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hasunoha 問答検索結果 : 「 宗派 」
検索結果: 2817件

仏の道を選ぶ事は今からだと遅いですか?

現在、父の会社で働かせてもらってます。 祖父が創業した小さな会社ですが、後継者不在という事から、近い将来会社をたたむという事も視野に入れておかなくてはいけないと思います。 父は70代ですが、今のところ全くその事を考えている様子はなく、この先どうするかさえも考えていないようです。 自分が死んだ時に会社をたたんで欲しい…そんな印象が今のところあります。 本当はそれでは困るのですが… もし会社が無くなったら、仏様に仕えたいという道を選びたいと思っているのですが、40代からのスタートは無謀でしょうか? お寺運営の保育園に通ったり、お寺に貢献していた祖父に連れられ、行事参加や墓参り・法要にも頻繁に参加していましたので、幼い頃から仏教には親しみがあり、仏様への関わりは歳を重ねてからも多少あります。 ただ、仏教関係の学校は出ていないため、専門的な知識や資格は一切持っていません。 昨年、死ぬまでに必ず訪れたいお寺を訪れた際、安堵感と共に、心がグッと引きこまれるものがあって… 何と言いますか、言葉に表せない思いで涙が出ました。 これが仏様に仕えたいという思いを強くさせたのだと思います。 僧になるまでは大変困難な道を歩まなければいけない事は存じております。 やはりお寺関係者や若いうちから経験を積まないと僧になる事は厳しいのでしょうか? 甘い考えとお叱りを受けそうですが、ご回答いただけるとありがたいです。 どうぞよろしくお願いいたします。

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得度・出家、単立寺院について

はじめてこちらに質問させていただきます、菩提心です。 現在、一切衆生の救済の為、また困っておられる方、悩みを抱えている方をお救いしたく、僧侶の道を志している者です。在家の者なのでなかなか師僧に巡り合えず難儀しております。いくつかの寺院の御住職に相談にのっていただいたりはしているのですが、基本的には「またいつでも参りにおいで」という感じでなかなか師弟関係を結べずにいます。まだ機が熟していないのかはたまた縁が巡ってこないのか、とにかく現在はそんな感じです。とにかく師僧の方と巡り合いたく、現在自分に行をかして(近所の寺院に100日間毎日参拝して一回15分程度読経しております)おります。また、これから先の人生、縁がなく師に巡り合えなかった場合、最終手段として単立寺院で得度出家を考えているのですが単立寺院での得度・出家には問題が(意味が)あるのでしょうか?もちろんその場合はいいかげんなところではなく、きっちりとした修行をさせていただける寺院様を探すつもりです。一応2件ほど常時得度・出家・伝法灌頂まで受けさせて戴けるお寺は見つけています。 ちなみに得度から伝法灌頂の最後まで諸々の費用は40万から50万程かかります。私自身、まだ20代後半とまだまだ人生経験の浅い青二才ですが、これまで様々な苦労や苦痛にさいなまれながらも生きてきました。なので、自分と同じように苦しんでいる方々を仏教を通してお救いして差し上げたいのです。また仏教の尊い教えを一人でも多くの方にお伝えしたいです。 なので、どうしても僧侶になりたいのです。ちなみに自分は真言密教が大好きなので、真言宗の僧侶になりたいです。とりあえずは単立寺院での得度出家に関してアドバイスをいただきたく存じます。長文になり誠に恐縮ですが、どうかよろしくお願いいたします。

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生きやすさを求めて生き続けながらもがく?

