私は、最近よく読書をするようになり、そのなかで「禅」に興味を持ち、「100歳の禅語」や「道元『禅』の言葉」などを読んでもっと学びたい、もっといろいろな事を知りたいと思うようになりました。 本屋の宗教や自己啓発のコーナーなどで「これだ」と思う本を探していますがなかなか良いものに巡り会えません。 何かお坊さんオススメの本のはありますか? 「禅」や「仏教」以外の分野でも「これはためになる」「この本はぜひ読んでほしい」「これはおもしろい」というような本があればぜひ教えて下さい。
こんにちは。前回の質問した続きで、 私が自殺にい思い至った経緯を書かせていただこうと思います。 私は、いま18歳の高校生です。 私は生まれてこの方18年間人生を振り返ってみても何も良いことがありませんでした。常に不幸。 小学生の時、母をなくしたり・・・ 現在は鬱気味で、学校に友達や話し相手はおらず、孤独感にさいなまれており、右目に違和感が出てきはじめ体調もすぐれません。常に吐き気とめまいにさいなまれています。 また、受験という壁がこのような状態の私に一層焦りと圧迫感を与えています。 まるで、深淵の海に沈みつつけているかのように息苦しく、そしてこれからの自分がどうなるのかという光も見えてきません。 これが、私の自殺をしようかしまいか思い至らせた原因です。 何度もこの原因に立ち向かおうと思いましたが、私の力など非力なものです。どうしようもありませんでした。 やはり自殺すべきでしょうか? 自殺すればこの息苦しさから解き放たれますか? もう”生きたい”と思いません・・・。 (一応、自殺の準備は進めております。完全自殺マニュアルとロープは購入しました。)
先日、年忌法要の為に帰省したのですが、そこで受けた説法が今も引っ掛かっています。 その説法とは『身内葬で済ますのは不幸なこと』『親族の傲慢』といった内容で、 (忘れようとしているのか)細部まで記憶していませんが、とある事情から恥ずかしながら非常に怒りを覚えました。 その事情とは、年忌の前日に別の親族が亡くなり、事情から親族だけの葬儀にしていたからです。 つまり、その説法と亡くなられた親族が被ってしまい、 『なんて身勝手なことを言うのだろうか』という怒りがあったのだと愚考します。 ただ、親族の代表として向かった手前、怒りを堪えたものの、未だにお坊さんが唱えられた話が引っ掛かっています。 身内だけの葬儀は悪いことでしょうか?確かに親族や友人、知人を呼んで大きく葬式を行うのが一般的でしょう。とはいえ、それが絶対かというと腑に落ちません。 また、説法を行ったお坊さんとは今後も顔を合わせることになるでしょう。 その時にどう顔を合わせたものかと思うと、辛いものを感じます。 (今は説法に対する怒りの感情というより、疑問が凝り固まっているような状態です。) 不躾な文ではありますが、ご教示願えればと存じます。 余談ですが、出来れば浄土真宗本願寺派のお坊さんのアドバイスを頂ければ幸いです。 もちろん他宗の方のお話もお聞きしたいです。
初めて質問します。 いくつか質問を読んでみたら50歳になった人の悩み相談がけっこう目に留まりました。 これからどうやって生きていけばいいですか。 これまで築いてきた地位がなくなってしまった。 私も40代ですが、だんだん生きてきた時間のほうが長くなって、これから残された人生をどうしていけばいいのかなと思うときもあります。 50歳で何かを失ってしまうと20代のころと違ってかなりつらいのでしょうね。 50歳になったときに悩まないように、心構えととか、強く生きられる応援歌をください
しょっーも無い質問ですが宜しくお願いします(>_<)ヽ お坊さんで検索し、美坊主図鑑 というのがヒットしましたΣ(・ω・ノ)ノ ぶっちゃけお坊さんてモテますか? ハンサムなお坊さんのいる寺は 参拝者多いでしょうか(・・;)
