 私に教えて頂けますでしょうか。 宜しくお願いします。

有り難し有り難し 636
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亡くなった犬への後悔

正直な所、私が殺してしまったようなものです。 幼い頃から犬が欲しくて、小学生の頃にようやく飼うことができました。 犬がシニアになった頃から大きな病気をいくつも患うようになり、この子の為になるように勉強し、動物病院に勤めました。 犬の体調が悪い時は同伴出勤し、入院した時も長く一緒にいられるように8時に出勤・22時過ぎに帰宅したり、特別に医療機器を持ち帰り自宅でも治療をしておりました。 ですが、勤務先でなくかかりつけ病院で大手術を受け見た目が大きく変わった為、職場の方に根掘り葉掘り聞かれるのが嫌で、その後同伴出勤することはなくなりました。 1番苦しいのはこの子なのに、向き合うのが嫌で家に帰るのが辛くなり、夜遅くまで帰らなかった時期もありました。 ある日の朝、犬の食欲が無く体調が悪そうだったのですが、仕事から帰宅後の様子次第でかかりつけ病院へ行こう考えておりました。 深刻さは理解しておりましたが、今までも何度かあったしきっと大丈夫だと思い出勤しました。 この時に職場の人の目を気にせず同伴出勤するべきだったと後悔しています。 まもなく定時になるという頃に、家から職場に連絡が入り、犬が亡くなっていたと知らされました。 家族は仕事や学校でしたので、犬は最後の瞬間もひとりでした。 家には粗相の跡があり、体も汚れ食餌もできていない状態。 孤独で苦痛に耐えていたのかと思うと苦しい気持ちになります。 家族が帰宅し犬を見つけた時、最後の力を振り絞ったのか、一声だけ鳴いたとのことです。 私は連絡を受けた後直ぐに帰宅しましたが、最後の瞬間に立ち会うことはできませんでした。 死後硬直しかけている少し温かい感触を覚えています。 やりたいことを全て楽しんでから後を追おうと考えていましたが、来年も花火を見たいなど欲が出てしまい、後を追うことをやめ数年が経ちました。 ここまて長々と書き連ねましたが、結局は「私はこれだけ頑張った」とアピールしたいだけ。 誰かに「あなたのせいじゃない」と言って欲しいだけなのかと思います。 最愛の愛犬を殺しておいて、自分だけ救われたいだけです。 犬の死にどう向き合い、自分の気持ちにどう折り合いをつけるのが正解なのでしょうか。 いつか、また犬を飼うことは許されるのでしょうか。 貴重な時間を割き、最後までお読み下さいましてありがとうございました。

有り難し有り難し 34
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2025/02/05

旅立ちに立ち会って

昨日、入居者の方がお亡くなりになりました。状態は良かったのです 関係ないと思いますが定期回診で医師からの指示で採血を行なった直後から 容体が少しずつ悪くなり翌日には飲食が出来なくなりました。懸命に生きようとしている姿を見て何も出来ずに見守る事しか出来ない歯がゆかったです 定期的に呼吸の確認をして口腔スポンジで唇を湿らす、舌が傷ついていたので 看護師からの指示でワセリンを塗布したり‥それくらいしか出来ませんでした その方は食事が一部介助ですが自力でほぼ召し上がって頂けていました。食べ終わった物を下膳すると「すみません、ありがとうございます」満面の笑顔で仰ってくれていました。昨日、その方の近くに座っている方の食事介助をしている時に容体が悪くなる前は当たり前のようにいてくれたのにいないことに感情が抑えきれず涙が止まりませんでした。今までもお亡くなりになった方を見てきましたが今回はどうしても蘇ってくるあの日の採血さえなければいてくれたと思ってしまうのです。結果論に過ぎない事は分かっています。人には寿命があるのですが 突然すぎて自分の心が付いていけません。ここまで自分が抑えきれなくなるなんて思っていませんでした。もう、あの笑顔に会えません。お見送りの時は逃げたくなりましたが他のスタッフが「お見送りしてあげよう」と背中を押してくれ 最期を見送れました。今も涙が溢れそうです。何故、今回だけこんなに悲しいのか分かりません。ご家族様にお気に入りのひざ掛けを渡して棺に入れられるようでしたらお願いしますと伝えました。数日後には新しい入居者の方が来ます 今の精神状態で受け入れることが出来るのか‥どうしたら私は今の状態から抜け出せますか?ここまで拘ってしまうのはどうしてですか? 立て続けに最期に当たってしまうのは私の日頃の行動が悪いからですか? どうしても今回の死は私の人生に深く残りそうです。初めての経験で戸惑っています。

有り難し有り難し 22
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