私は誰からも嫌われたくないと思ってしまい、自分自身の細かい会話や行動をすごく気にしています。 仲良い人でも知り合い程度の人でも、今日の会話や対応はおかしくなかったか寝るときに考え込んでしまうこともあります。 独身の時は私自身の言動を最大限に気を付ければよかったのですが、子どもが大きくなってきた今では、子どもを通して私自身の評価が気になってしまってきているように感じます。 例えば、子どもの一歳の時の発表会で、子どもがどんどん前に出てきてしまい他の子とかぶってしまうことがありました。きっとその保護者さんはうちの子どもに対して「邪魔」とか思っているだろうなと思ったら、謝罪した方がいいのではないかと悩みました。 その時は、その方に会ったら謝罪しようと決めたのですが会えないまま転園してしまったので、今でもモヤモヤが残っています。 子どもの言動までどうこうできることではないし、子どもと私は別であることもわかっているのですが、子どもがわざとでないことで相手を傷つけてしまうことがあるかもしれないと思うと、今はただただ恐怖しかなく、今後もっと色々な問題があるのかと思うと、生きていくのも辛くなってきました。 色々な人に「気にしすぎ」「謝りすぎ」とよく言われます。 世の中すべての人に好かれることはないこともわかってます。 でもどうしても気になってしまって気になってしまって、苦しくなって辛いです。私の評価が下がる、子どもが嫌われる、この先絶対あることです。 私が子どもを産むべきでもなかった。 色々考えてしまいます。 なにか少しでも周りを気にしないで子育てできる方法はないでしょうか? ご教授いただけたら幸いです。
私は、沖縄、奄美大島のユタ家系に生まれました。ユタは、血筋があり私は神を拝む運命と幼い頃から言われていました。 ユタであった祖母(故人)の教えは私の中で尊いものですが、神がかりといわれる試練を乗り越えていくアドバイスが欲しいのですが… 色々な宗教の本を読み、祖母の答えを探している自分がいて、本当の神とは?神と仏はどう違う?宗教でなぜ争いが?私はどう生きればいい?迷いながら苦しみ、明日生きとうせるか?朝、目が覚めるか? 子孫を苦しめる先祖はいない。これを信じてこれだけを頼っていますが、仏様なら、どうお導き下るでしょうか。
こちらではいつもお世話になっております。五十代半ばの男性です。ここ何年か題名の通り、老病死を強く意識するようになりました。それまでは頭にはあったもののほとんど気にしないで生きて来ました。 (老)に関しては、平均寿命から残り何年いきられるか?とか実感するようになったり、いつの間にか回りやテレビで活躍する人達がみんな年下で、二回りも下もいたり。またあと数年で還暦というと愕然とします。なにもできないまま年だけとったように、そんなはずではなかったのに等と考えてしまいます。ケアはするようにしていますが体力も目に見えて衰えて来ました。白髪も増え、目も悪くなって来ました。 (病)(死)に関しては今のところ大きな健康問題はないのですが、両親を内臓系の悪性腫瘍で亡くしているので、毎年の人間ドックが異常に不安です。食生活に気を配り、毎日ウォーキングをしたり等てできる限りの事はしていますが、両親の闘病から亡くなるまでのつらい経験が恐怖を増しているのかもしれません。 老病死という誰もが避けられない苦が急に身近というか、現実見をおびてきた感じでしょうか。 普通に結婚して子供に恵まれ、企業の管理職として並みの生活、人生なのかもしれません。ただなぜか急に老病死が受け入れ難いのです。 これからの余生の心構えについて是非アドバイスを頂けますと深甚に存じます。
今日で一つ歳を重ねました。 幸せであるべき日が、こんなにも辛い日になるとは… 明日からの希望がもてません。 どんなに前を向こうとしても、心が暗闇に吸い込まれていく。 死んだら終わり。死んじゃだめだってわかってても、終わりにしたい気持ちがつよすぎて、どう弱い自分と向き合えばいいのかわからなくなってしまいました。 来年のこの日、今日の辛い気持ちを思い出すのかと、悪い方にばかり考えてしまう。だったら…。 こんな自分が嫌いです。 全てが嫌になりました。
あるご真言を本で読んで知り、一定の回数をお唱えすると良いと書いてあり、印も載っておりました。 印を組みながらお唱えすると良いと書かれていたのですが、回数を数える際はお念珠を使用するとも書かれていたのですが、お念珠を使用すると印が組めません。 印とお念珠のどちらを優先すればよろしいでしょうか?