ハスノハ初心者です。 殆どのお坊様方の下さるご意見は温かく時に厳しいものもあり、大変親身になってお答え下さっているのだと感じます。 しかし先ほど私の質問に対してではないのですが、ショッキングな回答を見かけてしまいました。 あるお坊様が「結婚は女性向き」「結婚制度は女を守る為のもの」等と回答に書かれておられたのです。 要約すると、女は自分に見返りを求めたがる傾向が強いからこそ結婚すべきだし、女は結婚により守られる存在だ、といった感じです。 このお坊様以外にも「子供を作らないのは身勝手」だとか 「男女には向き不向きがあるからこうした方がよい」等と仰るお坊様方もおられました。 男女は対等な存在であり、結婚は支えあい愛する為にするもの。 女だからといって弱くて至らない存在として守ろうとするのは対等ではなく見下しているのと同じ。 子供は授かりもので、その選択も夫婦の自由意思によるもの。 男女に性差はあるがあくまで傾向でしかなく、腕力等ハッキリ違いがあるものを除いて「向いている向いてない」と決めつけるものではない。 私はこう考えています。 そして当たり前のことではないでしょうか。 とても前時代的なお坊様がおられること、そしてこんな書き方はしたくありませんでしたが差別的な発言をされる方が少なからずおられることにショックを受けております。 こんな風に思う私はおかしいのですか? ハスノハの印象が変わってしまいました。
はじめて質問させて頂きます。 49日までは、故人はこの世にいると何かで読みました。 故人は彼氏で、私は親族ではありません。 49日までに、故人が行きたがってた場所へ、私一人で旅行に行くのはどうでしょうか? 故人が一緒に来て、その場所を見せてあげる事が出来ますか? 後悔が沢山あり、何か故人に出来るだけの事をしてあげたいのです。 どうか回答よろしくお願いします。
初めて質問します。 私は30代、母は70代前半です。 ずっと肝硬変で入退院を繰り返しており、そのたびにまだ大丈夫と考えて過ごしていました。 先日、余命一ヶ月と言われ、どうしていいかわからず、また、覚悟も決まってなくて毎日泣いています。 今までの病院は急性期病院のため、出ていかねばならず、母にとってなじみでもない初めての病院に転院しましたが、やはり不安なようで「生きたくない」「もうどうなってもいい」と言うようになりました。今までの病院では頑張ろうと言ってたのですが… 私も落ち込んでしまい、母の前では元気でいようと思っててもそのような声を聞くと本当にこれでよかったのかと泣いてしまう始末です。 この選択でよかったのでしょうか。また、どのように接していけばいいでしょうか。残りの時間をどのようにすごしたらいいのか教えてください。
半年前に、子どもが二十歳で自ら命を絶ちました。 『生きづらい』と言って命を絶ちました。 お坊さんは『もうお浄土に行かれたので今は苦しがってはいませんよ』と仰いました。 でも、この世では生きるのが苦しかったのです。 我が子は苦しむために生まれたのでしょうか。 苦しむために生まれたのだと思うと、私は、生んだことを申し訳なく思います。 私がいなかったら子どもは苦しむために生まれなかったと思います。 私が存在する理由が分からなくなりました。
儲かること関係なしに、 貧乏だろうが、世のため人のためにお坊さんをやっている方は、本当にほとけさまのような存在です。しかし、ふつうに仕事をして、もっと収入を得たくはならないのですか? それとも、やっぱり、お坊さんという仕事をしたくて、やっておられるのですか?趣味みたいなものですか?
同じ会社に先生がいます。入社当時、おとなの立ち振る舞いの先生に好意をもちました。先生と連絡を仕事関係で連絡をとるうちに言われました。 「貴女は私の事が好きなのですか? はっきり言いなさい」と。私は認めましたが、3ヶ月ほど前から好きなら何でも言う事を聞くように。一緒にお酒をのんで一晩泊まる、体の関係になる。そんな事を要求されるようになりました。仕事も家も居場所がなく、体の関係になってもいいと投げやりになり承諾しました。けど、それ以来、無視でした。軽い女と思ったのでしょう。夜中の2時頃メールしてきたり心底、好きだったわけではありませんでしたが何故か言葉に表せる事ができない空虚感があります。体の関係を要求された事を思い出すと涙が出ます。二度ランチをしただけで体を。同じ会社なのに。小学生の頃、父親にアダルトビデオを見さされた事を思い出しました。いまだに妊婦を見ると、そういう行為をしたんだ、気持ち悪いと思ってしまう。警察官にレイプまがいの事をされた過去も思い出す。私の体は汚い。お風呂でどれだけ洗っても汚い。親も警察もレイプではなく私から誘ったと。死にたい
