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検索結果: 328件
2023/05/20

性善と仏性、性悪と救い

ずっと日蓮聖人と法然上人、親鸞上人のことが頭から離れず、キリスト教を勉強しながらも反芻していました。 人の本質を仏性とすることを日蓮聖人は言われてたと思うし、窮地に追い込まれても 法華経を支持する神仏を信じることで内に起こる恐怖や不安からくるお気持ちと闘われたと思います。法然上人、親鸞上人は、法華経を目指しても自分の力ではなれない悪人と悟ることで仏の光が差し、念仏によって阿弥陀様に救われる。とされた気持ちもわかります。 悩んだあげくキリスト教を勉強し始め、生きる軸としようと生きています。 キリスト教は、自分の悪を知り、弱さを知り、懺悔を、神の御心とキリストを通して贖罪をし、罪を作らない知恵を学び祈りとするのだと思います。父が学会員だったり、祖父が浄土真宗ということで里心があるのかもしれません。地獄は人間が作った観念だと思います。神仏は地獄を作ってないと思います。時々、御布施や献金のお願いばかりして、本当に神仏を必要とした老後や病気や貧困になった時は自己責任と見放すのがお寺や教会かなって思い、まあ神仏は見放しませんよって説かれても そうだよねって思う。ちょっと信仰心も冷静になる。書いてる内に落ち着いてきました。結局、介護士になり、人の生き死に寄り添いケアをする仕事に神仏をおき、自分の命をつなげるお金をいただいていることに感謝と献身することを神仏に導かれたと思います。いろいろ悩んでいた頃の以前の履歴を恥ずかしく懐かしく想いながら、自己の命と介護させて頂く命が神仏に救われていくように祈り、頑張りたいと思います。相談したかったことは、私は許され生きていけるのかということでした。 大失恋をしたような気持ちでしたが書いている内に救われていると思えてきました。ありがとうございました。

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漫画 聖☆おにいさん

私は「聖☆おにいさん」というブッダが出てくる漫画が大好きなのですが、愛読されているお坊さんいらっしゃったらこの質問に目を通して頂けたら嬉しいです。 作中で梵天と帝釈天が出てきますがブッダに対して「シッダールタ」と悟る前の名前で呼び、ブッダは敬語を使っています。シッダールタ時代に苦行している時にも「おー、頑張れよー!」とか言っていますよね。ブッダをプロデュースしてるみたいな場面も沢山出てきます。 私は手塚治虫の「ブッダ」も読んだのですが(フィクションもだいぶ盛り込まれているようですが)、その中で梵天はシッダールタの前にここぞという時に現れるので(迷っている時や悟った時など)、シッダールタの背中を押す師匠のような存在、と思っているのですが、 梵天や帝釈天はそもそも人間ではない存在なのですか? シッダールタが誕生する前から存在してるという事ですか? この漫画は私の仏教への興味を広げてくれた大好きな作品です。 初歩的な事と思いますし、ネットで調べればすぐ出てくるのでしょうが、ハスノハという場所があるのでお坊さんに質問してみようと思いました。 (帝釈天のスーツはアルマーニ、梵天のスーツはコナカというのはツボです)

有り難し有り難し 75
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神様、というようなものを信じてみたいです。

仏教でなくてもいいんだけれど、なんらかの信心を持ちたい、と思い質問させていただきます。最近キリスト教のミサに行ったり、モスクに行って礼拝を見学させてもらったりしましたが、どうにも信じる気持ちというものが芽生えません。 私は学校卒業と同時に家を出て、その後家族とはほぼ交流がありません。水商売をしていましたが、金に困り、やむなく今月から風俗業をしています。 こんなことになったのも自業自得だなあと思い、ふと気になって自業自得の意味を調べたら、仏教の言葉だということで、興味を持ちました。 私は、善悪の区別がつかないのではと思い、不安です。お世話になった人をなんの理由もなく音信不通にし、ばれなさそうな嘘なら意味もなくつき、人の陰口もすぐに同調し、それらのことに特に胸が痛みません。自分の立場が危うくなったら嫌だな、くらいです。 社会的な義務を何一つ果たさず、当然年金も未払いです。 とにかく自分が信頼できないので、バイト先には、私が頂く給料のほかは私に店のお金を一切触らせないでほしいとお願いしています。生涯運転はしないと決めています。 風俗業とはいえ、まだ人生を台無しにするような、決定的な罪は犯していないはずです。 しかし、私自身の倫理観のなさが、いつか決定的な罪を招きそうで、「信心」があれば変わるのではと思ったのです。 しかしながら、どうも難しいのです。 祈る=決まった文句を唱えることの安心感 などと解釈し共感することはぎりぎりできるのですが、それを仏や神のために、となるともうさっぱりです。 どんな神経で信じてるんだ?というのが本音です。 それこそ預言者の人のように、声を聞いたとか見たとかがあれば違うのでしょうけれど、そうでない人は、なぜ、なんのきっかけで、信じたのでしょう。 というより、本当に信じているのですか? 教義に共感しているだけですか? 今を良く生きるための便宜に、来世とか地獄を想定しているのですか? 共感できそうな宗教を探すなら、それはそもそも自分で全部考えることと何ら変わらないのではないでしょうか。 信者の方は、来世とか地獄とか長いスパンでの「自分の立場」を心配している、今小さな嘘をばれないでほしいと願う私となんら変わらないのではとも思いはじめました。 既に反抗的なことを書いてしまいましたが、 本当に信じたいのです。 どうしたらいいのでしょうか。

