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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 地獄 地獄」
検索結果: 1782件
2023/06/08

死ぬのが怖い

こんにちは、拙い文章だとは思いますが読んでいただけたら幸いです。 私はよく死んだらどうなってしまうのかを考えてしまいます。自分がなくなるのが怖い、死ぬのが怖いと思い涙が止まらなくなります。体も重いです。 最初に一番悩んだのは高校2年生の時、死ぬことや自分が存在するということを考えすぎてご飯も食べられなくなりあまり眠れませんでした。母親の前で大号泣しなんとか克服したのを覚えています。そこからは、たまに死んだらどうなるのかが頭をよぎることはありましたが、なんとか考えないようにしてきました。 そして今、24歳になる私ですが、ここにきてまたこの思考を止められなくなりました。というよりも止めてしまうことが怖いのかもしれません。前ほどではありませんが寝つきが悪くなり睡眠時間も短くなり仕事に集中できない日が続いています。涙も止まりません。 ネットで色々見て自分以外にも考えている人がいると安堵する気持ちとそこからまた他人がいる、思考している、とどんどん自分が存在していること、なくなったらどうなるのかと結びつけて怖くなってしまいます。 生まれ変わりや幽霊はいるなど信じていないわけではないですが、もし生まれ変わりがあったとしてもその思考が自分ではない(現に私は前世の記憶はありません)と考えてしまい、励ましてもらってもうまく消化できないでいます。 それでも自分の中だけでは苦しくなるだけなので相談してみました。皆様のお考え等を教えていただいきたいです。

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2023/11/23

現代社会と本来の豊かさについて

悩みというよりは漠然と考えてしまうことがあります。        私は会社を起業し10年ほどになります。     会社とは何か?という本を設立当初に読み、 そこには『社会に必要とされているもの。人の役に立っているから存続が出来、人の役に立たない会社はなくなっていく』と書かれていました。     右も左も分からない中での起業でしたが、自身にそのような志が強くありましたし、その本に書いてある言葉に納得し、一生懸命頑張ってきました。     設立前から準備していたことや、業界を分かっていたこともあり、心身の苦しさや辛さはありながらも、経営は順調に右肩上がりで伸びていきました。 しかし、何処かでとても苦しさのような葛藤がずっとあります。     社会がいかに利益追求型の仕組みで弱肉強食であることを肌で感じること、それでも日々闘い続けねば生き抜けない。 競争社会、資本主義社会という中では当たり前のことだと理解すればするほど。 中小企業の社長さん達も皆んな日々闘い続けているんだなぁと思いながら。     そういう渦中で、自分の心身はいつも振り回され乱れるばかり疲弊する日々が数年続き、 自身を見つめ直したり心を丈夫にする為に色々と模索してきました。     そうした中で見つけたものは、お釈迦さまの教えや禅的な考え方でした。   日本では宗教にハマると聞くと直ぐに悪い意味で捉えられることが多いですが、 何か目印になるような共感できたり学べるような考え方というものに救われることに有り難さが溢れてきて泣きそうになります。   自身が人の為になることを〜と思い起業しましたが、会社を通して社会を知り、そこに向き合った今の時点で想定もしていなかった答えがあったように感じています。   知り合いに若いお坊さんがいますが、もっと遊びましょう、もっと休んでください、自分は人生遊んで過ごします。とよく仰っています。実際夜遅くまで飲みに行ったりしていて、誘ってくることも多いです。(行きませんが) そのお話しも極端に思えて、私には失礼ながら浮世離れしすぎていてついていけません。   長くなってしまいました。 文章がまとまっておらず伝わっているか不安ですが、 お坊さん達は今の資本主義社会と仏教の教えに乖離を感じますか? 感じられる方はどうバランスを取られていますか?

