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hasunoha 問答検索結果 : 「生き物 」
検索結果: 1643件

元彼が忘れられません

初めまして 3ヶ月付き合ってた元彼が忘れられません。 話せば長くなるのですが 付き合って2ヶ月目のときに 彼の身内とご飯を食べに行くことになりました。 その時についでに挨拶もしようとのことに。 わたしは今まで彼氏の身内に会って挨拶をするという経験がなく、初めてでした。 周りの人たちに相談してアドバイスを貰ったり じぶんで携帯で調べたりして、自分なりに勉強しました。 周りの人たちからは「彼氏が、彼女やで。と紹介してくれるから大丈夫」とのこと。 まあそんな感じかーと思って行ってみると 紹介もなく普通に家に入って行く感じでした。 自分から挨拶はできましたが。 こういう家庭なのかな? まあ別に普通はこう!とかないしなー と思ってました。 後から彼から聞くと 「あれ、お前のことを試しててん」とのこと。 私はすごく人見知りで 彼氏の身内に挨拶するのも初めてで すごく緊張してました。 その状況の中で自分から挨拶ができるのか試していたらしいです。 ショックと裏切られた感と何故気がつかなかったのかいう情けなさで泣きました。 彼がそういうことをするならと私も彼に冷たく接しました。 電話を適当にしたり。 そんなわたしを彼は 「俺の話をちゃんと聞いてくれない」と。 こういうことがあり お互い好きという気持ちはあるのに すれ違って別れてしまいました。 別れた次の日に電話で話しました。 わたしは3ヶ月やし お互い嫌な部分もちょっとずつ見えてくる時、彼の嫌な部分も良い部分も受け入れていくつもりでした。 でも彼は「お前はそういう人間や。」と無理みたいです。 やり直したいけど無理でしょうか? 彼以上の人を好きになれる自信がありません。 彼には幸せになってほしいと思うのに 私以外の人と...って考えると辛いです。 どんな存在でもいい、セフレでもいい そばにいたいと思うのはダメでしょうか? 別れた日からずっと泣いてばかりで辛いです。

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子供を産むことについての罪悪感

最近疑問に思っている事です。もしよろしければご意見をお聞かせください。 道徳的な視点から見ると、私は子供を産むべきではないと考えています。なぜなら、生まれた子供が幸せになる保証がないからです。 年間80万人が自殺をしているそうです。辛い思いをしている方はもっと多いと思います。自分は幸せだと胸を張って言える方はとても少ないのではないでしょうか。 多くの人にとって人生は苦しみの連続です。この世が天国のような場所ならどんどん産めば良いのですが、生憎そうではありません。多くの問題を抱えていると思います。 反抗期の子供はよく「産んでくれなんて頼んでない」と言いますよね。親は論破したり否定しようとしますが、私は正論だと思います。否定する意味が全く分かりません。自分で勝手に産んだのは事実です。謝る以外の選択肢はないように思います。 結局は愛する人との子供が欲しいとか、自分の子供を持ちたいとか、この限りではありませんが親のエゴで子供が生まれています。 エゴや愛を免罪符にしているとしか思えないのです。 人生は全て苦痛だと言ってるのではありません。もちろん幸せな事もあります。でも苦しい事の方が多いです。 絶対に幸せに出来る、生まれてきたことを後悔させないという保証がない限り、子供を産むことはとても無責任ではないでしょうか。

