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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 悟り 」
検索結果: 1805件

古いお守りを全て紛失してしまいました…

幼い頃に日本を離れ、ずっと海外に住んでおります。子供の頃から古いお守りを3つ持っていました。 今年になって、日本に帰国する機会ができたので、その際にお守りを神社やお寺に返そうと思っていたのですが、3つとも全て無くしてしまいました…。 飛行機に乗る前日に旅行バッグに入れた筈なのですが、日本に着いてバッグの中を確認したら入っていませんでした。うっかり家に置いてきてしまったのではないかと思い、日本から帰った後、部屋の中を探してみたのですが何処にも見当たりません…。 子供の頃からずっと持っていたお守りなので、ショックです。「もしかしたら、どこかで間違えて捨ててしまったのではないか?」「どこか粗末な場所に置きっぱなしなのではないか?」と色々考えてしまいます。 お守りを無くしてから何やら気持ちが落ち着かず、常にイライラしている気がします。職場では上司に口答えして立場を危うくしてしまったり、部下を感情的に怒ってしまったり。プライベートでは、友人の幸せを素直に喜べなくなったり…自己嫌悪に陥る毎日です。 今回、日本に帰国した際に新しくお守りを購入したのですが、あまり効果を得られていない気がします。やっぱり、古いお守りを無くしてしまったから罰が当たったのでしょうか?何か対処法はありましたら教えて頂けませんでしょうか。 よろしくお願いします。

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戦争が怖い。侵略が怖い。強い者が怖い。

 初めて質問いたします。  恐怖に打ち勝つお智慧を、授けて頂けたら嬉しいです。     先日、ロシア軍がウクライナに侵攻を始めました。 (ご回答をいただく頃には決着がついてしまっているかもしれませんが、何卒ご回答をお願い致します。)  成人してから初めての、しかも先進国同士の大きな戦争に激しく動揺しています。両国共に言い分があり、外交上の話し合いで解決できず、政治外交手段としての戦争というのも、大人ですからわかっております。  (本で読んだり、話で聞いて)私は子供の頃から戦争が本当に恐ろしく、家族や自らが無事であるようにずっとお祈りをして生きてきました。大きくなってからは、正しく怖がれるように、軍事や外交の勉強もしました。  それでもやはり今回の侵攻は恐ろしく、ネットには次々と悲惨な報が上がって来ています。現地の方が苦しんでいるニュースに接し、私は居ても立っても居られないほど苦しく、恐ろしいです。そんな中、ウクライナは弱いから攻められた、日本も核武装しないと攻め込まれる、ロシアに舐められたらいけない、という意見も散見されます。  勝てば官軍という言葉があり、この世の中で強さ(暴力?権力?)が何よりも強いことはわかっています。ただ、どうにも腑に落ちないのです。  一般庶民がどんなに努力してもプーチン氏のような絶対的な強者にはなれないでしょうし、国の武力も米露レベルに追いつける小国はそうそうないでしょう。  実力主義の残酷な世界の中で、私のような弱い者は強者大国に震えながら生きていくしかないのでしょうか。お釈迦様が修行されていた頃のインド地域はもっと過酷な状況だったと思います。歴史の中の戦争よりもマシだと思いながら、諦めて生きていくしかないのでしょうか。  開戦の報に接し、同じように怯えている方も多くいらっしゃると思います。  どうか、この恐怖へのアドバイスを頂けますととても助かります。  どうぞよろしくお願いいたします。