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お坊様方、改めて教えに向き合ってみませんか?

報いきれるほどの恩ではない。この世でどのようなことをしても、お坊さんの大恩に及ばないのです。私の参じたお方に報いきれないのです。 大概の僧侶志望の方は、僧侶という型枠に収まり、呆けた顔をしたいだけでしょう。(違う人も当然、いるでしょうけど) このhasunohaに南伝仏教の本を勧めるお坊さんがいました。 なぜ浄土宗門徒ならば一心に念仏を唱えよ。と言われないのか? そうでないなら、この宗派は貴方の要求に応対できないと、 宣伝して回っているようなものである。師の恥だ。 煩悩を滅するのが道であるなら、すぐに南伝へ飛び出して出家すべきでしょう。 命はいつ果てるとも知れず、呑気に書き込む時間などないはずである。 一宗派の門徒ならば、師から伝えられた安心を絞り出し、絞り出して、 与えるべきである。南伝なんぞの教えは不要でしょう。 青白い顔をして訪ねてきた人に、この本を読んでみろと言うのか? 崖に捕まって、落ちそうな人間にこの本を読めと言うのか? 本を勧めるのが悪いのではなくて、相手の心に真に向き合うべきでしょう。 頑張る気力が湧かないと嘆いて苦しんでいる人間に、 「努力にこそ価値がある」と答えを返した僧侶はいないだろうか? 砂漠のど真ん中にいて、飢えて苦しんでいる人間に、 雑巾を絞って、絞って、ひねり出した一滴を捧げるが如く、 求むる者に注ぐべきである。 真に苦しむものは雑巾の水でも礼拝して飲む。 例え地球に宇宙人が攻め込んで、インデペンデンスデイの如く、 飛行機で宇宙船に突っ込み、地球の危機を救っても、 お坊様の恩に報いきれるものではない。 未来永劫に輪廻して善行善業を積み続けても、報いきれるものではない。 hasunohaで答える程に頑張っているお坊様がこの程度(すみません、ごめんなさい)なので、現状の日本仏教界の内実を察するに十分ですよ…すいません。 意識の低いものが跋扈し、仏を貶めるだろう。 正法は、ロウソクの火のように弱ってこのまま絶えるのではないかと、 心配するばかりです。 門徒の恥は師僧の恥であり、師僧の恥は宗祖の恥だと思います。 碌な返答も出来ず惑わすようであるならば、黙していた方がマシです。 偉そうに説教みたくなってごめんなさい。 ただ反省はいくらしても、一円も掛からないので損はしないと思うのです。 私も道の途中ですので、頑張ります!合掌