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仏様とご先祖様の関係性等をお聞かせ下さい

私の相談をお読み頂きありがとうございます。 前回、仏壇の参り方もご教授頂き本当にありがとうございます。 その後も変わらず、お世話?お参り?させて頂いていると思っております。 今は色々簡素化されて来ており、私の周りにも、「自分が亡き後は我が子の負担になりたくないから法事等も不要だ」と申す者もおりますが、私自身は代々引き継いでもらえればと思う部分もあります。きっとご先祖様はそんな姿を見て下さっていると信じております。 またまた無知な私の質問ではありますが、仏様とご先祖様の関係性が分からなくなってきました。ご先祖様は仏様とは違うのでしょうか? 先ほども仏壇のお世話は私自身は代々引き継いで欲しいとお申しましたが、純粋なお供養の気持ちだけかと言われれば、正直なところ、お恥ずかしい限りですが見返りを求めている部分があるのかもしれません。私は適齢期を過ぎてもまだ独身であります。私がこのまま独り身で亡き後、甥なり姪なりが、どこかで私を思い出してくれれば…だから今は私のやっていることを見て、「あー、叔母さんあんなことしていたなぁ」と頭の隅にでも置いてもらいたいと思っていたします。 そして… 仏様は私たちの願いを叶えて下さるわけではなく(冷酷とかそのような意味ではないです。)温かいお心で私たちを見守って下さっているのだと今現在私は考えております。では、ご先祖様は? ご先祖様も私たちの傍で見守って下さる存在なのだとは思いますが… 悲劇のヒロインを演じたいわけではありませんし、もっともっと大変な方々がいらっしゃる事も承知ですし、こんなこと序の口だとは思いますが、家庭内で上手く行っていないことが長きに渡ったり、ずっと頑張っている婚活が全戦惨敗中で、自分の力不足を棚に上げて気持ちのはけ口をご先祖様に向けているだけなのかもしれません。 ご先祖様はご先祖様のお役目だったり修業があるのだとは思いますが、私たち子孫が温厚な日々を送れる手助けなり道しるべなりを頂戴したいと思うことは私のエゴであり愚かな事なのでしょうか? もちろん、日々私たちがこうしていられるのはご先祖様あってのことですし、軽んじているわけではなく、感謝はしており、だからこそ毎日仏壇のお世話も続けられています。

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2025/04/26

生き物の本来の姿に対する恐怖

生き物の本来の姿とは、闘争と弱肉強食です。自分を存続させるために他者を食らい攻撃するのが生き物です。日本においてはこの80年が奇跡のようなものでしかなかったと、昨今の国際情勢が物語っています。 枯渇する資源を巡って奪い合いの世界では、力による現状変更が正当化される時代に逆戻りしてしまいました。いつどこで世界規模の軍事衝突が発生してもおかしくない、どこで核兵器が使われてもおかしくない世界になってしまいました。 しかし、私はこの仮初の平和に固執してしまいます。この命が終わった後に、またこの争いの世界に生み出されると考えると恐ろしくてなりません。しかし極楽浄土が現世に存在せず、私の命などといったものは脳味噌をはじめとした身体の生体反応でしかないという事実の上では、どうあがいてもこの絶望的な結論から逃れられず、狂いそうになります。 戦争に巻き込まれて無残に死ぬのは、これまで家畜や虫などを殺してきた報いなのかもしれませんが、どうしても受け入れることが難しいです。これはいけないことでしょうか。これまでの罪の報いとして受け入れなければならないのでしょうか。 今の国際情勢のすべてが、人間としての限界、人類史の終わりに向かって真っすぐ進んでいるとしか思えません。欲望を剝き出しにする権力者が己の行いを反省する頃には、この地球は焦土と化しています。今の国際情勢を見ていると、10年後、5年後があるとはとても思えません。少し調べれば、もうすべてが破滅に向かっていることがわかります。それに対し希望や問題の解決策が存在せず、希望と絶望を天秤にかければ大きく絶望に傾きます。 「平和とは、戦争と戦争の間の期間だ」という言葉があります。そして今、その通りの時代になっています。そして、人間は地球のすべてを破壊してしまえるほどの兵器を手にしています。身勝手な理論で戦争をしている国があります。生き物には元来いたわりや慈悲などというものは備わっておらず、あるのは自己保存のための闘争本能です。そして死んだあともまたこの世界の脳味噌、生体反応の何かが自分として存在してしまいます。つまり、私達は無残な死から逃れられません。それが恐ろしいのです。 「耐えきれなければちゃんと死ねる」かもしれませんが、死ねないまま生きてしまう可能性もあり、また、死に至る痛み苦しみは避けられません。これを恐れるのは良くないことですか?