私は今までなんとなく生きてきました。なんとなく生きてきても何も思いませんでした。 しかし、最近(といっても半年前ですが)こんな人生でいいのかと感じるようになりました。 私は音楽が好きで、聞くのも、演奏するのもすきなのですが、ある日音楽を聴いていると、何か一つでもだれにも負けないものを持っておけ、といったような歌詞がありました。 私は今まで、なんとなく生きてきて、そんな事一つも考えた事がありませんでした。 大学の願書にも自分の特技を書く欄があり、その時は「楽器を演奏すること」、と書きました。しかし、大学に入り、より広い社会に出ると、やはり楽器を演奏することに対し、上には上がいて、どうしても越えられない壁がありました。その度に私は自信をなくし、本当に自分の特技なのか、人より誇れる事なのかと思ってしまうのです。 そう考えてしまうと、どんどん悪い方にばかり考えてしまい、自信がなくなります。 楽器を演奏することを生業としたいわけではないです。ただ、何か特技があっても上には上がいてそれを特技と呼べなくなってしまうのではないかと考えてしまう事にとても悲しくなってしまいます。 他の人にすごい人がいるから自分は必要とされないんだ、と思ってしまいます。 自分らしさってなんでしょうか、それが例えば何か一つ人に誇れるものであったならば、それを見つけるためにはどのようなことに気をつけていけばいいでしょうか?また、どのような考え方をしたら良いのでしょうか?教えてください。
いつも勉強させてもらっています。 私は短気な性格で、車の運転などで迷惑な運転をする人がいたらイラッとし、相手を睨んだりして怒りを表出してしまい、後からいつも後悔してしまいます。 その時はとても酷い表情をしているだろうし、私のしていることは最低な行為だと思います。 感情の抑制できる人になろう、と毎回反省するのですがなかなか直りません。 どのようにしたら怒りを表出せず、感情の抑制が出来るようになるのでしょうか。 このまま性格を改めることが出来なければ、いつかトラブルを起こすだろうと懸念もあります。本当に努力して自分を変えたいです。 お手数ですがアドバイス宜しくお願い致します。
私は寺院の長女として生まれ、育てられてきました。今は社会人として実家から離れたところで一人暮らしをしております。 少し離れた弟と妹がおり、弟が生まれてからは弟が寺院の跡取りとして育てられています。しかし、その弟が反抗期で、寺院を継ぎたくないと言っています。 私自身、寺院で育ったからと言って特別いい思いをしたこともなく、むしろマイナスにしか感じてこなかったので弟の気持ちはよく分かります。 そのことについて住職である父は、「弟が継がないのであればこの家を出ていかなければならない」「もう俺の代で終わりか」と悲観的な事も言えば、弟に対して強く当たったりもしているようです。 そして、この前父と二人で話し合った際、「兄弟三人、平等に継ぐ可能性がある」「お前だけが先に結婚して跡継ぎ問題から一抜けするのはずるい」というような事を言われました。 しかし、男兄弟がいるにも関わらずどう言う形であれ女が寺院を継ぐというのはあまり受け入れられない気がします。 また、生まれた頃から跡取りだからと父に優遇されてきた弟を見て、苦しい思いをしてきたこの何年間は何だったのかという気持ちにもなります。 何より、歳の離れた兄弟が進路を決めるまで待っていたら、自分の人生がめちゃくちゃになってしまうと思います。 父の代まで続いてきた寺院を、弟に継いで欲しい気持ちは分かります。私と妹にも継ぐ可能性はあると言いつつも、弟に継いで欲しい気持ちが一番だと思います。 ただ、父の弟に対する当たりが強く、それでは嫌われても当然だと思う事も多々あります。弟の気持ちも痛い位に分かります。 このまま穏便に、誰も嫌な思いをする事なく解決できる方法はないのでしょうか。
日本弁護士連合会(日弁連)が6日、福井市内で開催した死刑制度に関するシンポジウムで、”瀬戸内さんは「人間が人間の罪を決めることは難しい。 日本が(死刑制度を)まだ続けていることは恥ずかしい」と指摘。「人間が人間を殺すことは一番野蛮なこと。みなさん頑張って『殺さない』ってことを大きな声で唱えてください。そして、殺したがるばかどもと戦ってください」と述べた。”とあります。 しかし、一番野蛮な行為をした犯人が、軽い刑で済むのはどうかと思います。 また、”目には目を歯には歯をは”いけないのはわかりますが、刑期を終えて出所して社会に復帰すると恐ろしいです。 これでは被害者サイドは泣き寝入りかと存じます。 どう思われますか?ご意見を何卒よろしくお願い申し上げます。
私は糖尿病なのでダイエットして体重を落とさないといけないのですが、ついお菓子などを食べてしまい、ダイエットを続けられません。 どうすればダイエットを続ける強い意志を保ち続けられますか?
