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hasunoha 問答検索結果 : 「地獄」
検索結果: 2109件

罪悪感でもう死にたいです

こんばんは。私は過去(小学生の頃のころ)沢山の人を傷つけてきました。 陰口や悪口を言ったり暴言を吐いたりなどです。私自身も沢山悪口を言われてきました。その時の悲しみを私は分かっていた筈なのにです。 そしてその悪口や陰口が原因で友人達は離れていきました。その際にやっと自分がとんでもないことをしたのだと気づき、それからは自身の言動に気をつけ思いやりを忘れず生活してきましたが、ふと昔のことを思い出すと罪悪感で潰されそうになります。 「みな試行錯誤であり、それは良い経験であった」「もし昔のことを思い出したら心の中で謝り、今出会っている人たちやこれから出会う人たちを大切にしてあげてください」「神仏やご先祖様に向かって罪の告白、相手への謝罪、今後あのようなな事はしないといった誓いなど懺悔することを日課にする」といったアドバイスをいただいたり他の方向けのご回答を拝見したりして少しでも考え方を改めようと思いましたが、それでも罪悪感で息苦しくなってしまいます。過去が消える訳でもありません。もし今仲良くしてくれている友人達が昔の自分のことを知ったら?昔の自分を知っている人と今の友人が出会って自分の過去のことを知られたら? そのような想像をしてしまい不安で仕方ありません。今でこそ多くの人に「優しいね」と言ってもらえることが多いのですが、昔の自分を思い出し、「本当はそんなことない」と素直に受け止めることができません。 「死」を選ぶことは逃げであり結局は自己満足でしかないことは分かっています。それでも罪悪感でいっぱいになり生きていくのが辛いです。 もう「死」が一番の贖罪ではないかと考えてしまいます。

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これからの生き方

現在勤めている職場では 道端で倒れ脳障害を患い健在の頃の一切を忘れ、名前さえも行政がつけた仮の名前。家族から見放され亡くなった後もお迎えもない方、まだ50、60代と若い年齢にもかかわらず回復が見込めず寝たきりでただ死を待つ方など そういった境遇の方々を日々お世話させて頂いています。 私は無宗教で霊感やスピリチュアル的な事には無頓着ですが 10年程前から夢枕?で不思議な事が度々あり(例えば仏壇の前に4人のお婆さんがいて物凄く怒られて゛妙゛の文字を見せてくる。横綱がつける化粧回しをした寿老人みたいな方が私の手に石を積むなど)最近では 「洞穴光明」といった言葉が眼前をチラチラ。後で調べると何かと仏教へと繋がっていきます。 今まで挫折の連続の人生でしたので自分自身に叱咤激励されてる感覚で捉えていました。しかしながら、今後 中長期的な目標や計画がなく 職業柄 将来の自分の姿が目に浮かび早めに゛他界゛したいと考えいて自制する日々です。 家庭を持てば 心境の変化があるかもしれませんが、悲観した未来を持ったまま 恋愛、婚活などをしようともおもいません。 ただ、まだやり残してる事があるような感覚、それがあるのは事実。 生き続ける上で普段からの心構え、意識の持ちようなどアドバイス頂けたら幸いです。よろしくお願いいたします。