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遺伝子決定論

私はあまり科学的な事以外を信じていませんが、輪廻転生により前の前世で何かをしたのかもしれません。そのくらい自分ばかり不幸です。周りの家族や過去の友人をみてもみんな不幸になっていません。 他人は他人とか、君がネガティブだからというのを何度も言われた事がありますがそんなんじゃ納得できません。 物理学にある仮説のホログラム理論というのを聞いたことがあります。高名な物理学者によるとこの宇宙は量子コンピュータのシミュレーションにすぎないと。 私の人生も実はすでにゲノムの配列により決定されていてそれがシミュレートされてるにすぎないと考えます。 遺伝子の働きは実際ダウン症などの遺伝子疾患などに影響を与えたりするなどの事実があり、その他未来の疾患や性格に影響しています。配偶者獲得でもそう。 ※遺伝子の影響を信じれない人は暗黒バエを参照 そこで思うのが何故私はここまで不幸なのか。 そこに何かしら観察者による介入を感じます。 例えば私のIQは言語性知能が優位であり高いです。群指数ではバラツキが大きくそれが私の行動に何かしらの問題を与えています。 つまり私は生まれつき遺伝的に他人よりも支障ができるようにプログラムされています。 私の人生が不幸続きです。 何故自分だけが?というほどに。 今は友人がいませんが、過去には友人が多くいました、その友人達は今の私をみてバカにして見下しています。その友人達は幸福な人生を歩んでます。 周りの人はおそらく大いなる運命に守られていると思います。 この世界や人生というゲームに適合していた。 私は何をするにせよ不幸がつきまといます。みんなと同じ人間に思えません、みんなは何かしら行えばフィードバックが返ってきますが私は失敗やらのフィードバックしかありません。 この世界に適合ができてないと思います、失敗しかありません。 こんな適合していない人でも偉人になる人がいます、ゴッホやニーチェ。 この人達は才能がありました、わたしにはありませんでした。 この目に見えない運命を信じると、何の希望も持てなくなります。 将来今よりも辛い事しかないのに何で今"何か"をやってるんだろ、早く死にたい辛いと。 希望がない。絶望しかない。惨め。そう決定付けてる何か運命があるんだと思います。科学的にいうと遺伝子。 生きてるのが辛いです。

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マジョリティの呪い

私はもうすぐ34になりますが、未だ独身であることに親は日々批判的な言葉を投げかけてきます。ここ数年いとこたちが皆結婚し、子供をうみ育てているので、最近早く結婚して子供を産むようにという圧が凄いです。 私は社会人になってうつが酷くなり、受診した病院で生まれつき発達障害であると告げられ、その時から毎日発達障害と精神疾患の薬を服薬するようになりました。その弊害か、残念なことに先日、婦人科系に問題がみつかり、将来自然妊娠するのは困難であると言われました。その事を婚活で知り合った彼氏に告げると音信不通となり、どうやら親の願いは叶えられそうにないようです。 現在親と同居しているので、顔を合わす度文句を言われるのがしんどいです。一人暮らしをすればいいと言われるのですが、発達障害、精神疾患があるため疲れやすく、正社員(週40時間)の仕事をこなすだけで精一杯で、以前一人暮らしをしていたのですが生活が立ち行かなくなった過去があり、もう一度挑戦する勇気が持てません。 正社員を辞めれば家事等はこなすことは出来ると思うのですが、そうなると一人暮らしで生活するほどの収入が得られません。シェアハウスも検討しましたが、通勤圏内にある物件は一人暮らしするよりも高価な所のようです。 東京には極小ワンルームのような所があるとテレビで見たことはありますが、今から障害有りの30半ばの者が転職して正社員登用してもらえるようなところがあるとは思えません。一応国家資格はあり、関連の仕事をしていますがそもそも向いているとは思ってません。たち行かなくなった時、一度ニートを経て他の業種のアルバイトをしていたのですが、いつ辞めるんだ、早く転職しろと親の批判が酷く耐えられなかったために元の業種に戻りました。 病気や障害のことを親に言いましたが認めて貰えず(気のせいと言われ)、今の状態は努力が足りないからだ、親不孝だと言ってきます。先月から原因不明の湿疹もではじめ、心身ともに疲弊しています。 このまま独身で生きていくにも目的がありません。何をモチベに残りの人生を消化すれば良いのか路頭に迷っています。 ちなみに趣味は、夏からメダカを飼い始めました。可愛いですが、それをモチベにするほどのものでもないです。友人はみな結婚し遠い所へ引越していき疎遠になりました。 長くなりましたが、なにかアドバイスをお願いいたします。

