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問答一覧
2024/09/29

友人と距離を置いてしまう

22歳です すごく仲が良かった友人を苦手にはなったことがこれまで3回ありました。 中・高校→専門→社会人と環境がかわって1年たったぐらいのタイミングで、環境が変わる前にすごく仲良かった子を苦手になることが多いです。 環境が変わり、わたし自身が変わってしまっているのか、相手が変わってしまったのか、これまで見えていなかった相手の一面が見え始めただけなのか、はたまた私自身に何か問題があるのか、で悩んでいます。 3回目なのでもう、わたし自身に問題があるのかもしれません... 友人に苦手意識をもった理由は 1人目は、10年以上の仲だったけど環境が変わる事に相手から私に対する想いの重さを感じてしまい、それを負担に思ってしまったこと。この人は言うことを聞く私が、共感する私が好きなだけなんだろうな、と感じてしまったこと。 2人目は友人の異性関係の変化、、、その友人の好きなところは異性関係なく分け隔てなく同じように明るく振る舞うところと、人に対して悪口を言わないところでした。 しかし、その友人に彼氏ができて、彼氏への不満の話しばかりになること、浮気まがいのことの話をきくこと、異性関係がだらしなくなること、彼氏に対してもそうですが、色んな方面への愚痴が増えたことにモヤモヤしてしまい始めました。 3人目は医療の専門学校で仲良くなった子です。社会人になり仕事への向き合い方にモヤモヤしてしまいました。私は社会人になって一緒に学び合いたかったので、そこが悲しくて...。 モヤモヤがつのり、だいたい1年モヤモヤが変わらず続けばあるタイミングからぷつりと、なにかの日を堺に会いたくない、その子のことが頭に浮かぶと気分が重くなる、連絡手段を消去したくなってしまう、一緒の空間にいても冷たくしてしまうという現象におちいってしまいます。 こういうのやめたいなって思うけれどどうしても、体と心が拒否してしまうんです... しかもそれについて考えてると、その子に関してのことだけでなく、身の回りの生活の全てのことがおもくなっちゃうんです。 今までは、縁だろうとか、環境が変わったからしょうがないとか思っていたけど、3回目なのでこの先が不安です。だれとも長い関係が続けられないじゃないのかと、それは私に問題があるからなんじゃないかと。 対処法と客観的な意見があればぜひ…

有り難し有り難し 4
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2024/09/29

独身である事の劣等感

私は、30代の時に大病をし 治療を優先した為、婚活を中断せざるを得ず 年齢的にも子供を望めなくなりました。 精神が極限状態だったので、人間不信にもなり 今までの人生で最大の絶望を味わいました。 周りの同世代は子育ての真っ最中で 飲み会では家庭の話中心です。 仕方のない事ですが話にはついていけません。 病が無ければ、早く結婚していれば・・・と辛くなってしまい 虚しい気持ちになる日々です。 子供が居る場に行っても同様で 酷い時には涙が出てしまいます。 元々、子供はそれほど欲しいとは思っていませんでしたし 結婚に対しても憧れなどありませんでした。 でも本能なのでしょうか。 家庭があって子供が居る人生の方が 幸せだったのではないかという後悔が 今になって出てきています。 私自身、親族が多い中で育ってきたので 子孫が残せない、親に孫の顔を見せる事が出来ない事が 情けなく感じます。 病気の前の様に明るく振舞えず 人間不信が治らないので、この様な悩みも 理解されない気がして他人に話せないです。 これからでも人生のパートナーは欲しいのですが 自信がありません。 前向きに生きる為にアドバイスを下さい。