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子どもの障がいを受け入れられません

こんにちは。 小学生から3歳までの子どもが3人います。 先日、3歳の末っ子の長女が知的障がいを伴う自閉症スペクトラムと診断されました。 手帳を取得、療育に通い、現状できる限りのことはしました。ショックで心身の不調もまだまだありますが、家族の協力の元、心療内科に通院などして毎日を乗り切れています。 現在の娘は内面が幼すぎるからということもあるのでしょうが、素直で穏やかで兄たちからも可愛がられています。 発語はほぼなく、コミュニケーション力の不足はありますが、癇癪や自傷他害などもなく、少し大きい赤ちゃんと言う感じです。成長にまつわる悩みは尽きませんが、かわいい娘ではあります。 しかし、いつか成長して特性が強くなった娘とどう向き合えばいいのか、成長して障害を理解し始めたら息子たちは娘を疎みはじめるのではないか、どんどん定型発達の子どもたちと差がわかりやすくなるたびに周りから心無い目で見られるのではないか、毎日心配しながら苦しく過ごしています。 また、1番の苦しみの理由は自分の中の「見栄」だと思います。家族からも「自分がかわいそうという気持ちが強すぎる」と指摘されています。 上の2人は健常でつまづきなく育ちました。自分はコンプレックスの塊で、くだらないかもしれませんが唯一の誇りが「普通の育児のレールに乗って地域に馴染んだママ」という点ではありました。娘が障がい児だったことでそのレールから外れたと嘆いているのだと思います。 何より「娘」という存在に長年憧れており、自分のエゴと期待を乗せすぎていたのだと思います。母子でいつかたくさんおしゃべりするのを楽しみにしていましたが叶わないとわかり悲しいです。 発達がゆっくりでも世界一可愛い、守ってあげるよ、と思っていたのに診断名と知能指数がついた途端に嫌悪感のような気持ちが湧きました。最低だと思っています。 今でも可愛いと感じる時もあれば、上記のように拒否感の湧く時もあります。 そんな自分のレッテル貼りと見栄に捉われた心持ちを変えるのが一番いいのだとは思います。 しかし、なかなか難しく、近い年頃の子の健常の家族を見ると嫉妬や惨めさが消えません。我が子であるはずの上の2人ですら複雑な気持ちで眺めてしまうこともあります。 どのような気持ちで娘や家族、自分のエゴと向き合って行けばよいか、アドバイスをお願いします。

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夫を心から信じることができず苦しい

結婚して一年、子1人の主婦です。 夫と入籍直後すぐに妊娠をしました。約一年前つわりで苦しんでいる時に夫の行動が怪しく思えてしまい、スマホを勝手に覗いてしまったことが事の発端です。 夫がsnsで女性と電話で卑猥なやり取りをしていることがわかりました。 問い詰めると「やめる、遊びだった」と発言し、私も(女性とはやり取りだけ、妊娠してよるの生活もないし仕方ない)と思い許すことにしました。 ですがその2ヶ月後、共有タブレットから今度は違うアプリでやり取りしていることが発覚。 2〜3度発見しましたが、その時は何も言いませんでした。 時は流れ今年の春子供を出産。これで夫が他の女性とやり取りすることも無くなる、私のことを求めてくれるだろうと思っていました。 しかし、付き合っている時のように夜を求められることはありませんでした。 (夫は仕事が忙しい、私も育児で疲れてるから誘われないのだ)と自分に言い聞かせ寂しく待つか、私が誘うのみの日々。ですが、ついに誘いも断られるようになりました。 (なんでだろう、もしかしてまだ…)そう思いついまたスマホを除いてしまいました。 するといろんな女性(未成年含む)と卑猥なやり取りをしたり、電話したり、写真を買ったりと女性に報酬を払ってまでやり取りするようになっていました。 (夫婦だから見逃すべきなのか…)そう思いましたが流石に無理で、夫に「どうして?」と伝えました。するとまた「遊びだった、もうしない」と言われました。 言葉ではうまく伝えきれなく、暴言が出てしまいそうでその日はあまり深く話せませんでした。次の日に夫から「心の距離があり寂しい、もうしないと」とメッセージが届きました。 返信するには膨大な量になると思い私は手紙で、 ・寝るまも惜しんで子育てしてる辛さ ・やらないと言ったらやるな ・いかに惨めな思いをしたか ・他の女性じゃなくて私に興味を持って欲しい このようなことを伝え仲直りしました。 夫は優しいパパでいい夫だと思います。 ですが、出産してすぐ結婚式前に上記のようなことがどうしても忘れられなく苦しいです。 またやっていそうで月経前に不安になるとスマホを覗く癖ができてしまいました。 昨日、ついに「私は結婚向いてない、信用できない」と言い家庭を暗くしてしまった私ですが、今後仲良くしていくにはどうしたらいいでしょうか。 話し合うべきでしょうか。

