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hasunoha 問答検索結果 : 「悟り」
検索結果: 2103件

執着を手放すには

以前、流産と不妊について相談させていただいた者です。その節は心のこもった回答をありがとうございました。 ご回答やそれ以前の問答を拝見したりして、少しずつ落ち着きを取り戻していますが、なかなかすぐに元気にというわけにはいかず、まだやっぱりもがいています。 ところで、以前TVでストーカーのニュースを見ていたとき、「ストーカーの人が幸せになれるとしたら、それは執着を手放して、他の道を進んだときだよね」と、家族に話しかけて自分でもはっとしたことがありました。私もそうだ、と思ったからです。 たぶん私は子供がほしいと思うあまりそのことに執着しているのではないだろうかと気がつきました。繰り返し流産して、いったん手にしたと思ったものを何度も失ったことで、余計にそれが強くなってしまったのかもしれません。 なんとかこの執着を手放したいと思ってきましたが、なかなか難しいようです。もともとこんな気持ちが背景にあったので、こちらの仏教に関連したサイトにご相談させていただいたのかもしれません。 説明が長くなってしまいましたが、このような執着を手放すための心の持ちようはあるのでしょうか?ご助言をいただければ幸いです。

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自死に向けて期限を設定します(前世のペナルティ?)

昨夏、このサイトで相談したものです。 相談・・・というか、宣言に値してしまいますが、お目通し下されば幸いです。 今、私が病気で苦しんでいるのは、 前世、何か罪を犯したことのペナルティなのでしょうか? 治療が難しい病気(症状)と闘い、様々な医療機関にかかってきました。 期待の持てる療法もいくつか試し、治癒への期待もかけましたが、少しも改善せず、日々症状の悪化にひたすら耐える日々です。 でも、その症状自体は死に至るものではなく、文字通りの生き地獄をさまよっています。 これまでは治る見込みにむけて頑張る気持ちがありましたが、もうその気力が果ててしまいました。 医学的にはあらゆる検査をしても異常が見つからないのです。 自律神経のアンバランスとか、ひいては精神的な事によるもの・・・と、 かたづけられてしまいますが、そんなことが原因ではありません。 物事に対する優先順位などに対しての冷静な判断など、症状さえなければ 至って理性は働いているので、鬱でもメンタルトラブルでもありません。 むしろ難病指定されたり、余命宣告を受ける方がよっぽど割り切れます。 身内を始め、関わってくれるドクターなどは親身になって対応してくれます。でも、もうこれ以上は無理です。 できるだけ廻りの人には迷惑をかけないように段取りたいと思っています。 一般的には自殺自体が周りに迷惑をかけると言われますし、私もずっとそう考えてきました。 でも、病気が治らない事で、心労や金銭的に家族に迷惑をかけている事の方が辛いです。 そろそろ期限を設定しようと思っています。

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運命には逆らえないのでしょうか?

いつもQ&A拝見させて頂いています。「なるほど」と思う事が多くとても参考になっています。 ところで、「運命」って存在するものでしょうか? 「運命」だからって言葉を使いますし、自分に言い聞かせる時も「運命」のせいにする事って結構多い気がします。 人生において、原因がありそして結果が付いてきます。結局因果そのものが運命かな?って思う事が度々あります。 悲惨な事故や事件を見ると、悪人だから遭遇したと言える人は少ないと思います。この日この時この場所に居なければ遭遇しなかったはずです。しかし残念ながら遭遇してしまった。「運が悪かった」では済まないと考えます。結局、生きている以上常に物事や行動を選択し原因を作り、何らかの結果が出て、「運命」と諦め落ち込んだり「運命」に感謝し喜んだりして。 支離滅裂になってしまいましたが、ご住職の方々が考える「運命」とはどのようなものでしょうか?逆らえる事は出来るのでしょうか? 私自身は抵抗する元気もないので、万事を受け止め現世に生がある限り前に行くしかないと思っています。辛くきついですが、これが「運命」なら仕方ありませんから。

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「宗派にこだわらない信仰」についてどう思われますか?

