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hasunoha 問答検索結果 : 「悟り」
検索結果: 2103件

LGBT差別に腹を立てることも煩悩なのか?

私はゲイです。 最近、LGBTの存在が広く知られるようになったおかげで、楽しいことも増えましたが、同時に酷い差別も目だってきました。 もとい、差別は昔からありましたが、ネットの発達によって、いわゆるヘイトスピーチを目にする機会が増えてしまいました。 私もパートナー制度の実現を喜んだりしただけで、虹色のイベントへの参加報告をブログに書いただけで、見も知らぬ人から心ない言葉をぶつけられます。 またゲイとの交流が深まるにつれて、差別で辛い思いをしている人々の話しを沢山聞き、自分と同じ性指向だけに他人事のように考えることは出来なくなりました。 「差別」は他人様がされているのを見るだけでも非常に不愉快ですが、自分が差別されると、その不愉快さは何百倍もします。 だから少なくとも自分は、他の少数派や弱者の方々を差別しないように気をつけていますし、「ヘイトにヘイトで返してはいけない」と自重しています。 でもやはり内心では、はらわたが煮えくりかえります。 いわゆるヘイトをする人には、これを娯楽半分で面白がっている人が少なからずいます。こちらは切実な問題なのに・・・ でも「怒り」は煩悩ですよね。 私は自分を差別してくる人間に対し、菩薩のように接するのは無理です。 私がお不動さんに惹かれるのは、これも理由かもしれません(お不動さんの慈悲の怒りとはほど遠いですが)。 そこで質問なのですが、 仏教でも差別に対しては、「右の頬を打たれたなら、左の頬を向けてやる」べきなのでしょうか? それとも、非暴力、例えば言論等での抵抗はゆるされるのでしょうか? 差別に対する怒りも煩悩であり、消さなければならないのでしょうか? よろしくお願い致します。

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あるお坊さんに言われた内容

お世話になります。 現在妊娠6ヶ月になる妊婦です。 初めての妊娠ですが、性別もわかり経過も順調で心配事がないといえば嘘になりますが、楽しいマタニティライフを送っておりました。 先日、十数年ほど前に知人に紹介され一度だけお会いしたことのある天台宗のお坊さんから連絡があり、『お腹の子供は脳に障害があるかもしれないからお祓いに来ないとしらんぞ』と言われました。今までも数年に一回、来ないと子宮ガン・乳ガン・不妊症になると言われて来ましたが、お祓いには行かず定期的に検診をうけ、子作り翌月には自然妊娠と問題なく来ています。(お祓いの内容も頚部に指を入れて動かしながら子宮に向かって拝むという内容で親や旦那とは来るなと言われ不信に思い断ってました)こんなやりとりが何年も続き、今回は楽しみにしている子供のことで不安なことを言われたので、お坊さんは産まれてくる子供の病気を予知したりそれを治したり、女性の頚部に指を入れてお祓いをすることが実際にあるのでしょうか。 第一子ということもあり、通常の検診以外でも胎児専門医ににも二度ほど診察して頂き、問題なく順調に成長していると話はしましたが、『医者には治せん、来ないと知らないぞ』と言われると出産を楽しみにしてる為、気にもなります。どのように解決したらいいかアドレスをお願い致します。

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古いお守りを全て紛失してしまいました…

幼い頃に日本を離れ、ずっと海外に住んでおります。子供の頃から古いお守りを3つ持っていました。 今年になって、日本に帰国する機会ができたので、その際にお守りを神社やお寺に返そうと思っていたのですが、3つとも全て無くしてしまいました…。 飛行機に乗る前日に旅行バッグに入れた筈なのですが、日本に着いてバッグの中を確認したら入っていませんでした。うっかり家に置いてきてしまったのではないかと思い、日本から帰った後、部屋の中を探してみたのですが何処にも見当たりません…。 子供の頃からずっと持っていたお守りなので、ショックです。「もしかしたら、どこかで間違えて捨ててしまったのではないか?」「どこか粗末な場所に置きっぱなしなのではないか?」と色々考えてしまいます。 お守りを無くしてから何やら気持ちが落ち着かず、常にイライラしている気がします。職場では上司に口答えして立場を危うくしてしまったり、部下を感情的に怒ってしまったり。プライベートでは、友人の幸せを素直に喜べなくなったり…自己嫌悪に陥る毎日です。 今回、日本に帰国した際に新しくお守りを購入したのですが、あまり効果を得られていない気がします。やっぱり、古いお守りを無くしてしまったから罰が当たったのでしょうか?何か対処法はありましたら教えて頂けませんでしょうか。 よろしくお願いします。

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子供をこの世にうむことの是非

はじめまして 最近、正信掲、歎異抄、大無量寿経、スッタニパータを読んでいます。 読んでいて、不勉強ゆえ以下の疑問が湧いています。 子供を作ることは、愛すべき我が子を、厭うべきこの世に呼び出す行為とも思われ、子を思えばこそ作るべきではないように思えます。以下、詳述しますのでどうかご指導ください。 ブッダは、欲望の支配からの自由、ひいては輪廻転生からの解脱を説かれます。 その前提として、人(を含む生き物は)煩悩具足の凡夫であって、他の生物を殺生し食べねば生きられず、醜い体をもつ哀れな存在だと捉えられていて、「再び母胎に入ることのないように」と仰います。 つまり、私達が子供を作ると、上記の哀れな存在を生むことにはならないでしょうか。子供を作らねば、輪廻転生の苦もなくなるのではないか、と思えているのです。 しかも、子を遺して自分が世を去る時後ろ髪を引かれ、絶つべきこの世への執着が、子供の存在によって強まるようにも思えます。 確かに、「人身受け難し 今既に受く」「大海に浮かぶ板の節穴から盲た亀が顔を出すより難しい」とも言われます。しかし、これは、どうせ生まれるなら、他ではなく、仏法を聞ける人身に生まれることの有難さを説かれたものであって、生まれること自体の素晴らしいとのお考えでないようにも思えます。 また、生まれることの幸不幸は本人の捉え方次第とも思われます。しかし、もし子が生まれ、「生まれたくなかった。なぜ厭うべき仮の世に産んだのか」と言われたら、答えに窮してしまいそうです。 この問に答え得るブッダのお考えをご指導ください。できれば、それが書かれている文献の名前と場所(第何章のどの辺りか)もお教えくだされば幸甚です。 どうか、宜しくお願い申し上げます。 (以下、ご参考です) 一五二 さまざまな欲望の対象への、深層の欲望から超脱するようにせよ。そうすれば、もはやふたたび母胎へ入って輪廻転生することはなくなるであろう。(スッタニパータ 荒牧典俊著) 二三五「過去の業は絶えた。未来の業もあり得ない」と、賢者は、来世に執着せず、種子を絶やし、自己存在の芽を未来にまで伸ばしたいとの願いを捨て、油の切れた灯のようにふっと消えてしまう。 三三九 二度と輪廻の世に舞いもどってはならぬ。 三四〇 たえず身体に注意を向けて、その醜さを思い知れ。厭い離れる心に満ちてあれ。

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