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2024/04/25

変わるためには

お世話になっております。 私は現在フリーターとして働いています。 以前は公務員にあたる職業も経験しましたが、大きなストレスや将来への不安から辞してしまいました。 今の仕事の内容は性に合ったもので、勤務時間もそれほど長くないので続けることができています。しかし、その場所での正社員となると業務内容は変わり、働き続けられる自信がありません。 社会的地位の無さや、将来的な不安もあって、他の場所で正社員などを目指すべきだと常々感じています。 その上で、怠惰で傲慢な自分を変えねばそうはなれないと思われます。 それなりの大学を出ましたので、同期や友人などは大手企業や役所などで、立派な仕事をしています。 その為か、プライドが高く、自分が納得できる職業に就こうとずっともがき続けています。 最早自分の経歴では、同期のようにはなれないし、自分が一度目指した場所はとてもストレスの大きい場所で、戻る気にはなれません。 自分がしたいことを職にできるならば、自分を許せる気がします。ですが、自分のしたいことさえ最近はよくわからず、考えても考えても答えが出ません。 勿論、この考えが傲慢であることは理解しています。一度逃げ出した奴が何を今更、と客観的には思います。 ですが、そんな自分を変えることができないのです。無理に変えることも考えましたが、それは自分を捨てることになる気がします。 私はおそらく変わらねばならないのでしょう。けれど、現状はだらだらと同じ場所に居続けてしまっています。 どうしたら私は変わることができるのでしょう。

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罪悪感に押し潰されそうです。

無職の人間です。 少し前まで、医療福祉系の仕事についていました。 体調不良やミスがかさなり、退職しました。 時勢柄、誘われても会食や県外への越境を断っていました。 ただ買い物や寄り道は電車を使ってしていました。 最近咳が続くため、近医を受診したところ、新型コロナは陰性でしたが、別の肺炎との診断がありました。 現在療養しており、体調自体は大したことないのですが、もしかしたら新型コロナであったかもしれない、何より誰かに感染させてしまったかもしれないと罪悪感に苛まれています。もっと自粛していれば、手洗いとうがいが甘かっただろうか、不規則な生活リズムになってしまったため、体調管理が甘かったのでは、と考えています。 また、前の職場の方が懸命に働いているときに、ごろごろしていたことで罰があたったのだと思いました。 他の職種を目指す矢先だったので、ある方に医療福祉の道を再度目指しては、といわれたことに反しており、そちらの道にいくべきという示しなのかと考えています。 誰かを傷つけたかもしれないということから、どう罪をつぐなっていったらよいか、ご教授いただけたらとおもいます。

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頻繁にこの世から消えたくなります

5歳と2歳9ヶ月の姉妹の母です。専業主婦です。 次女が一歳半の時に自閉症スペクトラムと診断され、そこから週に4回療育通いをしています。 療育に行くことで少しずつですが成長しているとは思いますが、他の同じ年頃の子と、比べるとまだまだ赤ちゃんのようです。長女と比べると色々と神経質でやはり育てにくいです。 次女は姉に興味がなく、姉も最初は一緒に遊ぼうと色々奮闘していましたが、次女が嫌がったり無視をするので、今は毎日のように「次女ちゃんは嫌い」と私に言ってきてそれも辛いです。 公園で同じ年頃の兄弟が楽しそうに遊んでるのを見ると悲しくなります。 私は障害のある次女にとって1番良い選択をしているつもりです。(療育に通う等)しかしその一方で障害のことをまだ受けとめきれていない自分がいて苦しいです。 月に一度心療内科に通いながらなんとか家事育児をこなしていますが、ほぼ毎日この世から消えて無くなりたいと思ってしまいます。 でもそうなると母のいない子供達になってしまう。子供達が不幸になってしまうし、夫は生涯私のことで苦しめてしまうと思うとそんな無責任なことはできません。 毎日消えたくなるくらい辛いです。 一体どういう心づもりでいたらもう少し楽に生きられるのでしょうか。