有り難し有り難し 6
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2024/09/29

トラウマと負の連鎖について教えてください

詳しくは書けないですけど、当時の父の心情や諸々の理由から自死だと私は確信しましたが、でも母と弟は頑なに認めず周囲に不慮の事故死だと説明してました。 生前の父は普段は寡黙でしたが、毎晩家で大量の飲酒をして酩酊状態でコンビニや行きつけの呑み屋まで行こうとしたり(さすがに車には乗りませんでしたが、自転車で蛇行運転して警察のお世話になった事が何度かありその度に私と母が迎えに行って謝りました)、友人や親戚に片っ端から電話を掛け朝方まで長話に付き合わせたりしてました。 それでも、私達に暴力を振るったり仕事を辞めたりしなかったのは不幸中の幸いだと思ってます。ただ、父は最期まで精神科を受診せず、代わりに(?)母と私が通院し、私は通院してた病院が最近閉院してしまって以来、どこにも通えてないですし薬も服用していません。 弟は父がまだ生きてた頃には既に自立してましたし、今は家庭を持ってますけど義妹(弟の妻)とは結婚どころか交際を始めたのは父が死んだ後です。なので彼女は父の事は一切知りませんし、母の介護にも非協力的です。 実は父は自分が亡くなる50年前に大学の同級生が命を落とす現場に居合わせていて、その方とは死因や状況がほぼ同じだったため、葬儀に参列した一部の友人が『あいつは◯◯(前述の若くして命を落とした友人)にこの50年間恨まれ続けてたに違いない。だから◯◯があの世に連れて行ったんだ‥。』とヒソヒソ言い合ってたり、中には母がその事実を知らずに父と結婚したんだと思い同情した人もおりました(何を思ったか、葬儀終了後に母に直接伝えに来たので)けど、母は『そんなのとっくの昔に知ってた。でもその上で私は一緒夫の側にいようと、むしろ自分の愛の力で死にたい気持ちを払拭させてみせよう!と決意したんだから後悔してない。』と、泣きながら話していました。 ですが、それが母の本心だったならあまりにも軽率というか、正直浅はかだなと思いました。 母は加齢と共に希死念慮が年々強くなり、同居する私の手に負えなくなりつつあります。私は独身なので、可哀想ですが近い将来施設に入れる事も考えてます。 浴びる様に酒を呑んで大勢の人に迷惑を掛けて身体も壊して、最終的に親友と同じ死に方をした父は、今度は私や母を道連れにする気でしょうか? 私は別にいつ死んでも構わないんですけど、死んでからもこれ以上母を苦しめるのは許せません。

有り難し有り難し 5
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2024/09/29

気まずくなってしまいました

1ヶ月前、グループで旅行に行ったときのことです。 朝食のとき順番に調理していましたが、なりゆきで、Aさんと代わろうとして、キッチンに立ち調理したものを運ぶと、『思ってたのと違う』言いながら食べられました。 『こんなふうに食べたい』とか前々から言っていたので、そのとき思い出せず調理してしまったので私も悪いです。 ですが、そのときに『自分でやるから代らなくていい』とか何か一言言ってほしかったし、調理の途中で代わったので、私が仕上げをカバーした部分もあります。 その後、少し気まずい感じになってしまいました。(気のせいかもしれませんが) 残りの旅行の時間は、少し距離を保ちながら、やり過ごしました。(会話もできるときはして、近すぎないよう意識して) 何とか終わりました。 その後、少し期間をおいてまたグループで会う機会がありました。 直接個人で話すことはなかったですが、皆と話す中で、視線が合ったりしたので嫌われてはいないのかなーと思いたいです。 でも、私のことどう思ってるのかとても気になっています。 もやもやが続いています。 定期的に会う機会があるので、不安です。 私としては、これまで通り穏便に楽しくできたらと思っています。 ただ、私が全部悪いのか…辛いです。 誰にも言えないのでここで書かせてもらいました。 今後も、何事もなかったようにグループ含めて接していきたいと思いますが、この考えで良いでしょうか?

有り難し有り難し 23
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2024/09/28

子供の名付けに後悔(2度目)

先月、待望の女の子を出産しました。 第一子の際、名付けの悩みから精神不安定になったこともあり、今回は名付けは主人に任せました。 しかし、主人が決めた名前に違和感があり名前を呼ぶことができずにいます。 任せると言ったものの、大切な我が子の名前をもっと一生懸命考えてあげるべきだったと毎日後悔しています。 ・名前の響きが知人と同じ ・私が希望していた条件の、簡単に書ける漢字ではない(また、酷似する漢字があるため本人が苦労するのではないかという不安もある) ・今の時代に合わない響きである ・女の子らしい柔らかい雰囲気の名前が良かったのではないかと思ってしまう 第一子のときと同じような思いをするのが怖く、名付けを任せっきりにした自分が悪いですが、可愛い娘を目の前に申し訳ないという気持ちでいっぱいです。 目の前の我が子は日に日に可愛さを増していきますが、名前を呼んであげられず涙が込み上げてきます。 人に名前を聞かれても、変な名前だと思われるのではないかと考えてしまい、、この先こんな気持ちのまま子育てをできるのか。 どのように乗り越えていけば良いかわからない不安ばかりです。