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『お坊さんとは一体なんなのでしょうか?』

こんにちは(=゚ω゚=) 長年漠然と解決しないものがあり、単刀直入に質問をさせて頂きますm(__)m 『お坊さんとは一体なんなのでしょうか?』 職業としてあるが、お医者さんとは違い体に触れて治療はしない。 話によると事業者の税金は非課税。国民でない? いろいろ人生の相談にのってくれるが、近所の年長者とも違う。 悪い行いをしては善くないと諭すが、もちろん警察ではない。 いろいろ知っているが、哲学者などとも異なる。 誰にでも分け隔てなく門戸を開いている。 毎日毎日、修行やお経を上げているが、相撲のように、儀式や観戦のようにお客を湧かすわけでもない。 法律にある、『個人の思想の自由』を良い形で具現化し続けているもの? となると要は『宗教』なんでしょうが、究極の自己満足の生き方?それとも、やはり修行を死ぬ(一般的な意味で100歳の肉体)までやりたいマゾヒスト? もし、ある一定の地域(日本として)の全員が仏教をしたならば、そこの人々は桃源郷になるのでしょうか?ロボットを創る人も、パイロットも、芸能人も、ウェイトレスもいなくなるので、生活が戦国時代ぐらいになるイメージですが。 でも、そうなると、助ける人がいなくなると、お坊さんはすることがなくなる? 思い付くままに箇条書きにしていますので、僕の偏見や間違いもあるかと思います。すみません。m(__)m 大変失礼と思いましたが、ずっともやもやしていたので知りたいです(。-人-。) よろしくお願い致します(^-^)

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死後の世界観

 初めまして。  私は、横浜で会社員をしている伊藤と申します。先日、テレビでこちらのサイトが紹介されていまして、仏教の教理に関して長年疑問に思っていたことがありましたので、質問させて頂こうと思い書き込みを致しました。  私は、大学生のころから仏教に興味を持っておりまして、仏教に関する本をいくつか読み、修行の真似事もさせて頂いたことがあります。仏教との出会いは、私の人生の中で非常に貴重なものでした。これからも、修行を重ねていきたいと思っています。  ただ、その中で未だに釈然としないことがあります。それは仏教の説く「死後の世界観」がなぜ宗派によってここまで大きく異なるのか、ということです。  仏教では、もともと「輪廻からの解脱」が一番の目的であったと聞いています。それが、現代の仏教では死後の世界観について「極楽浄土で仏弟子となる」といった立場や、「死後のことなど考えず、今を生きる」といった立場など、様々に分かれています。  私は、どうしても理屈っぽいので、このように死後の考え方が異なっていることに疑問を感じてしまいます。例えば、「極楽浄土に行けるなら、今は努力せず楽をしていた方が良いではないか。」と思うこともありますし、「死後の輪廻転生を否定するなら、そもそも修行する必要さえないのではないか」と思うこともあります。  先日、上座部仏教のお坊さんの著書を拝読して、私の考えに近いことが書いてあって共感を覚えました。そのお坊さんは、「死んですぐ極楽浄土に行けるのなら、どうして早く自殺しないのでしょうか。」といったことや、「輪廻転生が無いなら、どうして修行する必要があるのでしょう」といったことを述べておられました。  もし、輪廻転生があるのであれば、私もなるべく善行をしようと努力すると思います。逆に、輪廻転生がないと考えると、やる気を削がれ厭世的な気分になってしまいます。  人間がこのような気分になることを見越して、お釈迦様は死後の輪廻を説かれたのかもしれません。しかし、今の私にはそれ抜きで前向きに生きる心構えを持つこともまた難しいです。また、死後の輪廻を否定するならば、自殺を否定することもまた難しくなるのではないでしょうか。  こういった点を、お坊さんはどう考えているのか、どうしても気になったので質問させて頂きました。失礼なことを伺ってしまい申し訳ありません。

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近いうちにこの世から消える予定です...