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食べ物の好き嫌いについて

小学生時代に経験したことで今でもあまり納得していない、疑問に思うことがあります。 誰でも経験された事かと思われますが、小学生時代に給食を残さず全部食べないと帰れない等といったルールを押し付けられたことに関してです。 私にはある嫌いな食べ物がありどうしても食べられません。※アレルギーではありません。 当時、給食で教師にその食べ物を強制的に食べさせられましたが非常に気分の悪い思いをして精神的に強い苦痛を感じたことは今でも記憶に残っております。 尚、これまでの人生においても何度かチャレンジしましたが、今でも味や匂い全てにおいて克服することができていません。 それがきっかけで嫌いになったわけではなく、元々苦手なものなのです。 今あるかどうかはわかりませんがこういった指導方法に対して私は今でも疑問に思っています。 苦手な事はストレスをためてでも乗り越えなければならないといった社会の厳しさのようなものを教えようとするならばまだ早すぎる気がします。子供はそんなこと気付きません。 努力すれば克服できるといった精神論・根性論的な事であれば運動部の部活で水分補給をさせずに死なせるような事と同じで重大な事件・事故にもつながりかねないと思います。 嫌いなものを無理矢理食べさせたからといって、その食べ物の美味しさに気づきませんし不味いものは不味いです。 20代になった現在、私自身できるだけ出された料理は作り手や、食材(生物)、そして飢えがなく食べられることへの感謝の意をこめてできるだけ残さず食べようとしますが、 苦手なものはどうしても苦手なので食べられずに残すことはあります。 ※状況により、嫌でも無理矢理流し込む場面もあります。 肉・野菜・魚等好きなものは多いですし、嫌いな物でも大人になってから自然と好きになったものもあります。 ですがその時の教えが役に立ったとは思いません。 果たして嫌いな食べ物を残すといった行為は悪いことなのでしょうか? 嫌いなものをできるだけ減らせたら良いのはわかっていますが、人間ですので好き嫌いは多かれ少なかれあるはずです。 その教師らも好き嫌いはあるはずです。 どうしても嫌いな食べ物を食事で出されたら、皆さんはどのようにされていますか?

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生きているうちに劣等感の克服はできるのでしょうか

はじめまして。 色々と思い詰めてしまい、どうしても誰かに話しを聞いてほしくて投稿します。 私は、発達障害を持っています。 大人になって色々と問題が大きくなり、発覚しました。 それもあり、今とても生きづらいです。 障害の特性もあり他人とのコミュニケーションが上手くいかず、相手の意図を正確に読み取れずトラブルを起こすことが多いです。 幼い頃からそういうトラブルをくり返した結果、虚言癖や逃げ癖がしみつき、それがさらにトラブルに繋がるような始末です。 そして、トラブルがトラブルを呼び、どんどんと自分自身に劣等感を感じ、それにより絶望感を募らせ、すっかり悲観的になってしまいました。 今はそこから抜け出すために、自分の特性と向き合いながら、過去の人とのやり取りで傷付いた自尊心を育てつつ、どうにか人並みに過ごせないかと苦心しているところです。 ですが、向き合っても対策をしても、自分の悪い所は無くなる気がしません。 むしろ酷くなってる気さえしてきます。 「こんなに努力をしてるんだから!」と周りにひけらかしたり、気が大きくなって突拍子の無いことをして迷惑をかけたり、かと思えば、それを後悔して絶望感を感じてなにもかもから逃げだそうとしたり。 先日も自分の振る舞いで友人を2人ほど怒らせ、トラブルになりました。 それでも、ひたすら向き合って、支えてくれる友人や家族のために生きなければと思い、努力をしているのですが、どうしても不安になってしまいます。 「これはいつ終わるんだろうか」 「向き合うことはこんなにも苦しいのに、いつか軽くなることはあるのだろうか」 「本当に努力をすれば人以下から人並みになれるのだろうか」 「もういっそ努力をやめて、他人に依存し責任を押しつけるような、ずるい人間として生きた方が楽なのでは」 そんな考えが頭に浮かびます。 どうしても、自分が居るだけで他人に迷惑をかけてる気がして仕方ないです。 「それも低い自尊心のせいだ」と、自分と向き合って誠実にすごそうとしていますが、それでもやっぱり心が折れそうです。 この努力は本当に報われる時がくるのでしょうか。 劣等感が消え去り、心の重荷がとれるのを感じる事はできるのでしょうか。 どうしても諦めそうで、逃げてしまいそうで辛さを感じています。 助けて欲しいです。