有り難し有り難し 2
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2024/09/29

針の筵に感じる日々

まもなく50を迎える年となります。 意味のないと感じる異動が多い会社で30年弱過ごし、それなりに上司部下との良好な関係や仕事の成果は上げてきたと自負があります。 性格的に争い事が嫌いで、特に社内ではモメ事がないように様々な場面で気を使い、心が疲れてしまう事もありました。 営業職なので外の揉め事は多々ありますが その際主張するべきは主張し、会社の利と客の利を良く見極めながら話をまとめてきたという自負もあります。 そんな中でこの半年、新しい上司と部下の態度に心を折られそうな日々が続いております。 会社は組織である以上、序列を守り秩序を働かさなければ統制が取れない、というのは私のみならず世間一般で異口同音に言われる内容であると思います。 新しい上司は着任早々、序列関係なしに何でも俺に言ってこい、と発言、私含め全管理職の立場を軽んじた方針を出しました。 私の部下はその上司が来る半年前に私のチームに異動。 その時には私の他に別の管理職が一人おり、過去部下はその管理職の下にいたため、基本その人間に懐いており部下の私に対する態度は至って普通のものでした。 全てが変わったのは半年前。懐いていた管理職が異動後、突然私に牙を向いてきたのです。 一例ですが曰く、書類の管理などがなってなく、今まで管理職は何を管理してきたのかと。 私もその部下の着任半年前に異動してきたばかりで、その時点で部下が懐いていた管理職や他の管理職がおり、確かに管理が緩いと感じる部分が多々あったものの、その膨大な数、人手不足、営業活動を行いながらの整理作業は一日24時間働き続けたとしても終わりの見通しが立たない量のため、出来る範囲で少しずつ整理をしていました。 そんな中で突然の今更な部下の発言、そして秩序を壊すような上司の発言に部下は乗り、様々持論を話し、それから私の言い分は聞かれる事なく上司の私に対する態度は冷たくなり、私を飛び越して部下に色々と指示を出している始末です。多分に好き嫌いの上司の感情も感じます。 報連相が重要と日々言いながら組織の秩序を乱す行動に上司が幼稚なのか、上司の行動は会社として正しく、50にもなって部下に刺される隙のある私が幼稚なのか頭は完全におかしくなり半年経過、転職すべきか耐えるのかの二択に揺れ動く針の筵の日々に救いが欲しいです。長文失礼しました。

有り難し有り難し 9
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2024/09/28

同じ過ちを犯してしまいました。

見てくださりありがとうございます。 ‎ 先日、己の心の弱さから、二年前に二度としないと誓った過ちを再度犯してしまいました。具体的に申しますと、試験の際隣の方の解答を盗み見てしまいました。 いい歳して反道徳的な行いを二度もしてしまったことや、大事な局面で易きに流れたことに対する失望と後悔で胸がいっぱいです。二年前にこれからは正しく生きると決めたはずなのに、このような行いをした自分が情けないです。 ‎ 幸い、私は環境にも友人にも恵まれていると感じます。だからこそ、反道徳的な行いをした自分がこんなに恵まれていていいはずがない、きっと相応の報いがあるに違いないという恐怖心が絶えません。友人との会話を楽しむことはできても、家に帰ると楽しい思いをしたことに対する罪悪感に襲われます。 また、友人との会話で言わなくていい情報まで話してしまったり見栄を張るために嘘をついたり、勉強をサボったりといった自身の悪い行動がこれまで以上に気にかかり、さらに罪を重ねてしまったと恐怖心が大きくなります。余計にやるべきことに集中できなくなり、そんな自分を責めるという悪循環に陥っています。 ‎ 悪いことをしたのだから報いを受けて当然だと考えています。それでもどうしても報いが恐ろしく、そんな弱い自分にも失望するばかりです。 自分はつらい思いをして然るべき人間だとは思いますが、もしこの悪循環から抜け出せる考え方があれば、教えていただけると幸いです。また、弱い自分をどうか叱咤激励していただきたいです。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 28
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2024/09/28