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お墓、葬式がいらないんですが

こんにちは。またお世話になります。 自死を考えているに辺り、自分のお墓や法要の不必要を感じていることを遺書でお願いしていくのは私の我が儘でしょうか。 (勿論、私の希望が通るかどうかは分からないとは理解してます) 墓守りの家に生まれ、祖父母はお寺に尽力していました。家業が忙しくてもお寺のお手伝いに行ってしまう祖父。その文句を毎度飽きもせず言い続けていた母。私は祖父が好きだったので苦しかったです。 「神様や仏さまはいないけど、親と先祖は大事にしないといけない」と墓参りにはせっせと連れ出され、地獄絵を見せられては「お前はあそこに行くんだ」と言われていたので、お墓=魑魅魍魎の世界のイメージが取れません。 自分の家の仏壇には手を合わせない(私が手を合わすとおべっか使いと文句を言われる)が、母の生家や母の親戚の仏壇には手を合わすように指示されて、正直、お墓もお仏壇も負担しか感じませんでした。 父方の祖父母、母方の祖母はもう鬼籍に入り、3人ともお葬式には行きましたが、その後の法要には行っていません。祖父はギリギリの知らせで旅行と重なり、旅行をキャンセル出来ずに欠席。母方の祖母は母が姉と大喧嘩をし、縁を切った為連絡無し。父方の祖母は子供がいるからと連絡なしでした。 母から逃げてる私はお別れ出来なくて寂しい気持ちはなく、厄介事に巻き込まれずに済んだという想いです。最近の主人の方の法要はうつ病の為、遠慮するようにしております。 こんな私ですので地獄行きも決定ですし、そんな私にお金も時間もかけてもらうのが嫌なのです。 本当は遺骨は海にでも撒いてもらいたい所ですが、それも手間なので、共同墓地の永代供養を頼もうと思っています。 法要も決まり事だからとしてもらうのが申し訳ないし、しんどいだけの行事なので迷惑かけたくないし、思い出してくれる事があれば十分幸せだと思うのです。思い出してもらえなくても全然良いです。主人や子供たちが幸せに生きてくれてたら十分過ぎる供養だと思うのです。 どうしてもお墓や法要は厄介事という想いが取れないのです。 自死するかはおいておいて、お墓法要不要について教えて頂けるとありがたいです。

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日本の宗教に対する意識と新興宗教について

日本には、なんとなく政治と宗教な話は、親しい間でも話しにくいような風潮があると思います。例えば私自身家族の中でも応援している政党が違ったりするとなんとなく気詰まりな感じがします。そういう宗教や政治の話がなかなか気軽にしにくい日本の風潮にお坊さんはどう思いますか? 話は違いますが、うちは曹洞宗ですが、遠くに住んでいる親戚の叔父が韓国の方が教祖のキリスト系の新興宗教を信仰しています。叔父さんはとても元気でタフで明るくて面白くて好きですが、宗教の話をしている時に進化論を否定していることに驚きました。たしかに進化論が正しいかは、私自身教科書でしか教えられておらず、自分で確かめたことはないので、確証や証拠で反駁することはできないのですが。 あと人間だけ霊界があるというその宗教の教えに対しては、全ての生き物が限られた生を命の限り全うするということは同じな世界で、人間にしか霊界が用意されていないという考えがしっくりきませんでした。当然信仰の自由があるので何を信じるかの選択の余地は一人一人あり、全く否定する気はありませんが。その対話をしている時の母がもううんざりといった言動でもう終わりにしてほしいというオーラが全身から漂っていて、とりあえず途中で私が引き下がりました。(こういうところでも宗教の違いを対話するのを嫌がる日本の風潮を感じました。) 比較的歴史の洗礼に耐えて伝統を長く受け継ぐ仏教の宗派のお坊さんは、新興宗教と呼ばれている宗教の特徴や教えについてどういうお考えをお持ちなのか、気になりまります。 お手すきの時にお返事頂けたら嬉しいです。

有り難し有り難し 75
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ご先祖様について

初めて質問させて頂きます。 先日、知り合いの葬儀に参列して、お坊さんのお話を聞かせて頂きました。心にしみる良いお話だなと感動したのですが、ふと一つの疑問が生まれました。そのお坊さんは「49日まで生まれ変わりを繰り返し、そしてご先祖様として私達を見守ってくれる存在になります。ご供養をかかさないようにしましょう。」とおっしゃっていました。『ご先祖様』という存在は今まで何の疑問もなく受け入れてきましたが、興味本位で色々な仏教書を読んでおりますと「人は生前の行いにより、亡くなった後何に生まれ変わるか決まる」といった輪廻という考えがある事を知りました。 もし生まれ変わり、新たな命としてこの世に存在するのならば、ご先祖様は存在しなくなるのでは?という疑問が生じて、先祖供養やお墓参りの時に誰に手を合わせているのだろう??と考えてしまいます。 「ご先祖様」はその姿形で私達の近くにいて、守ってくれているという存在だと思っていましたが、生まれ変わるのならば、何か姿形を変えて違う生命として私達の近くにいるという事なのでしょうか? 長々とまとまらない文章で質問させて頂き恐縮ですが、よろしくお願いします。

有り難し有り難し 85
回答数回答 4

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