有り難し有り難し 19
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職場に行くのが怖い

初めまして。 早速なのですが相談があります。 自分の仕事の作業のスペースが遅すぎて上司の人に何回も注意されました。 そのほかにも、同期に抜かれ、後輩にも抜かれ、 会社に行くのが怖くなり辛いです。 上司の人の顔色ばかりここ最近気にしてしまってい、緊張してしまってその上司の人達の前では声が小さくなってしまいました。 今は大丈夫なのですが、また会社に行く前に吐き気がでないか心配です。 会社のひとに 「あなたはブラックリストに入っています。 もう半年経つのに一向に成長してない貴方はなんの役に立つの?と上の人達が言っていますよ」と言われました。 やりたいとおもっている分野にまだ私のスキルでは入れてはもらえず…代わりに後輩がやりたいとおもっている分野をやらして頂いてて密かに嫉妬してしまいます。 私には強く「これ変でしょ?笑」というのに、同期の人には言ってないというのも疑問に思ってしまいます。私が注意されてる所も同期の人も同じくしているのにも関わらず何も言わずそのまま納品している状況がとても不思議に思います。それと同時になんで私にはきつく、過剰に反応しているの?という気持ちになりました。 やりたいと思っている仕事には入れて貰ってないので、まだ続けていきたいとは思うのですが、かなり不安です。 今の現状を変えたいです。どうしたらよろしいでしょうか?

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「学校へ行かない」という考え方

こんにちは。 初めて相談させて頂きます。 私は近畿地方で不登校児やひきこもり児などをメインにした家庭教師の副業をしております。 多くの生徒は、それぞれイジメや人間関係に悩み、さまざまな理由で学校へ通うことを拒否、あるいは否定的に捉えており、課題は山積みです。 ほとんどの場合、学校や教師の方々、生徒のご家族は「学校へ行ったほうが良い。少しずつでも良いから」という標準的な考え方のもと、彼らを見守っています。 私も、もちろん学校へ通うということは大切かつ重要な思春期の活動のひとつだと考えておりますし、指導する生徒たちへは前記の通り「ちょっとずつ、自分自身で」をベースに、学校へ復帰することを促しています。 しかしながら、私自身は中学校へも高校へも行っておりません。 過去人間関係に躓き、学校そのものが嫌で嫌で完全な不登校状態に陥っておりました。 その後大検に合格し、人より少し遅れて大学へ進み、なんとか人並みの人生を送れているように思います。 そして何の因果か、かつての自分のような生徒たちにアドバイスするような立場になってしまいました。 なので私は自身の経験からも、不登校支援の標準的考え方である「学校へ行く」ことだけが答えではないと考えるようになりました。 どうしても学校が嫌いだ。行きたくない。という生徒に対し、「それでも、ちょっとだけでも」と薦め続けるよりも、むしろ「行かなくても良い。その代わりに」という代案を提示するのも手ではないか、と思うのです。 ですがそれは、セオリーに反します。 あくまでも十代は学校で生活し、同年代との経験を積み重ね、そして社会への階段を登ってゆく……これが、やっぱり理想形です。嫌なことはあったけど、今はなんとか通えてる。これからもぼちぼちやってけそうだ。それくらいが一番のハッピーエンドなのは明白です。 しかし延々と「行きたい」「じゃあ行こう」「やっぱり嫌だ」のいたちごっこを繰り返す子には、「では、行かないというのはどうか」という提示もありなんじゃないか……。 まとまりの無い文章で申し訳ありません。 端的に申しますと、狭い世界で心を閉ざしてしまった十代の人間に学校という場所、学生という身分を外れ、違う歩き方もありなんだよ、と教えてしまうことについて、みなさまのご意見を賜りたく存じます。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 37
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