地元で居場所がない

地域で嫌われ者です。 以前の職場のトラブルで悪評を広められています。初対面なのに嫌な態度を取られたり 、仲良くなった人に突然態度を変えられたりします。 そのことが原因で親戚からも嫌われ、親戚と親しくしている人達からも嫌われるようになりました。 また子供の同級生の母親の1人から嘘の噂を流され、また偶然の誤解や間の悪さが重なってやはり皆から嫌われ連絡を絶たれるようになりました。 この母親は、私とトラブルになる前に別の親子を異常者に仕立て上げて転校させてしまったことのある人なので、気を付けていたつもりでしたが、子供同士のトラブルをきっかけにターゲットになってしまいました。正直今でも悔しいです。 自分にも悪いところがあったのだと思い、ここ数年、自分のこれまでを色々反省し、できる限り変えるように努めてきました。 そう心がけるようになってからは、毎日接する職場の人達との関係は以前より改善し、仲良く働くことができています。 それでも、新しく出会った人に、過去の噂で急に拒否されてしまうと落ち込みます。 自分が少し変わったくらいで、人から見方を変えてもらうことを期待するのは虫のいい話なのかもしれません。 一度地域で悪いイメージが付いてしまうと、もう普通に暮らすことはできないのでしょうか。 知り合いが誰もいない所へ行って一人で暮らしたいと思いますが、子供や仕事のこと、経済的なこともありそうもいきません。 死にたい気持ちと戦いながら日々をやり過ごしています。 これからどのような気持ちで生きて行ったらよいのでしょうか。希望が見えません。

有り難し有り難し 20
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2024/09/27

夢で依頼をされました

今年の6月ごろ、夢に学生服を着て学帽を被った古風な青年と、これまた和服をきた母親らしき女性が出てきました。2人とも全く面識も見覚えもありませんでした。 その時夢の中の私は絵を描いておりました。 女性が「この子が未婚のままでは可愛そうだから、嫁さんを描いて欲しい」と私に依頼をしました。夢の私は「わかりました、どんなお嫁さんがきて欲しいですか?」と聞くと、「働きもので朗らかで優しい子がきて欲しい」と女性に答えられました。 横の青年も少し照れた様子で横に立っていたので、私は「わかりました。お嫁さんを描きましょう」と答えると、「よろしくお願いします。お待ちしております」と、青年が応えて2人ともお辞儀をしたところで目が覚めました。 奇しくも8月に市民展があったので、せっかく依頼されたのだからと花嫁さんの絵を創作で描きました。 その絵はありがたい事に入選し、その後展示されました。 会期が終わり、絵が戻ってきたのですが、コレを2人がいる所へ「納品」しなければなりません。 直感的にこの夢を見る3ヶ月ほど前に言った靖国神社の展示館で出陣された学生さんや徴兵された若い子達へ「花嫁人形」が奉納され、それを展示してあったのを思い出し、もしかしたら納品作はここ(靖国神社)なのか?と思いつつ確証も持てず、だからと言って受けた依頼を完遂できず齟齬にするのも目覚めが悪く困っています。 来月たまたま東京へ行く用事があるので、奉納するならその時に行こうかと思うのですが、こういう時、タヒ者(と思われる人)の依頼を完遂しても大丈夫でしょうか? また、なぜ私に依頼をしてきたのでしょうか…? 気味が悪いと思われそうで、誰にも相談できず困っています。どうか助けていただきたいです。