職場の年上の人に、「◯◯さんは諸行無常だね」と言われました。会話の中でではなく突然言われました。どういう意味なのかその人に直接聞くことはできませんでした。良い意味なのか悪い意味なのか、何かに気づくようヒントをくれたのかいくら考えてもわかりません。この言葉をどのように解釈したら良いでしょうか。
会社で自我を発揮する癖があり、二箇所連続で首になりました。 そのためだけに生きてきた昇進試験にも不合格続き、次の職場も見つからず。 結婚の予定もありません。 両親には、お前の生き方が全て悪いのだから反省しろと言われました。 今手掛けている事の区切りがついたら自殺を考えています。 ですが自殺する勇気がありません。 これまで懸命に生きてきたので、自殺は許されますか?迷惑がかからない自殺の方法はありますか? つかれてしまいました。
こんにちは。 以前Googleで自分の悩みを検索したところ検索結果にこのサイトが出てきたことがあり、それ以来hasunohaを毎晩のように拝見しています。お気に入りのお坊さんをブックマークしているほどです。 生まれた時から仏教徒で、お盆やお参りなど特に考えずそのマナーに従って生きてきましたが、一方で神や仏、また心霊などの類は一切信じないたちです。 しかしながら倫理哲学の勉強は非常に好きで、現在もっとも興味があります。 きっかけは数年前心身共にとても傷つく出来事があり、以来リラクゼーションやアロマ、音楽など、私生活で自己を労る環境を整えていきました。しかしそれらは頭の中、つまり思想の面では自分を疲労から救ってはくれず、そのとき仏教が自分にとって非常に重要なものではないかと気づきました。(軽率な発言続いており誠に恐れ入ります。。) hasunohaをみているうち、信じるか信じないか、お祈りが届くか届かないか、極楽浄土に行けるか行けないか以前に、自分で自分を生きやすい方向に調整していく、大変学びの多い学問でもあることを理解しました。 長くなりましたが質問したかったことは、仏教を学ぶ上でビギナーの私におすすめできる学習方法を教えていただけませんでしょうか。 下記何でも構いませんので、回答いただけると嬉しいです。 ・おすすめの著書(専門用語が多すぎない、噛み砕いてある、原版の理解にふさわしい) ・近所のお寺に通うことも考えたが、用もないのに門を叩いて説法してもらうことなどはできるのか? ・合宿のような形式で学ぶ方法はあるか。どうすれば受けられるか。ある場合、実家は曹洞宗だが宗派を超えても学習はさせてもらえるか ・↑に似ているが、短期的に修行を受けることはできるか。どのお寺でもできるのか?できるお寺はどうやって探すのか ・その他いい方法があれば 可能ならば僧の方に直に毎日少しずつお話を受ける形式が望ましいですが、自分の周りでそう言った人は見かけないし難しいのでしょうか... よろしくお願い致します。
お世話になります。 ここで何度か有難い、気持ちが落ち着くようなお返事いただいておりますが、未だ、自死した夫に手を合わせれず、仏壇の前に座れず、念仏も唱えてない状況です。 ちゃんと仏様に導かれて、今は安らかに、私達を見守っているかなー、 迷わず、暗闇が抜け出せたかなーと気になります。 念仏を唱えると、ちゃんと温かく手をさしのべてくれるのが仏教、浄土宗と聞いてますが、私は手を合わせる事も出来ず、南無阿弥陀仏ととなえる事も出来てません。 仏壇の前に座れずにいます。 こんなんで、私もあの世に逝ってしまったら、夫と同じとこにはいけない気がしてます… 夫に会いたくてたまりません また、こちらで拝見させていただいてる中で、自分が亡くなっても、夫と同じとこには行けないみたいですね… 私がもし後追いでもしても、夫と同じとこには行けないみたいですが、後追いしなくても後々、私の寿命がきても、亡くなり方が違うので行く場所は違うのでしょうか? よく、南無阿弥陀仏と唱えましょう…や、手を合わせればきっと救ってくださいます…と聞きます。 今の私では無理です。出来ないです。 今、まだ心配で後悔してウロウロしてるのかなと… 夫に会いたいです