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2023/08/03

死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

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動物の殺生について

年に数回は熊やイノシシなどの動物が村や市街等に出没したいうニュースを見ます。 それらは遭遇したら危険な場合が多く、人間を襲い大けがを負ったり最悪の場合、死んでしまうというケースも少なくありません。 また、動物園の動物が暴走し人間を殺してしまうという大変悲しいニュースも見かけます。 たいていの場合、そういった動物達は地元の猟師や警察等に殺されてしまいます。 被害にあった関係者へは大変失礼な話かもしれませんが、だからといってそういった動物達を殺すというのが理解できません。 野生の動物たちは日々生きるのに必死で本能に従って食料を求めているはずです。自分たちの住処で得られなくなった食料を求めて探し回っているはずです。 人間を食べるために襲っているというわけではなく恐怖を感じたり、自らの命を守るため自衛手段として襲ってくるのだと思います。 趣味で山へ登山したり、森等で山菜採りやキノコ狩りなどする人達は動物達の住処に無断で土足で入り込んでいるのと同義だと思います。 見ず知らずの他人が自分の土地へ入り込んだら警戒するのは当然のことです。 動物園の檻に入れられた動物達は保護されたものもいるかもしれませんが、人間の利益・私利私欲のため無理矢理檻に入れられ、育てられ、見世物にされています。 別の話ですが保健所では捨て犬や捨て猫たちがどこかで毎日のように殺処分されています。無責任な人間たちのおかげで命が無駄に失われ続けています。 地球は人間だけのものではないはずです。動物には動物達の命があります。 なのにむやみやたらと食べるため以外の無駄な理由でなぜやたらと殺すのでしょうか? 殺せばそれで終わりで簡単ですが、傲慢すぎやしませんか?もう少し尊重できないのでしょうか? 自分や、自分の大事な人達が襲われたらどうするんだ?等と怒る人達も出てくるはずですが、 そういう話をしたいのでなく大きい命であろうが小さい命であろうができるだけ大事に考えたいという事です。 きちんと棲み分けできればそれでいいのですが、それも難しく人間と動物達がよりよく共存できる道がないのかと日々考えされられます。 人間たちが地球に住まわせてもらってるという感謝の気持ちが失われていると思います。 あまりに好き勝手ばかりしていると動物達と人間の立場が逆転しても文句は言えないのでは?と思うのです。

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「天命」の意味とは

「人事を尽くして天命を待つ」の意味を教えてください 私は今、行方不明の愛猫を探しています。 モットーに「人事を尽くして天命を待つ」と掲げ、折れそうな心を励まして探して来ました。 しかし、素人なりにかなりいろいろな捜索活動をしたのですが、ちっとも情報が来ません。 「天命」を待つ間、眠れず食べられずイライラキリキリして張り裂けそうになっている時、hasunohaに出会いました。私の質問に答えていただき、また過去似たような状況で苦しんでいる人の問答を読んで、現代社会のドライな価値観とは違う広大なものの捉え方にとても慰められました。 気づいたのですが、私は「天命」を「よい知らせ」とだけ捉えていたようです。しかし、ハスノハで問答を読むうちに、「天命」とは、よい知らせという意味ではなく、いいことも悪いことも、命のありよう全てを含んだもっと大きなものなのではないかと気づきました(上手く言えなくてすみません)。 「なぜ必死で手を尽くしているのによい知らせが来ないのか、努力が足りないのか、大切なあの子に、辛く苦しい残酷な死に方をさせてしまったのではないか」と焼け焦げそうにイライラして泣いてばかりいましたが、猫という命と人の命、その別々の命が出会ったことにもっと感謝して、自分のこれまでの生き方など全てを大きく受け止めることが「天命を待つ」の本当の意味なのではないかと、気づきました(分かりにくい文章ですよね?すみません) よい知らせばかりを待ち望んでいた私にとって、この意味に気づいたのは衝撃でした。「天命を待つ」とは、いい結果も悪い結果もそのまま大らかに受け止めることではないかと思ったとき、全く違う世界が広がったのです。 私は、愛する猫を危険な目に遭わせるどうしようもない飼い主です。人によっては、動物と関わる資格がないと言うでしょう。けれど、少しずつ自分を許していかないと、今後呼吸すらできなくなり猫の捜索に向かうパワーがなくなってしまうと感じています。 ごめんなさい、ほとんど独り言の懺悔になってしまいました。 まとめると、お坊様に聞きたかったことは、「人事を尽くして天命を待つ」という言葉についての、仏教的解釈です。もとは儒教の言葉だと聞きかじりましたが、「人事を尽くして天命を待つ」とはどういうことなのか、教えていただきたいです。

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