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問答一覧

おはちさんと、仏壇について

実家も嫁ぎ先も浄土真宗です。 結婚前、実家では毎日朝晩仏壇へお参りしていました。おはちさんを朝食前にお供えし、領解文を唱える祖父の後ろで手を合わせて、感謝を込めて、一緒に南無阿弥陀仏を唱えます。夕飯前も同様にお参りしたあと、おはちさんをさげていました。 今日久しぶりに、留守をする両親の代わりに愛犬の世話のため、実家へ泊まってます。 この春三回忌を迎えた祖父がしていたように、枯れかけていたお花を替えたり、お線香を供えてお念仏を唱えて手を合わせ、昔のようにおはちさんを供えました。 そこで、ふと疑問に思ったのですが…おはちさん、1日お供えしていたら、ご飯が傷むんじゃ…と思いました。本来、1日お供えするものなのか、それとも早めにさげていいものなのかなと思いました。どうするのがよいのでしょう? それと、私達夫婦の住んでる家には、仏壇がありません。幼い頃から朝晩参ってきたのですが、結婚してからは、お仏壇に手を合わせるのは、主人の実家や自分の実家だけになりました。 結婚以降、この家で亡くなった人はいません。この場合、仏壇は置かない方がよいのでしょうか?もしくは、仏壇の代わりになにか置いたりしたほうがよいものですか? 頂き物をしたら、仏壇にお供えしたり、朝晩のお勤めしたり…そういう習慣のなかで暮らしてきたので、結婚した後からずっと気になっています。 よろしくお願い致します。

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2023/06/27

怪我をした以上に残念だった事

我が子が中学の部活で怪我をしました。        怪我以上に残念なのは、仲間だと思っていた子達がすぐに氷の手配や先生に知らせてくれ無かった事だと話してくれました。        自分は今まで仲間の為にすぐ行動に移し助けて来たのになと。       部員の推薦や先生にも認めれら副部長候補だそうです。       翌日が試合だった事。 テスト明けの1日しかない練習で皆必死だった事。 たまたま先生が席を離れた瞬間の出来事だった事。 様々な不運が重なり仕方なかったのかもしれません。      親として、今後は怪我や体調不良などが起こった際の部員の行動の指導を先生にお願いしました。      下級生合わせて45人ほどの大人数。薄情な部員達の副部長なんて引受けなくて良いのでは?と我が子に問いかけました。 皆の為じゃなく自分の経験の為にやると、足を引きずりながら今日も学校へ登校しました。       最近は反抗期で会話も減る日々ではありましたが、 我が子の考えが正しい事、理不尽を乗り越えようとしている事、その背中を見送りながら成長したなと嬉しい気持ちと共に、 なんとも言えぬ遣る瀬無い気持ちの私に何かお言葉を頂けますでしょうか。

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辛そうなご信徒様。私がお参りの時間をずらしてあげるべき?

 いつもお世話になっております。  祈願寺に、毎日同じ時間にお参りするお嬢さんがいます。 彼女は同じ所に座り、誰かが座っていると戸惑ってしばらく 硬直した後、どいてもらっています。                *  辛い事情があるのかと思い、笑顔で道を開けてあげたりも していましたが、どうやら彼女は私を敵視しているようです。  きょうは、狭い地下通路でカメラを振り回す信者さんに 呆れて思わず私がため息をついたら、足元で拝んでいた 彼女に睨まれました。              *  この前などは定位置と知らず座って拝んでいたら後ろに 立ち尽くしていて、「あ、失礼します」と譲ろうとしたら、 ふん!と目を逸らして他の仏様の所へ行きました。  それからか、いつも睨まれます。法要の後帰り支度を していると、横から鋭い視線を感じます。              *  大人には萎縮しています。彼女は役員をしていて、他の 子がやらない事をして認められようとしているようにも 感じます。お寺側も、彼女を理解している様ですが…              *  私の悪口を言っているところも聞いてしまいました。  彼女に罵られて来なくなってしまった方もいます。 話しかられても応じずに瞑想していたので…              *  会っても笑顔で接してあげるようにしていますが、すごく 気まずいです。私の休日の都合でいつも会います。  私が時間をずらしてあげるべきでしょうか?              *  仏様の前で心乱してしまう自分が恥ずかしいです。 私も彼女も「仏の愛しい娘たち」だと思っています。  「その銃を下ろしてくれ」という気持ちです。   ご意見いただきたく存じます。

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年明けを待たずに死にます

現在、貯金を切り崩して生きています。 このまま稼ぐ手段が見つからなければ死にますが、自分が野垂れ死ぬことには納得がいくというか、客観的な視点で「こんな奴死んだ方がいい」と自分にずっと思いながら生きてきました。 問題のある人格に対して「そんなんじゃ生きていけない」と家族から「厳しくも厳しくもありがたいお言葉」をいただきながら育ちました。結果、その通りになりました。 この世界がうまく回っていて、私だけに問題があるのならばまだ生きる希望がありました。しかし、現実はそうではない。私が生きていてもいなくても、この世界はどんどんと悪くなっていく。そもそも、生きることそのものが欠陥だとしか思えません。 人生は「他人にどう見られるか」が全てです。完全な自給自足ができない以上、何かの手を借りなければなりません。そのためには他人に好ましい印象を与えなければなりません。私はそれができませんでした。 この世界は私が生きようが死のうがどうでもいいものです。生きていられる人間は、「自分を大事にしたい」という動物的本能を疑わないでいられるから生きられるのです。しかし私はその本能こそが全ての苦しみの元凶と憎み、「全ての生命は存在しないほうがいい」という強固な思想に囚われています。これを打ち破る根拠をこの世界に見出せれば良いのですが、その機能が私に備わっている気がしません。何を論じられても、申し訳ないことに、「わざわざ生きる根拠」にはなり得ません。この世界には私よりもずっと有能で賢い人間が沢山いるのに、全生命を安楽に絶滅させる方向に行かないのは、私が決して感じることのできない「それでも生きる意味」があるからなのでしょう。 私の人格や感性が望まれたことなどありませんでした。それとも、関わる人間の誰からも死を望まれながら、殴られながら生きるのが修行でしょうか? 未来を捨て、この世界や他の人間に「生きさせてください」と頭を下げ、心身を削る「労働」を辞めた今が人生で一番安楽です。つまり、私の幸福は死の直前にしかありませんでした。 私の望みは、「物質世界から解放される」「五感、痛覚、あらゆるものを感じる機能を失う」「誰からも観測されない状態になる」こと、つまり、「永遠の死」「存在しないこと」です。そして、これこそがあらゆる生命が目指すべき地点だと思っています。こんなことを考える人間だから生きられないのです。

有り難し有り難し 13
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