私は40代独身者です。 考え方や性格の関係もあって、人とのつながりを継続するのがなかなか難しく、社会的孤立の中でどうにか生きてます。 つながりのほとんどはネット上にしかないなか、わずかなつながりに依存しているのですが・・・・ つながっている人たちは、おおむね何十~何百人とつながりがあり日常的に連絡しあっているようで 自分よりは孤立はなさそうに見えます。人生が上手くいきだした方もいます。 年に数回、彼らと会う機会があり、その時にもそう感じます。「生きづらさ」での仲間たちです。 最近、その彼らたちと自分を比較して、非常に心が苦しくなることが増えました。 比較しても勝ち目のない人たちなのは分かっていますが、眠りから覚めると途端に比較が始まります。 自分が眠りから覚めなければよいのにと思ったりします もともと自死・安楽死や死後の世界にも興味があります。 ある著名者の方がこんなことを話しておられました。 「これまで多くの相談者が「死にたい」と口にし、助かっても「なぜ助けた」と苦しむ様子に向き合ってきた。 結論から言うと、それでも生きた方が良く、生きることを阻害する要因を減らすことに注力した方がいい。 つまり、死なない方がいい。生きやすさを求めて生き続けながらもがいた方がよい」 生きづらさの原因が自分自身にある場合、自己否定や寿命までの年月を思うと、耐えきれない思いに苛まれます。 私のような人は、案外少なくないだろうと思います。 先の著名者のような「生きやすさを求めて生き続けながらもがいた方がよい」考え方は、仏教でも同じような教えになるものなのでしょうか? ある書では、カルマというものがあり、死んで楽になることはなく死後も苦しみはついてまわるとありました。なにか関係ありそうでしょうか? 自分を変えることとは、高額な医療費や、生涯お世話にならなければいけない支援者と密接に関係があると思います。 そんなお金やコネはありませんが、訪ねてみるべき場所などあるなら行ってみたいとは思います。 よろしくお願いします

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やりたいことが見つけられません

こんにちは。 初めて相談させていただきますが、他の方々のQ&Aはよく読ませていただいています。 私は20代の大学院生です。 大学卒業後、しばらく会社員を経験して、現在に至ります。 表題の件、私はこれまで一度も、 「これで生きていこう」というような決意が出来たことがありません。 やりたいことがわからないなりに、色々努力はしてみたつもりでした。 会社員時代は出来るだけ色々な業務に触れるようにし、 世間では難関とされる資格をとってみたりしましたが、 そのまま会社で歳を取ることが虚しく思え、 今度こそ、「これが私のやりたいことだろう」と思った分野の大学院にきましたが、 的が外れたようで、興味や自分がやる意義は日々薄くなっています。 せっかくこの分野に挑戦できる環境にあるというのに、このように考えてしまい、 最大限に研究を頑張れていない自分も情けないです。 大学院の修了(来年3月)が近づいてきており、今後の仕事を考えなければいけない現在、これ以上どの方向性で何を頑張ればいいのか、思い付きません。 本を読む、年上や他業界の人に話を聞くなども試しました。 正直にいうと、これからまた努力する気力もなくなっているというのもあります。 疲れてしまいました。 好きなものを仕事や人生の目的として考えられると良いのだろうとは思いますが、 年々好きだったことに興味がなくなってきています。 趣味として続けているものが一つだけありますが、 現在はなんとか惰性で続けているという感じで、それすら以前のようには好き、楽しい、とは思えません。 (大学のスクールカウンセラーなどは何度か利用したことはあります。 病院で処方される薬の服用を勧められましたが、 調べたところ、そういった薬は長期的な服用が必要になるということが気になり、 私はまだ病院には行っていません。) 何か一つ人生の目的、やりたいことがわかれば、 興味ややる気も持てて、生きていることに納得もできるのだと思うのですが、 どうすればそこに近づけるのでしょうか。 何でも構いませんので、今の私に、どうかアドバイスをいただけませんでしょうか。 最後まで読んで下さってありがとうございました。 よろしくお願いいたします。