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トラウマから逃れられない

以前、就職活動の不安から質問させていただいた者です。その後無事に良いご縁をいただき、4月から勤める予定です。 ただ、今度は違った不安から夜もなかなか眠れないことがしばしばあり…。 一番は人間関係についてです。私は先日まで(1年ほど)アルバイトをしていたのですが、最終日であったにも関わらず社員の方々は笑顔一つ見せてくれず、声色も何だか冷たいようでした。ちょっとしたミスにも呆れたような反応をされ、目線もろくに合いませんでした。こうした情景が最後の思い出として未だに脳裏に焼き付いています。決してその方々に難があるわけではなく(他のアルバイトさんとは和やかでした)、気に障るような私がいけなかったのだと思います。 今までにも友人関係において何度か、一緒に過ごす時間が長くなるほど関係が希薄になる、ということもありました。話題の乏しさだけでなく、自身の外見的・内面的魅力のなさなども痛感する出来事が多かったように思います。こんな気持ちを抱えたままでは入社後もどなたかの気分を害するのではと憂鬱な気持ちを抱えています。 すでに起こってしまった出来事を過去のものと割り切り、気持ちを切り替えるには何が必要なのでしょうか。

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大好きなおじいちゃん

こんにちは。初めまして。 私は1年前に大学入学と同時に上京し、寮生活をしています。1ヶ月ほど前にコロナウイルスの影響で寮が閉鎖となり、実家に帰ることになりました。万が一を考え、祖父、祖母には2週間接触しないという条件で帰ってきました。 わたしが飛行機から降りた瞬間、おじいちゃんが体調が悪いと言う連絡が入り、なんだか嫌な予感がしました。駄目だと言われてしましたが、わたしはおじいちゃんに会いにいきました。実家に帰るまでのここ数日、毎日電話をかけて、外出しないように伝えたり、出かけていると聞いたら今すぐ家に帰ってと説教したりしました。会いにいった時も、マスクをつけて少し離れたところで、言うことを聞かないからこうなるんだよって少しふざけて説教してまたねと言って私は部屋を出ました。 その次の日の朝方、おじいちゃんは亡くなりました。心不全でした。 自営業で、共働きの両親だったので、 おじいちゃん、おばあちゃんの家に入り浸っていたわたしは、中学生になってもおじいちゃんと一緒に寝たり、2人で海外旅行にいったりとほんとにおじいちゃんにべったりでした。数日前まで車を運転したり、お酒を飲んだり、大好きなゴルフに行ったり、あんなに元気だった人が急に亡くなるなんて受け止められません。 おじいちゃんにもう会えないと思うと苦しいです。おじいちゃんのいない人生を生きるのが辛いです。 おじいちゃんは、いつ死んでも悔いはない。人生たのしんだ。と生前言っていました。でも、まだ開けてないお酒のボトル。カレンダーにはゴルフの予定。おじいちゃんだってまさかあの日に死ぬとは思っていなかったと思います。家族や、おじいちゃんの友達が、おじいちゃんは最後に私を呼んだんだよって言ってくれます。でも私は最後に手を握ってあげてもない、大好きだと伝えることもできず当たり前に明日があると思っていました。ほんとに後悔しています。 おじいちゃんに会いたい。これから私が死ぬまでずっとおじいちゃんに会えないと思うと気が狂いそうです。 おじいちゃんは私がおじいちゃんのことを大好きだった事はわかっていたのでしょうか。おじいちゃんもわたしのこと大好きでいてくれたのでしょうか。おじいちゃんは私のことを呼んだのでしょうか。考えてばかりで本当に辛いです。長々と申し訳ありません。でも助けていただきたいです。

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うちのおばあちゃん角を丸く出来ますか?