浄土宗では佛說阿彌陀經の後半部分のみをお上げする場合があるということをネットで見かけました。 そこで疑問に思ったのですが、その後半というのは「舍利弗如我今者讚歎阿彌陀佛不可思議功德」から最後の「作禮而去佛說阿彌陀經」までということでよいのでしょうか? それとも(六方諸仏が証誠する対象が明確になる)もう少し手前から読み始めるのでしょうか? さらに、序分は不要なのかという疑問も湧き上がってきました。 このような疑問を感じたのは、時間の無い時のお勤めに、という邪な理由も多少ありますが、ボケ防止(^^;)に佛說阿彌陀經を覚えようと思い立ったというところにあります(誦経よりも読経が良いということは聞き及んでいるのですが、経本のないところでも時間があればお上げできるというところに魅力を感じています)。 そして、後半部分の方が覚えやすいということもあり、まず手始めに後半を、、、と思ってお尋ねした次第です。 よろしくお願いいたします。 南無阿弥陀佛
タイトル通り、事故で死にかけました。 その時、はっきりと死を覚悟した感覚がつきまとって離れません。 寝ていても苦しくなって過呼吸のようになり目が覚めます。 こわくて仕方ありません。 そしてわたしの人生を振り返るようになりました。 たぶん幸せな人生でした。 つい5年前くらいまでは。何1つ疑うことなく生きてきました。でも5年前に4番目の子を産んでから劇的に変わりました。 4番目の子は重度の自閉症があります。 言葉は話せません。ガマンもしません。言葉は悪いけど動物のようです。 本能のままに生きています。 わたしはこの子がとてつもなく愛おしいです。 笑っていても泣いていてもです。 道路でもお店でもジタバタしながら泣きわめく子を周りの人は何事?と怪訝な顔をして見ていきます。 でもわたしはうらやましく思い自分を素直に表現する我が子を愛おしく思うのです。 でも、そんな我が子を見ながらわたしはこの子を幸せにしてあげられているのかと思ってしまうのです。 わたしは病気がちで休みの日も家にいることが多くつまらない思いをさせてはいないだろうか… わたしの勝手で離婚してしまったからこの子にもっとあげられるはずだった幸せを奪ってしまったのではないか… そんな時強く思うのです。 この子はなぜわたしを選んで産まれてきてくれたんだろうと。 わたしじゃなかったらもっと幸せだっただろうに… この子を本当に愛おしく思うからこそ苦しくなります。 そしてあの時、あの事故の時にわたしなんて死んでしまえばよかったのではないかという思いに取り憑かれてしまいました。 疲れてしまったのもあるのかと思いますが… 1人で思い悩むのにも疲れてしまいました。 何かお言葉がいただきたいです。
35歳の弟が原因不明の病気で亡くなりました。 亡くなってから一週間後に見つかりました。 亡くなって3年経ちます。 ちゃんと成仏してるか気になってます。教えてくださいますようお願いします。
よく臨死体験された方が この世と あの世の境目に川がながれているといわれますが お釈迦様は中道を行きなさいと いわれてますが あの世とこの世の真ん中 川に身を委ね 成り行きに任せなさいと言われてるんでしょうか 子供の頃 寝たら死ぬんじゃないかと思って 寝ている時って 魂はどういう状況なのでしょう 肉体を手放したら 仏様に会える 肉体があるうちは 仏様は見えないんですね 。という事は性を持つ事が汚れを持つと 言う事なのですか?汚れを持つと 見えないと言う事? ですか?
今月の頭に、有名な神社に行って、家の間取りや、家族の原因を見てもらいました。今は良い方向に向かっているので、本当に感謝しています。 お釈迦様のお話を聞き、すごく知りたくなったのですが、 生き方について学びたいなと思っております。 お釈迦様を深く知りたいのですが、どうやったら知ることができるのか教えてください。
子供が好きな安定したお坊さんと結婚したいと思ってます。お坊さんは合コンはしないんですか?お坊さんと出会うにはどんなきっかけ作りで結婚したかエピソードをきいてみたいです。
お世話になります。 今年の11月の一周忌に納骨を行います。 その際にカロートに写真(頂いた賞状や勲章の)や、 生前に愛用していたお数珠は、お骨と共に入れてあげられますか? 寂しくないように家族や孫、ひ孫の写真も考えましたが、 生きている者の写真は入れるべきではないのでしょうか? 墓地の管理者によりますか? 大丈夫ならばそれは骨壺でなく、カロート内ですか? 埋葬は骨壺のままだそうです。 よろしくお願いします。
もうすぐお盆になりますが、 海外に住んでいる都合上お墓参りなどが難しくなっております。 そういった場合に代わりにできることはありますか? コロナの時は行けませんでしたが、お盆の時は毎年母方の祖父母の家に帰省し、迎え火送り火と墓参りをしていました。 現在は毎年の帰省や墓参りも難しくなっております。 家で手を合わせて祈るだけでもいいのでしょうか? また、姉(水子)の供養のためにお地蔵さんにもお参りしていましたが、それもできなくなってしまいました。 それについても何かできることがあれば教えていただきたいです。 場所柄、お線香も手に入れることができませんが、お香などでも代わりになりますか? 質問ばかりで恐縮ですが、 ご教示いただけますと幸いです。 よろしくお願いいたします。