有り難し有り難し 24
回答数回答 2
2024/09/27

認められず悔しいです

半分は愚痴だと受け止めてください。 私は医療の教育機関で専門職を育てる教員をしています。今の職場で働き始め約15年。ただがむしゃらに学生と向き合う時期を経ながら今は中間管理職です。 学生と向き合う事が好きで、学生の為に変化が必要だと考えれば、臆する事なく上司に意見する性格でもあります。 今時世代を受け入れるための努力もしてきたつもりです。 私が勤める学校は医師会立であるため、校長はじめ経営者側は医師になります。特に今の経営陣はお金、お金、そればかりです。 確かに慈善事業ではないのでそれも理解できますが、私達教職員みんなでアイデアを出し合い、努力し学生確保をしていることを認めてもらえません。 学校の将来の為、一緒に努力してくれと言われた時も、定年間近に控えた私が躊躇していると、定年制を引き上げる約束もしてまらいました。 学生と関わる事が好きで、学生を育てたい思いがあり悩みながら引き受けました。しかしいざ定年年齢が近づいてきたら、再雇用でしか雇用継続はしない、と。 つまり給料カットを受け入れなけれは、辞めてもらって良いと言う話しに変わっていました。 嘘をつかれ約束はうやむや。挙句会議の席で、私や再雇用者を馬鹿にするような発言をされ、悔しくて、悲しくて、帰り道涙が止まりませんでした。 定年年齢に近く、再就職先を見つけるには、今までより大変ですが、今は退職しようと決めています。 人は簡単に嘘をつく。経営のためなら、雇用者をなんとも思わない人が本当にいる。悲しい世の中だと思っています。 人生80年時代でも、60になれば会社は人を必要としないのでしょうね。 愚痴を読んでくださり、ありがとうございました。

有り難し有り難し 21
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2024/09/28

嫌われたくない「いい人」の自分がつらい

嫌われたくない、という感性が幼少期から強く根付いており、34歳となった今でも付き纏っています。 仕事、友人、家族に対して常にいい人でいようといます。 自分が気付き手を差し伸べられることは率先して進め、助けを求められれば断ることはありません。 それによって自分自身に充足感を感じることもありますが、 「いい人」「頼りにされている」自分に疲れているように感じます。 仕事を進めて行く上で何かトラブルがあり、頼られるのは自分ですが、「それは別に今自分じゃなくてもよくない?」「なぜ自分より暇そうな上司に頼らないのか」 と、不満を感じながらも笑顔で対応してしまいます。 また、仕事の進捗にほころびを見つけるのが早く、自分がそれを根回しやフォローなど処理しようとする都度に、なぜこんなことも他の人間は気づかないのか、やらないのかと憤りを感じます。 友人との付き合い方もそうで、気の乗らない飲み会や旅行を断るのが苦手で「世話になったから」「恒例だから」と滅私し付き合ったりすることもしばしば。 家での過ごし方では、結婚2年目で妻と二人暮らしですが、共働きのため基本的な家事や買い物は自分がやっています。 妻が家事ができないわけではなく、 これは元々は妻に働かせてしまっている甲斐性のない自分のせめてもの罪滅ぼしだと自分で決めて進めていました。 しかし時折休日に1人で出かけて帰ってきたら何もせずにただベッドで一日中ゴロゴロとしている妻を見ると、自分で決めたことでも少し腹が立ち、心身ともに疲れを感じます。 自分自身振り返ると冒頭でも書いたように、「嫌われたくない」という感情があまりにも根付きすぎおり、 間違っていることを間違っている 嫌なものは嫌だ そう言えない自分の弱さが招いた種だと感じています。 嫌われたくない自分をやめ、勇気を出して行動するか そのままの自分で、考え方を変え、頼りにされている自分を誇りに思えるよう努力するか どうかご助言をいただきたいです。

有り難し有り難し 21
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2024/09/27

お寺は怖がられているのか?