例えば浄土宗の檀家で、普段は念仏を唱えているけれど、ときどき座禅や阿字観に参加したり、お護摩に参加する。 そう言う人が知人に居ます。 私の場合、浄土宗で冠婚葬祭も勤行も、阿弥陀様メインではありますが、同時にお不動様と大黒天様に惹かれ、こちらも勤行しています。 (浄土宗のお寺にも多くは無いですがお不動様をお祀りしている所があるので、大きな軋轢は無いだろうと思いました) 最近、一般向けの仏教の啓蒙書でも、そうした「宗派にこだわらない」立ち居地から仏教を紹介している本も少なくないように思います。 私も、とある有名な仏教解説者の影響を受けて、こうした立ち居地が、個人的に合うように思い、そうしてきました。 ただ、色々と仏教を勉強していると、「そうした信仰はよくない、宗派は1つに絞るべき」と言う意見にも、しばしばぶつかります。 最近では、浄土宗の檀家の私が、護摩に参加するぐらいならともかく、結縁灌頂まで受けるのはやり過ぎかな? と悩んだりもしています。 お坊様は「宗派にこだわらない信仰」についてどう思われますか? この質問は聞きずらいですし、お坊様がたもお答えしずらいかもしれませんが、「宗派にこだわらない」一般仏教啓蒙の影響を受けた者には、けっこう切実な悩みです。 よろしければ、ご意見を伺えたら幸いです。

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妻帯について

こんばんは。 同じような質問を他でも見かけるのですが、改めて質問させてください。話をまとめるのが苦手ですので長くなりますがご容赦ください。 一週間ほど前に出会った海外の僧侶の方に、 「なぜ、日本の僧侶は結婚するのか」 という質問をされました。 私の生半可な知識では到底答えられなかったのでhasunohaで見かけた意見などを紹介してみたのですが、いまいち質問の意図にそぐわない気がしました。 彼が訊ねていたのは妻帯を許されるようになった歴史とか、結婚したらしたなりの別の修行があるから、というようなことではなく、なんと言えばいいのか…もっと根本的なことのように思います。(と、いっても私の拙い英会話力での印象ですが) 会話の中では"不必要な結婚"(わざわざ戒律を破る不可解な行為)とも表現していました。 彼はインドで修行を開始し、その後"世捨て人"(なんと訳せば良いのかわかりませんが、英語ではrenunciantと呼んでいました。彼は家も(自認する)国籍も持たず、各地を放浪しながら乞食修行を行なっているようです)になったようです。不学なので詳しくはわからないのですが、インドでの仏教のあり方に最も共感しているようです。それ故、日本でのこの特殊な仏教のあり方に心底疑問を抱くようで、お寺が世襲制であることにも違和感を感じているようです。また、人によってそれぞれ適した修行方法があるし、だからこそ妻帯者には妻帯者なりの仏道修行があるのは認めた上で、それでも、最終的には乞食修行に行き着くのではないか、とも語っていました。 日本という国や仏教に関心を寄せる身として、「今後空海のような人が日本から出てくることはないだろう」とか、「日本のお坊さんは会社員と同じ(誰でも望めばなることができるし、ビジネスとしてやっている)」などと言われてしまうとなんだか悲しくなってしまいしたし、うまく答えられないことがとても悔しく感じました…。勿論、彼に日本を貶めようとかいう気が全くないことは重々承知の上ですが…。 長くなりましたが、hasunohaに集うお坊さま方は彼の質問"日本の僧侶はなぜ妻帯するのか"にどのようにお答えになりますか?是非皆様の智慧をお貸しください。 彼はまだしばらく近くに滞在しているので、会う機会があれば伝えたいと思います。 どうぞよろしくお願いします。

有り難し有り難し 79
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