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曹洞宗と日蓮宗。善い行い悪い行い。

以前、仏教とは?と質問させていただいたものです。沢山の回答がありまして、その中に仏教とは善い行いをするためにする事とあったので、善い行いを心がけてますが、毎日仕事をしていて、雑草を抜いたり、害虫を殺したりしています。お客様や職場の人は喜びますが、これって仏様からみたら善い行いなんでしょうか?また、私の友人の住職は善い行いをするのではなく慈悲の心でする事瞑想をとうして、仏様が私の心になる。とおっしゃっていました。心が瞑想すると第4図という好き嫌いの心から、慈悲の心になるそうで、例えば誰かに刺されたとしても心は穏やかなままになるそうです。その方は曹洞宗です。友人にさそわれ私が信仰していた日蓮宗系なので、お経を毎日あげる事で先祖が喜んで力をかしてくれるという教えでした。わたしは今はお金がかからないので曹洞宗のお寺に行ってますが、日蓮宗が間違えではないと思うので、曹洞宗のお坊さんが読んでる般若心経を譲ってもらったのでそれを毎日よんでます。日蓮宗が間違ってるとは言わないですが、その団体の独自の解釈で抜粋されたお経はスッタニパータ読む限りではずれているので。本物の日蓮宗のお坊さんとは出会った事がないので、自動的に私は曹洞宗になってしまったというか檀家なのでお墓は曹洞宗のお寺なので、わざわざ、変える必要もないというか、遠くてお墓参りにいけないんならいくら日蓮宗のお寺さんにしたいといっても先祖も自分も喜ばないと思います。うちの近くの曹洞宗のお坊さんいいかたですが、日中ずーっと瞑想して座ってるだけの日もあるんそうなんですが、日蓮宗系のお坊さんからしたらお経も読まないで何してんだ感じだろうけど、そのプロセスの違いだけなんだと思います。何を信じたらいいかわからなくなる時もありますが、慈悲の心になればいいし、先祖も大切に生きていきたいです。

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一切皆苦の中で幸せになる道とは?

ご覧いただきありがとうございます。 これからの生き方を考えていく中で、一切皆苦という言葉に出会いました。 この世が一切皆苦、思い通りにならないことばかりであるなら、なにも持たない人が一番幸せということになりますか?例えば、天涯孤独で、夢や目標は特になく、その日を暮らせるだけのお金を持ち、日々目の前にあるものを受け取っていくだけの人が一番幸せなのでしょうか? もしそうだとするなら、大切な家族、友人に恵まれ、仕事も財産もあり、夢や目標に向かって日々努力して生きる人のことを素晴らしいと思うのはなぜでしょうか? 今まで、夢や目標をもち努力することは良いことだと思ってきました。でも、一切皆苦という言葉を知り、夢や目標を目指すことをやめ、自分に巡ってきたものだけを受け入れていく方が幸せでいられるのかなと思いました。 でも、それは今までとは真逆な生き方なので、本当にそれでいいのかわからないでいます。がんばれば何とかなる未来もあるのではという思いもあります。 一切皆苦を理解していれば、結果たとえひとりぼっちでも貧乏でも平気になるのでしょうか? 正しく理解していない部分があるかと思います。勉強不足で申し訳ございませんが、勘違いしている部分があれば教えていただけませんでしょうか? 何卒よろしくお願い申し上げます。

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報われる日はいつかくるのでしょうか

去年、私は死にたいと思う日々が続き、半年間塞ぎ込み、仕事をやめてしまいました。 もう2度と男性をすきになることはないと、諦めておりました。 しかし、時間がかかりましたが、気持ちの整理もつき、また新たに大好きな人ができ、一年程片思いをし、念願のしあわせを見つけることができたはずでした。 苦手だった、人と向き合ったり本音で話すことを、この方と付き合い、将来を見据え、深い愛情を持ち、全力で向き合うことで克服できたように感じていました。 しかし、幸せは長く続きませんでした。 お付き合いをし、3ヶ月ほどで好きになれなかったから別れたい。と言われてしまいました。 たった3ヶ月でしたが、幸せでした。 でもたった3ヶ月で何がわかるの?と納得できない自分もいて、別れたがっている彼に嫌だと泣いて縋ってしまい、異常だと言われてしまいました。 スタートからお互いの温度差はありましたが、まめに連絡をし、彼女として扱ってくれ、向き合おうと試みてくれました。本当に感謝しています。 旅行やキス、毎日のメール全て愛おしく、忘れられないです。 突然に別れを告げられ、やっっと手にした幸せなのに。 結局またひとりぼっちになり、愛しましたが愛されなかったと悔しいです。 彼のしあわせを願っているはずなのに、手放せず 苦しいです もう傷ついたり、1人になりたくない。 見捨てないで そんな気持ちで将来が不安で耐えられません しあわせになりたい一心なんです。 彼が今度は大好きな彼女ができ、大切にし結婚する姿見たくありません。 どうしたらよかったのですか うまく気持ちを言葉にできません

有り難し有り難し 31
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