 いつもお世話になっております。私が尊敬する科学の先生の SNSを見ていたら、 「最近、このような漫画の科学監修をお勤めしました」 とご報告されていました。  読んでみると、カルト教団の集落(「宗教村」と呼ばれている) が舞台の話でした。  宗教村では、「人は必ず死ぬから、進んで死んで星になろう」 という教義を信者に説き、毎日少なくとも一人は信者が死ぬそうです。  漫画のワンシーンが載っていました。結婚式で、新郎新婦が 導師の指導の下自殺し、観衆の信者が「おめでとう」と熱狂して いました。  かなり強烈なシーンだったので、詳細説明は割愛します。  そのご投稿は、8月初旬です。9月下旬となった今でも、私は そのシーンを思い出して胸が痛くなります。思い出して不安になり、 穏やかにお寺でお祈りができないこともあります。  先日「自分を病気と思うと甘えが出る」と祈願寺で言われた ときも、この「結婚式で星になる」シーンを思い出し、 「私を医療から遠ざけて『星にする』つもりか」 とパニックになりました。  のちに祈願寺に苦情を入れ、他の職員さんが陳謝して くださいましたが…  楽しいSNSのアカウントを見ていても、望まぬ広告で カルト教団を舞台とした漫画の広告が表示されることがあります。  苦しいです。お寺をはじめとした宗教は、世間様から このような「人殺し」「搾取」「自殺助長」などといった 印象を持たれているのか。と思ってしまいます。  しかし、こちらの先生と同じ組織のお仕事仲間さんの アカウントを拝見すると、「○○神社へ行った」「僕は、 神社にもお寺にも初詣をする」といった書き込みを なさっている方もいらっしゃり、先生ご自身も、 「御徒町付近には仏具のお店がダンジョンのように広がっていて、 そこをめぐってみるのもいい」 とおっしゃっています。  そういったご投稿を拝読して心を落ち着けていますが、不安が 拭えません。先日も似たような質問を投稿しましたが、あまり にも「宗教村」の「星になる」話が鮮明すぎたためかなかなか ご回答がつかず、新たにオブラートに包んでこのように投稿 しています。  お寺は、私たちは、世の中から怖がられているのでしょうか? 「命を軽んずる怖い人たちだ」と思われているのでしょうか? 今も、宗教村の「星になる」シーンが思い出されて辛いです。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1
2024/09/27

現実と思い

こんにちは。 いつもお世話になっております。 先日、約2週間ほどタイとマレーシアに行ってきました。人生初の海外旅行です。渡航前にトラブルもありましたが、無事に体調も崩すことがなく日本に帰国することが出来ました。 タイに行った際、いろんな有名な寺院や博物館などに行き、お釈迦様の人生を学んだり、出家や悟りについて勉強したりしました。ある有名な寺院に行き、エメラルドグリーンに広がる屋根を見ながら坐禅を組んで眺めていました。すると、不思議と心のモヤモヤや悩みが一気に吸い込まれているようで、気づけばずっとボーッとしていました。 悩みとかがなぜかちっぽけに思えて、健康がどれだけ素晴らしいものか過去のことを思い出しました。昨年大怪我をしてしまい、毎日辛く、後悔と健康体ではない自分の体に苛立ちを感じました。でもまだ跡はあるけれど少しずつ治ってきた自分の体を見て、治る力があるということ、辛くても乗り越えることができたこと、この力があるっていうことは、怪我は健康状態でなくても、あるいみ私自身の体や心は健康だったのではないかと、坐禅を組みながら感じました。こんな気持ちになったのも初めてで、正直タイに行って、仏教に触れる度、不思議な気持ちになるというか、変な言い方になりますが、お釈迦様はいらっしゃるんだな、仏様は本当にいらっしゃるんだなと強く感じる場面が多くありました。その度にパワーをいただいたというか、僧侶の方にもご祈祷していただき、それ以来、気持ちが変わったといいますか、長旅で心も体も疲れているはずだけど、生きる力がたくさん漲った感じがします。この瞬間が本当に幸せに思え、旅行中何度も思いました。人生、様々なことがあるけれど、この旅行先での最高の幸せに出会うための備えって、健康であることなんだなと何度も感じました。 日本に帰国したあと、待っていたのは人間関係の悩み。生きる力は未だにたくさん漲り、むしろ挑戦したいことばかりでうずうずしています。だけど、友達に気を使うことが辛くて、朝も辛いなと呟きながら出発しました。 明日も会わなきゃ、大丈夫かな、何かあったのかな、ちゃんと話の輪に入れてるかな、常にある友達といると思います。 1人になると、なんでこんなこと思わなきゃいけないんだと我に返ってしんどいな、辛いなと嘆くばかりです。 こういうとき、どのような心構えで過ごしていけば良いのかと思います。

有り難し有り難し 3
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