生きていくのがつらい... 生きていても希望がない... 生きる意味がわからないです... 先月、夜遅くに仕事から帰宅すると自宅に家族(妻と3人の子供たち)の姿はなく、家具もほとんど残っておりませんでした。 その日のうちに引っ越したようです。 慌てて妻の携帯へ電話しました。 妻は言いました。 『あなたが勝手にしろと言ったのよ?だから私の好きなようにしました。離婚届も提出済みです。いままでお世話になりました。さようなら。』と... 出ていった原因は、私が妻と2ヵ月程口を利かなかったことと、私の給料が低い事への不満だと思います。 私は1年程前から鬱の状態でした。 仕事のトラブルが次から次へと本当に続きました。 しかもそのトラブルを他の社員が引き起こしていたのですが私の顧客に対しての不手際だった為、もちろん私が対応しておりました。 毎日のようにクレーム、クレーム、クレーム... 半年後、私は会社をしばしば休むようになりました。 その時の妻は寝込んでいる私に理由も聞かず、 ただただ『早く会社に行って!家計はどうするの!』の一点張りでした。 話す気力も無くなり、寝込む日が続くと彼女は離婚届を私に渡しました。そして、また罵声。 あまりに鬱陶しかったので、つい離婚届に名前と住所だけを書いて渡してしまいました。 その後彼女は何も言わなくなりました。 休みが続いて数日後、勤めていた会社から無断欠勤が続いたとの理由で解雇との連絡が来ました。 クビでした。 でもこのままではさすがにいけないと思い、1ヵ月ほどで新たな会社に再就職しました。 ですが、この会社もかなり給料が低かった為、妻はやっと社会復帰した私に、安月給の事への不満しか言わなくなりました。 私はとうとう妻とは口を利かなくなりました。 その結果がこれです。 実際、妻はもうどうでもいいです。 ですが、子供たちのことが不憫でなりません。 夫婦喧嘩をするたびに、妻は子供たちに向かって『パパとママは別れるけどいい?』と凄んでいました。 そのたびに子供たちは泣いていました。 私は別れることなど絶対にしたくなったので、そんな事を小さな子供に言う妻を余計に憎くなりました。 憎しみを抱えたままでは成仏できないでしょうか... 本当に無念でしかたありません...

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理性じゃ死にたい欲求は消えない

もはや現実的な解決策は試し尽くしたといって過言ではない。 私は人生と戦った。 私はそこらの偶々運が良かった人達、ただただレールに乗る人達、親が恵まれてた人達、何も考えることも無く低次元なレベルの生き方をして何も学習することも無いまま哲学や物理学などを学習せず中学レベルで切り捨ててるボケどもより完全に人生の問題に対する解決策を試してますし考えてます。 勿論そこらのカスみたいなアドバイスや低次元の道徳の教科書レベルの文言なんて何億回も聞いてます。 でも友人やカウンセラー含めて悩み相談を聞く側がそこまで悩んだことが無いから当たり障りがないアドバイスしかない。 もう沢山だ。 そんな現実的な解決策が無く、ヤバい状況なら幾らでも解決策を試してるよ。 リアルタイムで生きるのが嫌だから、解決策が無いから自殺する人が絶えないんだよ、だから自殺者毎年数万人なんだよ。 そして自殺を考えてて本当頭おかしくなるくらい自殺願望者は自殺を自発的に止めようと努力する。 だからネットや病院やお坊さんに死に物狂いで相談する。何とか誰か助けて欲しい。 そこで返ってくるのは「辛いなら死ねば?不幸なやつとか生きてる意味ない」とかの冷たい言葉。 私が「そもそも人が生きてる意味という命題に対する答えを全人類含めて誰も根拠として持ってなくお前にもないんだけどなw」と返答した所で自殺したいという不幸な状況は変わりません。 自殺するとして死は恐怖であり、生きるとしても人生に苦しんでる。 人という存在は悪でありズーート争いをしてきてて「辛いなら死ねば?」とか「さっさと死んだ方がいいよ」とか言えるのは寧ろ当然というか。人間に希望は無いんだなって思う。 だから最後は宗教にすがってる。 助けて欲しいくらいに沢山質問しました。でもどんな良い回答を貰っても現実が解決されるわけではなく理性じゃ死にたい欲求は消えない。 寧ろ1人のお坊さんから貰った人格否定を含む嫌味な言葉で仏教が嫌いになりかけてました。 だって暴言吐いても修業中だからオッケー!みたいな論理を使えば他人に危害を加えてもオッケー!みたいなのがまかり通る。 まあなんにしても最後は宗教に縋りたい、なんとか楽しく生きたい。 なんかしら助けて欲しい。知恵を分けて欲しい。意味はないかもしれないけど、もはや限界に近い。

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