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hasunoha 問答検索結果 : 「 宗派 」
検索結果: 2840件

お坊さんとの出逢いかた

お手間をおかけいたします 読んでいただけたらありがたいです。 私は40代という大きな年齢なのですが、まだ結婚を望んでおります。 これまでいろいろな職業のかたと出会い、恋愛などもしてきました。 結婚が遅れている理由はよく聞かれるのですが自分でもわかりません。 ここ数年はお坊さんという職業に憧れを抱いており、お坊さんを見かけると何故か安らぎを感じ、他の男性に目をむけることができずにいるのもあります。 数年前、法事でお寺に出かけ、いつも耳にするお経がとても居心地よく感じ、それからお坊さんに憧れを抱くようになりました。 普段の生活からお坊さんと個人的に知り合う機会は全くなく、インターネットで調べて婚活パーティーがあるときにはお知らせをいただけるように登録はしているものの、未だに参加したことはない状況です。 このような大きな年齢で、お坊さんに限らず結婚を望むなんて厚かましいので周りの人には婚活をしていることも隠しています。 お坊さんはどのようにして結婚までたどり着いておられるのでしょうか。 一般のかたと交流できる場はあるのでしょうか。 私はできればお寺に嫁ぎたいと考えております。 お仕事の大変さもインターネットで調べ、理解しております。 教えていただくことができればありがたいです。 よろしくお願いいたします。

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姉の孫が9か月で突然死しました

数か月前、姉がリサイクルショップで購入した数珠を使っていると相談し、気にする事はないとお言葉を頂きました。有難うございました。 一週間前に姪の次女が9か月の命を閉じました。原因不明で、朝すでに硬直が始まった状態だったそうです。姪から連絡をもらい火葬に立ち会ったのですが眠っているかのような安らかで可愛い表情をしていました。姪は4歳の長女とお腹に6か月の子供がいます。あまりにも深い悲しみから少しでも早い立ち直りを祈るしかありません。子供たちのためにも。 父の時と同じく、葬儀もお経もない火葬だけの送りでした。初七日やその他の儀式も一切する気はないようです。 父が亡くなった時、姉夫婦に「葬儀屋やお坊さんにぼったくられるだけのものだからいらないよ」と猛反対されて反論できませんでした。 でも、納骨の際はお坊さんに来てもらいましたし、月命日前後には母と二人で墓参りには行っていました。ところが、一周忌が過ぎても父の気配がすると(父が使っていたベッドをひっかく音など)母が気持ち悪がるので、姉に内緒で知り合いのお坊さんにお経をあげてもらいました。一か月程読経を続けてくださったそうです。それから、空気が軽くなったと言っていました。(一周忌にはお経はありませんでした) 幼児は穢れがないので、成仏が早いと聞きますが、このような見送りで父のように迷うことはないのでしょうか? 今私が姪のために陰ながらできることは有りますか? 小林正観さんの「ありがとうの神様」という本に{幼くして亡くなった子どもは、「神様」に近い存在。だから、悲しまなくていい}という文章を見つけ、姪に本をあげました。

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出家すべきか?

お世話になっておリます。 在家の人間が出家してお坊さんになることについて相談させてください。 私は現在、32歳の会社員として働いています。 昔から人よりいろいろな面で劣っていると思うことが多く、孤独感を感じたり、生きる意味がわからないなどがあり、出家するという事に強い興味がありました。(もちろん、出家したからといってすべての辛さから開放されるとは思っていません。お寺も組織ですし、人間関係の辛さ、修行の辛さもあるだろうとは認識しています。) 日々生きていく中で、どうしても何か大きな目的を求め続けてしまうのです。これは何の意味があるんだろう?いずれ死んでしまうのに、確実で変わらないことなんて無いのに、と考えてしまい、心に大きな穴が空いていてそこから生気みたいなものが抜けている感じです。 仏教や禅を本などでは学んでいますが、やはり体験にまさるものは無いのでは、と考えています。出家して修行したい、そうすべきなのでは?と考えることが最近増えています。 皆様の出家に至った経緯や、その時の心境、出家するということについて、ご意見をいただけますと幸いです。 何卒よろしくお願いいたします。 以上

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現世利益とは何ぞや?仏教、信仰のマコトとは?

いつもお世話になっております。 護摩は祈祷でも呪力でもなく、仏への供養であるとのご回答、大変勉強になりました。 私は生意気ながら、昨今の「信仰」について、地味に疑問を感じています。 ✳︎ お寺の願い札や絵馬を見ると、 「あいつに天罰を!」「高収入!」「背後霊消して!」など、なんだかちょっと違うんじゃ?と言いたくなるような内容の物を多々目にします。 自分の願い事を叶えたいが為に他のご信徒様のお気持ちを蹂躙するような行動を取る方、ご迷惑を考えない方も見かけることがあります。 ✳︎ 私の考えとしては… 願い事、成就したい物事は神仏ではなく、自分の力量や努力、その他外的要因に左右される。 また仏とは、素直に甘えさせてくださる存在、 遠く、堅苦しいように見えて実はとても身近で優しい、信じる人たちみんなの親のような存在… 荼枳尼天さんも、歓喜天さんも、供養法や何かを間違っても祟ったりなんかしない…… なんじゃないかというのが正直な意見です。 ✳︎ なんだか、ああいう自分自分!した願い事、神頼み的な物を見ると悲しくなります…。 この人たちは、本当に信心があるのかと。 先生方は、どう思われますか? お答えをいただけたら嬉しいです。

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