無知で大変申し訳ない質問です。 お坊さんは、法事やお葬式で、お一人でお経を上げるようになられるまで、皆さん、 厳しい修行をなさるのですか? なぜ一般人のお経とお坊さんのお経では、表現しにくいですが、パワーというかオーラというか、違う力があると思ったので、違いは何なのだろうと思った次第です。 失礼かつ無知な質問で申し訳ないです。 何卒よろしくお願いします。
私は子供の頃から仏教の法事の時のお経の後のお坊さんのお話が大好きでした。なんだか心があらわれるような報われるような気持ちになるからです。 故人親の法事で、参列者は生存の親、子世帯1(子、配偶者、孫) 、子世帯2(配偶者、子なし年齢的に諦めた) の場合、 お経の後のお話で、子孫繁栄について触れることはありますか? 先日、他の派生系宗教の法事で、お経の後の説話で、信者ではない私達子なし夫婦の前であからさまな子孫繁栄万歳話し、子孫を残すことのみが最高の親孝行話しが繰り広げられ、私は内容に酷く傷つき鬱状態で、死にたい気持ちです。私は純粋に故人を思い出し、感謝し、今の自分達が立派に生きてますよと、生きてる親を大事にしますと思いたかっただけなのですが全て打ち砕かれました。 仏教の場合、私達の様に子なし家族が混在する小規模な法事の場合、どの様なお話をされますか?
現実的でなくても構いませんので、お坊さんが考える「この世があるべき究極の状態、仕組み」について、ご意見をお聞かせください。
人生を生きるのがつらくて仕方ないです。 悲しくて、孤独で、痛くてどうしようもないとき、お布団に抱きつきながら『仏様に抱っこしてもらっている』という想像をよくしています。 そうすると涙が出てきて、少し心が和らぎます…。 阿弥陀様とお地蔵様が大好きなので、特にその御二方を想像します。 でもふと気になったのですが、これって仏教的にはどうなのでしょう…? 仏様の身体に触れる(ましてや抱きつく)想像をするなんて、失礼でしょうか?
通学路にお地蔵さん2尊と謎の石碑(どちらも人の膝丈くらいの大きさ)がいらっしゃいます。墓地と隣接しているので,おそらく墓地のお地蔵さんなのだと思います。 人通りが多くて手は合わせられないものの,おはようございます,程度の挨拶をして前を通っています。 片方のお地蔵さんには赤い毛糸の帽子と前掛けがかけてあり,もう片方のお地蔵さんには何もない状態です。 見ず知らずの全く縁のないお地蔵さんに赤い前掛けを差し上げてもよろしいのでしょうか。 墓地の責任者の方もわからず,その墓地に誰か縁のある人がいるわけでもなく,ただの通りすがりなのですが,そんなことをしてもよろしいのでしょうか。 私のいるところは寒さが特に厳しい地域なので,寒い中はキツイのでは・・・と少し心配です。
以前、師僧の事で相談したものです。 先日の説法会でのことです。 個人名をあげて同宗派のお坊様の悪口を言っていました。 参加者は、しーん。顔を見合わせる方も。 まずいと、思ったのか「このごろちょっと荒れとるんですわ」と、自分で言ってました。じぶんでも、お分かりのようです。理由も薄々わかりました。 弟子としては、ハラハラ。近々面談する予定なのですが、その時にさりげなく何かお伝えした方がよいでしょうか。でも、畏れ多いですよね。 ちなみに、その会に出席している弟子はわたしだけです。 へんな噂がたたないようにと、気をもんでいます。 どうお伝えすればよいでしょうか。
アニメの一休さんの考える時の姿勢は坐禅をしているように見えるのですが、仏教では何かを考える時ああいう姿勢になることはあることなのでしょうか?
こんばんは。 度々失礼します。 近畿圏内でご住職の法話を聞けるお寺がありましたら教えて頂きたいです。 お願いします
最近、仏様に興味が湧きまして、いろいろ調べていたらいろんな仏様が居られて、自分の干支の守護本尊があるのですね。自分の一生をお守りいただけると説明がありました。 他の干支の仏様も見ていたら、気になる仏様、惹かれる仏様も居られます。 また、お願いの分野もあるみたいですね。 護符や、お守りとして持つ小さな木彫りの仏様はやはり自分の守護本尊様がいいのでしょうか? 自分が産まれた干支も意味があると思いますし、その仏様と縁があって産まれて来たので、自分の仏様をお守りにした方がご利益もあるのでしょうか? よろしくお願いいたします。
法会、雑務中に、説明できない体験談、生々しい夢などございましたら、教えて頂けますでしょうか。
空とは例えば人間は肉と皮と内臓の組み合わせで出来ていて実態が無い。 他の動物や植物もまた家電製品や車ありとあらゆるものは何かの組み合わせで出来ていてなんら実態はない。 核がない、そんな感じでしょうか?
仏教でもそれぞれの宗派があって 開祖とされる方がおられますが、 お坊さん達はそれらを信じてますか? お経を唱え信仰を持てば その通りになると心から信じてますか?
檀家さんとかも。。。 これから、日本の仏教が廃れていかないか心配です。
毎日朝、昼、夜にテーラワーダ仏教の「慈悲の瞑想」をして、5分ほど坐禅をして、お経(般若心経か阿弥陀経)を読んでいます。 宗派がばらばらですがこういうことはしてもいいものなのでしょうか?
なぜ、日本の仏教のお経は漢字の羅列で、信者のために分かりやすいように別に生き方の手引書のようなものを作ってこなかったのでしょうか。 僧侶の読経のためだけに存在しているとしか思えません。
合った時、宗教に関する話をされることがありますか? あえてそういうのを避けて、世間話とかで抑えますか?
説法を聞ける寺院を探しているときに このhasunohaを知りました。 過去に幾つかの宗教を少しづつ経験しましたが 仏教が一番と感じたけれど 無宗教で良いか…って
真言宗の「伝法灌頂阿闍梨位事」という書類について 江戸時代の伝法灌頂阿闍梨位事という画像を図書文庫のインターネットサイトで 何点か閲覧したのですが、これらは江戸時代のものでした。 今も、まったく同じ内容の文言で、伝法灌頂の書類として使用されているのでしょうか。 また文書の中に「弘法大師八葉、今至、愚身第四十四葉、大悲胎蔵第四十三葉伝受」との 文言がありますが、これは伝受を受けた僧侶が、金剛界での血脈の師匠を遡ると人数が四十三人、胎蔵界の血脈では、一人少ない四十二人いるという意味でしょうか。 以上、お教えください。
空海さん、法然さん、親鸞さん、道元さん、栄西さん、日蓮さんなど各宗派の宗祖に会えるとしたら、お坊さんはどういうことを聞きたいですか?
臨済宗で、修行の途中です。 師僧から、自分の修行の方向は自分で決めなさいと、言われています。 そこで、日本の臨済について色々と調べてみたところ、開祖の栄西師は、比叡山で天台教学を学んでいたことを知りました。日本仏教の母とも言われているそうですね。 わたしも臨済の座禅を学びつつ、天台教学を学んでみたいのですが、この方向性で、間違っていないですよね。 ラッキーなことに天台の尼さんになりたい人のお勉強会を聴講してもよいことになりそうです。 他宗派を学んだため、破門!と、言うことはないですよね。 ちょっとビクビクしています。