初めまして 随分前からなのですが、急に心に穴が開く感覚があります その時はとてつもなく寂しくなり、自分と今の現状が嫌になります 好きな事、やりたい事は出来ているはずなのに何故なのでしょうか? 納得できる答えでなくても良いので 返答お願いします
先月の月末に、浄土真宗のお寺を訪問し、お経を読ませてもらいました。 その翌日に、旦那の祖母(義祖母)が亡くなり、行かなければよかったのか未だに引きずっています。 昨日で初七日が終わり、家では少し落ち着いてきています。 悩み・後悔 ・倒れる前日におかしいのに気づけばよかった。 ・亡くなる前日にお経を読まなければよかった。 この2つが今になって後悔の種です。
建立される時から祖母が友人だったため、その祖母も納骨しているお寺があります。跡取りがなく、養子の方が代を継がれました。その方が新しくお寺を建て替えるので、寄付をおっしゃっています。建て替えも反対者が多かったのですがいつの間にか決まり、寄付をしない方の祥月命日のお参りは行きません。と通達したとおっしゃいますが、誰もそういう郵便は受け取っておりません。 お坊さんとは道しるべを示す存在ではないのですか?祥月命日の供養をしたくてもしてもらえず、泣いている方もいらっしゃいます。 こういう場合は泣き寝入りするしかないのでしょうか?
美容整形で顔や体を変える事をお坊さんはどう思いますか? 化粧や服装では誤魔化せないと思い本気で整形を考えてます。
こんにちは。 私は数年前から一人暮らしをしており、1人の時間も長くなると考え事をする時がしばしばあります。 その中で昔の嫌な記憶を思い出すことがよくあり、思い出した嫌悪感に我慢できずにたまに泣いてしまいます。 自分の性格や人間性のダメな部分に嫌気がさして自己嫌悪に陥るのですが、ああしてこうして育ててくれればこんな人間にはならなかったのに、と親のせいにしてしまう自分に何より腹が立ち、情けなくなります。 もちろん四六時中こうして悩んでいるわけではなく、仕事ができるありがたさや趣味に打ち込める楽しさもあり、普段はポジティブに生活しています。 ですが、人間いつか死ぬのなら、できるだけ早く死にたいなとも考えています。 自分で言うのもなんですが、感受性が豊かな自分にとっては家族も含め人付き合いに疲れてしまい、早く楽になりたいんだと思います(叱られるかもしれませんが… 死後の話でよく『輪廻転生』と耳にします。 私は現時点で20数年しか生きていませんが、もし人間として生まれ変わるのなら、またこんな人生を送らなければならないのならないのは御免だなと思います。 やはり死後の魂は何かに形を変えて生まれ変わるのでしょうか?だとしたら魂の数には限りがあるのでしょうか? もう一度生き物に転生せずに済むのなら、魂ごと消えてしまいたいです。
今、大学3年の息子が将来の進路として大学院に進学を希望しています。歴史の研究者になりたいそうです。 現在、親元を離れて東京の県人寮に入っており朝、夕食月で65000円という破格の安さで生活しており、奨学金51000円と家からの仕送り35000円で生活しています。 学費は主人の親からの援助があり、大学院2年分なら何とかなります。 しかし、生活費はこれ以上仕送りを増やせないし寮も基本4年で出なくてはいけないようです。 妹もおり、将来の結婚資金等を考えるととても可能とは思えないのです。主人も「この家将来手放さなくてはならなくなる」とは言ってくれたのですが、本人は「それは嫌だけど、それなら何か目に見える様にして」と言ってきました。 色んな方に話をすると、本人の意志は尊重してあげたら?お金は何とかなるんじゃない?と言われて私も行かせてあげたい気持ちの方が多いので何とかしてあげたいのですが、妹の事も考えると「兄ちゃんばっかり❗」と言われそうでそれも恐ろしく、本人の気持ちも挫けてしまい廃人の様になってしまったらどうしよう…等考えると恐ろしくてお金の話が出来ません。 本人はもちろんバイトをして生活費の足しにしています。最近は何でも送ってくれとは言わなくなり、洋服等も自分で買っています。何とかなるって考えているみたいで、「俺を信じてくれ」と言ってきました。 話すしかないのですが、怖いです。 帰省している今しかないので、私に勇気を下さい❗
いきなりですが 天皇陛下をお坊さんはどう思ってますか? 仏教、仏様がヒエラルキーの頂点でらっしゃるお坊さんが 現実世界の中であるヒエラルキー的システムを造り出し疑似的に“神”の役割をしているこの天皇という存在をどのように見ているのか? 書きづらいテーマかもしれませんが率直な御自身の意見をお聞かせ下さい ちなみに私は要らない存在だと思います。