私のおばあちゃんは正直失礼です 私が幸せいっぱいに生まれてきた時も 「酷い顔だねぇ、誰に似たんだか まぁ目は息子に似てて良いじゃない」 と爆弾発言をしてしまい 母方のおばあちゃんと戦争が起こりました まぁそれは何かの間違いだったかもしれないにしても 明らかに何十年か生きてきたおばあちゃんとは 思えない発言や行動ばかりします ある時は朝学校行く前に ご飯を食べようとしたらおばあちゃんが 白米を持ってきてくれました あの料理苦手なおばあちゃんが! と少し感動してたのもつかの間 何口か食べて 何かがおかしい なんということでしょう 米と同じサイズの虫の幼虫がたくさんいらっしゃるではありませんか この後一週間まともにご飯が喉を通らず 半年くらい米食べられませんでした 大袈裟かもしれませんが 人生で1番苦手なのは虫なので それが体内に入ったとなれば緊急事態です まぁこれも何かの間違い 失敗しない人はいないと考えてました 少し戻り5歳くらいの頃 イタズラで少し電気を消しただけで すごく怒鳴られて 鬼のような子だね 私の心臓が止まったらどうするの 死んだらどうしてくれるの 殺人だよ なんでこんな子になったんだろうね なんでこんなのと一緒にくらさなきゃいけないんだろうね この時私は泣き出してしまいました 今も鮮明に覚えてます まぁこれは私が悪いんですがね ある日の事 私には弟がいるんですが その弟は少し成長というか発達が遅れてます ですがそれ以外は普通でかわいい弟です それに対しておばあちゃんは あの子はおかしいよ 障害者でしょ? もうほんとに嫌なの 私までおかしくなりそう これには初めてキレました ふざけんなよ アイツの苦労知らないだろ! 努力して努力して皆に必死で追いつこうとして 頑張ってんだよ それなのになんだあんたは ほんとに嫌なのはこっちだし おかしいのはあんただ やっちまいましたね おばあちゃん拗ねちゃいました でもこんなおばあちゃんでも あれだけ言えば少しは変わるかもと思ってたんですが 変わってくれません こんなおばあちゃんでも何とか出来ますか? というかこんな時でも 結局変わってくれないと自分が精神的に限界こえてるのでなんとかして欲しいって 自己中心的な考え方が見透かされてそうですが そこをなんとか お願いします

有り難し有り難し 19
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子供を産むことについての罪悪感

最近疑問に思っている事です。もしよろしければご意見をお聞かせください。 道徳的な視点から見ると、私は子供を産むべきではないと考えています。なぜなら、生まれた子供が幸せになる保証がないからです。 年間80万人が自殺をしているそうです。辛い思いをしている方はもっと多いと思います。自分は幸せだと胸を張って言える方はとても少ないのではないでしょうか。 多くの人にとって人生は苦しみの連続です。この世が天国のような場所ならどんどん産めば良いのですが、生憎そうではありません。多くの問題を抱えていると思います。 反抗期の子供はよく「産んでくれなんて頼んでない」と言いますよね。親は論破したり否定しようとしますが、私は正論だと思います。否定する意味が全く分かりません。自分で勝手に産んだのは事実です。謝る以外の選択肢はないように思います。 結局は愛する人との子供が欲しいとか、自分の子供を持ちたいとか、この限りではありませんが親のエゴで子供が生まれています。 エゴや愛を免罪符にしているとしか思えないのです。 人生は全て苦痛だと言ってるのではありません。もちろん幸せな事もあります。でも苦しい事の方が多いです。 絶対に幸せに出来る、生まれてきたことを後悔させないという保証がない限り、子供を産むことはとても無責任ではないでしょうか。

有り難し有り難し 57
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